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夫原病を乗り越える [2018年10月27日(Sat)]
原因不明の不定愁訴症候群で苦しんでいるご婦人が増えています。それはもしかして、『夫原病』かもしれません。下記のブログでその治癒する方法をお知らせします。
http://ischia.ciao.jp/2018/10/27/%e5%a4%ab%e7%8f%be%e7%97%85%e3%82%92%e6%b2%bb%e3%81%99%e6%96%b9%e6%b3%95/
人間の寿命は骨が決めている [2018年09月25日(Tue)]
人間の寿命を延ばすかどうかの決定権は、骨が握っているという衝撃の事実が判明しました。最先端医療研究によるとって証明されたのです。
下記の外部ブログでご確認ください。
http://ischia.ciao.jp/2018/09/25/%e9%aa%a8%e3%81%8c%e4%ba%ba%e9%96%93%e3%81%ae%e5%af%bf%e5%91%bd%e3%82%92%e6%b1%ba%e3%82%81%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%ef%bc%9f/
味覚異常の深刻な危険性 [2018年09月21日(Fri)]
味覚異常は、やがて深刻な心身の疾患につながる危険性を持ちます。味覚異常を自覚していない人がほとんどです。その原因と対策について述べます。
http://ischia.ciao.jp/2018/09/21/%e5%91%b3%e8%a6%9a%e7%95%b0%e5%b8%b8%e3%81%ab%e3%82%88%e3%82%8b%e6%b7%b1%e5%88%bb%e3%81%aa%e5%8d%b1%e9%99%ba%e6%80%a7/
HSP(ハイリーセンシティブパーソン)を乗り越える [2018年09月16日(Sun)]
ハイリーセンシティブパーソンという方々が5人に1人(20%)もいらっしゃるそうです。このHSPの方たちは、あまりにも過敏な感受性を持つが故に強烈な生きづらさを感じて生きています。それ故に、ひきこもりや不登校になりやすいと言われています。
以下詳しいことは、下記のブログでご覧ください。
http://ischia.ciao.jp/2018/09/16/%ef%bd%88%ef%bd%93%ef%bd%90%ef%bc%88%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%bb%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%83%91%e3%83%bc%e3%82%bd%e3%83%b3%ef%bc%89%e3%82%92%e7%94%9f%e3%81%8d/
ネットで他人を批判したがる人 [2017年07月10日(Mon)]
 ネット上において、自分のSNSやツィッターなどで他人の批判を続けている人がいる。さらに、他人のSNS上においても平気で批判的なコメントを繰り返す、とんでもない輩がいる。政治家やキャリア官僚を批判するのであれば、ある程度常識を逸脱しない範囲なら、許せると思われる。しかし、自分の上司やパートナー、または一般人を批判するのは、あまり頂けない。ましてや、それを匿名でするというのは卑怯である。インターネットというのは、世界中の誰もが見れる場所である。特定の人物をそういう場で批判したり糾弾するというのは、いかがなものであろうか。また、自分の主義主張と違うブログや書き込みに対して、本気で反論するというのも大人気ないように感じる。

 西田敏行が、根も葉もないとんでもない噂を流されたとして、話題になった。アフィリエイトと呼ばれるネット上の広告収入を上げたいからと、まったくのデマを流して逮捕される事件まで起きている。ネットの世界では、フェイクニュースが当たり前のように流れているが、こんなケースは絶対に許せない。大国の大統領もフェイクニュースをツィートする時代だから、ある意味一般化しているのかもしれない。これらは、まだ自分のSNSやHPを利用しているのだから、自己責任ということが言える。しかし、ネット上で流されていることだからと、そのニュースソースの真贋を確かめずに、自分の主義主張に合うからと、他人の批判記事をリンクしてしまうのは如何なものか。また、他人のSNSやブログに対して、無礼な批判コメントを載せてしまうのは、頂けない。

 明らかにその記事や日記が間違っていて、科学的な根拠が世間一般的に定着しているのであって、その記事を書いた人の為に間違いを優しく諭してあげるのであれば、許されると思われる。しかし、物事をどのように認識するのかは人それぞれの価値観や哲学で変わるのだから、自分の価値観や考え方と違うからと、いちいちコメントで否定するというのは如何なものであろうか。その記事と違う自分の意見を述べるのであれば、自分のウェブサイトやSNSで意見を堂々と展開すべきである。他人のSNS上で持論を展開するのはマナー違反である。しかも、記事や日記を書いた人の人格までも攻撃するのは行き過ぎであろう。最近は、そういうとんでもない人間性攻撃が見受けられる。

 インターネットというのは、その匿名制が認められている部分がある。特に、SNSはフェイスブックを除いて、匿名で運営されている。そのせいもあるだろうが、どこのSNSにおいても、『サイト荒らし』が横行している。おかげで、折角楽しんでいたSNSから遠ざかるネットユーザーが多くなっている。何度も個人攻撃のコメントを記入されて、嫌な思いをさせられて、SNSを閉じてしまうのである。コメントを書いている本人は、攻撃するつもりはなくても、考え方や行動を否定されたら、自分の人間性まで否定されたように思うのは当然である。たかがSNSと言っても、それを生きがいにしている人もいるのだから、記事や日記を書けなくなってしまう無念さは、相当に大きいものと言える。

 このように他人のSNSやツィッターに対して、否定したり攻撃したりするようなコメントを書く人は、人格障害(パーソナリティ障害)の傾向が強い。自己愛性の人格障害が疑われる。他人の否定をすることで、自己を正当化しようと無意識下で願うらしい。何よりも、自分の高い評価や賞賛を求める傾向がある。リアルの社会である家庭や職場において、正当な評価を受けられないので、ネットの世界で賞賛を得たいのであろう。だから、他人の記事や日記に嚙みついて、持論を展開して、どうだ自分はすごいだろうと社会にアピールするのである。こういう人は、自分が否定されることを極端に嫌う傾向があるので、自分のSNSでは記事や日記をあまり書かない。差しさわりのない、攻撃されないような日記を書くが、情けないことに論理的で本格的な記事は書けないのである。

 こういう人間は、自分ではヒーローだと思っている。そして万能感が強く、自分はなんでも知っていて、相手の間違いを指摘してあげているんだと思っている。間違った理論をそのままにしていると、社会にとっては悪なんだからほっとけないと、正義感を振りかざしている。実に困った人なのである。このようなネットで他人を批判したがる人間は、実は強烈な自己否定感情の強い人で、他人から愛されていない人である。リアルの世界では、誰からも敬愛されない可哀想な人なのである。もし、自分のSNSの日記に噛みついてきた人間がいたら、まともに相手をしてはならない。リコメで相手に反論するような、無駄なことはしていけないのだ。即ブロックすべきであるし、コメントはすぐに削除しなくてはならない。自己愛性の人格障害は、益々攻撃性が強くなるので、無視するに限るのである。
良い処も悪い処もすべて好きになる [2017年07月07日(Fri)]
 湊かなえという小説家が好きだ。彼女の著作は、ミステリー仕立ての小説が多い。そのせいか、推理小説家だと思っている読者が多い。センセーショナルな傑作ミステリーも多い。映画化された「告白」「白雪姫殺人事件」、テレビ放映された「Lのために」「リバース」など、推理小説として多くの読者やファンから支持されている。さらに、「母性」という重いテーマを扱った小説も、謎解きを楽しむ推理小説としての性格も持っている。NHKBSで放映された「山女日記」もまた、秘密を解き明かす構成になっている。推理小説としての構成にこだわる訳ではないだろうが、ミステリー小説家として世に知られているのは間違いなさそうだ。

 しかし、私は単なるミステリー作家とは見ていない。どちらかというと、ヒューマンドラマの作家だという見方をしている。殺人事件や傷害事件を扱ってはいるが、そのバックグラウンドに存在する人間の深い心理を描いているからである。事件を起こすに至った犯人の心理、その加害者だけでなく被害者の家族など周囲の人々の背景が、克明に描かれている。それも、表層心理だけでなく、深層心理や潜在意識のような部分までも描いているのが特徴的である。小説の根底にあるのは、どうしようもない性(さが)に振り回される人間の愚かさである。だからであろうが、彼女の小説は読後感が爽やかなのは少なく、どちらかというと心にずしんと重しを乗せられるように感じるものが多い。

 湊かなえさんがNHKラジオに出演していた際に、何故小説を書くのかということをアナウンサーに訴えていた内容が印象的である。彼女は、現代の人々があまりにも自分の心と向き合っていないということを嘆いていた。つまり、本当の自分を見出していないばかりか、自分の本当の心を見て見ないふりをしているというのである。特に、自分の心の中にある闇をないことにしてしまっていると言うのである。自分のどちらかというと負の部分である、身勝手で自己中心的な自分、自分さえ良ければよいとする自分、欲深い自分、他人への愛よりも自己愛を優先させてしまうマイナスの自己である。それでいて、そんな恥ずかしい自己をないことにしてしまって、善人を演じている人間が実に多いというのである。だから、人間関係でとんでもない目に遭って、悩み苦しんでいるというのである。

 人間とは、善と悪が同居している生き物である。美しい心と醜い心もまた同様である。しかし、残念ながら多くの人々は、自分の心の中に悪や醜い心などのマイナスの自己は存在していないと思い込んでいる。自分の心の中に存在する悪をないことにしてしまい、偽善の生き方をしているのである。自分の悪の心や醜い心をないことにしたほうが、気が楽である。自分の心の闇を認め受け容れると自己否定感が強くなり落ち込むので、受け容れたくないのが人間である。ところが、心の闇を認め受け容れないと、他人を受容できないばかりか寛容になれない。その為に、人間として精神的自立が出来ないばかりか、他の人と良好な人間関係が作れない。当然、嫌われるし誰からも相手にされず孤独になる。

 恥ずかしくて醜い自分、身勝手で自己中な自分、誰も見ていない処では悪の心が表出してしまう自分、これらのマイナスの自己を自ら認めるには、どんなことがあっても揺るがず確かな哲学が必要である。真理に基づく信念のようなものである。殆どの日本人には、確固たる思想哲学が欠如している。欧米人は幼児期の頃から信仰を持つので、宗教哲学を発展させた理念を持つ。毎週訪れる教会では、自分の悪を神父さんや牧師さん相手に懺悔する。自分の悪や醜さを正直に告白することで、自分のマイナスの自己を認め受け容れ、精神的な自立が出来るのである。つまり、アイデンテティーの確立が可能になるのである。ところが日本人には信仰がなく、自己の確立が出来ていないのである。

 湊かなえさんは、そのことを自分の書いた小説によって、多くの読者に気付いてほしいと思っているに違いない。良い処も悪い処もどちらも含めて自分の中にあることを認め受け容れることが出来て初めて、本当にすべての自分のことをまるごと好きになれるのである。そうなれば、多少の苦難困難が自分にもたらされたとしても、乗り越えることが出来るのである。よく、自分のことを好きになりなさいとか、自己肯定感を持ちなさいと説く人がいる。しかし、それは簡単には行かない。自分のマイナスの自己を認め受け容れ、悪や醜さを慈しめるようにならなければ、真の自己肯定感は持ちえないのである。真の自己肯定感は、完全なる自己否定感を体験しなければ、持てないと思ったほうが良い。中途半端な自己否定感や自己肯定感は、人間としての真の自立を阻害してしまうので注意しなければならない。自分の中にある善悪のすべてを好きになれる自己の確立をしたいものである。
自分の中心と繋がる [2017年04月09日(Sun)]
 どんなことがあっても揺るがない自己、臆する事のない自己、勇気や元気を失わない自己を保ちたいと思う。ところが、人間というのは予想もしない事故や事件に出くわしたり、とんでもない目に遭ったりすると、自分を見失ってしまうことが往々にしてあるものだ。また、相手からエネルギーを吸い取って、自分のエネルギー源にする人に出会ってしまうことがある。相手の弱点や至らない点を見つけて、そこに付け込んで自分を優位に立たせて、相手を自分の支配化に置いてコントロールするのである。そうすると、相手のエネルギーを吸い取るばかりか、相手を自分の思い通りの操り人形に出来るのである。その為に、大きな声で怒鳴ったり、恫喝したり暴力を振るったりするか、逆に不機嫌な態度をしたり無視したりして、自分の思い通りに相手を行動させるのである。

 このような人間と四六時中一緒にいると、元気がなくなるばかりか勇気まで失ってしまい、生きる気力をも失ってしまうのである。こういう人間をエネルギーバンパイアとも言うが、この世の中には実に多い。身体的な病気やメンタルの疾病になられた奥様方は、ご自分でも気付かないだろうが、家族にこのエネルギーバンパイアがいる例が非常に多い。それも、一番身近な夫であるケースが殆どである。たまには、逆のケースもない訳ではないが、そういう例はあまり多くない。妻の病気の原因は、9割が夫であると言われているが、まさしくその通りである。エネルギーバンパイアである夫に生きるための気力や元気を、支配され制御されることで吸い取られてしまうのである。

 こんな夫とは1日も早くおさらばするのが賢明なのであるが、子どもたちの将来や親類縁者のことを考えると、離別するのはたやすいことではない。経済的に自立出来なくて、夫の収入に頼りきっていて、仕事や収入を持たないのであれば、別れる決意が出来ないのも当然である。ましてや、外面が良くて会社でも有能で評価が高く、親類縁者からもいい旦那さんだねと言われているならなおさらである。私さえ我慢すればいいんだと、耐え忍び続けるという選択肢を選ぶしかなくなるのである。または、職場の上司にもこのようなエネルギーバンパイアがいるケースがある。自分に従わない部下は辞めさせると公言したり、これみよがしに意地悪をしたりする上司は、始末に負えない。このようなパワハラやモラハラに苦しんでいる社員も少なくない。

 このようにエネルギーバンパイアに元気を吸い取られたり、つらいことや苦しいこと、または悲惨な目に遭ったりすると、人間という生き物は生きる活力を失うことが多い。しかしながら、そんな目に遭ったとしても、けっして揺るがず臆することなく、自分自身を見失うことなく、しっかりと人生を歩んでいる人もいる。その違いは、どこから生まれるのであろうか。ただ単に、精神的な強さや逞しさに由来しているだけではあるまい。もっと根源的な人間としての大事な資質を獲得しているからではないかと思われるのである。そういう人は、自分の中心としっかり繋がっていて、どんなことが起きようとも、またどんな目に遭ったとしても、揺るがずに自分をしっかりと保っているのである

 そういうように、自分の中心と繋がっている、または自らの内宇宙と同一化している人は、どのようにしてそれを可能にしているのであろうか。そういう人を見ていると、実に特徴的な部分が見えてくる。それは、普遍的に間違いのない絶対的な価値観を持っているという点である。そして、その価値観に基づいてしっかりと大地に根ざして生きているのである。だから、どんなことがあっても生きるべき道を迷ったりしないし間違うこともないのである。人間本来の生きるべき価値観、またはこの全宇宙と万物、生命体に共通の価値観でもあるのだ。それをしっかりと認識しているかどうかによって、自分の中心と繋がることが出来るかどうかが決まるのである。

 その価値観とは、すべての固体(構成要素)は常に全体に貢献するという考え方であり生き方である。しかも関係性によってそれが保証されているという価値観である。端的に言えば、全体性と関係性によってこの世の中は成り立っているのだから、その価値観に基づいて生きれば、けっして間違いはないという考え方である。この価値観をしっかりと自分の中心部に据えて、その価値観によって生きるべき道を選択さえすれば、いつでも自分の中心と繋がりあえるのである。これこそが、我々がこの全宇宙において、授けられたミッションだと言ってもよい。この価値観を基にして、生きることが出来たなら、エネルギーバンパイアも怖くないし、自分を傷つけるような人にも対抗できる。そして、自分らしく生き生きとした人生を歩むことが可能になるのである。
発達障害は本当に治らないのか? [2017年03月05日(Sun)]
 大人の発達障害が増えているという。発達障害と言っても、いろいろな種類があるし、その症状も様々であり、症状の重いものから軽度のものまで実に幅広い。例えば、自閉症にもまったくコミュニケーションが取れないケースもあれば、高機能自閉症と診断されて自活している人々もいる。ごく普通の生活もしているし学校で勉学できるものの、何となく人間関係がしっくり行かないというような軽度発達障害の例もある。特定の対象にだけ異常な興味を示すアスペルガー症候群と呼ばれる発達障害もある。最近増えているのが、ADHDと呼ばれる「注意欠陥・多動性障害」の大人である。それも優秀な頭脳や学歴を持っているにも関わらず、会社では良好なコミュニケーションが持てず、仕事に支障を来たしている若者がいる。実に困ったケースである。

 これらの広汎性発達障害や高機能自閉症と呼ばれる人々は、親の庇護の元ならば何とか生活は出来る。何となく変わった子どもだなあとか、非常に付き合いにくい若者だなあと思われても、学業はそこそこにこなすし、勉強が出来てテスト結果がいいものだから、見過ごされるケースが殆どである。ところが、学校を卒業していざ民間企業で働きだすと、様々なトラブルを起こすし仕事が上手く出来ないことが多い。発達障害の人たちは勉強はできるが、仕事をこなすことが出来ない。特に、対人関係を上手に調整するのが苦手なので、難しい顧客の営業や管理が出来ないし、トラブルメーカーになることが多い。官公庁だと、多少仕事でトラブルを起こしても免職させられることはないから、長続きしやすい。民間企業においては、トラブルメーカーは居場所がなくなる。

 発達障害は先天的な脳の器質障害だと言われている。脳の器質障害によって脳内の神経伝達物質が正常に分泌されなかったり、脳の先天的な損傷により情報伝達が正常に行われなかったりする。だから、例えば一度に二つ以上の行動が出来ず、不器用さを露呈することがある。さらに、人の気持ちを斟酌したり、相手の思いを想像したりするのが極めて苦手なので、人間関係の破たんを生じしやすい。端的に言うと、場の空気が読めないのである。また、複雑で微妙な駆け引きを必要とされるような交渉事は困難である。まさに、相手の微妙な心の変化を読まなくてはならない、恋愛のようなことは苦手になるであろう。稀に、結婚してから相手の発達障害に気付くケースも少なくない。

 この発達障害は、先天的な脳の器質障害であるから、医療的な治療によって改善することはあまりない。薬物治療も例外を除いて該当しないし、精神分析療法や認知行動療法などでも多大な効果を表すことは稀である。現代の医療レベルでは、ある程度症状を軽減することはあっても、劇的な改善は残念ながら見込めない。とすれば、この発達障害はどうにもならず、家庭に引きこもって、親の経済的援助や公的扶助を受けるしかないのであろうか。一部のNPO法人や福祉法人は、発達障がい者の支援に乗り出している。作業所を開設し、就労支援をしたり生活支援をしたりしている。これも、ある程度の効果はもたらすが、一般企業で働けるほどの就労レベルには追い付かないのが実情である。

 ところが最近、この発達障害が食事療法によって改善されつつあるという朗報がもたらされている。発達障害の人たちの食生活は、どちらかというと乱れている。ドーパミンなどの分泌障害もあることから、食べ物の嗜好が偏りやすい。高い糖分と脂質の食物を食べたがる。ジャンクフード、スナック菓子、ファストフード、炭酸飲料、肉、牛乳と乳製品、ケーキ、チョコレート、パンなどを好む。逆に、野菜、伝統的和食、豆類、発酵食品、魚などは摂取したがらない。味の強いものを食べたがるし、味の薄い和食は摂りたがらない。どういう効果をもたらすかというと、腸内環境が最悪になる。腸内細菌(腸内フローラ)はが育たないし、悪玉菌が蔓延る。また、人工的な食品添加物などにより、重金属が体内に蓄積される。最悪の状況になっていると言えよう。

 正しい食生活にすると、腸内環境は改善され身体に有害な重金属は排泄される。そうすると、脳内神経伝達物質である脳内ホルモンが正常に分泌されるという。脳内ホルモンが正常に分泌され神経伝達が正常に働くと、発達障害の症状が劇的に改善されるというのである。実は、この正しい食生活は、うつ病やパニック障害にも効果があることが判明されつつある。もちろん、食事療法だけで発達障害が完治する訳ではない。この食事療法に加えて、土いじりをする農業体験、トレッキングなど自然体験などを適宜取り入れることで、効果が倍増すると言われている。最近、精神障がい者や発達障がい者に対する支援に、農業体験を取り入れる福祉施設が増えてきた。是非、食事療法も加えてみてはどうだろうか。
相模原福祉施設の殺人事件の犯人像 [2017年03月02日(Thu)]
 相模原津久井の福祉施設で起きた、悲惨な殺人事件の犯人に対する精神鑑定結果が出たという。多くの精神医学者はすでに予想していた結果ではあるが、自己愛性のパーソナリティ障害とその他の人格障害との複合的な人格障害だとの鑑定結果が示された。したがって、精神喪失の状態ではなく犯罪の要件に該当することから、正式に犯罪として立件されることになったという。自己愛性のパーソナリティ障害というのは、一般の方々にとっては初めて耳にする障害名かもしれない。そもそも、人格障害という概念がまだ一般化していない。しかし、この自己愛性のパーソナリティを含めた人格障害の人は、想像以上に多い。おそらく、1割から2割の人たちは人格障害ではないかと指摘する専門家が少なくない。

 この自己愛性のパーソナリティ障害というのはどのような障害かというと、こんな症状を示すことが多い。まずは、強烈な万能感を示すことが多い。自分は、他より優れていてどんなことも出来るし、賞賛されるべき存在だと思い込む。自分と対比して他の人々は、実に愚かであり何も知らない存在だと蔑む。だから、自分は特別な存在であり、世の中から賞賛と高い評価を得るべきだと思う。そして、その賞賛のために平気で嘘をつく。自分は著名な人といかにも親しいとか、名誉・地位ある人や富豪と知り合いや友達だとうそぶく。評価のある人と知人だということで、自分の評価も高いのだと勘違いしている。職場や地域で何よりも評価や地位にこだわる。

 自己愛性のパーソナリティは、とても危険な人なのかというとそうではない。確かに、相模原事件のような危険な人格を作り出すこともあるが、全部が全部危険な行動をする訳ではない。障害の強弱もあるし、実に様々な症状を表出させる。相模原事件の犯人は、複合の人格障害だということなので、反社会性の人格障害や妄想性の人格障害、境界性の人格障害などの傾向を示していたものと思われる。自己愛性の人格障害は、強く現れる時もあれば弱い時期もある。強く表出した際には、境界性の人格障害の症状を示すケースが少ないとも言われている。この境界性のパーソナリティ障害の人は実に扱いにくい場合が多い。反社会性のパーソナリティ障害は、犯罪のような危険な行動を平気でする例が多い。

 自己愛性のパーソナリティ障害が強く出たと思われる歴史上の人物は、ヒットラーやムッソリーニ、またはスターリンと言われている。自分を過大評価すると共に、自分に対抗する人たちを徹底して蹴落として、抹殺した。自分に反抗する者を粛清しているどこかの国のトップも同じである。ある大国の大統領やある国の首相も、自分を批判するマスコミを徹底して弾圧しているところを見ると、自己愛性のパーソナリティ障害があるのかもしれない。こういう人物は、権力に対して異常な執着をする。自分の人間としての評価が、地位や名誉によると思い込んでいるから、自分の名誉や地位を脅かす存在を許せないのである。こういう人の部下や同僚になったら怖い。この人の能力や技術を凌駕しようものなら、徹底して貶められてしまう。

 この自己愛性のパーソナリティ障害を起こす原因は、脳の器質障害にあると言われている。前頭前野の発達が遅れているというか退化していると言われている。生まれつきなのか後天的なのか、解明されていないが乳幼児期の子育てに影響しているのではないかと見られている。特に、小さい頃に保護者から虐待されていた子や見放されていた子が、自己愛性のパーソナリティ障害になりやすいと言われている。ヒットラーやムッソリーニは、父親から虐待のような仕打ちを受けていた。この相模原事件の犯人は、虐待を受けていたとは言えないような家庭環境らしい。父親は教師をしていたし、母親もかなり教養が高かったらしい。裕福でもあったろうし、一見すると愛情不足だったとは思えそうもない。

 自己愛性のパーソナリティ障害も含めて、パーソナリティ障害を引き起こす原因は、保護者からの愛情不足だと言われている。それも、母親からの豊かな母性愛、言い換えると無条件の愛が乏しかった幼児期が影響しているらしい。逆に、母性愛が少なくて父性愛(条件付きの愛)が強過ぎると、パーソナリティ障害が起きやすい。母親というのは、夫から豊かな愛情と支配され過ぎない立場を与えられていないと、子どもに豊かな母性愛を注げないものである。相模原事件の犯人は、教師である父親から強過ぎる父性愛を受けていたのではないかと思われる。母親は、夫からの強過ぎる支配とハラスメントに、精神を病んでいたのではないかと想像する。母性愛を発揮できなかったのであろう。19人も殺めたのであるから、その行為は許せないが、彼の家庭環境は実に可哀想だったと思われる。彼のような不幸なモンスターをこれ以上生み出したくないものである。
逃げ恥ブームに潜む若者の心理 [2016年12月26日(Mon)]
 逃げるは恥だが、役に立つというTVドラマがブームになり、逃げロスという現象まで引き起こしているらしい。この手の恋愛TVドラマには興味がないが、あまりにも騒がれているので今まで放映された総集編と最終回を視てみた。なるほど、通常の恋愛ドラマとは違った魅力があった。新垣結衣の可愛さも捨てがたいし、星野源の感情表現を抑えたいかにも頼りげのない仕草と表情が見事である。ドラマの筋書きもよく出来ているし、時折加えられている森山みくりの妄想シーンも微妙なスパイスとして、ドラマを盛り立てている。それにしても、このドラマがどうしてこんなにも若者たちに熱狂的に支持されたのであろうか。多くの若者たちが、深い共感をもってこのドラマを受け容れたと思われるが、その理由に迫りたい。

 現代の若者たちは、総じて恋愛下手である。そんなことはない、上手に異性との付き合いをしているし、肉体的にも結ばれている関係にあると反論するかもしれない。しかし、それは単なる異性とのお付き合いであり、結婚を前提とした恋愛ではない。あくまでも、友達の一人としてであり、ただ寂しさを埋め合うような関係でしかない。本当に好きな人とは、恋愛に発展できず、告白することさえできない。そんなに好きでもない異性には、平気で身を任せられるが、大好きで結婚したいなと思っている人とは、深い関係にはなれないみたいである。実に不思議なことであるが、どうでも良いと思える人としか、安心して付き合えないというのである。これでは、結婚できる訳がない。

本来、恋愛というのは、相手の良い処も悪い処も全部許して受け容れて、人間全体を愛するということである。しかし、今の若者は本当の自己開示が出来ない。自分の駄目な処や恥ずかしい部分、みっともない自分を見せられないのである。性交渉をするというのは、自分のすべてを見せなければならない。自分でも自信のない処や恥ずかしい部分までも、相手の目にさらすことになる。どうでも良いと思えるような相手には平気ですべてを見せられるが、大好きな人に嫌われてしまうかもしれないという深層心理が働いて、自己開示をためらってしまうのであろう。我々のような還暦を迎えた世代には、到底理解できないロジックであるが、これが恋愛下手に陥っている若者たちの心理らしい。

 どうして自分のすべてをさらけ出せないかというと、自己否定感が強いからである。自分の嫌な処、駄目な部分、恥ずかしい箇所、マイナスの自己を、自分で認めることが出来ず、ないことにしてしまっているからである。自分の良い処だけを出すようにして、良い人間を演じているのである。確かに、職場や公的な場所で駄目な処を敢えてさらけ出す必要はないが、恋愛の対象者にまで自己開示が難しいとしたら、恋愛に踏み切れないのは当然である。本当の自分が知られてしまったら嫌われるかもしれないという恐怖感から、自己開示が出来ないのであろう。言い換えると、自己承認力や自己肯定感が不足しているから、あるがままの自分を見せられないのだと想像できる。

 逃げるが恥の主人公二人は、まさに自己承認力や自己肯定感が不足している。だから、恋愛に対して臆病だし、結婚願望がありながら恋に踏み切れないのである。相手のことを好いていながら、嫌われることを恐れるあまり告白できない。年配の視聴者は観ていて、非常に歯がゆい思いをするだろうが、若い人達はあの臆病な二人に感情移入するに違いない。若い人達の多くが、このように自己否定感を強く持っているが故に、結婚しない若者が増えて少子化が進んでいるなら、由々しき大問題である。これでは、益々少子高齢化が進んでしまう。どうしてこんなにも自己否定感の強い若者が増えたかというと、やはり教育の影響であろう。自我を克服して、本当の自己を確立させる教育をしてこなかったツケを、今支払わされていると思われる。

 アイデンテティーの確立と一般的に呼ばれる、真の自己確立をしている人は、この日本社会には1割にも満たないと主張する心理学の専門家が多い。特に若者たちは、行き過ぎた競争社会に置かれていて、思想哲学を排除された教育、形而上学を否定された価値観を植え付けられているのだから、真の自己確立が出来る訳がない。逃げ恥の主人公は、たまたま契約結婚(偽装結婚)という形を取ることで、恋愛に発展した。あのようなプロセスをたどることが出来たとしたら、自分も恋愛をして結婚できるかもしれないと安心した若者たちが逃げ恥のファンになったと思われる。こんな偽装結婚から恋愛になんてことが、現実的に起きる訳がない。婚活をするのなら、真の自己確立が必要なんだと気付いてほしいものである。逃げ恥のようなドラマ鑑賞で、自己満足するもんじゃないよ。
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