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12月12日に開催されるスクーバダイビングで安全に活動するための基準とマニュアル研究策定シンポジウムのプログラムのおおよそが決定しました。
スクーバダイビング、およびスクーバダイビングを使用して行う海での活動に関心をお持ちの方、ぜひおいでください。


スクーバダイビング・基準とマニュアル研究策定シンポジウム
    会場:船の科学館 オーロラホール

  プログラム
  9時30分 受付開始 10時 開演
 
1.基準と標準マニュアルの発表
  午前の部総合司会 順天堂大学スポーツ健康科学部教授 河合祥雄
(1)スクーバダイビング活動の区分と概念 :10時ー10時45分
 スタイル(形態)、姿勢、分野、目的
 日本水中科学協会代表理事       須賀次郎 
スクーバダイビングは、レクリエーションダイビングだけではなくて、サイエンス・ダイビングもプロのリサーチ・ダイビング、プロのカメラマンのダイビングもある。
日本水中科学協会は、研究者(サイエンス・ダイビング)、セルフ・ダイビングをめざすレクリエーションダイバー、リサーチ・ダイビングのプロ、ダイビング指導のプロフェッショナル、プロのカメラマンが集まって結成し、メンバーを募った特定非営利活動法人である。日本水中科学協会は、スクーバダイビングを始める時点から、自分の命は自分で守ることをつらぬく。真の安全確保の第一歩である。

(2)基準の発表   10時45分−12時
 @スクリーニング(選抜と技能確認のスタンダード)
日本水中科学協会理事 久保彰良
  自己責任をとなえても、短期間の講習修了証だけで、自己責任を押し付けることはできない。また、修了証は、卒業証書であるから、過去の学歴記録でしかない。
 日本水中科学協会では、プライマリーコースを設けて技能確認証(Verification card:Vカード)を発行する。
1. JAUSプライマリー・コースは、すでに認定されたすべてのダイバーを対象に、JAUSが定義するダイビング活動に参加するために求められる最小限必要な技能の所有者であるか否かを判定するために設計されている。
2. さらに上級のJAUSのコースまたはプログラムに進むための基礎となるコースでもある。
3. コースを満足に修了し、必要な技能を有することが確認されたダイバーには、JAUSの技能確認証が発行される。
4. 技能確認証はダイバーに恒久的にその技能を有することを保証するものではなく、3年を限度として更新プログラムに参加するか、年間30ダイブ以上の経験を重ねて、プライマリー・コースが求める技能を維持していることを証明しなければならない。
 プライマリーコースで行う技能確認の部分については、DVDを作成し、会場で映写するとともに、参加者に配布する。

 A 活動基準と危機管理基準
      日本水中科学協会代表理事  須賀次郎
 技能確認証(Verification card:Vカード)を所持していても、事故は必ず起こる。事故の原因、責任がどこにあるのか、事故者がルール(基準)を守らなかったために事故が起こったのか、管理責任者が管理を怠ったのか、責任の所在の基準となる活動基準が必要である。ただし、ここでさだめる基準は不特定多数に強要されるべきものではなく、会員が守る約束である。
したがって、基準に従って、自己責任でスクーバダイビング活動を行うダイバーは、Cカードをすでに所持して、これから、プライマリーコースの講習を受けるダイバーも、あるいはプライマリーコースの講習を受けないで活動する(時間がないなどの理由で)ダイバーも、まず、日本水中科学協会の活動会員になる。
 
 
  昼休み
12時―2時 昼休みを長くとって、懇親会的な意味合いをもたせた。

 
3. マニュアル例の発表
午後の部 総合司会 筑波大学人間総合科学研究科 教授 吉田章
マニュアルは、安全管理と目標達成のためのノウハウの文章化されたものである。参考になるマニュアル例の集積が、財産になり、文化になる。
(1)訓練生のサイエンス・ダイビング  :2時―2時40分
    早稲田大学先進理工学部 准教授 中尾洋一
(2)大学のダイビングクラブ活動マニュアル  :2時40分―3時20分
    学習院大学 ダイビングクラブ監督 宮崎雅博
(3)竜泉洞(岩手)地底湖への潜水  :3時― 3時20分―3時40分
    日本水中科学協会 理事 久保彰良
 
4.日本におけるセルフダイビングの現状と課題 4時―4時30分
  jausセルフ・ダイビング研究会 吉田俊雄 

 セルフ・ダイビングは、スクーバダイビングを行うダイバーそれぞれにとっても、業界にとっても焦点のひとつである。にもかかわらず、まだその定義も満足におこなわれていない。
  また、サイエンス・ダイビングは、事実上のセルフ・ダイビングであり、プロのリサーチャーや、カメラマンはソロ・ダイバーである場合も多い。
 セルフ・ダイビング(名称は未定)の確立(安全の確保と確認)は、業界にとっても重要課題である。
 
  ゲスト・スピーカー
    駒澤大学 法学部教授 松村 挌 
 駒沢女子大学 教授  芝山 正治  
 東京医科歯科大学   外川誠一郎
                              4時45分終演

5.併催  深海調査撮影カメラ ワークショップ
日本水中科学協会理事  後藤道夫

なお、プログラムは予告なく変更する場合もありますが、お申し込みいただいた方には、前日までにお知らせいたします。
 
 参加費は、会員は無料、一般は1000円、学生ダイビングクラブ(関東学生潜水連盟、および、協会会員が指導するクラブ)に所属する現役クラブ員は無料とする。
 なお、当日、会員、および活動会員にお申し込みいただいた方も、無料になります。
 申込はJAUSメール jaus2010@gmail.com で行い。申込みをいただいた方には、メールでご連絡を差し上げます。
人工魚礁 1 ドリーム[2017年09月18日(Mon)]
8月23日 人工魚礁 1 ドリーム
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 人工魚礁について、しばらく続けて、たぶんとびとびにはなるでしょうが、書きます。
 人工魚礁は、ダイビングポイントになっているところが多く、人工魚礁に一番多く関わっているのは、レクリエーショナルダイバーだろうとおもいます。そして、そのレクリエーショナルダイバーは、人工魚礁について、ほとんど知りません。ただ、魚があつまるところ、という程度の認識です。
 自分について言えば、ダイビングライフのほとんどとはいえないものの、調査潜水のほとんどは、人工魚礁に絡んだものでした。

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 さて、まず最初は実例から、最近、一番足繁く通い詰めている千葉県館山の波左間海中公園、荒川さんのところから、スターとしましょう。ここは、最近、ジンベイザメが現れ、珍しいメガマウスシャークも現れました。このことについても書きたいのですが、今は人工魚礁です。
 波左間は人工魚礁ランドと言っても良いくらいで、ここに通えば人工魚礁のすべて、人工魚礁の歴史のすべても目の当たりに見ることができます。それは、おいおい話すとして、ここで一番人気のあるポイントがドリーム魚礁です。名前のドリームは荒川さんの名付けたもので、ドリームという名の魚礁が一般にあるわけではないのです。
 荒川さんは、すごいアイデアマンで、高根神社(水中の神社)コブダイの頼子との交情、マンボウランドと次々に話題のヒットを飛ばします。それぞれ、おもしろいことが書けると思うのですが、ここでは人工魚礁の話です。
 ドリーム魚礁は本当にドリーム、夢の魚礁です。ソフトコーラルが美しく、おそらく関東太平洋岸では、もっとも美しい魚礁です。他にも美しい魚礁があるので、追々と紹介して行きますが、まず、このドリームが美しさでは一番です。なぜ一番なのか
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 この魚礁、正式に言うと、2m角型コンクリートブロック165個を三段にきちんと積み上げたもので、平成10年に枕設ですから、人工魚礁の歴史の上からは、比較的新しいものです。この165個をまとめて一つと考えて、これを人工魚礁単体と呼びます。つまり、ドリーム魚礁という一個です。
 このきちんと三段に積み上げたというところが、ポイントなのです。長らく人工魚礁調査にかかわって来たのですが、165個という数を3段にきちんと積み上げた魚礁は、これだけしか見たことがありません。
 ドリーム魚礁に潜った人、たぶん、こういうことは知らないのだろうなあ、と思いながら書いています。
 
 人工魚礁の大きさを表す単位なのですが、空立方メートル:クウリューベと言います。 で、全体でどのくらいの体積があるかで示します。人工魚礁の枕設は公共事業です。全額を国が出す場合もありますし、市町村が分担する場合もあります。が、とにかく私たちの税金で作られたものなのです。その金額は、どのくらいの体積かで決められます。
 2m角が165個とすると、2x2x2x165で1320クウリューべ(立方メートル)になります。
 だいたい1000立方メートルぐらいが魚礁の単体、一個になります。
 さて、この1000立方メートルのブロックの値段プラス枕設費用、海に沈める費用ですね、が人工魚礁の値段になります。もちろんプラス諸経費、儲けなどがそれにプラスされます。公共事業ですから、入札で業者が決められます。コストを下げれば儲けが大きくなります。どこでコストダウンするか。まずは、枕設費用でしょう。
 そこで、場所を決めたら、そこに適当に投入して積あげます。すなわち乱積みです。ほとんどのコンクリートブロック魚礁が適当な乱積みになり、きちんと整列積み上げたドリームが稀少な例、ほとんどない理由がわかったと思います。
 ところで人工魚礁の効果なのですが、乱積みと整列とどちらが効果、魚を集めるか?これは、どちらとも言えないということになっています。魚を集める要因は複雑です。そして、推定でしかないのです。常識的には整列の方が効果は高い。この問題についてもおいおい話して行くつもりですが。

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 乱積みの例として、最近行った富戸のボートポイント、ピラミッドを例に取りましょう。何個入っているのか資料が手元にありませんが、5段か6段にピラミッドになっています。ドリームの3倍か4倍は、あるでしょう。これはこれで、雄大なもので、もっとダイビングポイントとして、知られても良いのですが、富戸へ行くダイバーの多くは、ウミウシとか、マクロをねらいます。
 マクロをねらうからこそ富戸がおもしろいわけで、それはそれで、たいへん結構なことです。それに、ボート代もかかりますしね。
 
 さて、ブロックをきちんと積み上げる為にはダイバーの誘導が必要です。時間と手間、すなわちコストがかかります。ドリームは荒川さんが誘導して積み上げたのだと思いますが、今度行ったときに確認します。
 ドリームがなぜドリームなのか、その秘密は整列して積み上げられていること。
 このことは、まだ調べて確認していません。それを調べることが出来るのが、人工魚礁ランドである波左間なのですが、まだです。僕も忙しいので。
 ドリームが圧倒的に優れている点が二つあります。一つは、ソフトコーラル、ウミトサカの類が見事なこと、もう一つは、ダイバーが中に入って行かれることです。2m角と言うこともダイバーが入っていくちょうど良い大きさなのですが、とにかくウミトサカの間を縫って、入って行かれます。
 だんだん説明して行きますが、魚を集める理由は
魚礁の高さと内部構造にあります。1000立方メートルの岩と1000立方メートルのドリームとどちらが魚を集めているか、同じ場所に並べて見ないと証明にはならないでしょうが、ダイバーの常識では人工魚礁です。大きな岩の場合には、魚のたまっている場所があります。均一ではないのです。魚のたまっている場所は、岩の隙間とか、オーバーハング、窪みです。
 魚には走触性(魚礁性)という本能があって、体の一部を何かに触れている、あるいは陰になっていることが大事なのです。そして、夜になると、群れて泳いでいた魚も、岩の下、何かの陰に隠れます。
 このごろ、猫の研究をしていますが、猫が箱に入りたがるのも同じでしょう。
 生き物は、すべて、何かの陰に隠れます。生涯泳ぎ続けるマグロでも、鮫でも同じです。カツオ、マグロの為には浮き魚礁というのがあり、これについてはまたあとで述べます。
 少し脱線しました。人工魚礁には複雑な内部構造が必要であり、岩の塊と比べてのアドバンテージであることはわかったと思います。
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 そして、整列したドリームは、その内部構造の中心まで入って行かれます。乱積みでも入って行かれるのですが、出てこられなくなる危険、恐怖心があります。
 ドリームは整列していますから、ジャングルジムのようなもので危険が少なく、カメラ写りも良いのです。
 続きます。

Posted by 須賀次郎 at 10:48 | 活動 | この記事のURL | コメント(0)

人工魚礁 2[2017年09月18日(Mon)]
0903 人工魚礁 2
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                       ニライ パヤオ  魚はムロアジの類

人工魚礁 前回はドリーム魚礁についてまず話した。少しおさらいすると、ドリーム魚礁は、2m角のコンクリートブロック165個を3段にきちんと積み上げた整列魚礁(そんな名称はないので仮に)で、横に5列、縦に10列、50が3段だから150だが、実際には真ん中の3列だけが3段で両側は2段である。165の計算が合わないが、どこかにある。
 波左間海中公園(人工魚礁ランド)の荒川オーナーに聞いたところでは、この整列は荒川さん自身が実行したものだという。
 現況については前々回のブログをみてください。
 さて、ここから人工魚礁とは何だ。どういうものなのか、いつごろ始まって今の状況は、書いて行くのだが、まず、人工魚礁とは何だ。
 日本水中科学協会で2012年に作った最新ダイビング用語事典から引用する。
魚礁 Fish reef,Fishing reef, Fish shelter 魚が多く集まり、漁場として利用される場所を言い、自然の地形によるものを天然礁、人工的に造成されたものを人工魚礁と言う。ダイバーが海底地形を楽しむドロップオフ、アーチ、ホールなどは多くの魚が集まっている天然礁である。
 どうして魚が集まるのか?およそ生き物というものは、何かより所があって、理由があってそこにいる。人間は、家が必要であり、原始の昔には洞窟に住まいした。洞窟がなければ穴を掘り、何かで覆ってそこに入った。
 魚も同様で、隠れ場所、寝る場所、何かが必要なのだ。大洋を泳ぎ続けて生活するマグロなどはどうかというと、これもより所があればそこに留まる。より所にたいする執着はそれほど強くないのであろうが、それでも、流木、ジンベイザメ、ほんのちょっとした何かに寄りつく。
浮き魚礁、パヤオというのがある。回遊性の魚を引きとめ、集める魚礁である。そして、魚を集める伝統的な方法に漬けというのがある。
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                        シイラ  後ろはツンブリ
 シイラ漬けというのは高知県沿岸に盛んな漁法(九州でも盛んだが)で、長い竹で細長い筏のようなものを作り、アンカーで止め浮かしておく。竹5ー6本。長さは竹の長さ、小ささな筏だ、この筏の下にシイラが集まる。シイラは引き釣り、トローリングにもよくかかる回遊性の魚だ。ここで回遊魚というのは、磯についている磯魚に対応する言葉で、何時も泳ぎ回っている魚という意味である。もちろん、広く回遊する魚も入る。
 一軒の漁師さんは、だいたいこの漬けを20ー30ぐらい持っている。
 毎日、この漬けを見て回り、もし魚が充分に居ることが見て取れたら、巾着のような網、小さな巾着網を筏の近くに張る。
 長い竹竿の先に、はたきのようなひらひらを着けたものを筏の下のシイラの前でひらひらさせると、シイラはなんだなんだ?と集まってくる。そのひらひらで、シイラを網の中に誘導してきて、後は巾着をしぼって獲ってしまう。
 沖縄にも漬け、沖縄ではパヤオと呼ぶのだが、フィリピンでも同じような漁をして、これもパヤオである。フィリピン語科、沖縄語か、どちらの言葉かわからない。この漁を始めたのはどうしても、沖縄の方が先だと思うのだが、名前はパヤオ、沖縄語ではなさそうだ。沖縄には、このパヤオが、150とか、もっとあるのかもしれないが、沖縄の漁師さん、ウミンチューは、このパヤオの周辺で釣りをする。
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                  組合パヤオ
 パヤオは、個人で入れるのもあると言いうが、統制がとれなくなってしまうので、組合単位で入れたり、大がかりに国家的な事業、人工魚礁事業であるが、として入れるのもある。人工魚礁事業の場合には大きな灯標で、台風などでとばされる事がないように、太い鎖で海底にアンカーを入れて留めている。沖合遙かに入れているので、深さ数百メートルのものもある。
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                  ニライ パヤオ
 大きなパヤオには名前が付いていて、沖縄では、ニライ1号から たしか14号まであったはずである。ニライとは、海の彼方にある理想郷、ニライカナイからとった名前だ。実は僕は65歳の時に、この大型ニライパヤオの撮影をしていた。今から17年前だから、少し状況が変わっているかもしれないが。
 思い入れがあるので、別に独立して、一つ、パヤオ編を書くつもりだったのだが筆が滑ってしまったので、ここでパヤオについて少しばかり書くことにする。
 ここで、言いたいこと、書きたいことは魚はどんな魚でも、どこでも、何か、芯に集まるということである。
 大型のニライパヤオに潜ると、流れがあるので容易ではないのだが、とにかく潜ると、まず、パヤオ近くに、ツンブリが、必ずのようにふらふらしている。ツンブリは、虹色の美しい魚で、おいしいらしい(食べたことはない)らしいが、あまり市場性のない魚だ。しかし、僕が撮影したいのは、マグロ、たぶんキハダマグロである。漁師さんによれば、キハダは、80ー100mの深みに集まっていて、夜にならないと浮いてこない。釣るためには、餌で浮かせて釣るのだと言う。夜まで待つわけには行かないが、とにかく待とう。ベストを尽くす他ない。
 チャーターした船の代金は8万だったと思う。三日分ぐらいしか予算は無い。三日目だったか、水面近くで見張っていると、ざわざわ、というかシャーシャーというか、音が湧いてきた。下を見ると真っ黒に群れた魚が下から沸き上がってくる。もちろんシャッターを押し続ける。そのころはまだフィルムだから、そんなに数は撮れない。それに必ず何枚かは残しておかないと、本当に撮りたいものが出てきたときに、フイルムアウトになる。デジタルになってからは、ほぼ無制限にとれる。
沸き上がってきた魚は、30cmほどもある大型のムロアジで、マグロに追われて浮いてきたのだろう。ならば、マグロが下にいる。50mほどまで急降下したが、マグロは見えなかった。しかし、予算も尽きたし、これで、沖縄のパヤオはあきらめることにした。
 しかし、マグロはあきらめ切れない。マグロを追って、土佐の高知の、黒潮牧場と名付けられた大型パヤオに行くのだが、ここでは、そこまで、脱線するわけには行かない。魚礁とはなに?に戻らなければ。
 黒潮牧場での冒険、危機一髪はまた別の機会に書こう。
土佐の黒潮牧場で、漁師さんに聞いたのだが、パヤオ周辺には半径500mぐらいにカツオ、マグロが集まり、半径1000mぐらいで、鮫がくるのだという。
 回遊魚も魚礁に集まる。それでは、磯魚は、磯に集まるから磯魚であり、磯とは魚礁のことだから、これは当然なのだが、その集まり方は。
 人工魚礁の研究では、集まり方をT型からW型まで四つに分けている。
 まずT型は、身体の一部がとにかく磯に魚礁に接していなければ生きて行かれない魚、魚が魚礁に集まる性質を魚礁性などと言いうが、魚礁性がもっとも強い魚、すなわち磯魚である。
 アイナメ カサゴ、キジハタ、マハタ、オコゼ、マダコ など
 U型 身体は魚礁に接することは少ないが、ごく近くに居る種類、これも磯魚と言える。
 マダイ、クロダイ、イシダイ、メバル、イサキ、カワハギ、ウマヅラハギ、メジナなど。
 V型 主として、魚礁から離れた表層、中層に位置する種
 マアジ、マサバ、ブリ、ヒラマサ、カンパチ、クロマグロ、カツオ、シイラなど
 いわゆる回遊魚、先に述べた浮き魚礁に集まる魚でもある。
 W型 主として魚礁周辺の海底に位置する種
 ヒラメ、カレイ。アマダイ、シロギス。カジカ など
 これで、ほとんどの魚が何らかの形で魚礁に集まるものだとわかったと思う。
 魚は磯魚の回遊魚に分けられ、回遊魚も磯に、人工魚礁に集まる。集まり方、磯との距離に差がある。
なお、魚が魚礁に集まることを蝟集と言う。
蝟集 イシュウ 群がり寄ること。一般にはなじみの薄い言葉であるが、沿岸漁業整備開発事業の用語として、魚が群れ集まる表現として定着している。例えば、蝟集状況などと言って、魚の集まり状況を表すようにしている。



Posted by 須賀次郎 at 10:42 | 活動 | この記事のURL | コメント(0)

人工魚礁3[2017年09月18日(Mon)]
0906 人工魚礁 3
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写真は 大磯の潜水艦 魚礁 




前回は浮き魚礁のことを書いた。
浮き魚礁の調査について
前にブログに書いているので、できれば、見てほしい。
 2015年9月26日
 巨大浮き魚礁 http://jsuga.exblog.jp/24935387/
 2015年9月28日
 巨大浮き魚礁でマグロを追う。 http://jsuga.exblog.jp/24941539/
 なお、沖縄のパヤオについて、旧友で宮古島に行くたびに必ずお世話になっていた、24ノースのオーナー渡真利さんから、パヤオを沖縄にフィリピンから持ってきたのは、お父さんが平良の漁業組合長時代にフィリピンから導入したということで、これが、沖縄本島に行き、さらに、四国土佐に降りて行ったということなのだろう。
 そして、さらに宮古のニライでキハダマグロが楽々と撮れたみたいなことを書いている。クロボクよりも、宮古の渡真利さんのところのニライに行けば良かったか?。親しい仲なのに情報の流通が今ほどではなかった。しかし、クロボクの冒険も減圧症などになっていれば、さぞ悔やんだことだろう。
 ただ、そのニライ号も今は無いという。
漁獲効果がなかったわけはないとおもう。老朽化して引退し、後継機が作られなかったのか。
 浮き魚礁は、その年によって、潮流の関係などで、ポイントがはずれるとまるで魚が来なくなる。効果がなくなって、終わったのか。
ここから、人工魚礁の歴史について、
最新ダイビング用語事典から
人工魚礁の沿革 
水中に石や樹木を沈めて魚を集め漁獲を容易にした「柴漬け」、「石釜」などが人工魚礁の祖型と考えられている。歴史上に残されているものは、1652年には土佐藩の野中兼山が投石魚礁を浦戸沿岸で実施して以来、江戸時代、明治時代には沿岸各地で実施された。1935年頃には築磯と言う名称でコンクリート魚礁が利用され始め、1950年代になって人工魚礁という名称で国の事業として実施されるようになり、1970年代には沿岸漁場整備開発法の施行によって事業規模が大幅に拡大された。
 1935年が本格的に魚礁事業が始まったといえるが、それ以前には、日露戦争や第一次大戦で活躍した軍艦などで、不要になったものが、沈められて、魚礁になった。
 館山湾では、湾の中心付近水深25mぐらいに、水雷艇を沈めた水雷根と呼ばれる魚礁があり、僕と舘石昭さんは、1960年代の初頭、この水雷根を根城にしてよく潜った。当時は水雷艇の形がとどまっていて、狭い、畳三畳敷ていどの船室に入ることが出来、船室の前後左右がイセエビで詰まっていて、イセエビの中に入るような心地だった。写真が残っていない。舘石さんが持っていたかもしれないが、残念。
 つい最近と言っても、2005年頃だったと思うが、どうしても水雷根にもう一度行きたくて、水産工学研究所の試験船「鷹丸」で調査した。水雷の位置には1。5角のコンクリート魚礁が散乱していて、水雷艇はない。おそらく、魚礁ブロックの爆撃でつぶされたのだろう。船の丸いガラス窓が一個だけ、海底で寝ていた。
 散乱している魚礁ブロックはかなりの数があったが、イセエビなど一尾も居なかった。
 伊豆では、電車とかバスも魚礁として沈められていたが、おそらく同様だと思う。
 参考に大磯にあった潜水艦魚礁をしめす。これも1970年代の写真なので、今は崩れてなくなっていると思う。 大磯は人工魚礁オリンピックが行われたところ、今一度行って見たい。
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 写真  大磯の潜水艦
 人工魚礁初期のいきさつを別の視点から見てみよう。
 参考にしたのは、「人工魚礁技術研究」
いまこの報告書は、継続していないが。人工魚礁の基本的なことを調べるには良い資料なので、大事にしている。
2000年9月 第二巻1号 通算2号「魚礁事業について 高頭芳雄 」昭和37年ー39年 1962−1964に刊行された資料を抜粋して掲載している。執筆者は水産庁漁業振興課のお役人である。
 その中から、データとして必要部分を書きだした。
「戦前 昭和7ー8年頃(1932−33)に沿岸漁業振興の為に、石材、沈船礁造りなどに事業補助が行われた。」
 これが、国としての補助の始まりであったのだろう。館山の水雷などもこれにあたるのだろう。
「昭和27年から浅海増殖開発事業が取り上げられ、約7カ年計画で実施された。」「29年から36年の8カ年で並型魚礁として、コンクリートブロック、約266000個が投入された。大部分が1m角」j3-2.JPG
 これがコンクリートブロック投入の本格的な始まりであり、大学4年生の僕が浦賀、鴨居漁港で危機一髪のエア切れをやったのは、この頃に入れられた魚礁であったと思う。考えて見れば魚礁事業の開始から潜水している。この潜水については、ニッポン潜水グラフィティに書いている。
 その後魚礁設置事業は加速度的に規模を大きくしていく。日本の水産が魚のためにやれることと言ったら魚礁事業くらいしかないのだ。

 魚礁事業の始まりから、かなり後まで、投石(石材)と魚礁ブロックとどちらが効果が高いかの議論があった。投石事業の歴史は古い。先に述べたように江戸時代にさかのぼる。
 差し渡しが1m以上の大きな石をただどかどかと放り込めばいい。イセエビは、石と石の不定形、不規則な隙間に棲み付く。
 イセエビの本場?である伊勢志摩の方に行くと、イセエビ礁として投石礁がある。

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                写真、安乗のイセエビ目的の投石礁
 投石ですめばコンクリートブロックなど作らなくて良いのだから、コストパフォーマンスは良い。
 我が館山沿岸には投石礁は見られないが、(あるかもしれないが、知らない)伊豆七島は、投石フアンが多かったらしく投石礁が多い。
 また、コンクリートブロックの初期の型は、角型の立方ブロックの他に、円筒形の横に窓を開けたような円筒ブロックもあった。
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 埋まる途中の?円筒ブロック
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 円筒ブロックの方が丈夫である。立方体の方形ブロックは、業者が手抜きをして
セメントの割合を少なくすると、枕設するときの落下のショック、あるいは重なったショックで壊れてしまう。初期にはよくそういうことがあって、人工魚礁調査の一つの目的として、枕設時の破損状況を調べるという項目があった。
 円筒は丈夫だが、洗掘を起こして埋没してしまいやすい。砂地に魚礁をおくと、波や流れが、魚礁に当たった部分で巻き上がり砂を巻き上げる。砂が巻き上がり次第に掘れて行く。魚礁の周りが掘れて次第に沈んでいき埋まってしまう。消えてしまうのだ。立方形のほうは、真ん中を水流が抜けていくので、円筒ほどは掘れない。しかし、掘れて沈んでしまうことは、底質により、また地形、流れの程度によって、多かれすくなかれ、掘れて沈んでしまう。この洗掘の問題、その程度の調査も人工魚礁調査の項目の一つであった。
 福島県沿岸は掘れやすい場所で、初期に投入された魚礁はたいてい沈んでしまった。
 魚礁を枕設する場所の選定条件として
洗掘がおきにくい底質を選ぶ。しかし、魚礁を置きたい場所は洗掘が起きやすい場所が多くなかなか難しかった。
 魚礁事業の初期のころから、2000年頃までだろうか、並型魚礁、大型魚礁、という呼びたがあった。
最新ダイビング用語事典より関連する語をいくつか示す。
並型魚礁 
 沿岸漁場整備開発事業期の事業名の一つで、合計容積が250空容積以下と魚礁としては最も規模が小さい。主に合のある漁港の側近に設置され、あまり沖まで出てゆかなくても、近くで操業できることを目当てにしている。数軒の漁家が生計を立てられる程度の生産性を目指した。なお、現在では並型魚礁の整備というくくりでの事業は行われていない。
 人工魚礁設置事業が始まったころ、一辺が1.5メートルの方形枠型のものが標準型であったために、これを並型と呼んだことがあり、並型と呼んだ時に、1.5mの単体を指すのか,事業名をさすのかまぎらわしかった。魚礁一個、1。5m角の形状については、並型という表現を使用するべきではない。
空容積 (空m3)
魚礁単体の大きさや事業量を表す単位で、魚礁部材で囲われた内側の容積を立方米で表している。その大きさは概ね魚礁単体の外側に沿って風呂敷をかぶせた内側の大きさに相当する。
大型魚礁 
一個の魚礁ブロックが大きいということではなくて、規模を示す言葉である。複数の組合が操業出来るほどの規模であり、組合の中間地点に設置される。これも、現在では大型魚礁の整備というくくりでの事業は行われていない。
人工礁 水産庁が昭和51年から開始した沿岸漁場整備開発事業として、天然礁に匹敵する規模を有する漁獲目的の人工魚礁事業として実施されるようになったものである。事業規模が大きいから単年度で完成することはなく、5年間前後に渡って事業が実施された。他県の漁船も利用、操業できることを目標としている。これも、現在では人工礁の整備というくくりでの事業は行われていない。

  すなわち、従来のような人工魚礁沈設は終りになり、よりおおがかりな マウンド礁 など、および、より小さな、漁港区域内での増殖効果に移行している。沖合漁業の衰退が深刻になってきており、その力を入れなければならない事態 そして小規模な沿岸漁業は、水産業としてはどのようになるだろう。成り行きを見る他ないのだろう。その成り行きをレクリエーショナルダイビングの視点で見て行こうとしている。

Posted by 須賀次郎 at 10:29 | 活動 | この記事のURL | コメント(0)

人工魚礁[2017年09月18日(Mon)]
0908 人工魚礁 4
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人工魚礁 4
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    12m鋼製魚礁 波佐間
前回を整理すると、人工魚礁事業は、1932年ごろから、公的な事業としておこなわれ、その初期には投石事業と魚礁ブロックの投入が行われた。コンクリートブロックは、0、8m角、1m角が多く、その事業規模に応じて並型、大型 人工礁 に区別していた。現在、新しい事業では、その呼び方は使われていない。
 魚礁の目的は、魚を集めて漁獲する、すなわち副漁具と考えられるものと、魚を増やす増殖を主目的にするものがある。前回まで述べてきたパヤオや、漬けは、副漁具である。また、初期の人工魚礁では、漁港のすぐ近くに魚礁をおいて、自分の領分(漁業権区域)に魚を引き寄せようとするコンセプトが多かった。いわゆる並型魚礁の多くがこれであり、次にいくつかの組合が入りあって漁獲ができるやや大規模な大型魚礁が、そしてそれより大きい、県単位で使う人工礁ができ、さらに現在では沖合い漁業も対象になるような、さらに大規模なマウンド礁 など、へと拡大している。
 僕たちが潜って見る人工魚礁は、組合近くに設置され、魚を引き寄せる半ば副漁具的な小規模な並型に相当するものである。
 そして、組合地先の並型は、小規模な船外機付きボートの漁業の衰退とともに、忘れ去られようとしている。
 私たちの波左間海中公園の魚礁ランドをはじめとして、この千葉県内房、館山湾沖の島を廻って、先端の州崎まで、沖の島から大賀、香(こうやつ、と読む)塩見、浜田、見物、西崎、波左間、板田、州崎、と10の組合がかつてあった。合併して一つの組合になったのだが、岸から沖に向かっての短冊のような組合地先は、死守されていて、人工魚礁はそれぞれの漁業権のなかに在る。例えば、波左間の隣の浜田の人工魚礁に波左間の舟で行って潜水する事はできない。これが、組合地先の人工魚礁だ。
 漁業者が居なくなり、組合が朽ちて滅びるとともに、組合地先の魚礁も人の眼に触れることのない、まるで遺跡のようなものになって行く。
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 浜田にある丸一の魚礁 2年にわたって調査をした。3階建ての家のようなものだ。
 波左間の隣の浜田には、新型の試験枕設として入れた家のような形の魚礁がある。これを作ったメーカーの依頼で1年間毎月調査に通って潜水した。素晴らしい魚礁だったが、残念なことにこの地域の魚礁としては、正式採用されなかった。僕が政治力がなかったからなのだが、愛着があるので、見に行こうとしたのだが、僕を乗せてくれていた船頭が亡くなってしまった。別の舟を頼もうとしたのだが、乗せてくれる漁師がいないのだ。釣りの貸しボート屋が、港を占領している。貸しボートで探したが、僕のGPSの記録が消えてしまっていて、見つけられなかった。もう一度行きたいのだが、まだ果たせずにいる。人工魚礁があっても漁師がいない。そして、その縄張りには隣の組合の漁師、舟は入ってこられない。
 もう一度この人工魚礁にたどり着けたらそのことを書こう。
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 さて、これが、副漁具の人工魚礁も含めて、魚を集める役割の人工魚礁である。
それとは別に魚介類を増やすための人工魚礁も考えられる。
 最新ダイビング用語事典から
増殖礁Artificialreef for nursery
 とくに特定種の産卵、保護などの増殖を目的として開発された構造物で、イセエビ礁、ヤリイカ礁、アワビ礁、○○○産卵礁、○○○保護礁など、対象種名や機能名を付した名称が付けられている。
 
 ダイビングスポットでは、アオリイカ産卵を見るために木の枝を束ねて沈めているが、産卵礁の類である。
この形についてはまた別の機会に書く。僕たちが調査観察する波佐間の魚礁は、魚を地先、目の前につれてくる魚礁である。
☆★☆
   
 魚を集める為には高さが必要と考えられている。
 例えば20個の1mブロックを一面にばらまくか、積み上げるかの比較である。魚種にもよるし、潮まわりにもよるが、同一地点、同一の条件ならば、高さがあった方が魚は集まる。また、総容積も大きい方が効果は高い。
 
 大きい方が良いならば、魚礁も1m角、1、5m角、2m角、3m、4m、5m、8mとコンクリートブロックは、大きくなっていく。大きくなった為に潰れないように梁をいれる。FP魚礁(商品名)は、大型魚礁のヒット商品である。波左間でも、2m角165個、これはドリーム それよりも岸寄りには、0.8m角、もありこれは昭和54年1979年の沈設で、これが波佐間人工魚礁群の始まりである。3m角は、ドリームのそばにあり、8m角もある。その他タイヤ魚礁というのもあり、鋼製魚礁もある。波佐間は、ほとんどすべてのタイプの人工魚礁が見られる。
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                 8m角のFP魚礁 波佐間

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                         0.8m角 これが波佐間魚礁群のはじまり。
 大きくするのが良いことならば、鋼製ならば背の高いものが容易に作れる。鋼製魚礁である。波左間に在るのは、水深、30mに高さ12mのものと、 水深35mで高さ15mのものが在る。
 鋼製で良いとなるとどんな形のものでも作れる。
続く

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人工魚礁 5[2017年09月18日(Mon)]
0915 人工魚礁 坂田 0911
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ようやく ここから先の人工魚礁調査の考えがまとまりつつある。波佐間を中心にして、館山湾内房の塩見、西崎、波佐間 坂田の人工魚礁を調査して、沿岸漁業の変転都ともに、遺跡化してしまう人工魚礁群の現状と効果を調べてまとめ、発表したい。
そのためには坂田にも行かなくては。
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真ん中は成田さん、鶴町さん
板田シークロップのオーナー、古い友達の成田君は、娘のサヤさんに海をまかせて、ジャックマイヨールの記念館を作ろうと奮闘さているとか、僕が会いたいというリクエスト?で、来てくれた。
 話しはたくさんありすぎるけれど、潜水前でそんなには話せない。
彼の師匠である大崎映晋さんは、まだ裸で潜っていた時代の舳倉の海女の写真を撮っていて、その写真集というか、グラフィックな本を二冊だした。そのうちの一冊 の出版記念会があって、それに出席した。2013年の3月8日 「海女のいる風景」サインをもらっている。そのパーティで成田に会った。この本に成田君も顔を出している。驚いたことに、大崎さんはこの後すぐに亡くなられてしまったという。知らなかった。たしか、96歳だった。
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 そんなこんな、ジャックマイヨールの話もした。ジャックが亡くなったころの彼女、パトリシアのこととか、話し込んでいると潜る準備ができない。
ブログもこれ以上思いで話をしていると本題に入れない。
 3mmのウエットで潜りたいのだが、22度以下だったら無理なので、ドライも持ってきた。24度、やった!ウエットで行ける。
 黒潮が接近している。黒潮反流が、館山湾に向いている流況図を数日前に見た。
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 成田君の娘、サヤさんがボートも操船する。アシスタントスタッフが二人、
 ボートは昔から変わらない。定置の作業船の小さいやつ。この館山のダイビングは、どこも港から近いポイントだからこれでいい。フラットな、構造物の何もないこの舟が使いやすい。
 魚礁の上のブイに舟を繋ぐ。
 4キロのウエイトをBCの背中のポケットに入れている。お台場で良いバランスだったから、多分大丈夫だろう。
 最近、タンクを誰かに背負わせてもらうのが通常になってしまった。
 そう、メンバーが誰々だったか、言うのを忘れていた。鶴町(お姉さん)福チャン(カメラ)山本さん(ワークショップの中心)増井さん(ワークショップ映像記録)早崎さん(減圧症関わりの病院関係で古いつき合い。テクニカルスタイルのダイバー、常に6リットルのベイルアウトを持っている)そして、僕の6名、他には板田の常連で、半ばスタッフのように見える、ウエットにリツコと書いているやたらに美人とそのご主人だろうか、ほかにもの静かな男性ゲスト。
 互いに自己紹介をするべきなのか、ブリーフィングの時に、ガイドするサヤが紹介するべきなのだろうか、僕は、こう言うとき人見知りするし、まあ、それぞれのチームが心配のないメンバーで常連なのだろうから、自然体で良い。
 僕は福田君にタンクを背負わせてもらう。彼はスーパーマンで、大きな一眼キヤノンを持って、僕のガードもしてくれる。僕から眼を離さない。つまり、僕をファインダーの中に入れている。撮影していると言うことになる。鶴町はショッキングピンクのウエットスーツで、だいたい僕の視界の範囲にいる。僕たち6人はユニットになっている。
 一つの理想型をなんとなしに作っている。僕の面倒を見なくてはいけないと言う意識が共通にある?それで、良いと思っている。我田引水を言えば、僕がみんなの面倒を見ている意識の時代よりも安全度は高いだろう。
 この辺のバランスは、皮膚感覚のようなものもあり、その日その日、でもある。
 
 僕は例によって、船縁から乗り出すようにして、水面の障害物、人の居ないことを確認しながら、伸ばした手にカメラを持ち、カメラを先に水に浸けるような形で頭から水に入る。半回転した視界に水面と船底が見える。さらに身体を慣性で廻して、底を見る。視界はとても良くて、3m角の大型魚礁が乱積み2段、7ー8個の上に4個が乗っているのがよく見えて、サヤともう一人が既に底にいる。
 見回したが福ちゃんは見えない。潜降索が近くだったので、そのまま潜降索をたぐって降りる。潜降索を手放して良いバランスで気持ちよく沈んで行く。流れは微弱。
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今年の夏、最高の潜降。左にカメラで追ってきた福ちゃんが眼に入る。カニの手をいっぱいに広げたライト。僕も、ライトを点ける。鶴町のピンクが、魚礁ブロックに向かっている。
 魚礁全体に小魚(イワシの類)が雲のように覆っている。ワカシらしい群が少し離れて見えるが確認できない。海底にいるサヤのところまで降りる。彼女はどんどん魚礁の下段に、海底を這うように入っていく。小柄だからすいすいすり抜けて行く。僕も入るが、彼女はどこかにすり抜けて、見えない。
 中心で止まって、すべてが眼に入るまで静止すれば良かったのだが、すり抜けていく。やはり閉鎖される感じで不安なのだ。GOPROの動画がすべてを記録しているはず。廻っているライトの点滅を確認する。スチルのニコンは適当にシャッターを押す。特にねらってはいない。マスクマウントに4000を着ければ良かったが、着けなかった。
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 外に出ようとするところで、背中がひっかかて、出られない。この3m角の大型FP魚礁は強化のため、そして複雑化して陰を多く作るために梁が放射状に入っている。ドリームのようにトンネルにならないのだ。ちょっともがいてはずした。
 ドリームと同じように、ソフトコーラル、ウミトサカきれいに付いている。
 魚礁の中外に群れている小魚は、イサキ、ネンブツダイ、ETC あまり大きくない   マハタ、10cmクラスのムツの若魚の群 00 (100程度に見える群を、00、1000の位の群を 000、万以上を0000と表すようにする。)
 
以下GOPROに記録された魚を見た順に記す。
 
 とここまで記憶で書いた。
 GOPROの動画記録を見るとまるで違っていて驚く。せっかくだから記憶の文は消さないで、ここから動画記録を見ていこう。
 
 まず、サヤは僕の左横から追い越していき、一度振り返り、僕の方にカメラを向け撮影してから降りていく。記憶は二つの潜水がごっちゃになっている。2回目の時、サヤは、下にいたのだ。
 ここから先も、僕の見ている目とカメラがちがっている。それは、今回は、マスクマウントのカメラを着けないで、手持ちにGOPROを着けただけ。この方がカメラが動かないしあとでの使い回しによいのだが、記録にはならない。本来ならば、マスクマウントにタイマー表示のでるSJ4000を着け、手持ちにGOPROを着ける。準備があわただしくて、SJを省略してしまった。省略はしなければ良かった。
観察した魚類
@魚礁全体を覆うように、そして魚礁の中にも イワシの類 無数の群 00000
10万単位
Aゴンズイ 5cm 00
以下、下の段と底
Bカゴカキダイ 10cm 底の部位に群れる。00,000かもしれない。
Cコショウダイ 20cm 3
Dイシダイ 20ー30cm 3
Eマハタ 20ー30cm 2
Fカンモンハタ 20cm 1
上の段
Gタカベ 10cm 0 50
Hコロダイ 50cm 1
Iニザダイ 10ー20cm 5
Jタカノハダイ 20ー30cm 2
Kムツ 若魚 15cm 30 上段魚礁の中
Lスズメダイ 5ー10cm 散在 100以上か
Mウツボ 2
Nハコフグ  15cm  2
Oオハグロベラ 10cm  1
Pイサキ 10ー20cm  30
Qネンブツダイ 10cm 多数 全体にわたって散っている。
※GOPROに写ったものだけをリストアップした。
同じ個体と思われるものが繰り返し出現したものは、1回だけ数えた。
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 特に意識して追尾したのは、40cmクラスのコロダイ、大きな魚はこれだけしか眼に入らなかった。
 サヤに引率されて、みんなはどこかに消えた。
 聞けばクダゴンベを見に行ったらしい。僕は興味がない。
見ようと意識しているものの違いが、行動を別にする。つまりはぐれるのだ。僕は福ちゃんが追ってくれているから、バディであり心配ないが、ガイドとの考えのちがいがはぐれる元だ。
 ところで、せっかく持ってきたダイブコンピューターが動いていない。水に入ったら自動的に表示されるはずの液晶が空白のままだ。ソリューションを一緒に着ければ良かった。持ってきていない。水深も時間経過もわからない。感覚的には水深15m、時間は30分ぐらいか。寒くはないが、少し冷えたから、水温は24度だろう。
 透視度は素晴らしく良い。黒潮反流が入り込んできている。今後ここに潜る度にあのときは良かったと振り返るだろう。福ちゃんの撮った大型カメラでの動画は素晴らしかった。僕が死んだとき、バックに流せる。そういうことを言うからなかなか死なないと娘は言う。
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 潜降索につかまって、感覚的に、5分以上止まったので、舟に上がることにした、たまには、一人で上がれるかどうかチャレンジのつもりだ。
 幅の広い梯子に膝をついて、段を上がる。乗り出すようにしてカメラを舟に上げる。上がっていく自分を記録するように、カメラを上に向ける。
 最後の一段 舟の上に上がる時が身体が重い。うまく上がれて、良かったと思ったら、あとで、福ちゃんに怒られた。下で見ていて心配だった。今度はみんなと一緒に上がってください。
 
 ここ板田は、舟の発着岸壁と、ショップのハウスが離れている。毎度、機材を降ろして軽トラで運搬する。
 昼食は、一休庵からの出前かサヤが作るカレーランチの選択、実は一休庵 好きなのだ。が、ここはサヤのカレーをリクエストするのが、礼儀だと思いカレーランチにした。
 カレーはおいしかったけれど、一休庵の天丼だったか。そば屋の天丼として、おいしい部類なのだ。
  午後は松根に行く。
  その昔、というと、1980年代のおわりだろうか、板田で三浦洋一さんの水中レポートシリーズの撮影をしたことがある。たしか、夜の撮影がテーマだった。何を撮ったのか思い出せないが、場所はマツネで、美しくて成功だった。 

飛び込み潜降はうまくできた。
 記憶ではなくGOPRO記録を見ながら書こう。
 流れがかなり速くなっているので、飛び込んですぐに潜降索を握って降りていく。
 小さな礁が砂地にだんだら模様のように散在している。僕の記憶している松ねとちがう。
 50mほど離れた人工魚礁にユウゼンがいるとかで、見に行く。僕はユウゼンには興味がない。黒潮に乗って来たと言うこと。

 人工魚礁は、同じく3m角のFP魚礁でここの方が数は少ない。
 @イサキ 10ー15cmの稚魚の群
  000 魚礁の外側から中にかけて
 Aネンブツダイ 群  5ー10cm   0000 
 Bイサキ 5ー10cm ネンブツダイとほぼ同じ位の数の群 0000
 Cタカベ 10ー15cm 100
 僕はユウゼンは見られなかった。みんなはどうだろう。
 松根に向かって戻るらしいが、かなり流れが速く、残圧が80になったのでアヤに申告
 ようやく、松ねと思われる根に到着した。昔とまるで違っている。昔あったはずのカジメが全くない。丸裸の根だ。

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 ヤギの類も乏しい。
潜降してきたアンカーからのガイドロープがある。ようやく、昔みたヤギ、の類の多彩な群落が見えた。ここが美しい松根の始まりなのだろうか。数枚の写真を撮って 浮上ロープに戻った。アヤは、残圧が30になったら、このロープで浮上してください。とボードに書いて見せる。
 残圧は50、もう少し松根の先まで行っても良かったが、不案内だから、戻って正解。
 浮上する事にした。
 やはり僕が先頭だったが、今度はアヤが付いてきていて、フインをはずしてくれる。舟に上がったところで、舟がゆれて、足下がよろけて倒れた。起きあがれないのでタンクをはずして起きあがった。
 人工魚礁に行ってしまい、松根の全貌が見られなかったが、昔の面影もなかった。
10年ほど前だろうか、ひどい磯焼けが問題になった。そのときにカジメが失われて、回復していないのだろう。
 ダイビングポイント的に見て、美しいソフトコーラル、イサキの群、空一面を覆うようなイワシの群の大群、これは、人工魚礁について居るものと思われ、僕は見なかったが、イワシを追うワカシの群も見られたらしく、大型魚はいなかったが、全体として美しい満足できるポイントになっている。ユウゼンもこの魚礁に来たものだ。もしも、この魚礁が無かったならば、ダイビングポイントとして、ダイバーを集めることは難しいのではないか。
 アヤは、たいへん魅力的なおもしろい個性で楽しかった。

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Posted by 須賀次郎 at 09:40 | 活動 | この記事のURL | コメント(0)

福島第一原発潜水  5[2017年09月17日(Sun)]
2017年 03月 08日
0308 福島 5 編集 | 削除

2月23日
予想通りに天候は晴れ、風もなさそうだ。バイキングを食べてから出られた。
今日潜水できたら、これでロケは終了し撤収するので、チェックアウトをして出るという。僕は何の相談も受けていない。出演者なのだ。
自分的には、ようやく身体も慣れてきた。調査ならば、これから、という感じなのだ。まだ何も調べていない。機材のテスト程度しかしていない。
しかし、これはテレビロケなのだ。このごろ、テレビから足が遠くなっている僕の感覚がちがう。桶田プロデューサーが、これで十分と言えば充分なのだ。
 
潜水は四倉沖の江名に潜る。江名はS44年に福島の魚礁似始めて潜ったときの場所で、大和田さんと潜った。途中、気分的に折れたときには、ここで黄金のアイナメを追うことにしようなどと言ったこともある。
潜る予定のポイントは高さが10mあるペンタリーフという大型魚礁だ。
久ノ浜を出て、福島第一とは逆方向、遠ざかる方向におよそ40分。GPS位置もしっかりとれているし、魚探にも大きく写るはずだ。
少しばかり捜索して、魚礁を見つけ、今度は大きいダンフォース型錨を潜降索のアンカーに着けた。
今度はマスクマウントもGOPROを着けた。分析器も完璧だ。潜水の手順、段取りも各自よくわかってチームになっている。中川が撮影、須賀が出演、山本が分析、久保はDPVでアンカー周辺を回って、魚礁とアンカーの間にラインを張る。ラインが長い場合には、須賀を曳航する。これは、オーバースペックだと思うけれど、態勢として完璧だ。大西がゴムボートオペレーター、国方が及川丸での機材降ろしと引き揚げ、須賀の引き揚げ、など上回り全般。
 水温が11度と暖かいので、ドライスーツは、インナーの下着をダマールとDeepだけにした。これで足の浮きが若干改善されるだろう。
 水深は32mを予定して、僕の潜水時間は8分とした。31%のナイトロックスを使う。
 久保さんが先に潜って捜索してラインを張る。かなり時間がかかっている。アンカーから15mの位置に大型魚礁がある。
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 中川、山本が飛び込み、ゴムボートに着いてから、須賀が入る。やはり足、下半身が浮くけれど、それは自分が斜め45度の姿勢に慣れてしまっているからだろう。中川が僕を撮影しながら潜降していく。
 以下の説明は自分のマスクマウント ウエアラブルカメラの撮影結果を見ながら書くことができる。このマウントの撮影、自分ながら上達している。そのまま見られるし、相当迫力がある。編集してスマートフォンに入れておこう。


  32mの降下は長く感じるが、安全策としては、速すぎるだろう。下を見ながら潜っていくので、かなり濁っている感じだが、ヘッドマウントの撮影結果から、やや上向きになった映像をみると、福島沿岸としては、透明度が高く、ペンタリーフの向こう側、7mほど離れたところに、1.5角の魚礁一個が見える。1.5角魚礁群の上に、大型を枕設したのだろう。カメラは1.5を見て、写しているが自分の目は確認していない。
 アンカーまで下りて、魚礁に引いたラインにすぐに乗る。下りながら大型が見えるかと思っていたのだが見ていないのでラインがあってよかった。
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久保さんのDPVにつかまった。
 山本さんの分析器を見る。これも演出的だ。上方にキツネメバルが見える。あまり大きくないがスチルを撮ろうかとカメラを構えると、誰かが僕の身体の方向を力を入れて動かした。その方向、足下に大きなミズダコがうずくまっていた。ライトを点けて、スチルを何枚か撮る。1枚か2枚で、他を見た方がよかったが、視界が狭い。タコから目を離すと、黄色いアイナメがいた。黄金とまでは言えないが、黄色い。そのアイナメに接近したが、追い写しをしてしまう。カメラマンとしては落第だ。最近スチルを撮っていないので下手になっている。追って、魚礁から少し離れた。久保さんが、戻るか?と聞くので、浮上のサインを返す。江名3.JPG
 ロープをたぐって浮上する。久保さんは僕の上に居て抑える形だから、これで良いと思って上がる。
 DPVは完全な中性浮力で彼の横に漂っている。手は触れていない。このDPVの優れたところは、ここなのだと思う。これまでのスクーターならば、手に持っていなければいけないだろう。手が塞がってしまう。

捨てても惜しくないカメラとして、乱暴に使っているが壊れない。
 久保さんとの浮上サインを確認して水面にでる。新しいダイブコンピューターの安全停止の表示は、やはりよくわからない。安全停止は確認できていない。ダイブコンピューターの画面をみると、目一杯速度違反のマークがでている。M値の表示のところには、DECOのマークが点滅している。31%のナイトロックスだから、良いのか?ナイトロックスへのダイブコンピューターの切り替えは、面倒すぎる。空気のままナイトロックスを使えばそれで良いと考えていた。
 10時53分潜水開始、最大  34。3m 潜水時間17分 水温12度 速度表示は最大、右はDECOのマーク点滅。


 全面的な信頼を置いているのだが、久保さんの潜水時間は長い。僕たちの潜る前にライン張で潜っている。僕よりも先、上に上がっている。別に停止はしていない。多分、僕たちの潜水を、水深20m辺で見下ろしていたのだろう。僕は彼に右へ倣えで浮上している。31%ナイトロックスならば、これで良いのか。良いのならば、調査の潜水はすべてナイトロックスが良い。
 帰途、四倉の道の駅で食事をして速攻で東京に帰ってきた。
 さて、これで終了だ。番組の放映は予定どうり3月11日午後2時、長さは多分10分程度だろう。その後、日を改めて30分の番組を作る予定とか。
 僕自身が老いた姿でテレビに出ることは、恥ずかしいのだが、そのことでこのような番組を作ることができ、γ線スペクトル分析器も世にでたとすれば、厭ってはいけない。
 それに、人が潜る理由は、人の頭脳が水中に入り、水中で考える。水中の体験を基にして考える。潜らなければ、議論は常に机上の空論になる。だから、頭脳が生きている限り潜る。その結果、人間の身体が死んだとして、それはそれだけのこと、いつも思う。ダイバーの身体は自分という頭脳を載せて潜る潜水艇だと。耐用年数がとっくに切れている潜水艇だけど。まだ、廃棄処分にはしない。

Posted by 須賀次郎 at 17:11 | 成果物 | この記事のURL | コメント(0)

福島第一原発 潜水 4[2017年09月17日(Sun)]
2017年 03月 07日
0307 福島 4 編集 | 削除

 2月20日 
 剣だしは、福島第一原子力発電所の沖、およそ6キロにある天然礁である。かつて、スガ・マリン・メカニックで福島県水産試験場の依頼で調査したことがある。残念なことに実際に潜水したのは自分ではなかった。チーフダイバーだった河合が調査した。その報告書を垣間見たことがある。岩が入り組んでいて隙間がある。魚が隠れる、集まりやすい良い磯なのだ。そして、河合が言っていた、福島らしからぬきれいな磯だと。その場所の平面図だけが、なぜか残っている。僕が行きたいと思って残しておいたのだろうか。
 桶田プロデューサーと最初に会った時に見せたのもこの剣出しの図だった。なお、この磯根の名称は、各組合によってちがうらしい。剣だしとは、あくまでも僕の持っていた図に書かれた名称である。手にしている図にも、イシキネとも書いてある。
 2011年に福島県水産試験場におじゃましたとき、スガ・マリン・メカニックで調査した報告書が書庫にあり見せてもらった。写真が入った報告書で、その中に、この磯ねの報告書もあって、見たような記憶がある。今回訪ねた時は見せてもらえなかった。テレビ局の取材も兼ねていて、カメラが入っていたからだろうと思う。
 終わりに、結論として剣だしのことはもう一度のべるが、僕の調査手法の基本は定点連続観測である。この根は定点になる。
 20日朝、早朝の出発だった。聞いていなかった。すでに述べたように今回の自分は、潜水計画、段取りの中枢ではない。出演者という役割だ。
 午前中だけがかろうじて潜れる海況だろうとは、僕も予想していた。たたき起こされる形になった。一緒の部屋の久保さんは、規律正しく、朝もきちっとしている。もう出発できる状態になっている。僕は朝が弱い。10時頃にならなければ、人として機能しない。
 車に乗せられて、久ノ浜に向かう。10分ぐらいで到着してしまう。せめて1時間かかれば、眠れるのに。潜水機材はすでに船に積んである。撮影調査機材を用意して、潜水機材は確認すれば良い。
 僕の撮影機材は大げさなものではない。昔使っていたsea&seaのシンプルなハウジングにフィッシュアイのライトをつけた。深さ40mでも大丈夫だし、いざというときに手放して捨てても良い。
 中川はお道具といえるプロの撮影機材を持つ。軽量のカメラを用意してきているがそれでも大きい。山本君は、ガンマ線分析機を持つ。久保さんは大きいDPVを持っている。僕が流されたとき、ゴムボートに到着出来なかった時に曳航してくれるという。そんなことは無いが、スーパバイザ―である。
 久ノ浜から第一の前までは、40分ぐらいだろうか。剣出しのGPS位置は、漁師に正確な数字をきいている。

福嶋第一.JPG
 沖合、6キロ沖といっても、第一はかなり近くに見える。
第一をバックにチームの記念写真を撮る。
 
 潜水準備をする。いつも何か重要なものを忘れる。マスクを取り違えている。ウエアラブルカメラが取り付けられないマスクを持ってきてしまっている。これは、痛恨と言っていい。僕の見た目の映像が撮れないのだ。このため、このポイントの水中写真がない。
 泣いているわけには行かない。
 凪とはいえないまでも、ゴムボートが出せる。
 及川丸は、停止して、その周辺を小回りする。GPSの位置なのだ。小高く盛り上がっている上に来ている。位置決め、潜降の錘、ブイを入れる。船から飛び込んで、ブイまで泳ぐのがいつも不安である。泳ぐトレーニングは欠かしていないが、不安である。恐怖心、不安を大事にする。安全は恐怖というカードの裏側だ。などと書いているが、本当に不安だ。
 上回り、潜らない世話役の国方君がタンクを背負わせてくれる。みんなが入り、スタンバイした状態で、船を近づけて貰って、サイドロールで飛び込む。
     飛び込み.JPG    

 泳ぐと、少し流れがある。流れというほどの流れではないのだが、下半身が浮いているような感じがする。インナーの浮力に慣れていないだけだと言い聞かせて泳ぐ。潜降索につかまってたぐるとすこし緩い。余分があるということだ。山本さんと一緒である。僕は、水底でγ線分析器を操作する。それを中川が撮影する。このカットを押さえれば、あとは、その場の生物を撮れば、この撮影は成立する。
 潜降索をたぐるが、下を向いているので暗い。人間の目はカメラの目に比べて暗い。
 潜降.JPG
 海底に着く。泥岩という感じ、所々にオレンジのホヤが着いている。γ線分析器を手に取る。驚いた。
 分析器は上面のCRT表示、テレビモニター画面を上からウエアラブルカメラで撮影記録するようになっている。そのウエアラブルカメラが飛ばされてしまってない。取り付け部が衝撃を予想した強度がなかった。これがこの日二回目の痛恨、もう一つ痛恨が続くのだが、それは後からわかること。
 分析器を持って少し泳ぐ。岩ノ下に隙間がある2mほどの高さの磯に接近する。魚、多分メバルの類が、右手下に見えた。それをゆっくり見る余裕がない。視界が狭窄している。岩ノ下に分析器のヘッドを差し込んでみる。
 自分の潜水時間は無減圧で、8から9分時計画していた。後ろでカバーしてくれている久保さんに浮上の合図をする。潜降索の位置までは10mも離れていない。
 ロープをたぐるのは長くかかるという感覚がある。むかし、福島の魚礁に潜水したころとは、浮上の速度が2倍以上遅くなっている。
 波が出てきているのでセフティストップは5mでする。新しいダイブコンピューターi300 は、セフティストップの表示がわかりにくい。
 頭を抑えるように上に見ていてくれる久保さんが上がったので、僕も上がる。波がかなり高くなって来ている。BCとウエイトを脱ぐのに手助けを受けてしまう。本船にもどり、船縁から手を降ろしてもらって、よじ登る。それほど息は切れていない。
 潜水開始 9時42分 最大水深27.2m、潜水時間14分 水温11度
 波が高くなってきて、山本さん、中川が機材をあげてよじ登り、ゴムボートの引き揚げを見ると、このくらいがゴムボートを使う潜水の限界かと思う。
 中川の撮影プレビューを見ると、カレイ、そして黄色いアイナメもいる。カレイは手乗りのように接近出来たという。海底はオレンジのホヤで美しい。
 とにかく想像していたよりもきれいだ。これが、福島第一の目前なのか、福島の海は生きている。
 
 明日21日は風が強くなる予想で、潜水は中止、中川と大西は、東京に戻った。
 僕は、気圧配置は冬型だから、明日も早朝は潜れるのではと未練を残しているが、とにかく、福島第一の前に潜水でき、撮影もできた。自分については痛恨がいくつかあるが仕方ない。
 温泉に入って身体をやすめよう。
 
 2月21日
 宿の夕食は相当に豪華であり、朝食のバイキングもとても良いのだが、あまり食欲がない。と言って食べないわけではない。
 分析器のカメラはゴムボートの上で外れて飛んでしまった。外れないように取り付ける工夫、工作をしなければならない。みんなでドイトに行った。取り付けはうまく出来たのだが、いわきのドイトは大きい、何でもある。東京人のくせに田舎にきて感心している逆おのぼりさんだ。僕はサングラスを買ってしまったが、一括して久保さんが払ってくれてしまった、テレビ局に請求すると言って、僕が出そうとするのだが、聞いてくれない。ありがたくいただいて、久保さんに買って貰ったサングラスということで、大事に使おう。
 宿に戻り、国方君は富岡町の同級生にと会いに行く。久保さんは温泉でゆっくりする。山本さんはアクアマリン福島に行くという。
 僕は疲労が大きいので、常識的には温泉を選択するべきだ。僕は迷ったが、「えい!」っとばかりに、アクアマリンを選択した。アクアマリンとは因縁があり、書くことがたくさんあるが、それは別の話だ。


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福島第一原発潜水 3[2017年09月17日(Sun)]
2017年 03月 06日
0306 福島 3 編集 | 削除

2月19日、
2時に目覚めてしまった。6時に事務所で待ち合わせだから。僕の睡眠のピッチは4時間だから、次は6時に目覚めることになる。それでは、間に合わなくなるので、眠れない。
 5時30分に事務所に行った。山本徹さんが車に乗せていってくれる。5時45分に出発した。
 車の中で眠る。
 10時に福島県四倉の久ノ浜に到着した。およそ4時間である。2011年には自分が運転して、アシスタントをしてくれる鈴木君を拾い、12時少し前に久ノ浜到着。15時頃に潜水を終了して、16時ごろ東京に向かって走る。往復自分で運転する。6年前はまだまだタフだった。
 ゴムボート 1.JPG
 11時には、全員集合して、潜水準備を始める。河童隊の中川はゴムボート2隻を車から降ろして組み立てを始める。大西がゴムボート運用の中心である。
 久保君は、僕と山本さん三人の使うタンクを持って来ている。31%酸

素のナイトロックスを使う。
全体の世話を総合的に見る、上回りを日本水中科学協会運営委員の国方君が引き受けてくれる。彼は、第一原発に近い富岡町の出身だとかで、来てくれた。ダイビングの関連者は、自分も入れて、総勢5人である。この編成も、機材の用意もこれから始める潜水の段取り、僕が一番大事なこととしている段取りもすべて中川が中心になって仕切っている。これまで、すべてのオペレーションで、僕が中心だったが、今回は中川である。僕は一切主張はしない。こんなことは、初めての体験になるが、船頭多くして、船、山に登るというたとえもある。
 自分は、自分の道具の心配をしていれば良い。レギュレーターは、整備してきたDWだが、セカンドを換えてくれたので、マウスピースは、特に小さいものを使っていたのだが、普通に小さいものに変わってしまった。別に問題はない。BCは、これも30年ものの、旧アポロのプレステージである。着脱が目をつぶっていても手早く出来なければならない。ドライスーツはワールドダイブが、2013年に作ってくれたもので、その後使いこなれている。5mmのドライである。問題はインナーである。中川も久保さんも、山本さんも、大西も国方君も、みな今時の綿入れのようなインナーを着ている。僕は1980年代に流氷の潜水を重ねた時に着ていたインナーだ。裏が起毛で、表は水を跳ね返す黒い生地だ。DEEP というタッグが張ってあるから多分シンギーのものだろう。お台場では、   キルティングの作業員つなぎを着ているが、昔のDEEPを引っ張り出して来た。一番下にダマールの上下を、これも80年代、流氷時代のものだ、その上に「日だまり」これは柴田君に最近もらって気に入って着ている。普段の生活では、ダマールと日だまりを交互に着ている。それを重ねた。2012年の冬、ここ久ノ浜で、水温は5ー6度だった。その時何を下着に着ていたか覚えていない。特別のものを用意していれば覚えているはずだ。覚えていないから、多分お台場で着ているキルティングだったろう。
久ノ浜.JPG
 船に機材をすべて積み、昼食のお弁当を食べ、港も真ん中に船を置き、ゴムボートに分析装置を積み、アンカーを降ろしてブイを打ち、潜水を開始したのは14時59分、僕はタンクを背負い、サイドロールのようにして、飛び込んだ。船縁は高いけれど、そのことは問題ない。やはり冷たく感じたがダイブコンピューターの測定では11度もあった。山本さんのダイブコンピューターが10度だったから、間違いではない。
 飛び込んで二呼吸ほど深呼吸すると、収まって泳げる態勢になる。泳いでゴムボートに向かった。ウエイトが軽くて沈めない。
 7キロのウエイトベストに4キロのベルト、レッグが1。5キロ、タンクが12リットルだから、下着は増えたが、お台場と同じで良いと思った。久保さんから3キロもらって、BCのポケットに入れて、沈んだ。海底の水深5。9mでは、オーバーウエイトになってBCに空気を入れた。下では普通に泳げたが、水面で足が浮くのは困った。立ち姿勢になり空気をぬいても、足が浮く感じになる。身体のバランス感覚が悪い。9分間潜水した。この場所は2012年に潜水したところなので、よくわかっている。柔らかい砂で、巻き上がるけれど、ヘドロではない。2012年には線量が二桁上がる。ホットスポットがあったが、そのスポットに
久ノ浜γ線.JPG
繰り返して行くことが出来なかったのだから、今度当たるはずはない。
 ゴムボートに上がる時、5mmのスポンジ手袋では、手早くバックル類を外すことが出来ず、付き添ってくれている山本さんとボートの上の久保さんが引きはがすように手早く脱がしてくれてしまう。自分で手早く脱げなかったことが、少し悔しい。手袋に慣れていないのだ。
 とにかく予行演習は終わった。これをやらなければ、危ない。内側から感じる体調は悪かったが、外側から見たら、わからない程度だろう。
 
 宿は、「いわき簡保の宿」という温泉だった。冷たい水に浸かったあとの温泉だからごちそうだ。

2017年 03月 07日
0307 福島 4 編集 | 削除

 2月20日 
 剣だしは、福島第一原子力発電所の沖、およそ6キロにある天然礁である。かつて、スガ・マリン・メカニックで福島県水産試験場の依頼で調査したことがある。残念なことに実際に潜水したのは自分ではなかった。チーフダイバーだった河合が調査した。その報告書を垣間見たことがある。岩が入り組んでいて隙間がある。魚が隠れる、集まりやすい良い磯なのだ。そして、河合が言っていた、福島らしからぬきれいな磯だと。その場所の平面図だけが、なぜか残っている。僕が行きたいと思って残しておいたのだろうか。
 桶田プロデューサーと最初に会った時に見せたのもこの剣出しの図だった。なお、この磯根の名称は、各組合によってちがうらしい。剣だしとは、あくまでも僕の持っていた図に書かれた名称である。手にしている図にも、イシキネとも書いてある。
 2011年に福島県水産試験場におじゃましたとき、スガ・マリン・メカニックで調査した報告書が書庫にあり見せてもらった。写真が入った報告書で、その中に、この磯ねの報告書もあって、見たような記憶がある。今回訪ねた時は見せてもらえなかった。テレビ局の取材も兼ねていて、カメラが入っていたからだろうと思う。
 終わりに、結論として剣だしのことはもう一度のべるが、僕の調査手法の基本は定点連続観測である。この根は定点になる。
 20日朝、早朝の出発だった。聞いていなかった。すでに述べたように今回の自分は、潜水計画、段取りの中枢ではない。出演者という役割だ。
 午前中だけがかろうじて潜れる海況だろうとは、僕も予想していた。たたき起こされる形になった。一緒の部屋の久保さんは、規律正しく、朝もきちっとしている。もう出発できる状態になっている。僕は朝が弱い。10時頃にならなければ、人として機能しない。
 車に乗せられて、久ノ浜に向かう。10分ぐらいで到着してしまう。せめて1時間かかれば、眠れるのに。潜水機材はすでに船に積んである。撮影調査機材を用意して、潜水機材は確認すれば良い。
 僕の撮影機材は大げさなものではない。昔使っていたsea&seaのシンプルなハウジングにフィッシュアイのライトをつけた。深さ40mでも大丈夫だし、いざというときに手放して捨てても良い。
 中川はお道具といえるプロの撮影機材を持つ。軽量のカメラを用意してきているがそれでも大きい。山本君は、ガンマ線分析機を持つ。久保さんは大きいDPVを持っている。僕が流されたとき、ゴムボートに到着出来なかった時に曳航してくれるという。そんなことは無いが、スーパバイザ―である。
 久ノ浜から第一の前までは、40分ぐらいだろうか。剣出しのGPS位置は、漁師に正確な数字をきいている。

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福島第一原発潜水 2[2017年09月17日(Sun)]
0305 福島 2 編集 | 削除

桶田さんの努力で、出てくれる船が決まった。久ノ浜の船だという。2月内に撮影を終了、3月11日に放送と最初の段階で予定していたのだが、ほぼ予定どおり、2月19日に出発することに決まった。25日までに何日間潜水ができるだろうか。。
 2月10日、いわきへ行く。
 水産試験場と、久ノ浜の船を見に行く。
 試験場では、僕の調査の趣意を説明し、スガ・マリン・メカニックがやった調査の報告書のコピーをもらう。魚礁のGPS値を教えてもらう。
 福島の魚礁はほとんどが水深40m線にある。最初に考えていた双葉の魚礁も大熊の魚礁も40ー50mにある。40m以上は混合ガス潜水になるし、福島の海の状況、そして、自分の年齢を考えると、自分が潜るのでは35mが精一杯だ。福島第一の前の天然礁、剣だしは、水深25m線にある。そして、四倉沖、江名の魚礁は、水深32mだ。
 水深ということで絞るとこの二カ所が候補になる。
 漁場環境部長の談では、今はもうほとんどの魚種がセシウムは検出されていないし、線量も基準値以下で、出荷制限も解除されている。2012年に来た時には、タコが食べられるぐらいで、漁はしても、測定しては廃棄だった。
「アイナメはどうでしょうか?」ホームページでも確認できるのだが、インタビューの形で撮影されていたので、僕は訊ねた。「アイナメはもちろん大丈夫です。」福島県四倉のアイナメは、特に美味で、震災前は、ブランド魚だった。そして僕はこのアイナメに特に思い入れがある。
 

                 大和田さんと福島の人工魚礁
 平成26年:2014年に書いた「ニッポン潜水グラフィティ」のおわりに囲み記事で書いた福島沖人工魚礁
「福島県で人工魚礁調査を行った海域は、放射能汚染海域になってしまっている。松川浦、相馬、双葉、大熊、四倉、江名、すべて沖に人工魚礁があり、潜っている。1970年代のホームグラウンドだ。そして、その1970年代は福島県水産試験場の大和田技師と潜っている。大和田さんは、人格が丸く、顔も丸く、身体も筋肉質で丸い。ダイバーとして、僕より上だった。なぜかと言えば寒さに強い。良いダイバーかどうかは寒さに対する強さで決まる。冬、水が澄む頃、相馬の沖から岸を見ると、空気も澄んで、蔵王あたりの山並みが見え、まっすぐに北西の季節風が吹き下ろしてくる。潜水を終了して船に上がると、大和田さんはウエットスーツをがばっと脱いで真水をかぶる。蔵王おろしが当たって身体から湯気がでる。僕もまねしてみた。たちまち身体が硬直して、もう少しで低体温症で凍死するところだった。
 震災、大津波のことで何かの役に立ちたいと思ったが、瓦礫の引き揚げは、僕の年齢では足手まといになる。僕でなければできないこと、海に流れた放射性物質の調査を企画した。理化学研究所の守屋さんとともに、彼の微細生物の研究をたすけて、久ノ浜で調査が出来、10日間、うねりの中、濁水の中で潜った。その経験を生かして水深40mまで持ち込める放射線スペクトル分析装置のハウジングを後藤道夫に作ってもらった。彼の最後の仕事だったろう。昔潜った双葉沖(福島第一原発の前だ)の人工魚礁に潜って調べたい。大和田さんの力を借りたかったが、試験場で消息を訊ねると、「残念なことでした」という答えが返ってきた。大和田さんも津波には勝てず、流された。そして僕は福島第一原発の前の海には、いまだ潜れていない。」
 これが、今度の企画の原点、僕の書いた企画書ともいえる。大和田さんはすでに定年退職されていたが、彼が生きていれば、僕の潜水は、実現していただろう。少なくても今度の潜水で船の上で助けてくれただろう。
大和田さん.JPG
 大和田さん、福島魚礁との付き合いの最初のころ潜ったのが、四倉沖、江名だった。その時に書いた魚礁調査報告書のコピーがPCに残っていた。昭和44年:1969年報告書とファイルにタイトルが付いている。その中で、これがベストショットだった。オレンジの縁取りになっている。黄金のアイナメだ。
 黄色いアイナメは、アイナメの婚姻色でそれほど珍しいものではな
アイナメ.JPG
いと知ったのは、後に調べたことであり、水中での出会いは驚きだった。オレンジと黄金に近いイエローとの対比、それを、生きていられる極限のような水深32mの冷たい福島の海底で見る。シャッタアーを押す。
 大和田さんは、腕いっぱいに抱えるようにして、オレンジのホヤをもぎ取ってきた。「拓水」という調査船の甲板の上で、ナイフでホヤを開いてたべた。これまで口にしたことが無い味だった。

 
 船を出してくれるという久ノ浜は2011年10回の潜水をしたところだ。
 及川丸.JPG
 船は及川造船の及川丸、及川造船は漁港の中心部を大きく占めている。港の最有力者なのだろう。2011年には造船場も大きく破壊されて、壁もなく屋根と半ば破損した作り掛けの船があったが、今は、どんどん新しい船を造りだして居る様子である。作り掛けの漁船が何隻も並べられている。


 及川丸は、25人乗りの釣り船で、船室もあり、風を避けられる。心配なのは船へのエキジットで、僕たちはゴムボートを使うつもりであり、またゴムボートがなければ、潜水できない。
 人工魚礁調査では、アンカーを入れて、アンカーロープに沿って潜水していくのが常道であるが、魚礁の位置に、潜降索をかねた目印ブイを入れ、それにゴムボートをつなぎ、本船は近くで見守り流しているのが良いということになった。
 海を背にして、インタビュー、感慨として、僕の潜水人生のほぼすべてに関わってきた人工魚礁調査が、本格的なものとしては、これが最後、その時僕は本格的調査をするつもりになっていた。最後だと思うと感慨がある。そして、福島の海を一緒に潜った大和田さんに思いを馳せた。いま、ここに居たら、この場にいたら、そんなことを話した。
2012年の調査でお世話になった八百板さんはその時で80を越えていて今の僕よりもはるかに元気だった。今もお元気だろう。及川さんに訊ねると、お元気ということだった。戻り道で、船だまりを見ると、小さい、下から二番目に小さい八百板さんの正栄丸がいて、漁の支度がしてあった。多分刺し網漁をされているのだろう。本当にお元気らしい。多分87歳か。
正栄丸.JPG
                       正栄丸、真中の小さい船。
 東京に戻って、夜、1人になると考えた。僕の放射性物質の調査が何になるのだろう。もはや、魚からはセシウムは検出されていない。つぎつぎと生産制限も解除されている。その時にセシュウムのグラフ表示の調査映像が放送される。グラフと言うものは、レンジの取り方で、如何様にも見えてしまう。
 人工魚礁調査で黄金のアイナメを追うことをメインテーマにして、第一原子力発電所はサブテーマにしたら?と提案した。
 それでは、第一の前に行かないでお茶を濁したという言い訳になってしまう。が、黄金のアイナメは、テーマの一つとしておもしろい。
 
 そして、なぜセシウムを測ろうとするのか。考え抜き、なぜ?が見えてきた。そのことは、もう一度、後に書こう。
 ☆☆
 2月13日、風邪を引いてしまった。インフルエンザが流行している。インフルエンザになったら、福島の企画、福島に潜ることは出来なくなる。一日、外にでないで横になっていることにした。
 2月14日、
 起きあがらなくてはいけないと、起き上がるが全くの無気力とはこういうものかと思うような状態、予定を四つ入れていた。@ダイブウエイズにレギュレーターを持って行き整備してもらうことAお台場の潜水の申請書をつくり出しに行くこと。お台場の申請は、この後、もしものこともあるのだから、尾島さんの奥さんにバトンタッチするその予行を一緒にやろうと話していたのだが、とてもそんな余裕はない。自分一人でやるのが一番楽なのだ。Bワークショップ、久保さんがDPVの話題を、Cワークショップの後、福島行きの最終打ち合わせをする。
 @Aはキャンセル可能、BCは不可。
 困ったことが一つ付け加わった。ヒャックリ、横隔膜の痙攣が止まらなくなった。
 ワークショップと打ち合わせは何とか、それほど具合の悪さは表に出さずに終えた。潜水すればすべては治る。と言うだけ。幸い、締めの飲み会は機嫌良く、横隔膜の痙攣もおさまって、過ごすことができた。
 
 2月15日
 横隔膜痙攣はまたはじまった。胃の調子が少し悪いことと、心理的なプレッシャーのためだろう。
 お台場の申請、ダイブウエイズのレギュレーター整備を終えた。レギュレーターのセカンドが30年前の型だと言われた。30年整備をしなかったわけのものではない。度々、見てもらっては来ているが、セカンドはこれが一番気に入っているので、残っている。手島さんは、あんまりだ、ということで、10年ぐらい前?の新型に換えてくれた。新しい型を次々出すメーカーとしては、ギャランティ出来ないというのだろうが、ゴム製の部分だけ換えればレギュレーターは何時までも生きている。東亞潜水機時代、僕はレギュレーターのデザイナーだった。ダイブウエイズの武田さんは、僕の弟子筋なのだ。手島さんは孫弟子になる、と脅迫して、サービスさせている。サービスだから必要最小限度にしている。
 2月16日
 横隔膜痙攣はどうやら治めたが、喉の痛みがでてきた。これもかなりやばい。古い売薬が残っていたので飲んだ。よく効く薬だ。日本水中科学協会の運営委員会がある。資料作りは最小限度させてもらった。お弁当は食欲がなくて残してしまった。最新ダイビング用語事典Uについて、中川が、このようなものは売れないだろうと今頃になって異論を唱えるが、論争する気力はない。
 2月17日
 事務所で福島の機材準備をする。今度のテレビ取材の長島カメラマンが事務所の倉庫化した状況でのインタビューを撮りにくる。僕の状態をカメラマンの目で見れば、心配だろう。
 2月18日
 故大岩先生を偲ぶ会があり、大岩先生には僕の60歳100m潜水の後ろ盾になっていただいたり、お世話になっている。出席の通知を早くから出していたのだが、自重して欠席する事にした。池田知純先生とお目にかかって、高気圧障害防止規則改正についてのお話をしようとも思っていた。池田先生のアドレスがあったので、世話役の望月さんに断りをお願いした。
 大岩先生の会は、たいへん盛況だったという。
 2月19日
 そして、出発の朝がきた。


Posted by 須賀次郎 at 16:52 | 活動 | この記事のURL | コメント(0)

福島第一原発 地先に潜る 1[2017年09月17日(Sun)]
2017年2月20日、福島第一原子力発電所沖、発電所から6キロの距離にある「剣だし」と言う天然礁に、そして、2月22日に四倉・江名沖の人工魚礁に潜水することが出来た。

 2011年の大震災直後発電所が津波で壊れたときに思い立った調査潜水だから、7年かかっている。どこから話しを始めようか、2011年からか?



副地図.JPG





 今度の計画、テレビュー福島と言う局から、今度の3月11日にTBSの番組として撮影結果を放送する、

テレビ番組の撮影計画である。その話がスタートした1月18日からか。それとも、福島に出発した2月19日の時点からにしようか。

 気持ちとしては2011年から書き始めたい。しかし、それでは、3月11日の放送の時までに、放送の分を書き終わることができない。自分のドッキュメントとしては、やはり1月18日からスタートして、大急ぎで2月19日にたどり着き、2月20日と22日の潜水を2011年から17年までを振り返りながら、いやもっともっと前、今度潜った四倉江名沖の人工魚礁にはじめて潜った1969年、も振り返りながら書くことにしたい。



 1月16日、福島テレビューのプロデューサーからMailをもらった。福島の海に潜る番組制作についてで、事故から6年になるが、まだ、福島の原発に近い海では漁業は試験操業にとどまっている。常磐沖では、漁業が再開されているが、原発近くの海で、その海底はどうなっているか知らせたい。ひどい状態になっているのではと思う人が多いはず、3月11日の特番の中で、福島の水中を取り上げたい。

 桶田プロデューサーは、僕のブログも読まれていて、またニッポン潜水グラフィティも読まれていて、僕の福島の海への想いを知っておられる。

 返事を出した。

 「体調が良ければ行ってみたいとは思いますが、福島の久ノ浜に放射能調査で潜ったのは、5年前で、現在自分の年齢は82歳、トレーニングは欠かしていませんし、毎月一回は館山の海で潜っていますが、福島の海は海況の厳しい海です。よほど天候の良い凪でないと今の自分では潜れないとおもいます。」

 とにかく、次の日1月17日にお目にかかることになった。

 福島の若い漁業者は、漁の再開のために、人工魚礁などがどうなっているか知りたいと言っている。彼らのために、と言われるまでもなく、もう潜るつもりになっていた。

 しかし、福島の冬の海は、骨の髄まで身に沁みてわかっている。が、それはそれ、潜る決意を固めた。

 

 3月11日の放映となると、2月末には撮影は終了していなければならない。2月20日ごろから一週間のスケジュールとした。2月後半、言うまでもなく厳寒の時期である。

 地図で見るとわかるが福島の沿岸線は何も遮るものなく、太平洋に面している。ただ、冬の北西の季節風は、山から吹き下ろすので、岸に押し寄せる波にはならない。しかし、今回潜る予定の位置は岸から5ー6キロ、陸風でも波は高くなる。北の風と波だ。



 2011年晩秋11月から12年2月にかけて、理化学研究所の守谷さんの微生物の放射性物質吸収の研究のお世話をして、第一原発から20キロ南に下りた久ノ浜というところで、主に港の中で潜水した。港の外にでられない日が多かったのだ。合計10回潜水したが、港の外にでられたのは2回だけだった。

 ブログ参照

 2012年の調査では、放射線量、量だけを測定するシンチレーションカウンターを持って潜水した。もちろん防水のハウジングに入れ手だが、これでは、放射線の総量は測定できるが、その内容、セシウム34とか37とかの存在と量を測定記録することはできない。その測定ができるγ線スペクトル分析装置を水深60mまで持ち込めるようにした。折りよく、日本水中科学協会の会員である高野氏が、分析機製作の専門家であった。そしてハウジングは、親友以上である後藤道夫が作ってくれた。2012年夏だ。後藤道夫は2013年 12月に世を去ったので、これは遺作となった。親友価格の実費以下製作で600万かかった。

後藤道夫.JPG



 経産省の独立行政法人産業総合研究所の地下水研究グループの室長である丸井さんの研究テーマとしてお金を出してもらった。だから、この装置は、放射性物質に汚染された地下水が海の中に湧き出すことがあれば、それを測定しようという目的で作られた。

 丸井さんは、海底から湧出する地下水の研究で、一緒に潜水した縁で、日本水中科学協会の正会員である。

 

 2013年夏、できあがったγ線分析機で、福島第一原子力発電所直近の港堤防の根元で潜水調査する計画が持ち上がった。当然、汚染されている。水は放射線の遮蔽体だから、中層に浮いていれば大丈夫だろう。しかし海底に身体を着けたら汚染される。それに底うねりで巻き上がっている泥は危ない。

 ドライスーツは、おそらく一回の潜水で破棄しなければならないだろう。ワールドダイブが作ってくれることになった。

 決行の三日前、この計画は中止になった。理由はいくつか想定できる。僕が汚染されたとして、もはや80歳、余命はいくばくだから、かまわないとは言っても、問題が持ち上がらないと言う保証はない。本当の理由はわからないが、とにかく中止になった。

 その後何度か同じような話し、企画は持ち上がった。その都度、企画は消滅した。もはや、この企画は無い、しかし、この分析機を世にださなければ、後藤道夫にもあい済まない。

 そして、今度の企画である。

 実現できる企画は、ポンポンとリズムよく進展する。停滞する企画はたいていだめだ。しかし、2013年の企画は、ポンポンと進んだのだが、つぶれた。

 

 2月5日に船を出してくれる船頭と打ち合わせがてら船を見に行く予定をたてた。

 

 ところが、である。漁船は漁業組合に所属している。組合の許可が必要で、組合にお伺いを立てたところ、所属の船はメディアの取材に協力することまかりならないということになった。

 僕も基本的には水産の人だ。漁業の為にならないことなどしたくない。スペクトル分析も、魚の汚染との因果関係を知ることができれば、漁業の再開に役立てることが、出来ようと期待するからなのだ。いずれにせよ正しい詳細な測定がまず必要なのだ。もしも、2013年に測定が出来ていれば、今度の測定と比べることが出来ただろう。

 組合は、とにかく、測定の是非ではなくてメディアを信用出来ないのだという。

 2012年の久ノ浜調査の時は、福島県水産試験場が頼りだった。水産試験場から紹介してもらって久ノ浜の調査ができた。水産試験場には、僕の会社スガ・マリン・メカニックで調査した報告書がある。同じような調査をやりたいのだと話してみれば、またバックアップしてくれるかもしれない。

 桶田プロデューサーも試験場をあたってくれている。また、漁協の漁船以外の船のチャーターも探してもらえるようにと、2012年に知り合った船も紹介した。



 一緒に調査作業に協力していて、γ線分析機の製作も半々でやった、これも日本水中科学協会の理事の一人である宮内君がやっている沿岸生態系リサーチセンターは、福島県北部の相馬沿岸のサイドスキャンソナーによる人工魚礁の位置関係調査をやっていて、今回もサイドスキャンソナーで位置を正確に調べる必要があるし、そのための協力もしてくれる。

 宮内は、放射性物質汚染調査を旗印にしたのでは、漁協の協力は得られない、人工魚礁調査の各項目をやり、その一端としてスペクトル分析をするようにすれば、とアドバイスしてくれている。

 

 この潜水調査を受ける主体を日本日本水中科学協会とすることとして、水中撮影は河童隊の中川に、またアシスタントには富戸の大西を頼むことにした。この二人は須賀スクール(会社)で、長らくチームで仕事をしていた。加えて、日本水中科学協会が主体と言うことで、久保さん、山本さんもアシスタントに入ってくれることになった。ガードとして鉄壁に近くなった。



 船は依然として決まらない。

 5日に船を見に行くことはできなかったが、最近全然海で潜っていない。トレーニングしなければ、2月4日、伊豆の八幡野に大西君が主催するロゲイニング

という競技の水中からの見物、見に行った。なかなかおもしろい競技だと思った。競技という方向にレジャーダイビングが向いてくれれば、良いと思う。

 自分の潜水は不満足だった。ビーチエントリーでタンクを背負ってのエキジットが辛い。水中でのバランスも良くない。



 福島については、僕は半ばあきらめの気持ちになっていたが、プロデューサーは、福島の局だから、様々動いてくれている。そして、僕がプールでのトレーニングに励む姿を取材したいということで、2月6日の辰巳プールでの練習会を撮影された。撮影の中川も来て、水中撮影もした。水中で僕は元気だった。

Posted by 須賀次郎 at 14:41 | 活動 | この記事のURL | コメント(0)

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