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ひとりじゃないよ [2010年05月16日(Sun)]

ひとりじゃないよ

 56歳の夫のうつ病をささえている妻。若いころにも夫はうつ病になったこともあった。「苦しむ夫を助けた い気持ちと、自分の人生がこれからも振り回されてしまうのかというやるせない気持ちとの間で、揺れています 。」朝日新聞の投書に反響が。
 「ひとりじゃないよ」
 多くの人、同様にうつ病の家族と暮らしている方から反響があった。「あなたひとりじゃない。私たちもです 。」「弱さを受け止め、一つづつ解決してほしい。いつか必ず朝はくる」「相談機関に相談して」「家族会もあ ります」「自分をささえてくれる人たちの名前を書き出す」
 私もうつ病になった。家族のつらさもわかる。多くのうつ病のご家族とあう。本人のほか、ご家族も苦しんでおられる。薬物療法で治らない場合、5年、20年、ご家族も影響を受ける。重くなると、家族で旅行などもでかけない。したいこともできない。休みのないささえが持続する。家族も本人もつらい。ご家族のために、国や自治体で何かできないのでしょうか。

 「ひとりじゃない」と思えるのはいい。そういう人が集まればもっといい。
 カウンセラーや医者もささえる。カウンセラーも患者さんや家族にささえられる。患者さんやご家族から叱ら れる。カウンセラーや医者も孤独。そこで支援者もひとりじゃないとささえあう。カウンセラーや医者も、患者 さんや家族からささえられる。
 でも、「どうしてもひとりぼっち」という人もいる。相談機関、地域の支援機関、家族会などにも参加した。 それでも、「ひとり」を感じてしまう人も多い。
 「せきをしてもひとり」(種田山頭火)。
 「ひとり」ではない「ひとり」。この「ひとり」「自分、一人」とは何なのでしょうか。「人」「自分」とは 何なのでしょうか。ひとり生まれ、やがて親ともわかれ、配偶者ともわかれて「ひとり」。 同窓会があったが「ひとり」のような人もいらした。 きづなを求めて出てみた同窓会。そこでも、深い孤独。
 孤独というかなしみは、「自分」というものを 深く探求していっても感じるのでしょう。西田幾多郎も自分を理解するものはいないと孤独を感じていたようで す。鈴木大拙という友人にささえられていたようです。やはり「ひとり」はかなしい、さびしい。ひとりでは生 きていけない。
 つらいことも多いですが、ご家族をささえ、同じかなしみを共感する人たちがあつまってささえあっていくしかありません。私もまた多くの人にささえられて生きていきます。ひとりでは何ほどのこともできません。ひとりじゃできない。ささえあいたい、かけがえのないいのち。二度とない人生。
Posted by MF総研/大田 at 09:44 | 私たち | この記事のURL