2003年の事であったと思うが,30話で書かせて頂いた全快祝いの席にSさんご夫妻も同席されていた.Sさんが出演した「半落ち」の映画を見,本を読んだ直後でもあり「半落ち」の本を持参して祝いの席に望んだ.私の正面に座られたSさんとは,年齢が同じということもあり,色々な話題に話が弾んだ.会の途中「半落ち」の本にサインをお願いしたところ,受けて頂けなかったが,お酒もかなりまわった頃に「サインをしましょう.」と言って頂いた.
本を手渡すと,裏表紙に「ケリを…コッソリ ケリを…」と書いて下さった.「どういう意味ですか?」と尋ねると,「私も先生も同じ学園闘争が終わる頃の世代ですよね.今でも,世の中が間違っているなと思うことに時に出くわします.そんな時,正面突破を計ろうとすると権力に潰されかねませんが,せめてコッソリと後ろからケリを入れる気概だけは持っておきたいですね.我々世代は,本当に良い仕事をしてゆきましょう.」と言われた.Sさんの本質に触れた気がした.帰り道,握手した手をいつまでも離さず,「医師の役を何度も経験しましたが,人の人生を預かる重要な仕事です.良い仕事をいつまでもして下さい.」と言われたことは今も肝に銘じている.
2006年の夏,Sさんは肺癌になられた.診断は私が担当させて頂き,O大学で手術を受けられ,既に6年以上を経過しており完治したものと喜んでいる.入院中に,術後の補助化学療法について,「結果的には意味を持たない多くの人にも強い副作用を持つ抗がん剤を投与することが許容されるのですね.」と,5年生存率の用語について「5年しか生きられない確率と受け止められる言葉ですね.」と,患者の視点ならではの鋭い指摘を色々とされた.診断・治療の過程で色々のことがあったが,権威主義によらない,真っ直ぐなものの考え方が,肺癌からの生還を実現し,今の彼があるように思われる.
(31稿,2012. 11. 13 一般版)
2012年11月13日
「ケリを…コッソリ ケリを…」 第31話 − 新しい医療技術の普及が必要なわけ −
2003年の事であったと思うが,30話で書かせて頂いた全快祝いの席にSさんご夫妻も同席されていた.Sさんが出演した「半落ち」の映画を見,本を読んだ直後でもあり「半落ち」の本を持参して祝いの席に望んだ.私の正面に座られたSさんとは,年齢が同じということもあり,色々な話題に話が弾んだ.会の途中「半落ち」の本にサインをお願いしたところ,受けて頂けなかったが,お酒もかなりまわった頃に「サインをしましょう.」と言って頂いた.
本を手渡すと,裏表紙に「ケリを…コッソリ ケリを…」と書いて下さった.「どういう意味ですか?」と尋ねると,「私も先生も同じ学園闘争が終わる頃の世代ですよね.今でも,世の中が間違っているなと思うことに時に出くわします.そんな時,正面突破を計ろうとすると権力に潰されかねませんが,せめてコッソリと後ろからケリを入れる気概だけは持っておきたいですね.我々世代は,本当に良い仕事をしてゆきましょう.」と言われた.Sさんの本質に触れた気がした.帰り道,握手した手をいつまでも離さず,「医師の役を何度も経験しましたが,人の人生を預かる重要な仕事です.良い仕事をいつまでもして下さい.」と言われたことは今も肝に銘じている.
2006年の夏,Sさんは肺癌になられた.診断は私が担当させて頂き,O大学で手術を受けられ,既に6年以上を経過しており完治したものと喜んでいる.入院中に,術後の補助化学療法について,「結果的には意味を持たない多くの人にも強い副作用を持つ抗がん剤を投与することが許容されるのですね.」と,5年生存率の用語について「5年しか生きられない確率と受け止められる言葉ですね.」と,患者の視点ならではの鋭い指摘を色々とされた.診断・治療の過程で色々のことがあったが,権威主義によらない,真っ直ぐなものの考え方が,肺癌からの生還を実現し,今の彼があるように思われる.
(31稿,2012. 11. 13 一般版)
本を手渡すと,裏表紙に「ケリを…コッソリ ケリを…」と書いて下さった.「どういう意味ですか?」と尋ねると,「私も先生も同じ学園闘争が終わる頃の世代ですよね.今でも,世の中が間違っているなと思うことに時に出くわします.そんな時,正面突破を計ろうとすると権力に潰されかねませんが,せめてコッソリと後ろからケリを入れる気概だけは持っておきたいですね.我々世代は,本当に良い仕事をしてゆきましょう.」と言われた.Sさんの本質に触れた気がした.帰り道,握手した手をいつまでも離さず,「医師の役を何度も経験しましたが,人の人生を預かる重要な仕事です.良い仕事をいつまでもして下さい.」と言われたことは今も肝に銘じている.
2006年の夏,Sさんは肺癌になられた.診断は私が担当させて頂き,O大学で手術を受けられ,既に6年以上を経過しており完治したものと喜んでいる.入院中に,術後の補助化学療法について,「結果的には意味を持たない多くの人にも強い副作用を持つ抗がん剤を投与することが許容されるのですね.」と,5年生存率の用語について「5年しか生きられない確率と受け止められる言葉ですね.」と,患者の視点ならではの鋭い指摘を色々とされた.診断・治療の過程で色々のことがあったが,権威主義によらない,真っ直ぐなものの考え方が,肺癌からの生還を実現し,今の彼があるように思われる.
(31稿,2012. 11. 13 一般版)