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NO・1419イラク南部の湿原地帯はその後どうなっているのか [2009年09月30日(Wed)]
 日本が2004年1月、イラクのサマーワに自衛隊を派遣した。そのときの公明党の支持者に、自衛隊の派遣を納得させる大きなポイントは、イラク南部湿原地帯の復元、であったと記憶している。
 イラクがイランと8年間に渡って続けた戦争時に、この湿原地帯は敵の兵士が侵入して来る経路として、当時のサダムフセイン・イラク大統領が、枯渇させてしまったのだ。
 イラク南部の湿原地帯は、アフリカとヨーロッパ大陸とを行き来する、渡り鳥の休息地となっていることから、国際的にも湿原地帯の荒廃は、大きな関心を呼んでいたのだ。日本が自衛隊をイラクのサマーワに派遣することで、国民の多くを説得できたのは、湿原地帯復元に協力するということだった。
 しかしその後、日本政府が具体的な協力をした、という話はあまり聞かない。それでも自然の力は偉大だ。いまではイラク南部の湿原地帯は、相当復元しているようだ。
 イラク南部の湿原地帯が復元したことによって、新たな問題が生まれている。背の高い川岸の草が2メートル以上にも伸び、川のあちこちにある小島や川岸を、スッポリ覆うようになったのだ。
 この草むらを麻薬業者が利用し、密かにイラク各地に、外国から麻薬が持ち込まれるようになったのだ。それがイラク国内だけではなく、トルコに流れ込み、そこからヨーロッパ各地にまで、届けられているということのようだ。また、一部はイラクからアメリカにも、送られているということのようだ。
 湿原地帯が復元するということは、麻薬ばかりではなく、風土病が蔓延する原因にもなる。一時期騒がれていた放射性弾頭による、奇形児や巨大な腫れ物は、全てが放射性爆弾や弾頭によるものではなく、風土病が原因でもあったのだ。イラク政府は湿原地帯が復元して来たいま、麻薬の密輸に加え、この風土病との戦いも行っていかなければならない。
 イラクの河川に水が順調に流れ、一部閉鎖されていた運河も再開されたが、その結果生じてきている、問題に対する対処方法は、諸外国からの支援を受けられないまま、放置されているのだ。
 他方、イラクの河川の水量が減り、農業に大きな影響が出ているとし、イラク政府は、水源国であるトルコに対し、水の供給量を増やすよう要請している。トルコは大型ダムを建設し、国土を灌漑し、可耕地面積を拡大し、発電にもこの水資源を活用するようになったからだ。
 トルコはイラク側の要請に対し、イラク側の水利用に問題があるとし、イラクが望むほどの増量には、なかなか応じていない。もちろん、トルコはイラクとの交渉で、以前よりは水の供給量を増やしてはいるのだが、イラク側にしてみれば、まだまだ不満だということのようだ。
 問題は再度もとに戻るのだが、もしトルコの降雪量が増え、あるいは降雨量が増えて、イラクに対する水の供給量を大幅に増やした場合、南部の湿原地帯には、ますます草が茂り、麻薬の密輸業者にとって、好都合な状況になろうし、同時に風土病が現在よりも、蔓延する危険性もあろう。
 そこで提案だが、先進国がイラクの水と麻薬密輸と風土病の因果関係について、総合的な調査をし、対応策を講じてはいかがなものか。イラクが今後、健全な発展を遂げていく上で、重要な戦後処理のひとつではないのか。
Posted by 佐々木 良昭 at 22:57 | この記事のURL