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«対立するものが自己同一 | Main | 西田哲学の「無限の現在から現在へ」=マインドフルネス心理療法の文脈»
常に当為に接している [2009年11月08日(Sun)]

常に当為に接している

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ています 。西田幾多郎は<自己>を深く探求して哲学的に記述しました。 マインドフルネス心理療法も似たように、自己について深く探求しますので 参考になります。 自己ということ、自己の働き、自己の働きの結果などについて無知であると、 何か大きな出来事が起きた時に苦悩を深めて精神疾患になったり、 家庭を崩壊させたり、他者を苦しめたり犯罪をおかしたりするおそれがあります。 「自己」について知ることが重要です。
 西田は「当為」(何を為すべきか)について記述しています。自己の行為、意志を 持った行為、自分が為すべきことを為す。それはどういうことか。

 論文『絶対矛盾的自己同一』に次の語があります。我々の行為は単に主観的なもの ではなくて絶対矛盾的自己同一を媒介とするものでなければならない。
     「生物的生命といえども、形成的でなければならない。そこには既に 行為的直観が含まれていなければならない。行為的直観的なる形成作用というのは、 個物がどこまでも超越的なるもの即ち絶対に対し、絶対矛盾的自己同一を媒介とする ということである。真の当為はかかる個物の立場から起こるものでなければな らない。然らざれば、それは主観的たるを免れない。具体的当為は、我々が自 己自身を否定するものによって生きるという個人的存在としての自己矛盾から起こる ものでなければならない。」(1)

無限の当為に接している

 論文「自覚について」に次の語がある。
     「歴史的世界は、単に成る世界ではない。いつも作るものへの世界でなければなら ない。結果が問題を生み、いつも新に作るものが出て来なければならない。歴史は自 由の舞台をたどるのである。いつでも、歴史的世界の各々の点が絶対的一者に接して いるのである、歴史的世界は絶対的一者によって裏附けられているのである。然らざ れば、それは自然の世界と択ぶ所がない。故に我々の自己は何時も絶対的一者に対し ているのである。我々はそこに無限の当為に接しているのである、個物的なれ ばなるほど、しかいうことができる。歴史においては、いつも終が始である、我々は いつも世界の根元に接しているのである。」(2)

     「作られたものから作るものへと、一瞬の過去にも還ることができないと共に、い ずれの点も始となる。絶対現在の自己限定の世界、即ち歴史的世界は、無限なる進行 の世界たると共に、その行先がいつも絶対に達することのできないものに触れている 。かかる世界の個物的多として、我々の自己はいつも絶対的一者に対する。そこか ら我々の自己に対して無限の当為が 起って来る。すべての当為は、ここに基づくのである。故に有から当為へである。 」 (3)
 この西田幾多郎と似たような立場で、マインドフルネス心理療法は構築されている 。マインドフルネス心理療法は医療(医療以外の領域にも適用できるが)であり、哲 学ではないが、似たような哲学を背景に持つ。 アメリカのリネハンの弁証法的行動療法は、禅の哲学に基づくという。 西田幾多郎の哲学が禅の哲学であるのかどうかは専門家におまかせする。弁証法的な マインドフルネス心理療法が絶対の真理だというのではない。ただ現代人の心理的苦 悩、精神疾患にはそのほうが治療効果が高いから応用するのである。人の心理的苦悩 、精神医療に有用であるからである。
 この西田幾多郎と同様の立場で、マインドフルネス心理療法では、次の指導理念が ある。
  • 2つの反応パターン
     =人は現在の瞬間に価値崩壊か価値実現の反応(行動)かを常に選択している。
 自己は常に「無限の当為に接している」。現在の瞬間に「当為」(何を為すべきか )の選択を迫られている。そういう現在から現在への連続である。この現在の瞬間は 、刺激の受け止め(直観)と受容と次の瞬間に為すべき行動の検索と決断と実行があ る。これらがみな、いくつかの現在である。
 現在の瞬間、起きていること(作られたもの、与えられたもの)をなるべく自我を 交えずに自我の判断基準による評価を猶予してあるがままを観察しようと努める。た とえ不快を感じてもそうしてみる。そして次の現在となるべき未来(1秒後)に「何 をするべきか」を選択する。価値崩壊にならない行動(思考、発語、身体行動など) はどういうものがあるかを学習しておく(心理療法のエクササイズ)、その価値崩壊 にならない(価値実現の)反応パターンの行動のうちから「現在の場合にはこれだろう」と思うものを記憶の 中に検索に行き、一つを選択する。この選択も一つの「現在の行為」である。次の瞬 間に行動に移す。この行動が他者を動かし、環境を変える、すなわち、「作る」ので ある。創造である。この自己の行動の結果、他者や環境が反応して、新しい反応を よびおこして、再び自己に与えられたものとして未来に与えられる。この与えられる ものを自己は苦痛と受け止めるか安楽と受け止めるか、また、現在であり、「当為」 を迫られる。当為においては自由意志でありたい。脅威、強迫、絶望、無自覚、依存 による行動に移りたくない。さもないと、精神疾患を発症し、その後も治癒しない。また、周囲の人を苦しめたり、非行犯罪をおかす。当為は、精神疾患、他者を苦しめることを予防、治癒するものでなければならない。そのためには、起きたもの(与えられたもの、刺激)を正確に洞察しなければならない。
 こうして、現在は無限の当為の連続である。ただ当為だけの連続ではなく、与えら れた絶対現在(*)の瞬間の直観(行為的直観)、当為、実際行動という異なるものの連 続である。非連続の連続である。 「有から当為へ」の語があった。「有から当為へ、当為から有へ」と無限の非連続の 連続である。有は歴史的世界である、我々の行為によって世界が変わる、歴史が変わ る。精神疾患を病んでいる人も自分の行為で自分の環境を変え、自分にひるがえって くる。自分で為すべきことはなす。単なる主観、エゴ、逃避の小細工による行為では 一時的な自己満足であって、無限のうちに苦痛の有となって現われる。そうでは なくて、絶対矛盾的自己として自己にかえってきて、いくらかでも絶対矛盾的自己同 一として成長となり満足できる行為であるべきだろう。
 マインドフルネス心理療法における治療方法は、そういう意味でエゴによる見方を 停止して、絶対現在の瞬間のこうした一連の絶対現在に起きている事象の新しい直観 、当為の選択肢、実際行動、その結果あたえられるものの直観のエクササイズが中心になる。絶対現在の瞬間の流れ(文脈)に おける事実の洞察と自主的な行為の習得である。呼吸法、瞑想、運動などは道具である。道具を用 いながら、こうした無限の行為的直観による私的事象(有)の把握、それに基づく自 己の結果が未来に「有」となって次の絶対現在に現われてくることの実践的自覚、そ の自覚による当為を習得すれば、精神疾患ほかの心理的な問題が軽くなる。
    (*)「現在」というと、過去、現在、未来という互いを含まず対立したものであり、 現在も具体的なものではなく一般化して解釈するので、マインドフルネス心理療法の 治療の対象とする、自己の具体的な空間と時を持った現在を「絶対現在」ということ にする。現在から現在への実在するのは現在のみであり、その現在は無限の過去から 無限の未来を包むものである。時と場が含まれている。生きているということは、こうした絶対現在から絶対現在への連続である。 西田哲学は、この瞬間、時が消えるという。時間は直線的に流れるのではなくて、断絶している。この瞬間、自己も世界も、苦悩も善悪の評価も消える。ものの生まれる以前がある。これが、すべての人間の根源である。

     ACTの文脈とは「時空間的に連続している事象の流れ」とされる。これを次の記事でみよう。
    (注)
  • (1) 『絶対矛盾的自己同一』( 西田幾多郎哲学論集3、岩波文庫、52頁)
  • (2) 『自覚について』 西田幾多郎哲学論集3、岩波文庫、203頁
  • (3) 『自覚について』 西田幾多郎哲学論集3、岩波文庫、253頁


(続)
Posted by MF総研/大田 at 09:31 | 私たちの心理療法 | この記事のURL