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藤岡喜美子のブログ

これまで細分化されてきた日本のサードセクターを横断的に再構築し、政府・行政セクター、企業セクターといった
従来のセクターに、イノベーティブで力強く活動するサードセクターが加わることで、3つのセクターが一体的に変化し、多様な主体者が社会問題を解決していく未来に日本に変えていきます。


「たすけてください」からはじまったNPOの活動(東日本大震災が教えてくれたこと) [2016年03月13日(Sun)]
「たすけてください」からはじまったNPOの救援活動
栗木さんを偲んで
NPOの活動の原点
中間支援組織の原点にかえる
2011年3月12日
愛知県に事務所があるアレルギー支援ネットワークに被災地のアレルギーの患者の保護者からSOSのメールが入りました。
「年長の男の子に卵、甲殻類のアレルギーがあります。支援物資届けていただけないでしょうか。」わずか24時間で、非常勤職員1人の愛知県の小さなNPOに8件のSOSがはりました。ネットで懸命に支援してくれる人をしらべたのでしょう。
災害支援センターは立ちあがっていません。外部へのアクセスがまだ困難な時期です。阪神大震災、中越地震では24時間以内にアレルギーの活動をしているNPOへのSOSはゼロだったそうです。ITの進展とともに、NPOが認知されてきたのではないでしょうか。アレルギー支援ネットワークの理事栗木さんは、すぐに東北へ向かい、製造メーカーにある在庫とともに組織が備蓄していたアルファ米を、現地へ届けました。それでもたりません。
震災発生後4日目の2011年3月15日、栗木さんから私のところに電話がありました。
「『アレルギー患者は日頃から災害に備えているので2、3日は何とかなるけれども、その先は全く見通しがありません。助けてくれるところもありません』など悲壮なメールや電話が私どもに入ってきています。都道府県、市町村が災害用に備蓄しているアレルギー用のアルファ米の現地への供給要請しても、自分たちのような小さなNPOが電話をしてもたらいまわし、相手にされません。藤岡さんからお願いします。
また、SOSのある患者さんに必要なサポートを行うには搬送手段や体制の確保が欠かせず現地の燃料不足も重なり、バイクボランティア等の募集も思うにまかせません。資金など支援をお願いします。」
この組織は設立時からコンサルティングさせていただいている組織です。
「なんとかしなければ」と私もすぐに動きました。
自治体の担当者は、税金で購入したものです。ひとつのNPOの要請を聞くわけにはいかない。災害支援センターから要請がないと送れない。災害支援センターが立ち上がっていないといってもきまりはきまりと応えるだけ。最後には藤岡さんからの要請でも聞けないと
聞けないではなく、「考えろー」
時間がないのだ。
やむなく、トップへ直接交渉。
それでもちんたらちんたら・・・・
心の中で「あほー」
このような緊急時こそ、トップの判断でしょうが・・・といつもになく冷静さを欠いた口調、憤りでこぶしの血が滲みそう。ひたらすら冷静にとアルファ米の搬送を依頼した記憶が鮮明です。
同時に寄付を集めて、アレルギー支援ネットワークさんへの活動費へ資金援助

アレルギー支援ネットワークは被災地のボランティアとともに、支援拠点の設置、物資拠点の設置、被災地の支援があることを知らせるために避難所へのポスターの貼りだしを85%行い、個別の相談対応に応じました。活動費は寄付や助成金などでつなぎました。国外で活動しているNGOのように初動資金の蓄積があり、体力があるわけではありませんので、綱渡り状態です。
栗木さんはボランティア休暇を取得できなかったので、公務員でしたが退職してしまいました。「生活はどうするの。」思わず聞いてしまいました。
財政基盤が脆弱な小さなNPOが被災地からの声に、できないとあきらめるのではなく懸命に応えました。
 当時、私は、新しい公共の推進会議委員を務めておりました。新しい公共の推進会議が設置している震災制度ワーキング・グループにおいて、震災ボランティア連携室は4月22日の会議にて、ボランティアの数を公表しています。岩手、宮城、福島の3県のボランティアセンターで把握したところ、4月17日現在で11万6000人。
 これは震災発生直後40日ぐらい経った時点での数字で、阪神・淡路大震災のときのボランティアの数は発生1カ月後で60万といわれています。地域が広くボランティアが入りにくいということもありますが、日本のNPO・NGOがボランティアセンターを経由せず、とにかく動いたということもいえるのではないでしょうか。市民の自発的な自己完結における活動です。災害発生2日目、普段より関係のある地域のNPOに直接SOSをだし、救援物資をおくってもらい、避難所や個配を始めたNPOもあります。多くの人の「いのち」です。災害発生直後は時間やひとがたりません。そのような状況は容易に想像できます。しかしNPOはその被災者の問いに対し、活動範囲は狭いながらも、すべての人を助けることはできなくても、目の前のひとりをほっておくことはなく「つぎは○日にはきます。次に来る時は何が必要ですか」と答えて実行してきたそうです。NPOは目の前の一人今日の一人をほっておくことはなく助けます。

混乱と混迷を極めた自治体
 侵食わすれた自治体職員の姿はありますが、限界があります。
私は、市長と話をしたあと、自治体に連絡をとりアルファ米を現地におくるように文書にて要請しました。担当課では現地から要請がないと救援物資はおくることはできないといい、現地は混乱していて無理であるとか何度かやりとりしているときに、幸い現地より救援物資を送ってほしいという要請があり、その自治体はアルファ米7700食を仙台へおくりました。ところが、一般食として供給されてしまいました。慌てて、現地のNPOに連絡しアルファ米を確保。さらなる事実として、4月24日付け毎日新聞によると、仙台市はアルファ米38万食、アルファ米のおかゆ1万4000食分を備蓄していました。仙台市は備蓄するにあたって、アレルギー患者にも対応できるようにと備蓄食材はすべてアルファ米としたそうです。そこまではよかったのですが担当者が代わり、アレルギーの患者の非常食になるということを理解しておらず一般食として供給され、アレルギー患者もそのこと知らず、患者のところには届きませんでした。自治体においては担当が移動になるために、このように引き継がされない場合があります。いまでは都道府県より、アレルギー支援ネットワークに支援要請があるそうです。NPOはNGOを除き、財政基盤が脆弱です。しかし、機敏に専門性高く動けます。税金を強制的に集めているそれこそ活動資金が潤沢にある体力のある栗木さんのような方がみえるNPOがあります。そのNPOと行政との連携、企業との連携がきめ細かな社会の課題を解決するはずです。

栗木さんは数年後他界されました。

被災地の復興は、単なる復旧ではなく、新しい社会システムの構築であるべきです。被災から救援にかけて前述のような露わになった市町村の混迷、さらにはこれまでの日本の制度疲労、格差社会、などの社会問題が多くあります。そして、限定されたある地域の復旧という枠に収まりようがないほど被災地域は広く、復興に必要とされる期間も長期となります。日本においての21世紀型の社会システムの模索は、東日本の復興を中心課題の一つとして進めていかざるをえないと思われます。
それだけに、救援や原発事故に取り組む政治、行政の取り組みは私の期待を大きく下回るものでした。しかし、3・11からのこの5年間、多くの国民はそのことを声高には批判をしてこなかったのではないでしょうか。不思議です。
今後、それは単なる責任追及や批判ではなく、復興のなかで構築すべき、そして復興過程を支えるべき新しい社会ステムの模索のための市民の声として大きくしなければならないと思います。批判要望ではなく、活動者からの建設的な声です。震災という未曽有の危機においてのその志をつながなくてはいけない。
2016年3月11日
被災地のNPO支援にて、こつこつ稼いでためた正味財産をつかってしまい
さらに
このことがほとんどできていない私の心は
へこんで
ぽっかり穴があきそうでしたが
栗木さんを思い出し、あきらめません。
参考文献「環」藤岡執筆部分より
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