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絶対矛盾的自己同一<3、他愛が自愛、真の自愛が他愛> [2010年01月29日(Fri)]

絶対矛盾的自己同一<3、他愛が自愛、真の自愛が他愛>

 =マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法に応用できるようなところをみている。

他愛が自愛、真の自愛が他愛

 現実は絶対矛盾的自己同一であるという。矛盾、対立するものがそのままで自己同一である。自 己を愛することと他者を愛することとは対立すると見られるが、真の自愛は即ち他愛であるという 。うつ病になると自愛を失い「自己嫌悪」を強めて、極限に自殺する。 自己と世界は矛盾的自己同一であり、自己嫌悪の極限がこの世の嫌悪となり、この世と自己を消す 。 自愛は他愛、他愛は自愛だという。自愛があれば、うつ病は治るだろう。 自愛は他愛、他愛は自愛だというならば、自己嫌悪は他者嫌悪であり、他者嫌悪は自己嫌悪である 。嫌悪が強いとうつ病になる。うつ病の解決へのヒントがあるだろう。
     「我々の自己と考えられるものは自己自身を愛するものでなければならない。愛の自己限定とし て自己というものがあると考えられるのである。そして真の愛というのは自己自身を否定すること によって自己自身を肯定することである、自己に死することによって他に生きることである。自愛 と他愛とは固、別のものではなくして、ノエマ的限定とノエシス的限定の関係を有って居るのであ る。ノエシス的限定なくしてノエマ的限定なき如く、他愛なくして真の自愛というものはない。」 (巻6-288)

     「我々は肉体的自己を脱却して永遠の無に接すると考えられる時、そこに我々は個人的自己を失 うのではなく、歴史人として却って真の個人的自己を有つのである。かかる意味に於ける個人に於 ては、自愛は即他愛であり、愛の自己限定が直に当為でなければならぬ。・・・
    自己自身を否定することによって自己を見出す即ち死することによって生きるという愛の限定には 、当為が含まれていなければならない、厳粛なる義務が含まれていなければならない。 自己自身に死するということは、自己の欲求を否定することを意味するのである。しかし欲求の方 向に死することは、真の自己に生きることでなければならぬ。」(巻6-291)

     「絶対の愛と考えられるものは、之に於て無数の時が限定せられる永遠の今ということができる 、時を包み時を成立せしめる空間と考えることができる。我々は他愛によって自己を否定するので なく自己を見出すのである。我々は自愛によって他を否定するのでなく他を見出すのである。 」(巻6-236)

     「愛の限定というのは自己を棄てることによって自己を見出すことである。現在が現在自身を限 定するという時の限定というのは、かかる意味に於ける愛の限定によって基礎附けられていなけれ ばならない。」(巻6-257)
   ノエシス的とは作用的、主体的、見る、包む方向で、ノエマとは対象的方向、客観的方向、見ら れる方向、包まれる方向を意味する。
 真の愛というのは自己自身を否定することが自己を肯定することである、自己に死することによ って他に生きることである。母の子に対する愛を見ればわかるだろう。 客観と主観が矛盾的自己同一である。自己根底の「絶対無の場所」に他者がある。愛は自己を空し くして他者を包みこむ。自己のうちに他者を包み、そこに自己を見出す。他を愛することが自愛と なる。自己なくして自己根底の場所において他者と同一であるから他者を愛することが自愛となる 。真の他愛は、自己自身に死すること、自己の欲求を否定することを意味する。 エゴイスト、ストーカーの如く、他者を嫌悪させて自己の欲愛を強制するのは真の自愛ではない、 他愛ではない。

マインドフルネス心理療法へ

 うつ病は自愛の喪失である。他愛を失うのは他者嫌悪である。うつ病は、自愛、他愛が深く関係 している、薬物療法だけでこういう心理を変えるのは限界がある。
 他者を愛することが、(絶対矛盾的自己同一的に)自愛である、他者の喜びが自己の喜びである 。自己も他者も創造的世界の創造的要素であるから、自己の愛が他者の愛となるためには、世界から見て の愛でなければならない。自己と他者は絶対矛盾的自己同一である。 他者を愛することが自己を愛することとなるためには、自己を空しくする、自己否定が条件となる 。夫婦愛、親子愛、同僚愛などの問題がある時に、解決の方針は、自己を空しくして相手を包むこ とだろうか。
 他愛は自己愛である、他者嫌悪は自己嫌悪である。他者嫌悪、自己嫌悪のどちらもうつ病を招き 寄せる。対人関係の悪化によるうつ病が多い。他者がひどい仕打ちをする場合もあるだろうが、他 者を嫌悪することによってもうつ病になる、他者嫌悪が(矛盾的自己同一的に)自己嫌悪であるか ら、他者を嫌悪しても、自己嫌悪、自己無価値感の症状のあるうつ病になる。絶対矛盾的自己同一 の哲学的には、当然の論理である。他者嫌悪は即ち自己嫌悪である。うつ病は他者嫌悪によるうつ 病でも、自己において嫌悪、現在の自己状況の嫌悪否定の思いが即座に現われる。悪化すると環境 嫌悪となり社会に出ていくことができなくなる。さらに悪化すると生きる世界から消える欲求が起 きる。
 治す方針は、他者のひどい仕打ちが社会的な支援で排除、緩和できるならば、それを実施すべき である。そのほか、本人にできることは、他者の不快なことも、自己の不快なことも包み受容する ことである。嫌悪の思考を自覚して対処することである。 自己の根底の「絶対無の場所」に他者も自己も包みこむ。嫌悪の評価とは思惟(思考)作用である が、嫌悪の評価をせずに映す。「絶対無の場所」からの愛の実践であるから、他愛、自愛であるか ら、うつ病の症状である「他者嫌悪、自己嫌悪」の思惟を超越する。自己も他者も創造的世界の要 素である、自己が他者を愛することは世界が世界を愛することである。嫌悪的世界であったものが 愛すべき世界となる。
 嫌悪も愛も、他のあらゆるものが自己根底の「絶対無の場所」において現われる。不快なことも 他者のふるまいも自己を空しくして、自己を殺して(無評価であること、我見、自我の差配のない こと)、そのままに映し包むことで自己を自覚し、自己を知ることになり、自由意志で建設的な行 動を選択する。自己を生かすことになる。

 (続)
    (注)
  • 上記の(巻x-xx)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店の巻と頁。



Posted by MF総研/大田 at 18:17 | 私たちの心理療法 | この記事のURL