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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


朝日ローマ支局 [2011年03月03日(Thu)]
ローマの2日ですが、アポ取りをしながら、とりあえず朝日新聞のローマ支局を訪ね、南島記者からいろいろと聞いて、少し最近の政治状況が分かってきました。

これまで、総選挙の度にイタリアに来ていますが、その時は、朝日のローマ支局にお世話になり、開票速報を一緒にフォローするということが多かったので、歴代の特派員と知り合いました(開票速報は、みんなで見た方が盛り上がりますよね)。

今度も、南島記者から、この3年間の間のことを伺い、いろいろ意見交換するなかで勘が少しずつ戻ってきた感じです。

2008年総選挙で連合して勝利したフォルツァ・イタリア(ベルルスコーニ)と国民同盟(フィー二)が、2009年3月に「自由の人々」という統一保守党を結成していたのですが、下院議長になっていたフィーニが2010年7月にベルルスコーニと決裂して、その後、9月には「イタリアのための未来と自由(Fli)」という新党を結成しました。

驚くのは、今年1月に、さらに、Fliのフィーニと、「中道連合」のカジーニと、「イタリアのための同盟」のルテッリなどで、「イタリアのための新しい極」という連合体が形成されたということです。

フィーニは旧ネオファシズム政党の「イタリア社会運動」のリーダーだった人物で、穏健化した「国民同盟」を率いて中道右派連合のナンバー2でした。それだけに、カジーニはともかくとしても、かつて中道左派連合の首相候補として2001年の総選挙を戦ったルテッリまでもがフィーニと組んだことは驚きです。

ともかくも反ベルルスコーニの戦線を可能な限り拡大して、まずはベルルスコーニを倒そうという動きのなかのことですが、そうは言っても、民主党などの中道左派とフィーニを含む「イタリアのための極」とが連携して総選挙を戦うというところまでいけるのかどうか、現実性が危惧されます。

私の推測は、フィーニの本来の狙いはベルルスコーニ後の中道右派のリーダーとなることだが、そのためにも依然として支持を集めるベルルスコーニを倒すことが大前提で、場合によっては、まずはベルルスコーニを倒すための暫定的連合を組んで総選挙をやる可能性も排除しないという方針を取ったというものです。

そのうえで、こうした包囲網と現在大問題になっている買春問題とで、ベルルスコーニが引退
してくれれば、自分が中道右派の首相候補へと復帰するというシナリオと、ベルルスコーニがあくまでも次の総選挙(長くても2年後)も自分が戦うという姿勢を変えないなら、一旦は中道左派とも組んでベルルスコーニを倒したうえで、ベルルスコーニ後の中道右派と中道左派をお互いに再構築してあらためて総選挙をやるというシナリオの両方を想定していると考えられます。私の判断では、ベルルスコーニの行動様式からして、後者のシナリオになる可能性の方が高いと思います。

4月から買春問題での裁判が始まる予定ですが、それと並行して世論の批判がどこまで高まるかがカギです。あと2年頑張る可能性も否定できません。

左派のなかでも、2008年に別々に総選挙を戦った民主党と「虹の左翼」(前者も敗北したが、後者は4%のハードルも越えられずに議席ゼロとなった)との間をどうするかが模索されています。虹の左翼の惨敗の反省から、ニーキ・ヴェンドーラをリーダーとする「左翼・エコロジー・自由」が形成され、次の総選挙に向けた中道左派の首相候補の予備選挙に参加する方針を出しているようです(ということは、総選挙では民主党と連携するということを意味します)。

打倒ベルルスコーニが実現できる勢力をどう構築するか、フィーニからヴェンドーラまでまたがって多様な選択肢が模索されていることが分かります。フィーニと組むことも排除しないというあたりがイタリアの政党、政治家の際立った戦略性です。

しかも、しつこく繰り返しますが、こうした政界再編や新党結成はすべて、小選挙区制の総選挙に臨むための二大勢力を事前にどう構築するかという問題を常に意識して行われていることが重要です。

最後の判断は国民にゆだねるというこの明確な姿勢が日本政治には欠けているのです。

***

夜は、昔留学していたティボリに行き、当時一番お世話になった友人と20年ぶりに再開してきました。お互い頭が白くなったなあという感慨がありました。

実は、パスタ屋をやっている彼にお世話になって、うちの娘の夫が、現在ティボリでイタリア料理の修行をさせてもらっています。

下の写真は修行させてもらっているレストランで夕食を食べた時の写真です。
ローマ [2011年03月02日(Wed)]

ローマに着きました。時差は日本より8時間遅れですが2日になりました。

1日の夜10時ころにテルミニ駅(写真)に着いたのですが、通算10回目くらいなので、帰ってきたような感じもあります。最初は、1989年10月の留学の時なので、21年以上たつことになります。さすがに、一人でテルミニ駅から出た時には不安だったのを思い出します。

今回のホテルは、テルミニ駅からも近いレプッブリカ広場の裏手にあります。ネットが無料で、日本の電器製品が使えるコンセントまであるのでありがたいです。

早速、新聞やテレビを見ているのですが、北アフリカ諸国の民主化運動とベルルスコーニ政権の危機が二大ニュースです。

国営放送RAIの3チャンネルの政治番組を見ていたら、ちょうど世論調査の結果が発表されていました。(イタリアのテレビでは、政治家や学者などが数人で、長時間遠慮なく討論する番組が多くて面白いです。一回の発言時間も数分あり、途中で遮られずきっちり議論を展開し合います。)

これまでは、どれだけ批判されてもベルルスコーニの政党「自由の人々」が高い支持率を維持していたのですが、今回の結果では、約30%まで支持率を落とし、約28%まで支持を上げてきた「民主党」との差はわずかになっています。

さらに、中道右派対中道左派の二大勢力(調査ではいくつかの組み合わせと首相候補が想定されている)の支持率では、いずれも数%の差で野党の中道左派が上回っています。

このまま総選挙になれば(任期はあと2年)、また政権交代になる可能性が高いわけですが、それだけにベルルスコーニとしても、中道右派の各党としても解散は避けたいでしょう。

日本とかなり似た状況ですが、決定的に違うのは、解散・総選挙を語る際には、かならず、次はどのような連合を組んで総選挙に臨むべきかを全政党が考えているということです。

ですから、解散が決まった段階では、政権を争う二大勢力の骨格はほぼ決まっているわけです。これが国民の政権選択権を重視した小選挙区制のあるべき運用の仕方です。

どこと組むかを明言せずに総選挙に臨み、選挙後に好きなように離合集散をしようとする日本の政党や政治家たちとは大きく違います。小選挙区制を中選挙区制や比例代表制のような行動様式で使うこの悪習はいつになったら変わるのでしょうね。

ところで、今回の調査のテーマは、小選挙区制が加速している政治の「大統領化」ないしポピュリズム化が、執政中枢(首相、大臣、幹部職員の間の関係)や国会運営の在り方をどのように変えているか、また変えるべきかです。ちょうど、日本の民主党政権が苦しんでいる問題でもあります。(大統領化ないしポピュリズムは、時代の課題に対応している側面があるわけですが、それが暴走になるかどうかがきわどいところです。)

これは偶然ではなく、日本のイタリアも、戦後、ファシズムの反省から利害調整型のチェックを重視した統治機構を採用していたのが戦後体制の限界、冷戦の終結によって機能不全になってきており、より決定力、実行力のあるシステムに転換することが課題になっているのが現在だからです。

1993年、94年に両国とも小選挙区制を導入したのはその決定的な第一歩だったわけですが、それに見合って、執政中枢や国会の制度も改革することが残された課題になっています。

自民党が依然として小選挙区制における野党としての立場を自覚できておらず、与野党共同で新たな統治機構を構築するという姿勢が皆無なので、日本での取り組みはかなり遅れそうですが、イタリアは1994年以来、左右両方ともに何度かの政権担当経験をもったので、まだしも取り組みは進み始めているようです。

ちなみに、国会については、大山礼子『日本の国会』(岩波新書、2011年)が、国会図書館勤務の経験も踏まえて問題の所在を的確に指摘しています。また、イギリスから始まった「中核的執政」(core executive)の研究が日本でも始まっています。伊藤光利編『政治的エグゼクティヴの比較研究』(早稲田大学出版部、2008年)。

今回の調査は、佐々木毅先生たちの21世紀型統治システムについての共同研究の一環で、小選挙区制型民主主義が選挙制度や政党システムの面で始まったことを受けて、政治行政システム全体をどのように改革すべきかという問題に取り組もうとするものです。拙著『政権交代への軌跡』の続編になるかもしれません。

とはいえ、日本でも、こういう問題が政治家同士の議論の俎上に乗る時がはたして来るのでしょうか。