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昨年度自殺統計、子どもの自殺が減少しない [2019年01月19日(Sat)]
https://simtmiyagi.files.wordpress.com/2018/11/20190129e789b9e588a5e8ac9be6bc94.pdf
★1月26日、宮城県のお寺で講演させていただきます。
仏教、マインドフルネスの問題点も。

子どもの自殺防止対策
 =昨年度自殺統計、子どもの自殺が減少しない

 昨年度の自殺者数が発表されました。

https://www.asahi.com/articles/ASM1L33T4M1LUTFK004.html ★朝日新聞ニュース=昨年度の自殺者数

 50代の自殺も多い。

 原因、動機別では「学校問題」「健康問題」が多い。

 人は生きたい、社会で活躍したい、と思うもの。思わなくても活かす力が働いている。 それなのに、自殺するのは、病気からだ。自殺は、うつ病になっているためであることが多い。生きる場所がつらいのだ。独断偏見、自己中心性が充満する社会、学校も職場もインターネットで侵入してくるプライベートな場所までも。
 対人交流の場に出ると、ひどいことを見る、聞く。つらい感情が起きるが、それの起きるありさまを「評価」し、うまく生きのびる行動は何か「評価」して選択して発語、行動しなければ、つぶれてしまう。
 親も教師も忙しいから、子どもの内面のうめきを聞き取り、言葉や表情に現れる、または隠される「本音」(つらい、行きたくない、死にたい)を「評価」する余裕がない。学校の仲間からもいじめられる。

 対策が必要だ。 いじめられるとつらい。「こういうことを自分がされるとつらいではないか」、「居心地のいい学校にしようよ」、だから、「いじめるのは止めよう」という「自殺予防教育」を学校でやってもらえないだろうか。
 それとも、「自殺が多い」という記事を見ても「無評価」で観察して、流してしまうのが「科学的」生き方なのだろうか。何も感情が起きないのだろうか。自分の家族が自殺したらつらいなと共感の感情が起きないのか。起きても「無評価」なのか。感情を無評価で観察して、流してしまい、自分は自分の仕事ができて満足なのだろうか。社会全体の不条理jは「無評価」なのか。

 自分の頭で考えて、社会の不条理を「評価」観察して改革の行動をしなくなる傾向を助長しかねない観察方法を「科学」というのだろうか。一人でいる時の観察と対人場面での観察のすべてをカバーする「科学的」観察方法はどういうものか。本当に、真剣に、「観察」「評価」とは何か、すべての場面でそれでいいのか、「自己」とは何か(ACTや仏教、西田哲学が提案)を議論すべきである。「見て見ぬふり」も「評価」しているのだ。社会の中で生き、社会を作っていくためには「評価」は避けられない。

 今年こそ、古く鎌倉時代から日本人の頭で考えぬいてきて、西田哲学、鈴木禅哲学、井筒哲学として発表された、よき(これも「評価」)日本の観察方法を発掘していきませんか。 それが不十分であると「評価」するのなら、それを学問として発表していただいて、その批評も評価して、よき(これも「評価」)観察方法を作っていきましょう。
 私は学者ではない、「科学」がわからない。今年から「科学」「学問」も教えていただきたい。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
★関連記事【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
Posted by MF総研/大田 at 08:48 | 自殺予防対策 | この記事のURL
自己完成への実践はすべての人のもので、ほかに各人の価値遂行には対象的社会的働きを行使 [2019年01月18日(Fri)]
https://simtmiyagi.files.wordpress.com/2018/11/20190129e789b9e588a5e8ac9be6bc94.pdf
★1月26日、宮城県のお寺で講演させていただきます。
仏教、マインドフルネスの問題点も。

ポイエシスとプラクシス
=自己完成への実践はすべての人のもので、ほかに各人の価値遂行には対象的社会的働きを行使


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4074
★マインドフルネスSIMTは暴風も渦巻く海を航海して自己船を目的港に進める操船技術
 これは、プラクシスです。すべての人の根底の絶対無が働いているので、その本質のように成長させていこうという実践を日本人はいさぎよしとしてきました。世阿弥の能、千利休の茶道、松尾芭蕉の俳諧にも、それを基礎としたものがみられます。

 最近の日本のホワイト企業として表彰される経営者が感じているものもこれなのだろうと思われます。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/4032
★ホワイト企業の経営者(3)小欲

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4035
★★ホワイト企業の経営者(4)畏敬

 日本の経営者にこれがあるのは「日本人」だからでしょう。日本人の精神の底に絶対無が深く潜行しているのです。経営がうまくいったとしても自分だけの手柄ではない、社員全体の手柄でもあり、社会全体からの支援のおかげでもあり、さらに目に見えないが大きな力が働いているおかげであることを感じているのです。こうしたことは、経営者も西田哲学を学べば、自分のものが日本的な哲学であることを納得するでしょう。

 絶対無、鈴木大拙が日本的霊性といったもの、井筒俊彦が無分節といった働きがすべての人の根底で働いている。なにとなく、日本人が、経営者も、強欲ではなく、社員を大切にする気持ちが強いこと(簡単には解雇しない、パワハラセクハラが少ないのも)、謙虚なところがあるのは、この精神のためでしょう。

 この精神のもとになる働きは、すべての人間の根底に働いています。それを理解して自己を完成していこうというのが、大乗仏教にもあり、日本的生き方なのでしょうが、哲学的な説明が少なかったために、多くの人には理解されませんでした。しかし、昭和の戦後まもないころのしばらくの期間「禅的生き方」が標榜されていましたが、そこに一部あらわれていたでしょう。このころ、芸術にも広く現れていました。川端康成、志賀直哉、武者小路実篤、東山魁夷、河井寛次郎、高橋新吉、永田耕衣、等々。

 ポイエシスは、対象的世界の創造行動、社会的活動です。プラクシスは、同時に実践する内面の人間完成です。至誠とか、私欲的でないとか、無私とか、言われます。

PART2-SIMT.jpg
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3312
★ポイエシス即プラクシス

 ポイエシスは、経営、政治、医学、看護、介護、法律、教育、心理、農業、漁業、観光、IT,家事、育児、すべての科学学問、あらゆる産業です。それぞれ、特別のスキルが必要です。そのほかに、すべての人に必要な至誠の人間完成、人格形成、他の人格尊重への実践がプラクシスです。プラクシスはポイエシスとは全く違います。

 生きていくポイエシスの人生において、見る、考える、行為するのすべての局面で、人間完成の実践をこころがけていく。だから、欧米のマインドフルネス、すなわち、「無評価でみる」観察はごくごく一部分であることになるでしょう。西田哲学の実践論は、欧米の単独時の無評価観察を包含して、さらに、そのほかのすべてのポイエシス、対人行動、産業的行動の時のすべての意識現象、見る、考える、行動する局面で、どのように実践するかを日本人が長く探求してきたものだというのです。新しい年号の時代は、マインドフルネスの研究が飛躍する時代になるでしょうか。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
★関連記事【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
Posted by MF総研/大田 at 06:45 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
マインドフルネスSIMTは暴風も渦巻く海を航海して自己船を目的港に進める操船技術 [2019年01月14日(Mon)]

マインドフルネスSIMTは暴風も渦巻く海を航海して自己船を目的港に進める操船技術
 =PTSDのマインドフルネス心理療法SIMT

 一昨日、マインドフルネス瞑想療法士🄬の講座の第8回でした。 禅の哲学、道元禅を中心に学習しました。

 その他、PTSD、心的外傷後ストレス障害をマインドフルネスSIMTで支援することを学習しました。テキストの目次です。

APL-02-PTSD-目次.pdf

 ポリヴェーガル理論で、トラウマのことがわかってきましたので、次にテキストを改訂する時には、ポリヴェーガル理論のことを加えることになるでしょう。

 3月1日に、アメリカの学生と教授に、マインドフルネスSIMTによるPTSDの支援について講義しますが、ポリヴェーガル理論の立場から、SIMTで改善する理由の考察を加えることになるでしょう。

マインドフルネスSIMTは暴風も渦巻く海を航海して自己船を目的港に進める操船技術

 マインドフルネスSIMTは、独断偏見が渦巻く現実社会、職場でさえもそうですが、そういう現場で生き抜いていかねばならない長い人生行路の自己船を操縦する技術と言えます。いつも運転操縦し続けます。周囲からも、船の中からも種々の危険なものがおしよせます。自分が心身の病気になることもあります。しかし、港にひきかえせません。色々な困難を評価して、うまくかじ取りをして、依頼主のために自分の役割として自己船を目的港に到着させます。そして、休息したら、また目的港に向けて出ていきます。色々な偏見独断のある海へ出ていきます。怖いこともあるが、出ていかないと目的地に自分や乗客を運ぶことはできません。
 こうした、偏見独断が本質であると西田幾多郎博士がいう、長い人生行路において、自己船を操縦していくマインドフルネスSIMT、行動時の自己洞察が重要なのです。安全な場所で訓練して、大波小波、台風、海賊が出るような厳しい航路に乗り出していきます。安全な港だけに泊まっているのではなく、荷物や乗客を目的港に届けてほしいと依頼するものが何かはわからないけれど、依頼してきます。自己は船を操縦して航海していく自己船の船長です。怖いことも予測されますが、出ていきます。見えるものと見えないなにかが運んでくださいと依頼しています。
 出ていきます。地球と人類があと何年存在するのかわからないけれど、たった1回、80年前後の契約で任命された自己船の船長を拝命したのです。逃げず、いつまでも港に避難していずに、波乱のある海原に出ていくのです。緊張の中でするマインドフルネスSIMTの技術も駆使して 操縦していきます。いつも守り神が同伴しているような気がするので、大丈夫です。

 こんな航海術がSIMTです。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/4075
★ポイエシスとプラクシス
=自己完成への実践はすべての人のもので、ほかに各人の価値遂行には対象的社会的働きを行使するスキルが必要

 マインドフルネスは自己を見ている、これだけでは社会を生きていけない。 社会的産業的スキルは別に習得して、社会貢献行動をしなければならない。 人はみな、社会、世界の中で生きているから。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3889
★関連記事【日本では、なぜうつ病などの心理療法が普及しないのか】
Posted by MF総研/大田 at 06:54 | 災害とストレス | この記事のURL
講演でした [2019年01月13日(Sun)]

講演でした

IMG_20190113_0002.jpg

概要=1部 2部 3部

【1部】マインドフルネスの問題点

 無評価で観察できるのは、安全な場で一人でいる時、ボディスキャン、ヨーガ、静座瞑想している時。
 しかし、この世は、一歩外へ出ると、国内も国際的にも、独断偏見、我利我欲が充満している(西田幾多郎)。そんな厳しい環境で生き抜いていくために評価判断が必要な場とは、職場、学校、家庭、病院、ビジネス、官公庁、外交、など、人とが交流しながら動いていく現実の社会。

☆ポリヴェーガル理論
 ブームのマインドフルネスは評価の場では両立しない。だが、一人でいる時のマインドフルネスの訓練が無駄ではない。その時の訓練で得られた変化の影響を及ぼすのだろう。だが、現場の瞬間は、厳しい評価判断が必要である。その瞬間はどう観察するのか。西田哲学では、「至誠」で、という。

☆MBSR・ブームの源流
 全体性を強調しているのにMBSRの利用者は実践していないようだ。MBCTさえも、「全体性」をとりいれていない
 まさに生産活動の現場、対人場面でのその瞬間には評価判断が必要である。MBSR,MBCTの教える「無評価」ではいられない。どう観察したらいいのか、、、。

☆ACT=アクセプタンス・コミットメント・セラピー
 観察する自己が真の自己というが、仏教や禅の自己とは違う。

☆四諦八正道・ビパッサナー瞑想は非常に難しい
 六道輪廻からの解脱が目標である。この人生の現場(家庭、職場)でよく生きるというのではなくて、特殊な禅定(灰身滅智慧、滅尽定)を尊いとする。

【2部】仏教の問題点

一般市民から隔絶している
    利他、自内證、人間完成が弱い

★大乗仏教と初期仏教は別の宗教

★西田哲学による仏教批判
   「道元に深い自己の根源」=無視されている

深い人間哲学を見捨てている

★鈴木大拙・日本的霊性(自内證が失われている)

★竹村牧男氏・初期仏教は現代的でない
   初期仏教の涅槃・六道輪廻からの解脱・利他をしない

★井筒俊彦も道元禅師に深い哲学を指摘

★フランクルにも深い自己が

【3部】これからの研究課題

★竹村牧男先生の提言

★後期西田哲学の実践論
 仕事の現場、家庭では、自己の心を観察して、独断偏見がないかどうか、私欲的でないか評価判断しながら、見て、考え、行為しなければならない、というのが、日本人の精神であったと西田幾多郎がいった。
 西田哲学でいう、観察の指針は「至誠」で。全体の立場で、絶対の立場で判断するのだという。MBSRがいう「全体」の語が、西田哲学でもでてくる。ジョン・カバット・ジン氏がいう「全体性」と同じか、違うのか、「科学的」検討が必要である。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】
Posted by MF総研/大田 at 19:41 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
新しいマインドフルネス、新しい仏教は新しい人材で [2019年01月11日(Fri)]
★2019年1月13日は、専門家向けの講演
http://mindful-therapy.sakura.ne.jp/kouen/2019-1-13-kouen.pdf

=僧侶、学者、マインドフルネスの推進者、医療関係者、管理職など
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3630
★人間のエゴイズムはすさまじい、生命までもうばう。
不正、うそ、いじめ、自殺、パワハラの蔓延する日本社会。マインドフルネスでさえも金儲け。 元来、人々の悩みを解決するためのヒントがあったはずなのに活用されていない、従来の仏教や西洋的マインドフルネスの問題を超えていくために
日本の社会問題の解決のための「マインドフルネス」
自分の役割は何か、自分の組織の使命は何か、それぞれにどういう方向があるか。
禅を基礎にして、さらにその問題も超える西田哲学の生活化の実践。

新しいマインドフルネス、新しい仏教は新しい人材で

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3461
★「見て見ぬふりをする社会」目次

 メンタルなことで苦しむひとがたくさんいます。うつ病、パニック症、社交不安症、PTSDが治らない、自殺、こどものいじめ自殺、がん患者のメンタルなサポートがない、家庭内暴力、パートナーの暴力、・・・。そして、夫婦、親子の不和。独断的な思い込み、本音の洞察によって、不和の解消が期待できます。

 マインドフルネス心理療法や仏教が支援できる可能性があります。しかし、遅々としてすすみません。この領域に近い専門家がおられるが、「見て見ぬふり」になります。
 今までの狭い領域のことで忙しく満足している「叡智的自己」だからです。新しいことには、関心がありません。時間的な余裕もありません。現在のものを踏襲します。縛られます。だから、専門家には期待できないと思います。 

 1月13日の講演会では、仏教やマインドフルネスの専門家ではない人が、新しいものを開発することができると訴えます。

 大竹晋氏が、日本の仏教は大乗仏教の本道からそれていると指摘しました。特に、 利他、悩む市民の支援がないことが最も大きい。社会的責任というか、そもそも宗教とは何なのかがゆらいでいます。
 西田幾多郎も仏教を批判しました。竹村牧男先生(東洋大学学長)は、今の仏教ではいけないといいます。宗門も変わってほしい。宗門内の僧侶、学者に強力なリーダーの現れることを期待されています。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3470
★宗門内に強力なリーダーが必要

 しかし、宗門の内では難しい事情があるでしょう。伝統があります。変わることは非常に難しいでしょう。まだ、余裕のある副住職のかたに期待します。各宗門にも心を観察する教えや方法があるはずです。それにマインドフルネスの意味づけして、その宗門のマインドフルネスを作ることができないでしょうか。若いうちに、檀家信者がどういうことで苦悩しておられるか、また、仏教でかなり支援ができることがわかっていると、その後、住職となってからも檀家信者のためにできることを思いつくと思います。「寺院崩壊」がささやかれますが、檀家信者のためにできることがありそうです。

 そのほか、竹村先生は専門家でない人に期待しておられます。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3471
★教団の外の人々に期待できる

 「マインドフルネス」は、仏教の専門家ではないジョン・カバット・ジン氏が始めました。 だから、日本でも、「もうひとつのマインドフルネス」は、専門家でない人材が新しい自己観察方法を開発していけばいいのです。
 すでに、「無評価で観察」のマインドフルネスは頂点になったようです。 かなり効果が報告されていますから、今後も世界中で推進されていくでしょう。

 しかし、もうひとつの「マインドフルネス」が必要でしょう。仏教もそうでしょう。 色々な感情、思惑、評価が渦巻くただなかの自己観察方法や仏教の方法は「無評価」では両立しないと、ポージェス氏が指摘しました。うつ病になる現場、暴力、いじめ、セクハラ、パワハラ、不正を迫られることが起きる現場も「評価」の現場です。教師や医師は、父兄や患者から評価される瞬間を経験します。 ビジネスならば、顧客から厳しい評価の言葉をあびせられます。交感神経が興奮する瞬間です。呼吸法などやっている余裕もありません。
 新しい「観察」方法が必要です。「見る」だけでなく、その瞬間に「考え」すぐ「行為」する方法が必要です。
 新しいマインドフルネス(観察、洞察)が必要です。かなり違うので、「もうひとつのマインドフルネス」は、従来のマインドフルネスの専門家でない人材の参加が急務です。
 新しい仏教、新しいマインドフルネスが必要です。


http://blog.canpan.info/jitou/archive/4013
【誤解だらけの瞑想、坐禅、マインドフルネス】
Posted by MF総研/大田 at 21:20 | さまざまなマインドフルネス | この記事のURL
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