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西田幾多郎の禅の師、雪門玄松が管長となった国泰寺 [2019年03月18日(Mon)]

【マインドフルネス心の世界遺産】
西田幾多郎の禅の師、雪門玄松が管長となった国泰寺

金沢に行っていました。土曜日は、鈴木大拙の「禅」を読む会に参加。
http://hkrk-mindfulness.com/blog/2019/01/04/post-5989/

日曜日は、マインドフルネス瞑想療法士🄬の認定講座、金沢クラスの 第10回、最終回でした。石川、富山、福井にマインドフルネス瞑想療法士🄬が 誕生しました。

金沢に10回行きました(講演までで11回)ので、 西田幾多郎、鈴木大拙、二人の禅の師、雪門玄松などの遺跡をたくさん訪ねました。今後、機関誌でご紹介していくつもりです。

月曜日は、埼玉に戻る途中に、雪門玄松が管長になっていて、鈴木、西田も訪問したことのある国泰寺をたずねました。富山県高岡市にあります。

http://kokutaiji.info/

交通事情をよく調べもせずにいって困りましたが、助けられました。JR雨晴駅が最寄り駅だなと思って、そこで下車。タクシーがないし、バスもなさそう。で、近くの人にたずねると、歩くと30分くらいかという。じゃ、大丈夫、歩こうと。
30分あるいたがまだまだのよう。それで、途中でまたたずねる。すると、「まだ相当ありますよ。」「えーっ。じゃ、タクシーよべますか。」
タクシーの会社は、そこへんにはなくいらしく。
「じゃあ、私の車で送ってあげますよ」という展開に。まだ1時間先では! ご好意を頂戴しました。
現地について、わかりましたが、多分あと1時間はかかったでしょう。雨晴駅からだと1時間30分ですね。助かりました。
とても静かな山中に大寺がありました。雪門禅師が立てた建物もあったのでしょうね。その人のお墓は、墓地の一番奥にありました。歴代住職の墓が並んでいるところ。説明板などないので、一つずつ墓碑をみました。やっとみつけました。

不便な山では西田のような市民の参禅をうけにくいと管長をやめて、金沢の洗心庵に閑居、そこに西田が参禅、そして、和歌山の実家に戻り、その後、福井に住んだ人。世界的な偉人、西田幾多郎をそだてた人。このひとがいなかったら、西田哲学はなかったほどの重大な位置にありますが、説明板もありません。それはそれで自然です。人、もの、科学、芸術、すべて、評価は違います。私には、特別の評価を持つ雪門禅師ですが、そのお寺では、みな同じ管長なのですから。だから、インターネットの場で、「マインドフルネス心の世界遺産」として指定していくのがいいのかと思っています。

帰りは、和尚様(管長様だったかもしれません)にタクシーの電話をお聞きして、それで高岡駅に戻りました。タクシーで高岡駅まで20分でした。
おかげで、途中の家並み、静かな風景、親切な人のご好意に接して、忘れえぬ遺跡訪問となりました。歩いた歩数が1万2千歩でした。疲れました。
みなさんが訪問される場合には、ホームページにあるルートで行かれることをおすすめします。しかし、雨晴には、海岸が絶景で大伴家持や松尾芭蕉のゆかりの地です。帰りに寄ろうと思っていたのに!

雪門禅師の最後の地、福井県の史跡(2つのお寺に住んだという、今は無住らしい)はどうなのでしょう。今年は訪問してみたい。多分、何の説明板も石碑などもないのかもしれません。マインドフルネスのこころの世界遺産であり、もったいないことです。
Posted by MF総研/大田 at 22:38 | マインドフルネス心の世界遺産 | この記事のURL
(10)エリートのエゴイズム [2019年03月15日(Fri)]

(10)エリートのエゴイズム
 =多数派の驕り、「大衆の反逆」スペインの哲学者オルテガ

 NHK Eテレビの「100分de名著」で放送されたが「オルテガ」です。 中島岳志氏の解説でした。(評論家、東京工業大学教授)

 中島氏はオルテガの文を引用して、わかりやすく解説しておられました。

 オルテガの放送の感想が中断していました。今、日本の組織でも、専門家(=オルテガは大衆という)のエゴイズムが起きているので、重大です。続けます。

 オルテガのいう「大衆」は、社会の問題の解決発展を妨害するエリートです。オルテガは、大学(解雇されることがなく身分や収入が保証されている者、契約により身分が不安定な人は違うのだろうか)に多いというのですが、他の経営学の研究者も同様のものがビジネス組織の幹部にも多いといいいます。不正、改竄、セクハラ、パワハラが多いです。社会貢献もない研究内容であっても批判されません。 もちろん、大学人がすべてそうであるはずがなく、西田哲学でいえば、至誠の人と独断の人がいて、後者が多いというのです。オルテガの言葉です。

 「この大衆人という新しい人間のタイプの心理構造を、それが社会的な生に及ぼす影響に注目しつつ研究すると、次のようなことが明らかになる。
 第一に大衆人は、生は容易であり、あり余るほど豊かであり、悲劇的な限界をもっていないという感じを抱いていることであり、またそれゆえに各大衆人は、自分の中に支配と勝利の実感があることを見出すのである。

そして第二にこの支配と勝利の実感が、彼にあるがままの自分を肯定させ、自分の道徳的、知的資産は立派で完璧であるというふうに考えさせるのである。この自己満足の結果、彼は、外部からのいっさいの示唆に対して自己を閉ざしてしまい、他人の言葉に耳を貸さず、自分の見解になんら疑問を抱こうとせず、また自分以外の人の存在を考慮に入れようとしなくなるのである。彼の内部にある支配感情が絶えず彼を刺激して、彼に支配力を行使させる。したがって、彼は、この世には彼と彼の同類しかいないかのように行動することとなろう。したがって第三に、・・・」(『大衆の反逆』ちくま学芸文庫)

 オルテガはスペインの大学のありさまをいったのですが、日本の大学の仏教の学問はどうでしょうか。大竹晋氏が、日本の仏教は大乗仏教の核心を3つ失っているといったのですが、なぜ、長期にわたり、そういう重大な問題が指摘されないのでしょうか。 大学の研究者がそういう自己批判をしないですみ、同類と支配力を行使してきたのでしょうか。竹村牧男氏も仏教の学問は僧侶仲間たちによって行われてきたといいます。仲間、知り合いだから批判しないのでしょう。ビジネス社会では社会に評価されないサービス製品は淘汰されるのに、そんな厳しさがないのでしょう。

 「したがって第三に、彼はあらゆることに介入し、自分の凡俗な意見を、なんの配慮も内省も手続きも遠慮もなしに、つまり「直接行動」の方法に従って強行しようとするであろう。」

 「凡俗な意見」というが、日本でも、魅力がない意見をよく聞くが、仏教は衰退しています。それでも、権力を行使するでしょう。「そんなはずがない」という少数意見の非凡な意見はあまりみられません。 そんな有様に仏教は、悩む国民や心理学者の要請に応えることができず、似たものを欧米のマインドフルネスに見出して輸入されています。マインドフルネスは禅に似ています。日本人は創始できませんでした。しかし、文献研究の人は悩む人に実践的な指導はできませんが、日本のふところは広く、深い実践が過去の古典にもあり、現在もなおつらいひとを実践的に救済している僧侶が多数います。メディアには現れませんが、生きた実践は続いています。日本の特徴でしょう。

 現代の日本にも、オルテガのいう大衆化現象がみられると訳者がいいます。

 「オルテガが警鐘を鳴らす人間と社会の大衆化現象がもっとも顕著に見られるのが、実は今日の日本ではないのかということである。」(あとがき)

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3855
★認知的柔軟性の欠如




http://blog.canpan.info/jitou/archive/4100
【目次】NHK Eテ レビの「100分de名著」
「大衆の反逆」オルテガ、中島岳志、NHK出版
 多数という「驕り」


【関連記事】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2342
★哲学は問題の原因や実践の方向を示す

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3855
★認知的柔軟性の欠如

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3805
★カミュの「ペスト」

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3915
【書籍紹介】『「朝日ぎらい 〜よりよい世界のためのリベラル進化論』橘 玲、朝日新聞出版

【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3781


関連する記事です。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3476
★組織の悪

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3675
★「寺よ、変われ」

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3605
<目次>本音の観察

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2228
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3616
★専門家のエゴイズム

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2370
★カウンセラーや精神科医が自分の枠内にとじこめるおそれ

http://blog.canpan.info/jitou/archive/1812
★無視・傍観・軽視・放置・見放される病

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2669
★全体主義、画一主義、還元主義
Posted by MF総研/大田 at 19:52 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
【書籍紹介】「1日1行マインドフルネス日記」(藤井英雄、自由国民社)(2) [2019年03月14日(Thu)]
【書籍紹介】「1日1行マインドフルネス日記」(藤井英雄、自由国民社)(2)

(続きです。マインドフルネスをMDと略します)

(2)長い瞑想

 15分程度、瞑想を行う。 「雑念が出始めたら、すぐに「雑念」と名前をつけたり、「雑念が出た」と実況したりして客観視し、雑念を手放して瞑想対象である呼吸に注意を戻します。」(p72)

「雑念が出るのはいけないことなのか?」(p74)という著者の自問がある。 それについては、 「日常生活の中でネガティブな思考に気づいて手放していければいいのです。」(p74)
 ネガティブかそうでないかの評価をする必要がある。そして、手放すという判断をする。 手放すということの背景に「雑念はネガティブな思考は好ましくない」という評価があるからである。本書のマインドフルネスには「ルール」がある。ルールにかなっているかどうか評価するはずだ。 もし、評価判断をしないのであれば、雑念であろうとなかろうと、思考し続けていいはずだろう。(ちなみに評者、大田のマインドフルネスは西田哲学的生き方がルールであるが)

(3)ストレス下でのエクササイズ(マインドフルネス3秒ルール)

 「ハッと我に返ったら3秒以内に、感情に名前を付けて実況中継を始める。これがマインドフルネス3秒ルールです。」(P92)

 こうしたことをルールにしておいて、実行する習慣をつけるのだ。 これは、「聴いてストレス下」だから、まさに「評価」の場所におけるMDだ。無評価は通用しない。

1日1行、日記

 そして、1日1行のマインドフルネス日記を記録することをすすめる。

1行日記には
ストレスやプレッシャーの真っ最中に訪れてくれたマインドフルネス体験、
ネガティブ思考を手放したこと、
ネガティブ感情を癒せたこと、
などをかく。

 このような出来事の対処したことを書くのであるから、 (C)(D)(E)などの感情が起きる場面の気づきである。評価する・されることで感情が起きるのである。 こういうことを記録する出来事もMDに含まれるのであるから、無評価ではなくて、評価している。

記入例から、それを確認しよう。

「アマゾン☆2つの評価を受けた悲しみを客観視する」(P110)
 これは、読者からまさに評価された出来事である。 自分も「そんな低いのかよ」とネガティブな評価をしている。

「聴いてもらえない悲しさに気づき客観視した。」(P114)
 話しの途中で腰をおられたのだから、相手から評価されたのである。 それを自分は不愉快だと評価したのである。

「聴いてあげられなかった後悔と自己嫌悪を客観視して手放せた」
 困っている人の相談に乗っていて「なんで聴いてくれないの!」と言われたのだから、 相手から評価されたのだ。そして、あとで、自分の態度がまずかったと 後悔の評価をしたのだ。

 3つの例をみたが、ほかの例もそうである。感情が起きたのだから「評価」がされたのだ。

感情が良い、悪いの評価をしないでという無評価とは違う意味での評価が起きるのが 対人場面である。そもそも感情が起きた時に、すでに「評価」が起きたのだ。 人生、生活には感情が起きるのは、当然であるが、その時にすでに「評価」が起きているのだ。 だから、評価による感情は避けられない。

感情は各人が持つ評価基準によって起きるが、それに気づいて どのように反応するかという次元における観察(マインドフルネス)がある。 これが、評価する、される場面での気づき、観察のMDだ。その方面に重点を おいたMDもある。人間関係や仕事は複雑であり、「無評価」ではすまない。 評価の場でのMDが重要である。 本書はその入門になっている。

 欧米のMDは、評価する・評価される場面(対人場面や仕事の場面)では両立しないと批判されているから、 評価の場面でのマインドフルネスが必要になる。 そういう時に、全体として本書は、評価の場面でも観察、気づきのマインドフルネスをエクササイズ することをすすめている。

 MDは必ずしも、無評価だけではない。深刻な問題を改善することができるMDもある。たとえば、 うつ病、パニック症、広場恐怖症、PTSD,家庭の人間関係の不和、学校職場でのいじめに対処する、パーソナリティ障害、未来や死の不安などのためのMDもある。 難しい問題には、高度のMDが必要だが、 はじめから、高度のMDが苦手である人のために、本書が「入門」と銘打っているように、広くすべてのMDの入門になっている点でおすすめしたい本である。 本書でMDの心得がわかったら、本格的に取り組んで、問題を解決して豊かな人生を送っていただきたい。世界には無限の生きがいがあるから、みつけていただきたい。
【書籍紹介】「1日1行マインドフルネス日記」(藤井英雄、自由国民社)
  
Posted by MF総研/大田 at 06:44 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
【書籍紹介】「1日1行マインドフルネス日記」(藤井英雄、自由国民社)(1) [2019年03月13日(Wed)]
【書籍紹介】「1日1行マインドフルネス日記」(藤井英雄、自由国民社)(1)

https://www.amazon.co.jp/dp/4426125146
本の内容はここに掲載されている。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4142
ここでちょっと触れた本である。

欧米のマインドフルネスは、「安心安全な場所」で「無評価の観察」であるが、 日本には昔から「評価」のマインドフルネスもあった(禅であるが)。 だから、日本人がマインドフルネスの本を書くと、無評価を超えた観察に 容易にはいっていくだろう。無評価、評価については、 上記の記事および、次の記事、さらにここに参照したポージェスのポリヴェーガル理論についての記事を参照していただきたい。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/4146
★評価とは何か、判断とは何か

 無評価で観察か、評価観察かという点に焦点をあてて、本書の特徴を見てみる。

「はじめに」で、こう紹介されている。

○この本はこんな方たちにおススメです。
(1)いつかはマインドフルネスを始めたいと思っていた人
(2)マインドフルネスを始めてみたけれど続かなかった人
(3)座禅や瞑想はハードルが高いと敬遠していた人
(4)この本ではじめてマインドフルネスのことを知った人

 これを見ると本書は「マインドフルネス」の入門であり、ブームになっているマインドフルネス(無評価で観察)の入門であるかのように感じられる。しかし、本書は、観察の場面や内容が評価のマインドフルネスになっているところがあると思う。だから、評価の場所でもマインドフルネスを行うためのいいガイドになると思うので、おすすめしたい。

マインドフルネスと3つのエクササイズ

藤井氏のマインドフルネスのエクササイズは3種類ある。

1.10秒マインドフルネス
2.長い瞑想
3.ストレス下でのエクササイズ(マインドフルネス3秒ルール)

(1)10秒マインドフルネス

 「10秒間「今、ここ」をリアルタイムに感じて客観視することです。」(p39)

欧米のマインドフルネス(欧米MD)は、ボディスキャン、ヨーガ瞑想、静座瞑想を3、40分の時間をとって行う方法だ。これは(A)「非日常の場面」と呼ぼう。 非日常の場面で行う観察は、「無評価で観察」だ。(「マインドフルネス」をMDと書きます)
 本書のマインドフルネス、観察や気づきは、「日常生活のすべての場面」で行うことが推奨されている。

 これから開始と宣言して、10秒、見ていると確認する、聞く、感じる、味わう、呼吸を観る、動作行動などする時など、いつでも行うのだ。

 「食べる時、お茶を飲む時、仕事をする時、人と話しをする時、人の相談に乗るとき、人に相談する時、苦情の電話をかける時、苦情の電話を受ける時、子どもと遊ぶとき、大好きな人と語らう時、そのすべてをマインドフルネスのエクササイズとすることが可能です。」(p82)

 この場面は、次のように分類できる。
(B)「個人的な日常生活の時」 (食べる時、お茶を飲む時)
(C)「仕事でない対人関係の時」(子どもと遊ぶとき、大好きな人と語らう時)
(D)「仕事における対人関係の時」(人と話しをする時、人の相談に乗るとき、人に相談する時、苦情の電話をかける時、苦情の電話を受ける時)
(E)「対人関係がない仕事をする時」(仕事をする時)

(A)や(B)の場面で行う観察(10秒MD)は、欧米MDと際立った違いはない無評価の観察のようであるが、 ほかの場面でもマインドフルネスとするということ自体が、欧米MDの範囲を超えている。そして、必ずしも無評価ではないことが、日記でわかる。

(続く)
【書籍紹介】「1日1行マインドフルネス日記」(藤井英雄、自由国民社)
  
Posted by MF総研/大田 at 20:05 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
あれから8年、「あの日の星空」 [2019年03月12日(Tue)]

あれから8年、「あの日の星空」

 東日本大震災、あれから8年。NHK総合テレビ「あの日の星空」で、被災なさった木村さんが 登場された。(再放送が13日、午前2時20分から)
 ご自宅は女川の海に近い高台にあったが、そこまで津波がおしよせた。天井まで水が入ってきた。・・・ 足を挟まれていた。7時間後、救出された。ストレッチャーに載せられた時、職員のひとが、「空の星を見てください」といった。

 それから、体調を崩し、時々外に出られない日々が続いた。痛みが続いた。4年後、私たちは木村さんたちから声をかけられて、石巻で、数回、マインドフルネス心理療法、自己洞察瞑想療法(SIMT)のグループセッション、支援者育成講座を行った。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/4148

 震災後8年目、現在、テレビでみる木村さんは快活そうであったが、負傷した時の傷のため、今でも時々、痛みが耐え難いほど強くなるそうだ。それでも、「楽しんでいきていこうと思っています。」という。
 継続する痛みは、心理的なストレスも強めて、抑うつ症状が強くなる人もいる。 マインドフルネスは、痛みの緩和が起きる場合もあり、また痛みがありながらも共存して生きていく心のもちかたを教えてくれる。これからも痛みやストレスが起きるだろうが、マインドフルネスのような生き方をしていっていただきたいと思う。
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/saigai/saigai-simt.htm
★【目次】災害による心理的ストレスとマインドフルネス心理療法
Posted by MF総研/大田 at 07:50 | 災害とストレス | この記事のURL
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