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自覚の訓練で精神疾患を治す [2010年01月19日(Tue)]

自覚の訓練で精神疾患を治す

 =マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法は禅の哲学(多分、人の心の真相の哲学)によって心の病気がマイン ドフルネス心理療法で救われる構造を西田哲学(西田幾多郎)の言葉で簡単に見ている。

自己を知る自覚

 真に自己を知るということが自覚であるが、自覚というのは自己が自己に於いて見るということ である。しかも、場所が場所自身を限定するということである。普通に言われる「自覚」とは異な っている。
     「我々の自覚というものは、単に知るものと知られるものとが一であるということを意味するの ではない。単なる主客合一が自覚ではない。自己が自己に於いて自己を見ると考えられる所に、 自覚の意味があるのである。場所が場所自身を限定すると考えられる所に自覚の意味があるのであ る。」(巻7-88 「哲学の根本問題」)「自己に於いて自己を見る」(巻8-138)
 「自己が自己に於いて自己を見ると考えられる所に、自覚の意味がある。」 「自己が自己を見る」というだけでは自覚ではない。「自己に於いて」である時に、自覚である。 この「自己」は「於いて」というのであるから、場所としての自己である。「絶対無の場所」であ る。客観と対立するような自己、意識的な自己から見るのではなく、そういう自己はなくて場所か ら自己を見るのが自覚である。
 「単に知るものと知られるものとが一であるということを意味するのではない。単なる主客合一 が自覚ではない。」すなわち、身体とは別の霊魂のような自己があると認めておいて自己の外に見 られるものがあるというように認識しておいて、そのような自己(知るもの)と対象(知られるも の)とが一つであるというようなことではない。そのような主客合一が自覚ではない。

絶対無の自覚

 自覚にも深まりがあり、最も深い自覚が絶対無の自覚である。  「自己とはこういものだ」というふうに、自己として何物かが見られるかぎり、それは真の自己 ではない。自己自身が見られなくなる時、自己が全く没した時、真の自己を見る、自覚するのであ る。自己が絶対に無であると自覚することを絶対無の自覚という。
     「絶対無の自覚といえば、絶対に無なるものが如何にして自覚するかなどいわれるかも知らぬが 、私の絶対無というのは単に何物もないという意味ではない。我々の自覚というのは自己が自己に 於いて見るということである、而も自己として何物かが見られるかぎり、それは真の自己ではない 、自己自身が見られなくなる時、即ち無にして自己自身を限定すると考えられる時、真の自己を見 るのである、即ち真に自覚するのである。かかる意味に於いて絶対に無にして自己自身を限定する のを絶対無の自覚というのである、そこに我々は真の自己を見るのである。・・・ 又それは自己自身を失うことによって得られる宗教的体験として知識成立と何らの交渉なきもので もない。」(巻6-117 「無の自覚的限定」)
 自己を没し、自己を忘れて、ものそのものになって働くのである。 自己がないからもの自身がものとなって働くとも考えられる。我々が創造的世界の創造的要素であ り、自己の「絶対無の場所」に世界を包み映すのであるから、我々が働くということは、客観(世 界、環境)を主観化する意味ももっている。見られるものはすべて自己の場所にあるので、物に於 て自己を見るという意味もある。
     「我々が働くということは、自己が客観の中に没し行くことである、永遠に現在なるものの中に 没し去ることである。こういう意味に於いては、それは客観が客観自身を限定すると考えることも できる。而も単に客観が客観自身を限定すると考えられる時、我々が働くという意味はなくなる。 我々が働くということは、同時に客観を主観化する意味も有っていなければならない、物に於て自 己を見るという意味がなければならない。 」(巻7-91 「哲学の根本問題」)
 別に 「直観と反省と自覚」でも述べたが、この自覚は精神疾患の治療、予防には重要な意味を持っ ている。精神疾患になると自己を知らないと言える。自己を失うということである。ところが、自 覚とは自己を知ることだからである。自己を知る、自己を知らないということはいくつかの視点が ある。
  • 環境や苦悩の対象となるものが自己の外にあって自己と対立するものではないこと。自己は生 きている現実のこの世界の要素である。創造的世界の創造的要素であること。自分が働くことは世 界が働くこと。自分が変われば、世界が変わること。
  • 環境や苦痛の対象は自己の外にあるのではなく、自己の根底の場所に映るものであること。自己はすべてのものを映す、包むものである。
  • 自己の一々の作用、感覚、思考、感情、意志、欲求などの自己自身の作用を自覚的に知るとい うこと。
  • 自己(自我)を立てて、あるがままを映さず、現われる事象を正確に知るこ となく、判断的思考によって直覚的事実から遠く離れて事実ではない思考に移り行き苦悩を深めて、環境、世界を嫌悪、 回避などすることを知らないこと。その苦痛が解決しない無力な自己として嫌悪の思考もそこ(自己)から 起きていることを知らないこと。
 精神疾患を治療したり、予防するために、自己を知る自覚のトレーニングをする。自己を没して 、自我の判断評価を捨てて、あるがままの事象(見られるもの、感じられるもの=感情、症状など )を包み映すトレーニングをする。
 治療の技法としては、自分が鏡のようになる瞑想法がある。自分が鏡となってものを映し、感情 、症状を映す、評価しないで映すのみでいるというトレーニングを重ねる。自分、鏡が分かれてい るとは見ずに、鏡の上にもの、感情、症状が映り、あるという感じである。すなわち、鏡(自己) と映るものが離れていない、自己同一とイメージするトレーニングである。
 長期間、トレーニングを繰り返していると、すべてが自己の作用であると自覚が生まれて、苦痛 のことも自分の上(場所)のことであるから、何か自分で対処できるものだという自信が生まれる 。苦痛が軽くなったり受け入れられるようになって、回避、逃避していた行為もしなくなる、まぎ らしていた行為もしなくなる。それで、治癒するのである。こうした自覚に近い、心の使い方が習 得されるので再発しにくい。
 自己なしという立場が理解できて、場所から見ることができればいいが、治療の最初は、あるが ままを包み映すつもりでいればいい。治療がすすむと、自己なしという眼が開かれてくる人がいる が精神疾患の治癒に必須ではない。だが、思考で把握する状況、感覚でも、感情でも、何かの症状 でも不快な事象を鏡のように自己の場所に映すというトレーニング(このトレーニングをアメリカ の心理療法者はマインドフルネス、アクセプタンスと呼び新しい心理療法を開発した)は精神疾患 の症状の軽減に有効である。従来、不快だとして苦痛の思考を繰り返していた人が、このトレーニ ングによって、従来嫌悪していた苦痛を受け入れて、苦悩の思考から離れて、苦悩の思考に入りに くいからである。真の自覚(「自己なし」が不充分であっても)になっていないくても、 感情、症状などの感覚などを「反省」して、その様相を実践的に知って、すぐに非機能的な行動や 否定的思考に移らないからである。自己に於いて映し、自己の作用を知るので、真の自覚に近い心 理作用となっている。真の自覚は「自己なし」ということ、場所から見ることが真に行為的に実現 されることであるが、精神疾患を治す心理療法ではそこまで深まっていなくても治癒する。つまり 、哲学や宗教としての禅のように難しいことではない。 心理療法は哲学の徹底的探求でもなく真理や思想の完全なる探求(参加者に一定レベルの思想を得 ることを強制するような)でもないのであり、ある程度、自己の精神活動を知ることができて、疾 患が治癒、軽減すればいいのである。病気、苦痛が軽くなって、個人の価値実現を遂行できる心の 健康をとりもどすことが目的である。マインドフルネス心理療法には西田哲学に似た哲学が背景に なって、心理療法の技法が開発されているが、クライアント(患者)は必ずしも理解する必要はな い。実践すればよい。たとえば、指導者がスポーツにある理論をもとにして選手に指導する場合、 選手は理論を完全に理解できなくても指導者の言うように練習すれば、かなりうまくなるだろう。 抗うつ薬もセロトニン仮説によってうつ病が治るはずという理論があるが、服用する患者はその仮 説を理解できなくても言われるとおり服用すれば治る。
 心理療法に大切なのは、実践である。認知療法も認知の修正によってうつ病を治してきたが、理 論は正確ではないという指摘もあるが、現実に、そのトレーニングによって、かなりの患者が治っ ている。マインドフルネス心理療法は従来の認知行動療法では治らない精神疾患(うつ病、不安障 害、依存症、パーソナリティ障害など)患者も多いので効果的な心理療法が研究されてきている。 クライアントが受けやすい心理療法を選択できる余地が増えたということである。
 「自己なし」という哲学の理解と実行はある程度難しいので 、この実現にはこだわる必要はない。ただ、従来嫌悪していたものに対して自己の判断(評価、比 較など)を抑制する実践(たとえば、過去の出来事や不安を嫌悪する思考を抑制)が十分になされ ることが重要である。 ただし、自己なし、ということを深く探求することが必要となるクライアントもいるかもしれない 。カルト(反社会的宗教団体)による被害者が霊魂とか前世とかいうことで苦悩する場合や、ター ミナルケアにおいて死後の世界の有無で苦悩する場合などが考えられる。その場合にも、セラピス ト(カウンセラー)が、「自己なし」の哲学を押し付けるのではなく、クライアントが自己という ことを探求する支援をすればいいと考えられる。心理的苦痛を緩和する心理療法は絶対の真実を探 求するものではない。
 (続)
  • (巻X-YY)は、西田幾多郎の旧全集、岩波書店の巻と頁。

Posted by MF総研/大田 at 19:32 | 私たちの心理療法 | この記事のURL