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学生ボランティア所感E [2011年05月08日(Sun)]
実際に現地で活動してきた大学生の所感です。
そのまま引用しているため、不適切な表現がある場合がありますが、リアルな感想を伝えるため、訂正なしでアップします。ご了承下さい。

■3月22日〜 活動に参加/大学3年生/女性

 宮城県本吉郡南三陸町。私の両親が生まれ、育ち、母が私を産んだ町。
 私は東京で育てられましたが、南三陸町は両親の故郷という事で、昔から私にとっても何度も訪れた事のある馴染み深い土地でした。


2011年3月11日
14時46分、マグニチュード9.0震度7の巨大地震が起こりました。

 この日の夜、父も母も南三陸町の家族とほとんど連絡が取れない状況でした。

3月12日
 朝になって、ようやくテレビで津波被害の全貌が明らかになってきたとき、私達家族は、言い表せない程のショックを受けました。

 南三陸町にあった建物がほぼ全て流され、確認できる建物は、病院と、ショッピングモールと、役場だけでした。
 この時、母は滅多に流さない涙を流し、普段からフザけてばかりいる父も、ただじっとテレビを見つめたままでした。
 それからの3日間、私たち家族はほとんど家から離れず、ろくにご飯も喉を通らないまま過ごしました。

人生で一番辛い3日間でした。


3月14日
 今日消息が分からなかったら諦めようとしていた時に、父方の従姉妹がテレビのインタビューで、家族全員が無事だという事を伝えている映像が流れている事を知りました。

 その数時間後に母の姉の無事も確認出来、本当に奇跡としか言えない状況でした。
 子どものように泣いて喜ぶ母を見て、神様、お母さんのかけがえのない人を助けてくれてありがとう。心からそう思った瞬間でした。

3月21日
 IVUSA救援物資輸送隊前日、私の故郷が南三陸町という事で、里帰りも兼ねて私も輸送隊に同行させて頂く事になりました。

3月23日
 朝から南三陸町へ。馴染み深い海の町は消え、見えるはずのない場所から海が見え、見えるはずの建物は全てなくなっていました。
 志津川ベイサイドアリーナという大きな避難所で、豚汁とおにぎりをそれぞれ2000食分ずつの炊き出しを行いました。
 この豚汁に入っている野菜は、かねてからIVUSAと繋がりのある、新潟県十日町の方々から物資として頂いたものです。私達IVUSAの活動も、自分たちだけではなく、色々な人の助けがあって出来ている事なのだと、実感し、あり難く感じました。

3月24日
 石巻の港商店街へ。南三陸町とは違い、一階部分が津波被害にあった建物がほとんどで、町の人々は店の復旧作業に追われていました。私達は作業用の水を配って回りました。それぞれの町にそれぞれのニーズがあり、その一つ一つが同じように大事であることを感じた一日でした。

4月4日〜8日 IVUSA東北派遣4次隊。
4月5日
 この日は石巻の河北地域での作業でした。津波被害がとても大きかった地域で、皆少し緊張しながら作業に臨みました。私はある家の納屋のヘドロのかき出し作業を行いました。
 作業を行いながら私は、ボランティアが出来る有り難さを痛感しました。
 日本中の人が、何か出来る事があればと思いながら一歩を踏み出せない現状の中、自分が何か出来るフィールドに立てている事に、改めて感謝出来た一日でした。

4月6日
 この日私は、皆とは別行動で、南三陸町のニーズ調査に同行し、救援物資を届けに行くため、自宅避難している祖父母の家に向かいました。
 その地域は、ライフラインが全て止まっている状態でした。
 私が訪れた時、ちょうどおばあちゃんが水汲みから帰ってきたところで、私を見つけると驚いたような顔をして、とても喜んでくれました。
 今だから言える話なのですが、本当はその時、私はおばあちゃんにお小遣いをもらいました。「いらない」「私があげに来たんだから」と全力で断りましたが、結局断り切れませんでした。
 たかだか私はほんの少し顔を見せに来ただけなのに、そこに定住できる訳でもないのに・・・不甲斐なさと申し訳なさでいっぱいの気持ちになりました。

 地震の被害を受けているのは、家が崩壊したところだけではありません。

 大人数で助けたくても助けられない地域もあるという悔しさを、心の底から感じた一日でした。

4月15日〜4月18日 IVUSA東北派遣5次隊。
4月16日17日
 気仙沼の西高等学校で開かれた復興青空市場と呼ばれるバザーのお手伝い。集められた支援物資を無償で配布するという主旨のもと、売り子をやらせてもらいました。
 物資を受け取りに来た人々の目が、皆真剣だったのが、とても印象的でした。売り子を担当していたのはほとんどが地元の人たちでした。

 物資を渡しながら言う「がんばろうね」という言葉には、東京で安易に発せられる「がんばろう」とは明らかな違いがありました。
 「一緒にがんばりましょう」という言葉の重みを、日本でどれだけの人が認識しているのだろうとも感じた瞬間です。

 
 これが、私が東日本大震災が起きて感じた事の記録の一部です。あくまで自分の気持ちであって、IVUSA全体の考え方ではありません、でも、それが大事なのだと私は思います。IVUSAに入って災害派遣に行くのは、組織としての意識共有は必要ですが、災害に対しての想いというのは一人一人に持つべきだと、私は思います。
 自分がどう関わっていくのか、どう地元の人たちに寄添った考え方でボランティアに臨めるかが、今後必要になってくると思います。

 今後、私達ができることは、この災害を忘れないという事です。
 今、この瞬間にボランティアに行ける自分が居て、現地の様子を肌で感じて、それを伝え続けて初めて、東北は復旧するのだと思います。

あなたは今、何を感じますか?

今こそ、がんばろう、にっぽん。
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