
インタビュー 現・男女共同参画オンブード
笹尾 照美さん(62)
2011年6月6日 伊丹市中央「モスバーガー」にて
◎オンブードに応募したきっかけ
笹尾さんは2年前に定年退職されましたが、
それまでは兵庫県の職員として、病院に勤務。
薬剤師として就職し、検査部で働いていました。
(血液や尿などの生化学的な検査を主に、我々がよく
検診を受けに行ったそれらを分析するお仕事だそうです)
退職後、ホームヘルパー2級の資格を取得しました。
同時に、関西学院大学の人間福祉学部の聴講生として
一年半通い、社会福祉について学びました。
そこでは今井小の実先生の「ジェンダーと福祉」の講義を受け、
病院勤務時代に時折感じたさまざまな女性差別的なできごと、
それらの一点一点の事実が、先生のお話を聞くことにより、
線となってつながるように感じたといいます。
現在、今井教授の指導のもと、関西学院大学大学院人間福祉研究科で、
院生として「ジェンダーとケアの変遷」について研究中だそうです。
その年の12月、伊丹市オンブード主催の
「男女共同参画オンブード・がっつり報告会」に出席しました。
(オンブードの活動内容を、一般市民の前にがっつり≠ニ報告する会です)
たまたま笹尾さんの夫さんが、ラスタホールのサークルつながりで、
もとオンブードの波多江さんと知り合いであり、
彼女から「ご夫婦でいかがですか」と誘いを受けたとのこと。
報告会の場では、一般の出席者にも少し話す機会があり、
笹尾さんはスウェーデンの育児休暇の制度について、
当時オンブードの朴木先生と短いやり取りをしました。
それを聞いていたメンバーたちが、ぜひサポーターズ仲間に
加わってもらうように勧めたようです。
◎二つの山
社会に出て仕事を続けるについて、女性にとっては二つの障壁がありました。
(いまも、なくなってはいません)
一つは育児、もう一つは介護。
当時は結婚退職の風潮が強く、職場では結婚の時も出産の時も、
「それで、いつ辞めるのか」という聞かれ方をしました。
しかし、働き続ける女性が2人、3人と徐々に増えていき、
現在では、後輩達はそんな風に聞かれることはなくなったので
よかったなと思っています。
けれども一方では、親の介護のため、友達の中で一人、
定年を目前に辞めざるを得なかった方がいて、とても残念に思いました。
自分の家庭でも、義母からは「もう辞めたら」と言われることがありました。
専業主婦が望まれている雰囲気でした。
職場でも家庭でも、無理解。それらを乗り越えて、笹尾さんが仕事を
続けることができたのには、やはり「夫の理解」という要素が
大きかったようです。
義母は働き続けていた人だったので、
夫も「働く母の背中を見て」育った為ではないかと言われていました。
◎働き続けなければならない
子どものころから、自分は働かねばならない、という意識を持っていました。
姉は重度の知的障害者でした。
終戦直後、妊娠中の悪環境や不自由な医療環境が災いしたと思われます。
当時のこと、知的障害者に対する世の中の差別偏見意識は強く、
家族の中に障害者がいることは、結婚がひどく不利なものに
なることを意味していました。
結婚するのが難しい・・・女が自活していかねばならない。
子どものころから、なにか手に職をつけるように親に言われて育ちました。
小学二年生の時に、岡山から伊丹に越してきて、
伊丹市立南小学校を卒業後、親和学園に通い、
そのあと親の強い勧めにより、神戸薬大へ。薬剤師への道をたどりました。
そんな笹尾さんが24歳で結婚したのは、
・・・「ハプニング」だったとおっしゃいます。
詳しくは聞きそびれましたが、家の近所に、夫の会社の独身寮があり、
それで出会いのきっかけが生まれたようです。
案の定、相手方の両親には結婚に反対されました。
でも、夫は押し切ってくれました。
今にして、「若気の至り」であったなどと言い合っているとか。
(結構ですね。若気の至りが歴史をつくります。坂本竜馬も、北条政子も。)
◎オンブード就任
1年間オンブードサポーターズのメンバーを経て、
2011年度に、笹尾さんはオンブードに応募されました。
この6月から市役所各課へのヒヤリングがはじまり、
オンブードは本格的に忙しくなります。
「今のところ、まだ日が浅くて、手探り状態です。」
伊丹市にも「男女共同参画センター」ができたらいいな、と
オンブードや仲間たちと話し合っています。
女性だけでなく、男性もはいってきやすい場を持ちたい。
さらに性的マイノリティーの人々も、
とくに弱い立場の人々が集えるような場でありたい。
◎ピースボート
お話は変わりますが・・・笹尾さんは去年10月から今年1月にかけて、
夫と一緒に「ピースボート」に乗って、地球一周をしてこられました。
職場の先輩に勧める人がおられ、夫もまた大乗り気でした。
ちょうど不況のせいか、比較的料金の安いツアーが組まれたこともあって、
夫婦で参加を決め、18カ国を見て回ってきました。
とくにその中で。
チュニジアは、今にして思えば、まさに革命前夜。
女性運動の団体のほか、商業や農業の各民間団体が、
それぞれ結束を主張して熱く語りかけます。
ここでは国連の補助により、ジェンダー専門の大学が作られました。
学生は4割が男性で、国連への報告等、男子学生が活発に話します。
それでも試しに聞いてみたら、彼ら自身の家事の分担時間は
「5分以内」という答えが返ってきました。
男女平等に向けての活動はようやく端緒についたばかり。
でも希望はあふれています。
「地球は広くて、多種多様な人たちが住んでいることを実感しました。」
◎自主講座
船の中では退屈するかな、と思って、たくさん本を持って行きましたが、
イベントや講座などがたくさん開かれていて、結構忙しい。
笹尾さんは英会話教室を受講して、「少子化問題」を題として
スピーチを試みました。
スウェーデンやフランスのように、かつては出生率の低かった国々が、
国家の政策によって、出生率を大幅に改善したという事実もある。
日本も同じようにできる可能性はあるはず。
このピースボートのなか、笹尾さんは
チュニジアの交流会で知り合った、ボストン大学出身の若い女性と
意気投合し、もう一人の仲間と語らって三人で自主講座を催しました。
船上から伊丹の仲間に連絡を取って資料を取り寄せて、
ジェンダー問題に関する発表を行ない、帰国後さらに報告会を
開いておられます。
◎結び・・・二つの山
笹尾さんはごく控えめな語り口で、むしろ古風な女性の
イメージがありますが、それはそれとして、お話をうかがえば、
さすがやっぱり、なかなか活動的。
ずっと働き続けたことの自信が背骨になっているようです。
娘さんも結婚後、共働きの道を選びました。
母と同じ道を歩んでくれたことにホッとしていると言います。
女性が働きやすい世の中へ。
次世代の女性たちが二つの山(育児と介護)をより越えやすくなるように。
また、男性が育児の喜びを充分に味わえて、過酷な労働をもっと軽減できて、
人間らしく豊かに生きていけるように。
いまオンブード活動を通して、市民の皆さんと一緒に力を尽くしたい。
穏やかに、しっかりと、結びの言葉をいただきました。













