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モンスターペアレンツの産みの親 [2011年02月22日(Tue)]
 教師が保護者を訴えるという、前代未聞の事件が起きた。保護者から執拗に嫌がらせを受けたことが原因で、心身の異常を発症して勤務出来なくなったと、損害賠償請求をしたらしい。今までなら、学校の管理者は絶対にそんなことはさせなかっただろうし、教委だって猛反対したであろう。ところが、教育関係者は静観する態度というか、どちらかというと陰で支援しているような雰囲気さえ感じられる。学校関係者はモンスターペアレンツのようなクレーマーに対して、もう打つ手がなくなり困惑していて、反撃するしかないと思い始めたのかもしれない。

 モンスターペアレンツと呼ばれる、悪質なクレーマーに学校側はほとほと手を焼いているらしい。面白おかしく報道している部分もあるかもしれないが、クレーム内容は確かに滅茶苦茶なものもある。自分の子どもが正しいと思い込んでいて、子どもの言い分を信じて疑わない親があまりにも多い。子どもは自分を守る為に、平気でウソをつくことを知らないのだろうか。ましてや、問題ある親の子は、特にその傾向が強い。モンスターペアレンツは、自己中心的である。であるから、その子もまた自分が悪いなどとは思わず、先生や友達を悪者に仕立て上げているのであろう。

 さて、近年になってそのモンスターペアレンツと呼ばれる保護者が急増しているが、どうしてそんな状況に陥ってしまったのだろうか。少なくても15年前には、そんな保護者はたとえいたとしても、ごく少数だった。ところが、最近は学校に怒鳴り込んでくる保護者が、しっきりなしだというのだ。学校も神経質になっているし、かなり弱気になっているらしい。教員向けの、モンスターペアレンツ対応の為の研修会が開催されていて、対応マニュアルさえ作られているというから驚きだ。いやはや、呆れてしまうばかりである。

 それでは、何故このようなモンスターペアレンツが急増したのであろうか。こんな『化け物』を、誰が産み出したのであろうか。その原因は、やはり教育にあると言わざるを得ない。勿論、そういうモンスターペアレンツを育てた親にも一端の責任はあろうが、多くの責任は学校教育にあったというのが、妥当な考えではないかと思える。何故なら、今の近代教育こそがこのような困った保護者・大人たちを作り出したと思えるからである。つまり、近代教育の欠陥が、モンスターペアレンツのような歪みを、教育現場に産み出してしまったと言えよう。

 近代教育は、個を重要視した教育である。個人の能力・技術・知識を最大限に高めようという教育である。当然、その教育効果と評価は数値化される。テストで高い点数を取った者が、さらなる高い教育を受ける権利を持つことになる。そして、将来の収入までもがその影響下に取り込まれる。その教育システムは、激化された競争を生み出し、他に対する優しさや思いやりも奪い取る。自分さえ良ければいいという観念を植え付け、人を見下すような人格を育てる。勿論、思想性や哲学性などという、本来人間として身につけなければならない大切な思考は、まったくなおざりにされている。

 このような近代教育は、客観的合理性に基づいた考え方しか教えない。つまり、常に他人を批判・分析するような態度を取らせるのである。だから、他人は尊敬すべき感謝すべき存在ではなく、客観的に批判すべき存在としてあるのだ。それは、教師もけっして例外でなく、あの教え方は下手だし駄目であり、まったく教え方がなっとらんと、批判する対象になっているのだ。だから、教師というのは尊敬すべき対象ではなく、冷たく見下す対象なのだと、教師が知らず知らずのうちに子どもたちに教えてきたのである。何と皮肉なことであろうか。

そうやって、分析・批判的に人を見ることを教えてきた教師が、やがてそのつけを自分たちが払わされてしまうとは思いもしなかったであろう。そういう自己中心的で、他人を冷たく突き放すような人間を沢山産み出し、その中の何人かがモンスターペアレンツとして、教師たちを苦しめているのだ。こんな悪循環を断ち切り、モンスターペアレンツなどという化け物を産み出すことのない、全うな教育に改めなければならない。その為には、モンスターペアレンツの産みの親とも言える文科省が、今の教育制度の欠陥を素直に認めて、思想・哲学を重視した分離思考から統合思考の教育に、一刻も早く改革することが望まれる。
クリスマス・プレゼント [2010年12月21日(Tue)]
 孫のクリスマス・プレゼントにと、テディ・ベアーを用意しました。自分の子どもは男の子だけでしたから、まったく縫いぐるみには興味がありませんでした。ですから、テディ・ベアーというものがどういうものなのか、全然知らなかったのですが、最近話題になったこともありまして、孫にプレゼントしようと思い立ちました。

 それで、どのくらいするのかも知らずに、長男夫婦に対して、今度のクリスマスにテディ・ベアーを孫にプレゼントするよ、なんて軽い気持ちで言ってしまったのです。縫いぐるみなんて、せいぜい高くても5000円から6,000円だろうと思ったからです。ところが、ネットを見て驚いたのなんのって。シュタイフというドイツのメーカーのもので、本物のモヘアー皮製は、なんと30,000円から50,000円もするのです。青くなりました。約束してしまったものの、こりゃ大変だと慌てました。

 シュタイフ製のではなくて、他のメーカーで作っているものなら、もう少し安いのもあるのです。しかし、どうせ買うなら本物がいいと思ってましたから、シュタイフ製のでもう少し廉価なものがないかとネットを探しましたら、見つけました。モヘアー製ではないものの、ポリエステル製のものでありました。それでも12,600円です。ドイツで作成する受注製品で、3週間くらいかかるとのことですが、クリスマスにはぎりぎり間に合うので発注しました。そして、やっと届いたのが、下のぬいぐるみです。

 身長28センチの可愛い縫いぐるみで、名前は「ペッツィー」と言います。つぶらな瞳が印象的で、見る人の心理状態で、笑っているようにも泣いているようにも、そして優しく見守るようにも見えます。頭と手足にジョイントが付いていますから、座らせることが可能です。つい最近、友達から頂いたDVD「テディ・ベアー誕生物語」も付けてあげようと思います。孫が気に入ってくれるかどうか心配ではありますが、要らないそぶりを見せたら、私が毎晩抱いて寝ようと思います。
家庭崩壊の原因 [2010年12月07日(Tue)]
 今、家族の絆がなくなり、家庭崩壊が進んでいると言われている。夫婦関係も親子関係も、本来の関係性を持ち得ていない。つまり、本来は家族がお互いに対して、慈愛に満ちた行動を取るべきなのに、家族それぞれが自分中心の行動を取る傾向にあるのだ。妻は、夫を尊敬する気持ちが失せてしまい、カルチャースクールや趣味の世界に没頭する。または、妻が仕事や市民活動だけに生きがいを見出しているケースも多い。このように、表面的には仲の良いそぶりを見せているが、仮面夫婦を演じている家庭が多い。子どもは、自分を何かと支配・制御しようとする親をうざったいと思い、低い価値観しか持ち得ない父親を軽蔑さえしている。子どもらは、何から何まで指示を下す母親を毛嫌いし、家庭を顧みず自分の都合だけで叱る父親を遠ざけている。

 父親と言うのは、本来家庭におる精神的・肉体的支柱にならなければならない。つまり、大黒柱なのである。父親というのは、身を挺してでも敢然と家族を守るべき存在であらねばならないし、精神的な拠り所としても機能しなければならない。そうして初めて、家族は安心して社会にも出て行けるし、精神的に自立できるのである。ところが、家庭の中に父親の存在は希薄化している。見せるべき、尊敬し信頼できる父親の後姿は、まったくないのである。であるから、父親の存在価値を見出せないと見切った母親は、シングルマザーのほうがよっぽど子どもにとっても幸せだという結論を出すのである。また、団塊世代の妻は、熟年離婚をするのだ。

 世の中における最小単位のコミュニティである家庭は、このようにして崩壊している。表面的に上手く行っていると思っている、または思い込もうとしている家庭は、まだまだ多いが、実質的には破綻していると言えよう。その証拠に、何か重大な問題が家庭内に起きると、自己解決能力を発揮することが出来ないのである。虐待、いじめ、不登校、引きこもり、DV、非行、うつ病の発症、リストラ等の問題が起きた場合、為す術を持たず、おろおろするだけである。こういった問題は、外的要因によるものだと思われがちだが、実はその真の原因は家庭内や家族のあり方に内包していることが多いのだ。

 さて、こんなふうに家庭が崩壊してしまった原因は何かというと、一言で言えばそれは関係性の欠如と言えよう。本来家族というものは、関係性を重視しなければならないのに、あまりにも個を重要視するあまり、その関係性をないがしろにしてしまったのである。それは、近代の教育において、関係性よりも個の大切さを教え込んだ為に、自分さえ良ければいいんだという間違った価値観を取得してしまったことによるものだ。関係性を深める為には、相手の気持ちを慮る必要がある。つまり、相手の気持ちになりきっての言動が必要なのである。ところが、近代教育では、分離思考であるところの個人を大切にすることだけを教えたから、関係性を失くしたのである。

 しかしながら、今もって家族の絆をしっかと結んでいる家族もいる。その家庭は、例外なく父親が高い価値観を持っている。高い価値観とは、宇宙全体をひとつのシステムと捉え、そのシステムを構成する要素のひとつである家庭というコミュニティを、システム思考で捉える価値観である。宇宙システムは、ある一定のプロセスに向かって進んでいるということが証明されつつある。そのプロセスに則った生き方を家族全員が志すならば、関係性が深くならざるを得ないのである。つまり、宇宙における構成要素である人間は、宇宙そのものが目指している、他の幸福を願う心に基づいた行動をしなければならないのである。

 このシステム思考を父親が深く理解して、自ら利他的な行動を通して、常に家族に対してこのメッセージを送り続けなければならないのだ。利己的な行動を慎み、家族の為、世の中の為に、進んでリスクを負担する姿勢が家族や地域の人々を感動させ、勇気を与えるのである。それでは、父親が居ない家庭は無理かというとそうではない。祖父や叔父、または母親か祖母でも、その役割を十分に果たせるのである。明治維新以前は、そういう価値観の勉強を学校や地域でしていたのである。そういう思想・哲学の学校教育や家庭での教育を復活さることが急務であるし、こういった価値観を喧伝し普及させる使命が私たちに課せられている。
勘違いの社員教育 [2010年12月04日(Sat)]
 仙台営業所の若い社員を指導教育する役が、どういう訳か私にお鉢が回ってきた。それも社長命令だという。弱冠27歳の青年を部下に持ったのは、私にしてみれば何十年前のこと。ましてや、どうしても成長が認められなくて、営業マンとしてやれるかどうかの判断が迫られているらしい。ということは、その青年の一生を決めるかもしれない指導教育の機会である。社長にしてみれば、使えるかどうかの判断もしなさいという意味なのであろう。

 何とも気の重い出張である。前途ある若者に引導を渡すことになるかもしれないのである。日帰りで行って来いという命令を、1日では足りないからと1泊2日の日程に無理にしてもらったのである。その27歳の彼は、見た目は爽やかで性格も良さそうで、好青年といった外観である。しかし、どうも覇気が感じられないし、仕事に対する意欲が感じられないという大方の見方がある。何故、そんなふうになってしまったのかを突き止めなければならない。原因が解らなければ、対策を立てる術もないからだ。

 先ずは、彼と同行営業をしながら、営業の基本的なことについて少しずつ伝えることにした。と言っても、営業の技術的なことではなくて、もっと本質的なことである。つまり、営業というのは、モノやサービスを売るのではなくて、顧客の困っていることの解決や要求を満たしてあげる事という類の話である。そういう話をしながら、彼の心を解きほぐし、安心させることにした。そして、少し慣れてきた頃に、彼の上司のことについての感想を少し引き出してみることにした。君の上司は実に冷たい感じがするんだけど、親身になって指導してくれているのかな?と聞いたら、申し訳なさそうに、しかしきっぱりと否定した。

 彼の上司は、私よりひとつ下の54歳。十分に経験を積んで、営業実績もあげている能力の高い営業マンである。がしかし、温かい気持ちが感じられないし、指導能力は乏しい。一見穏やかな人柄であり、人間的には悪くないのであるが、人の気持ちを解ろうとしない性格のようだ。いつも自分のことを中心に考えていて、自分の思いとおりに相手を支配・制御しようとする傾向があるようだ。つまり、部下をコントロールしようとしているのである。言い換えれば、自分の価値観に相手を縛ろうとしているのである。その価値観も高ければまだ救われるが、そうとは言えないようである。これでは、部下が反発するのも無理がないし、成長なんて期待できる訳がない。

 実は、このように部下を教育しようとしている上司は世の中にごまんといる。彼らに悪気があるのではない。ちゃんと成長させようと必死なのである。しかし、結果としてみれば、部下は成長しないし、いずれ会社を辞めていくのである。昔ならば、こういう指導教育でも皆喜んでついてきたのであるが、残念ながら今は素直に従うような若者は極めて少ないのである。時代が変化しているのに、その変化を企業の教育担当者は把握し切れていないのである。実に情けない話である。

 教育というのは、教え育てることではない。簡単に言えば、『引き出す』ことである。そして共に学ぶ、『共育』なのである。そのことをまず持って認識できなければ、本当の教育効果を生み出すことはままならない。つまり、能力・技術・知識・ノウハウの押し付け教育では、人は育たないのである。もっと大切なことを、自ら高い価値観を持って指導することが必要なのである。何のために仕事をするのか、自分が生まれてきた意味や、人生の目的という哲学やしっかりした思想を伝えることが必要なのである。しかし、こういうことを、自信を持って部下に伝えられる上司が果たしているだろうか。おそらくごく少数だろうと思われる。

 本来人間は、しっかりした思想や哲学を持つことにより、どんな苦労にも耐えられるし、勉学や自己実現に向かうことが出来る。つまり、高い価値観を持つだけで、スポンジに水が染み込むように、どんな知識・技能も身に付けることができるのである。上司は、先ずは自ら高い価値観を身に付け、その高い価値観に基づいた上司の実践活動を部下に見せ、部下が上司を尊敬の眼差しで見ることから学びが始まるのである。つまり、このような上司になりたいという理想像を持つのである。そうして、初めて『引き出す』教育が可能になるし、まさにこれが『共育』なのである。二日目私が会津に帰る頃、27歳の彼の目はきらきらと輝いていた。
我が子を虐待する母親 [2010年07月15日(Thu)]
 またもや悲惨なニュースだ。5歳の我が子を殺してしまった母親が逮捕された。しかし、その供述内容は、むごたらしいの一言に尽きる。なんと、我が子を洗濯機に入れていたというのだ。それも、口にテープをして声を出せないようにして、両手両足もテープで縛って洗濯機に入れたというのだ。水を入れて蓋をして、実際に回したこともあるという。鬼のような仕打ちである。その子の身体と心の痛みを考えると、愕然とした思いだ。心から、その子の冥福を祈りたい。

 そんな鬼のような心を持った母親は、珍しいのかというとそうではない。実際に同じような折檻を繰り返している母親は多い筈だ。たまたま事件になったから判明しただけで、同じような虐待を繰り返している母親や父親は多いと思われる。どうして、我が子をこんなふうに虐待するのであろうか。自分の腹を痛めて、苦労して産んだ子である。可愛くない筈がなかろう。しつけの為に折檻をしたと供述しているが、罪を逃れようとウソをついている訳ではあるまい。良い子に育てようという思いは、確かにあったように思う。ただし、そのしつけがエスカレートしてしまい、ブレーキがかからない心になってしまったのであろう。

 こういう母親の言い訳を聞くと、こんな言葉が多い。夫(父親)が居ないとか、居ても存在しないような状況にあって、自分がしっかり子育てをして立派に育てなくてはならないという思いが強かったと言うのだ。つまり、父親が不在か、不在と同じような家庭環境が、虐待を招いているケースが多いということだ。勿論、それだけが原因ではないが、あまりにも母親だけに子育ての責任が押し付けられているケースの場合に、得てして虐待が起こりやすいということではないだろうか。子育ては、本来母親と父親二人でするものである。豊かな母性と、厳しくしつけをする父性が両方担保されて初めて、良好なる子育てが可能となる。その母性と父性の両方を母親一人に押し付けるのには、無理がある。

 洗濯機に我が子を入れて回した女性も、母子家庭だったという。最近、シングルマザーが多くなった。母親の親が同居しているならば、まだ救いようがあるようだ。親戚知人が近くに居なくて、誰も助けてくれず孤独感にさいなまれるようだと危険だ。よく、子育ては地域でするべきだと言われるが、都会ではそんなこと無理だ。自分が生きるのに精一杯で、自分さえよけれはいいというような風潮の都会では、誰も相談に乗ってくれない。母親ひとりで問題を抱えて悩むことが多い。誰か手を差し伸べてくれる人が居たなら、5歳の子の命は助かったかもしれない。子育ては、とても難しいし大変な苦労を伴う。誰かが、その苦労を解ってくれて共感し、そっと支えてくれたなら、母親たちも少しは安心して子育てが出来るだろう。

 子どもの虐待事件や殺人事件が起きると、行政の担当者の対応や制度の不備を厳しく糾弾するマスコミや評論家がいる。でも、それでは根源的な解決にはならない。問題は、もっと根深いところにあるのだ。何故、我が子を虐待せざるを得なかったのか、母親の心の闇を明らかにして、そもそもの原因を解決しない限り、制度だけを改善しても始まらないのである。そして、地域の人々が子育ての支援が出来るように、NPO法人などの民間組織が立ち上がらなければならないだろう。そうすれば、子育て支援をきっかけにしたコミュニティの再生も出来るだろう。こういう虐待事件の予防にもなるし、少子化問題の解決にもなるに違いない。そういう子育て支援のNPOが立ち上がる為の、中間支援センターとしての役割を果たしたいものだと強く思う。
子どもの危険予知能力 [2010年04月23日(Fri)]
 またもや、子どもの高層マンションからの幼児転落事故が起きてしまった。こういった転落事故は後を絶たない。高層マンションに住む若い夫婦が増えたせいもあるが、どんなに注意しても起きてしまうようだ。そういえば、インフルエンザに罹患した中高生が転落する事故も少なくない。都心部や駅の近くにある高層マンションは、通勤通学に便利であるから人気が高い。一時期マンション不況と言われていたが、最近は都心部のマンション販売が好調である。 そういう状況の中で、幼児の転落事故が増えているのであろうと思われる。

 それでは、何故こういう幼児の転落事故が増えているのであろうか。高層マンションのベランダには、エアコンの室外機やプランターや踏み台など、子どもが足場に出来るモノが多い。外のものに対して興味を示す幼児期に、ベランダの柵の上から下を覗き見する欲望を抑えるのが所詮無理であろう。どうしても、そういう誘惑にかられて下を覗く行為をしてしまう。幼児というのは、思った以上に頭部が重いのでバランスが取れず、乗り出した柵から転落してしまう。幼児本人には、そういう自覚がない為に事故が起きやすい。保護者がいつも観察できればいいのだが、それは現実的には無理なので、こうした不幸な事故が後を絶たない。

 しかし、これらの他に重要な事故の要因が隠されていることは、一般に知られていない。それは、幼児の高さに対する恐怖感である。都会に住む乳幼児たちは、自然の中でというか外の世界で遊ぶ機会が異常に少ない。それは当然であろう。一歩外に出れば、車やバイク、自転車がひっきりなしに往来し、子どもたちの安全なんて守られない。不審者も多くて、いつ連れ去られるか分からないし、異常者の犯行に巻き込まれる怖れもある。当然、室内での行動が主になる。休日に家族でピクニックもままならないし、公園でも変な縄張りがあって、他の子どもたちと遊ぶことも出来ないらしい。

 こういう育児環境の中で育った子どもは、自然の環境に対する恐怖感というか危険予知能力が育たないという。乳幼児期に、自然が豊かな環境の中で育てば、転んだり転落したりぶつかったりして、こういう行動をすれば『痛い目に遭う』ということを学習するのである。少し高い処から落ちると痛いことになるということを、身をもって学ぶのである。昔、田舎で育った子どもは木登りをして転落して、痛い目に遭った記憶があることだろう。そうやって、失敗を繰り返しながら危険予知能力を高めて行くのである。ところが、都会のマンションに住む子どもたちは、そういう痛い目に遭う経験がない為に、危険予知能力が育たないし、高いのは危ないという感覚がないのである。とても危険な状態におかれるのである。だから、転落事故がなくならないといえよう。

 しかし、この転落事故を何とか回避しても、それだけの危険だけには納まらない。なにしろ、自然に対する危険予知能力がないのである。やがて、小学生になり、ハイキングや登山に行ったとしよう。自然は危険が一杯あるという感覚が欠如しているのである。はぐれたり勝手な行動をしたり危ないところに行ったりする子どもが、異常に増えているという。昔なら、怖がって近づかないような崖の付近に行ってしまうらしい。そういえば、山での子どもたちの事故が増えている。子どもだけではなく、最近の山岳事故はこういう危険予知能力の欠如から起きている事故が、年々増大している。由々しき大問題である。

 自然が豊かなところで、しかも自然を相手にしながら、人間は成長すべきだということが分かる。だから、子どもたちを健全に、そして危険予知能力を持てるように育てる為には、やはり田舎で育てるしかないという結論が導きだされる。しかも、大人になってからも危険を未然に避ける行動が出来るようになるため、小さい頃から自然の中で遊ぶ経験が必要なのであろう。便利で快適な都会のマンションで住むか、それとも不便ながらも自然が豊かな田舎で子どもを育てるのか、子どもたちの未来にとってどちらが幸せなのかを選択する時がやってきたようだ。
いびつな家族関係・5人殺傷事件 [2010年04月20日(Tue)]
 何とも不思議な事件であり、そして歪んだ家族関係である。豊川市で起きた5人殺傷事件は、私たちに大きな衝撃を与えた。ネットの解約を巡りトラブルになり、激高して犯罪に及んだという。普通ならば、考えられないことである。さらに家族関係を紐解くと、異常な家族関係が浮き彫りになってくる。容疑者は中学卒業後に引きこもりになったという。そして、父親の給与を管理して、父親と母親にその一部を渡して、残りを自由に使っていたという。両親は容疑者である息子に対して、何も言えずにいいなりになっていたというから驚きだ。

 こんな歪んだ家族関係は異常だと感じるかもしれないが、実はこれに似たような家族関係は以外と多いらしい。引きこもりやニートと呼ばれる若者は、想像した以上に多いと漏れ聞く。このような家庭は、ひたすら外部には漏れないようにすることもあるし、義務教育を終了した時点で、行政としても実数を把握しきれなくなるのだと思う。行政としては、これ以上家庭にまで踏み込めないとして、支援をしないというかするつもりもないようである。当然、解決のめども立たず、家族は見守るしか術がないという状況に陥ってしまう。

 それにしても、今回のケースは少し特殊なように見える。親の給料をすべて管理していたという。容疑者である息子の言うことを聞かないと暴れるので、仕方なく従っていたらしい。このように、引きこもりの子どもに対して、親が腫れ物にでも触るような態度で接している例は少なくないようだ。自殺未遂を起こしたり、暴力を奮ったり、過食や絶食をしたり、部屋に閉じこもったりと、形は違えども親が子どもの特殊な行動により、言いなりになっているケースが多いと聞く。つまり、既に主導権を子どもに握られてしまっているという家族関係である。

 今の家庭教育や学校教育における欠陥が、まさにこのような形として表れていると指摘する専門家は多い。なにしろ、子どもたちに対して親や教育者が、異常に気を遣っているのである。特に、本来なら父親が毅然とした態度を見せて、子どもたちに対して「駄目なものは駄目なんだ」ときっぱりと言うべきなのだが、それが出来ないのである。学校においても、子どもたちに対して、敢然と立ち向かう教師が少ない。どちらも、子どもたちにおもねるような態度を見せてしまうことが多いみたいである。友だち先生が良い教師だと勘違いしている教育者が多いし、友達親子がいいと思っている馬鹿親も少なくない。これでは、しつけなんておぼつかない。子どもの言うとおりになってしまい、すべては自分の思い通りになるんだと、子どもたちが勘違いするのは当然である。

 家庭において、本来しつけを行うべき父親の存在がなく、子どもに気に入られようとする母親しかいないのだから、子どもが正常に育つはずがない。無条件の愛という母性を履き違えて、子どもの言いなりになってしまうのは見当違いである。あくまでも、駄目なもの駄目と厳しく言わなくてはならないこともある。子どもに嫌われても疎んじられても、毅然とした態度を見せるべきである。こういうことを、乳幼児期にしておかないと、やがて親をなめてしまう子どもに成長してしまうのである。それにしても、子どもが親を馬鹿にする一番の原因は、父親の態度によるのではないかと思う。尊敬できない父親の言うことを聞かないのは当然である。

 私の生まれ育った会津には、武家の時代から受け継がれてきた、『什の掟』という教育の基本原則が示されている。七か条があって、その最後にこういう言葉で締めくくっている。『ならぬものはならぬものです』という言葉である。藤原正彦さんの国家の品格でも紹介されていたが、福島県ではこの言葉を見直して、現代の教育に取り入れようという運動が広がっている。子どもにけっしておもねることなく、ならぬものはならないのだと、きっぱりと言える父親でありたいものである。その為には、小さい頃から育児にきちんと携り、子どもが尊敬できるような父親であると同時に、しかるべき愛情をきちんと注いで、子どもに対して毅然とした態度を見せられるような親でありたいものだと強く思う。
ハガネの女 [2010年04月17日(Sat)]
 原作はコミックらしいが、「ハガネの女」というTVドラマが製作される予定だ。基本的に漫画は読まないので中身は分からないが、ネット情報によると学校の教育現場を扱った内容とのことだ。しかも、3B金八先生やごくせんのような熱血教育ドラマではなくて、モンスターペアレンツやモンスターチルドレンなどの問題を扱ったドラマだという。吉瀬美智子が主人公の先生役を演じるというニュースが流れた。そんなモンスターたちと向かい合い、悩みながらも自己成長する物語らしい。どんなドラマになるか、今から楽しみだ。

 学校現場では今、モンスターペアレンツ・チルドレンと呼ばれる人々に振り回されている。毎日のようにモンスタークレーマーからの電話や訪問があり、身も心もズタズタにされている先生や管理者が多い。また、一部の児童の言動により学級崩壊を起こしてしまい、なす術を持たずに勤務を放棄してしまう教師が多いと聞く。心の病気を発症する先生が多くなっている要因のひとつにも、なっていると言われている。なにしろ、滅茶苦茶な要求をする保護者が多いし、ちゃんとしつけがされていないばかりでなく、悪賢くて陰で悪さを働く児童が増えているという。親子共に常識が通じないのだから始末に負えないことだろう。

 ただし、子どもたちと親だけを責める訳にもいかないであろう。人間関係能力が極端に低下している教師が増えたという事情も斟酌される必要がある。少し前の時代なら、先生に逆らうような子どもたちや保護者も稀な存在だったから、たいして問題になることもなかった。しかし、先生という存在が絶対的な優位性を持たなくなった現代は、少しでも気に入らないことがあると、苦情をぶつける対象になってしまうという不幸な時代になったのである。これは、先生たちにとっても子どもや親たちにとっても不幸なことである。なにしろ、まともな児童が虐められたりまともな授業を受けられなくなったりするのだから、由々しき大問題なのである。

 何故、こんなにも自己中心的なモンスター馬鹿親子が大量に生み出されたのであろうか。そして、教育者養成機関は、問題解決能力のない管理者や教諭を作り出してしまったのであろうか。おそらく、いろいろな原因はあったとしても、基本的には自然がなく地域コミュニティの貧弱な都会で教育され育ってしまったからではないだろうか。昔は、田舎で育った精神的にタフで人間関係能力の高い地方育ちの優秀な教育者が、都会で活躍した。警視庁で活躍する優秀な人だって、昔は殆どが地方出身者だった。そして、多くの企業で活躍したのも、昔は地方出身者であった。つまり、常識が豊かであり、他者への思いやりがあり、人間関係能力の高い人々は、殆どが田舎で教育を受けた人だったのである。

 それが、都会に出て結婚して都会で育てた子どもたちが、今モンスターペアレンツになり、またその子どもたちがモンスターチルドレンになっているように思える。子育てを都会でするようになったとしても、親がしっかりしているので、二代目まではなんとかまともな人間として教育できる。しかし、都会に移り住んで三代目・四代目になると、自己中心的で他者への思いやりを持たない人格を持つことが多い。都会は地域コミュニティが崩壊しているので、お互いに支えるという機会がないから、身勝手で自分さえ良ければいいという考えになりやすい。自然が豊かな所で育てられると、人間の力でどうしようもない偉大な存在を実感し、謙虚な気持ちを持つが、自然がない所で育つと人間が横柄になる。

 日本の教育制度を再生しようとするならば、やはり子育てを都会ではなくて田舎でするような風潮にしなければならないと思う。まともな若者に育てるなら、田舎で育てるべきである。日本の再生のためには、自分だけのためでなく、世の為人の為に誠心誠意働けるような若者を育てなくてはならない。そういう立派な若者を育てる風土が、都会にはもうないのだ。間違いなく、まだ田舎には残っているのである。是非、子どもたちを田舎で育てようとする若い親たちが増えることを期待したい。「ハガネの女」のようなTVドラマが注目されるような日本であってはならないのだ。
地域で子どもを育てる [2010年04月12日(Mon)]
 最近、子どもは地域で育てるという言葉が盛んに使われるようになった。そんなこと当たり前だという人もいるし、家庭教育や学校教育の不備を地域に押し付けるのか、という憤りを持つ人もいるだろう。確かに世の中を見ていると、子どもの教育やしつけがなっていないと感じる光景をよく見かけるし、学校においての学級崩壊や虐めの対応についてのニュースを見ていると、もはや学校の教育現場には、当事者能力が欠如している例が多いようだ。

 つい先日、都会で小学校の教諭をしている友人が嘆いていた。ある自動車の所有者が、学校に対して苦情を申し出たのだという。子どもたちが、自分の車の周りで石ころ蹴りをして遊んでいたという。勢いよく蹴った石ころが車に当たったらしい。傷付いては困るので、子どもたちが車の周りで、石ころ蹴り遊びをしないように指導してほしいというのが、その人の主張らしいというのだ。勿論、学校の管理者は言われるままに、その人の主張を認め、担任が責任を持って指導すると返事したという。

 子どもたちが石ころ蹴りや缶蹴りをして遊ぶのは当たり前であろう。確かに、車を傷つけるような遊びは拙いが、それを制限するのも可愛そうな気がする。ましてや、そういう躾に関わることは、学校が指導することではない。あくまでも、家庭の中で躾として教育するべきであろう。何でも、学校の責任に押し付けるのは如何なものであろうか。ましてや、外で遊ぶことが少なくなっている小学生が、石ころ蹴りをして遊ぶなんてことは、とても好ましいことである。地域で子どもを育てるという主旨に反するように思う。自分が、子どもたちに優しく指導すれば済むことであろう。

 人は、子どもを育てることで多くの気付きや学びをすると言われている。最近は、少子化と言われているので、その学びのチャンスを得られない人も多い。だとすれば、よその子とはいえども、子どもを育てる機会を得ることで、自分自身が変わるチャンスになるのである。であるからして、地域の人々が子どもたちを日本の将来を支える『宝』として捉え、積極的に子育てに関わってくれることを願うばかりである。つまり、共育ちという観点から地域の子育てを支援してほしいのである。今回の石蹴り遊びについても、学校の管理者が、その自動車の持ち主に対して、子育ては地域でするのだから、そういう姿を見かけたら、是非ご指導を賜りたいと伝えると同時に、事故のないような石蹴りを指導してほしいと申し上げるべきではなかったかと思う。

 それにつけても、都会で暮らす子どもたちは可愛そうである。石蹴り遊びさえ、伸び伸びと出来ないのである。いわんや、缶蹴りやかくれんぼなども出来ないし、小川に入って遊ぶなどということは出来やしない。最近白河に移り住んだある母親はこうも言っている。都会に暮らしている時に、自分の子どもがコンクリートの歩道を歩いていて、「あっ、石ころだ!」と叫んだそうである。この言葉を聞いて愕然として、移住を決意したという。都会では、自然体験や伸び伸びとした遊びを経験をさせられない。ましてや、人と人の繋がりが薄い都会では、地域が子どもを育てるなんてことは難しいのだ。やはり、くだんの母親のように、子育てするなら田舎がいいという結論になるのである。
教職員組合は地に堕ちた [2010年03月01日(Mon)]
 北海道教組が裏金を作り、そのうち1600万円を民主党の小林議員に違法献金していたという事件は、一般市民に大きな衝撃を与えた。労働組合が1600万円という裏金を作っていたという事実にも驚いたが、それを政治活動の為に法律を破ってまで献金したというのは、信じられない出来事だった。北海道教祖の職員は専従職員で教師ではないかもしれないが、役員は教師の筈であるから、違法であると知りながらこのような行為をしたとすれば、教師として許される行為ではない。教職員組合というのは、ここまで落ちぶれていたとは情けないことである。

 そもそも、何故教組が政治活動や選挙運動をしなければならないのであろうか。それも、勤務時間中や学校内で、堂々と政治活動や選挙運動をしていたという報道がある。不当労働行為として、糾弾されても仕方がない。純真な子どもたちに対して、そんな薄汚れた教師がまともな教育が出来るかと、心配になってしまう。北海道教組は、以前から物議をかもすような行為をしてきた。竹島は韓国の領土とするのが正しいと指導するべきだとか、違法ストライキを実行して処分者を出してきた歴史がある。この教組の組合員たちは、まともな感覚を持っているとは思えないのである。

 さらに、この裏金であるが、他県の教組でもあるらしい。そして、選挙活動も日常的に行なわれてきたという。うーん、心配で子どもたちの教育を任せることが出来ないではないか。しかも、選挙活動をしたり違法献金をしたりした理由が、10年毎の教師免許更新制度を廃止する為だったとの報道もされている。民主的な教育制度を作るため、または平和教育を推進する為というなら、それも仕方ないと思うが、自分たちの身分を守るために法律を踏みにじったというなら、言語道断である。 こんな教組や教員なら、10年を待たずに免許を取り上げてほしいものである。

 この教師免許更新制度というものも、まったく有名無実の制度である。10年毎に、教師としての力量を審査する制度ではない。指定された講座を受けるだけであり、簡単で形式的なペーパーテストを受けるだけである。本来は、教師として相応しくない失格教師を排除するための制度であったのが、何故か文科省は腰砕けになってしまい、単なる研修制度に成り下がってしまったのである。これでは、教育界のレベルアップは望めないし、不適格教師はこれからも教壇に登り続ける。子どもたちの教育レベルは、益々下がり続けるであろう。

 これからの日本を背負って立つ子どもたちを育てる教師は、清廉潔白であるべきだと思う。法律を守るというのは勿論のこと、裏金作りに奔走するような教師であってほしくない。日本の教育をダメにしたのは日教組だという政治家や経済人は多い。それは極端な意見であるが、こんな不祥事を見るにつけ、あながち間違いだとも言えない気持ちも芽生えてしまう。教組の組合員の中でも、教研集会などで、子どもたち中心の教育を推し進めようと運動しているまともな教員がいることを承知している。地に堕ちてしまった教組は解体的出直しをして、もう一度原点に立ち返って、教育の本質を見つめなおしてほしいものである。
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