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NO・1936「リビア対応でアメリカの真意は何処に」 [2011年03月31日(Thu)]
 ニューヨーク・タイムズが伝えたところによれば、リビアの東部ベンガジに本部を置く反カダフィ勢力には、危険な要素があるというのだ。同紙の伝えるところによれば、反カダフィ勢力の中には、アルカーイダと関係のあるグループも、紛れ込んでいるというのだ。
 また、イスラム原理主義者のグループも、関係あるということだが、それは当然であろう。なぜならば、これまで何度か書いてきたように、リビア東部にはイドリス王制の時代、実はサヌーシー運動の、盛んだったところだからだ。
 サヌーシー運動とは、イスラム教の一派であり、サウジアラビアのワッハーブ派と(原理主義)と、密接な関係にある集団だ。したがって、リビア東部で反カダフィ闘争が始まった段階から、この動きにサヌーシー派が関係していたことは、否定できないし、場合によっては彼らが、反カダフィ闘争の主体である可能性もあるということだ。
 問題はなぜこの段階になって、カダフィ大佐に有利な発言を、アメリカ政府の高官が、始めたのかということだ。アルカーイダを目の敵にしてきた、アメリカ政府と国民は、今回の発表を機に、一気に反カダフィ派支援をやめ、カダフィ大佐擁護に回るように、なる可能性があろう。
 そこで考えられるのは、イギリスとフランスの暴走を阻止しないと、アメリカは完全に漁夫の利を得られなくなる、という経済的理由。そして、アメリカ国民の厭戦気分によるのではないか。アメリカの世論調査によれば、半数のアメリカ国民は、リビアへの軍事介入に、反対だということだ。
 そして、それ以外に考えられるのは、トルコのリビアに対する秘密交渉が、しかるべき段階に達し、妥協点が見えてきたのではないか、ということだ。つまり、カダフィ大佐は権力者の立場から退き、民主的なリビアの新しいリーダーを大統領とする、新体制に入るということだ。
 その場合、カダフィ大佐の子息サイフルイスラ−ム氏も、大統領候補として立候補することを認める。彼が当選するか否かは、リビア国民の決める問題とし、外部が介入することはやめる。
 カダフィ大佐のその後の処遇については、本人の希望に任せ、カダフィ大佐が希望するならば、トルコは亡命(移住)を認めることとする。トルコは内紛後リビアの経済発展に、しかるべき権益を持つことになる。
 アメリカはリビアの内紛を治めることに協力し、代償として石油資源とアフリカ大陸への、影響力を拡大する軍事基地を、リビア国内に獲得する。そのことは中国のアフリカ大陸への台頭を阻むものとなる。ということではないのか。
Posted by 佐々木 良昭 at 15:12 | この記事のURL
NO・1935「本音が見えてきたリビア攻撃」 [2011年03月30日(Wed)]
 カダフィ大佐の圧政下で、それに抵抗して立ち上がったリビア国民が、政府軍によって大量に虐殺される、危険性が高まっている。したがって、国連はこの虐殺を防ぐために、リビアに飛行禁止区域を、設定しなければならない。
 素晴らしい、誰もが納得のいく説明だった。結果的に、国連はリビアに飛行禁止区域を設定したが、そのことは同時に、リビアに対する軍事行動を、起こすことを認める、という意味を含んでいた。
 述べるまでもなく、飛行禁止区域が確実に、飛行を禁止できるようにするためには、リビア国内のミサイル基地、空軍基地などを、潰さなければならなかったからだ。そして、フランスは国連の飛行禁止区域設定合意ののち、間髪をいれずにリビアに対する、空爆を始めている。
 その結果、カダフィ軍には怯みが見え、大幅に後退するという、現象が生まれた。ベンガジを本部とする反体制側は、破竹の勢いで西進して行った。もうこうなると、カダフィ体制が打倒されるのは、時間の問題だろうということが、多くの人たちによって語られるようになった。
 しかし、その後、カダフィ大佐はリビア国民人に対し、反攻を叫び、結果的にリビアの軍事情勢は、一進一退というこう着状態に入って行った。これでは相当の時間が経過しない限り、決着がつかないと考えて、あせったのはイギリスとフランスであろう。
 時間がかかるということは、戦費もかかるということだからだ。そこでイギリスのロンドンで、リビア問題を巡る国際会議を、開催することが決められ、会議は「リビア国民へのよりよい将来」と命名され開催された。
 会議から流れてきた情報を見ていると、露骨にカダフィ体制打倒後の、分捕り合戦が始まっていることを、感じさせられる。イギリスもフランスも、リビアでの権益獲得に向けて、活発に動き出しているのだ。例えば、フランスはリビアの東のベンガジ市(反体制派の本部がある)に、大使を派遣することを決定し、それを国際社会に伝えた。
 このイギリスとフランスの動きを受け、リビアの反体制派も「カダフィ体制の終焉は時間の問題だ。」と勢い込んでいる。そればかりか、反体制派は戦争でカダフィ大佐が死ぬのでも、国外逃亡(亡命)するのでもなく、あくまでもリビア人によって捕まり、裁判にかけられるべきだ、と主張し始めている。
 それは、カダフィ体制が打倒された後には、必ずカダフィ大佐を捕まえ、裁判にかけ、処刑するということを意味しているのだ。その場合、イラクのサダム・フセイン大統領のように、長期間に渡って刑務所に留め置くのではなく、早急に処刑されるのではないか。
 そうでなければ、カダフィ大佐もまた、サダム・フセイン大統領と同じように、戦いの後のリビアが、生き地獄だと語るかもしれないからだ。死刑執行人が叫んだ「地獄に堕ちろ!」という言葉に対してサダム・フセイン大統領が語った「今のイラクが地獄ではないのか」という言葉は、多くのアラブ人の記憶に、いまだに留まっているからだ。それが、その後のイラク内乱の、エネルギーの一部に、なっているのではないか。
 イギリスとフランスのはしゃぎまわる、という表現も当てはまりそうな動きに対し、アメリカも出遅れることを、気にし始めたようだ。オバマ大統領は反体制派への武器供与や、軍事行動を正当化する発言を始めている。
 トルコもまた、仲介の努力を続ける一方で、ダウトール外相が「NATOはカダフィに現実を伝えるために圧力をかけるべきだ。」と発言し、軍事力行使の必要性を認めている。
 トルコはいまの段階に至ってなお、カダフィ大佐の亡命を受け入れるのであろうか。あるいはリビア国民 (反体制側)の意向し沿って、裁判の場にカダフィ大佐が引きずり出される状況を、許すのであろうか。リビアの反体制の蜂起と、その後の内乱はすでに、その最終段階にまで至っている、ということだ。
Posted by 佐々木 良昭 at 14:08 | この記事のURL
NO・1934「カダフィ大佐の最後を決めるかロンドン会議」 [2011年03月29日(Tue)]
 3月29日からイギリスのロンドン市で、リビア問題を討議する会議が、38カ国以上の代表を集めて開催される。会議の名は「リビア国民へのよりよい将来」というのだそうだ。
 実際にはこの会議で、リビア国民のよりよい将来よりも、カダフィ大佐をどう始末するかに、討論は集中しそうだ。既にイギリスのキャメロン首相や、フランスのサルコジ大統領は、大はしゃぎしている。
 彼らの口から出てくる言葉は「カダフィ大佐を一時でも早く、リビアから追い出せ」「カダフィ大佐を待っているのは、国際司法裁判所の判決だ」といったものだ。
 既にこの二カ国は、カダフィ大佐打倒後のリビアの権益を、どう分け合うかについて、秘密の話し合いに集中しているのではないか。それだけイギリスとフランスの経済状態は、悪化しているのだ。
 イギリスはイギリス在住の人物、例えば、サヌーシー国王の末裔などを抱え込んでおり、これらの手持ちの人物の中から、誰かをロンドン会議に出席させることによって、利益を確実なものにしたい、と考えているようだし、フランスはフランスで、ベンガジに本部を置く臨時政府の代表を、呼びたいと思っているようだ。
 リビアの旧宗主国であるイタリアも、このイギリス・フランス間の秘密取引から、除外されてはなるものかとばかりに、「国際社会はカダフィ大佐を受け入れることが、出来なくなった。」という厳しいカダフィ大佐批判を行っている。
 こうした賑やかな欧州諸国の反応に比べ、アメリカは意外に穏やかな、反応を見せている。しかも、アメリカは土壇場でリビア作戦の指揮権を、NATO軍に移譲しているのだ。
 つまり、アメリカは応分の支援を、イギリスやフランスに送るつもりではいるが、決定的な段階にまでは、足を踏み入れたくない。そして、わずかに残った平和的な解決の可能性に対しても、努力してみたい、ということではないのか。その可能性への試みのパートナーは、トルコだということであろう。
 トルコは既にご紹介してきたように、カダフィ大佐側に対し、妥協の道を示している。その妥協にカダフィ大佐と彼の家族が乗らなければ、カダフィ大佐はNATOによる空爆か、リビア人の手で処刑されることに、なるのではないか。
Posted by 佐々木 良昭 at 14:52 | この記事のURL
NO・1933「エジプトの冗談のような本当の話」 [2011年03月27日(Sun)]
 大衆の蜂起が、遂に30年を超えるエジプトの現代のファラオ(王様)を、その栄光の座から引き摺り下ろすことに成功した。これはまさに、大衆の勝利以外の何モノでもない。
 しかし、現実はどうもそうではないようだ。大衆が立ち上がった原因とされる失業問題、経済問題、生活苦、汚職、、、。そのどれが革命(?)後に、解決されたのだろうか。あるいは解決される糸口が、見えたのだろうか。答えは「何も見えない」ということではないのか?
 そして権力はいまだに、軍の最高評議会にあり、その最高評議会が進めた憲法改正を、一番有効に活用しようと考えているのは、ムバ−ラク大統領時代の与党である国民民主党と、ムスリム同胞団の自由公正党だけではないのか。
 大衆が結成した4月6日運動も、ガド党も革命の担い手だった青年層も、権力からは相変わらず、遠い位置にいるようだ。
 そうした庶民のフラストレーションの解消に、ムバーラクの名を冠した、あらゆる建造物から、ムバーラクの名前を剥ぎ取ることで、役立てようとしているのかもしれない。その行動がいま活発に、エジプト社会で広がっている。
 学校、図書館、各種の賞、橋やビルの名前には、幾つもムバーラクあるいは彼の次男ガマール、あるいは彼の妻スーザンの名が冠せられているのだ。それを一つ一つ取り剥がしていくには、相当の時間がかかるかもしれない。
 今のエジプト庶民の楽しみは、ムバーラクの代わりに、どんな名前を付けるかを、考えることのようだ。革命の中心地となったメイダーン・タハリール(自由広場)が、それらの名前のなかで、最もポピュラーなようだ。
 エジプトに限らずアラブ世界では、祭日にイード・ムバーラクという言葉を、交わすのが慣わしだが、このムバーラクも使わないことにしよう、と言い出す人も現れ、イード・ムバーラク(祭日おめでとう)に代えて、イード・サイード(幸福な祭日)という言い方が、流行ることになりそうだ。
 400人あるいは500人の死者を出した、ムバーラク打倒の大衆蜂起の結果は、改名ごっこと、祝日の挨拶を変えることのみで、終わるのではないか。いままでのエジプトの社会習慣から考えても、公務員の安給料から考えても、庶民の生活苦を考えても、汚職が消えるとは到底考えられない。カラミーヤ(施し)という美名の賄賂は、ムバーラク後もエジプト社会のなかに、しぶとく生き残っていくのではないか。
 失業の解消の可能性は、社会不安のために観光産業が停滞し、逆現象を起こしていようし、経済問題の解消も、先進各国の経済状況が悪化していることから、援助の増額を期待できない以上、改善されるとは思えない。
 エジプトの大衆蜂起(革命)は、つまり何モノも庶民にはもたらさなかったということではないか。庶民が手にしたのは、革命による自由と発展という幻想でしかなかったのであろう。それはチュニジアも同じだろうし、これから本格的に展開されていくであろう、リビアやイエメンでも、バハレーンやヨルダン、シリアやパレスチナでも、同じではないのか。
Posted by 佐々木 良昭 at 18:32 | この記事のURL
NO・1932「報道の信憑性と体制の命運」 [2011年03月27日(Sun)]
 シリアのアサド体制が父から子に受け継がれてから、既に11年の歳月が経過しているということを、今回のシリアの反政府運動を機に思い起こした。既にそんな時間が過ぎ去っていたのだ。
 シリアのアサド体制は、父ハーフェズの時代にも、子バッシャールの時代にも、決して国民にとって歓迎できるものではなかった。国民に対し厳しい対応を採ることによって、アサド体制は体制を維持し続けて来れた、というのが正しい判断であろう。
 その厳しい国民に対する締め付けが効相して、これまで体制が保たれてきたシリアも、チュニジアとエジプトの大衆蜂起の影響を、受け始めている。シリアの首都ダマスカスの南部、ヨルダンに近いデラアの街で、反体制デモが始まり、次第にシリア各地に広がりつつあるようだ。
 反体制デモはデラアの街に加え、シリアの主要港のひとつであるラタキア市、かつてハーフェズ・アサド大統領の時代に、3万人を殺害するという、大虐殺が起こったハマ市、ホムス市、そして首都ダマスカス市でも起こっている。
 シリア政府はこの反体制の大きなうねりを、真剣に受け止めたようだ。シリアの体制が最も警戒している、イスラミストを刑務所から釈放する、という決定が行われたことが、それを裏付けていよう。
 シリアのアサド大統領はシリア国内で、10パーセント程度を占める、シーア派マイノリテイのアラウイー派であり、シリア国民のほとんどはスンニー派なのだ。しかも、シリアのスンニー派の中には、ムスリム同胞団のメンバーが、非常に高い割合を占めているのだ。
 今回ラタキア市で始まった反政府デモは、そのムスリム同胞団のメンバーであり、エジプトからカタールに亡命している、著名なイスラム法学者カルダーウイ師の、金曜礼拝での講和の後だった。
 カルダーウイ師は「今日革命の機関車は、遂にシリアに到着した、殺害される者が出れば、革命は勝利に繋がろう。」と語ったのだ。つまり血の犠牲が出れば、国民は激高し、体制は打倒されるということだ。間接的ではあれ、彼はデモ参加者のなかから、犠牲者が出ることを期待したのだ。
 このカルダーウイ師の発言を受け、シリアのスポークス・ウーマンであるシャアバーン女史は「難民キャンプから武器を持ち込んだパレスチナ人が、デモ隊に発砲したために、犠牲者が出たのだ。」と反論し、ラタキアのデモはカルダーウイ師の講和の後に始まったことから「カルダーウイ師がデモを扇動したのだ。」と非難している。
 シリアのアサド体制が民主的であるか否かは別にして、このシャアバーン女史の発言には、真実があろう。確かにカルダーウイ師の発言は、デモを扇動したと思われるし、カルダーウイ師にはデモを扇動する、意志があったと思われる。彼はエジプトでムスリム同胞団として活動し、遂にはカタールに亡命した、バリバリのムスリム同胞団のメンバーであり、シリアでは多くのムスリム同胞団のメンバーが、逮捕され投獄されているからだ。
 革命は一発の銃声から始まる、とはよく言われる言葉だが、シリアの場合もデモを過激化していくために、然るべきグループのメンバーが発砲し、デモ隊に犠牲者を出させた、と考えても不思議はあるまい。
 もちろん、このことについて真実を確かめる手段はない。多分将来もこのことについては、明らかにならないだろう。もし、革命が成功すれば、体制側が発砲した、という認識が固定化するだろうし、逆に体制が維持されれば、政府側の警察や軍人によるものではなく、あくまでもデモを扇動する側の、仕業であった、という認識が定着しよう。
 世界の報道は事実の確認が出来ないままに「デモ隊に対する発砲は体制側による。」というものになりやすい。いずれにしろ、今回の発砲事件はシリアの今後にとって大きな意味を持つことになりそうだ。
Posted by 佐々木 良昭 at 12:08 | この記事のURL
NO・1931「エジプト・ムスリム同胞団躍進と問題点」 [2011年03月26日(Sat)]
 中東地域、アラブ諸国が軒並みにいま、大きな転換点に立っているとは、ご存知だろう。その大変革の波は最初、若者たちによってツイッターやフェイスブック、パソコンで始められたこともご存知であろう。
 しかし、現段階では、主役は青年層から、イスラム勢力に代わりつつあるようだ。なかでも、エジプトの場合にはムスリム同胞団の動きが、活発になってきている。ムスリム同胞団は憲法の改正を急ぎ、自分たちの組織を有利に展開すれば、権力を奪取することが出来る、と考えているようだ。
 ムスリム同胞団が最初の大統領選挙に、独立候補を立てないと発表にたが、その裏には、ムスリム同胞団のしたたかな計算が、働いているのかもしれない。当初、ムスリム同胞団は軍の最高会議との、協力路線を打ち出し、革命後に結成された憲法の改正などを話し合う、合同委員会に参加している。 
 次いで、ムスリム同胞団は次回大統領選挙に、独自の候補を立てない、とも発表している。ムスリム同胞団のスポークスマンであるエリアン氏は、「ムスリム同胞団はあくまでも同組織のアイデアを広めることと、組織の価値を知ってもらうことにある。」と語っている。
 果たしてそうであろうか。多分、ムスリム同胞団は革命達成後、政治組織としての性格を明確にし、権力奪取を狙っていることを、エジプト社会に示すことは危険だ、と判断しているのではないか。
 そのため第一には、最も手ごわいエジプト軍との、協力と信頼関係を構築し、その後にエジプトの各層、各宗教を取り込んでいく、ということを考えているのであろう。
エジプト軍との関係では既に記したように、軍の最高会議が用意した、新エジプト建設のための合同会議に、率先して参加し、協力意志を十分に示している。 
そのことは、国内が混乱から解放されることを望む、軍部にとっては、極めて歓迎すべきことであったろう。エジプト国内で10万人を超える、動員力を持っている組織は、ムスリム同胞団だけだからだ。つまり、ムスリム同胞団とエジプト軍部は、同床異夢の関係に、あるということだ。
ムスリム同胞団はエジプトの社会にも、宥和政策をアピールしている。ムスリム同胞団員に限定しない「自由公正党」を組織している。この自由公正党には、コプト・キリスト教徒も加盟できるし、女性も歓迎するというものだ。
もしいま、エジプトで国会銀選挙が行われることになれば、ムスリム同胞団は少なくとも、3分の1の議席を獲得するだろうというのが、一般的な予測だ。ムスリム同胞団は革命後の、ドサクサの中で進められた、選挙に関する法改正を急ぎ、憲法改正の側に投票したのは、こうした事情があったからだ。
こうして述べると、ムスリム同胞団があたかも磐石の態勢で、前進しているかのように思え、明日にも、エジプトの国家権力を、一手に握るように思えるのだが、ことはどうもそう簡単ではないようだ。
ムスリム同胞団が進めている、自由公正党への党員勧誘の上で、非ムスリム同胞団メンバーに、党員資格を与えるということによって、内部では意見の対立が始まったのだ。
もし額面どおりに、同党の党規約を理解すると、ムスリム同胞団が結成した自由公正党が、非ムスリムも執行部のメンバーに、入れなければならなくなるからだ。そのようなことになると、ムスリム同胞団の、過去から現在に到る全ての機密書類が、彼らによって知られることになろう。
表面的には、女性もコプト・キリスト教徒も、執行部メンバーになることを、禁じないとしているが、そう簡単な話ではなかろう。このことが重大な問題となっているために、ムスリム同胞団はいま分裂の危機にある、とまで推測する専門家たちがいるのだ。権力に近づくということは、これまで発生しなかったような、各種の新たな問題を、生み出すということであろう。
Posted by 佐々木 良昭 at 15:41 | この記事のURL
NO・1930「オマル・モクタールの孫が語る反カダフィ」 [2011年03月26日(Sat)]
 多分、このブログをお読みくださっている、読者の皆さんはご存じないと思うが、リビアの革命といえば、欠かすことの出来ない人物がいた。彼は「砂漠のライオン」というあだ名がつけられ、イタリア側から恐れられていた。
 イタリアがリビアを植民地支配している時代に、イタリアに対する独立闘争を展開し、最後にはイタリア軍に捕まえられて、絞首刑(1931年処刑)に処せられた人物だ。オマル・モクタール師が逮捕され、処刑されたのは、彼が73歳の高齢(当時のリビアとすれば)に達したときだった。
 その後、リビア人の間には独立の精神が高まり、第二次世界大戦が終了した1951年に、リビアは王国として独立することが可能となった。オマル・モクタール師は言わばリビアという国家の、生みの親のような人物であり、リビア人はカダフィ大佐を含め、彼を無視することも、否定することも出来ない。
 イタリアの圧制に対する抵抗の中で、8万人のリビア人が殺されたのだから無理もあるまい。その抵抗独立闘争を指揮し、先頭に立って戦ったのが、オマル・モクタール師なのだ。
 そのオマル・モクタール師(1858年生まれ1931年死去)の孫が、今回のリビア動乱の中で口を開いた。その発言の持つ意味は、大きいと思われる。彼はオウド・モクタールという名の69歳の男性で、現在はビジネスを展開している。彼はイギリスのエクスター・スクールを卒業している、西側先進国で教育を受けたインテリだ。
 彼オウド・モクタール氏は「もし自分の祖父が生存していたら、カダフィ体制打倒に立ち上がっただろう。」と発言したのだ。
 オウド・モクタール氏が言わんとするところは、現在のカダフィ体制はリビア国民の敵だということだ。ところが、そのカダフィ大佐が、オマル・モクタール師をリビア革命の、大先輩として尊敬し、自分はその次のリビア革命の指導者だ、と位置づけているところに問題がある。
カダフィ大佐はオマル・モクタール氏の肖像を、10デナール紙幣に用い、自身の肖像画は50デナールに用いることによって、自分自身と自身の革命に、威厳を持たせようとしたようだ。
 オマル・モクタール氏の孫が、カダフィ大佐を完全にリビア人の英雄でも、革命の指導者でもないと切り捨て、それどころか、リビア国民の敵だと位置づけ、打倒すべきだと発言したのだ。
 このオウド・モクタール氏の発言は、今後、NATO軍の攻撃と合わせ、ボデー・ブローのようにじわじわと、カダフィ体制にダメージを、与えていくのではないか。
Posted by 佐々木 良昭 at 11:56 | この記事のURL
NO・1929「トルコの困難なリビア対応」 [2011年03月25日(Fri)]
 トルコがいま非常に難しい、立場に立たされている。それは、リビアに対するNATOの対応に、どう関与するかということだ。トルコは唯一のイスラム教徒国家である、NATOのメンバー国だ。それだけに、ことはますます複雑になっている。
 イスラム諸国やアラブ諸国の中では、今回のNATOによるリビアに対する攻撃は、石油資源を奪うことが第一目的であり、最終目的だとする捉え方が、一般的になっている。
 つまり、NATO諸国が主張しているような、カダフィ軍による反政府国民を救うための攻撃、という論理は認められていないのだ。実際に、トラブルが始まった段階で、カダフィ大佐側が使ったのは、催涙弾でしかなかったのではないか。
 それが結果的に、実弾や爆弾による攻撃に変わっている。その裏の事情について語られているのは、トルコがアメリカとカダフィ大佐の仲介を行い、カダフィ大佐が権力の座から降りることによって、この問題の解決を図ろうとしていたということだ。一説によれば、カダフィ大佐はそれを受け入れたのだが、NATOによる攻撃が開始されたことによって、全ては台無しになってしまった、ということだ。
 いまトルコにとって問題なのは、リビアとの間に膨大な額に上る、大型プロジェクトの契約事業があるが、それが帳げしになるのではないかということと、未払い金が取れなくなるのではないか、ということであろう。
 もう一つの問題は、リビア国内にはリビアの石油収入の御利益に与かろうと、リビアに出稼ぎに行った人たちが、いまだに80万人もいるということだ。もし、都市部への攻撃が激化すれば、彼らが空爆など軍事行動の、危険にさらされることと、やがては、食料や水が手に入らなくなる、可能性が高いということだ。
 トルコはこうした事情から、リビア攻撃が持ち上がった段階で、真っ向から武力行使に反対してきた。そして、ついに軍を派遣することになるのだが、その目的はあくまでも、リビア沖でリビア向け兵器武器を積載した船の、リビアの港への接岸を、阻止することに限定している。
 それとともに、あくまでもリビア攻撃が許容範囲を超えないように、トルコのギュル大統領はカダフィ大佐に対し、最高権力者の地位を降りるように、説得している。それは、リビアから出国することを含んでいようから、トルコはカダフィ大佐に対し、トルコへの亡命を、打診したのではないかと思われる。
 トルコにとって、どうしても避けなければならないのは、リビアがこのNATO軍による攻撃の後、イラクと同じように外国軍によって占領され、国内では部族地域間の武力衝突が、継続することだ。これまでのプロセスを見ていると、リビアの今後が十分に、イラク同様のものになる、可能性があるからだ。
 カダフィ大佐はリビア国民を守るために、最高権力者の地位を離れ、トルコに亡命するのか。あるいは「十字軍戦争」を叫び続け、最終的には絞首刑を甘んじて受けるのか。結論が出るまでにはそう長い時間要るまい。
Posted by 佐々木 良昭 at 14:47 | この記事のURL
NO・1928「イスラエルも中東動乱の例外国では無い」 [2011年03月25日(Fri)]
 今週の水曜日に、イスラエルが首都と定めているエルサレムで、7年ぶりに爆弾テロが起こった。被害状況について一人の婦人が死亡し、30人が負傷した、とイスラエル政府は発表している。
 以前にも、エルサレムで大規模な爆弾テロが起こっているが、今回の爆弾テロとは異質なものだった。以前のテロは特攻テロであり、一人が爆弾とともに死亡し、多くの敵を殺害する形のものだったが、今回の場合はそうではなく、小型の爆弾を用い、その実行犯は逃走する、という形のテロだった。
 そのことは同一犯人が、何度でも爆弾テロを実行できる性質の、犯行だということだ。それは決して、イスラエルを楽観視させるものではなかろう。
 そもそも、今回のテロが起こる以前の状態は、どのようなものであったのだろうか。イスラエルの治安部はパレスチナ自治政府が、完全にイスラエルの言いなりに、パレスチナ人で危険な者は逮捕投獄する、という対応を採っていたことから、エルサレムとヨルダン川西岸地区は安全だ、とたかをくくってのではないか。
 フェンスでイスラエルとパレスチナ側とを分けている、ゲートのチェック・ポイントでも、エルサレムの中心部でも、イスラエル治安部の監視は甘くなっており、治安対応は緩んでいた、という報告がある。
 イスラエル政府はこうした、パレスチナ自治政府との馴れ合い関係が、出来上がっていたことから、ガザだけに治安の関心を、集中させていたのかもしれない。イスラエルの治安部は今回のテロ事件を受けて、アラート・レベルを最高の3に引き上げ、第一級の監視状態に変えたということだ。
 しかし、それだけでは不十分だと思われる、ハマースとの間には公式非公式の交渉が行われており、ハマースはイスラエルへの攻撃を控えているが、イスラム・ジハード組織は全く攻撃姿勢を、緩めていないということだ。
このためハマースのイスマイル・ハニヤ首相は、イスラム・ジハードの書記長のアブドッラー・ラマダン・サーレハ氏に対し、イスラエルへの攻撃を手控えるように、要請したという情報もある。
しかし、イランが供与した高性能グラド・ロケット弾を手にしたイスラム・ジハード組織は、今後もイスラエルに対するグラド・ロケット弾攻撃を、継続する意向のようだ。この高性能グラド・ロケット弾は、ハマースがイスラエル攻撃に使っていた、手製ロケット弾とは異なり、イスラエル国内のビール・シェバまで、容易に到達してしまうのだ。
このパレスチナ側の動きを、イスラエルはどう受け止めるべきかについては、なんとも判断し難いのだが、あるいはイスラエルでも、中東のアラブ諸国で始まっていると同様の混乱が、スタートしたのかもしれない。この場合は権力側はイスラエルであり、抵抗側はパレスチナ人だ。
マハムード・アッバース議長が君臨するパレスチナ自治政府は、パレスチナ大衆から信頼を失なっているし、パレスチナ人の間には抑えきれない程の、不満が鬱積している。
こうした状態を考えると、今回エルサレムで起こったテロは、ガザばかりではなく、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ人の、武力による抵抗が始まる前兆かもしれない。その場合、いまのイスラエルには、十分な対応策があるとは、思えないのだが。
シリアはもちろんのこと、レバノンのヘズブラも、何時でもイスラエルを攻撃できる体制が整っている。そして、革命後のエジプト政府からは、大衆の不満爆発を防ぐためか、極めてハマースよりと思われる発言が、増えてきている、つい昨日も、エジプトのエルアラビー外相は、ガザに対するイスラエルの攻撃を、控えるよう警告している。
イスラエルにとって不安なのは、対話に応じ、穏健路線を採るように見せ始めたハマースが、今回のエルサレム・テロの背後にいるのではないか、ということだ。もし、ハマースとの部分的な信頼関係が崩れた場合、イスラエルは対応が益々困難になろう。イスラエルのシルバン・シャローム副首相は「武力衝突阻止の期間は過ぎた」と語っている。
Posted by 佐々木 良昭 at 00:59 | この記事のURL
緊急メッセージ [2011年03月24日(Thu)]
「被災地岩手からのメール」
 3月22日に東京を出発し、仙台の友人宅で仮眠をとり、23日仙台から近い石巻の被災地に、救援物資を持って入りました。遠望では被害がなさそうな地域もありましたが、近づいてみると、建物の一階は全て破壊され、二階以上が、ようやく原形をとどめている状態でした。
 街中は車が何台も折り重なっており、残骸が道路の両脇に、寄せられてありました。その残骸と泥をかたづけるだけでも、大変な時間と人手が必要だと思います。しかし、放っておいては二次災害の、伝染病に襲われることになると思います。
 緊急に地域や組織の代表が、現地に救援物資を届けるとともに、現地を視察してきて欲しいものです。それをぜひ多くの人たちに、語って欲しいと思います。
 石巻では水が無い、電気が無い、食料がない、といった状態が全体に広がっています。しかし、三陸海岸沿いはもっとひどい状態です。
以下は岩手県陸前高田市に住む進学塾を経営していた、高校の同級生からの連絡です。
千田です。
何かと気づかい有難うございます。地震の時は大船渡町に居ました。
はじめ、たかおくくり、車で走っていましたが、後で考えると、数分で津波に飲み込まれた事でした。九死に一生を得た思いです。
その後、電気。水道、電話が普通になり。昂揚学院の書庫等々、転倒散乱し、未だそのままの状態です。翌朝、徒歩で、盛町を見て歩きましたが。その惨状は筆舌に尽くしがたく、直ぐ問題は、水が無いこと、米、灯油が突然のように、店頭から消えたこと、蝋燭、電池も又消えたこと、限り無く、何より、ガソリンがストップし、動きが取れません。
テレビは勿論、なし、ただラジオのみが情報源、捲ら状態、時間、日を重ねるに従って、事の凄まじさを思い知らされ、瓦礫、木材、識別不能な何百と言う遺体が渾然一体となり、現実と夢の世界が倒錯した不思議な感情が交錯する瞬間が時として浮上?
昨日より、漸く、途切れ、途切れなれどがありましたが携帯が通じる様になり、開いたら、多くの安否を気遣ってくれるメールがありました、有難うございます。

今は日々、自分の肉親の遺体探し、何千の人々が文字どおり、きのみ、きのままなので、親戚、縁者に身を寄せ、又、大企業、公務員を除く、大部分の人々は会社、その物が無くなり、先の見通しが無く、これからが、本当の地獄の苦しみが始まるのではと、危惧しています。
チリ地震の時は高度成長への時代で、若者がまだ多くいたけど、今回はテレビで承知の如く、老人の方が圧倒的に多く、復興は前回と比較にならないほど困難と思われます。今はただ、出来る限り頑張りたいと思います。何時の日か笑い飛ばせる日を夢見て。
Posted by 佐々木 良昭 at 11:45 | この記事のURL
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