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«非定型うつ病の治療に観察する自己の自覚 | Main | 対立するものが自己同一»
現在は無限なる過去を負うてこの世界に生れ無限なる未来を有する [2009年11月05日(Thu)]

現在は無限なる過去を負うてこの世界に生れ無限なる未来を有する

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法のうちいくつかの流派(弁証法的行動療法、ACT、自 己洞察瞑想療法)では、 一般の人が「自己」と自覚している自己とは異なる自己を自覚するように指導する。 前の記事<わが心深き底あり・別の自己の自覚 >に書いた。
 今度は根底の自己よりもさらに自己に生じる苦痛についての受け止めかたを変えて いく側面をみよう。うつ病や不安障害等になると、見聞き感じるものが脅威的、圧迫 的、絶望的に受けとめられて、苦悩の思考を重ねて、身体症状までも引き起こす。
 前の記事に、次の語があった。
     「歴史においては、はじめから単に与えられたものというものはない。与えられた ものは作られたものであり、また作られたものとして作るものを作るものである。作 られたものから作るものへという所に、因果的必然がある。しかしその間へ断絶の連 続として主観的作用が入って来る。」(1)
 作られたものから作るものへという所に、因果的必然のものが現われる。それに接 して主観的作用によって行動を起こす。 作られたものとは、目前のものである。過去の無数の人間の行動の積み重ねが現れている。それから自分は行為、行動をうながされる。この時に、 自分の自由意志がはいる。
 行動には、一般には、身体行動、他者に向か って言葉の発声、思考の3種が考えられる。 思考において主観的作用が働き、その思考によって発語、行動がうながされる。 その行動を作るとこれが作るものとなり、場合によって苦痛が作られてくる。 場合によって、他者の幸福を作る行動となる。そこで この選択の主観的意志が働く時に、従来の反応パターンを変えても発語や行動が変わるが、 思考を回転させることを猶予する態度をとることもできる。 しばらく観察を続けるのである、無作為の作為、主体的積極的無作為という行動の意志的選択が可 能である。この行動は、休息時の無行動や苦痛や怠惰による無活動ではなく、無数の人間の行為の必然の結果の現れを観察し続けて後に行動に移るのである。その場合の行動が、新しい歴史を作ることになる。それが次の現在に含まれてくる。
 マインドフルネス心理療法の初期段階では、与えられたもの(苦痛に受け止めるも のもある)が現われた時、思考を回転せずにいて、呼吸法をするよう指導するが、こ れは呼吸法の実行という行動である。苦痛がある中での呼吸法である。新しい行動を 作る、それが過去となり次の矛盾的自己同一的に現在に含まれる。すなわち、現われ たものが違う歴史を負ったものとなる、それによって起きる主観作用が違ってくる。 エクササイズが熟していくと、呼吸法も実行せず、現われるものをすべて無評価で見 聞き感じている、無作為の作為を実行することができるようになる。
 見ることが行動をうながす。自己の側からは、見られたものは無数の人間によって作られたものである、見られた時は現在であるがすぐ過去にはいる。行為は作るものである、未来である。現在に無 限の過去が現われて見ることが起きる。その時、見られるものは、見るものの社会と歴史に限定されて見られる。そして、個性的な行為をうながす。
     「直観と行為とは何処までも対立するものでなければならない。その間には単に主 体的立場から考えられる相互否定的対立以上のものがなければならない。そこには絶 対の過去と未来との対立がなければならない。無限なる歴史的過去が絶対現在にお いて無限に我々に迫りおるのである。無限の過去が現在において我々に対すると いうことは表現的ということであり、それは単に了解の対象と考えられるが、何処ま でも我々に対するものが我々に迫るということ、即ち表現作用的に我々を動かすとい うことが、物が直観的に我々に現われることである。我々の自己の存在そのものを動 かすものが、直観的に見られるものである。」(2)
 我々は、次々と現在から現在へと生きていく。その現在において、結果として苦痛 を呼び起こす行動を作りたくない。現在に現われるものは、単なる知覚ではなくて、 無数の個人の生きている社会と生きてきた歴史と無限の過去を負ったものとして(社会的因 襲的に)現れている。
     「具体的人間としての我々に与えられるものは、心理学者の直覚という如きもので はなく、社会的に与えられるものでなければならない、我々を包むものとして 与えられるのである。矛盾的自己同一的世界の自己形成として強迫的に与えられる のである、私のいわゆる弁証法的一般者の自己限定として与えられるのである。 社会的因襲的に過去からとして要請されるのである。論理的には特殊的といっ ても、我々が歴史的・社会的であるかぎり、種的であるかぎり、本質的にそれから動 かされざるを得ないのである。」(3)
 現在、自己に見られるものは無限の過去と個人が生きる社会と歴史を すべて含んで現われている。客観的で改変できないものであるが、同じものを見たり聞いたりしても、個人によって異なっ て見る、聞く。
     「私は動物的生命を種的といい、本能的あるいは知覚的として、行為的直観的な人 間的生命と区別したが、動物的生命も歴史的生命の一段階として弁証法的であるので ある。人間も一面に何処までも動物的であるとともに、動物も意識的であるかぎり、 しかいうことができる。」(4)
     「過去と未来との矛盾的自己同一として絶対現在の世界というのは、過去も未来も ない静観的世界というのではない。矛盾的自己同一を重心として、無限に自己自身の 内に動き行く世界である。作ることと作られることとの矛盾的自己同一として、何処 までも作られたものから作るものへの世界である、無限に創造的なる世界であ る。真に具体的な時あるいは空間は、自己自身の内に無限の行先を蔵している のである。我々の自己は、かかる世界の創造的要素として、無限なる過去を負うて この世界に生れ、無限なる未来を有することによって生きるのである。歴史的身 体的に生きるのである。過去と未来とが矛盾的自己同一的なればなるほど、世界は唯 一なる行先を有し、我々の自己は唯一的に動かすことのできない過去と未来とを有つ のである。絶対現在の自己限定というのは過去と未来とが唯相対的だとか、過去と未 来とが取り代えられるとかいうことではない。しか考えるのは、矛盾的自己同一の具 体的論理の立場、歴史的生命の立場を抽象論理の立場から考えているからである。矛 盾的自己同一の論理というのは、歴史的世界の自己形成の論理であるのである。歴史 的形成作用を以て、自己媒介とするものである。判断的論理というのは、その抽象的 形式に過ぎない。私が過去と未来の同時存在というのは、いつも矛盾的自己同一の立 場からいっているのである。」(5)
 西田の言葉を参考にして、マインドフルネス心理療法の救済方法を考えてみたい。
 今、自己の前にたち現われている空間と時は、自己と社会の歴史を負ったものである。見 る瞬間に社会と個人の過去のすべてが見るという作用に関与する。精神疾患の人が見て聞い て苦悩するのは与えられたものを苦痛、嫌悪すべきもの、存在すべからざるものと見 た<過去><歴史>があるからである。与えられたものは評価を超えた事実であるが、それを苦と評価して見る、聞く。その 個人の歴史に苦悩の解消の意志的行為をとったことがなければ、苦悩の行為をとり続けるだ ろう。 現在の瞬間において、過去になかった行為をとってみると新しい過去がもたれる。次 の現在の瞬間に、無数の他者と自己が新しく経験したものも加わって現われる。こうした、現在に現われ ているものをあるがままに見て、行動をする時に新しい知識によって従来の行動とは異なる行 動をとり、それが過去となり、未来の自己に現われてくる。こうした具体的現在の瞬 間においてのものの見方と現在の瞬間に未来に現われてくるで あろうと予測して苦痛が軽快すべき新しい行為をとることを助言するのがマインドフ ルネス心理療法と言える。
 苦痛の現在の瞬間が過去となった後に言葉で記述して別の思考、行動を論理的に学 習する方法ではない。それは一般の認知行動療法だろう。
 現在、見る時に新しい見方をし、現在の行為の時に、新しい反応をして、それ が過去になって、現われた時別様に見られる。すると現在の行為が変わる。行為と なるべき行動は未来である、無限の選択がある。苦痛が軽くなって社会的行動を回避 しなくなる。
 我々は無限の過去を負ったものに直面している、そして、無限の未来がある。我々 は、その中間点の現在に立っている。現在の行為をしようという時未来であるが、我 々は未来の行為を自由意志により選択できる。その選択した行為によって、新しい現在が与えられる 。幸福にもなり不幸にもなる。 現在、苦悩するに及ばないとすぐに翻すならば、非機能的行動はすぐに治癒であるが、歴史を負って いてすぐには、身体症状、精神症状は軽くならない。新しい未来と過去を、現在から現在へと作り続けること によって、過去が変わり、矛盾的自己同一として自己と無数の人の過去を負った現在が現われる、新し い過去を含んでいるので見方も変わる。症状も軽減してくる。新しい未来と過去を負うことを続けて苦悩を 軽く受け止めるのであろう。
    (注)
  • (1) 『論理と生命』 西田幾多郎哲学論集2 岩波文庫、311頁
  • (2) 『絶対矛盾的自己同一』 西田幾多郎哲学論集3 岩波文庫、62頁
  • (3)同上、70頁。
  • (4)『行為的直観』、論集2、316頁
  • (5)『自覚について』論集3、185頁


(続)
Posted by MF総研/大田 at 19:12 | 私たちの心理療法 | この記事のURL