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反抗する少数の名は歴史に記録される [2018年07月17日(Tue)]
反抗する少数の名は歴史に記録される

少数の人間のイデオロギー、思想、理想、考えを押しつける「エゴイズム」「独裁」は大小の組織で行われます。 最大が国家や宗教などでしょう。中くらいが企業、学校、地方公共団体などです。 小さいのは家庭や小企業、NPOなどでしょう。

カミュの「ペスト」で、メンバーの自由、平等、博愛、人権を抑圧する幹部、それに 迎合する学者、それに従う多数のメンバーやそれに反抗する少数の人がいる構図をみてきました。西田哲学は、組織の悪、個人の悪を言います。組織の悪は、トップ、迎合する幹部、御用学者、迎合する多数のメンバーによって推進されるので、なかなか崩壊しません。しかし、反抗する少数の個人と連帯する少数のメンバーです。敗北することが多いのです。だから、なかなか世界全体はよくなりません。一般庶民の苦悩が続きます。

多数のメンバーの名は歴史に記録されません。 反抗する人の名は、一人でも記録されます。

独裁に反抗する人の名が報道によって記録されました。 中国における独裁に対して反抗するひとが いると報道されました。 独裁国家では投獄されることを覚悟で反抗しています。 日本の戦前もそうでした。

今も、合法的な形で、大小の組織で、個人の自由、平等、博愛、人権が抑圧されています。ただし、エゴイズム、独裁は時間、歴史の進展によって、あばかれ、崩壊します。 それに迎合した幹部、御用学者はあとで名ざしで批判されます。迎合した多数のメンバーはここでも名前はあがりません。反抗する人のようには、よく自分の頭で考えずに、安易に多数派になってしまう人が多い。だから、多数決が民主的かというと必ずしもそうとは限らないと哲学者がいいます。侵略戦争賛成、天皇絶対が多数決でしたが、反抗する少数を排除し弾圧し、内外の人々を死においこみました。多数派になった国民の罪でしょう。トップや幹部が独断的、独裁的である集団は悲劇です。内部では自由を抑圧し、外部には誠実なサービスは低下します。
【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3781


関連する記事です。

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3476
★組織の悪

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3675
★「寺よ、変われ」

http://blog.canpan.info/jitou/archive/3605
<目次>本音の観察

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2228
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3616
★専門家のエゴイズム

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2370
★カウンセラーや精神科医が自分の枠内にとじこめるおそれ

http://blog.canpan.info/jitou/archive/1812
★無視・傍観・軽視・放置・見放される病

http://blog.canpan.info/jitou/archive/2669
★全体主義、画一主義、還元主義
Posted by MF総研/大田 at 06:35 | エゴイズム | この記事のURL
「宗教が邪魔をすることがある」 [2018年07月15日(Sun)]

「宗教が邪魔をすることがある」

 若松さんは、宗教が個人の自由や平等や生きがいを邪魔することがあるといいます。宗教が個人の自由を奪い、差別を合理化するものがあります。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3770
 NHK Eテレビで、13日、宗教が女性を差別していると、命の危険を感じながら、宗教者、国家に反抗した女性詩人、ヒッサ・ヒラルを紹介しました。大変勇気ある女性です。カミュのいうように賛同者がいました。殺せという人もいました。しかし、おかげで、女性が運転免許を得られるようになりました。差別撤廃の一歩です。

 日本でも、宗教の主張が、檀家信者の平凡な悩みの解決支援に消極的であったり、宗教者が市民の支援活動をためらわせることが起きています。 マインドフルネスがブームですが、こうしたものは案外やさしいレベルの悩みなのですが、宗教者はこういうことをあまりしません。 宗教者が、教団の統一見解に従うようにいい、社会貢献的な行動をすることを批判します。宗教者が、学校の教師になったり、医者になったり、被災地の支援にいったり、自殺したくなっている市民の支援活動をすることはいけないことですか。そこにこそ、宗教がある、という説はないのでしょうか。寺の中での、形の修行のところにしか宗教の核心がないのでしょうか。宗教者は市民の悩みを聞いてくれないのでしょうか。宗教も社会内組織です。現代の社会が必要とされることを提供しないのでしょうか。
 末端の宗教者も、自由を抑圧されているようにみえます。本音はどうなのでしょうか。女性詩人のように反抗しないのでしょうか。若い宗教者に、どうすればいいのか、自由に実験してみることを許すことがないでしょうか。

 マインドフルネスがブームになったのは、既存の宗教への反抗でしょう。いろいろな効果が発表されています。こんな悩みさえも支援されないので、人々は寺に行かずマインドフルネスセンターに向かいます。
 昔ならば、禅にむかった若者は、寺に行かずに、マインドフルネスセンターに行くでしょう。今、禅寺に行っている人も、徐々に「マインドフルネスセンター」に移るでしょう。「寺院崩壊」が加速されるでしょう。

 いったん、カミュの「ペスト」を終えます。

 日本には、鎌倉時代から、こんなにすばらしい宗教者がいました。現代の哲学者から絶賛されています。マインドフルネスという視点からも偉大な人です。しかし、市民や心理学者、宗教者などに知られていません。

偉大な哲学者、道元
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3137
【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
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★全体主義、画一主義、還元主義
Posted by MF総研/大田 at 19:19 | エゴイズム | この記事のURL
反抗が敗北に終わるとしても自分に誠実に生きる [2018年07月13日(Fri)]

われ反抗す、ゆえにわれら在り
 反抗が敗北に終わるとしても自分に誠実に生きる

 NHK Eテレビの「100de名著」のテレビ、「ペスト」の第4回は「われ反抗す、ゆえにわれら在り」を見ています。このテーマは、この記事もまもなく、いったん終わりにします。

 反抗するとしても、理を尽くして、穏健に反抗の行動をするのです。偉そうなことを言い苦悩する人を観ず、地位・名誉・収入・重要人物としてあがめられるなど自己満足しているのではなく、現実の苦を観て他のためになることで自分のできることをするのです。解説者の中条さんは、こう言います。

 「カミュは急進的な「革命」ではなく、あくまでも人間的な尺度をもった「反抗」にこだわりました。 革命を強風に、反抗を樹液に喩えて、人間は後者によって粘り強く不条理に立ちむかうべきだと説いたのです。
 たとえその反抗が基本的には敗北に終わるものだとしても、ギリシャ神話のシーシェポスのように、山頂まで運びあげては転がり落ちる岩を何度でもまた運びあげながら、その運命を神のものから人間自身のものに変え、そこに幸福を見出すことさえ可能だというのです。」(p104)

 (注)「マインドフルネス」がブームになったのは、一般市民と心理療法者、医師による教団仏教・学問仏教への批判なのではないでしょうか。開祖(=神のもののごとく基体化)の抽象的な理念から人間自身のもの=現実の痛み、ストレス緩和、うつ病、人間関係苦などを改善する尺度=に。このような現実苦も含まれていたはずですが、失われているのでは?)

 上の中条さんの言葉の続きです。

 「それは不条理との戦いにおいて、敗北や挫折や失敗が人間の条件であるとしても、リウーやタル―やグランや、変化したあとのランベールのように、「自分にできることをする」ことのなかにこそ、人間の希望があるということではないでしょうか。」(p102)

 偉そうなことを考えて、言うだけではなくて、現実に他者のどのような苦を支援する「行動」をしているか。信奉者を賛同することではなく、自分が苦悩する人に直接どんな行動をしているか。反抗者は少数ですから敗北に終わることが多いのですが、それでも反抗するのです。自分がたった一度、この世界に人生を与えられた証として自分に誠実に生きるのです。他者に追随せずに。カミュの主張に似たことをしたのが、道元、白隠、良寛、宮沢賢治でしょうが彼らも「敗北」でした。当時の組織では低い地位か自主的に脱退した位置でした。しかし、反抗的意志を貫きました。
 追随者として生きると、死ぬ時に「自分の人生ではなかった、偉い人の理想に乗った、あの人の人生だった」となるのではありませんか。しかし、自分の本音に従って、偉い人に反抗したが「自分は自分の人生を生きた」と思うのではないでしょうか。

(続く)
【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3781


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★組織の悪

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★全体主義、画一主義、還元主義
Posted by MF総研/大田 at 07:37 | エゴイズム | この記事のURL
否(ノン)という人間=『ペスト』から『反抗的人間』へ [2018年07月12日(Thu)]

われ反抗す、ゆえにわれら在り
 否(ノン)という人間=『ペスト』から『反抗的人間』へ

 NHK Eテレビの「100de名著」のテレビ、「ペスト」の第4回は「われ反抗す、ゆえにわれら在り」を見ています。このテーマも終わりを急ぎます。

  偉い人たち(宗教者も含む)がメンバー全体にイデオロギーや理念を押し付けて市民を苦しめるのがカミュの「ペスト」です。 大きな組織、小さな集団にも、ペスト的人間がいます。それに反抗しないことも「ペスト」です。集団的ペスト。社会全体の幸福を妨害します。無評価ではいけない、個人の意志で反抗せよというのです。カミュの「ペスト」は全体主義、画一主義に反抗せよというのです。初めて反抗の行動をする時は、孤独のようであるが、賛同者がいるというカミュ。

 「一個人を苦しめていた病気が、集団的ペストとなる。われわれのものである日々の苦難のなかにあって、反抗は思考の領域における『われ思う』と同一の役割を果たす。反抗が第一の明証となるのだ。しかし、この明証は個人を孤独から引き出す。反抗は、すべての人間の上に、最初の価値をきずきあげる共通の場である。われ反抗す、ゆえにわれら在り」(p102)

 次は中条さんの解説の言葉です。

 「思考の領域にとどまらず、行動の領域に進んで「われ反抗す」となるのは、単なる思考ではなく、世界のあり方に反抗し行動することが、われらの存在の証となるからです。」(p103)

 内心では、トップ、幹部、多くのメンバーは「おかしい」という本音をいだく、不満の思考を持つ。しかし、自分の独自の意志で深く考えないで同調、追随したり、こわいから反抗しないで、傍観、見捨てる、無視する。反抗の行動をしないので、不十分な状況が続いて、関係するクライアント、顧客、市民などが迷惑する。救われるはずの生命が奪われることもあるのです。適切な対策がとられずに、自殺、殺人、病死。 だから、カミュは反抗せよというのです。「反抗することで、連帯することが可能になる。」(p103)

(このブログも多数派、いろいろな組織にかなり反抗的に見えるかもしれませんね。しかし、カミュによれば、賛同者と連帯できるはずです。私も自殺したかもしれませんが、少数派の人に救われました。お亡くなりになり、ご恩をお返ししていません。記録することがそうなのでしょうか、わかりません。反抗は「敗北するとしても」カミュがいいます。次の記事ですね。)

(続く)
【目次】「自分の中にある悪」アルベール・カミュの『ペスト』
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関連する記事です。

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★組織の悪

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★「寺よ、変われ」

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★専門家のエゴイズム

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★無視・傍観・軽視・放置・見放される病

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★全体主義、画一主義、還元主義
Posted by MF総研/大田 at 21:12 | エゴイズム | この記事のURL
高齢者向け「マインドフルネスこころの健康体操」 [2018年07月10日(Tue)]
高齢者向け「マインドフルネスこころの健康体操」
 =世界で一番やさしく楽しいマインドフルネス

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蓮田市立老人福祉センターで。月2回、もう10年くらい続いています。参加者は、80歳前後の人が中心。最高齢は100歳。
写真はフリフリグッパー。足踏み、腰を左右に曲げる、など、同時に数か所を連動させて動かす、リズム運動。多重処理の背外側前頭前野の活性化運動です。 ここに、マインドフルネスこころの健康体操の説明があります。
http://blog.canpan.info/jitou/archive/3694
Posted by MF総研/大田 at 15:03 | 高齢期 | この記事のURL
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