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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


中北浩爾『現代日本の政党デモクラシー』 [2013年01月04日(Fri)]
中北浩爾『現代日本の政党デモクラシー』岩波新書、2012年12月。

1990年代初めの「政治改革」以後の日本政治を総括する好著である。最近はやりの「やっぱり比例代表制」という後だしじゃんけんのような政治学者たちの本とは異質で、政治改革とそれ以後の「競争デモクラシー」を目指した動向を内在的に辿っている点が貴重である。特に、私自身も関わった民間政治臨調―21世紀臨調の狙いについてはほぼ正確にフォローしていると思われる。

具体的には、小選挙区制を基礎にした「競争デモクラシー」をシュンペーター型とダウンズ型に区別したうえで、政治改革派のなかに両方の潮流があったことを明らかにしていることが注目される。

前者は、「エリート競争型」と呼ばれ、その想定する有権者は個々の政策に関する十分な判断能力をもたず、選挙で有能な人物を見極めて投票するのがせいぜいである。シュンペーターは、このエリート間の有権者の支持を求める競争に民主主義の最低限の要素を求めた。典型的には小沢一郎の立場とされる。

ダウンズは、民主主義を市場モデルで解釈し、市場における企業の代わりである政党が得票の最大化をめざし、消費者の代わりである有権者が効用の最大化をめざして、それぞれ合理的に行動すると想定する。これは「市場競争型」と呼ばれ、マニフェストが想定する政治イメージと近いとされる。

中北によれば、96年結党の民主党は、「市民主義」という参加デモクラシーの系譜を継承しつつ、98年に新民主党になり、その後二大政党の一角へと成長する過程で、エリート競争型よりも有権者の判断能力を重視する市場競争型の競争デモクラシーを目指すようになったという。そして、マニフェスト政治の担い手となり、2009年の政権交代を実現することになる。

ここまではかなり的確な分析だと思うが、民主党政権の挫折を市場競争型デモクラシーの挫折と判断し、「比例代表制の比重を高め、穏健な多党制を実現し、参加デモクラシーへと向かうべき」(206ページ)と結論する終章の議論は、一気に説得力が落ちるといわざるをえない。

中北の分析では、競争型デモクラシーの挫折は内在的限界と外在的限界によるものという。前者は、「二大政党間の競争の激化と無党派層の増大を背景として、選挙戦がイメージに頼る傾向を強めたこと」であり、それによってマニフェストが機能しなくなったという。後者は、有権者―衆議院―首相・内閣という競争デモクラシーのラインの外部にある強力な参議院の存在である。いわゆるネジレ問題である。

私自身は、二大政党の凝集性の弱さ、理念の不足、無党派層の増大、メディア特にテレビの強い影響力などを前提に、機能する二大政党制(ないし二大ブロック)を構築することは不可能とは考えない。また、参議院問題についても、自公民で公債特例法を参議院で潰し合うことを回避する合意が形成されたことの延長線上で、憲法改正(一院制)以前にも機能する程度の解決策はありうると考える。

中北が提案する比例代表制に基づく穏健な多党制は、比例代表制を担えるだけの強い理念を備えた複数の政党の構築を不可欠とするが、それが日本の政党の現状を前提にしてとても現実性をもつとは考え難い。社共を中心とした戦後革新勢力の衰退ぶりを考えるだけでも明らかであろう。

しかも、穏健な多党制では、肝心の連立政権と政権政策は、選挙後に有権者抜きで決められることになるので、中北が競争デモクラシーを批判する論点と同じようなエリート主義が再現することになる。

中北は、穏健な多党制はネジレの解消にも貢献するというが、その場合、主要政党のほとんどが加わるほとんど大連立に近い連立政権が恒常化しかねない。

いずれにしても、政治改革以来の二大政党制型の民主主義をさらなる努力によって機能するようにしていくか、穏健な多党制に転換するかという二つの選択肢の間での選択はもっと徹底的に議論されなければならない。

一度の政権交代の失敗だけから、比例代表制への転換というほどの重大な結論を引き出すのはいくらなんでも乱暴である。

競争デモクラシーと穏健な多党制のそれぞれをより体系的、徹底的に比較する作業がまずは必要だろう。

そのためにも、民主党政権の徹底した分析、総括を含めて、私のような競争デモクラシーの支持者の側が、競争デモクラシーを日本でよりよく機能させるための条件や改革提案を提出することが不可欠である。同時に、穏健な多党制が機能するイメージやそのための条件についても、より明確な議論が求められる。

中北の終章の議論は、先に私が書評で批判した小林良彰の単純な比例代表制提案よりはかなりまともではあるが、やはり初歩的なアイデアの域を出ていない。とはいえ、両派の議論をかみ合わせながら展開させていくうえで、中北の内在的な議論は有益な出発点となると考える。その意味で、冒頭で好著と評した次第である。