禅、西田哲学、脳神経生理学、うつ病の精神医学、マインドフルネス心理療法 [2010年04月16日(金)]
禅、西田哲学、脳神経生理学、うつ病の精神医学、マインドフルネス心理療法坐禅は病院やカウンセリング所で症状の緩和やリラクセーションの意図を持って 、部分的に行われていると聞く。ターミナルケアに力を入れている病院、がん患者 を支援する団体で、坐禅をとりいれているところもある。それらは心理療法そのも のではない。それだけでは、うつ病や不安障害は治る保障はない。禅とマインドフルネス心理療法は似ているが違う。禅はそのままでは、うつ病や 不安障害の人が実践することは事実上難しい。患者さんでもできるように病気を治 す仮説、理論があって、方法が定型化されて実習できること、現実に改善効果があ ることが必要である。 欧米の心理療法者が禅、心理療法とを融合させた。日本では、創始されなかった 。欧米で種々のマインドフルネス心理療法が開発された。 弁証法的行動療法、マインドフルネス認知療法、行動活性化療法。ACTは禅をと りいれたのではなく、行動分析学を効果的に発展させていくうちに、禅に似た実践 になっていたという。似たようなところへ来た。 日本の医師や心理療法の研究者が欧米の種々のマインドフルネス心理療法の日本 への導入のための研究を始めている。 私どもは、15年かけて、禅と心理療法、うつ病の精神医学、脳神経生理学との 融合を試みてきた。数年前から欧米のマインドフルネス心理療法を参考にして、自 己洞察瞑想療法( SIMT: Self Insight Meditation Therapy )と名づけた。 中核が、禅の哲学(西田哲学)と禅に似た実践である。リネハンの弁証法的行動療 法も禅の哲学と実践が中核となっているから基本的にはほとんど同じだろう。 禅の哲学(一元論、すべてが自己、自己の探求など禅ではいってきたが、十分に 論理化されておらず禅書では心理療法へのてがかりがわかりにくく、西田哲学で論 理化されているといえる)、禅の実践、脳神経生理学、うつ病の神経生理学の成果 とを融合させた。人はみな根底がすばらしい存在であるという。西田哲学では仮説ではなく自己存在の真相とする。マインドフルネス心理療法では、これを仮説とする。 禅がそのままでは、心理療法にならない。西田哲学がそのままでは心理療法にな らない。工夫が必要である。この工夫は、これを心理カウンセラーが用いるならば、種々の領域では、特別の工夫を加えるのがいいから、細かい技法の研究開発は 続く。問題(うつ病、不安障害、パーソナリティ障害、依存症、非行犯罪更生など )、応用領域(若い人のうつ病か、成人のうつ病か、がん患者か、ターミナルケア か、介護現場か、リハビリ現場か、学校での予防か、など)や方式(個別面接か、 グループ・セッションか、長期入院合宿方式か)によって違う工夫を付け加えてい かなければならない。欧米のマインドフルネス心理療法でもいいし、SIMTでもいい 。応用領域は広い。だが、問題は指導者の育成である。時間がかかる。自分の問題 を治そうとして患者、クライアントは1,2年も真剣に実践するので、 そういう人が、カウンセラー講座を学習して、カウンセラーとして活躍していただ く道も有力だ。だが、臨床心理士となるには6年間大学と大学院に通う必要がある 。認知行動療法、マインドフルネス心理療法の講座のある大学も少ない。 国が別のルートを作る必要がある。国の政策を動かすのは患者や家族の声であると 思う。国が支援対策をまとめるそうだから早期に心理療法を受けられる制度を作っ てもらいたい。 禅の場合、発達したのが中国の唐の時代、日本の鎌倉時代で、一般の人に指導さ れたのは昭和時代に盛んになった(禅ブームという言葉もあったが)が、唐、鎌倉 時代はもちろんのこと、昭和の当時もうつ病、不安障害と禅の関連ということは注 目されていなかった。日本の禅の書物でもうつ病などとの関連をいう言葉はない。 中国の禅僧、鎌倉から昭和に至る禅僧の言葉にも、鈴木大拙も西田幾多郎も、精神 疾患を禅で治すことは言っていない。精神疾患がわかってきたのが最近のことだか らだろう。 禅には独特の哲学があることは鈴木大拙、西田幾多郎が指摘していた。禅には人 間や世界の哲学(自己と世界が一如、現在一元、など)が含まれているが、十分に 論理化されていなかった、と西田は指摘している。西田はそれを論理化した。だが 、論理化と禅の実践は違う。さらに西田哲学と心理療法も違う。だから、古くから 禅僧が禅を指導したが心理療法にはならなかった。心の健康な人がするものと想定 されていたようだ。 昭和20年に完成した西田哲学も心理療法にならなかった。哲学の理解できる人の ものであった。西田哲学の研究者も医師もカウンセラーも心理療法には応用しなか った。 禅は、人間の心の探求を実践するもの、禅でみられる自己の真相を論理的 に言葉にしたのが西田哲学。たとえば論文「叡智的世界」は 「自己」意識についての深まりを論理的に解明している。つらくみえる対象と自分 は対立するものであるという浅い判断的自己から、すべてが、苦悩、善悪のない根 底の自己の顕現であるとする叡智的自己への段階が論理的に説明されている。 昭和までの禅は心の病気の人を教化の対象にはしなかったが、西田哲学に 治る心の原理のてがかりがある。 種々の心理的ストレスによる問題は、ある意味で、自己が叡智的自己まで深まって いない、意志作用が十分に活性化していないところにおきているとも言える。 西田哲学は論理的説明があるが難しすぎる。心理療法として応用できる部分を抽出 する。禅の実践からも心理療法の研究成果からも精神疾患の治療に使える部分を抽出する。欧米の認知行動療法からも 使える部分を抽出する。これらを高い治療効果があるように再構成する。こ うして、SIMTができあがった。これからも改良、発展していく。 禅の哲学や実践がある、それを論理化したのが 西田哲学、認知行動療法があるが限界もあるがすぐれたところもある。脳神経生理 学的研究はめざましい。精神疾患の医学的研究もすすんできた。こうしたすべての 長所を統合して、心理療法としたのがSIMTである。日本には、禅や西田哲学がある ので、日本の医療関係者、クライアント(患者)には受け入れやすいのではないか と思う。今は、まだ周知されていないからこれを行う医者、心理カウンセラーは少 ないが、日本には禅寺が多く、禅学の研究も盛んである、西田哲学を学ぶ場(いくつかの大学)もあるので、日本では今後、広ま っていくことが期待される。 SIMTとして考案された心の使い方を患者さんが実行するのがマインドフルネス心 理療法の課題であるが、実践的には多くの禅寺で行われている坐禅(静中の工夫と いわれた)に似ている。行動中の禅(動中の工夫といわれた)に似ている。ちがう ところもある。指導法はかなりちがう。うつ病、不安障害を治すために関連が説明 されて、改善するための心が多くの言葉で説明され、実践方法も多くの言葉で説明 される。読むだけでは治らない、実践しないと治らない、脳神経生理学的な変化を もたらすほどの長期間の実践が必要である。興奮すると苦しむ作用は、活火山から 休火山へ、休火山から死火山へ。低下していて苦しむ作用は 休火山状態であるから活火山状態にする。 (こういうたとえをメタファーという。マインドフルネス心理療法はメタファーを多く用いるのが特徴である。西田哲学にも「包む」「映す」「鏡」「無限球」などの言葉がある。) 時間はかかるが道はある。すべての人に 可能性がある。 日本には、禅があり、西田哲学の研究者もいる。SIMTの研究がすすんで、患者さ んや予防したい人、自分の職業や芸術を一歩成長させたい(叡智的自己の開発によ る)というような人たちがやさしく実践できるようになる時が来るにちがいない。 と夢をもっている。 門をあければ広い領域が開けている。私どもはほんの門を開いた段階で終る。 イギリスの留学中に心の病気になった夏目漱石は禅に期待して円覚寺に行った。 しかし、言葉の指導のない方法に絶望して戻る。漱石は禅書を読み、人の心、自殺 (「こころ」という小説)を扱った小説を多く書いた。漱石の小説は禅の視点から 読むと違った様相をみせて面白い。川端康成、岡本かの子、遠藤周作の小説も禅の 視点から読むと面白いものが浮かびあがる。志賀直哉の「暗夜航路」、宮沢賢治の 多くの童話も禅の視点(深い自己)から読むと違う世界が読みとれる。能の世阿弥 、茶道の千利休、俳諧の松尾芭蕉、芸術関係では、良寛の詩、河井寛治郎、東山魁 夷、高橋新吉、永田耕衣など、精神科医の神谷美恵子・・・。 日本の文化には、禅(または禅に類似するキリスト教解釈)が広く浸透している。 特に志賀直哉の「暗夜行路」、川端康成の「千羽鶴」は、精神的苦悩をもった主人 公が、阿蘇付近や大山の自然をさまよっているうちに、心の根元にふれて、苦悩か ら立直る様が描かれている。この2つの小説は、根源的な自己にめざめるという禅に 類似のことがないと救いの結末が成立しない。小説だから、偶然に大自然の中で心のひるがえりという回心ですむが、それでは 心理療法にならない。心理療法は一定の方法で実践すれば、誰でも心理的苦悩が軽 くなるものでなければならない。回心については、西田哲学でもしばしば説明されている。 |
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