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人生上の悲哀の克服をめざして [2009年11月18日(Wed)]

人生上の悲哀の克服をめざして

 =マインドフルネス心理療法と西田哲学

 大切なものが失われるのは悲しいことである。中でも大切な人を失うことほど悲しく、切なく 、つらいことはない。
 西田幾多郎はなぜ、あのような哲学を探求したのか。彼は多くの家族(子どもや妻)の死を経 験している。家族を失った悲哀がどうしたら癒されるのか、いやされる時が来るのか、なぜいや されるのかその仕組みをあきらかにすることが西田幾多郎の哲学の動機だった。 彼は色々なテーマを追っていくが、最も大きなテーマは、大切な人を失った人の「悲哀」がいか にして救われるのかということにあっただろう。
     「哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は「驚き」ではなくし て深い人生の悲哀でなければならない。」(「無の自覚的限定」巻6-116)

     「哲学は単なる理論的要求から起こるのではなく、行為的自己が自己自身を見る所から始まる のである、内的生命の自覚なくして哲学というべきものはない、そこに哲学の独自の立場と知識 内容とがあるのである。かかる意味において私は人生問題というものが哲学の問題の一つでは なく、むしろ哲学そのものの問題であるとすら思うのである。行為的自己の悩み、そこに 哲学の真の動機があるのである。」(「無の自覚的限定」巻6-178)
 人生の悩み、悲哀も悩み、それが西田幾多郎の哲学の動機であった。現代の人は悩みを持ち、 うつ病、不安障害、依存症になり、まぎらすために非行犯罪にいたる人もいる。 悩みが彼の哲学の動機である、としたら我々の心理療法と同じものが動機となっているといえよ う。いわゆる心理療法は人生の悩みを克服、軽くしたいというのが目的であるが、西田の眼に映り克服 したい悩みと、うつ病者の悩み(貧困、学業の失敗、愛する人の死、介護の苦悩など)とどちら が深いのだろうか。同じようなものなのだろうか。同じ方向にあるものならば、西田が探求した ものが役に立つだろう。方向が違うならば、心理療法には役に立たない。
 悲哀、人生上の問題、彼はそれが動機だった。現代人も私自身も家族や知人も、カウンセリン グでおあいする人も、まだおあいしたことのない日本中の人にも、悲哀、人生上の問題がある。 西田の哲学が教えてくれるのは何か、心理療法とは全く別か同じか、探求したい。 日本には、様々な人生の問題、悲哀をかかえた人が多い。苦悩に沈み絶望して自殺していく、子 どもでさえも人生に悩み自殺していく。 多くの宗教や心理学があるが、西田の哲学や苦悩の克服のための道筋を示す心理療法と同じ動機 をもっていないのか、現代の人にどう語るのか、何をめざすのか。
 西田幾多郎の場合を見ていく。

(続)
Posted by MF総研/大田 at 07:40 | 私たちの心理療法 | この記事のURL