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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


緑の党 [2012年02月12日(Sun)]
今日の中日1面で、エコロジー政党「緑の日本」を含む4つの活動体で構成されるグリーンアクティブを設立する構想が報道されています。週明けに正式発表だそうです。

文化人類学者中沢新一氏、社会学者宮台真司氏、内田樹氏、いとうせいこう氏、マエキタミヤコ氏などが中心のようです。相当発信力の高い人たちなので、面白い動きになると思います。

福島原発の事故を経て、起こるべき動きですし、日本政治の空間のなかに緑が加わることは政策議論を豊富化することになるでしょう。

ただ、80年代に、チェルノブイリ原発事故を経て、日本でも「危険な話」の広瀬隆現象が全国を席巻した時期に、たしか86年の参議院選挙だったと思いますが、調子に乗っていくつものエコロジー・グループが名簿を出して、結局一つも議席を獲得できず、運動自体もしぼんでしまったという前例があることを思い出します。

どの国でも、緑の党はいくつものグループに分裂しやすく、ドイツのように5大政党の一角として確立でき、連立与党にも加わったのはきわめて例外的です。イタリアでも二派に分かれて争って伸び悩んできました。

奇しくも、同日の朝日の4面には、60人を超す地方議員らでつくる政治団体「みどりの未来」が11日に開いた総会で、7月に「緑の党」を立ち上げる方針を決めたという報道がありました。

両方とも、国政選挙に候補者を立てたり推薦したりするようですが、ある段階までには一つの政治勢力として国会にも一定の議席を確保できるかどうかが中長期的には決定的です。

たしかに、緑は思想運動、社会運動という側面が強いですが、それらが持続して影響力を強めるためにも全国的政治勢力として確立できるかどうかが決定的だというのが国際的な教訓です。かつて、ローカル・パーティの連合体を作ろうという動きもありましたが、立ち消えになってしまいました。

それぞれが自分たちなりに運動できればそれでいいというような悪癖を越えて、政治的リアリズムに立った方針を打ち出せるリーダーが生まれるかどうかが注目されます。(現実的に言えば、国会議員5人の政党要件をクリアすることがカギだと思いますが、そういうことを考える人がいるでしょうかね。)

顔ぶれを見る限り、あまり政治的リアリズムが好きじゃなさそうな人たちが多そうなので、仮に一時は盛り上がっても、定着するかどうかが問題です。

ちょうど今日の朝日のオピニオン面では、橋下大阪市長のインタビューが載っています。

ここでも、「僕は国会議員にはなりません」「僕は市長ですもん」「(4年後は)もうそれで賞味期限切れですよ。自分の賞味期限切れすら分からない人物は、政治家をやったらだめですよ」
などと歯切れのよい発言をしています。自ら国会議員にはならないという一点を堅持しているのはいいセンスです。

大阪を拠点に、全国の首長を結集できるならば、本当に日本の政治行政システムを変える勢力が生まれる可能性があると思います。

緑の党も、こういう強烈なリーダーと事実上競合する形になるのはきついですね。内田樹さんは橋下氏が大嫌いなようだし。
減税よりも社会システム? [2012年02月07日(Tue)]
今日の中日新聞の県内版で、河村市長の記者会見の詳報がありました。

記者もなかなか的確な質問をしています。

―橋下市長は減税よりも社会システムについて考えようと主張している。減税して行革を進めるという河村市長の考えとは違う。

(河村)名古屋も減税ありきじゃないですよ。民間でお金を回していくシステムをつくっていく。社会の仕組みを考えずに減税はあり得ない。減税すれば世の中がすべて良くなると言ったことは一度もない。


すごい。さすが政治屋です。そういうことしか言ってこなかったくせに、本当によく言うよ、という感じです。減税をテコにやると言っていた行政改革すらどうやったらいいかわからず、いわんや社会システムなど想像もつかないくせに。ぜいぜい、寄付を集めてNPOにばらまくなどというおせっかいを思いつくくらい。リチャード・クーばかり読まず、ハイエクやフリードマンくらい読んでから「自由」を語りなさいね。

―減税の定義を広くとらえている。 (おいおい、ここは減税ではなく社会システムの話を突っ込むところでしょう?)

(河村)前からそうですよ。新年度から小規模事業者の設備投資に助成をしますけど、これも形を変えた減税。


要するに、前から一つ覚えの設備投資減税だけ。社会システムなどかけらも出てきません。記者も、あまりに空々しい発言は咎めたらどうでしょう。たとえば、ニュー・パブリック・マネジメントについて(知らないとは思うが)どう考えますか、くらいの嫌味がいえないものでしょうか。

「首長」の仕事をほとんどしていない人も首長連合に入れるんでしょうかね。
河村・大村連合一周年 [2012年02月06日(Mon)]
2、3日前の中日新聞に、河村・大村連合でのトリプル選挙から1周年ということで社会部長が司会する対談が掲載されていました。

困ったことに、二人の関心は国政、新党騒ぎにしかない印象で、これでは新党もうまくいかないでしょう。何度も指摘しているように、橋下氏への支持は首長としての能力や実績があるから持続しているのです。二人の挙げているような程度の「実績」で国政進出への期待がうまれるわけもありません。

ここで思い出すのは、イタリアで冷戦終結、全国的汚職の摘発(清い手)以降、一気に北部で第一党にまで急伸し、その後も10%近い全国支持率を維持し続けて二大勢力の勝敗のキャスティングボートを握り続けてきた「北部同盟」という新興政党のことです。

はじめは極右政党などといわれてきわもの扱いでしたが、最近では、北部でのその支持がかかなり根拠のある確固としたものであることが認められるようになっています。新自由主義的な北部分離主義・連邦制が主な主張です。

その支持の有力な要素として、北部同盟が掌握する北部自治体が非常にきちんと経営されて、住民の支持も高いということが指摘されています。

日本で、北川前三重県知事らの全盛期に語られ(なぜか凋んでしまいましたが)、現在再び語られている首長連合は、二大政党がひどく、地方分権が大きな課題である現状では非常に期待されるものです。

しかし、その根拠は、選挙用の一時の人気ではなく、自ら経営する自治体の成果にこそ基づくべきです。そこで、あるべき政権運営の実例を示しつつ、国政に対して発言し続けるというのが最も有効な役割の果たし方だと思います。

橋下氏も、市長当選直後は、市長に徹するという姿勢が明確でしたが、ここに来て、早々と国政に進出しかねない雰囲気も感じられます。昨日指摘したような、河村を使うという判断は、自治体経営を重視する立場からはありえず、選挙目当てとしか考えられません。

いくら橋下氏の人気が高かろうが、国政に進出したら、その直後から何も成果が挙げられないという批判と失望にさらされることは容易に予想されることです。二院制のネジレのもとで、まともな政権運営ができるわけがありません。

橋下氏への期待が生かされる道は、あくまでも本拠地は自治体におき、そこで具体的成果を挙げながら、二大勢力に対して厳しく注文をつけて行くということだと考えます。ある程度の国会議員を送り込むこともその一環としては有効でしょうが、二大勢力に直ちに取って代わると言うところまで幻想を広げすぎると、寿命は1、2年で終わるでしょう。残るのは、また焼け野原です

ニュー・パブリック・マネジメントを本格的に実践できる首長たちを全国的に結集する勢力として、日本政治の過渡期において全国政党に持続的に圧力を掛け続ける役割を期待したいものです。
橋下・河村会談 [2012年02月05日(Sun)]
3日夜、大阪で、橋下氏と河村氏が長時間の会談をしたそうです。5日付け朝日の見出しでは、減税議論棚上げ、橋下市長を意識、河村流・民営化シフト、です。

橋下氏は、「『減税』一本のメッセージを送るのは間違いだと、河村さんに伝えました」とツイッターで書いているそうです。

そうは言っても、河村氏は大雑把な減税論しかアイデアはなく、民営化といっても、橋下氏のマネをして区長や校長の民間公募や区役所の民営化を叫ぶくらいのことしかできないことは明らかです。

そもそも、09年の河村マニフェストはNPM路線で書いてあったわけですが、彼は理解もできず、最近ではなかったかのように扱っていたわけで、今更民営化路線といっても本当の口移しにすぎません。

何より、それを実行する実務能力が根本的に欠けていることが致命的です。

おいてきぼりになりそうだった河村氏が生き残りのために橋下氏にすり寄るのはともかく、橋下氏が河村氏を過大評価してまだ使おうとしていることは大きな誤算を招くかもしれません。河村氏の人気も、名古屋市内で惰性で残っている程度にすぎません。

この問題は、より大きく、橋下氏の総選挙戦略に関わるものです。

現在前面に出ているのは、300人以上候補者を立てて、基本的に衆議院の過半数を狙うという路線です。そのために、石原氏や大村氏だけでなく、河村氏も含めてなるべく連携を広げようということでしょう。「みんなの党」ともブリッジで連携しようというのでしょうか。

しかし、こうして呉越同舟で衆院過半数を得たとして、参議院では過半数とは程遠く、また、実際の統治能力という点では民主党よりひどいことになるでしょう。

小選挙区制のルールからしても、自民党なり民主党(それらの一部でもいい)なりと総選挙前に共通政権政策を合意して、候補者を全国的に統一して選挙に臨むという方法の方がよりまっとうです。

前者の方が新しさがアピールしやすく、一時的には支持を得やすいでしょうが、それは選挙後にあっという間に信頼を失墜して幻滅だけを残す結果になることは、これまでの経験から明らかです。

選挙をその後の統治とセットで考えるという習慣を定着させなければ、日本政治はいつまでたっても一時しのぎの新党騒ぎにかき回され続けるだけです。

選挙前に、多少評判は悪かろうとも選挙後に共に政権を実際に担う勢力との連合を形成して、選挙で過半数を得てそのまま政権を担うという形を定着させれば、選挙自体も現実的な選択肢をめぐってなされることになります。選挙の時だけしか通用しない幻想に惑わされるのはやめにしたいものです。

河村氏を使うか使わないかは、幻想をあおるだけでもいいから使って選挙にかちたい、あとは野となれ山となれ、という従来の悪習へと堕すかどうかのわかりやすいリトマス試験紙です。

石原氏についても、息子伸晃氏が自民党幹事長なので、最後は新党に踏み切らないのではないかという観測もあるようで、第3勢力の行方はまだ混とんです。

まずは、総選挙には、選挙後も4年間は継続する現実的な政権選択肢(おそらくは二大勢力、せいぜい三大勢力)を提示して、国民の政権選択肢を実質化させるというルールだけは定着させたいものです。

そして、欲をいえば、「政党」というものを本格的に構築しようという機運が少しでも始まることを期待していますが、当分無理でしょうね。


2011年度学部ゼミ [2012年02月03日(Fri)]
2011年度の学部ゼミが終了し、2012年度のゼミ生募集が始まりました。

いやおう無く、毎年新しい世代の相手をしなければならないのが教員の宿命であり、特権でもあります。新2年生の顔ぶれが楽しみです。

私のゼミ案内では、前年度の内容を紹介することにしています。それが以下です。

***

演習テーマ: 政府−市場−市民社会

1)演習T(2年通年):8名
     U(3年通年):8名 
  V(4年通年):8名
    
2) 担当教員名:後 房雄

3)演習内容
■行政に対する政治主導の回復、分権改革や住民起点の行政経営改革、市場や市民社会(NPOなど)の行政からの自律性回復などを主な内容として、現在国際的に進行中である「自由主義的改革」に関する諸問題を中心としながら、参加者の関心に沿ってテキストやテーマを選んで検討していきます。
 テキストをきちんと読んで自分なりにコメントする力、他の人とかみ合った討論ができる力、いい論点を見つけて討論を展開させるように司会する力、自分なりのテーマを設定して調査研究して論文にまとめる力などを身につけることを目標にします。

■前半(および夏合宿)では、主にテキストを読みながら議論します(2週間で1冊のペース)。そのなかで、基礎知識を得つつ、後期の研究発表のためのテーマを探してもらいます。昨年度は次のようなテキストを使いました。
 ジュリアン・ルグラン(後房雄訳)『準市場 もう一つの見えざる手』(法律文化社、2010年)、「自治体の二元代表制」関係の論文、岡田斗司夫『人生の法則 「欲求の4タイプ」で分かるあなたと他人』(朝日新聞社、2011年)、山岸俊男+メアリー・ブリントン『リスクに背を向ける日本人』(講談社現代新書、2010年)、飯田泰之『ゼロから学ぶ経済政策』(角川新書、2010年)、藤原和博『校長先生になろう!』(ちくま文庫、2010年)、藻谷浩介『デフレの正体』(角川新書、2010年)、アーミテージ、ナイ、春原剛『日米同盟VS中国・北朝鮮』(文春新書、2010年)、鈴木亘『年金は本当にもらえるのか』(ちくま新書、2010年)、古賀茂明『日本 中枢の崩壊』講談社、2011年、岡田斗司夫『フロン 結婚生活・19の絶対法則』(幻冬舎文庫、2007年)、宮台真司・飯田哲也『原発社会からの離脱』(講談社現代新書、2011年)。

■後半では、それぞれの関心に基づいて各参加者が特定のテーマについて研究発表を行います。その際、書くことの訓練を兼ねて、報告日の1週間前までに報告論文をメールで提出することをルールとしています。その報告論文を参加者が読んできたうえで、ゼミでそれをめぐって議論することになります。昨年度の研究テーマは次のようなものでした。
「日本の観光戦略」「何処に国の教育予算を配分するのが効率的か−文部科学省から消費者へ」「都市部の脱クルマ社会にLRTは寄与するか−名古屋市における実現可能性とともに」「男性の育児休業」「幼保一元化によって待機児童は解消できるか」「『学校経由の就職』をどう変えるか」「日本のエネルギー政策」「なぜ結婚しないのか」「公務員制度改革は成功するのか」「外国人労働者受け入れは歓迎されるべきか」「生活保護は廃止すべきか? 生活保護の再考と新たな社会保障制度の模索」「エネルギー政策における原則とは何か」「カジノに本導入の是非を問う」「ソーシャルメディアは日本に根付くのか」「政治教育の必要性」「これからの『メディア』の話をしよう」「中部国際空港と名古屋空港−中部の空港のこれから」「これからのコミュニティ政策を考える」「年金制度を改革すべきか」「財政赤字を解消するために消費税を増税すべきか」「介護労働者増加のために何をすべきか」「日本は北欧型ワークライフバランスへ舵を切るべきか」「日本はTPPに参加すべきか」。

4)受講上の注意
議論を楽しめる人、議論を活性化できる人、自分なりの調査研究に意欲を持つ人の参加を歓迎します。また、卒業論文の執筆を奨励しています。

5)選抜方法
新規希望者は、ゼミを希望する理由書(A4一枚)を演習申し込み書に添付(ホチキス止め)し、文系教務課(法)に提出すること(継続者は理由書は不要)。申込者が定員を超過した場合には理由書に基づいて選抜する。
『政権交代とは何だったのか』 [2012年02月02日(Thu)]
山口二郎『政権交代とは何だったのか』岩波新書、2012年。

政権交代とその後の民主党政権について、山口さんがその意義と限界を論じた本で、いつものように目配りの良い好著だと思います。

おそらく、当初の彼の期待は大きく裏切られたはずですが、あえて意義や肯定面をも指摘して今後への見通しにつなげようと努力しているようです。

山口さんは『政治改革』(1992年)で選挙制度改革の口火を切ったわけですが、よく誤解されているのとは違って、一貫して小選挙区制論者ではなく比例代表制論者です(97年の新労働党の勝利を現地でみてから小選挙区制にやや容認的になったようですが)。しかし、この本では、再度の選挙制度改革や政界再編には慎重な立場を示しているのが注目されます。

しかし、それとはやや矛盾するわけですが、小選挙区制やマニフェストが想定する事前選択型モデルには否定的で、選挙後の政党間の協議を重視する立場は堅持されているようです。

私自身は、これだけ無原則な日本の政党を考えると、比例代表制のもとでは、選挙の時だけもっともらしい理念を掲げておいて、選挙後は好き放題にポスト目当ての政界再編や連立政権づくりに狂奔することが目に見えるだけに、とても賛成できません。

小選挙区制ならば、選挙前に第一党になれる勢力を形成して臨むしかないし、その際にマニフェストを掲げればその後の変節にも一定の歯止めがかかる可能性があります。

山口さんはまた、政治改革、小選選挙区制導入を主導した民間政治論調、21世紀臨調の政治学者たち(佐々木毅さんなど)を指して臨調型政治学と名付け、その意義と限界を指摘しています。私もその端くれなので興味深く読みました。

こうした政治論は細川政権の誕生と、選挙制度改革に大きく寄与した。この時期は戦後政治学の中でも、政治学が現実の制度変革や政党・政治家の行動に最も大きな影響を与えた時期といえる。(177ページ)

他方で、民主党政権が、民主党の政党としての未熟(共有された理念の欠如、党内決定ルールの不備など)によって失敗したことについて、臨調型政治学が「統治形式への関心の偏重」(181ページ)という問題を持っていたことに責任があると批判しています。

私から言えば、これは的外れで、民主党がこのような政党にしかなりえていない最大の原因は、山口さんが関与した社会党の自己改革が挫折し、私がささやかながら提言した共産党の自己改革が試みさえされなかった結果、戦後革新勢力が小選挙区制のもとでの二大政党にほとんどまともな遺産を継承できなかったことにあります。

それでも、政権交代(正確には政権交代のある民主主義というシステム)という戦略的目標を達成するためには自民党と並ぶもう一つの政党を寄せ集めで急造するしかなかったのです。そうした文脈から言えば、ともかくも96年創立の旧民主党が小選挙区制すら理解できず、与党と野党の間をふらつくゆ党などと皮肉られる状況からここまで成長したこと自体が奇跡に近いことです。(最終的には、小沢一郎氏の力があってはじめて政権交代を実現できたわけですが)

こうした角度から考えれば、民主党がこのような政党であることはかなりの程度やむを得ないことですし、それでも政権交代のある民主主義へと移行したことの意義ははかり知れません(国民にはいかに実感しにくかろうとも)。

山口さんは、理念や政策内容を擁護したり批判したりする政治学者が少なかったと嘆いていますが、そして、私自身も、山口さんが新自由主義を全面批判するのに対して、新自由主義を踏まえた第三の道を主張する点でことなった立場で議論を行ってきた立場から同感しますが、民主党に共有される理念が欠如していることの責任が政治学者にあるとは思えません。

急造の政党とはいえ、理念や決定ルールを形成しようとする政治家があまりに少なかったという民主党自体の責任が何よりも重いはずです。

(しかし、イタリアで、共産党が左翼民主党へと内部討論を経て転換した経過を現地で見て、一流の左翼政党というもののイメージを深く印象付けられたために、かえって、日本の戦後史のなかで民主党がこのようにしかなりえなかったことには寛容になってしまいます。『大転換』、『イタリア共産党を変えた男』などを参照)

私自身も、民主党に深く失望させられた体験がいくつかありますが、しかし、それでもなお、せめて二大政党の1つとして政権交代の主役にさえなってくれればいいという立場で見てきました。何しろ、小選挙区制のもとで政権交代を実現するための戦略的発想自体が欠如しているという状態が続いていましたから。

それにしても、民主党政治家たちが、自分の権力欲ばかりを追求し、自民党政治家たちほどの政党意識すらもてない人たちだという点には深い失望を禁じえません。国民が、不安を抑えてもあえて民主党に政権を託したことの意味を受け止めえず、舞い上がってしまったというしかありません。

しかし、これが日本政治の現実であり、何よりも「政党」というものの水準を成熟させていくという方向にしか展望はありません。こうした惨憺たる現実に関与するのは辛抱のいることですから、今後も大部分の政治学者たちは関与しないままだとは思いますが、山口さんや佐々木さんたちが貴重な先例を作った現実関与型の政治学者が少しは増えることを期待します。

(追記)

あるブログ経由で見に来る人が多いようなので、一言付言しておきます。そのブログの筆者は、現実関与に不可避的に伴う他人の判断ミスをあげつらうのが好きなようですが、そうしたリスクも含めての現実関与だということは理解不能なのでしょう。(私自身は、ミスを認識するたびに自分で公表して修正するようにしています。山口さんもそうです。)

しかも、民主党への政権交代よりも麻生政権が続いていた方がよかったなどという、政治音痴丸出しの時流に掉さすだけの評価を偉そうに述べています。

現実政治の評価は時とともに変わりうるし、価値観や立場によっても変わります。そうした謙虚な感覚がないからこそ他人に「ネオリベ左翼」などというレッテルを貼って批判したつもりになれるのでしょう。

ましてや、混沌とした状況の真っただ中で立場を鮮明にしてコミットするリスクなど負う勇気はかけらもないのでしょう。古臭い左翼の教条や信条だけで評論していれば何か一貫した立場を堅持しているようにも思えるでしょうし。
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