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NO・2010「中東で拡大するか悪の連鎖」 [2011年06月30日(Thu)]
 中東世界がいま激しく揺れている。大衆蜂起から革命へ、あるいは内戦の継続、国内不安定化といった言葉が、何処の国にも見られる、状況にある。
 そうした中では、連鎖反応が起こり、解決しうる問題が、解決できない方向に、向かうことがある。それを懸念して、大分前の段階で、リビアのカダフィ大佐による大衆蜂起への、力による対応を懸念した。
 現実には、大衆の意向を力で抑え込もうとする動きが、リビアの例にならってか、アラブ各国で起こっている。イエメンの場合はまさにそれであろう。初期の段階で、リビアのカダフィ大佐とイエメンのアリー・サーレハ大統領は電話で、事態への対応を協議しているが、両者は力によって抑え込もう、ということで合意していたのではないだろうか。
 シリアでも力による対応が中心であり、見せかけの政府による、反体制派へのアプローチはあるものの、問題の根本的解決につながる、動きではなさそうだ。バハレーンの場合も、サウジアラビアを始めとする湾岸諸国の、軍隊派遣を頼みに、力による対応を選択した。・
 これまでのところ、力による対応は一定の成果を、生んでいるのかもしれない。リビア、イエメン、シリアの体制は、いまだに持ちこたえているからだ。ただし、この力による対応手法は、多くの国民を犠牲にする、ということでもあるのだ。
 もう一つ見え隠れし始めた、悪の連鎖が中東地域にある。それは、核兵器開発の悪の連鎖だ。イランが平和利用目的と説明し、国際社会の反対を、無視している核開発が、やがてはイランに核兵器開発、核兵器保持につながるとして、イスラエルは以前から警戒し、警告を発し続けてきている。
 イランが核兵器を開発し、それを最初に使用することになれば、そのターゲットになると予測されるのは、サウジアラビアであろう。イランとサウジアラビアとの関係は、最悪な状態にあるからだ。
 最近になって、イスラエルハイランがここ1年以内に、最低でも1発の核兵器を、製造することになるだろう、という予測を発表した。イスラエルはイランが核兵器を手に入れる前に、何とかしてそれを阻止したいと考えている。
 その情報の飛び交う中で、サウジアラビア政府は『もしイランが核兵器を製造することになるのであれば、自国も核兵器を所有することに、やぶさかでない。』という強硬な立場を明らかにしている。もちろん、サウジアラビアは完成品の核兵器を、金に糸目をつけず買うということであろう。そうなると他のアラブの国々も、それに続くのではないか。この悪の連鎖を止める英知は、存在しないのか。
Posted by 佐々木 良昭 at 16:16 | この記事のURL
NO・2009「イエメンでも負け犬の味方はしないだろう」 [2011年06月30日(Thu)]
 他の幾つかのアラブの共和国と同様に、アラビア半島の東南端に位置するイエメンでも、政情不安が起こって久しい。その流れのなかで、アリー・サーレハ大統領が彼の宮廷のモスク(イスラム教の礼拝所)のなかで、大怪我をした。述べるまでも無い、その理由は反政府側によって、攻撃を受けたからだ。
 攻撃が行われた後、アリー・サーレハ大統領は急遽、治療のため隣国サウジアラビアに入った。サウジアラビアから漏れてくる情報によれば、アリー・サーレハ大統領は身体の45パーセントに、火傷を負うという、重症であるとのことだった。
 その後に伝わってきた情報では、身体の一部がひどい火傷で、炭化しているということだった。つまり、一命は取り留めたものの、アリー・サーレハ大統領にはほとんど、回復の見込みがない、ということだった。
 しかし、アリー・サーレハ大統領はそう簡単に、政治の舞台から降りるわけにはいかなかった。重症説が伝わる中で、しばらくすると、アリー・サーレハ大統領が近日中に帰国、という情報が流れ始めた。
 この情報は、イエメンのアリー・サーレハ大統領側が、流したものであり、相当に政治臭の強い、信ずるべきではない情報、として受け止めた。状況から判断して、アリー・サーレハ大統領が、大統領職に復帰できるとは、到底思えなかったからだ。
 案の定、それからしばらく経過した6月29日、イエメンからテレビ局のクルーが、サウジアラビアに向かい、アリー・サーレハ大統領の声明を録画し、放送するという情報が流れてきた。つまり、アリー・サーレハ大統領はとても帰国できる状態ではない、ということが証明されたわけだ。
 それでは何故、そこまで無理をしてまでも、アリー・サーレハ大統領はイエメン国民に対して、声明を発表する必要があるのだろうか。それは、アリー・サーレハ大統領の復帰が不可能だということになれば、イエメンの内乱は一気に方向を、変える危険性があるからだ。
 今のところ、3人の息子たちと大統領支持派の政府幹部が、かろうじて権力を維持しているが、大統領が復帰不可能となれば、一気に反政府側が元気付くであろう。つまり、現政権が持たなくなる、危険性があるということだ。そのため、アリー・サーレハ大統領は無理を押してでも、イエメン国民に対し、声明を流さなければならない、ということであろう。
 しかし、とても元気な姿をテレビの映像で、流せる状態ではないのではないか。何らかの工夫をして声明を発表するのであろうが、その際に、テレビ・クルーはアリー・サーレハ大統領の負傷の様子を、目の当たりにするであろう。そのことは、必ずイエメン国民に、知れ渡っていこう。
 つまり、アリー・サーレハ大統領が一か八かに賭けた、ということではないか。つまり重症を負ってなお、敢然と自分の地位を守り通そうとする、大統領に対して、イエメン国民が支持することに、賭けたということだ。しかし、この賭けは全く逆の結果を、もたらす危険性もあろう。
 溺れる犬を棒でつつき、溺死させようとする者がいる、負け犬に石を投げる者がいるのと同様に、アリー・サーレハ大統領時代の終焉を、声高に唱え始める者が出てこよう。可能性は後者、つまり、アリー・サーレハ大統領の賭けは失敗に終わる確率の方が、高いのではないか。
 つい最近、イエメン人のジャーナリストが訪日した。その際に、二人で話し合ったのは、イエメンの場合も他のアラブの国の場合も、体制派と反体制派の対立の根底には、部族間対立があるということだった。つまり、アリー・サーレハ大統領が失脚するようなことになれば、イエメンは民主的な国家になっていくというよりも、国内の部族間の武力衝突が、拡大していく可能性の方が、高いということだ。
 リビアの場合も同様で、部族間対立が本当の理由であり、それは富の配分が最も重要な、争いの原因になっているのだ。外国の支援や介入、反体制派支持は、そのアラブの国が民主化していくことを、望んでではなく、自国の利益に繋がるような体制が、出来上がっていくようにするため以外の、何ものでもないのだ、それが国際政治の現実なのだ。
 イラクの場合も、リビアの場合も、シリアの場合も、イエメンの場合も、強力なリーダーがいればこそ、部族間の武力衝突を防いで来れたのだ。つまり、独裁者の存在は、必要悪の部分が多分にあるのが、アラブ世界なのだ。その独裁者が存在しなくなったときは、漬物石を取ったのと同様に、内部は混乱の度を増していくのが、ほとんどであろう。そう考えると、イエメンには今後、当分の間、希望も平和も豊かさも、民主主義もありえないということであろう。
Posted by 佐々木 良昭 at 00:02 | この記事のURL
NO・2008「アラブにもいい話はある」 [2011年06月29日(Wed)]
 アラブといえば石油やガスの成金趣味、戦争や内紛の話ばかりのように思えるのだが、必ずしもそうではない。今回出張で出かけたアラブ首長国連邦のひとつ、アジュマーン首長国では、ほのぼのとした光景を見ることが出来た。
 笹川平和財団の松長昭さんが、偶然知り合ったアブドルアジーズ氏を、訪問するという話が持ち上がって、出かけたのだ。私にはアブドルアジーズ氏について、現地に入るまでは、特に強い興味があったわけではなかった。
どちらかと言えば、アラブ首長国連邦を構成する首長国で、石油もガスもない国には、いまだに古くからの伝統が、残っているのではないか、ということの方に興味があった。だが実際に行って彼に会い、行動を共にし、話し合ってみるとなかなかの好人物であることがわかった。
彼はトヨタのランクルを自ら運転して、彼が運営している幾つかの慈善組織を、案内してくれた。成人女性を対象にした裁縫学校や、伝統治療院、病院、薬の再利用センターなどだった。
そこまでは別に驚かないのだが、実は非常に経済的な、配慮をしていることに気がついたのだ。例えば、薬の再利用センターでは、病院が支給し、患者が使い残した薬で、使用期限が過ぎていないものを集め、それを無償で提供しているのだ。
薬は種類ごとに、きちんと仕分けられ、棚に並べられてあった。そのうちのひとつを手に取って彼は『この薬は糖尿病の薬で高価なものです。もったいないと思ってこうしているんです。』と説明してくれた。
湾岸諸国のなかでも、アラブ首長国連邦は金持ちの国、石油が出ない首長国にも、資金は潤沢に流れ込んでいるのにもかかわらず、彼はそうした工夫をしているのだ。ややもすれば、アラブ人は見栄っ張りで、金があることをことさらに強調したがるのだが、彼はそうではなかった。
彼の倹約振りは、レストランに招待してくれたときも、ハッキ示された。通常アラブの金持ちは、客を招待すると、人数の3〜4倍の料理を注文するのだが、彼は1・3倍程度しか注文しなかった。もちろん、われわれには何の不満もなかった。十分に腹いっぱいご馳走になれたのだから。
その後お茶を飲みに行ったときも、お菓子とアイスクリームも適量だけ注文した。少しアイスクリームが残ったので誰か食べろよと私が言ったところ、彼はそのうち息子たちが来るから、残しておいていいんだと言った。
遅れてきた子供たちは、その残っていたアイスクリームを、何事もない顔で食べていた。つまり、彼と彼の家族は何時も、無駄をきちんと省いて、生活しているということだ。
彼にはアジュマーン首長国が、どのような状況にあるのかが、はっきり分かっているのだ。産油国からの資金供与があるうちは豊かなのだが、それは外交上問題が発生すれば、たちまちにして干上がってしまうのだ。だから、きちんと自身が率先して、無駄を省く教育を子供にし、社会にも無駄のない慈善活動の仕方を、教えているのだ。お見事としか言いようがない。
実はこのアブドルアジーズ氏は、44歳の首長国で王位継承権3番目に位置している、大変な高位の人物だったのだ。彼の正式名称はシェイク・アブドルアジーズ・アルヌアイミなのだ、つまり彼は王家の人物だったのだ。
しかも、その彼が隣のドバイ首長国の人たちからも、慕われている好人物であることが分かったのは、エコ展示会が開かれている会場に、一緒に出かけたときだった。多くの観客が彼を見かけると視線を向け、担当者たちは玄関まで出迎え、大歓迎で会場を案内していた。
お見事としか言いようがない、日陰の気温が48度にもなるアジュマーン首長国で、彼と出会ったことで、爽やかな印象を受けた。こうした人物がリードする国にこそ、日本は協力の手を差し伸べるべきではないのか。
油乞い外交が一時期非難されたが、その姿勢は現在でも変わりない。みえみえのもの欲しがり外交では、国際社会のなかで、大人の印象を与えることは出来まい。外国に行くと『侍の国、紳士の国、礼節の国の人』として迎えられるのだがこれに応えうる外交官は日本にいるのだろうか?ビジネスマンには?ちょっと自信が持てない。せめてそうありたい、と実感した視察の旅だった。
Posted by 佐々木 良昭 at 00:24 | この記事のURL
帰国しました [2011年06月28日(Tue)]
6月27日無事帰国しました。
同日はアルアラビーヤテレビの番組製作デレクターとジャーナリストの講演会がありそのまま職場に出ました。さすがに少し身体にこたえたような気がします。明日から中東TODAY 頑張るつもりです。-----
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Posted by 佐々木 良昭 at 00:47 | この記事のURL
海外出張のお知らせ [2011年06月21日(Tue)]
6月22日から6月27日までアラブ首長国連邦の構成国であるアジュマンを訪問して来ます。
アジュマンに出かけるおは初めてですが、石油もガスも出ないアラブ首長国のアジュマンが、現在どのような状況なのか興味深いです。
アジュマンにはアラブ首長国の構成国である各首長国が持っていた、原形が残っているかもしれません。
興味深いことに遭遇出来たら報告します。
Posted by 佐々木 良昭 at 16:42 | この記事のURL
6月22日から6月27日までアラブ首長国連邦の構成国であるアジュマンを訪問して来ます。 [2011年06月21日(Tue)]
6月22日から6月27日までアラブ首長国連邦の構成国であるアジュマンを訪問して来ます。
アジュマンに出かけるおは初めてですが、石油もガスも出ないアラブ首長国のアジュマンが、現在どのような状況なのか興味深いです。
アジュマンにはアラブ首長国の構成国である各首長国が持っていた、原形が残っているかもしれません。
興味深いことに遭遇出来たら報告します。
Posted by 佐々木 良昭 at 16:39 | この記事のURL
NO・2007「アサド大統領は悲劇の主人公」 [2011年06月21日(Tue)]
 故アサド大統領には、力強く彼の後を継げる長男がいた。彼の名はバーセル、映画から出てきたような、マッチョな若者だった。しかし、彼は交通事故で死亡した。その後を継いだのが、学者肌の次男バッシャールだった。
 バッシャールは若い時期に、長男との権力争いが起こらないように、という父親の配慮から、外国に留学させられ、博士号を取得して帰国した。しかし、彼を待っていたのは、彼が学んだ分野とは程遠い、血なまぐさいシリアの、政治の世界だった。
 しかも、その故アサド大統領の後継者となった、バッシャールを手ぐすね引いて待っていたのは、バッシャールをおむつをしていた時代から知っている、父の盟友たちであり、そしてその盟友たちの子息たちだった。
 盟友たちや彼らの子息たちは、シリアの国内にある権益を、上手に配分し、特権階級を形成していたのだ。その盟友たちはバッシャール・アサド新大統領と、もう一人の故アサド大統領の子息、マーヘルとを上手に使い分けていたようだ。
 今回のシリア国内動乱では、バッシャール・アサド大統領の穏健路線は、全て否定され、盟友たちが吹きこんだ、マーヘルの強硬路線が採用されているようだ。これでは、バッシャール・アサド大統領が意味のある打開案を、提示できるわけがないのだ。
結果的には、騒乱以来、3度目のバッシャール・アサド大統領の演説は、不発に終わった。あるいはシリアの国内状況を、より悪化させたのかもしれない。シリアの大衆と外国政府は、彼の演説に失望したのだから。
このことは、中東に幾つも存在する権力構造が、このシリアにもあったということだ。権力内部には、大統領の子息に強硬派と穏健派がいて、それぞれを支援する権力内グループが存在する。あるいは権力内グループは、上手に強硬路線と穏健路線を、コントロールしているのかもしれない。
結果的に、大統領は今回の場面では、強硬路線の方向に舵をきらされ、妥協が生まれずに、崩壊していくことになる。トルコのギュル大統領はぎりぎりでの、シリアの多党制実現を提案し、エルドアン首相はシリアには、大改革が必要だと言ったが、そのアドバイスはシリアの何も変え得まい。
アメリカのオバマ大統領はトルコを通じて、シリアに圧力をかけ、路線変更をさせたい姿勢を示しているが、本音の部分では、もうシリアの体制との妥協は考えていまい。バッシャール・アサド大統領に残されたのは、体制崩壊までの、わずかな時間だけであろう。
Posted by 佐々木 良昭 at 13:31 | この記事のURL
NO・2006「エジプト議会選挙遅延の可能性大」 [2011年06月20日(Mon)]
 大衆革命によって、ムバーラク政権が打倒されると、その次は公正で民主的な選挙がおこなわれ、エジプトの社会は政治も体制も生まれ変わる、という夢があった。しかし、それは夢でしかないようだ。
 革命がいつの間にか、軍のクーデターに取って変わり、表面的には大衆による革命と思わせられているが、革命の後で実権を握ったのは軍部だった。それが何より証拠には、現在、エジプトで最高の権限を握っているのは、タンターウイ国防大臣であり、彼が指揮する軍最高評議会だ。
 その大衆と軍との隙間で、あたかも自分たちが主役のように、はしゃぎまわっているのが、ムスリム同胞団であろう。彼らは9月に予定されている選挙では、議席の相当数を確保できる、とほくそ笑んでいる。
 しかし、それには障壁がある。憲法改正前に選挙を実施するか、あるいは憲法改正後に選挙を実施するか、ということだ。現段階で、選挙をやればムスリム同胞団は、古くからある組織であり、絶対的に有利だが、憲法が改正されるまでには時間がかかり、その後には、新たな民主的な各グループが、しっかりした政党を、結成していることであろう。
 今回の革命の主役だった民主化各グループは、憲法を改正した後の選挙を、要求しているし、ムスリム同胞団は憲法改正前、つまり一日でも早く、選挙が実施されることが、自派にとって有利だと踏んでいる。
 そうしたなかで,イッサーム・シャラフ首相が憲法改正後に、選挙をすべきだと言い出している。つまり、予定されていた9月選挙は見送りたい、ということのようだ。それは軍部の意向でもあろう。軍は世俗的な組織であり、本音ではムスリム同胞団の大幅な台頭、は許したくないだろう。
軍最高評議会も大衆の声として、あくまでも憲法優先を打ち出す、それを首相が発言したということであろう。こうしたなかで、ムスリム同胞団はどのような手を打ってくるのか。ムスリム同胞団は暴力的側面も、持った組織であることを考えると、今後、エジプト国内では、テロが増えるかもしれない。
Posted by 佐々木 良昭 at 17:00 | この記事のURL
NO・2005「サダム・フセイン大統領は永遠なり?」 [2011年06月19日(Sun)]
 2003年にアメリカ軍がイラクに侵攻し、サダム・フセイン体制は打倒された。その後、2003年12月13日彼は逮捕され、裁判にかけられた。そして2006年12月30日、サダム・フセインは絞首刑に処せられた。
 アメリカがサダム。・フセインは、大量兵器を製造している、隠匿していると世界的な大宣伝をした後に、始めたイラク戦争は、実際には大量破壊兵器を、見つけることが出来なかった。そして、アメリカはイラク戦争の目的を、独裁者からイラク国民を、解放することに摩り替えた。
 以来、8年の時が経過しているが、イラク国内状況はいまだに不安定であり、毎日のようにテロによる死傷者を、生み出している。結局のところ、イラクのマリキー首相は、アメリカの軍事力の保護の下になければ、自分の地位も生命も財産も、危険であることから、アメリカ軍の駐留延長を、要請する始末だ。
 そうしたなかで、マリキー首相は何とか、サダム・フセインのイメージを消し去りたい、と考えているようだ。マリキー首相の政策が失敗し続けているなかでは、サダム・フセイン時代のバアス党が、復活してくる危険性が、高いからであろう。
 そのため、イラク国内にある建物から、サダム・フセインの名を消すように命令した。しかし、どうもこの命令は、履行不可能なようだ。なぜならば、建物のレンガから建物を飾るタイルまで、全てにサダム・フセインあるいは『SH』(SADAM・HUSEIN の頭文字)という文字が、焼き付けられているからだ。
 もし、サダム・フセインの名を建物から消そうとすれば、建物そのものを破壊しなければならないことになる。しかし、これらの建物は相当な資金が投入されて、建てられているため、国家の貴重な財産である。
 そこで、マリキー首相はサダム・フセインの名を消すために、貴重な建物を破壊するべきか、残すべきかに悩んでいる、ということのようだ。
 同じようなことは、エジプトの場合にもある。巨額の資金を投入して建てられた、ムバーラク時代の建物には、全て彼の名があらゆるところに、記されている。それをいちいち消すためには、莫大な手間と時間と費用がかかることになるのだ。
 サダム・フセインの亡霊が、建物の破壊を許さず、彼の名を永遠に留めるかもしれない。しかし、いいではないか。独裁者の名前が残っていれば、国民は二度とそれを許すまい、と思うであろうから。
Posted by 佐々木 良昭 at 23:07 | この記事のURL
NO・2004「反体制派リビア人の複雑な心境と今後」 [2011年06月19日(Sun)]
 リビアの内戦も大分時間が経過した。そのなかで、毎日数十人もの、死傷者が出ている。それは、人口600万人のリビアにとっては、大きな痛手であり、将来への不安であろう。
 なかでも若者の犠牲は、将来のリビアの可能性を、縮小させてしまうからだ。そうは言っても、戦闘に参加しているのは、主に若者であり、無差別攻撃で犠牲になるのは、老人そして女性や子供が主体だ。
 国際報道に添付されている写真を見ていると、子供たちが死亡したものや、身体の一部を失ったものが少なくない。ある一枚の写真は、6〜7歳の女の子がワンピースを着て横たわっているものだった。片足が包帯で巻かれていた。実はよく見るともう片方の足がないのだ。その子はこれから一生、片方の足だけで生きていかなければならないのだ.
 そのような青年や子供たちの犠牲を、リビアの人たちは毎日、目の当たりにしているのだろう。ある反体制派の幹部が、アメリカ軍の介入は絶対お断りだ、と言っていた。当然であろう、イギリスやフランスは、リビアの体制派と反体制派が、話し合いを始める段階で介入し、軍事攻撃を始めてしまった。結果的には、話し合いの余地が、彼らによって断たれたのだ。
 アメリカ軍が介入した内紛は、いずれも血みどろの犠牲を生んでいる。ボスニアの内戦などは、その典型であろう。リビア人のなかにも、そのことを知っている人は多数いよう。アメリカ軍が介入すると、軍事大国だけに、大量の武器兵器を、惜しげもなく使うからだ。
 リビアの内戦はこう着状態であり、何とかこれを打開しなければならない、とイギリスやフランスそしてアメリカは言うが、それはリビアを早急に、支配したいからであろう。
 その後には、勝利の果実が、手に入ると思っているのであろう。もし、イギリスやフランスそしてアメリカが、もう一度監視の下で、リビアの体制派と反体制派に話し合いのチャンスを与えてみてはどうだろうか。
 正直なところ、リビア人のほとんどは、もう内戦なんか止めたいのではないのか。それを介入した国々が、自国の利益のために引き伸ばし、カダフィ側を非難し、反体制側が全て正しい,と決め付けているのではないのか。
 だから,リビアの反体制派の幹部が,これ以上の外国の介入は断りたい、アメリカには介入して欲しくない,と言っているのであろう。その発言者は,イスラム原理主義者ではなく,普通のリビア国民であろう。そして,彼の発言はリビアのほとんどの国民の声を,代表しているのではないのか。
Posted by 佐々木 良昭 at 01:15 | この記事のURL
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