アルトゥーロ・パリージ
[2011年03月08日(Tue)]
7日の続きですが、夜7時半から、アルトゥーロ・パリージさん(写真)に2時間ほど話を聞きました。パリージさんはプローディさんの盟友のような人で、第一次プローディ内閣では官房長官(首相府次官)、第二次プローディ内閣では防衛大臣を務めました。もともとは、政治社会学の教授で、マリオ・セーニとともに国民投票を使った選挙制度改革を主導し、その後、プローディさんとともに中道左派のリーダーとしても活躍した人です。
インタビューの場所は、オリーブの木運動から民主主義者を経てウニオーネ(2006年に勝利した中道左派連合の名前)に至るまでのプローディ・グループの本拠地であったサント・アポストリ広場の事務所(ベネツィア広場のそば)です。僕も昔一度訪ねたことがあって懐かしかったです。
オリーブの木の運動の頃からの歴代のシンボルが壁に並べてありました(写真)。2007年に最終的に民主党の創立に至っており、この事務所も今年いっぱいで閉鎖ということで、パリージさんもやや寂しそうでした。
それには、現在のベルサーニの民主党がやはり旧共産党の主導になっており、パリージさんは政治文化の違いを痛感しているという事情もあるようです。2008年の総選挙で敗北してベルトロー二が辞任したあとの党首選に自ら出馬して敗れたという経過もあります。
日伊とも、ファシズムの反省から戦後は権力分散的な体制からスタートしたが、大きな改革や強い決定ができない限界が冷戦終結以後に顕在化し、代表性とともに統治可能性をも満たすようなシステムを模索し始めたという歴史認識は私とも共通なので議論しやすかったです。
たしかに、小選挙区制によって二大勢力化し、政権交代が起こるようになったことは大きな前進ですが、政権を取ったあとの実態は、与党連合の諸政党がそれぞれ自己主張し、大臣も自分の政党を代表して入閣しているので、首相は全体をリードするというよりは調整するということにならざるをえなかったということです。
要するに、与党内の政党間での絶えざる調整と妥協というのが実態だったようです。そして、実際、1998年には共産主義再建党の造反でプローディ内閣は2年で倒れます。また、2006年にできた第二次政権も、内部対立でわずか2年で繰り上げ総選挙になってしまいました。
法的な首相権限などの問題以上に、問題の本質はやはり政治的だということです。
その点では、中道右派の方は、ベルルスコーニが高い支持を背景に政治的に圧倒的な求心力を持っているので、中道左派よりも首相主導での統治可能性の点ではましだというのがパリージさんの評価でした。
また、ベルルスコーニについては、もちろん理念や政策に反対だという前提の上ですが、政治家としては非常に力があるということを強調していました。現在のところ、中道左派には対抗できるリーダーがいないという判断でした。それだけに、プローディさんがともかくも96年と06年の二度の総選挙でベルルスコーニを破ったことは奇跡的なことだったということにもなります。
このように、ベルルスコーニという特殊な政治家によって何とか統治可能性が担保されているにしても、システム改革は依然として中途半端なままだというのがパリージさんの現状認識です(ベルルスコーニ以後のイタリア政治はもっとひどいことになるかもしれないとも言っていました)。
彼は、議院内閣制の枠内ではもはや不可能なので、大統領制に踏み切るしかないというのが現在の主張のようです。この点でも、現在の民主党とは意見が違うのでしょう。
統治可能性を追求するスタンスは共有しますが、大統領制については、政党の党議拘束がある以上、大統領多数派と議会多数派がずれた時の問題が解決困難なので、私としてはやはり議院内閣制のもとでの改革を追求すべきだという意見です。しかし、パリージさんは自ら政権運営に関わったうえで、それではどうにもならないという考えに至ったようです。
なお、防衛大臣の時には、特に軍隊という官僚制は自律性を重視するので、政治家である大臣としては目標設定はするが、人事やその他のことについては極力介入しないという方針でやったそうです。軍人たちは政治的には右派だろうが、左派の大臣に対する忠誠という点では何も問題はなかったということでした。
日本の民主党政権の混迷について言えば、政治家個々人の能力としてはイタリアに比べてかなり水準が低いという問題はあるにしても、権力分散的なシステムを首相主導に転換していくうえで過去の遺産からなかなか脱却できないという点では同じだということができます。
日本の民主党が事実上、旧社会党、旧民社党、旧さきがけ・日本新党、旧自由党などの政党連合だということを考えれば、まずますイタリアの状況との共通性が浮かび上がります。
政界再編によってこうした政党の異質性が解決されるかという点では私は非常に懐疑的ですが(政策がどうであれ優勢な方に集まるに決まっていますから)、いずれにしてもある程度同質的な二大政党を作っていくのはかなり長期的な課題と考えるしかないでしょう。
そのうえで、政治家の統治能力の向上、統治可能性を高めるような制度改革を同時並行で進めていくしかないでしょう。
研究者もマスコミも、問題点をあげつらうだけではなく、その解決の方法をめぐってきちんとした議論をする責務があると思います。
その意味で、今後の研究の方向を確認するうえで、今回のイタリア訪問はなかなか有意義だったと思います。
また、ベルルスコーニ現象を正面から分析してみようかという気持ちもかなり強くなってきました。日本でも、ポピュリズムの季節が当分続きそうですし。
【大学、研究の最新記事】
メディア支配とか、お金を使っての多数派工作とか、いろいろありますが、それ以上に、成功した経営者としての人気、腐敗した大きな政府を改革しようとする自由主義などが、高い支持をもたらしています。
こちらの民主党は日本の民主党よりはまだましですが、それでも、30%以上にはなかなか行けないような限界を抱えています。
ただ、日本と違うのは、良くも悪くも政治主導で、政治家たちは非常に高い戦略性をもって動くことです。
これと比較すると、日本の政治家たちは、状況に流されているようにしか見えません。