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NO・1327パレスチナ・ハマース支持率低下 [2009年06月30日(Tue)]
 パレスチナ問題の先が、全く見えなくなり、当時のアラファト議長も、なす術を失ったとき始まったのが、ハマースによる、第一次インテファーダだった。
 ヤーシーンという名の、ガザのムスリム同胞団のリーダーが、別動隊として組織させたのが、ハマース(ムスリム運動)だった。以来、ハマースのメンバーは一般のパレスチナ人も巻き込み、デモや投石による、イスラエルの占領に対する、抵抗運動を、継続していくこととなった。
 パレスチナ解放機構が、全く政治的なカードを切れなくなり、しかも、レバノンを追われて、武力闘争もままならなくなったときだけに、このハマースによる抵抗闘争は、パレスチナ人の間で、次第に支持を拡大していった。
 そして、アラファト議長がガザに帰還し、自治を本格的に始める段階になった頃には、アラファト議長の率いるPLOと、ほぼ互角の支持率に近づいていた。もちろん、そうは言っても、パレスチナ自治政府議長選挙では、アラファト議長が当選し、その後も、彼がパレスチナを主導していくこととなった。
 しかし、アラファト議長が死亡し、その後を継いだマハムード・アッバース議長の人気は、それほど高くはなかった。その原因は、彼にはアラファト議長にあったような、カリスマ性がなかったことと、汚職体質にあったのだろうと思われる。
 イスラエルの言いなりになる、マハムード・アッバース議長の路線に、嫌気がさしたパレスチナ住民は、首相選挙でハマースのハニヤ氏を選出した。しかし、それはパレスチナ権力内部に対立を生み、結果的に、ガザでのハマース対ファタハの、武力闘争が起こっている。
 このガザ地区の、パレスチナ内部の武力闘争では、ハマースが勝利し、ファタハのメンバー(マハムード・アッバース派)は、ガザから逃げ出すこととなった。そして、ガザ地区からのハマースによる、イスラエルに対するロケット攻撃が継続され、イスラエルはガザ地区に対する、本格的な報復攻撃を行った。
 結果は惨憺たるものだった。多くのガザの住民が犠牲になり、主要な建物や住宅が、多数破壊されることとなった。
 これが簡単なハマースの誕生から、今までの経緯だが、ハマースはガザ戦争を戦ったのち、支持率をあげファタハを抜いていた。しかし、ここにきてハマースに対する支持率は、低下しているようだ。
 最近、エルサレム・メデイア・アンド・コミュニケーション・センター(JMCC)によって行われた、世論調査によれば、ハマースの支持率は、今年1月には27・7%だったものが、18・8%に下落している。他方、ファタハは1月の段階で、26%の支持率だったものが、34・9%に上昇している。
 ハマースが支持率を下げたのは、ガザ戦争の被害が甚大であったにもかかわらず、ハマースのアラブ世界での認知度、支持率は上がらず、エジプトからもまともには、相手にされなかったこともあろう。
ガザの住民やパレスチナ人全体からすれば、骨折り損のくたびれ儲け、ということであろうか。それと、イラン選挙の影響も、少なからずあるのではないか。宗教勢力が権力を握った後は、民主派、世俗派には、発言の機会が狭められる、と考えたのかもしれない。
Posted by 佐々木 良昭 at 14:51 | この記事のURL
NO・1326サウジアラビアはイスラム法学者いらない [2009年06月29日(Mon)]
 サウジアラビアの南部都市、ジャザーンにできた大学には、イスラム法学部が設置されていない。これまでのサウジアラビアの大学には、イスラム法学部が常設されており、多くのイスラム法学者が誕生していた。
 しかし、あまりにも多いイスラム法学部卒業生には、就職の先が無いというのが現実だ。彼らは新しいシステムを使いこなす、能力などに劣っており、大学卒業とは言え、普通の会社では必要とされない人材だ。
 そうしたイスラム法学部卒業生の就職難が、結果的にサウジアラビアの国内に不満を抱く、イスラム法学部卒業生を増やし、彼らは原理主義的な考えに傾倒していき、国内外でテロ事件に、関与するようになってきている。
 さる2月にも、こうしたイスラム法学部卒業のイスラム学者二人を、サウジアラビア国王は解雇している。それだけ事態は困難になってきている、ということであろう。
 つい数日前には、イラクのマリキー首相が、サウジアラビアのメッカのムフテイである、シェイク・アーデル・カラバーニが、イスラム教シーア派学者について問題があると断定し、殺害も許されると発言したことに対し、反発している。
 確かに、イスラム教の教えに厳格なハンバリー派、その中のワハビー派(サウジアラビアの学派)は、シーア派をイスラム教徒として、認めない傾向が強い。そのため、サウジアラビアの篤志家(?)が、シーア派イスラム教徒をテロで殺害する、アルカーイダに資金を提供している、という情報もあるほどだ。
 今回、ジザーン大学がイスラム法学部を設けなかったことは、時代の流れに合致した対応かもしれない。しかし、そのことはサウジアラビア国内の、保守派から反発を受ける、危険性もあるということでもあろう。
Posted by 佐々木 良昭 at 16:40 | この記事のURL
NO・1325エジプト・ムスリム同胞団の逮捕 [2009年06月28日(Sun)]
 6月28日の朝、エジプトでムスリム同胞団の、幹部4人が逮捕された。逮捕されたのは、アブドルモナイム・アブ・ファトーフ副代表を筆頭に、ムスリム同胞団の医師会のメンバーである、ファタヒ・ラーシーン医師、ガマール、・アブドッサラーム医師などだ。
 ムスリム同胞団は今回の逮捕劇を、同胞団つぶしの行動だ、と非難している。ムスリム同胞団はエジプトの国会に、88人のメンバーを送り込んでおり、最も大きな野党議員団を構成している。
 今までに、146人が逮捕されているが、逮捕は今後も続くだろう、とムスリム同胞団は予測している。
 これまで何度か報告したが、エジプト国内ではムバーラク大統領の健康不安が拡大し、彼の次男ガマール氏に、大統領職が禅譲されるだろう、という予測が広がっている。
 エジプト国会の改選選挙は、来年行われる予定だが、その前に実行される可能性が、高くなってきている。一連の逮捕劇は、その地ならし的なものだ、というのが一般的な認識だ。
 エジプト政府与党が、ムスリム同胞団に対しこれほどまでに、警戒心を強めるのは、2005年に実施された選挙で、88人の当選者を、ムスリム同胞団が出したからだ。
この数字は、第一回の選挙の当選者数であり、第二回目の選挙では投票者が、完全に締め出されたために、ムスリム同胞団の立候補者からは、一人も当選できなかった。
それだけ、政府はムスリム同胞団の台頭を、恐れているということであろう。これだけムスリム同胞団に票が向かうのは、同組織に対する支持もさることながら、与党に対する国民の、NOの意思表示でもある、ということのようだ。
Posted by 佐々木 良昭 at 20:53 | この記事のURL
NO・1324イラン大山鳴動で状況は悪化か [2009年06月28日(Sun)]
 イランの大統領選挙結果をめぐり、不満を抱いていた国民が、大規模なデモを実行した。もちろん、反アハマド・ネジャドのデモだけではなく、アハマド・ネジャド大統領を、支持するデモもあった。
 一部の映像報道は、工作されており、真実を伝えていない、とイラン政府は反論している。つまり、アハマド・ネジャド大統領を支持する集会デモの映像を、ムサヴィ支持の集会デモ、と報じたということだ。
 そればかりか、最近になってイラン政府は、ネダさんの殺害は、イランの治安部によるものではなく、外国人あるいは外国と関係を持つ、反乱分子の犯行だと主張し始めている。その証拠は、彼女の体内から取り出された弾丸が、外国のものであったということのようだ。
 ネダさんの殺害事件は、場合によっては、全ての犠牲者に当てはめられる、危険性が出てきている、ということではないか。つまり、反政府側はイラン政府の発表が、全てでたらめだという、主張の根拠に使い、政府側は全ての死傷者は、外国の手先によるものだという、主張が行われるのではないか、ということだ。
 今回の騒動を機に、イラン政府は国内の、反政府と思われる人物や、組織に対する監視を強化しよう。外国との連絡についても同じであり、以前に行われていたように、パラボラ・アンテナの使用も再度、厳しく取締りが行われるようになろう。
 結果的に、権力集団メンバー間のトラブルは、内部で調整が行われ、妥協点を見出して、何事もなかったかのように終わろう。ラフサンジャニ師は既に手打ちをしたようだし、大統領候補だったレザイ氏も、舞台から降りてしまった。カロウビ師は追悼集会を、国の許可が下りないからという理由で、無期延期してしまった。
 残る抵抗派のリーダーはムサヴィ氏だが、彼は何処まで頑張る気があるのだろうか。もし、彼が今後も抵抗を続けるのであれば、厳しい裁判が待っている可能性がある。既に彼を裁けと主張する、高僧も出始めている、彼などは処刑しろ、とまで主張しているのだ。ムサヴィ氏が抵抗を継続するとすれば、それは命がけだ、ということのようだ。
 ムサヴィ氏が抵抗を断念するのであれば、それは抵抗に参加した大衆と、そのなかで犠牲になった人たちを、裏切ることになる。いまのところ、ムサヴィ氏の妻が強硬な立場を、堅持しているようだが、いずれの国でも、男は追い込まれると弱く、女は逆に追い込まれると、抵抗する腹が据わるのかもしれない。
Posted by 佐々木 良昭 at 17:59 | この記事のURL
NO・1323A・ネジャド大統領就任祝賀パーテイは閑古鳥 [2009年06月26日(Fri)]
 6月24日に行われた、アハマド・ネジャド大統領の再選にともなう、祝賀パーテイが行われたが、なんと290人の国会議員のうち、出席した議員の数は、105人にとどまったということだ。
 BBCがこのニュースの前に、欠席者の数が105人と報じ、あわてて訂正記事を流している。つまり、290人の国会議員のうち、105人しか参加しないということはどう考えても、想像の域を超えていたということだ。
 簡単に判断してしまえば、290人の国会議員のうち、185人が反アハマド・ネジャドであり、残りの105人がアハマド・ネジャド支持派だ、といえるのではないか。
この反アハマド・ネジャド派の数から推測すれば、ムサヴィ氏の当選は確実だった、とも想像できよう。もちろん、選挙結果が発表された後の、政府によるデモ隊に対する、対応を見て反対側に回った議員たちも、多数いようが。
 その辺の想像とは別に、ほぼ確実に言えることは、国会議員のほぼ3分の2が、アハマド・ネジャド大統領に見切りをつけ、ハメネイ師に対しても、反対の立場を示したということだ。
 もし、彼らがハメネイ師に対して従うのであれば、ハメネイ師が当選を認めた、アハマド・ネジャド氏の大統領就任祝賀会に、出席しないわけがない。つまり、3分の2の国会議員がアハマド・ネジャド大統領に、NOの意思表示をし、ハメネイ師に対しても、同様にNOの意思表示をしたということだ。
 日本人にはあまりピンと来ないだろうが、イランをはじめ途上国では、国家の最高権力者の意向に、反旗を翻すということは、場合によっては命すらも、失うことになるのだから、今回の、要は明確な形でのNOは、現政権に対し相当多くのイラン国民が、反発を強めている証しであろう。
 こうした状況を見ていると、今後、何週間か何カ月の間に、イラン国内で大きな変化が起こることを、予測しておくべきではないか。
Posted by 佐々木 良昭 at 15:20 | この記事のURL
R・フィスクの記事に関するお詫び [2009年06月25日(Thu)]
 6月24日に私が書いたロバート・フィスク氏の記事について、早とちりをしていたようです。
ロバート・フィスク氏は「怪文書」という取り扱いだったようですが、私はてっきりそれを内相がハメネイ師にあてた文書の話として受け止めていました。
 そうは言っても数字があまりにも不可解だったので、真実はやがてわかるだろうというくくりかたをしたのです。
 ロバート・フィスク氏は、怪文書がデモ参加者の間で、配られていたということだったようです。
 TNFUKさんが、私の間違いをご指摘くださり、その間違いに気が付きました。大量のデータに目を通しているため、「アレッツ」と思うタイトルの記事を先入観で読んでしまう場合が多々あります。
 ご指摘くださった方に感謝します。
読者のみなさんにはお詫びいたします。
Posted by 佐々木 良昭 at 17:50 | この記事のURL
NO・1322ハメネイ師が国会議員に寛容呼びかけ [2009年06月25日(Thu)]
 6月24日水曜日、イランの最高指導者であるハメネイ師が、国会議員に対し現在デモを行っている反対派(ムサヴィ派)に対し、寛容の精神をもって対処するよう、呼びかけた。
 しかし、そのことは今回実施され、問題となっている大統領選挙の結果を、覆すものではないとも語っている。
 ハメネイ師は、国家が運営されるのは法に従ってであり、法を曲げることはない、とも語っている。つまり、現在大統領選挙の結果に対して、反対を叫んでいる人たちは、法に則って行動しているのではない、と言っているわけだ。
 彼は法に従わない行動は、最終的に独裁を生み出す危険性がある、とも語っている。そして、イスラム革命の精神に戻るべきだとも語り、ホメイニ師の名前までも引き合いに出している。
 つまり、ハメネイ師は現在のイランの国内状況が、極めて危険なものであることを認識し、順法精神と同時に、寛容を訴えたわけだ。
 しかし、ホメイニ師の名前までも挙げ、イスラム革命の精神に戻ろう、と呼びかけた裏には、自分の自信のなさが、含まれているのではないか、と思われてならない。
 以前にも書いたように、ハメネイ師はホメイニ師によって、2階級特進でイランのイスラムの最高権威に、就任している人物だ。彼以上の学識を持つイスラム学者が、多数いたこともあろう。
 ラフサンジャニ師も、モンタゼリ師も、クムの宗教都市に居住する、ポスト・ハメネイと言われて噂の高いヤズデイ師も、皆、彼よりもイスラム宗教学上、高い地位にあった人たちだ。
 今回、ハメネイ師が口にした、寛容の精神の呼びかけは、何処か空疎な感じがするのだが。
 いずれにしろ、カロウビ師が主張するネダさんの追悼集会が、どの程度の規模で行われるのか、ムサヴィ氏の逮捕があるのか、その場合に、ムサヴィ氏が呼び掛けているような、全国規模のゼネストがおこるのか、もう少し様子を見る必要がありそうだ。
Posted by 佐々木 良昭 at 16:27 | この記事のURL
NO・1321R・フィスクの記事、A・ネジャドは大敗北していた [2009年06月24日(Wed)]
 ロバート・フィスクという、著名な中東ジャーナリストがいる。彼はイギリス国籍で、インデペンデント紙を中心に、彼の記事を発表している。いわば最も信頼できる、中東ジャーナリストの一人として、世界的に認知されている人物だ。
 彼がシリアのアサド政権と、親しい関係にあることも、よく知られている事実であり、このため、彼が書くシリアに関する記事の、正確さには定評がある。
 当然、シリアと深い関係にあるイランについても、同様に、他のジャーナリストを抜いて詳しい。その彼が今回の選挙をめぐって、イランの内情に関するとんでもない記事を、書いているのだ。
 イランの大統領選挙の結果について、イラン内相gaハメネイ師にあてたとされる、秘密文書に関する記事がそれだ。
 その記事の中には、今回の大統領選挙の結果が、以下のようになものであったと、記されている。

イラン大統領選挙投票最終結果
ムサヴィ:19075623
カロウビ:13387104
ネジャド: 5698417
レザイ: 38716
 この記事の内容が、信頼に値するか否かについては、何とも言えない。確信を持てる情報がなく、判断のしようがないからだ。
 ただ言えることは、ロバート・フィスク記者の記事は、これまできわめて正確度が高かったこと、彼が革新派諸国について正確な記事を書き、決して英米に迎合しない人物だということだ。
 もし、この内容が真実であるとすれば、今回のイラン国民の反政府の行動には、十分な正当性があるということであろうし、イラン国民の怒りについても理解できる。時間がやがて真実を伝えてくれるだろう。
Posted by 佐々木 良昭 at 16:06 | この記事のURL
NO・1320イラン騒動・政府の楽観と現実 [2009年06月23日(Tue)]
 先週の金曜日、イラクのズィバリ外相が来日し、彼の歓迎と日本イラク国交樹立70年記念パーテイが開催された。パーテイに出てみると、日本側から外務大臣代理、イラクのサマーワに行った、佐藤隊長(現参議員)なども参加していた。
 その席でイラン大使にお会いしたので、イランの国内状況いついて尋ねると「もうすぐ落ち着く」という返事だった。それは特別に気負ったものではなく、本心からの発言であったと思われる。
 後日、日本の元外務省の高官の方と話す機会があり、同じ質問を向けてみた。返事はイラン大使と同じで「簡単に片付くだろう。選挙に大きな不正はなかったと思う。」と語っていた。
 その後、イランの護憲評議会が調べたところ、投票数が投票者よりも多い、という珍現象が50都市であったことが明らかにされた。しかし、それは当落に関係するレベルでは、なかったということだ。
 今週に入り、イランの外交官が意見交換したいというので、大使館に出向いた。ここでも「状況は間もなく安定する、これはイランが民主化の過程にある証拠だ。デモに対する規制は、どこの国でもあるだろう。日本でもデモをする場合は、届け出は必要だろう。」と語っていた。
 そこで私は「国内的にはそうでも、外国はこのチャンスを逃すまい。アメリカは戦争という手段で、イランの現体制を打倒することが困難なので、国内的に分裂が起こり、体制が潰れるように仕向けて行くのではないか。」と語った。
 加えて「最近、銃撃で死亡したネダさんの場合は、彼女がデモ参加者ではなかった、父親がそばにいた、彼女にはフィアンセがいた、、。悲劇のストーリーを描き上げるには、格好の題材を与えたことになる。」とも言った。
 イランが考えているほど、今回のデモ事件は容易ではなさそうだ。選挙結果が出る前から、いろいろな工作が外部から、進められていたという情報もある。
 イランの外交官に「貴方の国は30年ごとに、難しい状況に直面するね。それはあなたの国が、魅力的過ぎるからだよ。資源、地理的条件、歴史的遺産、、いずれも群を抜いているからね。」と言った。
 50年代のモサデク政権つぶし、79年のホメイニ革命、そして今回の出来事、、ほぼ30年の間隔で起こっている。「この危機を乗り切るには、イランの権力者たちが分裂していないことを国内外に示すことだろう。」と語ってきた。
 今回の騒動で、イランが犯した最大の間違いは、ハメネイ師を普通の政治家にしてしまったことだ。その結果、彼は日本の天皇的役割を、果たせなくなったのだ。
Posted by 佐々木 良昭 at 21:46 | この記事のURL
NO・1319モサドの判断は甘過ぎたと元長官語る [2009年06月22日(Mon)]
 イスラエルの情報機関モサドは、世界でも最高レベルという評価がなされているが、今回のイランでの動きについては、必ずしも正しい判断が下せていなかったようだ。モサドの判断は案外甘かったのではないかということだ。
 このことに問題があるとして、エフライム・ハレヴィ元モサド長官が、彼の意見を述べているが、同時にモサドにとって、イラン情勢判断の困難さを、擁護してもいる。
 ハレヴィ氏は現在の段階で、イランの国内状況を的確に判断することは、非常に困難であるとし、モサドがイランでの選挙結果に対する不満で、行動を起こした段階での判断にミスがあったことは、無理からぬことだとしている。(モサドの判断では、選挙結果への不満行動は、容易に納まるというものだった。)
彼はこれからイランで起こることを予測するには、科学小説でも読むのが一番だろうとすら語り、いかに現在のイランが複雑な状況にあるかを、説明している。イランの状況は、デイリー・ベースで変化しているのだ。
 イランの現状を分析、予測することが困難な理由の一つは、抵抗運動の中心人物となっているムサヴィ氏が、1981年から1988年まで首相を務めていた時と、現在とでは、同じ考えではないということだ。
 したがって、過去のムサヴィ氏の言動から、彼が今後とるであろう行動について、予測することが不可能に近い、ということになる。
 現段階で、比較的簡単に予測できることは、イランの国内政治の混乱が、イランがこれまで援助してきた、ヘズブラやハマースの活動に影響を与え、今後は両組織が、弱体化していくことであろうか。
 イランの核開発については、イスラエルは当然のことながら、平和利用だけではなく、兵器の製造に繋がる危険なもの、と見なしているが、たとえ、ムサヴィ氏が大統領に就任しても、表現方法は変わっても、目的そのものに変化はないのではないか、ということのようだ。
 そう考えてみると、イスラエルはイランの混乱と変化を、期待の目で見守っていると同時に、アハマド・ネジャド大統領のような、ストレートな発言をし、世界を敵に回す人物の方が、イスラエルにとっては都合がいい、とも考えていよう。
 アハマド・ネジャド氏が大統領に就任している限り、彼の過激な言動があることから、イスラエルは世界に対し、イランの危険性を説得する手間が、省けるからだ。
 そうは言っても、イスラエルにとって一番不都合なことは、今回の国内動乱の後に、アハマド・ネジャド体制が継続することであろう。そうなった場合、アハマド・ネジャド大統領は国内的支持と自信をバックに、強硬かつ迅速に核開発を進める危険性があるからだ。
Posted by 佐々木 良昭 at 15:30 | この記事のURL
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