『日本改造計画』(1993年)
[2009年10月05日(Mon)]
政府・与党一元化についてのもう一つの重要資料を紹介しておきます。新政権を理解するうえで必読文献である、小沢一郎『日本改造計画』(講談社、1993年5月)です。これを読めば、小沢ペーパーが15年以上前からの小沢氏の持論の具体化であることが明らかです。それは、現在では民主党指導部全体の合意になっていると言ってよいでしょう。
第一部に「与党と内閣の一体化」と題する章があります。そこでは、まず、政府と与党(自民党)の二元制への批判が述べられています。
「戦前は内閣の中で権力が分散していたために日本の破局を招いたという反省に立ち、現行憲法では、本来の議院内閣制の趣旨に沿って、国会を国権の最高機関にしたうえで、その信任を受けた内閣が統治するよう定めている。その限りでは首相を頂点とする内閣の権力は強大である。
ところが、戦前からの官僚制を温存したため、権力の中枢は「官」であり、政治家は「民」の代表にすぎないという意識をそのまま引きずってきた。
だから、たとえ国会の多数派となって、ある政党が政権を担っても、統治機構の外部の存在にすぎないという意識が残りつづけた。たとえば、与党である自民党は、しばしば「政府」に対して「要望」を出している。このような習慣があるのは、「官」としての政府が政治の頂点であり、与党はその周辺に存在しているものという図式になっているからだ。議会内の多数派である与党が名実ともに政権を担当するという意識が欠けているのではないだろうか。憲法に定められた制度は建前上の制度であり、実際には、戦前のように権力が「官」の世界に分散している状態がつづいているというほかない。」(55−56ページ)
自民党の中枢を経験した小沢氏の現状認識だけに説得力があります。そのうえで、小沢氏は、「立法府と行政府がその頂点で合体している」イギリスの議院内閣制をモデルとして紹介し、日本でも参考になると述べています。
「政治改革によって首相のリーダーシップを強化するとき、ポイントとなるのは、与党と内閣の一体化なのである。
これまでは政府(行政府)と与党が二本立てで、それぞれ政策の調整を行ってきた。そのため、調整過程が複雑であるだけでなく、時間がかかりすぎる。内閣の責任もぼけてしまう。これでは責任ある政治は期待できない。
しかも、党で政策立案に関係している議員は固定したスタッフを持たない。特定の政策に責任を負うこともない。政策知識を身につける機会も限られている。そういう人たちが非公式に政府に働きかけ、政策に影響を与えているのでは、密室の中で取り引きがなされているようなイメージを国民に与えてしまう。わかりにくい政治という批判を浴びる一つの原因である。
選挙によって選らばれた議会、その議会で選ばれた内閣が政治に責任を負う。それこそが代議制民主主義の基本だ。」(57−58ページ)
小沢氏の具体的提案は次の通りです。まさに小沢ペーパーそのものです。
「具体的にどうするか。まず党の重要な役職者を内閣に取り込んでしまう。そして、党の政策担当機関を内閣のもとに編成しなおし、正式な機関として位置づける。党の中枢イコール内閣という体制にするのである。(中略)
日本でも、法案について内閣が責任を十分負えるよう、与党側の議会運営の最高責任者、たとえば幹事長を閣僚にする。それによって、内閣と与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運営できる。
もちろん、単に頂点だけが一体化しても、それだけで議会の多数派である与党が内閣に参加しているとはいいがたい。与党の中堅部分と内閣あるいは行政府との一体化も不可欠だ。(中略)
省庁ごとに二〜三人の政務次官と四〜六人の政務審議官ポストをつくり、与党議員を割り振るのがよい。その結果、閣僚を含めて与党議員のうち百五十〜百六十人程度が政府に入る。政府ポストを与えられた与党議員は、各省庁の局ごとの分担なり、テーマごとの分担なりを決めて政策を勉強し、政策立案に参画する。
省庁の政策方針を決定するときでも、政治家チームが、官僚の助言と協力を得ながら、最終的な責任を持つという形でリードする。これが、本当の意味で「民」主体の政策決定であり、民主主義の根幹をなすものだ。(中略)
政府のポストにつかなかった与党議員は、どういう仕事をするか。第一に国会関係の仕事がある。国会がいまよりも活性化するから、委員会の委員長や議会運営関係の委員は大切な役割を担うことになる。そうなると、委員長の代理をつとめる役職も必要になる。全体では、国会の仕事に四十〜五十人が専念することになる。
第二に、あとで述べるように、選挙は党によって運営されるようになるので、政党の運営、すなわち選挙を闘うための態勢づくりや広報の仕事が、現状とは比較にならないぐらい重要になる。したがって、党組織のための仕事をする議員や職員も数多く必要となる。
このようにして、すべての議員がそれぞれの能力、適性に応じ、政府、国会、党の各部門で活動することができる。」(59−60ページ)
政府・与党一元化に関して、15年以上前にこれほど具体的な提案をしていたことは注目すべきことでしょう。また、小沢氏の考え方の一貫性も驚くべきものです。(なぜ幹事長の小沢氏が閣内に入らなかったのかという疑問はありますが。)
また、ここからは、政権運営と並んで、民主党の政党としての整備、強化も今後の重要な課題だということが分かります。政府に入らなかった民主党議員たちは、議員立法禁止に「反発」している場合ではなく、国会の活性化、政党の整備、強化で実績を挙げるべきなのです。小沢氏は多分、俺の本くらい読んどけ、と思っていることでしょう。
第一部に「与党と内閣の一体化」と題する章があります。そこでは、まず、政府と与党(自民党)の二元制への批判が述べられています。
「戦前は内閣の中で権力が分散していたために日本の破局を招いたという反省に立ち、現行憲法では、本来の議院内閣制の趣旨に沿って、国会を国権の最高機関にしたうえで、その信任を受けた内閣が統治するよう定めている。その限りでは首相を頂点とする内閣の権力は強大である。
ところが、戦前からの官僚制を温存したため、権力の中枢は「官」であり、政治家は「民」の代表にすぎないという意識をそのまま引きずってきた。
だから、たとえ国会の多数派となって、ある政党が政権を担っても、統治機構の外部の存在にすぎないという意識が残りつづけた。たとえば、与党である自民党は、しばしば「政府」に対して「要望」を出している。このような習慣があるのは、「官」としての政府が政治の頂点であり、与党はその周辺に存在しているものという図式になっているからだ。議会内の多数派である与党が名実ともに政権を担当するという意識が欠けているのではないだろうか。憲法に定められた制度は建前上の制度であり、実際には、戦前のように権力が「官」の世界に分散している状態がつづいているというほかない。」(55−56ページ)
自民党の中枢を経験した小沢氏の現状認識だけに説得力があります。そのうえで、小沢氏は、「立法府と行政府がその頂点で合体している」イギリスの議院内閣制をモデルとして紹介し、日本でも参考になると述べています。
「政治改革によって首相のリーダーシップを強化するとき、ポイントとなるのは、与党と内閣の一体化なのである。
これまでは政府(行政府)と与党が二本立てで、それぞれ政策の調整を行ってきた。そのため、調整過程が複雑であるだけでなく、時間がかかりすぎる。内閣の責任もぼけてしまう。これでは責任ある政治は期待できない。
しかも、党で政策立案に関係している議員は固定したスタッフを持たない。特定の政策に責任を負うこともない。政策知識を身につける機会も限られている。そういう人たちが非公式に政府に働きかけ、政策に影響を与えているのでは、密室の中で取り引きがなされているようなイメージを国民に与えてしまう。わかりにくい政治という批判を浴びる一つの原因である。
選挙によって選らばれた議会、その議会で選ばれた内閣が政治に責任を負う。それこそが代議制民主主義の基本だ。」(57−58ページ)
小沢氏の具体的提案は次の通りです。まさに小沢ペーパーそのものです。
「具体的にどうするか。まず党の重要な役職者を内閣に取り込んでしまう。そして、党の政策担当機関を内閣のもとに編成しなおし、正式な機関として位置づける。党の中枢イコール内閣という体制にするのである。(中略)
日本でも、法案について内閣が責任を十分負えるよう、与党側の議会運営の最高責任者、たとえば幹事長を閣僚にする。それによって、内閣と与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運営できる。
もちろん、単に頂点だけが一体化しても、それだけで議会の多数派である与党が内閣に参加しているとはいいがたい。与党の中堅部分と内閣あるいは行政府との一体化も不可欠だ。(中略)
省庁ごとに二〜三人の政務次官と四〜六人の政務審議官ポストをつくり、与党議員を割り振るのがよい。その結果、閣僚を含めて与党議員のうち百五十〜百六十人程度が政府に入る。政府ポストを与えられた与党議員は、各省庁の局ごとの分担なり、テーマごとの分担なりを決めて政策を勉強し、政策立案に参画する。
省庁の政策方針を決定するときでも、政治家チームが、官僚の助言と協力を得ながら、最終的な責任を持つという形でリードする。これが、本当の意味で「民」主体の政策決定であり、民主主義の根幹をなすものだ。(中略)
政府のポストにつかなかった与党議員は、どういう仕事をするか。第一に国会関係の仕事がある。国会がいまよりも活性化するから、委員会の委員長や議会運営関係の委員は大切な役割を担うことになる。そうなると、委員長の代理をつとめる役職も必要になる。全体では、国会の仕事に四十〜五十人が専念することになる。
第二に、あとで述べるように、選挙は党によって運営されるようになるので、政党の運営、すなわち選挙を闘うための態勢づくりや広報の仕事が、現状とは比較にならないぐらい重要になる。したがって、党組織のための仕事をする議員や職員も数多く必要となる。
このようにして、すべての議員がそれぞれの能力、適性に応じ、政府、国会、党の各部門で活動することができる。」(59−60ページ)
政府・与党一元化に関して、15年以上前にこれほど具体的な提案をしていたことは注目すべきことでしょう。また、小沢氏の考え方の一貫性も驚くべきものです。(なぜ幹事長の小沢氏が閣内に入らなかったのかという疑問はありますが。)
また、ここからは、政権運営と並んで、民主党の政党としての整備、強化も今後の重要な課題だということが分かります。政府に入らなかった民主党議員たちは、議員立法禁止に「反発」している場合ではなく、国会の活性化、政党の整備、強化で実績を挙げるべきなのです。小沢氏は多分、俺の本くらい読んどけ、と思っていることでしょう。