作用の区別や推移 [2010年02月05日(金)]

作用の区別や推移

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法に応用できるようなところをみている。

作用の区別や推移

 精神疾患になると、自己がわからない状況になる。自己を知るということは自己の種々の作用(感覚、思考、感情、意志などの種々の作用)を知ることである、そして、その作用を統一する自分を知ることである。
     「知覚、思惟、意志、直観というごときものは、厳密に区別すべきものたると共に、相互に関係を有し、その根底にこれ等を統一する何物かがなければならぬ。かかるものをつかむことによって、これ等のものの相互の区別及び関係が明らかにせられるのである。意識作用としては、これ等のほかになお記憶、想像、感情など多く論ずべきものがあろうが・・・。」( 「場所」巻4-272)

     「すべて作用というのは一つの場所が直に真の無の場所に於てあると見られる場合に現われるのである、種々なる作用の区別や推移が意志の立場に於て見られ得ると考えられるのはこのゆえである。」 (「場所」巻4-267)

マインドフルネス心理療法へ

 うつ病や不安障害になると、否定的な思考(思惟)が繰り返される。感情が起きるのがつらいと思考したり、感情を嫌悪して避けるという意志決定をする。精神疾患になると感覚(知覚)、思考、感情、意志など「作用」の区別や推移を知らない人が多い。そのために、治すための「作用」の使い方はもちろんわかっていない。それゆえ、精神疾患を治すための最も基礎となるのが、こうした自己の「作用」の区別や推移を知ることである。直観をとおして、自己の作用を観察して、名前をつけ、その変化(推移)を観察する。西田のいう作用を知るというのは深いものであるが、マインドフルネス心理療法では、こうした作用の識別と推移を観察(呼吸法、日常行動事に)を通して知るトレーニングを行う(機能分析法)。
 西田は「種々なる作用の区別や推移が意志の立場に於て見られ得る」という。すなわち、作用の区別や推移を知るのは「意志」であるということである。マインドフルネス心理療法の機能分析法は、意志作用を活性化させることになっている。マインドフルネス心理療法のトレーニングによって、意志が強く活性化されるのである。不快事象の受容と回避行動の克服には、強い意志が必要である。作用の区別、推移を観察して知ることが「意志」を活性化させている可能性がある。 うつ病や不安障害には、回避、逃避、日常生活の崩壊、無気力など 意志の低下が観察される。マインドフルネス心理療法がこうした精神疾患に 改善効果があるのは、作用を知るトレーニング(機能分析法)、「意志」作用を活性化するゆえだろうか。今後、マインドフルネス心理療法の臨床、研究を重ねて明らかにすべきことである。神経生理学的な観点から言えば、瞬間瞬間に自己の作用を観察すること(直観、反省、自覚)は前頭前野の機能の活性化ではないかと思う。

うつ病は「気分障害」と「意志作用障害」

 うつ病は「気分障害」と称されているが、それは、抑うつ症状に注目したものであり、抑うつ症状がなくなってから、長く「意志の障害」の様相がある。うつ病は複合的な精神疾患である。
 最近の研究で、抗うつ薬は「非常に重症」の患者をやや軽くする効果があるが、重症、軽症には効果があるとは断定できないとされた。抗うつ薬は抑うつ症状、気分の改善の効果はある(責任部位が大脳辺縁系や帯状回か?)が、意志作用など(前頭前野が責任部位か?)の改善には顕著な効果を及ぼすことができないのではないか。うつ病の「意志作用の障害」の回復と再発防止(そして自殺対策に)には、心理療法が必須ではないかと思う。

 (続)
    (注)
  • 上記の(巻x-xx)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店の巻数と頁。
Posted by 埼メンタル協会/大田 at 20:53 | 私たちの心理療法 | この記事のURL
思慮分別を絶した真に直接なる心 [2010年02月04日(木)]

思慮分別を絶した真に直接なる心

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法に応用できるようなところをみている。

思慮分別を絶した真に直接なる心

 =絶対無の場所

 意識される作用のほかに、知らないうちに考えていて、その間考えていることを知らないでいる ことがあるように、意識されないところでも精神作用(意識作用)が動く。作用もある場所が「絶 対無の場所」である。そこにおいては「思慮分別を絶した、真に直接なる心」である。 うつ病や不安障害などは、思慮分別による病気である。すべての人の根底は思慮分別を絶したもの があるのに、これを知らずに思慮分別によって苦悩している。
     「我々の概念的知識が特殊化せられて行くに従って、一歩進んだ特殊は前の一般的なるものを内 に包んで行く、最後にいかなる意味に於てもいやしくも概念的に限定し得られる一般的なるものが 全然内に包まれても、尚判断の主語述語の関係から真に無の場所といふものが考えられる、即ち真 に思慮分別を絶した、真に直接なる心というものが残るのである、かかる場所に於てある ものが真に直覚的なるものである、自己自身を見るものである。」(「左右田博士に答ふ 」巻4-318)

マインドフルネス心理療法へ

 うつ病や不安障害は、自分自身を知らずに、日々起きる出来事を思慮分別によって嫌悪的な思考 を繰り返すので病気を維持悪化させるという側面がある。(かかる思考がストレスホルモンを分泌 して前頭前野、海馬などを変化させて症状が起きるという脳神経生理学的な要因も関係している。 )
 そこで、治す方針は、「自己自身を見る」自己を知ることである。思慮分別をせずに、あるがま まを見て、作用を知る、それが自己を知るということである。感覚、思考、感情、意志などの「作 用」を正確に知る。なぜなら、そういう作用を起している時は、それが自己だからである。 こうしたことがマインドフルネス、アクセプタンスの技法になっている。自己の作用をあるがまま に観察し、知ることができれば、不快事象も自己なく場所としてのここに起きる「作用」と作用の対象のどれかであり、あるがままの様子を知るこ とができるようになって、思慮分別による思考をしなくなって、精神疾患が治癒する。

 (続)
    (注)
  • 上記の(巻x-xx)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店の巻数と頁。



Posted by 埼メンタル協会/大田 at 18:37 | 私たちの心理療法 | この記事のURL
創造的世界の創造的要素 [2010年02月03日(水)]

創造的世界の創造的要素

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法に応用できるようなところをみている。

創造的世界の創造的要素

 =行為的直観の特徴

 通常「見ること」(直観)と「働くこと」(行為)を対立的なものと考える傾向があるが、直観 と行為とは、相互に依存的な関係にある、相互に補う関係にある。行為が直観であり、直観が行為であるというのが行為 的直観である。行為的直観にはいくつかの特徴があるが、その一つが自己は「創造的世界の創造的要素」であるということである。
     「我々は我々の歴史的身体の行為的直観に於て物を道具としてもつ、その極限に於て世界が道具 となる、世界が自己の身体の延長となる。しかしそれは同時に自己が消え行くことであり、自己が 否定せられることである。しかも我々の歴史的身体は創造的要素であり、我々の自己は創造的であ る。ゆえに我々の働きは行為的直観であり、働くことは見ることである。我々の自覚は意識的では ない。創造的なる所に、真の自覚があるのである。」( 「論理と生命」巻8-332)
 現実の世界は「作られたものから作るものへ」と不断に自己を形成していく創造的世界であると 考える。我々の個人は、世界の一員であるから、世界の創造的要素である。世界は不断に発展していく創造的世界である。その世界を創造するのは人である。 我々の自己は創造的世界の創造的要素であるので、行為的直観は同時に世界が世界自身を形成して いく自己形成の形なのである。

マインドフルネス心理療法へ

 我々の見ること、行為することという日常行為が行為的直観として、世界を作っていく、我々の 行為が環境、世界を変えるのである。それは、我々、自分が世界の要素であるからである。我々は 世界の外にいるのではない、世界の一部である。だから、自分の行為によって、家庭環境、職場環 境を作る、変える。自分が無茶なことをすれば家庭が崩壊する。自分が不快なことがあっても受容して建設的に行動すれば幸福な家庭が維持される。家庭が拡大されていけば地域、職場、日本、世界となる。個人の行為なくして世界は動かない。自分は世界の中にいる。
 すべての人、自己が創造的世界の創造的要素であれば、精神疾患を病む人でも、その行為によって家庭を変える、家族 が変わる。自己が変わることで家庭が変わる。家庭が変われば、直観されて自分が変わる。家庭が変われば、自分にとっての環境が変わる、自分へのストレ スが変わる。自分の行為によって、家庭、職場、世界が変わる。 家庭、職場、世界が変わると、自分へのストレスが変わる。家庭や世界を変えるのに自分が関与し ている。これをよく理解すれば、心を病む人も行動するかもしれない、ゆえに、1人1人が「創造的 世界の創造的要素」であり、自分の問題を治すために行動しよう、環境を変えようという。
 実際、うつ病も不安障害も行動を 活性化することが症状の改善になる(アメリカの行動活性化療法=BA)。自己が行動的になる、運動をすれば、それを見る家族が喜ぶ。自己の症状改 善にもなることが、家庭も明るくする、家族が社会でいきいきと活躍できる。それを見る自己は明るくな る。特に、家族の手伝い、自分でもできる社会貢献の行動は、まさに社会を世界を創造する行為であり、症状の改 善効果が高いようである。「一隅を照らす」ということを言った人がいる。すべての人がすぐ自分の場所を明るく照らせば、世界のすべての人がそうすれば、世界全体が照らされる。
 西田幾多郎の上記の文に「自己が消え行くことであり、自己が 否定せられることである」というが、自我の対立的な見方をしないで(自己が消え行き)、事態をあるがままに直観して(自己を否定して客観のみとなり)、自己の作用を客観的に知り、社会生活から逃避せず、行動していくのである。

 (続)
    (注)
  • 上記の(巻x-xx)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店の巻数と頁。



Posted by 埼メンタル協会/大田 at 21:52 | 私たちの心理療法 | この記事のURL
カウンセラー講座 [2010年01月30日(土)]
★カウンセラー講座に仮の申し込みをしてくださいました方へ

マインドフルネス心理療法の基礎講座(「自殺防止・うつ病治療の心理相談員」養成講座 )は、4月17日から、埼玉県さいたま市与野で開催します。仮の申し込みのあった方に、メールでおしらせいたしました。正規のお申し込みをお受けいたします。 メールをご確認ください。なお、 メールでリンクを表示しましたが、うまく表示されません。 ⇒こちらをご覧ください。

 キャンセル待ちの方がいらっしゃいますので、キャンセルを決定されておられるかたはできるだけ早く、キャンセルの旨、ご連絡いただけますと幸いです。
Posted by 埼メンタル協会/大田 at 08:17 | 私たち | この記事のURL
絶対矛盾的自己同一<3、他愛が自愛、真の自愛が他愛> [2010年01月29日(金)]

絶対矛盾的自己同一<3、他愛が自愛、真の自愛が他愛>

 =マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法に応用できるようなところをみている。

他愛が自愛、真の自愛が他愛

 現実は絶対矛盾的自己同一であるという。矛盾、対立するものがそのままで自己同一である。自 己を愛することと他者を愛することとは対立すると見られるが、真の自愛は即ち他愛であるという 。うつ病になると自愛を失い「自己嫌悪」を強めて、極限に自殺する。 自己と世界は矛盾的自己同一であり、自己嫌悪の極限がこの世の嫌悪となり、この世と自己を消す 。 自愛は他愛、他愛は自愛だという。自愛があれば、うつ病は治るだろう。 自愛は他愛、他愛は自愛だというならば、自己嫌悪は他者嫌悪であり、他者嫌悪は自己嫌悪である 。嫌悪が強いとうつ病になる。うつ病の解決へのヒントがあるだろう。
     「我々の自己と考えられるものは自己自身を愛するものでなければならない。愛の自己限定とし て自己というものがあると考えられるのである。そして真の愛というのは自己自身を否定すること によって自己自身を肯定することである、自己に死することによって他に生きることである。自愛 と他愛とは固、別のものではなくして、ノエマ的限定とノエシス的限定の関係を有って居るのであ る。ノエシス的限定なくしてノエマ的限定なき如く、他愛なくして真の自愛というものはない。」 (巻6-288)

     「我々は肉体的自己を脱却して永遠の無に接すると考えられる時、そこに我々は個人的自己を失 うのではなく、歴史人として却って真の個人的自己を有つのである。かかる意味に於ける個人に於 ては、自愛は即他愛であり、愛の自己限定が直に当為でなければならぬ。・・・
    自己自身を否定することによって自己を見出す即ち死することによって生きるという愛の限定には 、当為が含まれていなければならない、厳粛なる義務が含まれていなければならない。 自己自身に死するということは、自己の欲求を否定することを意味するのである。しかし欲求の方 向に死することは、真の自己に生きることでなければならぬ。」(巻6-291)

     「絶対の愛と考えられるものは、之に於て無数の時が限定せられる永遠の今ということができる 、時を包み時を成立せしめる空間と考えることができる。我々は他愛によって自己を否定するので なく自己を見出すのである。我々は自愛によって他を否定するのでなく他を見出すのである。 」(巻6-236)

     「愛の限定というのは自己を棄てることによって自己を見出すことである。現在が現在自身を限 定するという時の限定というのは、かかる意味に於ける愛の限定によって基礎附けられていなけれ ばならない。」(巻6-257)
   ノエシス的とは作用的、主体的、見る、包む方向で、ノエマとは対象的方向、客観的方向、見ら れる方向、包まれる方向を意味する。
 真の愛というのは自己自身を否定することが自己を肯定することである、自己に死することによ って他に生きることである。母の子に対する愛を見ればわかるだろう。 客観と主観が矛盾的自己同一である。自己根底の「絶対無の場所」に他者がある。愛は自己を空し くして他者を包みこむ。自己のうちに他者を包み、そこに自己を見出す。他を愛することが自愛と なる。自己なくして自己根底の場所において他者と同一であるから他者を愛することが自愛となる 。真の他愛は、自己自身に死すること、自己の欲求を否定することを意味する。 エゴイスト、ストーカーの如く、他者を嫌悪させて自己の欲愛を強制するのは真の自愛ではない、 他愛ではない。

マインドフルネス心理療法へ

 うつ病は自愛の喪失である。他愛を失うのは他者嫌悪である。うつ病は、自愛、他愛が深く関係 している、薬物療法だけでこういう心理を変えるのは限界がある。
 他者を愛することが、(絶対矛盾的自己同一的に)自愛である、他者の喜びが自己の喜びである 。自己も他者も創造的世界の創造的要素であるから、自己の愛が他者の愛となるためには、世界から見て の愛でなければならない。自己と他者は絶対矛盾的自己同一である。 他者を愛することが自己を愛することとなるためには、自己を空しくする、自己否定が条件となる 。夫婦愛、親子愛、同僚愛などの問題がある時に、解決の方針は、自己を空しくして相手を包むこ とだろうか。
 他愛は自己愛である、他者嫌悪は自己嫌悪である。他者嫌悪、自己嫌悪のどちらもうつ病を招き 寄せる。対人関係の悪化によるうつ病が多い。他者がひどい仕打ちをする場合もあるだろうが、他 者を嫌悪することによってもうつ病になる、他者嫌悪が(矛盾的自己同一的に)自己嫌悪であるか ら、他者を嫌悪しても、自己嫌悪、自己無価値感の症状のあるうつ病になる。絶対矛盾的自己同一 の哲学的には、当然の論理である。他者嫌悪は即ち自己嫌悪である。うつ病は他者嫌悪によるうつ 病でも、自己において嫌悪、現在の自己状況の嫌悪否定の思いが即座に現われる。悪化すると環境 嫌悪となり社会に出ていくことができなくなる。さらに悪化すると生きる世界から消える欲求が起 きる。
 治す方針は、他者のひどい仕打ちが社会的な支援で排除、緩和できるならば、それを実施すべき である。そのほか、本人にできることは、他者の不快なことも、自己の不快なことも包み受容する ことである。嫌悪の思考を自覚して対処することである。 自己の根底の「絶対無の場所」に他者も自己も包みこむ。嫌悪の評価とは思惟(思考)作用である が、嫌悪の評価をせずに映す。「絶対無の場所」からの愛の実践であるから、他愛、自愛であるか ら、うつ病の症状である「他者嫌悪、自己嫌悪」の思惟を超越する。自己も他者も創造的世界の要 素である、自己が他者を愛することは世界が世界を愛することである。嫌悪的世界であったものが 愛すべき世界となる。
 嫌悪も愛も、他のあらゆるものが自己根底の「絶対無の場所」において現われる。不快なことも 他者のふるまいも自己を空しくして、自己を殺して(無評価であること、我見、自我の差配のない こと)、そのままに映し包むことで自己を自覚し、自己を知ることになり、自由意志で建設的な行 動を選択する。自己を生かすことになる。

 (続)
    (注)
  • 上記の(巻x-xx)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店の巻と頁。



Posted by 埼メンタル協会/大田 at 18:17 | 私たちの心理療法 | この記事のURL
自殺3万人・連続12年 [2010年01月29日(金)]
警察庁が2009年の自殺者数を公表しました。警察庁のホームページに掲載されています。 2009年の自殺3万2753人、前年より504人増で、連続12年、3万人以上です。  本当に悲しい状況です。従来の対策だけでは不充分です。 新しい支援制度が望まれます。うつ病、不安障害、依存症、統合失調症などが治らないのも自殺の大きな要因です。うつ病、不安障害、依存症などは薬物療法だけでは治りにくいです。 うつ病はあらゆる心理的ストレス、悩みから起こりますので、すべての家族、親戚に発病する可能性があります。薬では完治しにくい病気です。1,2回の相談では治りません。精神科医に紹介しても、薬物療法には限界があります。 短期間でも苦しい病気であるのに、長引くと追い込まれます。経済面ばかりでうつ病になるのではありません。経済的支援ばかりでなく、メンタルな面の研究、支援をしていただきたいと思います。
Posted by 埼メンタル協会/大田 at 08:02 | 自殺防止対策 | この記事のURL
知識・思惟は直観に基づくべき [2010年01月27日(水)]

知識・思惟は直観に基づくべき

=マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法に応用できるようなところをみている。

知識・思惟

 ストレスのある出来事に遭遇すると、思考によって精神疾患になり、精神疾患になると「思考」 が否定的になる。思考はすばらしい文化を生むが自分を苦しめることもする。精神疾患になるとな らないと関係なく、自分の思考についての特徴を知らないことが多い。精神疾患になるとなおさら 思考について知らず、思考によって症状を悪化させる。「思考」の作用を知ることは「自己」を知 ることである。西田幾多郎は思考についてどう言っているか。

思惟は真であるが内容は実でない

思惟、すなわち、考えるということは、真である、内外の事実が考えられる。思惟の真っ最中は、 主客の分裂はない、内容は主客対立である。つまり、思惟の作用は実在であるが、内容は真ではな いかもしれない。
     「私が考える内容が真であろうが偽であろうが、私が考えるということは真であり、内的事実も 此に於いて考えられ外的事実も此に於て考えられるのである。 そこには未だ主客の分裂はない、否主客の対立も此に於て考えられるのである。」( 「無の自覚的限定」巻6-172)

直観から思惟へ移る

 人は、対象的な認識から内界を知ると思うかもしれないが、対象認識は実在ではないので、 思惟のような対象認識から直観を得ることはない。逆である。内部知覚、直覚があって、それを反 省思惟して知識が生まれる。直観に基礎付けられた知識である。
     「人は無造作に対象認識から反省によって内界を知ると考えるが、限定せられた今の立場から 限定する今の立場に還ることはない、対象認識の立場から自覚の世界に還ることはできない。自覚 というものの成立するには、私が上にいった如く感官的意義を有する内部知覚というものがなけれ ばならない、かかる直接なる知識の立場があってこそ此に還るということができるのである、対象 認識というのも固此から出立したものなるが故である、之に基いたものなるが故である。」(「無の自覚的限定」巻6- 143)
 直観は無意識的であるが、意識されて思考に移り行く直観は絶対無の場所が自己のうちに直観を 映す、それが無限に続く。直観からそれを反省した知識が出るが、思惟からその内容の直観は生ま れない。もちろん、思惟しているうちに思惟が破れて直観に移るが、その直観は思惟とは無関係で ある。
    「純客観的なる意味とか存在とかいうものと思惟作用とは全然離して考えることはできぬ。意識せ られなかった純客観的の意味とか実在とかいうものが意識せられるということは、此等のものが思 惟作用として我々の意識内に働くということである。主観的には我々が思惟作用に移り行くことで ある。感覚的経験によって外界を知ると考えるときその実我々は感覚の作用から思惟の作用に移り 行くのである。」 (「意識の問題」巻3-17)

     「直観とは超作用的に主客合一という如きことではなく、場所が自己の内に自己を映す無限の過 程でなければならない。故に思惟から直観へではなくして、直観から思惟へである。」 (「自覚について」巻10-507)

考えは現実から出るべき

 直観が実在を映すので、直観を離れた思惟は真ではなく空虚である。しかし、直観も反省思惟で 自覚されないと知識にならない、「思惟のない直観は盲目的である」、見落とされる、具体的知識 とならない。だから、思惟は、現実、事実、直覚的なものから出立しなければならない。 目前の事実によらない思考は無駄である。嘘である可能性が高い、予期不安の思考も内容は目前の 事実ではない。しかし、思考作用は現実に動いた、事実と錯覚しておびえる。
     「無限なる関係の網を離れて、直観というものがあるのでなく、真理の決定せられる所に、直観 がなければならない。直観のない思惟は空虚であり、思惟のない直観は盲目的である。具体的思惟 は一面に直観を含み、具体的直観は一面に思惟を含んでいなければならない。」(「自覚について」巻10-529)

     「我々の考えは現実から出立せなければならぬ。我々が物を考えるというのは、既に現実に於て 考えて居るのである。」 (「行為的直観の立場」巻8-126)

マインドフルネス心理療法へ

 思考の作用は実在であるが、思考の内容は現実にはないものがしばしばである。直前の直観を反 省して自覚した思惟、反省的思惟は事実の一面をとらえるが、直観から離れた思惟は嘘である。た とえば、はなを見て(直観)、「花」と反省した時、「花」(魚ではなく)という情報(一部であ る)は得るが、花びらのいろ、かたちなどの豊かな情報はない。直観には豊かな情報があるが、思 惟は貧弱である。だが、直観が反省されないと知識にならない。
 精神疾患の患者は、否定的思考、予期不安などの思考を起こす。内容が真実ではないことを知ら ない。不安についての直観的知識がない。不安についての知識がないので、事実によらない思考を 繰り返して社会的な行動を回避する。
 うつ病や不安障害になると、事実、直観に基づかない思考を、過去の想起、予期不安、自己の否 定などの思考を繰り返す。そういう直観によらない思考から症状を悪化させる。こうした思考の空 転の習慣を治すために、みだりに思考を回転させない訓練を行う。目前の事実に注意を集中して生活する。思考や感情、症状としての内臓 感覚などを直観から離れずに反省し映して観察(自覚)することを日常生活の中で多く行う。この ような実践によって、自己の意識現象(感覚、思考、感情など)の直覚に基礎づけられた「知識」 を獲得する。自己の意識現象を正確に知ることになる。こうした自己の正確な知識(無評価の観察 による直観的な叡智)を獲得することによって、遭遇するストレス事象を冷静に観察して建設的な 行動を選択(意志)していくことによって、症状が軽くなる。
 そのような、いわば、心の使い方を変えていくので、再発しにくいのである。トレーニングの期間中に前頭前野などが回復することが起こると推測される。

 (続)
    (注)
  • 上記の( 頁)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店。



Posted by 埼メンタル協会/大田 at 22:24 | 私たちの心理療法 | この記事のURL
薬物療法で治りにくいタイプの「うつ病」 [2010年01月27日(水)]

薬物療法で治りにくいタイプの「うつ病」

 うつ病や不安障害が長引いていると、苦悩が深まって自殺が起こりえます。うつ病や不安障害になって薬物療法を受け ても治りにくい人がいる割合が高いということは数年前から報告されていました。
下記のような記 事があります。
 ついに、今年、抗うつ薬は「非常に重症」という段階を少し軽くする効果があるにとどまるという研究報告がありました。 では、完治まで至った人が2−3割いるのはなぜかという疑問があるでしょう。そういう人は、薬以外に何かをした可能性があります。運動、料理、ボランティア活動、カウンセリングを受ける、行動的になる、呼吸法、規則正しい生活(早寝、早起き、朝ごはんを食べる)に変えた、などです。そういう、何か前頭前野や帯状回、海馬などが活性化することをやったために完治した可能性があります。
 アメリカ、イギリスなどでは認知行動療法やマインドフルネス心理療法でうつ病を 治すことをしています。もちろん、認知行動療法でも100パーセント治るわけではありません。心理療法には課題 の実行が不可欠であるためです。それでも2,3割治療効果が高く、再発防止には効果が高いことが臨床試験で確認されています。だから、心理療法を試してみる価値があります。
 日本では、認知 行動療法やマインドフルネス心理療法を安い自己負担で受けられる場所が少ないのが問題です。国 、自治体、事業所が理解して支援していただきたいと思います。うつ病、不安障害には身体症状(頭痛、胃痛など)もあって、内科を含む薬物療法によるコストが自治体の健康保険の負担になっています。一生、精神症状、身体症状を治療する薬を服用すれば、膨大な予算が必要です。副作用も心配です。うつ病が治れば、自治体にとっても家計にとっても幸福なのです。

地域の方が認知行動療法を受ける施設推進の運動を

 うつ病や不安障害、依存症は慢性化しています。ひきこもりの原因でもあります。当事者でないと動きがにぶいです。国が認知行動療法のできる対策を始めてもベテランが育つのに2,3年かかります。そちらの地域にカウンセラーが住んでくださるかわかりません。 ご家族が現地に認知行動療法を受けられるような運動を起していただきたい。

早期に心理療法の開始を

 認知行動療法、マインドフルネス心理療法は自主的な課題の実行が半年から2年続きます。逃避、回避、行動しない習慣が長期間にわたった人は、カウンセリングの課題さえも回避、さぼる傾向があるかもしれません。うつ病や不安障害は、発病後、早いうちに(半年から2年以内)認知行動療法を受けることが大切です。高校、大学で不登校になったら、早いうちに心理療法を受けるのがいいと思います。社会に出てからのストレスは学生時代よりも強いでしょうから、学生時代にストレス対処法を学び、うつ病、不安障害の再発はしない心を作っておかないと社会に出てから、うつ病、不安障害が悪化するおそれがありますから。 うつ病、不安障害、過敏性腸症候群、あがり症、依存症などは、できるだけ早いうちに心理療法を受けて、心の使い方を変えるべきです。薬物療法だけではなおりにくいので、発病したら大変長い間、苦しむおそれがあります。

薬物療法で完治する割合は高くない記事の一覧

Posted by 埼メンタル協会/大田 at 08:57 | うつ病 | この記事のURL
彩の国いきがい大学鷲宮学園で講演 [2010年01月26日(火)]
彩の国いきがい大学鷲宮学園で講演
1月25日、埼玉県、東鷲宮町で、講演させていただきました。 うつ病が薬物療法で治りにくいこと、認知行動療法で治る人がいることを お話しさせていただきました。

Posted by 埼メンタル協会/大田 at 20:45 | 私たち | この記事のURL
主観と客観が自己同一 [2010年01月26日(火)]

絶対矛盾的自己同一<2、主観と客観が自己同一>

 =マインドフルネス心理療法と西田哲学

 マインドフルネス心理療法の救われる構造を西田幾多郎の言葉で簡単に見ている。 西田幾多郎は<自己>を哲学的に記述した。哲学は心理療 法ではないが、マインドフルネス心理療法と似たように、自己や精神活動について記 述している。 マインドフルネス心理療法に応用できるようなところをみている。

絶対現在は主客未分

 現実は絶対矛盾的自己同一であるという。矛盾、対立するものがそのままで自己同一である。主 観と客観も絶対矛盾的自己同一である。主観と客観の区別を否定する。見られるもの(客観、環境 、世界)と見るもの(主観、自己)が同一である。
 我々が見たり、聞いたりする事実そのものは主観客観がわかれていない時である。絶対現在、今の自己におい ては主観、客観が同一である。「絶対無の場所」において、自己同一である。
     「真に事実そのものと考えられるものは、自己自身を限定する今そのものの内容として、 主客未分以前の表現的内容の意義を有って居る。」 (巻6-175)
 事実そのものを経験している時、主観客観が分離していない。自己もなく客観もなく、事実ある のみである。
     「「此鳥」が飛ぶというのではなく、「此鳥が飛ぶ」という事実があるということである。未だ いわゆる時間空間の意味に於いて、此時此場所というのでもない、私のいわゆる今の自己限定から いわゆる時間空間が限定せられるのである。まだ「此鳥」として言表の内容が外に考えられて居る のでもなければ、此事実を見て居る「私」というものが内に考えられて居るのでもない。 唯かかる命題によって言表せられる事実そのものが、自己自身を限定する今の内容として自己自身 を見て居るのである。かかる事実を見て居るいわゆる私というものも、かかる事実に即して限定せ られるのである。私のいわゆる事実そのものがあるというのは主観に於いてあるのでもなく、客観 に於いてあるというのでもなく、永遠の今の自己限定の内容として、直に自己自身を見、自己自身 を言表する意味に於いてあるのである(原始歴史の事実である)。・・・ 真の自己は単に自己を了解するものでなく、働きによって自己自身を事実的に知るものでなければ ならぬ。」(巻6-168)
 自己を無にした時に、事実そのものを知ることができる。
     「我々の個人的自己の尖端に於いて自己が自己を失ったと考えられる所に、真の事実というもの が見られるのである、即ち無にして見るものの自己限定の内容として事実的なるものが見られるの である。直観の内容と考えられるものはすべて事実的なるものでなければならない。」 (巻6-111)

マインドフルネス心理療法へ

 西田幾多郎によれば、私たちは自分自身を知らない。順調に行った人は自己の真相を知ることな く死にゆくのである。だが、うつ病や不安障害、依存症などになるのは、自己を知らない間に、自 己を知ることなくしては乗り越えられないほどの試練に遭遇した不幸な人である。だが、現実は矛 盾的自己同一である。不幸な人が幸福になる。自己や世界の真相、事実を知るチャンスなのである 。
対象を自分と対立する嫌悪的なものと見て否定的な思考を繰り返すから、現在の事実を失って、現 在に生きることなく、思考の渦に巻きこまれているから社会生活が阻害される。
 苦悩の対象はすべて、対象的に見れば客観である(実は自己根底では対立していない)。「自分はこういうものである、価値がない」というのも「対 象思惟(思考)である、客観である。客観がすべて「絶対無の場所」という自己の場所にあるもの であり、すべてのもの、苦悩も人も職場もすべて、矛盾的自己同一的に「自己」である。自己の外 にあるのでは対処法が難しいが、自己ならば対処法がある。自己の外にある他者は変えることができないが、自己の内にある他者は変えることができる。これが、マインドフルネス心理療法のポイントである。
 矛盾的自己同一であるから、うつ病や不安障害の苦悩の対象を自己を空しくして、無にして、見 るのである、自己の場所にそのまま映すのである。無評価で映し、その事実を知るのである。そう すると、事実は脅威的ではない。それで、苦悩の思考の渦から離れて精神疾患が治癒する。すべてが自分に映るものとみて、無評価で映し受け入れる訓練を続ける。自分の生命である客観、世界を否定しない。
 誰でも、西田幾多郎のいうような「自己」「世界」を知らない。だから何かストレスがあれば、うつ病となり自殺も起きる。60歳以降の自殺も非常に多い。自己を知らないことによる悲劇は中学生から定年後までどの年代にも起きる。すべての人が「自己」を知ることによるストレス対処法を身につけるほうがいい。

 (続)
    (注)
  • 上記の( 頁)は、西田幾多郎全集、昭和40年、岩波書店。



Posted by 埼メンタル協会/大田 at 20:21 | 私たちの心理療法 | この記事のURL
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