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種々の世界(1) [2010年02月12日(Fri)]

種々の世界(1)

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。

意識界=自覚的一般者

 西田幾多郎の論文「叡智的世界」が、種々の世界を紹介している。 普通は、自然界と意識界しか知らないが、もっと深い世界があるという。 「場所」の論文では、「有の場所(自然界)」−「意識の野」−「絶対無の場所」の3層構造が紹介された。 論文「叡智的世界」では、大きくは4層で、その間に、さらに種々の世界があるという。

世界 別名 包む一般者 於いてあるもの
有の場所 自然界、判断的世界 判断的一般者 (*1) もの、空間、物理現象、力の場、意識的自己
意識の野
意識界 自覚的一般者 (*2) 自然界、知的自己、感情的自己、意志的自己
叡智的世界   叡智的一般者 (*3) (次の記事)
絶対無の場所 無の一般者 なし (「絶対無の場所」は究極の一般者) (*4) (次の記事)

(*1)判断的一般者 「判断的一般者に於いてあり、これに於いて限定されるものが自然界」(123)
いわゆる自然界を包む一般者。最初の具体的一般者。自然的世界は意識的世界によって根拠づけられている。
(*2)自覚的一般者 「判断的一般者を包む一般者(すなわち自覚的一般者)」(123)
いわゆる意識的世界を包む一般者。自覚とは「自己の内に自己を映すこと」「自己が自己に於いて自己自身を見る」こと。自覚的世界は叡智的世界によって根拠づけられている。
知的自己 ◆「判断的一般者の内容をそのままに、意識内容となす自覚的なるものが知的自己である。知的自己とは自覚的一般者に於いてあるものとしては、なお自己自身の自覚的内容を有せない形式的有たるにすぎない。」(126)。
=知的自己は自然界を認識対象とするもので、自己の内に自己自身を映すという自覚的内容を有しない。
◆「意識は単に映すというごとき意味しか有せない、かかる関係を志向作用というのである。・・・純なる知識の立場においては、作用自身の内容というものは入って来ない、作用そのものは反省せられない」(127)。
=自己の対象へ向かう働きを志向作用という。 知的自己は純粋に対象を映す鏡と考えられる。自己自身の自覚的内容はない。
◆「知的自覚においてはノエシスはノエマを含まない、自己がなお自己自身の内容を意識せない。」(138)。
=知的自己においては、知られる対象(ノエマ)は自己にとって対立的である。ノエシス(作用、主観面)がノエマを含んでいない。自己が自己自身の内容を意識していない。
要するに、自己を知らない、自己の作用を知らないということである。
感情的自己 ◆「ノエシスがノエマとして、自己が自己自身の内を意識するのが、感情的自覚である、感情的内容と考えられるものが、我々の自己の状態を現わすものと考えることができる。」(138)。
=感情的自己においては、自己が自己自身を意識する。自己の快、不快を知る。
意志的自己 知的自己は対象を知るが、自己自身の作用を知らない。意志的自己は、自覚が深まり、自己自身を知る自己である。
ただ、意志的自己も矛盾的存在であり、さらに自己を超越(内在的)して、叡智的自己に深まる必要がある。
◆「自覚的なるもの自身の内容が意識せられるには、自覚的一般者に於いてあるものの意味が深められねばならない、自己の中に自己を映すという自覚的有の意味が現われて来なければならない。しかして、それが可能になるには、我々は知的自己の立場から意志 的自己の立場(作用の作用の立場)に移り行かねばならぬ、したがって我々の意識面も・・・自己自身の内容を映す自覚的意識面という意味に変じて行かねばならぬのである。」(127)。
◆「意志するということは、知って働く、働くことを知る、知りつつ働くことと考えられる」(129)。
◆「私が働くということは、まず変ずるということ」「知る私は働く私を、すなわち私の変化を見ている私でなければならない。志向ということから考えれば、知る私においては、志向せられるものが志向するものであり、志向するものが志向せられるものでなければならない。」(129)。
=意志するということは働くことである。変ずることである。
◆「働く私というものが考えられるには、変化の一歩一歩が志向せられるものと志向するものと合一する知るものであって、しかもそれが変じて行くものでなければならない。かかる知る私の連続が働く私と考えられるのである。かくして働く私は知る私を含むということができる。」(130)。
=意志が働く時、志向作用が働く。しかし、次のように志向には自覚の作用はない。意志がないと働くことはない。
◆「自己自身を自覚的に限定し媒介する作用は、志向的作用ではなくして、意志作用でなければならない。自覚的に自己自身の内容を限定する過程が我々に意志と考えられるものである。」 (130)。
(*3)叡智的一般者 思惟を超越した世界。 意識界の内奥にあると考えられる超越的世界。対象的、外的に超越するのではなく、 内在的方向に超越した世界。意識作用を自己の内に反省する意識の奥の根源的な世界。
知的叡智的自己
(次の記事)
情的叡智的自己
(次の記事)
意志的叡智的自己
(次の記事)
(*4)無の一般者 叡智的世界の内奥の極限に「絶対無の場所」がある。

 自覚的一般者の3つの要点を表示した。 知的自己は、対象を知るが自己を知らない。感情的自己は自己の状態を知る。 意志的自己は、自己自身を見ることができるが、自己を見る働きが根拠となる内奥の真の自己を知らない。なお深く超越する必要がある。
     「意志的自己は「働くもの」の如く、これを包むものによって裏づけられた自覚的一般者の底において見られるものである。故に、意志するものは既に意識を超えてあるものである、ノエシスがノエマを含むということができる。これを越えれば、もはや意識的に有と考えられるものは単に表現するものにすぎない、表現によって意識せられるものは、意志的自己を越えてあるものの内容である。」 (138)
 意志する時、すでに意識を超えている、意識より深い場所から働くものがある。 意志的自己を越えていれば、意識の対象として認識されない。自己自身を表現するもの 自身は意識では対象化されないから見ることはできない。そこに見られるのは自己表現 のノエマ(対象)的内容である。
 意志の作用は目的的であるので、今の状況と目的達成時の状況が映されつつ、行為が 遂行される。そういう意志に伴うすべてを包む真の自己が意志の奥底にあると考えられ る。
    「意志はある目的の自覚より起こり、その目的を達することによって消滅する。・・・ 合目的的作用というものが成立するには、その終わりに現われるものが始めに与えられ たものでなければならない。合目的的作用とはその前後を包むものが、自己自身の内容 を限定する過程と見ることができる。・・・ かかる意味において我々の意志の奥底に考えられる真の自己とは、我々の意志を超越し てこれを内に包むものである、我々の意志はかかる自己によって基礎づけられているの である。」(134)。

マインドフルネス心理療法へ

 うつ病になると、ほとんど社会的行動をしなくなる。または、重要な行動が障害され る。社会的行動が障害されるということは「意志作用」の障害といってもいい。 職業的、文化的、社会的な行動を駆動する「意志」が十分に活動しない。 抑うつ症状が軽くなっても、行動できない、行動への意志が活性化しない。
 成功したかに見えていた人がうつ病になり、自殺するのも、自己を知らない部分があ り、自己の悩む心を知らないことにも大きな原因がある。「自分」というものは、通常 の意識では知ることができないと西田幾多郎は言う。「これが自分だ」ということで自 分がわかっているつもりでいるが、真実の自分は、そういうふうに言葉で言われたもの ではなく、「言う」「考える」方である。「これが自分だ」という自分。どこまでもつ きとめられない。言葉で描いた自分(真の自分ではない)を責めて、絶望して自殺する 。「自分を知る」ということは極めて重要なテーマである。人生のどこかで真剣に探求 すべきことである。
 病気になる以前から、自己の種々の作用を知らない人が 多い。見る、聞く、考える、感情を感じる、意志などの「作用」そのもの(自己自身) とその対象をよく区別できないのである。つまり、自己を知らないのである。これでは 、ストレスがある時に、自己をコントロールできなくて、発病する。発病してからも自 己を知らないので、改善行動がわからない、意志をおこすことができない。 うつ病を治す程度であれば、自覚的一般者の領域(意識の範囲) の自己を知るだけでも、軽くなる。しかし、マインドフルネス心理療法には、 そこを越えて自己を知るところまで深めるので、トレーニングができる人は軽くなり、 再発しにくい。もちろん、この自己洞察法を実行できない人もいる。起きている間中、 常に、自己の種々の精神作用を観察し名前づけし、不快事象を受容し、建設的な行動へ の意志を起す必要がある。 自己を深く洞察するということが苦手な人、回避する人は実践できない。 長引いた人は、意志がかなり弱まっていて、回避、逃避、依存などの行為に慣れており 、建設的な治療行動への意志を起すことが難しい人がいる。治療者(セラピスト)が できるだけ、個人的に時間をかけて、ていねいに助言すればできる人もいるだろう。コ ストとのかねあいである。
 意志は合目的的作用であるが、うつ病や不安障害になると目的達成の意志行動ができ ない状態になっている。そこで、治癒した時点の自己を思いうかべて、治療効果のある 課題を遂行すべきという意志を起し、直後に実行するというトレーニングを行う。ここ において、意志的自己の奥底に、こういうトレーニングの行為(意志)をささえる自己 が動かないと実行できないはずである。容易ではないが、くり返し挑戦する。そのトレ ーニングは、西田幾多郎のいう叡智的一般者を活性化するものと言えるのだろう。

 (続)
    (注)
  • 上記は「叡智的世界」より。(数字)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店の巻5の頁。



Posted by MF総研/大田 at 16:51 | 私たちの心理療法 | この記事のURL