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〔後房雄のブログ〕

現実関与型の政治学者が、日本政治、自治体改革、NPOやサードセクターの動向などについて話題を提供しています。一応研究者なので、面白かった本や論文の紹介もします。


劇場型首長 [2012年05月04日(Fri)]
有馬晋作『劇場型首長の戦略と功罪』ミネルヴァ書房、2011年11月。
平井一臣『首長の暴走 あくね問題の政治学』法律文化社、2011年5月。

田中康夫長野県知事、東国原宮崎県知事、橋下大阪府知事、竹原信一阿久根市長、河村たかし名古屋市長たちを劇場型首長として分析したものです。

共通した感想は、本当に目立ちたがりの人たちだなあ、というものです。そうでもないと選挙に出たりしないのでしょうが、それにしても凄いと思います。

それが政策能力、統治(マネジメント)能力を伴っていればいいのですが、目立ちたがりだけの突出がほとんどのケースですね。

田中知事は、政策アイデアは優れていたようですが、マネジメントがダメで空回りという感じです。

東国原知事は、タレントですし文字通りの目立ちたがりですが、広告塔として宮崎県に貢献するということだけはやったということでしょう。とても東京都知事や首相の器とは思えませんが、それをものともしないところがキャラクターなのでしょう。

竹原市長は、公務員や議会などの既得権に自爆攻撃をしたという感じです。専決処分や法律違反は確信犯なので、それらを良識で批判しても急所を外します。

相乗り議会、首長、行政の既得権構造を崩す方法が見つからないことへの苛立ちの表現です。それを批判しても、既得権構造を崩す方法を示せないままでは何の有効性もありません。劇場型首長を批判する良識派政治学者たちの無力を指摘せざるを得ません。

河村市長には、私自身が改革を期待してコミットしたわけですが、名古屋市政には何の関心も責任意識もなく、全国的に知名度を上げて国政に戻るという戦略を描いていたとはまったく気づきませんでした。私の完全な読み違いですが(あそこまで自己中の人がいるなんて見るまでは信じられませんでした)、一定期間、周りの人を引きずり込む能力は体験しないとなかなかわからないかもしれません。その後も引きずり込まれる人が後を絶たないようです。

唯一、政策能力や統治能力もバランスよく備えていると思われるのは橋下知事、現大阪市長です。それは、橋下時代の大阪府庁に民間から課長で入った女性の体験記からも読み取れます。

中村あつ子『私と橋下知事との「1100日」 民間出身の女性課長が大阪府庁で経験した「橋下改革」』洋泉社、2012年4月。

私自身は、劇場型首長(小泉首相も入れていい)については、それが「法的・政治的過程の素通り」や「政治の文法」の無視だとして批判することよりも、それが噴出してこざるをえない現実の深刻さを認識することの方が重要だと考えています。

そして、そうした現実をもたらしている既得権構造を壊す可能性のある動きにはまずは期待をもって注目すべきだし、機会があればコミットすべきだと考えます。

政治学者たちが、とにかく権力を批判していれば役割を果たしたことになる、などと考えているとすれば、世の中が政治学を素通りすることになりかねません。

かつての政治改革にしても、2009年の政権交代にしても、何もコミットしないで、表立って意見表明もしなかった政治学者たちが、批判しやすい状況になった今になれば誰でもできるような程度の批判をしているのをみると、本当に気楽な商売だと思います。

あの自民党長期単独政権や自治体の相乗り体制を変える方法を真剣に考えたことがあるのでしょうか。そしてまた、彼らが批判する「改革」の試み以外に、どのような打開策を示せるのでしょうか。

まあ、政治学や政治学者にもいろいろあるわけで、私自身はこういうスタイルの方が合っているというだけのことですが。