CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«「絶対無の場所」と「絶対無の自覚」 | Main | 宇宙を見、聴き、感じ(1)=考え抜いて»
行為的直観=生か死を迫る [2010年01月24日(Sun)]

行為的直観(3)
 =生か死を迫る
 =作られたものから作るものへ

 マインドフルネス心理療法は禅の哲学(多分、人の心の真相の哲学 )によって心の病気がマイン ドフルネス心理療法で救われる構造を西田哲学(西田幾多郎)の言葉 で簡単に見ている。

行為的直観

 =価値実現か価値崩壊かを迫る

 我々は世界の中に生きている。我々の現在において、見るもの、聞 くものは、世界が我々の自己根底から現われて我々に生か死 かを迫っている。世界が我々に、我々の自己の表現として現われて、 我々にどう行為するか迫って いる。私は環境によって動かされて、私(および無数の個人)は環境 を作る、作ったものによって私の前に、根底に現わ れて行為を迫る。
     「私の行為的直観というのは、判断論理を媒介とせないで、唯無媒 介的に、単に受動的ないわゆ る直観から直観へと移り行くことを意味するのではない。矛盾的自己 同一的現在の世界に於いては 、どこまでも個物と世界との対立がなければならない、作られたもの と作るものとの対立がなけれ ばならない。かかる立場からは、直観と行為とはどこまでも対立する ものでなければならない。そ の間には単に主体的立場から考えられる相互否定的対立以上のものが なければならない。そこには 絶対の過去と未来との対立がなければならない。無限なる歴史的過去 が絶対現在に於いて無限に我 々に迫り居るのである。無限の過去が現在に於いて我々に対するとい うことは表現的ということで あり、それは単に了解の対象と考えられるが、どこまでも我々に対す るものが表現的に我々に迫る ということ、即ち表現作用的に我々を動かすということが、物が直観 的に我々に現われることであ る。我々の自己の存在そのものを動かすものが、直観的に見られるも のである。」 (巻9-200、「絶対矛盾的自己同一」)
 すべてのものが、即ち、環境が自己根底の場所において現われる、 無限の過去から、無数の個によって作られた環境が自己 の前に、現われる。自己を越えたものの表現として我々に行為 を迫る。
     「上に絶対矛盾的自己同一として作られたものから作るものへ という世界に於いては環境が自己 否定的に自己自身を主体化することによって真の環境となるといった が、我々の自己が自己矛盾的 にその中に包まれる世界が我々に直観的な世界である。作用が自己矛 盾的に対象に含まれ、見るこ とから働く世界である、いわば我々がどこまでもその中に吸い込まれ 行く世界である。絶対矛盾的 自己同一の世界に於いては、主と客とは単に対立するのでもない、又 相互に媒介するのでもない、 生か死かの戦いである。絶対矛盾的自己同一の世界に於いて、直観的 に与えられるものは、単に我 々の存在を否定するのではない、我々の魂を否定するのでなければな らない。」 (巻9-200,「絶対矛盾的自己同一」)

マインドフルネス心理療法への方法

 うつ病になると、まさに生か死かの渕にたたずんでいる。
 時々刻々と見る、聞く、感じる、世界が我々に迫ってくる。意志し 行為することを迫っている。 現れる現実は、無限の過去から無数の己事究明によって作られたもの であり、自分は、そこに住むのであるから、現れたとたん、過去であ り、どうすることもできない。 しかし、自己は自由意志を持つ、新たな行動をすることができる。 現在において、自己を捨てず、必然の出来事として現れた現実を自己 の了見で嫌い、価値崩壊の行為をするか、自己を空しくして世界を包 み、場所的にものとなって見て受容して、価値実現の意志、行為を選 択するか、いつも迫られている。 現実の世界は、我々にいつも、価値実現か価値崩壊か、生か死かを迫 まっている。現在から現在 へと現れるものを直観し、自己の作用と対象を自覚して、自己が生き る行為を選択しなければ、精神疾患は治りにくい。自覚なくして死に 近づく道へ踏み出すかもしれない。
 自分の意志的行為が環境を作る、他の無数の個人も世界の創造に参 画する。それにより環境が変わるが無数の個人の自由意志によって世 界が作られるから、予想はつかない。私たちの前に世界の表現として の出来事が現われて、自分に直観されて、一瞬、一瞬、価値実現か価 値崩壊かの行為を迫られているのである。
 しかし、自己には、自由意志があるがゆえに、自己の意志によって 価値実現の道を選択して、新しい世界を作ることに参画するのである 。 (参照⇒ 価値実現か価値崩壊か
 自己と環境は、自己が世界の一要素であるから、自己同一である、 不快な環境とは世界の表現でもあり、自己の表現でもある。自己は自 己が生きる環境に働き、環境 を変える。このことを深く理解して、現在を見失わず、無限の過去、 無数の人の出来事として、現れた出来事をよく了解して、 自分の価値実現の行為、精神疾患が治る行為、生きる道を選択するの である。現れた出来事を嫌うことは自己を嫌うことであ る、生命を嫌うことである。不快なものも自己である、不快なことが あっても、未来に向かって自己が変えることができることがある、自 己は環境を変えることで自己を変える。世界に向けて働く、そうする と自己同一である環境と自己が変わる。自己を空しくして現実を受け 入れることが「絶対無の場所」である自己の中に世界をそ のまま映し表現することである。自己を絶対的に死に、新たに世界を 作る行動をすることで、世界を作り、自己を生かすのである。
 カウンセリングの場で は、不快事象、不快な環境でも自己の生命の表現として、あるがまま を包み映し(受容 )、自己の願い、自己が生きるために価値あることを実現するための 行為を自由意志で選択して実行する訓練を習う。 そして、日常生活の中で、これが理解され行動されれば、この時、苦 悩が心理的には解決しているのである。症状は残っても、価値実現の 行動をする自分に満足できる。カウンセリングの進行中に症状はあっ ても 救われている自己を自覚するクライアントが多い。だが、やはり、症 状は軽い方が、価値実現の行動の幅が広くなる。 症状が軽 くなると認識されている行為を選択していく、意志的行為、行為的直 観を続ける。「価値崩壊の反応パターン」はとらない。そうした行為 が継続されていくと、神経生理学的な影響を引き起こして、症状が軽 くなっていくことが多い。
 (続)
    (注) 上記の( 頁)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店。

Posted by MF総研/大田 at 18:58 | 私たちの心理療法 | この記事のURL