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現場からの声@東日本大震災 [2011年09月20日(Tue)]
 活動に参加した学生の所感です。
 リアルな感想を伝えるため、訂正なしでアップします。ご了承下さい。

**************

大学4年生/女性

私はこの活動が8回目となりました。今回の活動期間中、3月11日からちょうど半年を迎え、今回の活動現場であった気仙沼の地福寺のご住職のご厚意により、祈りの会を催すことができました。全員で犠牲者に対して祈りを捧げ、私にとっても参加者にとっても一つの区切りになったと思います。

この帰り道、突然知らない番号の電話が入りました。8月に宮城県唐桑町大沢での活動の際に出会ったおばあちゃん(以後:Hさん)の息子さんからでした。
Hさんのお宅は海岸にとても近い場所にあり、寝たきりの旦那さんと2人で生活していました。Hさんは、地震のときは自宅にいたそうで、80歳のHさんは旦那さんを背負って逃げることなどできず、一人で山に逃げたのだそうです。
津波後、自宅へ戻ると家は流され、旦那さんは亡くなっていました。
そして、Hさんはこの震災で長男と三男のお嫁さんも亡くしました。

そんなHさんの生きがいは畑でした。
ところが、畑は流された船などで瓦礫の山となり、さらに雑草が1mほどの高さまで伸びていました。

そんな時、私たちに依頼が入り、13次隊で学生60名が3日間かけて瓦礫の撤去と草取り作業を行いました。

今回、撤去から1ヶ月程経ったHさんの畑に行く機会があり訪れると、重機が騒音を上げながら瓦礫の撤去を行っている場所の、真ん中にある小さな畑に、ホウレンソウとレタスの小さな葉が顔を出していました。


息子さんは、Hさんから私たちの話を聞き「母が生き生きしていて、とてもうれしい」というお礼の電話をかけてくれたのです。思わず、声が詰まり、涙が流れました。

私たちはたくさんの災害現場で活動をしています。
そこには、それぞれ悲惨な現実があるのでしょうが、私たちはそれらの詳細を知る機会が余りありません。
仮にそれを被災者に聞くというのは、悲しみを思い出させてしまうということもあります。
ですから、被災者が語ってくれるまでは、被災状況については聞かないようにしています。

ただ、私たちは、津波で家を失い、物心ともに多くのものを失った被災者のことを、自分に置き換えることで、その痛みの一部は理解出来ていると思います。
だから、目の前のことにベストを尽くせるのです。
そして、それが被災者を元気づけ、笑顔になってくれると信じているのです。
私たちの活動は、これで終わったわけではありません。
今後は、形を変えて続けて行かなければならないと思っています。
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