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直接経験としての「意志」(2) [2009年12月05日(Sat)]

直接経験としての「意志」(2)

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法に応用できるようなところをみている。

直接経験としての「意志」

 我々の現実の世界は、物理的空間、「意識の野」「絶対無の場所」の3層の構造である。直接経 験は最も深い場所で起きる。意識の野で起きるのではない。 「絶対無の場所」の場所は、知識が成立する場所であり、思惟、感情、意志、行為や感覚などの直 接経験が成立し、あらゆるものが於いてある場である。 西田哲学の重要な「行為的直観」は、直観や行為など矛盾対立するものが自己同一であるというが、まず、要素別、個別的にみておきたい。 意志も直接経験である。行為のあるところに意志がある。日常生活の行動や芸術・スポーツの行為 中にも行為である限り、意志が作用している。行為がよどみなく行われていく時に、いちいち意志 が作用していないように感じられるが、見る聞くする時に意志も行為も含まれている。その意志が 衝動的なる意志と自由なる意志がある。

意志的動作、行為のプロセス

 西田幾多郎の論文「意識の問題」に、「意志」についての考察がある。

 「意志的動作即ち行為の過程を分析して考えて見ると、先ず我々の自己を唆(そその)かす現状 と異なった願わしき自己の状態即ちいわゆる目的観念なるものが現われ、我々の意識が傾斜の状態 をなすと共に、この両者を結合するため、過去の経験から目的に達する道行の観念即ち手段の観念 が喚起され、この結合が十分と考えられた時、即ち客観的に可能と信ぜられた時、決意の感情と共 に動作に移るのである、即ち主観的意志内容から客観的事実に転ずるのである。」(全集3巻、141頁 )。

 「意志過程を右の如く考えて見ると意志の本質は内から外に出づるにあるのである、即ち主観的 内容より客観的事実に転ずる所にあるのである。これを目的の実現という。意志が情緒や欲求と異 なるのはこの点にあるのである。もちろん事実上この区別をなすことが困難とも考えられるであろ う、しかし本質的にはこの如き区別をなさねばならぬ。」(全集3巻、141頁)

 目的が実現可能と判断されて意志が起こり、行為がなされる。この目的に種々なるものがある。 食べ始める、勤務先に向かって歩きだす、不安にかられて歩くことを中断する、などは上記のよう な過程が観察される。しかし、食べ続ける、歩き続ける、音楽の演奏の時次の瞬間にどの鍵をたた くか、スポーツの時に次々と演技を続ける時のような、一々の意志が働くのか観察が難しい場合が あるが、なお、そこにも意志がある。

衝動的意志と選択的意志

 意志には大別すると2種ある。 衝動的意志と選択的意志である。

 「今なお少しく精細に意識統一の意義を定め、純粋経験の性質を明にしようと思う。 意識の体系というのはすべての有機物のように、統一的ある者が秩序的に分化発展し、その全体を 実現するのである。意識においては、先ずその一端が現われると共に、統一作用は傾向の感情とし てこれに伴うている。我々の注意を指導する者はこの作用であって、統一が厳密であるか或いは他 より妨げられぬ時には、この作用は無意識であるが、しからざる時には別に表象となって意識上に 現われ来たり、直に純粋経験の状態を離れるようになるのである。即ち統一作用が働いている間は 全体が現実であり純粋経験である。而して意識はすべて衝動的であって、主意説のいうように、意 志が意識の根本的形式であるといい得るならば、意識発展の形式は即ち広義において意志発展の形 式であり、その統一的傾向とは意志の目的であるといわねばならぬ。純粋経験とは意志の要求と実 現との間に少しの間隙もなく、その最も自由にして、活発なる状態である。もちろん選択的意志よ り見ればかくの如く衝動的意志によりて支配せられるのはかえって意志の束縛であるかも知れぬが 、選択的意志とはすでに意志が自由を失った状態である故にこれが訓練せられた時にはまた衝動的 となるのである。意志の本質は未来に対する欲求の状態にあるのではなく、現在における現在の活 動にあるのである。」(善の研究、18頁)

 スポーツや音楽の演奏者は、当初は、選択的意志を起して、上手な動作を選択する。それを繰り 返すことが練習であるが、練習が熟してくると、衝動的意志となり、無意識に上手な行為が選択さ れるようになる。見る、聞く、意志し動作することが同時となる。直観と行為が同時となる。
 こういうことは、日常生活の行動にもある。毎日、同じ場所を通って通勤する人は、最初の何回 かは、曲がる路地を意識して意志決定して曲がる。やがて、どこで曲がるかはほとんど無意識とな る。曲がるという意志が無意識に働く。スピーチになれない人は、いちいち何を語るかをメモした り記憶しておいて、きれめの瞬間に、何を語るか選択して、スピーチを何とか継続させる。一方、 馴れた人は、無意識のうちに話題を選択し意志して語っていく。

自由意志と強迫的意志

 選択的意志は自由意志ともみられるが、強迫であっては自由とはいわれない。つらいから食べる という意志や自死は自由意志ではない。

 「元来我々の欲求は我々に与えられた者であって、自由にこれを生ずることはできない。ただ或 る与えられた最深の動機に従うて働いた時には、自己が能動であって自由であったと感ぜられるの である。これに反し、かかる動機に反して働いた時は強迫を感ずるのである、これが自由の真意義 である。而してこの意味においての自由は単に意識の体系的発展と同意義であって、知識において も同一の場合には自由であるということができる。我々はいかなる事をも自由に欲することができ るように思うが、そは単に可能であるという迄である、実際の欲求はその時に与えられるのである 、或る一の動機が発展する場合には次の欲求を予知することができるかも知れぬが、しからざれば 次の瞬間に自己が何を欲求するかこれを予知することもできぬ。要するに我が欲求を生ずるという よりはむしろ現実の動機が即ち我である。普通には欲求の外に超然たる自己があって自由に動機を 決定するようにいうのであるが、かくの如き神秘力のないのはいうまでもなく、もしかかる超然的 自己の決定が存するならば、それは偶然の決定であって、自由の決定とは思われぬのである。」 (善の研究、44頁)

マインドフルネス心理療法への方法

 マインドフルネス心理療法は、低次の目的を持つ強迫的な意志による非機能的な行動を繰り返す 精神疾患にみられる強迫的意志や行動に対して、修正の練習を繰り返して、自由意志を獲得すると いう意味がある。

 前の記事に引用したように、「我々が現実と離れた 高き目的を実行しようと思う場合には種々の 手段を考え、これによりて一歩一歩と進まねばならぬ」。不安、不満の解消のためという低次の目 的のために、回避、飲食の行為をとるのではなく、さらに高位の目的(病気の治癒、就職、仕事を 失わない、家庭を崩壊させないなど)を強く想起して、不安、不満の不快事象を受容して、高位の 目的を実現する可能性のある行為を学習して意志決定できるように練習するのである。
 「欲求はよく客観と一致することによりてのみ実現することができる、意志は客観より遠ざかれ ば遠ざかるほど無効となり、これに近づけば近づくほど有効となるのである。我々が現実と離れた 高き目的を実行しようと思う場合には種々の手段を考え、これによりて一歩一歩と進まねばならぬ 、しかしてかく手段を考えるのは即ち客観に調和を求めるのである、これに従うのである、もし到 底その手段を見出すことができぬならば、目的そのものを変更するより外はなかろう。これに反し 目的が極めて現実に近かった時には、飲食起臥の習慣的行為のごとく、欲求は直に実行となるので ある、かかる場合には主観より働くのではなく、かえって客観より働くとも見られるのである。」 。(善の研究、41頁)

 「意志は客観より遠ざかれ ば遠ざかるほど無効となり、これに近づけば近づくほど有効となるの である」という如く、マインドフルネス心理療法においては、直接経験をみだりに評価判断に移ら ず事実のままに観察して意志を決定する練習を繰り返す。

 目的の実現を意図する行為を決意するのが意志であるが、目的が2つ以上あって葛藤することが ある。不安障害や過敏性腸症候群の人は、電車を乗り続けて希望地に行く長期的目的と 不安を解消する短期的目的の2つが起きて葛藤を起す。後者が優勢となった時には、電車から降り るという意志を起すが、前者が優勢ならば乗り続ける意志を持続することができるので、不快な感 情が起きても受け入れつつ、不安解消のために降りたいという意志を決行せずに乗りつづける意志 を実行できればいいわけである。不安や不快事象の無評価の観察、受容の練習をしてから、回避場 面の新しい意志選択の実行にふみきる。 自分の命を断つという意志は、自由意志ではなく、病気による強迫的意志である。強迫的意志に従 わず、治療して治して生きるという高位の目的を持って、その実現のためになる行為(心理療法の 課題となる)を学習しくり返し、その意志(これは自由意志である)と行為を選択できるようにす る。
 不快事象が起きても自由意志により機能的行為を選択できる意志を決意できるようになった時に 完治となる。さらに新しい選択的自由意志を繰り返すうちに機能的行為は無意識となる。
 マインドフルネス心理療法は、現在から現在へと流れゆく現在において、高位の目的を想起して その実現のための行為を意志決定するようにトレーニングする。十分に現在の事実を観察して強迫 的な思考や意志、行為に移らないようなトレーニングを重ねる。  (続)
    (注)
  • 上記の( 頁)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店、または、 「善の研究」岩波文庫。



Posted by MF総研/大田 at 17:11 | 私たちの心理療法 | この記事のURL