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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


サードセクター調査 [2012年05月15日(Tue)]
RIETIでのサードセクター調査の報告書がアップされました。

「日本におけるサードセクター組織の現状と課題―法人形態ごとの組織、ガバナンス、財政の比較」


特定非営利活動法人だけでなく、社団、財団、社会福祉法人、学校法人、各種協同組合などを横断的に調査した初めての試みです。
小沢控訴 [2012年05月10日(Thu)]
やはり、という感じですが、指定弁護士3人は小沢無罪判決を控訴することを決定しました。この裁判の政治性をまったく無視した悪い意味で法律家的な判断です。そもそも、指定弁護士に控訴の権限があるということ自体がおかしいと思います。

いずれにしても、これでまた裁判を口実にした小沢VS反小沢の抗争が続くことになります。

検察がここまでやって有罪にできなかった以上、政治家の評価は政治で決着をつけるしかないでしょう。私自身は、最初の検察不起訴、今回の強制起訴での1審無罪判決という経過からみて、小沢氏が民主党代表になって首相になることにはまったく問題はないと思います。

指定弁護士の判断を受けて、刑事被告人が首相になることに問題があるというような議論がマスコミや民主党内に出ているようですが、3人の弁護士の判断で政治家の評価を左右するということのおかしさに気付かないのでしょうか。これで最高裁まで行って無罪だった場合、小沢氏の政治家としての機会を奪った責任は誰がとるというのでしょうか。

イタリアのベルルスコーニが、被告人どころか有罪判決が出ても平気で首相を続けたのは行き過ぎでしょうが、政治は政治で決着をつけるというイタリアの割り切り方は日本も見習うべきだと思います。

それにしても、いつのまにか、また、小沢氏以外で首相にしてみたい政治家が皆無という状況になってしまいました。

2008年の大連立の失敗で小沢氏の役割は終わったと判断したのですが、ほかの政治家たちのあまりの水準の低さが判明してみると、時期尚早な判断だったといわざるをえません。

問題は、小沢氏が陸山会事件、政治資金問題について国民に直接踏み込んだ説明をすること、当面の権力闘争を超えてどのような日本政治像(要するにどのような二大政党)を将来に想定しているのかを提示することができるかどうかです。

わかるやつがわかればいい、というスタイルを変えるほどの決意があるでしょうか。新旧の要素を混在させている小沢氏が、旧自民党田中派政治家を本当に超えられるかどうかの試金石だと思います。
劇場型首長 [2012年05月04日(Fri)]
有馬晋作『劇場型首長の戦略と功罪』ミネルヴァ書房、2011年11月。
平井一臣『首長の暴走 あくね問題の政治学』法律文化社、2011年5月。

田中康夫長野県知事、東国原宮崎県知事、橋下大阪府知事、竹原信一阿久根市長、河村たかし名古屋市長たちを劇場型首長として分析したものです。

共通した感想は、本当に目立ちたがりの人たちだなあ、というものです。そうでもないと選挙に出たりしないのでしょうが、それにしても凄いと思います。

それが政策能力、統治(マネジメント)能力を伴っていればいいのですが、目立ちたがりだけの突出がほとんどのケースですね。

田中知事は、政策アイデアは優れていたようですが、マネジメントがダメで空回りという感じです。

東国原知事は、タレントですし文字通りの目立ちたがりですが、広告塔として宮崎県に貢献するということだけはやったということでしょう。とても東京都知事や首相の器とは思えませんが、それをものともしないところがキャラクターなのでしょう。

竹原市長は、公務員や議会などの既得権に自爆攻撃をしたという感じです。専決処分や法律違反は確信犯なので、それらを良識で批判しても急所を外します。

相乗り議会、首長、行政の既得権構造を崩す方法が見つからないことへの苛立ちの表現です。それを批判しても、既得権構造を崩す方法を示せないままでは何の有効性もありません。劇場型首長を批判する良識派政治学者たちの無力を指摘せざるを得ません。

河村市長には、私自身が改革を期待してコミットしたわけですが、名古屋市政には何の関心も責任意識もなく、全国的に知名度を上げて国政に戻るという戦略を描いていたとはまったく気づきませんでした。私の完全な読み違いですが(あそこまで自己中の人がいるなんて見るまでは信じられませんでした)、一定期間、周りの人を引きずり込む能力は体験しないとなかなかわからないかもしれません。その後も引きずり込まれる人が後を絶たないようです。

唯一、政策能力や統治能力もバランスよく備えていると思われるのは橋下知事、現大阪市長です。それは、橋下時代の大阪府庁に民間から課長で入った女性の体験記からも読み取れます。

中村あつ子『私と橋下知事との「1100日」 民間出身の女性課長が大阪府庁で経験した「橋下改革」』洋泉社、2012年4月。

私自身は、劇場型首長(小泉首相も入れていい)については、それが「法的・政治的過程の素通り」や「政治の文法」の無視だとして批判することよりも、それが噴出してこざるをえない現実の深刻さを認識することの方が重要だと考えています。

そして、そうした現実をもたらしている既得権構造を壊す可能性のある動きにはまずは期待をもって注目すべきだし、機会があればコミットすべきだと考えます。

政治学者たちが、とにかく権力を批判していれば役割を果たしたことになる、などと考えているとすれば、世の中が政治学を素通りすることになりかねません。

かつての政治改革にしても、2009年の政権交代にしても、何もコミットしないで、表立って意見表明もしなかった政治学者たちが、批判しやすい状況になった今になれば誰でもできるような程度の批判をしているのをみると、本当に気楽な商売だと思います。

あの自民党長期単独政権や自治体の相乗り体制を変える方法を真剣に考えたことがあるのでしょうか。そしてまた、彼らが批判する「改革」の試み以外に、どのような打開策を示せるのでしょうか。

まあ、政治学や政治学者にもいろいろあるわけで、私自身はこういうスタイルの方が合っているというだけのことですが。
佐藤優 [2012年05月01日(Tue)]
「国策捜査」で有罪となった佐藤優氏の対談本を2冊読みました。

佐藤優・石川知裕『小沢一郎はなぜ裁かれたのか』徳間書店、2012年3月。
佐藤優・竹中平蔵『国が亡びるということ』中央公論新社、2012年4月。

小沢事件で逮捕された元秘書の石川議員と、小泉政権の軸だった竹中氏と、興味深い相手と興味深い議論をしています。

前者では、マスコミに叩かれてもマスコミを敵にしてはいけない、マスコミを武器にして本当の相手と戦え、マスコミは検察や官庁などの与党総会屋だが一線を超えると攻撃に転じることもある、不当逮捕されても自殺と完全黙秘はやめるべきだ、などの教訓が参考になりました。

後者では、小泉政権と竹中氏について佐藤氏がかなり肯定的な評価をしていることがわかり興味深かったです。「新自由主義」という色のついた言葉を使うかどうかはともかく、自由主義的改革が依然として道半ばという現状認識だということです。

佐藤氏や竹中氏のような専門家を使える政治家が少ないという問題の深刻さを痛感します。
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