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NO3673『サウジ合同軍はイエメンで地上戦を始めたか』 [2015年05月04日(Mon)]
サウジアラビアがアラブ諸国に呼びかけて結成した、サウジ合同軍(アラブ合同軍)にはモロッコ、エジプト、アラブ湾岸王制諸国、スーダンなどが参加しているが、これまでの空爆に加え、陸上部隊をイエメンに派兵するのか、ということが注目の的になっていた。

それは述べるまでも無く、空爆だけでは決定的な勝利には至らないからだ。しかし、山岳地帯のイエメンに、陸上部隊を派兵するということは、相当なリスクを覚悟しなければなるまい。
1962年のイエメン戦争に、エジプトのナセル大統領が陸上部隊を派兵し、彼ですら惨憺たる敗北を、こうむっているのだ。

今回はどうであろうか。実はアデンの空港をめぐる攻防戦に、サウジアラビア合同軍は小規模な陸上部隊を、派兵したと伝えられている。それによれば、サウジアラビアとアラブ首長国連邦の、イエメン出身兵士が参加した、ということのようだ。

このサウジ合同軍は日曜日に、アデンに到着している。このことについて、アハマド・アシーリー将軍は陸上部隊を派兵してはいない、とサウジアラビアのアル・アフバーリーヤ新聞に答えているが、カタールのアルジャズイーラ・テレビに対しては、全ての選択支が開かれている、と答えている。

現段階では30人程度の兵士が、サウジ合同軍のイエメン支援部隊として、アデンに入ったようだが、これは、サウジアラビアやアラブ首長国連邦に居住する、イエメン・オリジンの人たちが結成した、支援部隊なのかもしれない、もちろん、彼らがイエメンに入ることは、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の、政府の許可が必要であることは、述べるまでも無い。

この支援部隊の兵士は、イエメンの民族衣装をまとってはいるが。武器装備は最新のものだ、ということのようだ。サウジアラビア政府もアラブ首長国政府も、おっかなびっくりで、少しだけ手を出し始めたのかもしれない。そして、失敗に終われば、イエメン人が勝手に動いた、と主張するだろう。

アラブ最大の軍事大国であるエジプトは、このサウジ合同軍に加わってはいるが、現段階では海上からの支援だけで、イエメン派兵の陸上部隊には投入されていないようだ。正解であろう。
Posted by 佐々木 良昭 at 11:31 | この記事のURL
NO3672『ダウトール首相がギュレン氏を訪問していた』 [2015年05月04日(Mon)]
2013年12月はトルコの政界が震撼した時期だ。閣僚とその家族の金に絡んだスキャンダルが、国民の知るところとなり、トルコ国内は騒然としていた。その汚職者のリストのなかには、エルドアン大統領(当時首相)も、彼の子息ビラールも含まれていた。

結果的には、エルドアンン大統領が強権を発動し、このスキャンダル事件は、ギュレン氏とそのヒズメトが仕掛けたものだと主張し、トルコは二つの政府によって動かされているとして、多くの検察・警察が左遷され、かつ首になっている。弁護士や裁判官も、この更迭の対象になった。

この騒動のなかで、当時外相を務めていたダウトール首相が、秘かにエルドアン大統領の政敵である、ギュレン氏を訪問していたことが、最近広く知られるようになってきた。

ダウトール首相は学者上がりであることから、国内の騒乱にどう対応すべきか、大きな不安を抱いていたのかもしれない。ダウト−ル首相の説明によれば、その頃、国連会議にギュル大統領と出席していて、ギュル大統領(当時)の許可を得て、訪問したということだ。しかも、ダウトール首相は訪問前も訪問後も、ギュル大統領にその報告をしている、と語っている。

しかし、ギュル大統領はそうした連絡は、ダウトール首相から受けていなかった、ということだ。つまり、ギュル大統領の説明では、ダウトール首相が個人的な意向で、ギュレン氏に会いに行った、ということになる。

このギュレン氏訪問時には、ダウトール首相とギュレン氏との間で、トルコ問題ではなく、もっぱらシリア問題について意見交換されたということだ。ダウトール首相はこの機会に、ギュレン氏に対し、トルコに帰国するよう提案したが、ギュレン氏はまだその時期ではない、と答えたということだ。

後日、ダウトール首相は、多分ギュレン氏はイランのホメイニのように、国内混乱のかなで、英雄的にトルコ国民から迎えられる時期を、考えていたのであろう、と語っている。しかし、それはありえまい、あくまでもダウトール首相が、自己弁護に考え付いた、屁理屈であろう。このギュレン・ホメイニ説は、彼があわてて作り出した、嘘の説明であろう。

さて、問題は何故この2年も前の、ダウトール首相のギュレン訪問が、いま取り沙汰されているのであろうか。多分に6月7日の選挙向けの動きではないかと思われる。

ダウトール首相もギュル大統領も、それぞれにエルドアン大統領とは別に、政党を結成するか、党を離れて政治行動する、という噂が流れている。そうしたなかで、ダウトール首相はギュレン派の抱きこみを考え、ギュレン氏に会っていたことを、明らかにしたのかも知れない。しかし、それはギュル大統領の許可の下であったとしなければ、ダウトール首相の今後に、問題が発生するからではないのか。

ギュル大統領はダウト−ル首相の、不安が行わせた軽挙について、支援を送る必要は無いと考えて、知らなかった、と発言したのではないか。

実は最近でも、ギュレン氏の下には、トルコ政府の高官が、秘かに訪問している。彼らがエルドアン大統領の密使なのか、あるいは個人的な選挙対策で、訪問したのかについては知らない。

少なくとも、ギュレン氏を訪問した、という情報がトルコ国内で流れれば、彼はギュレン派(ヒズメト)のメンバーを、取り込める可能性はあろう。全ては選挙がらみなのであろうか。それにしても、このギュレン氏という人物の、トルコ国民への浸透力と、影響力は侮れない。
Posted by 佐々木 良昭 at 10:43 | この記事のURL
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