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宇宙を見、聴き、感じて(3)=苦と楽 [2009年10月31日(Sat)]

宇宙を見、聴き、感じて(3)=苦と楽

 明川哲也さん(創作家)の言葉をきっかけに、マインドフルネス心理療法の救われる 構造を西田幾多郎の言葉でもう少し見ておきます。  うつ病、不安障害などは苦痛である、快楽ではない。
 哲学者、西田幾多郎の「善の研究」に苦痛について、次の語があります。
     「最後に人心の苦楽について一言しよう。一言にていえば、我々の精神が完全の状態 即ち統一の状態にある時が快楽であって、不完全の状態即ち分裂の状態にある時が苦痛 である。右にいった如く精神は実在の統一作用であるが、統一の裏面には必ず矛盾衝突 を伴う。この矛盾衝突の場合には常に苦痛である、無限なる統一的活動は直にこの矛盾 衝突を脱して更に一層大なる統一に達せんとするのである。この時我々の心に種々の欲 望を生じ理想を生ずる。而してこの一層大なる統一に達し得たる時即ち我々の欲望また は理想を満足し得た時は快楽となるのである。故に快楽の一面には必ず苦痛あり、苦痛 の一面には必ず快楽が伴う、かくして人心は絶対に快楽に達することはできまいが、た だ努めて客観的となり自然と一致する時には無限の幸福を保つことができる。
     心理学者は我々の生活を助くる者が快楽であって、これを妨ぐる者が苦痛であるとい う。生活とは生物の本性の発展であって、即ち自己の統一の維持である、やはり統一を 助くる者が快楽で、これを害する者が苦痛であるというのと同一である。
     前にいったように精神は実在の統一作用であって、大なる精神は自然と一致するので あるから、我々は小なる自己を以て自己となす時には苦痛多く、自己が大きくなり客観 的自然と一致するに従って幸福となるのである。」(「善の研究」第2編第9章 精神)
 「矛盾衝突を脱して更に一層大なる統一に達せんとするのである。この時我々の心に種々の欲望を生じ理想を生ずる。而してこの一層大なる統一に達し得たる時即ち我々の欲望または理想を満足し得た時は快楽となるのである。」
 矛盾衝突によって生じた苦痛があれば受け止めて(アクセプタンス)、大なる統一に達せんとする時は、価値実現への選択行動の次元(マインドフルネス)だろう。 西田のいう直接経験の受容の瞬間は、未だ行為への意思はないだろうが、現実の生活においては、受容と価値実現行動の選択と行動が並列してすすんでいくのだろう。外部への行動とそれによる環境の変化がまた自己に返されてくる。
 直接経験から離れて、自己が理想とするもの、欲望とは異なるという思考をすると苦 痛になる。不安障害は不安のないことが理想、欲望であるが現実には不安が起きて理想 的ではないと思考して不安のない場に逃避して、社会的生活に支障をきたす。しかし、 精神活動(思考判断創造など)は支障をきたさない。うつ病は不安以外のことについて 理想、欲望と異なると思考して苦痛を感じているうちに、精神活動(思考判断創造など )の渋滞を生じて社会生活に支障をきたす。不安障害も長期には不安以外のことが理想 と異なると思考するようになり、うつ病を併発する。
 うつ病や不安障害は、直接経験から離れて分裂の状態にあることが持続するので改善 しない。マインドフルネス心理療法においては、直接経験に注意(意識)を集中するこ とを指導する。思考、判断、評価は直接経験からの分裂である。
 不安障害者は、仕事や遊び、対話などの価値実現の直接経験に注意を集中できずに、 思考へと分裂して目前のことから逃避していく。呼吸や目前の感覚に意識を集中する訓 練をする。不安や情動性自律反応の不快さを感じつつも逃避せず(受容)、価値実現の 直接経験から分裂しない訓練を続ける。これが、価値実現の行動の場において実行され るようになれば、不安そのものが消滅しなくても、社会生活は障害されない状況になる 。不安という小なる苦痛はあっても、仕事、遊び、対話などの社会生活における価値実 現という大なる理想は実現できる。
 うつ病者は、精神作用の渋滞により、仕事や遊び、対話などの価値実現の行動もでき ず、重複した苦痛となり、苦痛の思考へとますます分裂して苦痛が深刻になり、ついに 苦痛の思考からさえも逃避せんとして生命の危機を迎える。
 「努めて客観的となり自然と一致する時には無限の幸福を保つことができる。」 うつ病者にも、思考への分裂をやめ、直接経験に注意を集中する生活を長時間実行す るように、種々の助言をする。呼吸法、行動時感覚傾注法、運動技法、脳機能活性化ト レーニングなどを通じて、直接経験への注意集中のスキルの向上をはかる。 このような直接経験に近づく生活を継続すると、精神活動の渋滞という、うつ病の最も 重篤な症状が軽快する。人を含めて自然、この宇宙のすべてを作った宇宙の意思は、直 接経験に集中していきることを期待しているのだろうか。 直接経験に集中して行動し暮らす時に苦痛が解決するということが経験的に生じること が判明したので、これを基礎とした仮説、理論によって、マインドフルネス心理療法が 開発された。なぜ、これが生じるのか、脳神経生理学的側面から検証してもらえるだろ う。 うつ病には、前頭葉機能の渋滞、HPA系(視床下部ー下垂体ー副腎皮質)の亢進と負 のフィードバック機能の障害、快感(喜び)機能の障害、疲労・抑うつ機能の障害があ る。なぜ、価値実現の対象に向かっての直接経験注意集中、そのためには不快事象の受 容を同時に実行する生活が、こうした脳神経生理学的な変調を修復するのか、脳神経生 理学の進展を期待したい。人間は宇宙と不可分の存在で、考えてみれば、科学とは人間 の苦痛と快楽を含めて作られた人の全体の構造を、宇宙の意思を検証することのようだ 。 なお、認知療法においてもうつ病や不安障害が改善しているので、心理療法による治療法も選択肢が多い。認知療法により生理学的な改善が起きる仕組みはマインドフルネス心理療法と同様なのだろうか、違うのだろうか。仕組みがわかれば、効率のよい心理療法を開発することができるのだろうが。
 一つの疑問がある。うつ病、不安障害にならずに快楽に暮らしている人も多いのだが、その人たちは、価値実現の直接経験に注意を集中して(あるいは、認知療法にいう認知のゆがみを用いずに)暮らしているのだろうか。そういう人も多いようだが、そうではなさそうな人も多いようだ。西田も「快楽の一面には必ず苦痛あり」という。価値実現のことに 直接経験に注意を集中して生きているのではなくて、自己の理想、欲望を見て暮らして幸いに大きな障壁がないだけだろうか。いつか、喪失、失敗などが起きた時、直接経験に生きることをしないと危機に見舞われるおそれがあるのは確かなよだ。めぐまれた(かにみえた)人の多くがうつ病、不安障害、アルコール・薬物依存、暴力、自殺、犯罪などの危機におちいる。 自己の欲求や理想というものも宇宙の意思(が作った反応、因果の仕組み)にそうものでないと、破綻するのだろう。
 マインドフルネス心理療法でうつ病や不安障害を治した人は、生涯かけて、自己ということの探求を続ける必要があるだろう。そうでないとまた直接経験から遠く離れるおそれがある。危機の渕はいつも自己のすぐ足元にある。 不快な 直接経験を観察し受容し、価値実現の直接経験に意識を向けて生きるなかで自己を探求することであり、瞑想であるから、自己洞察瞑想療法という。
Posted by MF総研/大田 at 08:54 | 私たちの心理療法 | この記事のURL