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対立するものが自己同一 [2009年11月06日(Fri)]

対立するものが自己同一

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。実践して自覚しないと働きださないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己について記述している。 自己ということ、自己の働き、自己の働きの結果などについて無知であると、 何かが起きた時に苦悩を深めて精神疾患になったり、 家庭を崩壊させたり、他者を苦しめたり犯罪をおかしたりするからである。自己について知ることが重要である。

禅で行われていた実践を病人への薬とする

 西田哲学は、心理療法でもなく宗教でもない(自己や世界、宗教などについて論理的に記述しようとした哲学です)が、心理療法としてのマインドフルネス心理療法を実行し指導していく上で参考になる。自己について深く思索して、記述しているからである。アメリカのマインドフルネス心理療法者は、マインドフルネス、アクセプタンスの心理療法は、禅の哲学を利用したといっている。たとえば、リネハンの境界性パーソナリティ障害などの心理療法を「弁証法的行動療法」といっている。禅(禅だけではなく他の一部の宗教にもあるという学者もいます)の背景にあるのも「弁証法」的なものだという学者もいる。  リネハンが次のように言う。
     「マインドフルネス実践のもう一つの側面は巧みな方法である。行為として、マインドフルネスは活動との強いつながりと同義である。壮大な展開の中で、自己を、部分と全体、演者と観察者、刺激する者と応える者の双方として体験することは、人間を弁証法の中心に置く。さらに、防衛にも無知にも苛まれることがなければ、いかに環境を変えるかに気づき、すみやかに新しい情報(知識)を同化し、これらの認識を正確かつ、きめ細かく利用し表現することが可能になる。最も抵抗の少ない道筋と積極的な環境の決定的なポイントが、有効性を最大化するために必要な方向に自らを形作る(すなわち、無私無欲な)マインドフルな実践者に、おのずと明らかになる。これが理想である。」(「マインドフルネス&アクセプタンス ー認知行動療法の新次元ー」ブレーン出版、62頁)
 西田が「絶対矛盾的自己同一」という。対立するもの矛盾するものが自己において同一であるという弁証法。リネハンの弁証法的行動療法に 「自己を、部分と全体、演者と観察者、刺激する者と応える者の双方として体験する」 と言っている。このような心の行動をするようにクライエント(患者)に指導する。 マインドフルネス心理療法にはすべてこの指導法が含まれている。
 過去と現在も自己の根源において同一であるという。時がいったん消える。つらい記憶の想起を過去とするならば、それは単なる過去であり、それにとらわれているとうつ病、不安障害、心的外傷後ストレス障害、家族の不和などは解決しない、悪化する(神経生理学的フュージョン(連合)が起きる=交感神経の亢進、ストレスホルモン分泌、免疫低下)。過去をそういうふうに存在するものとはみない。単なる過去はもはやどこにも存在しない。ただし、全くないのでもない。現在の自己において現在の自己に現われる事象の中に過去も形を変えて現われている。今、見るもの、聞くものの背景に過去が変じて現われている。自分のすべての、生物としての自分、日本に生まれて今もいる歴史的なものがすべて背景にあって「見て」いる。この「見る」という行為を苦しみの軽い見方に変えていこうとする。新しい自分の行動を作り、新しい歴史を創造する。その新しい歴史を背景にして「見る」ことができる。過去は問はない。今、何を為すかが大切である。
 時間がいったん消える、その時、対象的自己も対象的世界も消える、だから自己の評価も消え、生死ということも消える。このような自己の根底を自覚すれば、自己の評価の問題や死の問題から解放されるひとがいるだろう。
 弁証法的な心のある宗教である仏教や禅の実践が精神疾患の治癒に効果があるので、病気を治癒する範囲で、それを利用しているわけである。運動や薬も使い方によっては毒となるが、病人に用いると症状が軽くなるから、治療に用いるのと同様の態度である。たとえば、モルヒネは毒であるが、痛みのひどい人には投与すると痛みがなくなる。運動は疲労の激しい病人には毒であるが、糖尿病、高血圧、ひざ痛、などの治療に運動を用いる 。 禅にあった弁証法的な心の使い方をパーソナリティ障害の治療に使うので「弁証法的行動療法」(BDT)という。ACT、マインドフルネス認知療法、行動活性化療法、自己洞察瞑想療法( SIMT: Self Insight Meditation Therapy )も、同様に、弁証法的な観察、受容の心得によって、非機能的行動を変えるという精神疾患の治療に利用したものである。従来の 行動療法、認知療法になかった技法であるので、「第3世代の認知行動療法」と言われている。
 行動を変えようとする行動療法、認知(思考に近い)を変えることで回避・逃避などの行動を変えようとする認知療法、そして、絶対現在(* 下記)の直観のしかた、受容、行動選択の方法を変えることで問題行動や症状を変えようとするマインドフルネス心理療法(BDT,ACT,SIMTなど種々の流派がある)といえるでしょう。

教えることが教えられることである

 マインドフルネス心理療法は、リネハンのものだけではなくすべて(SIMTも)、弁証法的行動療法といえる。弁証法からみれば、クライエントとカウンセラーも同一である。カウンセラーがまさに教える瞬間(面接、教育、実技指導)が、教えられる瞬間である。カウンセラーが十分にマインドフルネス心理療法の実践者でないと、クライアントの問題が解決しにくい。自分が実践していないのに教えられるわけがない。すぐれたスポーツ指導者は自らすぐれたスポーツ者であるべきだろう。 マインドフルネス心理療法は理論ではなく絶対現在の実演である。指導者は実演者でなければ教えることはできない。そして、カウンセリングの現場が教える瞬間であり教えられる瞬間である。常に試されている。教えられている。
 クライエント(患者)側が、カウンセラーに「こういう症状がある、こういう行動をしている、 こうしたがうまくいかない、ここがわからない」など 教えていただくとカウンセラーの治療技術が向上する。それが、クライエントにとっても教えられ、治る方向にある。
    (*)「現在」というと、過去、現在、未来という互いを含まず対立したものであり、現在も具体的なものではなく一般化して解釈するので、マインドフルネス心理療法の治療の対象とする、自己の具体的な空間と時を持った現在を「絶対現在」ということにする。時と場が含まれている。ACTでいう「文脈」に近いだろう。)


(続)
Posted by MF総研/大田 at 11:14 | 私たちの心理療法 | この記事のURL