セラピスト・カウンセラーを育成する人には哲学が必要になる(3)
マインドフルネス心理療法にはいくつかの流派があります。
みな、形式的な手法は、アクセプタンスやマインドフルネスの手法がある心理療法ですが、
その背景の哲学、つまり究極の目標は多少違っています。 ACTは「行動分析学」、弁証法的行動療
法は、ヘーゲルの弁証法だと言われています。つまり、仏教や禅を参照しないで開発されたマイン
ドフルネス学派もあります。
自己洞察瞑想療法(SIMT)は、禅の哲学を背景に説明した時代を経て、今は、西田哲学で説明してい
ます。マインドフルネス心理療法には、人間存在の哲学があります。
「マインドフルネス認知療法」(北大路書房)の中で、菅村玄二氏は、次のように述べられてい
ます。
「カバトジンやティーズデールは、仏教瞑想を自ら実践していたことから、マインドフルネス瞑
想法を用いた臨床的アプローチを開発したという経緯があるが、弁証法的行動療法のリネハンや
アクセプタンス・コミットメント・セラピーのヘイズは、仏教への関心から独自の臨床理論を作り
上げたわけではない。
しかし、リネハンもヘイズも、彼らが開発したアプローチが、仏教思想と多くの点で類似している
ことを認めており、何よりも、マインドフルネスの技法が欧米で多大な注目を集めた背景として、
西洋における仏教思想への関心の高まりがある。」
(273-274頁、菅村玄二氏)
欧米では、こうして仏教や禅が医療に貢献するとして期待されているのですが、
日本ではかえって、戦後敗戦処理の宗教分離のせいか、仏教国であるがゆえか、他の宗教への遠慮
なのか、オウム事件のせいか、医療や教育、公的活動の場では、宗教を分離するような配慮が
あることを感じます。特に、東日本においてでしょうか。
NPO法人法でも、宗教活動を主たる事業にできません。宗教とマインドフルネス心理療法の区別が重
要な問題になります。学校や病院で、マインドフルネス心理療法をすすめる場合に、仏教用語を使
うと問題になるでしょう。
今回出版される本によって、マインドフルネス心理療法(SIMT)は宗教ではないことが明確になる
ことと思います。
しかし、本当は、仏教や禅の研究の専門家の方が、心理療法への応用、貢献に乗り出してくださ
らないか期待しているのです。専門家なのですから、効果的な方法や場所をご存知のはずだからで
す。
そして、学校でも病院でもすべての公的施設で、マインドフルネス心理療法が偏見をもってみられ
なくなることを期待します。そのためには、
大学の研究者が、宗教ではないことを証言してくださること(現在は全く無関心のようです)、そ
れから、臨床にあたるカウンセラーが、
一定のレベルのスキルを持っていることの認定も厳密にされることが必要になるでしょう。
インターネットで検索すると、マインドフルネス心理療法をやっているかのようにいうところも
ありながら、全面的な適用ではないところもあるようで、
期待した患者さんが幻滅して落胆されるのではないかと悲しい感じがします。
他の療法で治らなくて、重症の患者さんが
マインドフルネス、アクセプタンス期待されますが、
全面的に真剣にやっていただいて、1年ほどかかってようやく寛解に至ります。完治までには、さらに1,2年の真剣な実践が必要です。部分的に用いて、治る事例が多かったという研究報告があるでしょうか。
マインドフルネス心理療法には、エゴイズムの自覚の探求もあります。支援者にも、
自己や他者を
苦しめる心理の洞察が必要であると主張されています。
マインドフルネス心理療法
は、西洋でも東洋でも、自己とは何かの哲学に基づく、全人格的な治療法です。哲学もなく、
治療の一部に、形式的に、マインドフルネスの技法を行う(ほかの、〇〇療法が中核)のは、「看
板に偽りあり」と感じます(もちろん薬物療法との併用はOKです。医療の種類が違う)。うつ病、
不安障害、過食症の
マインドフルネス心理療法は、認知療法にほとんど全面的に代われるものだと思います
(ただし、対話の一部に認知療法的助言が入るのは自然。研究者の場合、全く用いないで用いるよ
うです)。
不当な薬物療法を行う医師が批判されるようになってきましたが、心理療法者、カウンセラーにも
、クライアント(患者さん)をがっかりさせる人が出てくるでしょう。マインドフルネス心理療法
には、哲学があります。行動分析学、ヘーゲルの弁証法、禅の哲学、西田哲学などしっかりとした
哲学によって、課題が作られています。日本には、すぐれた東洋哲学があるのです。
マインドフルネス心理療法の研究者が、輸入にたよることや形式的な適用を心配しています。次に
述べます。
◆セラピスト・カウンセラーを育成する人には哲学が必要になる
◆カウンセラー(セラピスト、医者)も自己洞察スキルの体験が必要