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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


竜馬空港 [2010年04月28日(Wed)]
昨日は、高知新聞のお招きで「民主党政権に活路はあるか」というタイトルの講演に行ってきました。低気圧が近付いて着陸できないかもしれないという条件付の便だったのですが、揺れは激しかったものの何とか着陸できました。

高知はやはり坂本竜馬一色でしたが、空港の名前も高知竜馬空港だというのは初めて知りました。そういえば、ローマ空港もレオナルド・ダビンチ空港と言っていたのを思い出しました。

高知新聞の27日付ではちょうど名古屋の河村市長の特集記事が掲載されていたこともあって、その話になりましたが、橋本大二郎前知事もまた、パーフォーマンスだけは抜群な割りに、県政運営ではほとんど成果がなかったという評価を聞きました。

「改革派」としての発信力と経営者としての資質がいかに両立しがたいかを再認識させられました。地元以外では改革派としての発信しか届かないので、そのイメージはますます虚像になりやすいのでしょう。現在の全国での河村イメージもまさにそうなりつつあります。

他方で、現状打破には改革派としての発信力に基づく政治力が不可欠だというのも事実です。

政治家と経営者の両方の資質を備えている人は稀だと考えると、破壊と改革(=建設)は別の人が担うしかないのでしょうか。

私自身は、その意味でも「政党」というものの重要性を強調したいと思います。抜群の「壊し屋」(自民党体制の)としての小沢一郎を私は高く評価していますが、民主党はポスト小沢ヘ向けた「中期シナリオ」(この嵐のなかで小沢氏が全面的に引退するのはよくないと考えるので)をきちんと持っておく必要があると思います。それもまた、小沢氏自身しか考えていないのかもしれませんが。

イタリア政治の激動を追っていた時に、イタリア共産党⇒左翼民主党が激しい論争のなかでも党としての戦略を明確に打ち出しては勝負していたのを見て、一流の「政党」というものを実感させてもらっただけに、民主党が党としての戦略を立てて党首を先頭に党全体でそれで勝負するという気風がいつまでもできないことは残念です。自民党もそれ以上にひどい実態をさらしていますが。

小沢自由党の合流で、特異な形でようやく党としての統一戦略ができたことで政権が取れたわけですが、さて、民主党はポスト小沢へのシナリオを描き実現することができるのでしょうか。
河村市政の1年 [2010年04月26日(Mon)]
4月28日が河村市政1年ということで、各紙が総括の特集記事を連載しています。中日新聞が今日付けの連載最終回で、河村市長のインタビューと並べて私の文章を掲載しています。

もともとの原稿が半分くらいに圧縮されていますが、論旨はほぼ表現されていると思います。しかし、真実は細部にあるので、それは追々書いていくとして、まずは寄稿した原文を以下に掲載させていただきます。

 河村市政1年の真実―内側から見た光と影

                       後 房雄(名古屋大学教授)

 自治体の首長には、政治家としての資質と経営者としての資質の両方が必要だというのが私の持論である。河村たかし名古屋市長の1年間を内側から見た評価を率直に言えば、政治家としての能力と人気は抜群である(だからこそ抜本的な議会改革に切り込めた)一方で、経営者としての能力と関心は極端に低い(たとえば、書類管理や会議運営ができない)。その政治家としての能力も、議会との対立構図を作って市民やマスコミにアピールする面では卓越しているが、政治主導の行政経営を推進する面では乏しい。

 振り返ってみて、私や藤岡経営アドバイザーと河村市長との「決裂」の根本的理由は、市長イメージが食い違っていたということにあると考えている。政治主導の行政経営を確立し、マニフェストの項目を着実に実行していくことを期待していた我々と対照的に、河村市長自身の中心的関心は、議員報酬と定数を争点に議会との対立構図を演出して、議会解散直接請求から住民投票、議会再選挙というシナリオを実現することに尽きると言ってよい。これはこれで、議会の実態を前提にすれば大きな意義があるが、市政はそれだけではない。

 こうしたズレが典型的に表れたのが、昨年12月の大騒動後である。河村サポーターズが直接請求運動の構えを見せたことによって、市民税10%減税と地域委員会の二大公約がようやく議会で可決された。我々は、その後は、減税をテコとした事業の精査のシステム構築や、地域委員会の実施、拡大のための体制整備などを重点とする方向で局面が転換するものと考えていたが、河村市長は、議員報酬と定数の半減を新たな争点に議会解散路線をさらに加速させた。

 最近のトワイライトスクール事業の公募問題についても、河村市長は民間公募の指示を出したこと以外、選定手続きや委員の選定に関してはほとんど我々のアドバイスに無関心であったのに、なぜか選定期間中の2月11日になって突然、選定委員を市長室に呼ぶという乱暴な行動をとった。

 議会からそれを批判されると、選定過程の問題点の重大さを徹底調査して明らかにして理解を求めるという正攻法をとらず、権限のない経営アドバイザーに責任を負わせて逃げようとしてきた。

 全体として、河村市長にとって、市政のトップとしてきちんと問題解決に取り組むということよりも、議会解散直接請求という政治ショーこそが一貫した中心的関心事だというのが私の評価である。行政を役人に丸投げするなかで、トワイライト事業全ての外郭団体受託など、役人の既得権防衛も野放しになっている。

 最後に、今後について言えば、マネジメントの資質と関心がこれほど乏しい人が市長をやっていてよいのかという根本的な疑問がある一方で、次の市長選挙ではそれにもかかわらず勝ってしまうであろうというのが困ったところである。

 私自身にも名案はないが、二大政党化が確定的になった日本においては、少なくとも名古屋市のような大きな自治体では市長も議会も政党を基盤にすべきだと思う。河村市長が積年の相乗り体制を揺るがす役割を果たしたあとは、市政に責任を持つ覚悟のある二大政党(連合)が選択肢を出して競うシステムを目指すしかないだろう。そのためには、議院内閣制など、議会一元制への制度改革も必要になる。

*****

この文章から掲載分では削除された「書類管理や会議運営ができない」というのは、細かいことのようですが、実は河村市長の本質を表現しているものです。公文書を紛失したことは1度や2度ではありませんし、会議は集団的討論と決定の場にはならず、放談会になるだけです。

これでは、万が一市議会で過半数を得たとしても、与党議員たちも束ねられないし、行政も動かせないので、市政は同じように混乱するだけでしょう。河村市長にとっては、議会との喧嘩に勝ったことで目標を達成したということなのでしょうが、それは市長として市政に責任を持つことを避けて、市長ごっこをやっているとしか私には思えません。
舛添新党 [2010年04月21日(Wed)]
ついに、舛添新党もできるようですね。さすがにこれで終わりでしょうか。

できたばかりの新党が政党連合を組んで参議院選挙に臨むというのは日本ではありそうにないので、7月の参議院選挙は民主党よりも自民党の敗北になる可能性が高くなってきました。

新党がそれぞれ自己主張することで、民主党に流れていた無党派層をある程度は引き付けられる可能性はありますが、民主党の方は小沢戦略のもとで、労働組合や(かつて自民党系だった)各種団体を使った組織選挙である程度の票を集めるでしょう。そうすると、自民党は組織票も無党派層も失って惨敗することになります。

新党も、比例区ではある程度の議席が取れるとしても(それにしても4つもあると却ってブレークしにくいでしょうが)、定数1〜2の選挙区で勝てるほどの票は無理でしょうから、選挙区では民主党が漁夫の利を得ることになりそうです。

そうなると、民主党が多少苦戦しても、公明党と組んで参議院で多数を確保することは難しくないので(また、一部新党との連携もありうる)、民主党も巻き込んだ選挙後の政界再編はなくなります。(何度も言うように、衆議院308議席の岩盤があることを忘れてはいけません。)

そういうシナリオを前提に考えると、新党を次々に結成する意図は、自民党が惨敗したあとに、野党第一党を作るための野党内政界再編をめざすということなのでしょうか。

そうなら、自民党が惨敗すればするほど環境は整うということになります。

とはいえ、新党の当事者たちは、民主党を大敗させたうえで民主党も巻き込んだ政界再編が可能だと思ってやっているようにしか見えません。私は幻想だと思うのですが。
なぜ新党か [2010年04月18日(Sun)]
今日また、いわゆる首長新党、「日本創新党」というのが設立されたようです。山田宏さん、中田宏さんたちのヤツですね。

みんなの党、たちあがれ日本、日本創新党。あとは舛添新党が出来るのかどうか。橋下大阪府知事、東国原宮崎県知事などの動きも注目されています。

たしかに、民主党政権が当初の大きな期待を完全に裏切って迷走しており、自民党の方もまったく再生の兆しがみえないというのは事実です。しかし、どんどんできる新党にも、どのような政治戦略があるのかみえません。

その最大の理由は、政治家たちが依然として「中選挙区制の惰性」で動いているためではないかと思います。つまり、とりあえず、新党を立ち上げて選挙で多少の議席を獲得すれば、選挙後の政界再編でキャスティングボートを握って発言力をもてるかもしれない、というわけです。

しかし、衆議院は小選挙区制が確立しており、二大政党以外がまとまった議席を獲得することは不可能です。参議院(半数改選分)も、一人区が29もあり、定数3以上の選挙区は大都市の6つだけです。比例代表も48議席だけです。

選挙後の政界再編をもくろんで動くのではなく、「政権選択」の機会である選挙の前にどのような政党連合を組むかを明らかにして選挙に臨む習慣を定着させていくべきだということは制度的に明らかです。

また、与党民主党から新党に加わるということはほとんど考えられない以上、新党が増えることは野党が多党化することと等しく、自民党がますます弱体化し、結果として民主党が有利になるだけです。

強いて言えば、比例区で小政党でも議席が獲得しやすい参議院選挙で多少の注目を集めた上で、3年半後の衆議院選挙に向けて、二大政党のどちらかに高く売りつけようということでしょうか。

あわよくば、衆議院の早期解散という期待もあるのかもしれませんが、民主党側には解散するメリットはほとんどないので、その可能性はないでしょう。

一つの可能性として、民主党側から解散を参議院選挙にぶつけるダブル選挙という選択肢が永田町ではささやかれているそうですが、そうなると、現職の多い民主党が圧倒的に有利ですし、借金が120億円もあるという自民党をはじめ、新党も財政的にも、組織的にもほとんど対応不能でしょう。

そういうわけで、私には新党が日本政治に大きなインパクトを与える可能性はあまり感じられません。理念や政策もそれほど目新しいものがでるはずもありません。現在の問題は、当然やるべきことがやられていないということにあるわけですから。

日本政治の打開の方向は、やはり民主党が4年間という与えられた時間のうちに何とか統治能力を身に付けることにしかないと思います。

そして、他方、自民党が、あるいは新党を含めて再編成された野党第一党が、民主党に対する明確な対立軸を打ち出していくということです。

結局、いろいろな新党の役割は、二大政党のそれぞれに対して刺激を与えるということにとどまるのではないでしょうか。もちろん、当事者たちがそれを言っては盛り上がらないので、自分たちが主役になれるかのように主張するのは当然でしょうが。

そうすると、一番注目すべきなのは、参議院選挙までに民主党がどのような戦略を打ち出すかということになります。小沢幹事長の辞任、首相交代を含む内閣の大改造などが、ここまでどん底の民主党にとってはむしろ武器になるかもしれません。衆議院の308議席だけは決して減らないという岩盤があるわけですから。
ゼミのテキスト [2010年04月15日(Thu)]
大学院ゼミと学部ゼミの初回打ち合わせがありました。大学院ゼミは5、6人、学部ゼミは中国からの留学生1人を含めて29人という規模になります。学部ゼミは数年前から2、3、4年生合同になりましたが、人間関係が立体的になっていいように思います。

例年、1回目は、私が用意したテキスト候補のなかから参加者の希望(挙手)によってテキストを選定してもらいます。誘導と選択のバランスを意識した方法のつもりです。

大学院ゼミ前半のテキストは次の通りです。

○ベンジャミン・バーバー『ストロング・デモクラシー』日本経済評論社、2009年
○名和田是彦編『コミュニティの自治 自治体内分権と協働の国際比較』日本評論社、2009年
○穴見明『スウェーデンの構造改革』未来社、2010年
○アルバート・ハーシュマン『連帯経済の可能性』法政大学出版局、2008年
○堀勝洋『社会保障・社会福祉の原理・法・政策』ミネルヴァ書房、2009年
○ヴァン・パリース『ベーシック・インカムの哲学』けい草書房、2009年
○アブナー・グライフ『比較歴史制度分析』NTT出版、2009年
○マイケル・キンズレー編『ゲイツとバフェット 新しい資本主義を語る』徳間書店、2009年
○ジュリアン・ルグラン『準市場 もう一つの見えざる手』法律文化社、近刊予定


学部ゼミのテキストは次の通りです。

○岡部一明『市民団体としての自治体』御茶の水書房、2009年
○小川正人『教育改革のゆくえ』ちくま新書、2010年
○内田和成『仮説思考』東洋経済新報社、2006年
○ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』日経BP社、2008年
○山田昌弘『新平等社会 「希望格差」を超えて』文春文庫、2009年
○鴻上尚史『「空気」と「世間」』講談社現代新書、2009年
新学期 [2010年04月14日(Wed)]
3月の大騒動が終わったと思ったら、もう4月も半ばで、新学期の講義などが始まります。

今年度は、前期に講義が集中しています。
月曜日 1年生向け「政治学」
水曜日 大学院合同ゼミ(政治学科)
木曜日 ロースクール「NPOの理論とマネジメント」
      大学院ゼミ「現代行政学研究」
      学部ゼミ「行政‐市場‐市民社会」
金曜日 大学院英語コース Comparative Public Administration
      2年生以上向け「行政学」

そういうわけで、明日は最も忙しい木曜日です。
論点思考、仮説思考 [2010年04月09日(Fri)]
内田和成『論点思考 BCG流問題設定の技術』東洋経済新報社、2010年、を読みました。

前著、内田和成『仮説思考』東洋経済新報社、2006年、と合わせて、熟練のコンサルタントのスキルについての非常に有益な本でした。

私なりに、NPOコンサルティングをやっていますが、私なりのやり方と非常に相性がいいスタイルだということもあり、コンサルティングの方法論を再確認し明確化することができました。

特に面白かったのは、ロジックツリーやプロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)などの手法は、それを使って考えると言うより、仮説を立てたうえでそれを検証するために使うという点でした。

おそらく、これが、手法をいくら勉強しても使いこなせない人の問題点なのでしょう。

ところで、仮説思考の重要性は、学術研究でも同じですが、研究では仮説を網羅的に完璧に立証することが求められるのに対し、経営実務やコンサルティングにおいては、限られた時間と情報で決め打ちをして、実践を通じて検証し、間違っていそうなら素早く修正するという点が根本的に異なります。

私自身は、実は後者の方が向いているような気がします(すぐに仮説を考える習性があるようなので)。だから、NPOの経営やコンサルティングなどをやっているのでしょうが。
新党騒ぎ [2010年04月06日(Tue)]
また、新党騒ぎが起きているようですね。

おじいさんばかりで、あまり「新党」というインパクトもなさそうです。というか、自民党の今後、という点には影響があるでしょうが、民主党政権への影響はあまりないだろうということですが。あれで無党派層がひきつけられるなどと考えるとすれば、妄想に近いと思います。

私が主張したい点があるとすれば、政権をどの党と組むかを明言しないまま選挙に臨み、選挙後に駆け引きをしようとする習慣だけは止めにして欲しいということです。政権選択という選挙の意義がようやく定着しているだけに、それを空洞化することだけはやめてほしいということです。

昨年の総選挙における「みんなの党」のように、いまだに選挙後の政界再編を狙う人たちが多いので困ります。「みんなの党」には、小選挙区制を理解している人がいなさそうなのが問題点です。

平沼新党に意味があるとすれば、自民党の「保守党」部分が分離するという点にあるかもしれません。幹事長代理になるという河野太郎をはじめ、自由主義部分は自民党に残るようですから、自民党の「自由党」的純化が進むことになるでしょう。

そうすると、「みんなの党」は自由主義路線が明確なので、残った自民党と「みんなの党」で自由党を結成して参議院選挙に臨むという構想が可能になります。そういう構想力のある人がいるのかどうか分かりませんが。

その場合、谷垣総裁では役不足なので、舛添さんあたりが党首でしょうか。舛添さんも明らかにトップを狙っていると思いますが、いつ勝負するかで迷っているのでしょう。私は、勝負するなら今だと思いますが。

(追記)
共同通信社の全国電話世論調査で、新党構想に「期待しない」が65・9%と「期待する」の27・1%を大きく上回ったそうです。そりゃそうでしょうね。期待するという人がいることが不思議なくらいです。
「邪悪なものの鎮め方」 [2010年04月03日(Sat)]
ウチダ先生の本から、もう一箇所、紹介したい部分があります。というか、こちらの方が本筋ですが。世の中にある「邪悪なもの」をたっぷりと体験させていただいただけに、それに対処するウチダ流の方法が、抽象的ではあるが的確なものだという感触があります。

「邪悪なもの」を構成する条件はとりあえず二つあります。

一つは、「それ」とかかわるときに、私たちの常識的な理非の判断や、生活者としての倫理が無効になるということ。「どうしていいかわからない」ということです。渡り合うか、折り合うか、戦うか、スルーするか・・・いろいろ対応はありそうですけれど、「こういう場合はこうした方がいい」というガイドラインはない。

もう一つは、だからといって何もしないで手をつかねていれば必ず「災悪」が起こるということ。

つまり、「邪悪なもの」との遭遇は、「どうしていいかわからないけれど、何かしないとたいへんなことになるような状況」というかたちで構造化されているということです。

他の本もそうですければ、私はここ数年「どうふるまっていいかわからないときに適切にふるまうためにはどうすればいいか」というなんだかわかりにくい問いをめぐって考えてきました。

経験的に言って、「どうふるまっていいかわからないとき」にでも適切にふるまうことができる人間がいます。判断を下すために十分なデータがないときでも正しい判断を下すことができる人間がいます。彼らはその段階では未知であることについて、先駆的に知っている。どうして、そういうことができるのかわからないけれど、時間をすこしだけ「フライイング」して、未来を一瞥してきている(ように見える)。(中略)

その問題を解決する手だてが支援されていないときに、過たずその手だてを選ぶことができるような知、私はそれを「先駆的な知」と呼んでいます。喩えて言えば、「清水の舞台から飛び降りる」というような切羽詰った状況において、下を見ずに「えいや」と欄干を超えても、ちゃんとセーフティネットが張ってあるところに飛び降りることができるような直感の働きのことです。

「邪悪なもの」をめぐる物語は古来無数に存在します。そのどれもが「どうしていいかわからないときに、正しい選択をした」主人公が生き延びた話です。主人公はどうして生き延びることができたのでしょう。

私自身のみつけた答えは「ディセンシー」(礼儀正しさ)と、「身体感度の高さ」と、「オープンマインド」ということでした。
 内田樹『邪悪なものの鎮め方』バジリコ、2010年、9−11ページ。

邪悪なものに近付かないような生き方をするという選択もありますが、それでも降りかかってくるということもありうるので、やはり「邪悪なもの」を鎮めるというのは重要な資質だといわざるをえません。
大きな「子ども」 [2010年04月02日(Fri)]
名古屋市の騒動を振り返ってみて、不覚なことに、大きな「子ども」に振り回されてしまっていたことに気がつきました。こちらはもう少し大人になったつもりでいたのに、いつの間にか・・・、という感じです(こちらでカバーできるはずという目算の狂いもありましたが)。

もちろん、これは議員さんたちが「大人」だということではありません。彼らは「邪悪なもの」の表現ということになります。一種の「子ども」と言ってよいかもしれません。

久しぶりにウチダ先生の文章を読んで気付かされました。内田樹『邪悪なものの鎮め方』バジリコ、2010年。いつもながら、痒いところに手の届くタイトルです。

どれほど理路整然と「正しいこと」を言い募っても、「子どもの言い分」はなかなか世間に通らない。それは「子ども」が自分たちを包含するところの「システム」に対してその影響をこうむる「被害者・受苦者」という立ち位置を無意識のうちに先取するからである。

つねづね申し上げているように、年齢や地位にかかわらず、「システム」に対して「被害者・受苦者」のポジションを無意識に先取するものを「子ども」と呼ぶ。「システム」の不都合に際会したときに、とっさに「責任者出てこい!」という言葉が口に出るタイプの人はその年齢にかかわらず「子ども」である。

なぜならどのような「システム」にもその機能の全部をコントロールしている「責任者」などは存在しないからである。(中略)

「子ども」でも破壊することはできる。

でも、彼らが破壊したあとに建設するものは、彼らが破壊したものと構造的には同一で、しばしばもっと不細工なものである。

もちろん、「子ども」には「子どもの仕事」がある。

それは「システム」の不具合を早い段階でチェックして、「ここ、変だよ!」とアラームの声を上げる仕事である。そういう仕事には「子ども」はとても有用である。

でも、「システム」の補修や管理運営は「子ども」には任せることはできない。「ここ変だよ」といくら叫びたてても、機械の故障は直らないからである。故障は「はいはい、ここですね。ではオジサンが・・・」と言って実際に身体を動かしてそのシステムを補修することが自分の仕事だと思っている人によってしか直せない。

現代日本は「子ども」の数が増えすぎた社会である。もう少し「大人」のパーセンテージを増やさないと「システム」が保たない。

別に日本人全員に向かって「大人になれ」というような無体なことを私は申し上げない(そういう非常識なことを言うのは「子ども」だけである)。

5人に1人、せめて7人に1人くらいの割合で「大人」になっていただければ「システム」の管理運営には十分であろうと私は試算している。(39−43ページ)


そういうオジサンに私はなりたい、と思っています。
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