CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«思惟は見るということを失った行為的直観 | Main | 思考は自発自転する=自動思考»
判断は事実と離れる [2009年11月12日(Thu)]

判断は事実から離れる

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法と似たようなところをみている。

判断は事実から離れる

 見ること判断とは異なるともいう。我々は数多く言葉で思考し判断する。だが、<りんご> そのもの(見る映像のように)と「りんごである」という判断とは別物である。目前 の<りんご>は、固有の色、形、味、香りを持った、たった一つしかないものである が、「ことば」による「りんごである」という判断は誰が言っても書いても同 じである。一般である。判断の背後に直接経験がある。
 論文『善の研究』に次の語がある。
     「思惟というのは心理学から見れば、表象間の関係を定めこれを統一する作用であ る。その最も単一なる形は判断であって、即ち二つの表象の関係を定め、これを結合 するのである。しかし我々は判断において二つの独立なる表象を結合するのではなく 、かえって或る一つの全き表象を分析するのである。たとえば「馬が走る」という判 断は、「走る馬」という一表象を分析して生じるのである。それで、判断の背後には いつでも純粋経験の事実がある。判断において主客両表象の結合は、実にこれにより てできるのである。勿論いつでも全き表象が先ず現われて、これより分析が始まると いうのではない。先ず主語表象があって、これより一定の方向において種々の連想を 起し、選択の後その一に決定する場合もある。しかしこの場合でも、いよいよこれを 決定する時には、先ず主客両表象を含む全き表象が現われて来なければならぬ。つま りこの表象が始から含蓄的に働いていたのが、現実となる所において判断を得るので ある。」(「善の研究」24頁)
 「走る馬」は、「見る」のである。「馬が走る」は、ひとつの判断である。判断と見るもの とは別ものであり、判断が我々に強くある時、全体事実から離れている。もはや、現実の全体 事実を見ていない。「走る馬」を見ている時には、豊富な情報がある。馬の表情 も見える、目も見える、苦痛も見える、背景の状況も見える。だが、「馬が」という 主語となる言葉を想起した瞬間、事実から離れて、判断たる「走る」が連想され、 その後次々と言葉の連想が続く。
 こういうことを心理療法に利用する。

マインドフルネス心理療法への利用

 実物と言葉は違うということを実際の生活(現在の瞬間の私的事象の流れ) の中で実行する心理的スキルを持つと心の病気の治療に役立つ。人 は、目前の事実から離れて言葉で思考して苦悩して、うつ病、不安障害などを発症し 、維持し、悪化させる。 そこで、言葉(特に苦悩に関わる言葉)は自分、自分の精神作用の事実を表さないと 軽く見る絶対現在の心の使い方のトレーニングを重 ねて、苦悩する言葉や苦悩の思考を軽くみるようにすすめるのである。目を開けて見 ながら、呼吸、音などを同時に(一つに執着しない「分配性注意」である) 観察するスキルトレーニングを行う。
 以下、「言葉」ではない、生の事実を<事実>というふうに標記する。<事実>を 言葉で表現したものを「事実の言葉」と標記する。言葉は強弱、微妙な違いを棄てて 一般化している。激しいのも<不安>、かすかなものも<不安>である。

不安

 不安障害の人に伴う<不安>(および同時に感じる<動悸><はきけ><過呼吸> )の扱いは健常者とくらべて異常である、それゆえ障害となる。 <不安>そのものは言葉でない感覚を感じるが、 人が言葉でない不穏な<不安>という感覚を直観した時、言葉による思考の連鎖に移 らずに直観し続ければ 、その<不安>から豊富な情報を得る、<動悸>などもあることを直観するだろう、 自分のおかれている状況も見えるだろう。 ずっと直観し続けると、ある時点からしずまるのを観察できるかもしれない、しずま らなくても一定の強度で維持し 続けることを直観し続けるかもしれない。恐怖的、致命的な現象、発作は起こらない ことを確認できる。<不安>を直観しつつ、注意を分配して行動もできる。たとえば 、<不安>を感じつつも高速道路の運転を続ける、電車から降りないでいられる。
 <不安>の生のままの感覚を感じた時、過去の経験を想起して、危機であると判断 すると、発作、 倒れる、苦痛、嫌悪、危険、ちっそく、死などの言葉と結合して種々の思考に移る。 もう豊富な生の情報から離れて、言葉の連鎖が直観されている。 こういう時、その思考に含まれる脅威、嫌悪などの神経活動が扁桃体や交感神経を興 奮させて、事実としての<動悸>、<不安>が強大なものとなって現われる。一時それを 直観して、さらに「激しい言葉」の連続に移る。 不安障害は、行為しようという時に、現在の<目前に種々の情報>があるのにそこから離れて、 行為する前に、「行為を言葉で予測する」過程に移り、危機的な現象が起きることを予測 (思考)し、その思考によって起きる<不安>を直観し、現実にその直観された<不 安>から離れて種々の言葉の連鎖に移り、恐怖を強めて、行動を回避するのである。 単に、「電車に乗ろう」という意志を想起しただけで、絶対現在にある見る、聞くな どの情報から離れて、思考に移り、自己を失う。自己を失うことに多くの時間を費や す人はもろい、絶対現在に安心して生きていられない。

絶対現在における心の使い方のトレーニングが必要
 不安障害の人も、<不安>のからくりを理解するが、すぐには解決行動ができない 。認知行動療法のエクスポージャー法を実行できない。だから、絶対現在における心 の使い方のトレーニングを数カ月、十分に行ってから、エクスポージャー法を行う。 従来のエクスポージャー法ではなくて、新しいエクスポージャー法である。絶対現在 における心のスキルを基礎トレーニングをした上でのエクスポージャー法である。 絶対現在における心の使い方のトレーニングは、絶対現在の<私的事象>の無評価の 観察、思考に移らないで観察を続ける「思考」の抑制、 絶対現在における<種々の私的事象の観察と並行して呼吸法、身体運動の同時実行> という分配性注意のスキル、「思考された真に思える事象(言葉にした)」「自分」 についての見方の絶対現在の視点からの修正などが含まれる。
 絶対現在における私的事象(文脈)のトレーニングを開始しても、すぐには、回避 行動を変えることができない。背景に神経生理学的特徴が生じており、精神活動、行 動に影響していると仮説する(神経生理学的フュージョン(連合))。

うつ病

 うつ病は現在に満足して生きていない、<症状>がつらくて、「言葉」による連鎖 で否定的<思考>が起こる。<見る、聞く>などの豊富な情報が現われるの に、よりよき行動に結びつけずに、すぐ<思考以外の事実>からそれて、言葉による思 考に移る。多くの言葉で否定的、悲 観的、不満的な「思考」を連鎖させていく。 <抑うつ症状、集中力や意欲の低下、睡眠障害>などのうつ病の<症状>は心理的分 析だけで は説明がつかない。不安による回避とうつ病による回避は、背景の神経生理学的フュ ージョン(連合)が違う。うつ病、不安障害は、心理だけでは治らない理由の説明が つかない。 私が心理療法に神経生理学的フュージョン(連合)をとりいれる理由である。
 不安障害にある予 期不安、広場恐怖は、回避する場にいる時には、不安は感じていない。 その時には、神経生理学的フュージョン(連合)は活動していない。何かしようとす る時に、不安が起きる。活火山の時々の噴火のごとく。噴火がなくても休火山のよう に見える。 他の症状(自 律神経系の失調症状はあるが)は大きな苦痛ではない(不安いがいのフラッシュバッ クなどの症状は除く)。予期不安、広場恐怖のために 社会生活が障害されることが大きな苦痛である。
 ところが、うつ病の場合、回避する場(自宅)にいても、抑うつ症状などの感覚的 な苦痛がある。神経生理学的な亢進がある。常時、噴火している活火山である。噴煙 のない時がない。噴火している場所も不安の場合と異なる。
 否定的思考、判断に含まれる嫌悪、不満の評価によって扁桃体が興奮してストレス ホルモンが分泌されつづけて、脳(前頭前野、帯状回など)の神経細胞を障害して、 前頭前野の機能の低下を引き起こす。仕組みが解明されていないが、抑うつ症状や鉛 様麻痺感を引き起こす。 うつ病は、見る、聞く、行動するなどの行為的直観を受けいれ続けなくて、そこから 離れて、嫌悪的な判断を含む思考活動を持続させることによって起きると推測する。 思考、行動が神経生理学的フュージョン(連合)を引き起こし、症状が起きる。 (以上の考察は心理的ストレス、すなわち、嫌悪的思考によるうつ病であり、脳血管 性の疾患による前頭葉機能障害によるうつ病には該当しない。)
 精神疾患には、自己否定、自己嫌悪、無価値観などの判断も多いが、そういう思考 、判断も事実を正確に表していないといて、背景の事実を観察するトレーニング手法 や判断を猶予するトレーニングが採用される。

職場復帰プログラム

 最近、いくつかのNPOや病院で、職場復帰プログラム、作業療法が導入されてい て一定の効果があがっていると聞くが、薬物療法だけでは十分に回復していない神経 生理学的フュージョン(連合)の改善になっているのである。 そこに、マインドフルネス心理療法の手法、絶対現在の心の使い方のトレーニングを 導入すれば、治療効果、再発予防効果はもっと向上するはずである。アメリカでは、 従来の認知行動療法よりも、マインドフルネス心理療法の方が効果が高いという試験 結果が報告されている。
    (注)
  • (1)「善の研究」岩波文庫、24頁。


(続)
Posted by MF総研/大田 at 22:11 | 私たちの心理療法 | この記事のURL