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生活習慣病が公的保険制度を破綻させる [2017年08月15日(Tue)]
 健康保険制度と介護保険制度の存続が危うい。さらに、年金保険制度もその存続が危ぶまれている。日本の公的保険制度は、社会的な弱者救済制度でもあり、相互扶助制度として定着している。健康保険料の収入と国からの拠出金以上の医療費が多大に支出されていて、プライマリーバランスが崩れていると言われている。介護保険も同様であり、年々増加する介護サービスの対価支出に対して保険料収入が追い付かない状況が続いている。介護保険料は年々値上げされているし、健康保険料と国からの拠出金はこれから益々増大していくものと推測される。年金も同様であり、疾病等の影響で障害者に認定されて、障害年金を受給する被保険者も増加しているし、病気や障害で離職して年金保険料を納めない国民が増加していることも大きく影響している。

 最近、これらの公的福祉サービス、つまりは社会保障の財政破綻が近い将来に起きるのではないかと、マスコミ界で盛んに言われている。それが2025年問題である。今後このような公的サービスの支払いが激増して行き、2025年頃には保険料収入が追い付かず、公的な財政援助も枯渇してしまい、公的保険制度が破綻してしまうのではないかという危険性が指摘されている。あと8年後には、それが現実化するというものである。各種公的保険制度が破綻する理由は、実に様々な原因がある。超高齢社会という現実もあり、保険料収入不足もあるし、支出額の増加もあげられるし、資金運用が躓くケースもあろう。一番大きな原因は、各種保険による公的サービスを受ける人が増えたことと、受給額が増えたという理由があげられる。とりわけ医療費と介護費の増大は、保険制度の財政基盤を大きく圧迫している。

医療制度や介護福祉制度等の充実発展が、皮肉にもそのサービスを安易に受けようとする人を増加させている。そのサービスの質と量が向上することで、サービスの対価も上昇する。特に医療の高度化がもたらす医療費の増加は半端でない。夢の抗がん剤「オプジーボ」の登場によって、その高価な薬価の影響で医療の高騰が起きつつある。小野薬品に続けと、各薬品会社は高価な抗がん剤の開発に凌ぎを削るに違いない。医療技術も進化を続けていて、今までなら助からなったケースも延命治療が可能になり、医療費の高騰に拍車をかけている。生活習慣病も激増していて、やがて合併症を誘発して重篤な疾患で高度医療を受けて命だけは永らえて、やがて寝たきりになって介護サービスを受けるケースも少なくない。

 そもそも生活習慣病とは、自らの生活習慣に問題があって発症する疾病である。すべてがそうだとは言えないが、殆どの生活習慣病は予防できるのだ。正しい食生活と適度な運動と休養、さらにはストレス解消の努力を怠らずに生活していれば、生活習慣病は防げる。それが自堕落な生活や、煙草・過度のアルコール・ジャンクフード・過度の糖分や塩分そして脂質、ファストフードや多量の添加物が入った食物等の摂取等によって生活習慣病を発症しているケースが実に多い。なるべくしてなっている生活習慣病なのである。ある意味、自殺行為とも言える。生活習慣病になった自業自得のような人々を公的保険で援助するというのは、きちんとした生活習慣を実行している人にとっては許せない行為であろう。

 病院の外来待合室をのぞき見すると、多くの生活習慣病の患者さんが診察の時間待ちをしたり、投薬を待っていたりする姿を見かける。自らの生活習慣を見直して、病気を快癒させようなんて思って努力している人はあまり見かけない。生活習慣病の予防努力はせず、安易にクスリを飲んで症状を抑えようとする。西洋医学の薬は、あくまでも症状を抑える薬剤なのだから、完全治癒は見込めない。特に、生活習慣病の薬は飲み続ければならないし、どんどん強い薬になっていく。さらに薬の副作用により飲む薬は増えていく。そして、生活習慣病は悪化して行き、合併症も出てしまい、ついには寝たきりになり介護サービスを受けるようになる。これでは、2025年問題が起きるのは当たり前である。

 先天的な異常によって、高血圧や糖尿病などを発症するケースは仕方ない。しかし、自分の生活習慣によって引き起こされた生活習慣病に手厚い医療や介護のサービスをすることを、抜本的に見直す時期に来ているのではあるまいか。何らかのペナルティや保険料の自己負担に差を付けなければ、真面目に生活習慣病の予防に努めている人がやりきれない。自堕落な生活をしている人の為に、高い保険料や税金を支払わされるのは納得いかない。2025年問題を真剣に考えて、そのリスクを回避するには、官民一体となり生活習慣病の予防に努めなければならない。今までのように、生活習慣病になるのは仕方ないという考え方を根本的に改める時期に来ていると言えよう。公的保険制度を破綻させないためには、これしか方法がないだろう。
AICSでがん検診 [2012年12月07日(Fri)]
 今朝、年に1回の生活習慣病予防健診を受診した。タイミングよく、朝のTV情報番組でAICSという最新のがん検診についての特集がされていた。簡単な血液検査で、各種がんの診断がされるらしい。勿論、完全診断がされる訳ではなくて、癌に罹患しているリスクが高いか低いかの診断である。しかし、血液採取だけで診断出来るので時間がかからないことと、身体的な負担が少ないという利点があるのでこれから流行るかもしれない。

 このAICSという検査は、正式名称をアミノインデックスがんリスクスクリーニングという。人体には、各種アミノ酸が多数含まれている。その各種アミノ酸は、絶妙の成分比率によって保たれている。ところが、体内に癌が発生するとその各種アミノ酸成分比率が微妙に狂ってきて、アンバランスになるという。つまり、そのアンバランスさを統計学的にみて癌のリスクを診断するという仕組みらしい。

 この診断の仕組みを作り出したのは、何と日本であり、味の素製薬株式会社の研究スタッフらしい。味の素と言えば、アミノ酸では世界でもトップクラスの研究をしているので有名だが、食品業界だけでなく医療業界でも活躍しているのだ。このスクーリニングが一般化してくると検体も増加して、さらに診断精度があがるかもしれない。確定診断はつかないまでも、ある程度の癌リスクが判断出来たら、予防にも生かせることも可能になる。自分の生活習慣や生き方を変えるきっかけとしても有効になる可能性を秘めている。

 このようによい事ずくめに見えるこの検査も、唯一欠点がある。それは、この検査がまだ保険適用になっていないということと、検査代が2万円前後という高額なことだ。さらに、すべての病院でこの検査が出来る訳ではなく、全国で250箇所程度でしか検査出来ないらしい。おしなべて大きな病院では実施していなくて、診療所が殆どだという。これが、全国各地で受けられるようになり、検査代も安くなることを望んでいる。件数が増えれば、委託している検査機関の料金も下がるに違いない。早く一般化して、生活習慣病健診や人間ドックの際に、簡単にこのAICSが受けられるようになってほしいものだ。
アリとキリギリス [2012年06月17日(Sun)]
 アリとキリギリスは、皆さんご存知のイソップ童話で、将来に備えて勤勉に生きるアリと刹那的な快楽を求めて生きるキリギリスの物語である。子どもたちに、勤勉に生きることの大切な教訓を教えてくれる名作童話である。最近、この童話がEUのドイツ国民に注目されているようである。何故なら、EUにおける財政破綻目前のギリシャなどへの財政支援に対して、ドイツ国民は何故勤勉に働いてきた自分たちが、その重荷を背負わなければならないのかと、疑問に思っているからだという。

 今回のギリシャの財政破綻の原因を、すべてギリシャ政府の経済政策や財政の失策にするのは乱暴なように感じる。それこそ、楽して儲けようとして破綻を起こした米国の金融関連企業、つまりは巨大なキリギリスにもかなりの責任はあるだろう。しかし、ギリシャの金融機関も楽して儲けようとした責任があり、それに悪乗りして見逃してきた政府と国民にも責任があるのは間違いないのではないかと思う。これらの様々な要因により起こしてしまったギリシャの財政破綻を、コツコツと地道に蓄えてきた勤勉なドイツ国民の税金を用いてまで、救わなければならないのかと疑問に思う人も多いに違いない。

 このような理不尽な救済策を行う例は、EUだけに限ったことではない。我が国においても、このような例は多いように感じる。我が国には、公的な福祉制度及び医療保険制度が確立されている。福祉・介護制度や医療制度による救援は、多くの人々が納める保険金や税金によって賄われている。不幸にして、何らかの病気や事故、様々な障害によって福祉・介護や医療などの支援を受けるに至った方たちへの救済は当然だろうと思う。しかし、そのような例ではなくて、若い頃から快楽を求める生活を続け、将来への備えを怠り、刹那的快楽生活を続けてきた人たちをも、勤勉な国民が救済する制度になっているのである。これは、まさしくアリとキリギリスの世界と同じではないか。

 最近、生活保護世帯が増加しているという。若い頃からずっとコツコツと努力を続けていたにも関わらず、不幸にも仕事にも収入にも恵まれず、生活保護を受けるに至った方は仕方ないと思う。しかし、若い頃から大酒を飲んだり怠惰な生活を繰り返したりして、キリギリスのような生活を続けて、仕事をせず年金も納めずに暮らしてきた輩の為に、勤勉に働いてきた私たちの税金が使用されることに対して、やり切れない思いを抱く人も多いに違いない。今回最低補償年金制度が議論されているが、年金保険を納める収入があったにも関わらず納めなかった人にも年金を支給するのは如何なものか。失業保険もそうである。どんな仕事も選ばなければ、必ず仕事はあると思う。雇用保険が充実すればするほど失業者が増えるという過去の歴史的事実は、何を物語っているのだろうか。

 医療制度も、どこかおかしいと感じる人も多いと思われる。先天的な疾病や原因不明の難病なら仕方ないと思うが、若い頃から不摂生を繰り返し、生活習慣を是正することもなく、自分自身で起こしたような生活習慣病にさえも、保険を適用させるのはどうかと思う。言い換えれば、自損行為的な生活習慣病に保険は適用すべきでないし、それらの生活習慣病が悪化して支出される介護保険も、本来なら適用されるのもおかしい気がする。過激な意見だと思うが、アリとキリギリスのどちらを選ぶのかは自分自身なのだから、まったく乱暴な意見とも思えない。アリのようにコツコツと働いて年金を納め貯蓄して老後に備えた人が報われず、キリギリスのような生活をしていても老後が安穏と暮らせるという社会にしてはならない。アリの生活を選ぶことを、喜びと思える社会にしたいものだ。
孤高のメス [2010年06月21日(Mon)]

 あまりにも臨場感溢れる手術現場と、真に迫るリアルな臓器が見る者を圧倒する。三流の設備しかない弱小病院の手術室という雰囲気が良く出ていた。また、術中のスタッフの動きは少しぎこちなさも感じられたが、それは敢えて演出したと思わせるような出来だった。なによりもすごいのは、リアリティを出すために医学用語や医療器械の呼び名を、医療現場で使うのとまったく同じように使用し、説明が一切なかったことだ。このお陰で、緊張感が一層高まり、その場所に実際に居るかのようなテンポと雰囲気を味わえた。

 そして、一番驚いたのは、その作られた臓器の出来具合と描写がすごいことである。高校生から摘出した肝臓は美しいと形容するに相応しい形と色であり、肝硬変を起こした肝臓はどす黒くごつごつした、まさに病的な肝臓である。医療関係者なら、まったく本物だと思えたことだろう。生体肝移植した肝臓が、一時止めた門脈を再開した際に血液が流れ出し、徐々にその色がピンク色に染まって行くさまは、感動を覚える。こんなにもリアリティを追及した医療映画も珍しい。

 勿論、ストーリーも実にいい。ある映画批評を見ると、筋書きが単純で詰まらないだの、恋愛的な要素も入ったほうが良かったという意見もあった。私は、そういうのは余計なものであり、あくまでも人間ドラマとしてのストーリーに拘ってシンプルにしたのが良かったと思う。しかも恋愛的な要素もあったではないか。あの手術室のヒロインナースは、堤真一演じる当麻医師に淡い恋心を抱いている。あれぐらいのほうが、却って映画の後味を良くするものだ。

 今の医療業界を見ていると、主人公の当麻医師のようなドクターには、なかなかお目にかかれないだろうなと思う。自分の身がどうなろうとも、あくまでも患者さんの命を優先して、向かって行く姿には感動さえ覚える。孤高のメスという題名は、よく出来ている。世の中の医師がすべて、当麻医師のようにあってほしいと思う。口では、患者中心の医療をと言いながら、ドクターの殆どは自分中心であり、病院や医薬品会社中心の医療が横行している。あの孤高のメスという題名は、今の医療の現状があまりにも酷いということを作者が訴えているのだ。当麻医師のような善良な医師が、孤高にならないような医療界にしていかなければならない。
口蹄疫と手足口病 [2010年06月11日(Fri)]
 またまた口蹄疫が発症したという。今度は宮崎県の都城市に発生して、農水省や県は慌しく対応に追われている。この口蹄疫対策費として、国の予算から何千億円という巨費が投じられようとしている。うーん、大変な出費である。感染を拡大させないための処置らしいが、と殺される牛や豚さんたちは可愛そうである。元々人間のために、せっせと餌を与えられて殺されて食べられる運命にあるというのは、何とも気の毒としか言いようがない。人間というのは、残酷というか罪なことをするものである。

 さて、この口蹄疫は人間には感染しないと言われている。偶蹄類と呼ばれる爪が偶数の家畜、つまり牛・豚・羊にしか感染しないという。しかし、広辞苑には稀に人間にも感染するとの記述があるらしい。さらに、ウィルス学の専門家によると、ごく稀ではあるが、濃厚接触により人間にも感染する可能性があるという。しかし、感染しても軽い発熱や水泡が出来る程度で、すぐに完治するらしい。だから、人間にはまったく心配ないというのだ。でも、人間に感染するというなら、こんなにも行動範囲が広がっている現代であるから、全国にこの口蹄疫が広がっても不思議ではないことになる。

 ところで、この口蹄疫の症状と手足口病の症状が非常に似通っているらしいというのだ。だから、人間が口蹄疫に罹患したとしても、手足口病だと誤診断されてしまうらしい。というか、どちらの疾病なのか、人間を診るドクターには診断がつかないということだ。そういえば、今年は手足口病が非常に多いという。それも子どもだけでなく、大人にも感染が多いという。これは、単なる偶然であろうか。実に不思議なことであるし、人間の手足口病と同じ症状だというのは何か深い意味があるように思えてならない。そもそも、牛や豚がこの口蹄疫に感染する原因は特定できたのであろうか。それが出来なければ、巨額の国費を投じることは、無駄になってしまうように感じる。

 あくまでも仮説としてではあるが、口蹄疫にしても手足口病にしても、人間、家畜共に自己免疫力が低下していることが原因ではないかと考えられる。高級ブランド家畜の餌は、非常に贅沢になっている。配合飼料はそれこそ栄養の高いものであり、短期間で良質な脂肪がつきやすい高脂肪・高タンパク質・高糖分の餌を与えている。一方、苦笑したくなるが、人間の食事もまったく同様なのである。つまり、偏った高栄養の食べ物を食べることにより、生活習慣病になりやすくなり、強いては免疫力を低下させてしまっているのである。農水省や宮崎県では、今回の口蹄疫の感染力が異常に強かったと言っているが、そうではなくて免疫力が低下したと見るべきであろう。

 特に、大規模畜産農家では狭い場所に多くの家畜を飼っていて、運動不足になっているし、狭い空間に押し込められているために、相当なストレスを抱えている。人間もまったく同じ状況におかれているのだ。つまり、人間も狭い都会の空間に押し込められて、偏った高栄養の食事を与えられ、便利な生活により運動不足になって、多くのストレスにさらされているのである。生活習慣病にならない訳がない。免疫力が低下するのも当然である。毎日満員電車に揺られ通勤しているサラリーマンの表情と、狭い牛舎に押し込められている牛の悲しい表情が何故かクロスオーバーしている。牛は、広い牧場で放牧して伸び伸びと育てるのがいい。人間も、自然が豊かで広い土地がある田舎で暮らすのがいいのだ。口蹄疫と手足口病の流行は、私たちに生き方の間違いを警告しているとしか思えない。
手足口病が流行の兆し! [2010年06月03日(Thu)]
 手足口病が流行しているらしい。子育てを経験してない人はご存知ないかもしれないが、小児疾患である。口の周囲や手のひらや足の柔らかい部分に水泡が出来る病気である。風邪のような、頭痛や喉の痛み、または嘔吐症状が出ることもあるらしい。内臓障害も起こす場合もあるらしいので、要注意だ。ウィルス感染症であり、ひどくなると髄膜炎に至るケースもあるとのこと。重症化や長期化の兆しがあったら、早めの受診がお勧めだ。

 最近、こういったウィルス感染症が増えているし、しかも小児だけでなく高校生や大人にも感染している傾向がある。麻疹(はしか)が高校生の間で集団感染したり、大人が感染することも少なくない。昔は、小児にしか感染しなかった疾病が大人も罹患してしまうというのは、不思議なことである。ウィルスそのものが強くなってしまったのか、はたまた人間の自己免疫力が落ちたのか解らないが、由々しき事態である。その原因究明と抜本的対策が望まれる。

 あくまでも仮説ということで申し上げれば、あまりにも現代の生活環境が清潔になり過ぎたきらいがあり、それが原因になっているように思えて仕方がない。つまり、この世の中、抗菌グッズ、消毒剤や殺菌剤、過剰に滅菌した食物、強力な殺菌剤入りの洗浄剤、殺菌効果のある空調設備、等々が大量に出回っていて、雑菌がなくなってしまっているようだ。そのため、普段から雑菌やウィルスにさらされることがなくなった現代人は、雑菌やウィルスに慣れていないため、少しのウィルスにより感染するようになったのではないだろうか。

 勿論、ウィルスそのものも強力化していることも考えられる。他の菌やウィルスが少なくなった為に、我が物顔で活躍しているのかもしれない。そういえば、こんなこともテレビで言っていた。アレルギー症増加の原因のひとつが、空気環境の中に動物の糞が少なくなったせいだと言うのだ。そうすると、最近増加している疾病の原因は、あまりにも環境が浄化されたことによるかもしれないのだ。人間は、いろんな菌の中で暮らしていて、それこそ菌のおかげで健康を保つことが出来るのに、過剰に殺菌してしまったことによって逆に健康を害しているということになる。

 人間の免疫力というか自己治癒力というのは、とても不思議な力を持つ。そもそも、病気や怪我が完全治癒するのは、あくまでもその本人の自己治癒力や免疫力が働くからである。どんな名医や治療でも、本人の自己治癒力がなければ完全な治癒は起こしえないのである。よしんば、病状が対症療法で改善したとしても、自己治癒力がなければ完全な治癒はしないし、再発してしまう。その自己治癒力や免疫力というのは、トレーニングをしなければ育たない。だから、世の中の環境をまったく無菌化・無ウィルス化したとしたら、感染症がなくなるかもしれないが、万が一にも外宇宙ウィルスが持ち込まれたら、ひとたまりもないのだ。やはり、適度な菌やウィルスが蔓延り、常にさらされることによって免疫力や自己免疫力が維持されたほうが良いと思う。

 さて、都会の環境は無菌化に向かっていると思って間違いないだろう。周りを見渡してほしい。電車のつり革や手すり、売っている物、食べ物、すべてが抗菌・殺菌のものである。このような環境に置かれた人間の、免疫力や自己治癒力が低下するのは当たり前である。あまりにも、神経質になっているような気がしてならない。菌やウィルスだって生きているのであるから、共存共栄するような考え方で良いように思える。田舎には、まだまだ菌やウィルスが豊富に残っている。このような環境で逞しく育ったほうがいいように思うのは、私だけではあるまい。



ムンテラ [2010年05月28日(Fri)]
 ムンテラという言葉を聞いたことがあるであろうか。医療用語であり、医師が患者さんに病状を説明することを言う。元々、ドイツ語でありムントMunt=口と、テラピーTherapie=治療をつなげた言葉で、直訳すると口での治療となる。つまり、言葉で治療するという意味であり、患者さんを言葉で言いくるめるという意味にも取られやすい。したがって、病院によってはムンテラという言葉を使用禁止にしている場合もあるらしい。病院の中では、医療関係者の間だけで使われていて、患者さんには使用しない言葉である。

 このムンテラであるが、医師はインフォームドコンセントが重視されていることもあり、かなり丁寧にする傾向にある。昔は、「黙ってオレの治療を受け入れなさい、嫌なら治療をしませんよ」という態度をする医師が多かったが、最近は病名の告知も包み隠さずするようになった。ましてや、後で訴訟を起こされるのを極端嫌う傾向もあり、必要以上に丁寧なムンテラをするようになった。患者さんの権利意識も高まっていて、かなり神経質な態度でムンテラする医師も多い。中には、ムンテラした内容を、患者さんや家族がメモするのさえ嫌う医師もいるらしい。そんな愚かな医師もいるというのは、情けないことである。

 さて、そんなムンテラであるが、どうも困った傾向にあるらしい。治療後に苦情を言われたり訴訟を起こされたりするのを避ける為なのか、最悪の治療結果を事前に告げることが多い。さらには、治らないということを告げる傾向にあるという。例えば、余命なんかも最短の期間を告げるというのだ。また、手術の予後も悪く言う傾向にある。それでなくても、病気になって沈みがちな患者さんに、悪い結果をことさら言うのは、どうなのだろうか。かえって、病気を治すという気力を削いでしまわないだろうか。治療を受ける前に、がっかりさせることを言ったら、治療効果がなくなるように思えて仕方ない。

 どうして、医師はそんなに弱気になってしまったのであろうか。確かに訴訟を起こされるからと、自己保身のためという意味もあるが、それ以上に何か別な意味があるような気がする。おそらく医師たちは、悪意があってしているのではなく、無意識のうちにであろうが、最悪の治療結果を告げる。そうすれば、もしその最悪の治療結果以上に良くなれば、自分の治療効果が予想以上にあり、名医ということになる。予想した以下の治療結果になったら、ヘボ医者として蔑まれる。だとしたら、医師はどちらの治療予想をするだろうか。悪い治療結果を予想するに決まっている。

 しかし、本当の名医は自信を持って良い治療結果を告げるのである。特に神の手と呼ばれるような、世界的な名医は決まって、「大丈夫ですよ、治ります。心配ないですよ」と患者さんに告知する。そして、結果もその通りになるのである。患者さんは、安心して先生に身を委ねるし、精神的にもリラックスするので、手術の予後も実にいいのである。だから、益々名医の治療結果はあがることになるのである。ところが、自信のない医師は、最悪の結果ばかりを言うものだから、患者さんは益々不安になり、ストレスも高まり治療結果は予想したとおりになりやすいのである。

 人間は、予想したとおりの未来になることが多い。特に悪い結果を予想すると、そうなる場合が多い。おそらく無意識下でそう思い込みやすいのであろう。そうすると、無意識がその未来を実現しようと働いてしまうのである。だから、ムンテラはけっして悪い結果ばかりを告げてはいけないのだ。ましてや、医師自身も自分で言ったその言葉を自分の耳で聞いているのだ。無意識のうちに、その結果になる行動をしてしまう傾向になる。言葉は言霊である。言葉にしたとたんに一人歩きするのである。名医は、良い治療結果を告げるし、ヘボ医者は悪い結果をことさら告げる傾向にあるということを知っていると、医師の選択を誤らない。悪い結果ばかりを言う医師に当たったら、セカンドオピニオンを選択したほうが良い。ムンテラの仕方で、医師の良し悪しが解るのだ。
病は気から [2010年05月25日(Tue)]
 病は気からと言う言葉の意味は、病気になったときに、自分でも軽いと思ったり治ると信じると、軽く済むしすぐに良くなる、という意味で使われることが多い。しかし、最近の医療関係者の間では、まったく別の意味で使われることが多いのだ。つまり、病気になる原因の殆どが自分の気持ち・考え方からであり、精神的な部分が影響しているという考え方である。したがって、病気になったのは自分の考え方や生き方がどこかおかしいところがあり、それを変える必要があるということになる。そして、人間本来の正しい生き方にすれば、病気も治るし二度と病気にもならないという考え方になるのだ。

 そんなことはない、そういう病気もあるが、それはごく一部分の病気だけであると反論する人も多いことだろう。しかし、WHO世界保健機関を初めとして日本の大学や研究機関においても、この病いは気からという考え方が、相当に浸透していて、市民権を得ようとしている。その証拠に、WHOの健康の定義がまさに変えられようとしている。健康の定義に、身体・精神・社会的という三つの定義に加えて、spiritualという概念が新たに入れるべきだという意見が大勢を占めている。spiritualというと、誤解を受けやすい言葉であるが、魂的か霊的という日本語訳になると思われる。

 言ってみれば、このspiritual(魂的)という言葉こそが、病は気からという言葉と同じ意味のような気がする。世界的に見ても、精神的なものが病気の発生に影響していることが判明しつつある。だから、西洋医学一辺倒から代替医療を取り入れた複合的医療が隆盛しているし、西洋医学の限界が見えてきて、東洋医学的な考え方が多くの医師の間でも取り上げられる傾向にある。がん治療分野においても、化学療法・手術・放射線療法では匙を投げた症例でも、生きがい療法で劇的に改善した例も多く見られる。

 最近、病は気からということが科学的にも証明される傾向にあるのは、喜ばしいことだ。しかし現状は、西洋医学偏重の医療により、多くの患者さんが、通院するごとにむやみに強い薬を処方されたり薬の数が増えてしまったりという、大変な状況に置かれてしまっている。だから、一度飲み始めた薬は永遠に飲み続けなければならないという中高年者が多いのだ。これは、医師が対症療法だけに頼ってしまっていて、完全なる治癒を目指していない証左とも言えるのではないだろうか。生かさず殺さずというような医療が、平気で行われている現状が見え隠れしているように思えてならないのだ。

 そもそも、医療保険制度は大いなる矛盾を孕んでいる。完全に治癒させてしまうと、患者さんが減ってしまい、医療機関と薬品会社等の収入が減ってしまうのである。したがって、経営が成り立たなくなり、経営破たんしてしまう。完全に治癒させることによる成功報酬は得られないのである。誰が考えたって、完全に治さないほうが収益があがる仕組みになっているのである。医師や薬品会社に悪意がなかったとしても、完全治癒と対症療法のどちらを選択するかは、明白になる。であるから、当然医療関係者は病は気からということを認めたがらない。だから、病は気からであると、声を大にして唱えている医師は、本当に善良な医師だということが解る。

 日本ではこのような医療費の浪費が、こうして横行している。だとすれば、患者さん自身が賢くならなければならないのである。西洋医学も緊急避難的に必要であることは認めざるを得ない。でも、慢性疾患は、殆どが自分の考え方・生き方を変えれば、完全治癒するのである。特に、自律神経系のバランスを調整して、体温を上げて免疫力を高めれば、殆どの病気は治ると善良なる医師は自信を持って語る。新潟大学医学部教授の安保徹先生は、その代表である。勿論、その為には食事や環境も大切である。癒しのフィールドに身を置くことも大切である。田舎に住んで、食生活を変えて、考え方・生き方を変えやすい環境にすることも大事だ。健康でQOLを保って暮らすなら、田舎がいい。病は気からなのだと、自分を信じて生き方を変えてみようではないか。
口蹄疫事件に思う [2010年05月19日(Wed)]
 宮崎県で起きた口蹄疫事件により、畜産農家は壊滅的な打撃を受けているという。国の検疫体制というか防御体制、または県の防疫体制に重大な欠陥があったのではないかという指摘がされているようだ。こういう時に一番被害を被るのは、一般の農家である。気の毒である。でも、鳥インフルエンザ事件の時もそうだったが、こういう事件があると、その後の防疫体制だけが話題になって、そもそもの原因についての考察がおろそかになりやすい。

 今回の口蹄疫も、リスクマネジメント上、緊急性の対策が重要視されるのが当然であるが、今後のことや他地方での発生抑制を考えれば、原因についての研究も並行してされるべきであろうと考える。メキシコで発生した豚インフルエンザについても、いつのまにかウヤムヤになってしまった感がある。今回の口蹄疫発生対策に、1,000億円という巨額な公費が投じられようとしているのであるから、原因の特定をしてほしいものだ。

 こういった家畜の伝染病が起きると思うのは、果たしてこれだけ大きな畜産業が日本に必要なのだろうか?という思いである。生活習慣病の予防が大事だと言われ、特に西洋食から和食へと見直されてきている風潮があるのに、牛肉や乳製品、鶏卵や豚肉・鶏肉などの生産が、本当に必要なのだろうかという疑問がある。欧米の知識者階級では、既に肉食を控えて野菜・魚中心の食事になりつつある。日本でも、肉食から野菜食へのシフトが望まれる気がする。昔のように、肉は必要最小限の摂取で良いのではないだろうか。無益な殺生は慎んでほしいものである。

 また、今回の口蹄疫事件ではワクチン接種が検討されているという。しかし、その副作用が大きくて、ワクチンを打った牛や豚も処分されるという。ワクチンの副作用というのは、そんなに大きいの?と自然とそんな疑問が湧く。勿論、人間に対するワクチンと動物に対するワクチンの安全性は違うと反論するかもしれないが、基本的にはワクチンである。人間には、あんなにも沢山の種類のワクチンを平気で打ちながら、動物に打つのを躊躇するというのはどういうこと?と素朴な疑問を持つのは私だけではないはずだ。

 先般の新型インフルエンザも大量のワクチンを輸入して無駄になった。危険性に気付いた国民が忌避したからだ。残ったワクチンは、どうなったのか?厚労省の甘さについて、追求した議員もいないし、そのワクチンの危険性を指摘した政治家はいない。最近話題になっている子宮頸がんの予防ワクチンは、栃木県大田原市の中学生に実験的に投与が始まった。欧米では、その効果と危険性が疑問視され、ワクチン投与がベンディングされているにも関わらずである。どんなワクチン投与においても、副作用は必ずあると言われている。特に、ワクチンの投与がアレルギー反応を加速させているという情報もあるらしい。

 この口蹄疫事件は、付随していろんな問題を提起してくれているのである。日本の農政、消費者行政、医療行政はおしなべて、国民中心ではなくて業者中心主義である。今回の口蹄疫事件に対する県や国の対策が後手に回ってしまったのも、元を正せばそういう行政の姿勢から出たことであろう。であるから、今度の口蹄疫事件を教訓にして、今後は国民目線・消費者中心主義に則って政治を行ってほしいものである。
がん哲学外来 [2010年04月13日(Tue)]
 がん哲学外来という専門外来があるという。順天堂大学の樋野教授という病理学の教授が開設したらしいが、この外来では何と治療らしい治療をしないらしいのだ。えっ、と不思議がる人が多いかもしれないが、投薬するわけでもなくメンタルケアーをするわけでもないという。ただ、患者さんと向き合い話を聞いて、いろいろと相談を受けるとのことだ。癌に罹患した患者さんが、自分と向き合い、自分の癌という病気と向き合い、どう生きるのか、どう死ぬのかということを哲学するサポートをするだけということだ。西洋医学の殿堂とも言える大学病院で、こんな外来が出来たのが驚きである。

 そもそも、ガンという病気は何ものなのであろうか。がん細胞は常に出来ては、すぐに破壊されていくという運命らしい。そのサイクルが何らかの変異によって、作られたがん細胞を破壊するメカニズムが滞った時にがん細胞が増殖して、ガンを発症するという。つまり、がん細胞は常に身体の中に作り出されているということになる。別な言い方をすれば、自分自身でがん細胞を作っているということであろう。でもそれは、あくまでも無意識のうちに、自分で作り出したものである。わざと作り出しているのではないということであり、自分でコントロールできるものではないということである。

 ガンになりやすい人となりにくい人がいる。それは、生まれつきの遺伝子も関係しているが、主に食事などの生活習慣による影響と、生き方の違いによる影響によると言われている。特に、ガンになりやすい性格があるのだ。C型的性格と呼ばれる人は、ガンになりやすい。ひと言で言うと、いわゆる『いい人』である。自分の中にふつふつと湧いてくる悪い感情を我慢して、周りの人々に対する配慮から、常にいい人を見せている人である。真面目で誠実で優しいから、人々から信頼され好かれる。こういう人をC型人間と言い、ガンになりやすいし、重い病気になり短命になることが多いという。

 ということならば、このC型性格を緩めて生きれば、ガンになりにくいということになる。以前、NHKTVのプロジェクトXで、拡張型心筋症になってバチスタ手術を受けた人がしみじみと語った言葉がある。病気になって、生き方が劇的に変わった。おかげで、人間にとって何が大切かを教えてもらった気がすると語り、病後に生き生きとした人生を送っていた。つまり、死を覚悟する病気をすることにより、生き方や人生を見直すことが出来たらしい。ガンという病気も、実は自分の生き方を変える為に、わざわざ無意識の自分が、自分の身体の中に作り出したと言えないわけでもないだろう。がん哲学外来というのは、そんな気付きをするための外来だと思われる。がんという病気は、死と隣りあわせだ。だからこそ、自分の生き方を変えるきっかけになりうるのだろう。

 このがん哲学外来のルーツを探ってみると、驚くべき事実にぶつかる。今から60年前くらいに活躍した病理学者がいる。吉田富三博士という研究者で、東京大学の医学部教授や医学部長、癌研の所長を歴任している、世界的に著名な学者である。彼は、こんな言葉を残しているという。「がん細胞で起こることは、人間社会でも必ず起こる」と。けだし名言である。がんという病気を、60年も前に哲学的に捉えていたのである。彼は、福島県の浅川町に生まれ育った。白河市の近くにある鄙びた町である。現在、吉田富三記念館が建てられて、彼の功績を称えている。順天堂大の樋野教授は、その精神を受け継いでいるという。そして、福島県立医科大学で、月1回このがん哲学外来が開かれるというニュースが流れた。がんに苦しむ人々には、朗報である。
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