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『小さな巨人』が面白い [2017年05月27日(Sat)]
 TBSの日曜日夜9時から放映されてタイル『小さな巨人』という刑事ドラマが人気を博している。今期の連続ドラマは刑事ものが多いが、その中でも群を抜いて面白い。ストーリーも奇抜だし、悪役も含めて演技派の俳優が迫真の表情で演じている。過剰演技と思わせるような目線が気になるが、それもまたこのドラマには必要なのかもしれない。今期の連続ドラマの中では、総合人気度ランキングでは断トツの成績らしい。この日曜日のこの時間枠は、過去にも大ヒットをした半沢直樹や下町ロケットの実績もあるので、視聴率を取りやすいということもあるが、それにしてもこんなに人気があるのはすごいことだ。半沢直樹と下町ロケットに似た設定も人気の理由であろう。

 この『小さな巨人』というオリジナル脚本のドラマが、こんなにも多くの視聴者から指示されるのはどういう訳であろうか。それには深い理由がありそうだ。一つは勧善懲悪という筋書きが安心して見られるということもあるし、最後は正義が勝つという期待感が損なわれないというのが大きな理由であろう。さらには、巨悪に向かう小さな巨人と呼ぶに相応しく、大きくて巨大な権力を持つ組織に敢然と立ち向かう主人公の潔さに、自分が果たせない夢を託しているという側面もあると思われる。警察組織というのは、縦社会である。上司に逆らえば、例え優秀であり多大な功績をあげても、出世が出来ない。実力本位の社会ではないのである。上に逆らわず無難な言動をしていれば、安定した地位と評価を得られる組織でもある。

 ところが、この長谷川博己演じるエリート刑事は、警察のエリート官僚に立ち向かい、正義を押し通そうともがき苦しむ。我々が会社組織の中で感じている閉塞感を、見事に代弁してくれるヒーローなのである。感情移入しないほうが難しいだろう。警視庁捜査第一課長を演じる香川啓之の演技は、過剰な顔面演技で泥臭いという批判がある。確かに、もう沢山だと思わせるような顔面アップ映像には辟易する。しかし、演出家は敢えてあのような過剰演技をさせることで、主人公の清々しい表情と対比させて好感度をアップさせているのではあるまいか。だとしたら、我々視聴者はまんまとその策略に乗っていることになる。

 刑事ものや探偵ものが今期の連続ドラマに多いにも関わらず、軒並み刑事ドラマが安定した視聴率を稼いでいる。今までの刑事ものは、固定ファンがその人気を支えていると思われる。しかし、今までの刑事ドラマと、今回の『小さな巨人』の内容では大きく違っている点がある。巨大組織に対抗するというスタンスは今までも沢山あったが、一線を画す大きな相違部分があるように感じる。推理の仕方に特徴があるのだ。主人公が推理に行き詰った際に、必ず言う台詞がある。それは、犯人の気持ちになって考えてみようという言葉である。このような台詞を毎回主人公に言わせている刑事ドラマは極めて珍しい。実は、このオリジナル脚本を書いている共同執筆者の一人、八津弘幸氏は半沢直樹と下町ロケットの脚本も担当している。台詞そのものが面白いのは当然である。

 半沢直樹と下町ロケットがあんなにも支持を受けたのは、原作の面白さによるのもあったが、それ以上に人気を得たのは、ストーリーのテンポの良さと台詞のユニークさである。今回の『小さな巨人』で特徴的な台詞は、まさに犯人の気持ちになって考えるという視点である。犯人が次にどう動くか、どのような心理で犯罪を起こしたのかを知らないでは、正しい推理は成り立たないし逮捕は出来ない。主人公は、犯人の心理を巧妙に読んでその行動を予測する。犯人にトラップを仕掛けて、見事に的中して犯人を追い詰める。こんな小気味のよい刑事ドラマなのだから人気が出ない訳がない。日本の警察は優秀だと言われている。しかし、年々犯罪検挙率は低下していると言われている。様々な要因はあるものの、もしかすると犯人の心理になり切って推理する刑事が少なくなっていることが、犯罪検挙率の低下を招いているのではなかろうか。

 この『小さな巨人』では、犯人の心理を予想すると同時に、被害者の気持ちに寄り添う主人公が描かれている。ストーカー殺人事件が起きる度に、担当する警官が被害者の気持ちになり切り寄り添っていたなら、悲惨な結果を防げたに違いないと報道されている。近代教育の欠陥でもあるが、高等教育を受ければ受けるほど、人の気持ちを解ろうとしない身勝手で自己中心的な人間になる。警察官僚も含めて、高等教育を受けたエリートが警察官として採用されている。当然、被害者の気持ちを慮ろうとする警察官も少ないし、犯人の気持ちを類推できない警察官が多くなっている。これでは、犯罪を未然に防げないばかりか、犯人の検挙率だって低下するに違いない。『小さな巨人』の主人公のように、日本の警察官たちも被害者の気持ちに寄り添い、犯人の心理を巧妙に読めるようになってほしいものである。武士道でいうところの「惻隠の情」こそが、警察組織全体に必要なのであるまいか。
ゴルフは脳科学と心理学NO.2 [2017年05月22日(Mon)]
 ゴルフは脳科学と心理学だという事を、右脳と左脳の調和という観点から説明し、無欲・無心・無我の心が大事だと説いた。それでは、無欲・無心・無我の境地に至る方法について考察してみたい。無欲・無心・無我になるには、どうしたら良いかというと、一番手っ取り早いのは、「禅」である。只管打坐(しかんたざ)と言われているように、ただひたする座禅をして、無心になることである。気をつけなければならないのは、私たちの意識というのは厄介なものであるという点である。例えば、無心になろうとか無欲になろうと思えば、それは有意識である。自分の心を無我にしようとしたら、それは有意識になる。座禅は、悟りを開く為にするのだと思えば、それは無意識ではなくなる。座禅をする目的は、ただひたすら無心で座禅をすることだけである。

 ゴルフにおいても無欲・無心・無我になろうとはせず、無意識でそうなっていることが大事なのである。人間は考える葦であると言ったのは、パスカルである。考えないようにすることが所詮難しいのであり、考えないようにすることが既に無心でなくなる。心理学の分野においても、無心になるというのがどれ程難しいかは、想像に難くないであろう。私たちは、欲がなくなると生きていけない。食欲や性欲、また勉学意欲や向上欲がなくなれば、人間という種は滅びるし、人間の成長は止まってしまう。ゴルフにおいても、向上心がなくなれば上達しない。パラドックスのロジックに追い込まれてしまうのである。この相反する命題を何とかクリアする方法はないのであろうか。

 ひとつの方法は、強欲を捨て去ることである。人間というのは、その時だけ生き方や考え方を変えることは出来ない。普段は強欲な生き方や煩悩に引き込まれるような生活をしていながら、ゴルフの時だけストイックな行動をしようとしても難しいのは当然である。普段からストイックな生き方をすることで、いざという時に強欲や煩悩に翻弄さられなくなる。勿論、完全な無欲の生活をすることは叶わない。そこそこの欲で満足するようにしなければならないであろう。人間の欲は肥大化しやすい。だからこそ、仏教では貪りの心を捨て去ることが大切だと説いている。普段から貪るほどの欲を捨て去るような生活をすることで、ゴルフで失敗を少なくすることが出来ると思われる。

 完全な無心・無我の境地に至ることは出来ないと思うが、無心・無我の境地に近づくことは出来るかもしれない。ゴルフの時に無心に近づけないのは、強欲のせいもあるが、それだけではない。無心になれない原因のひとつが、不安感・恐怖感である。思い出してみてほしい。右サイドがOBゾーンだと言われると、右にスライスしたり逆に左にひっかけたりする。池越えのホールでは、魅入られたように池にボールが吸い込まれる。それは、不安や恐怖からショットが乱れるからである。これも、右脳のせいである。グリーンに近いアプローチショットほど、だふったりトップしたりするのも、不安感からである。自信がないからヘッドアップする。人間は、不安感と恐怖感があり、失敗したイメージを思い浮かべると、その通りに右脳が身体を勝手に動かすものである。

 この不安感・恐怖感を失くすことは困難である。人間の脳は、不安感と恐怖感を持つことでリスクを避けることが可能になり、種を保存してきたのである。不安と恐怖を完全に払しょくすることは極めて難しい。しかし、脳科学的に考察すると、不安と恐怖を減少させる方法がある。幸福感と満足感、または愛で心を満たすことである。そうすれば、不安や恐怖をあまり感じなくさせることが出来るのである。脳内ホルモンの一種である、オキシトシンとセロトニンを多く分泌することで、不安や恐怖から逃れられる。オキシトシンとセロトニンは、純愛や心身の豊かな触れ合いでも増えるし、社会貢献や他人の幸福に大きな寄与をすることで増大する。

 さらにゴルフで右脳によるミスショットを失くす為のもうひとつの方法がある。それは、ゴルフでの失敗の記憶を消し去ることである。これも難しいことであるが、不可能ではない。人間は、大変な失敗や悲しい出来事の記憶ほど、消し去ることが出来ず度々思い出しては苦しむ。同じミスショットを何度もやってしまうのは、右脳に蓄えられたミスショットのイメージを思い出させるからである。何度もOBを繰り返すのは、右脳に残像が残っているからである。この右脳の記憶を左脳に移し替えることが出来たら、ミスを繰り返すことがなくなる。その為に効果的なのは、自分の失敗を多くの人にカミングアウトしたりブログで公開することである。そうすると、自分の失敗を客観的に分析したり洞察したりすることになり、右脳から左脳に記憶を移し替えられる。このように、脳科学と心理学、または仏教哲学を活用することで雑念を失くせれば、ゴルフは格段に向上するに違いない。
ゴルフは脳科学と心理学NO.1 [2017年05月22日(Mon)]
 ゴルフはメンタルスポーツだと言われているが、最近のゴルフは科学的なアプローチによって、ナイスショットする方法が解明されつつある。勿論、基礎体力や技術は必要なのは言うまでもない。しかし、いくら体力・知力や技能があってもゴルフは上手くならない。何故なら、ゴルフのスィングやパッティングは、潜在意識(無意識)の脳によって影響を受けるからである。しかも、人間の無意識脳は、時折わがままになるし暴走する。さらに、心にある不安感や恐怖感がいざという時に身体の微妙な動きを止めてしまう。だから、脳内ホルモンの働きを含めた脳科学と心理学を認識し、右脳を上手にコントロールした人だけが上達しうるのだ。

 実際、脳科学や心理学を知らないくてもゴルフが上手なアマチュアプレーヤーがいる。また、スランプを経験したことのないプロゴルファーだっている。そういう人は、どちらかというと右脳型人間である。あまり左脳を使わないというか、左脳に支配されない人間である。直感型人間と言えばよいかもしれない。アスリート界ではその代表的な人がいる。野球の長嶋選手である。彼は余計なことを考えなかった。来る玉をただ打ち返すだけだった。彼は、左脳にあまり支配されず、右脳を上手に使える天才である。だから、ゴルフもあまり左脳で考えずに、右脳を自由自在に使えたら、間違いなく上達できる。こういうゴルファーはストレスやプレッシャーにも強い。ここ一番という時に、能力を最大限に発揮できる。

 ところが、ゴルフを実際にプレーしている人は、どちらかというと右脳の使い方がけっして上手ではないのである。教養や学識が多いアマチュアプレーヤーが多いので、左脳のほうを使っているケースが多い。潜在意識が支配する右脳を上手く使えないから、スィングやパッティングで失敗する。練習場やパッティンググリーンでは上手く打てるのに、いざラウンドになるとミスを繰り返す。頭の良い人ほど、理論家である。左脳を使ってプレーするので、右脳に支配されてしまうシーンでは失敗しやすいのである。脳科学的で分析すると、バックスィングは右手で引くので、左脳が支配している。バックスィングから切り返す段階から、右脳が支配する。故に、スィングやパッティングにおいて、考えている軌道と違ってしまうのである。特に打球の瞬間に右脳が悪さをするのだ。

 思い出してみてほしい。パッティングで思わず引っかけたり押し出したりする。自分で考えたパッティングのように、手が動かない。無意識で、やってしまうのである。スィングも同じである。無意識で、右肩が下がりすくい打ちをして左に引っかける。真っすぐ打つことを重視するあまり、打つ瞬間に手打ちになりトップしたりソケットしたりすることになる。プロのゴルファーでさえ、優勝を決めるパッティングでは手が動かなくなる。やはり、無意識がそうさせてしまうのである。右脳を上手に使えるゴルファーだけが、トッププレーヤーとして大成できるのである。

 それでは、右脳を上手くコントロールするには、どうすればいいのであろうか。左脳と右脳をバランス良く調和させたり統合させたりする極意はないかというと、ない訳ではない。今まで女子プロゴルフ界で最強のゴルファーは誰かというと、アニカ・ソレンスタムであろう。彼女は、右脳を実に上手くコントロールしていた。スィングする場所を1m四方として、頭の中でそのエリアを線引きする。そして、スィングをするまでは色々と攻略の仕方やスィング軌道とボールの軌道をイメージする。しかし、その1m四方に入ったら、何も考えなかったという。つまり、無心・無我の境地になれたという。彼女の正確無比なショットは、技術もさることながらこのメンタルコントロールに追うところが大きかったと言われている。

 我々のようなアマチュアゴルファーは、右脳をコントロールする為に、無心・無我の境地に至れるかというと、なかなか難しい。今までのプレーを思い出してみれば解るが、ナイスショットやスーパーショットをした時というのは、殆どが無心になれた時である。スポーツの世界では、ZONEとも言う。欲もあるし、不安や恐怖感を捨て去ることが出来ないのが、我々凡人である。先ずは、強欲を捨て去ること、そして不安感や恐怖感を捨て去ることが肝心である。言うはたやすいが、実際に行動をするのは難しい。しかし、この強欲を捨てて、不安感と恐怖感を捨てることが出来なければ、いつまでも右脳のいたずらから脱却できないのである。右脳を上手にコントロール出来たら、驚くほどナイスショットが続くであろう。無心・無欲・無我の境地でゴルフプレーをしてみたいものである。
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