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西谷横穴墓群 出雲の文化財〜PART12〜 [2010年08月18日(Wed)]

 今日太陽は西谷墳墓群の中にある西谷横穴墓群を紹介しますびっくり笑い

 横穴墓とは古墳時代後期から終末期を中心とした時期に岩盤に横穴を穿って造ったお墓〓のことを

指します電球西谷横穴墓群は大きく分けると3か所に分布していることから、それぞれ第1〜3支群の名

前が付けられており、第1支群から1基、第2支群と第3支群からそれぞれ10基の横穴墓が確認されま

したキラキラ

 近年、第2支群と第3支群の発掘調

査が行われています足跡第3支群は調

査途中で現地保存カギとなったため(

出雲弥生の森博物館北隣に保存整

備されています)、不明な点も多いで

すが、西谷2号墓の東側下の崖面に

位置する第2支群の調査では、軟質

な岩盤にテント形、アーチ形、ドーム

形といった様々な天井の形を持つ横  中央の3号横穴墓が手前の4号横穴墓の天井を壊しています

穴墓が確認されましたキラキラ            

 横穴墓が軟質な岩盤に掘られていたことから、岩盤が落盤して遺物がパックされ、盗掘を免れた横穴

墓も見つかっています音符出土遺物の時期や天井の形のほか、横穴墓を掘削する時に他の横穴墓を破

壊している状態などから横穴墓の前後関係を知ることもでき、6世紀後半からの造墓の変遷がわかる

貴重な遺跡といえますラブ


 また調査により、面白いことがわかりました力こぶそれは西谷2

号墓に使われている貼石と同じ質の石が、第2支群の閉塞石

にも使われていることですキラキラ閉塞石とは横穴墓の入口を塞い

でいる石です。西谷2号墓の東側の突出部は、崖の崩落によ

りなくなっています。崖下にある横穴墓の調査では、貼石の落

      7号横穴墓の閉塞石      石は確認されませんでした汗その代わり同じ質の石が横穴

墓の閉塞石に使われていました。つまり第2支群の閉塞石は、西谷2号墓の貼石を転用したものである

可能性が高いわけです電球


 そしてもう一点、軟質な岩盤である

がゆえに意外な事実が確認されまし

た。それは盗掘坑困ったからわかった

ことでしたびっくり実は盗掘は、横穴墓を

調査すると必ずといって良いほど行

われています悲しい

 第2支群も例外ではありませんでし

怒では何が意外であったかという

と、遺構から見てとれる盗掘方法がか       3号横穴墓から掘られた盗掘坑のようす

わっているのです電球通常固い岩盤に掘られた横穴墓の盗掘は、閉塞石のやや上の方向から進入走る

する場合が多いのですが、第2支群の場合は1つの横穴墓を盗掘した後、遺体〓が納められていただ

ろう玄室の壁をまっすぐ掘り進み、この盗掘坑を本線として枝状に盗掘坑を掘り進めていました。結果

的には大部分は失敗ダメに終わっているようですが、他の横穴墓には到達しており、その横穴墓の天井

が落盤していることまでは確認しているようですまる


 大正時代から昭和初期にかけて、安来平野を中心に各地の古墳や横穴墓の盗掘足跡を行っていた盗

賊団がいました。彼らは『八雲漫遊日誌』と呼ばれる盗掘日誌を残していますが、今では確認できない

事象も記されており、貴重な資料となっています。

 日記の大正七年三月二十八日には、 

 「・・・古墳中ノ石棺ヲ探ル鉄製ノ針ヲ造リ古墳上ヨリ其針ヲ以テ石棺有無ヲタシカメタル事・・・」
                               
                                                    と記されており、

 資料から古墳などを盗掘足跡するにあたり、道具を使い事前に探りを入れていたことがわかります電球


 第2支群の盗掘坑は、そんな盗掘

足跡の生々しさを現代に伝えているよう

です黒電話


 8月28日には出雲科学アカデミー

第1次講座 第3回として、

    「西谷横穴墓群の調査

        の話をする予定です笑い

*参加申込は既に締め切っております) 盗掘が行われるようすは、こんな感じだったのでしょうかはてな
                           (写真は定岡谷11号墳の石室調査時のものです・・・)

当日はもう少し詳しい話をしますので、参加される方はお楽しみに・・・笑い    
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コメント
まるまどさん、度々のコメントありがとうございます。笑顔

ブログ本文では紹介しませんでしたが、実はこの盗賊団、当時の『考古学雑誌』や『歴史地理』等の専門雑誌を参考に盗掘を行っていたことがわかっています。盗掘は良くないことですが、盗掘方法についてはいろいろと研究してたようです。

また盗掘により、「かわらけ谷横穴墓群」という横穴墓群から発見された「金銅装環頭大刀(こんどうそうかんとうたち)」は、昭和初期に県外に流出しましたが、現在では所在が確認されており、国の重要文化財となっています。

この大刀、何がスゴイかといいますと、その装飾も素晴らしいですのですが、刀身が約1400年を経た今でも光り輝くほど保存状態が良く、同持代の大刀としては、外装状態などが完全に分かる全国唯一の資料といわれています。キラキラ

盗掘により遺物が流出したことは残念なことですが、このように重要な遺物の所在がつかめていることは不幸中の幸いでした。

「かわらけ谷横穴墓群」について、もっと詳しく知りたい場合は、
 島根県埋蔵文化財調査センター・島根県古代文化センター
  『かわらけ谷横穴墓群の研究』 2001年3月
                        をご覧ください。

また、『八雲漫遊日誌』については、
 松江考古学談話会
  『松江考古』第7号 1989年3月
          に日誌全文と日誌に関する論文が掲載されています。

興味があれば、ご覧になってください。 
Posted by: 出雲弥生の森博物館職員  at 2010年08月19日(Thu) 12:41

大正時代から昭和初期にかけての盗賊団の存在って、昭和生まれの私には「そんなに古い話ではないんだなぁ〜」という印象を受けます。日誌に『漫遊』と入れるあたりも、とてものんびりした雰囲気です。盗賊は、勝手に人の墓のものを盗っていってプンスカ怒ものですが、その記録が後々に貴重な資料になるという・・面白いものです笑顔
Posted by: まるまど  at 2010年08月18日(Wed) 22:56