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宗教でなく医学=自己洞察瞑想療法(SIMT) [2012年01月17日(Tue)]

宗教でなく医学=自己洞察瞑想療法(SIMT)

 自己洞察瞑想療法(SIMT:Self Insight Meditation Therapy)は宗教ではなくて、 医学だということを説明しています。 禅の実践法を利用していますが、あくまでも、論理的に(西田哲学的に、神経生理学的に、心理学 的)「こういうわけで心の病気が治る効果があると推測されるので、こうします」と課題にする意 味を説得します。
 宗教としての禅はどういうものであるのか、 著名な禅学者、鈴木大拙の著書「禅学入門」(講談社学術文庫)を紹介しましたが、心の病 気の人を治したい人には、理解不能だろうと思いますので、読まなくていいですが。 マインドフルネス心理療法(SIMT)を宗教では(?)と疑いを持つ人はお読みください。普通の論理では理解が難しいのが禅であることがわかるでしょう。一方、自己洞察瞑想療法(SIMT)は、理解しやすいものです。
 鈴木大拙の著書の 「非論理的なる禅」という一章の一部を引用してみます。
 禅僧の詩の一節に「橋は流れて水は流れず」とあるのを引用して著者はいいます。 (ミスプリントじゃないの? 「水は流れて橋は流れず」ではないのです。ほかにも、不可解な言葉が出てきます。とても、医学になりません。)
     「禅の真理を知的に−もし可能ならばー掴もうとねがう者は、まずこの短詩が何を意味するかを 会得しなければならない。」(57頁)

     「吾々が真理に徹底し得ないのは、畢竟余りに論理的解釈に執着するからだと見る。もし吾々が 人生に徹底しようとするならば、今迄大切に維持し来たった推理法を放棄しなければならない。つ まり論理並びに偏頗な日常語法の圧迫から逃れることの出来る新しい観察法を獲得しなければなら ぬのである。」(57頁)

     「禅は普通の論理的推理過程を以ってしては、到底最深底の精神的要求に最後の満足を あたうるには無力であることの結論に到達したのである。」(59頁)
 わかりやすい説明がないので、宗教の禅は、10年30年かけて体得するのかもしれません。 それでは、医学になりません。1,2年で心の病気が治るという論理的説明もありません。 禅は、唐宋時代の中国、鎌倉、江戸時代の日本で開始されたので、心の病気については全くわかっていなかったのですから、そのままで、心の病気の治療法になるという説明があるはずもありません。
 ところが、SIMTは高校生くらいの人に理解してもらえるような論理的に説明できるものでないと、心理療法になりま せん。支援者(医師、カウンセラー)も論理的でないと短期間で学習し習得できません。SIMTは、 患者さんも、カウンセラー講座の受講者の方も半年くらいで理解してもらえます。 

 このように、マインドフルネス心理療法(SIMT)は、宗教とは違います。ただし、 禅の初歩の段階で行う心の観察手法を、心理療法に借用しているのです。 だから、初歩の段階の禅のやりかたとは似たところもあります。 呼吸法が、スポーツにも、音楽、芸能にも用いられているかもしれませんね。 人の行為のいいものは、種々の領域に利用されるものです。禅の手法には、健康にいい作用がある ので、心理療法に用いるのです。
 すべての産業領域で、自己洞察瞑想療法(SIMT)が安心して活用していただけるように、 なるべく仏教用語を使わず、西田哲学、神経生理学、心理学の用語にするように努力していきます。まだ、適切な用語を思いついていない概念もあります。
 欧米のマインドフルネス心理療法の研究者は大勢の人がこの分野に参画しています。 日本は遅れていますね。なぜなのでしょうね。独創的なことを外国の人が開発します。そして、日本は翻訳輸入します。 ただ、日本には、独創的な 西田哲学があります。論理的ですので、欧米の研究者もマインドフルネス心理療法(たとえば、弁 証法的行動療法、マインドフルネス認知療法)の 根拠を論理的に説明するために、いずれ、西田哲学を学ぶのではないでしょうか。
今朝、アクセスが210万を越えていました。ありがとうございます。
Posted by MF総研/大田 at 17:35 | 新しい心理療法 | この記事のURL