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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


『獅子頭』 [2012年03月31日(Sat)]
楊逸(ヤン・イー)『獅子頭(シーズトォ)』朝日新聞社、2011年10月。

中国人で初めて芥川賞を取った作家の最新作です(受賞作の『時が滲む朝』は天安門事件を関与した若者たちの視線から描いていました)。

いつもながら、23歳で留学してきた人の日本語とはとても思えません。おかげで、中国人の内面を追体験するというめったにないことができます。

農民出身の主人公が、大連に出て、さらには日本に働きにくるわけですが、その中国人の側から中国人の常識と日本人の常識の軋轢を深く面白く描いています。

この小説は、「人間の価値観はいつどこでどのようにして得たものなのかについて、私が探索した道のりである」と著者はあとがきで述べているように、自ら体験したことと重なっていて迫真性があります。

違った社会に育った人の間の常識や価値観の違いがリアルに描かれていると同時に、その底流に人間としての共通性も浮かび上がります。その意味では、人間はやはり同じようなことを思い、考えるんだと知らされました。
「夜回り共同体」と「記者会見共同体」 [2012年03月25日(Sun)]
佐々木俊尚『「当事者」の時代』光文社新書、2012年3月。


出たばかりの本ですが、予想以上に深くマスコミの問題点の根源を描いていました。毎日新聞記者の経験から、非常に説得力があります。

要するに、「市民」やマイノリティに憑依して建前からの批判を繰り返す表層=記者会見共同体と、阿吽の呼吸で権力と関係を結んで情報をとる夜回り共同体の二重構造の存在です。特に、後者の実態をここまでリアルに描いたのは初めて見ました。

「市民運動」を実は嫌い、軽蔑しながらも、幻想の市民をダシにした批判のための便利なツールとして使う、という新聞のスタンスが正面から描かれているのも面白かったです。

何よりも、「マイノリティ憑依」、弱者の立場に立つことで社会全体を批判できるというメカニズムがマスコミの最大の病理という主張は鋭いです。それが形成されていった経過も面白く描かれていました。本多勝一に感じていた違和感の正体がよくわかりました。

それにしても、津村喬、松下竜一、太田竜など、懐かしい名前が出てきて驚きました。かつてはまった時期がある著者たちですが、まさか7歳年下の佐々木さんの本で見るとは。当時の早稲田にはまだそういう文化が残っていたのでしょうか。

***

幻想としての弱者としての視点に立ち、「今の政治はダメだ」「自民党の一党独裁を打破すべし」と総中流社会のアウトサイドから、自民党や官僚という権力のインナーサークルを撃つ。その<マイノリティ憑依>ジャーナリズムは、アウトサイドの視点を持っているがゆえに、総中流社会の内側にいる読者にとっては格好のエンターテインメントにもなる。

しかしウラの実態では、マスメディアはフィード型の隠れた関係性によって、自民党や官僚や警察当局と濃密な共同体を構築している。・・・・・・

そういう宙ぶらりんな構図のなかで、マスメディアはつねに権力のインサイダーとなるか、そうでなければ幻想の市民に憑依しているだけである。いつまで経っても、日本社会に生きているリアルな人々に寄り添うことはない。ただリアルな人々に対して、経済大国で暮らすなかでの束の間のエンターテインメントを提供する道化でしかなかったということなのだ。

これこそが、日本の戦後社会のメディアの構図の全体像である。(422−423ページ)
『ひとりで死んでも孤独じゃない』 [2012年03月24日(Sat)]
矢部武『ひとりで死んでも孤独じゃない 「自立死」先進国アメリカ』新潮新書、2012年2月。

無縁死とか孤独死とかが騒がれています。

それを防ぐために、家族の絆を復活、強化することが必要だと叫ばれています。

なんとなく違和感がぬぐえませんでしたが、一人で死ぬこと自体が悲惨だという考え方に異論を出し、むしろ「自立死」があるべき姿ではないかという問題提起は新鮮でした。もともと人間は、生まれてくる時も死ぬ時も一人なのですから。

絆が好きな人は復活させればいいと思いますが、一人でも愉しく安全に暮らし、「自立死」ができる環境を整えるという方が私にはぴったりきます。

唯一、死後かなりたってから発見されるというのはさすがに悲惨だし、周りにかなり迷惑をかけるので、アメリカではそれを防ぐツールやシステムを整備することに努力しているようです。

日本でも、老後、無理に家族と暮らすよりも、環境さえ整っているなら一人で暮らしたい人も多いのではないでしょうか。家族での無理な同居は家族関係も傷つける恐れが高いでしょうから。

家族と同居せず、一人で暮らしながら、ときどき家族と会うというスタイルの方が両方にとってのストレスが軽いように思います。

孤独死の悲惨さを煽って、また懲りずに旧い家族介護、同居への復帰を誘導するのではなく(非現実的だし)、「自立死」のための条件整備に目を向ける時期だと思います。
『利他学』 [2012年03月21日(Wed)]
小田亮『利他学』新潮選書、2011年5月。

進化生物学の立場から、淘汰による進化の過程で、人間には一定程度の(個人によって差はあるが)「利他心」があることを明らかにしています。

利他的行動をとった方が、直接の見返りだけでなく、評判を通じた間接的な見返りも受けられる可能性が高まるので進化において有利だということのようです。

その結果、利他的な行動をすることに「快」を感じるように脳がなっていることも確認できるそうです。

進化生物学というのは、著者もいうように、理系と文系を融合させた面白い学問ですね。

いずれにしても、人間がそのような存在である以上、そうした利他心を有効に活用できるような社会的仕組み、寄付、ボランティア、NPOなどが存在することにも根拠があるということになります。

ちなみに、相手がどれくらい利他的かを見抜く能力も人間は発達させてきたらしいのですが、その際、アメリカ人は顔下半分の表情に注目し、日本人は顔上半分の表情に注目するというのは面白い事実でした。

笑い顔は大きな判断材料のようですが、本当の笑いは左右対称だが、人為的な笑いは意思を司る左脳がコントロールする顔の右半分だけが動くそうです。気を付けましょうね。
「マーガレット・サッチャー」 [2012年03月17日(Sat)]
伏見ミリオン座で、映画「マーガレット・サッチャー」を見てきました。

サッチャーの強さがよく描かれており、実像に迫っていると思いました。主演のメリル・ストリープの演技も見事でした。アカデミー賞の主演女優賞だそうですが、なるほどです。

でも、サッチャーの晩年の幻覚を通しての回顧という組み立ては、本人が亡くなる前、ということを考えると違和感がぬぐえません。現役時代を中心にもっときちんと描いてほしかったと思います。

ところで、夕刊によると、吉本隆明氏が亡くなられたとのことです。時代の新しい動きに最後まで併走しながらの発言には一貫して敬服していました。ミーハーなところがすごかったです。

宿敵と目していた丸山真男氏と見事に対照的でした。僕としてはどちらも捨てがたいですが。
なでしこジャパン [2012年03月06日(Tue)]
なでしこジャパンが、アメリカ戦で初勝利!。1−0。

ワールドカップではPK戦で勝ったわけですが、公式には引き分けと記録されるようで、90分で公式に勝ったのは初めてということになります。

しかも、澤が体調不良で欠場というなかでの勝利です。そして、やはり宮間がさすがでした。

内容も、全体としてほぼ互角の競り合いで、ワールドカップの時と比べても明らかにレベルアップしている印象でした。

なでしこを見てて引きつけられるのは、勝つことで自信を強めてさらに強くなっていく、めったにないストーリーが見られるということです。(一回勝っただけでおごり高ぶって墓穴を掘ったどこかの政党とは対照的ですね。)

インタビューでの選手たちの姿勢も、残された課題を絶えず意識する向上心が維持されており、今後もこの強さがさらに続くことを期待させられます。

それにしても、スポーツが、自分たちの生活には何の関係もないのに、私たちをエンパワーしてくれるのは一体なぜなんでしょうね。
NPOからサードセクターへ [2012年03月05日(Mon)]
 リニューアル期間もあり、しばらく休んでいましたが、再開します。

 最近、東海社会学会の機関誌に「NPOからサードセクターへ」という論文を書きました。以下は、その「はじめに」の部分です。

 この数年考えてきたことを荒削りで文章化してみた感じです。1998年の特定非営利活動促進法以後のNPOをめぐる状況がここ数年で大きく変わりつつあることをあらためて確信する機会になりました。

 今後は、NPO法人という言葉を特定非営利活動法人だけを指すものとして使うことはやめようと思います。メリットよりもディメリットの方が明らかに大きくなったと考えるからです。

 いい略称がないので、とりあえず、特活法人でしょうか。

*****

1998年の特定非営利活動促進法(通称NPO法)施行以来、NPOという言葉はかなりの程度社会の中において普及し定着してきた。特定非営利活動法人(NPO法人)として認証を受けた団体はすでに4万団体を越え、社団、財団、社会福祉法人、学校法人などの数を大きく上回り、医療法人数(約4万5千)にも迫りつつある。

これは、特定非営利活動法人という新しい法人格をもつ団体が急増することによって日本社会の団体地図というべきものを大きく変えただけでなく、民間非営利組織(NPO)という言葉とコンセプトを広く社会に普及させることとなった。というのは、すでに明治29年制定の民法において規定されていた公益法人(社団、財団)はまぎれもなく民間非営利組織であったし、戦後直後に新しく分野別に制度化された社会福祉法人、学校法人、医療法人などもまさにそうであったが、それらが共通に民間非営利組織であるという認識はほとんど存在していなかったからである。

その意味で、特定非営利活動法人のみをNPO法人と呼ぶのは本来は不適切なのであるが、活動分野の制約がほとんどなく主務官庁制にも縛られない準則主義による新しい民間非営利法人がNPOという名称を独占するかのように扱われたことにはそれなりの理由があった。そして、特定非営利活動法人が急増していくなかで、伝統的な各種民間非営利組織もまた制度的にはNPOにほかならず、実態において民間非営利組織の要件に欠ける点(特に行政からの自律性の弱さ)において根本的な自己改革を行うべきだという認識が広まることになった。

その後、小泉内閣の「官から民へ」という行政改革の文脈のなかにおいてではあるが、2006年には各種公益法人の根拠法であった民法34条以下の一括削除と、主務官庁制を脱却した新しい社団、財団の制度化が行われることとなった。2008年12月の新公益法人制度の施行以来、一般社団、一般財団はかつての特定非営利活動法人の増え方を上回るようなスピードで急増しているのが現状である。

他方で、特定非営利活動法人の財政規模の小ささや組織的脆弱性が指摘されることが増え、それとの対比で社会的企業、ソーシャルビジネス、社会起業家などへの期待が語られるという傾向が強まっている。バングラデシュでグラミン銀行を成功させたムハメド・ユヌスが2006年にノーベル平和賞を受賞して注目を集めたこともそうした傾向を加速した。

さらに最近では、2009年の政権交代による民主党政権のもとで、「新しい公共」というメッセージが打ち出され、2011年には従来の寄付の所得控除に加えて50%の税額控除という寄付促進税制が導入された。
 また、2011年3月11日の東日本大震災以後、寄付、ボランティア、地縁組織、民間非営利組織への関心があらためて高まっている。

私自身は、1998年の特定非営利活動促進法成立の少し前から、NPOセンターの役員としていわゆるNPOセクターの内側からこうした変遷を見てきたが、上記で挙げたような変化を体験するなかで、新しいNPO法人によって主務官庁制のもとにある伝統的な公益法人を中心とした日本の非営利組織の世界を変える突破口を開けることを課題としていた時期がある程度の成果とともに終わりつつあり、新たな課題を設定するべき時期がきていることを痛感している。そして、そこでの主役はもはや特定非営利活動法人だけではありえない。

端的に言えば、日本において広範なサードセクターを本格的に構築するという課題が現実性を持ち始めているのではないかということである。

そのなかで、特定非営利活動法人だけをNPO法人と呼ぶ用語法も見直しが必要となっている。まずは各種公益法人をも含めて、民間非営利組織(NPO)という言葉を本来の包括性をもった言葉として位置づけなおすことが必要である。欧米での非営利セクター、インデペンデント・セクター、ボランタリー・セクター、市民社会セクターなどの言葉に対応するものである。

さらに、社会的企業、協同組合、町内会・自治会などの地縁組織も含めた、政府行政セクター、民間企業セクターと並ぶもう一つのセクターを総称する言葉が必要になる。ヨーロッパでは、社会的経済という言葉も使われているが、これはヨーロッパの社会民主主義の伝統と深く関連する言葉なので、私としては日本ではサードセクターという言葉を採用したい。

ちなみに、「新しい公共」推進会議の専門調査会の報告書(2011年7月)では、こうしたサードセクターにほぼ重なる言葉として「市民セクター」という言葉と考え方が示されている。
「市民セクターとは、特定非営利活動法人、一般社団・財団法人、公益社団・財団法人、医療法人、特定公益増進法人(学校法人、社会福祉法人等)、協同組合、法人格を持たない地縁団体(自治会・町内会、婦人・老人・子供会、PTA、ボランティア団体等)等の民間非営利組織のほか、公益的な活動を主な目的とする営利組織からなるセクター」。

市民セクターという呼称にはやや違和感はあるが、これらの諸組織を同一のセクターを構成するものとして捉え、それらを「新しい公共」の担い手として位置づける考え方が明示されたことは注目される。

小論では、こうした問題関心に基づいて、日本における(潜在的な)サードセクターをめぐる問題状況の変化を、@1960年代〜70年代、A1980年代〜90年代、B2000年代〜現在、という3期に分けて素描することによって、そうした問題関心を裏付けると同時に、NPOやサードセクターをめぐる現在の問題状況と今後のサードセクター構築に向けた課題を明らかにしてみたい。
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