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ブログを更新しました。 [2017年09月13日(Wed)]
勉強は誰のためにするのか?そりゃ自分の為ですよ。と言われて育てられてきました。その間違いに気付くのが、もっと早ければ…
http://ischia.ciao.jp/2017/09/13/%e6%95%99%e8%82%b2%e3%81%a8%e3%81%af%e8%aa%b0%e3%81%ae%e3%81%9f%e3%82%81%e3%81%ab%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f/
読後雑感「本日は、お日柄もよく」 [2016年12月18日(Sun)]
 「本日は、お日柄もよく」というフレーズは、結婚式における祝辞における常套句である。主賓の挨拶、または友人によるテーブルスピーチでも、挨拶の導入部分で使われるフレーズである。最近は、昔のように大きな結婚式は催されず、パーティ形式が増えてきた。したがって、あまり格式ばった祝辞はなくなったが、少なくても主賓や恩師の祝辞では、このフレーズが省略されるケースはあまりない。そして、これらの挨拶は、おしなべて詰まらなく退屈な挨拶が多い。ある結婚式での主賓挨拶があまりにも退屈で、主人公が居眠りしてしまいスープに顔をダイビングさせてしまうシーンから始まるのが、この「本日は、お日柄もよく」という原田マハの書いた小説である。

 結婚式の主賓挨拶は、実に詰まらない内容であることが少なくない。勿論、主賓挨拶だからあまりくだけてはいけないだろうし、かといって教訓的な内容がまるっきりなくても、ひんしゅくを買ってしまう。だから、ほどよいユーモアを交えながらも、新しい門出を迎える2人の秘密のエピソードなんかを紹介して、祝福のメッセージを伝えるのがよい。しかし、たいていの主賓は堅苦しい挨拶をするものである。この主人公のような失態を演じる事はないだろうが、居眠りしたくなるのも道理である。主人公はこの失態を通して、伝説のスピーチライターと出会い、師と仰ぎ弟子入りすることになる。

 世の中にスピーチライターなる職業というか、スピーチを指導教育することを生業とする人がいるとは、今の今まで知らなかった。このスピーチライターの名人のてほどきを受けながら、主人公はいろんなことを学んだり、気付かされたりするのであるが、それはスピーチの技術だけではない。話すということの本質的な部分をも学ぶことになる。つまり、言葉というものが持つ「力」というものである。話者が紡ぎだす言葉には、聴く者の心を、そして魂を揺さぶるような力がある。たかがスピーチ、されどスピーチである。聴く者の考え方、認識、時には生き方さえも変えるような力があるのだ。主人公は、このスピーチライターとの出会いと関わりにより、スピーチの大切さとその持つエネルギーを実感することになる。

 この小説の中でも、人の心を打ちその人の人生さえも左右するような素晴らしいスピーチが紹介されている。現実においても、ゲチスバーグにおけるリンカーン大統領の民主主義の原則を述べた「カバメント、オブザピープル、バイザピープル、フォアザピープル」というスピーチ、または「イエス・ウィ・キャン」というオバマ大統領のスピーチは、世の中をひっくり返すくらいの強烈なインパクトがあった。このように、スピーチというものは、世界の動きさえも左右させてしまうパワーを秘めている。米国民は昔から政治家のスピーチに注目して、その内容だけでなく話し方や訴える力をも評価していたのだろう。結婚式だけでなく、告別式において霊前で亡き友人に贈る弔辞にも、魂を揺さぶられるほど感動するケースも多々あると、小説の中で紹介している。

 会社においても、朝礼におけるスピーチから始まり、様々な場面でスピーチがある。教育指導、研修の場面でもスピーチの優劣が社員の成長に大きく関わっている。社員の心に響かないようなスピーチは、意味が無い。ともすれば、結婚式でするような退屈で居眠りしたくなるようなスピーチをくどくどとする例が少なくない。人々の心の奥にまで届き、感動を与えるようなスピーチをしたいものである。その為には、単なるセンテンス(文章)ではなくて、コンテキスト(文脈を持った文)としてのスピーチでありたいし、なによりもストーリー性を持ったスピーチにしなくてはならない。いくら美辞麗句を羅列したとしても、そこに物語性がなければ、聴く者の魂まで訴えることはできないのである。

 この小説では、若い女性がスピーチの大切さを認識し、精神的にも大きく成長し、自立して行く姿が描かれている。そこには恋愛模様や家族の関係性の大切さも描かれている。ストーリーも面白いし、わくわくさせる展開で読む人を飽きさせない。スピーチをするのが楽しくなるような気がするし、逆にスピーチの難しさを再認識させられるかもしれない。いずれにしても、言葉というのはものすごいパワーを持っていて、言霊と言われるように、言葉として発した瞬間から魂を持つものである。これからも社員教育の場面、結婚式の祝辞、告別式の弔辞、市民活動の講演、様々な場面で極上のスピーチが求められる。この小説で記されているように、聞く者の魂を揺さぶることが出来るよう、全精霊を傾けて、ストーリー性が溢れる、感動のスピーチをしたいものである。そんなことを常に心がけなければならないと、深く気付かせてもらった素晴らしい小説だった。
薬物依存汚染が止まらない芸能界 [2016年12月12日(Mon)]
 芸能界において、またまた薬物依存事件が起きた。今回はコカインみたいであるが、危険ドラッグや大麻の使用事件も続発している。さらに、一度覚せい剤事件を起こした芸能人が再犯を起こす事件も続いている。こんな表に出た事件だけでなく、薬物に汚染されている芸能人は他にも多数いるという情報もある。薬物に汚染されているのは、芸能界だけではない。しかし、芸能界において薬物汚染が起きる確率は、一般社会に比較するとすごく高い気がする。高値の違法薬物を購入できる裕福さがあるということもあるし、売人側もターゲットにしやすいのであろう。魔の手に誘われてしまうケースが、芸能界に多いのは何故であろうか。

 危険薬物や麻薬覚醒剤に引き込まれる芸能人は、どんな人なのであろうか。芸能人であろうと一般社会人であろうと、薬物依存を起こす人は特定の人である。どんな人かというと、欲望に流されてしまい人生の闇に引き込まれやすい人であろう。さらに、人生の目的をしっかり持ちえないし、正しい人生哲学を持てない人である。芸能人はどちらかというと、自分の信念や理念、または正しいミッションを持っている人は多くない。人気を博したい、仕事を失いたくない、収入を確保したい、豊かな生活を失いたくない、そんな自分の欲望を満たしたいという低レベルの価値観に支配されているからだ。だから、常に人気・仕事・収入を失うのではないかという不安・恐怖感を持ち続けている。だからこそ、その不安や恐怖感から逃れる為に、目先の欲望に取り込まれると言えよう。

 一方、薬物依存ならない芸能人は、しっかりとした思想哲学を持ち、仕事の正しい目的を持っている人である。自分の仕事は、多くの人々の支援によって成り立っているのだから、感謝の心を忘れてはならないし、その人々を裏切ってはならないと心に強く決めている。つまり、自分の利益よりも周りの人々との関係性を非常に大切にしているのだ。さらに、自分の仕事は多くの人々たちを幸せな気持ちにしたり多くの気付きや学びを提供したりする貴重なものなので、けっして手抜きや誤魔化しはしてはならないと考えている。つまり、自分の仕事は社会貢献であり、全体最適を目指すものでなければならないと自覚しているのである。こういう芸能人は、人気を無くすことはけっしてない。

 このように、薬物依存もそうであるが、芸能人生活を破たんさせるのは、本人の芸が人々から受け入れなくなった訳ではなく、自分の価値観が低劣だからなのである。薬物依存になった芸能人を分析してみると、このことが明確になる。豊かな才能や技術があっても、自分の損得や利害を優先させて仕事をしている芸能人は、けっして活躍が長続きしないし、家庭生活も破たんする。芸能人は、私生活もしっかりしなければならないなんて無茶なことは言わないが、貪るように欲望を求めるような芸能人は大成しない。一時的に人気を博すことはあっても、必ずと言っていいほどタレントとして行き詰る。ある意味、ストイックな生き方をすることが、薬物依存に陥らない秘訣である。

 芸能人は、芸を磨くために遊びが必要だという格言が、今でも信じられている。確かに、いろんな遊びや経験をすることで、芸の深みや肥しとなるケースが多い。江戸時代の歌舞伎役者が、芸を極めたいと危ない火遊びをして、歌舞伎界から追われた例が少なくない。しかし、それも単なる火遊びのつもりがどっぷりと愛欲に溺れてしまい、身を滅ぼしたのである。自分の家庭や芸の道を滅茶苦茶にするまでに火遊びをするというのは、芸の肥しになる筈がない。ある程度の欲望までは許されるが、貪欲はその身を破滅させる。危険薬物や麻薬覚醒剤は、人間の欲望に関連する脳内ホルモンであるドーパミンを大量に分泌させる。だから、強い依存性があり、その欲望が肥大化してしまうのである。

 日ハムの大谷選手の私生活は実にシンプルであり、ストイックな生活をしている。中年になりながら世界に通用するプレーを続けるイチローも、ストイックな生き方をしている。40歳を超えても現役にこだわり続けるキングカズもストイックな食生活をしている。C・ロナウドもストイックなトレーニングと生活を続けているという。芸能人も一流を続けたければ、ストイックな生き方をしなければならないと思う。そして、全体性と関係性を重視するという価値観を持つことが必要である。そうすれば、煩悩に支配されることもなく、薬物依存に陥ることもけっしてないだろう。芸能世界から、薬物依存を一掃するには、これしか方法がないと確信している。
君の名はブームが起きた訳 [2016年10月20日(Thu)]
 新海誠の最新作『君の名は。』が、大ヒットしている。邦画でこんなに興行収入が上がったのは、ジブリ映画以来だという。昔からの新海誠ファンにとっては、いつものエンディングと違うし、こんなにもメジャーになっては困るという複雑な心境もあり、この大ヒットを苦々しく思っている人もいるらしい。また、TVCMやマスコミにつられて見に行ったが、詰まらなかったという感想をもらす人もいる。一方で、一度だけでなく数度に渡りこの映画を鑑賞するファンも少なくないという。私も、二度観に行ったが、何度観ても面白いし、また鑑賞してみたいと切に思う。どうして、こんなに評価が違うのであろうか。また、こんなにも大ヒットしたのは何故なのだろうか不思議である。

 何十年前にも「君の名は」というラジオドラマが大ヒットし、当時放送している時刻ともなると、銭湯ががらがらになったという逸話が残っている。その後、佐田啓二と岸恵子で映画化されて、やはり大ヒットした。岸恵子が劇中で見せたマフラーの巻き方が社会現象となり、真知子巻きと呼ばれたらしい。このマフラーの巻き方が、またもや流行しているらしいというから驚きだ。新海誠の『君の名は。』は、主人公の二人が高校生であり、その不思議な出会いを描いている純愛物語という捉え方が主流である。しかし、一方では新海誠という監督は、もっと深い意味をこのラブストーリーに重ねて描いているのではないかと、考える映画ファンも少なくない。人間や宇宙の根源に関わる問題を、この映画で描き出そうとしたのではないかというのである。

 この映画のテーマは「むすび」である。このむすびというのは、漢字表記では産霊(むすび)となる。誕生や生成、合体や統合も意味するし、出会いも含まれるであろう。巫女である祖母の一葉は、むすびは出会いや別れも意味すると説明している。彗星が分れたのもむすびであるし、あらたに産まれた隕石もまたむすびなのであろう。この物語の地方では黄昏時のことを「かたわれどき」と呼んでいる。たそがれとは「誰そ彼」から出た言葉であり、薄暗闇で誰か解らないという意味だと言われている。しかし実は「自分と他人の区別がつかない時間」をも意味しているのではあるまいか。元々、我々は『自他一如』であり、相手と自分は一つである。この「かたわれどき」に私たちは他人との区別がなくなり、元々ひとつであったものが再び交わるひとときを、このように表しているように思う。

 「むすび」とは、関係性とも読み解くことが出来ると思われる。量子物理学においては、素粒子どうしの関係性によって、物体が成り立つし、人間の意識によってそれが変化するということが実験によって確認されている。宇宙そのものも、システムという関係性により成り立っているし、我々の社会もまた関係性により成立していて、全体最適を目指している。関係性がなければ、我々人間そのものが、この宇宙には存在しえない。したがって、この映画でいう「むすび」が、すべての生き物だけでなく物質の根源だと捉えることができよう。新海誠は、この映画で「むすび」という言葉を使って、我々に関係性の重要性を示したかったのではあるまいか。

 現代は、関係性が希薄化していると言える。身勝手で自己中心的な人間が増えているせいか、自分の損得を考えるあまり、他人への思いやりにかけるきらいがある。自分の利益だけを考え、利他の心が忘れ去られている。当然、相手との関係性は悪化して、家族、会社、地域、国家などのコミュニティが崩壊しつつあると言われている。人々は人間本来の生き方である、良好な関係性と全体最適性を求める人生観を忘れ去っているように思える。しかし、人間の潜在意識は関係性の大切さをけっして忘れていない。だからこそ、深層無意識においては、他人との関係性を求めているのである。関係性の大切さを切々と説いているこの「君の名は。」という映画に、人々はこんなにも熱狂するのである。

 主人公の瀧と三葉は、ソウルメイト(魂の伴侶)であろう。それも、ソウルメイトの中でもより繋がりの深いツインソウルに違いない。だから会ったことさえないのに、お互いに求め合うのである。山下達郎がプロデュースし、竹内まりやが切々と歌う「シンクロニシティ」のような不思議な出会いが起きたのである。量子力学のアカデミーでは、この世界は多元宇宙によって複雑にからみ合っていて、時空間が交わり合うことで、質量を持たない素粒子どうしが、時空の違う世界に存在するであろう質量を保証する素粒子との関係性によって物質が存在するのではないかと考えられている。前世での出会いは、今世でもまた出会い、来世でも時空間を超えて出会う。それは、「むすび」という関係性によって保証されていると言える。この映画を観ることで、関係性の大切さを思い出してほしいと切に願うものである。
T容疑者の愚行と母親の謝罪会見 [2016年09月01日(Thu)]
 T容疑者の母親である女優J子の謝罪会見に対して、批判が集まっている。特にレイプの被害者の方とその家族たちは、大きな憤りを感じていることだろう。何故なら、あの涙がレイプ被害者の悲しみ苦しみに寄り添ったものではなく、ただ愛息の可哀そうな境遇に共感した涙だと思われたからである。確かにそういう捉え方もあろう。母親として息子をしっかり育てられなかった無念、そして悔恨の涙であったかもしれない。その前に、人間として被害者女性にとんでもない大きな心の傷と身体的な傷害を負わせてしまった責任を感じるべきだったし、被害女性の方に対しての謝罪と共に、一生をかけてどんな償いでもしていく決意だと述べるべきだったろう。

 このようなレイプ事件が起きる度に思うのだが、どうして世の中の男性というのはこんなにも女性の尊厳を傷つけるようなことを平気でするのだろうという疑問である。もしかすると社会的な風潮として、女性の人権やプライドを認めないという価値観があるのではないかと思うくらいである。だから、女性を商品扱いにした風俗やAVがなくならないし、売春だってなくならないのである。勿論、そういう性風俗で働かざるを得ない若い女性の貧困というバックグラウンドはあるにしても、それを利用したいと思う低劣な価値観を持つ男性がいるということが信じられないのである。

 T容疑者が、相手女性の気持ちを慮ることなく卑劣な行為に及んだのは、男性の欲望を受け止め奉仕するのが女性だと言う、男尊女卑の感覚があったのではないかと想像する。それは、とりもなおさず日本における性風俗の影響を強く受けた結果ではないだろうか。または、男女共同参画社会と言われているものの、まだまだ女性に対する男性の優越感が残っているせいではないかと考えるしかない。女性に対して、一生消える事の無い傷を残してしまったのである。こんなひどい事をする感覚が、日本男性の低劣な価値観にあるとしたら、我々大人が自分の息子たちに、女性の尊厳を守り育てるという教育をしてこなかったことに起因しているのだから、おおいに反省すべきであろう。

 私には3人の愚息がいる。彼らが高校を卒業して、親元を離れて大学に進学する際に必ず伝えたことがある。正面に見据えるように息子を正座させ、以下のことをそれぞれに話した。「いいかい、良く聞くんだよ。女性というのは、男性よりも身体的にもか弱い存在だし心も繊細に出来ている。だから、男性は女性のことを、身を挺して守ってあげなくてはならない。ましてや、自ら女性の身体や精神を傷つけるようなことをしてはならない。例えば、無理やり力ずくで女性を意のままにしたり、お金を支払って自分の思うとおりに女性の身体を弄んだりしてはならない。女性の尊厳を傷つけるようなことをしてはいけない。さらには、ひとときの快楽の為に、愛情もなく相手との交わりを求めてはならないし、堕胎をするようなことは女性の身体と心を傷つけてしまうから絶対に避けなくてはならない」と言い聞かせた。

 こういうようなことを息子に伝えるのは、やはり父親もしくは叔父、さらにはご近所に住む父親の代役でなければならない。私はwifeからの頼みもあって、離れて暮らす息子たちに言って聞かせたが、自分の価値観が同じでなければ、こんなことを言えないし、そうではなければ説得力はないだろう。女性と男性の性交渉というのは、お互いの単なる欲望を満たす行為ではなく、お互いのすべてを受容し寛容する行為でもあるから、深い信頼と尊厳をお互いに持たなくてはならない。そうでないと、性交渉時の真の喜びをお互いに持つことが出来ない。相手のすべてを許し受け容れる気持ちがないと、性交渉を持ってはならないということも伝えた。

 T容疑者は、おそらくこういったことを父親、もしくは父親代わりの男性に説教されたことがなかったに違いない。もし、そういう教えを受けていれば、こんな愚かなことをすることはなかったことだろう。学校では性教育を今は小学生から始めるという。望まない妊娠を避ける為に、避妊することが大切だということを教えるらしい。確かに、避妊方法を知ることは必要だが、もっと大切なことを子どもたちに伝えるべきだと思う。性交渉は欲望を満たすための行為ではないこと、女性の尊厳を守ることの大切さ、傷つきやすい女性の身体と心を男性は身を挺して守ることを、丁寧に教えなければならない。こんな不幸を二度と起こさない為に。
きれる原因(脳科学と医学的考察) [2016年08月17日(Wed)]
 現代人は、すぐ切れると言われている。会社の中にも、以前からみるとすぐに感情を爆発させる人や逆ギレするような社員が増えているのは確かだ。地域にもそういう人が多いし、お店なんかで大声でキレまくっている人をよく見かける。どうしてこんなことでキレるのか、まったく理解できないような些細な事でキレる人が多いし、いきなり不機嫌になって無視したり黙ってしまったりする人間も見かける。名だたる政治家や企業人もキレる。本人も、自分がキレたと認識していないから、反省もしないし改善しようともしないから始末が悪い。どうして、こんなにも簡単にキレるのか、脳科学的に原因を探ってみたい。

 まず、すぐにキレる人の脳の構造面であるが、前頭前野が未発達だと言われている。前頭前野というのは、人間の本能的な脳(欲望・感情・生存本能等を司る大脳辺縁系)をコントロールする脳の大切な部分である。いわば、倫理感、博愛、慈悲、正義感という成熟した人間が持っている価値観を持つ脳でもある。すぐにキレるような人間は、この前頭前野が未成熟だという。だから、自分の思いと違うことを言われたりすると我慢できず、すぐに感情的になり反発する態度をするのであろう。前頭前野の未発達は、親による養育環境にも影響するが、煩悩に流されてしまう自堕落な生活をしていると起きるとも言われている。

 さらに脳内神経伝達物質、いわゆる脳内ホルモン的にみると、セロトニンという脳内ホルモンが少ない人がキレる。セロトニンというのは、幸福ホルモンと呼ばれるもので、うつ病の発症にも関係している。セロトニンが少ないと、人間は満たされない思いが強くていつも不満を持つようになる。当然、不幸感が強くて抑圧感があるものだから、ちょっとした不満でもキレるのである。セロトニン不足は乱れた食生活にあるとする専門家が多い。また、自己中心的で利己的な生き方をしていると、セロトニンが不足して不幸感が強くなるとも言われている。

 もう一つ現代人がキレる要因がある。それは、現代人の食生活や嗜好品などの生活習慣にあるという。朝食を食べないで、駅の売店やコンビニにて、炭水化物や糖分の多いジャンクフードやファストフードで朝食代わりの食事をする人。中には、糖分の多い飲み物で済ます人もいる。空腹の低血糖時に糖分や消化しやすい炭水化物などの高GI食品を摂ると、急激な血糖値上昇が起き、インシュリンが必要以上に分泌される。すると、インシュリンが過剰効果を起こしてしまい、すぐに脳の低血糖状態になる。人間は空腹になるとイライラする。これがキレるひとつの要因だと言われている。糖分の多い菓子や飲料水も血糖値を不安定にする。乱れた現代の食生活が、なおさらキレる原因にもなっている。

 このように、脳科学や医学的な観点でキレる原因を突き詰めていくと、キレる原因を人間は普段の生活において、自らが生み出しているということになる。ということは、食生活を見直して生活習慣を正常にして、しかも普段からストイックな生活をすることで、前頭前野を鍛えれば、キレる性格が改善するということになる。「食育」の大切さや煩悩の克服などの家庭教育を取り入れていかないと、この世はキレる人間ばかりになってしまう怖れがある。キレる人間は、自分と関わる相手を怒らせてしまったり、家族どうしの争いを起こしたりしてしまう。企業では、キレる社員ばかりだと生産効率が落ちてしまい、多大な損失を会社に与えることになる。そうならないように、キレる原因を深く理解して、食生活も含めた生活習慣を正しくすることと、正しい生き方をする為の価値観を身に付けないと、日本という国を危うくしかねない。
あなたはうつ病ではない! [2016年05月29日(Sun)]
 気分障害で苦しんでいる人が激増している。何らかのメンタル不全により休職したり休学したりしている人の数は、なかなか実数を把握しにくいものの、おそらく50万人は下らない筈である。うつ病と診断されて治療を受けている人は、100万人を超えていると言われているし、生きるのが辛いと感じている人は、おそらく10人に1人程度の割合でいる筈だ。こんなにも多くの人々が気分障害で苦しんでいて、何らかの形で医療機関やカウンセラーによる治療を受けているにも関わらず、完全治癒するのはごく僅かである。うつ病の薬としてSSRIが登場した際には、これで多くのうつ病患者が救われると思った関係者も多かったことだろう。しかし、投薬によって症状が少しは改善することがあっても、完全に治癒することは殆どないのが実情なのである。

 何故、うつ病がカウンセリングや投薬によって改善しないのかと言えば、うつ病という診断がそもそも間違っているからに他ならない。うつ病と診断されて治療を受けている人の中で、うつ病を専門にしている精神科医の治療を受けている患者はごく少数である。殆どのうつ病患者は、一般内科医、またはうつ病などを専門にしていない精神科医の治療を受けている。であるから、誤診が起きてしまうのである。うつ病の診断は通常何で行われるかと言うと、DSMと呼ばれる診断基準表によって診断されていて、ごく簡単な問診によって行われている。ここに、大きな問題があるのだ。

 何となく気分の落ち込みが酷く気力が湧かない、または悩みや苦しみによって職場や学校に行けないからと、医療機関を受診する。そこで、うつ病の専門医でない医師は、DSMの問診結果だけで、うつ病と診断する。そして、安易にSSRIなどの投薬を行うのである。しかし、うつ病の専門医ならば、もっと詳しく問診を実施したり脳波検査などしたりすることで、うつ病の除外診断をする。そうすると、うつ病と診断された患者のうち、なんと約9割の人が適応障害など他の疾患であることが判明するのである。適応障害は抗うつ剤が効かない。だから、うつ病と診断されて抗うつ剤が投与されても効かないのである。

 この適応障害という疾病名は、ある著名な皇族が罹患したことで知られている。職場や学校、または家庭や地域の複雑な人間関係に適応できない人々が陥る、疾病というよりも精神状況の一様態である。故に、投薬は効果がないばかりか、間違った治療によって症状を益々悪化しかねない。効果があるのはカウンセリングや認知行動療法である。それも、従来のような精神分析手法を用いたカウンセリングではなくて、思考の仕方や認知の傾向を改善する治療方法である。長年に渡り獲得した、間違った認知方法や考え方と誤りの価値観・メンタルモデルをきれいさっぱり捨てて、新たに正しい価値観や思想・哲学を学び直すカウンセリングである。

 世の中で広く行われているカウンセリングは、自己否定感を払拭して自己肯定感を自らの心に醸成させるやり方である。または、いかに自己承認力を持たせるかという、付け焼刃的なカウンセリングである。何に対しても自己否定感を感じているから、周りの人々は本人に対して、自己肯定感を持てるようにしなさいと助言する。傾聴と共感、そして承認が大切だと説く。これがそもそも間違いなのである。これでは、適応障害はいつになっても改善しない。勿論、傾聴と共感、そして承認は、ある意味必要である。しかし、それは本人がとことん自己否定をしてからのことである。中途半端な自己否定では、真の自己肯定感は獲得出来ないのである。

 そもそも、適応障害を起こすのは、周りの人々が自分に対して寛容や受容の態度を示さないからである。そのように自分が他人から受け容れられないのは、相手にも原因はあろうが、本当の原因は、自分の価値観、またはメンタルモデルが低劣で正しい哲学を持ち得ないからである。けっして逃げることなく自分の心と対峙して、自分の愚かさや身勝手さ、そして煩悩に支配された自己、そういうマイナスの自己を認め、とことん自己否定したうえで、本当の正しい自己を確立しない限り、適応障害を卒業することは叶わない。一旦とことん沈んでから浮き上がる姿を連想させることから、「U理論」名付けられている。あなたはけっしてうつ病ではないのである。そのことを認識して、正しい価値観、思想哲学を身に付けながら自己マスタリーをすれば、適応障害を必ず乗り越えることが出来る。
アベノミクスという大失政 [2016年03月06日(Sun)]
 アベノミクスという名の景気浮揚策は、一時期は成功したように見えたものの、日本の景気は一向に良くならず、結果としてアベノミクスは多くのエコノミストから完全な失敗だったと酷評されるに至っている。安倍総理が自ら命名したアベノミクスという経済政策は、安倍政権のブレーンである経済学者が指南したのだと思われる。経済成長期のエコノミストなら、その打つ手がことごとく成功していたことであろう。しかし、現代のような複雑でグローバル、フラット、しかもコモデティ化した市場経済においては、経済政策や金融政策を的確に予測して提言できるエコノミストは皆無なのである。何故なら、今までの経済理論や金融理論が、今の市場経済にはまったく当てはまならないからである。

 経済成長期の市場経済ならば、旧来のマクロ経済政策の理論が見事に合致して、効果が現れたことだろう。しかし、現在のように実体経済と金融経済がそれぞれ独立していて、多くの投資家やファンドマネージャーの動向によって国家経済が左右されてしまうような時代には、アベノミクスのような国家による小手先だけの金融政策や経済政策では、まったくその効果が生まれないのは当然である。しかも、アベノミクスは金融政策によって実体経済を良くしようなんて、とんでもない愚策であるのだから、日本の経済はけっしてよくならないばかりか、庶民の暮らしはどんどん悪化するばかりである。御用学者であるエコノミストの諫言に乗り、とんでもない間違いを起こしてくれたものである。

 政府による金融政策や経済政策によって実体経済を良くしようというマクロ経済学では、もはや大きな効果は望めない。まずは実体経済である企業を元気にしなければ、国の経済が好況になることはない。つまり、ミクロ経済学者であるシュンペーターのような学者の経済理論こそが、今の世の中に必要なのであり、ケインズのマクロ経済理論は時代遅れなのである。ドラッカーが説いたように、それぞれの企業が画期的なイノベーションを起こして、新たな価値創造と顧客を自ら生み出さなければ、企業経営は上手く行かないし好況には転じない。政府は金融政策や経済政策よりも、それぞれの企業のイノベーションを支援する政策を実行することが求められている。しかも、大企業ではなくて中小企業に対する支援こそが有効なのである。

 安倍政権は、先ずは大企業の輸出が増加をして収益を上げることで、下請け企業にも利益が移転し、その効果で賃上げが起きて内需が拡大するだろうと予測していた。そんな馬鹿な理論を信じたのは政治家があまりにも無知だからであろう。またそんな愚かな経済政策を進言したエコノミストも勉強不足である。政府は大企業に対して、株価を上げさせるために、収益が上がったら高配当をしろという指示を出している。大企業の高利益が配当や経営者の報酬に消えて、新たな設備投資や賃金に反映しないのは当然である。自分たちの利益しか考えない大企業の経営者に、下請け企業への利益移転や賃上げをしなさいといくら叫んでも、実現する訳がない。

 世界労働機関は、富や賃金の一極集中ではなくて、再配分機能を働かせて多くの市民国民がそれなりの所得を受け取ると内需が拡大して、国内経済は活況を呈すると主張している。アベノミクスによって、富める者はさらに富み貧しき者はさらに貧困化した。ここ1年間で1億以上の資産を持つものが激増したという。その裕福さの陰で、生活貧困者が激増しているのである。これでは内需が拡大するどころか、益々縮小せざるを得ない。経済統計から判明したことだが、実際に内需が激減しているから景気が低迷しているのである。自民党政権は、富や賃金の再配分化に逆行する形で政策を立案実行している。アベノミクスが景気を後押ししているどころか、足を引っ張っているのだ。

 日本の経済を支えているのは、圧倒的な数を誇る中小企業である。大企業優遇のための金融政策はもう止めて、中小企業の振興策支援策を打つべきであり、富と賃金の再配分策を進化させることが求められている。中小企業が真のイノベーションを起こせるような手立てが必要だ。イノベーションというと単なる技術革新だと思われがちだが、まったく違う。シュンペーターが説いたイノベーションとは、異質な価値どうしの統合による新たな価値の創造であり、今までにない新たな顧客を創り出すことである。この中小企業が自らイノベーションを起こせるような支援と、国民全体への富や賃金の再配分こそが、経済再生つまりは好景気への近道なのである。今こそ、勇気を持ってアベノミクスから撤退すべきなのである。
1人予約のゴルフで酷い目に [2015年12月19日(Sat)]
 昨日、いつも楽しんでいるお一人様ゴルフ(ネットで1人予約するゴルフ)をしましたが、こんなにも最低のマナーで参加する人が世の中にはいるもんだと、びっくりポンでした。今まで30回くらいはお一人様のゴルフを経験していますが、こんなにも酷いマナーのゴルファーに会ったのは初めてです。先ず、こんなにも下手なのによくぞお一人様に参加したもんだと呆れるほどの腕前。あげくの果てに、スロープレーの連続。しかも、マナーやエチケットも知らないのか無視しているか解りませんが、ゴルフをやる資格がないとい程度の悪さです。

 けっして若い人ではありません。50代の後半というような年齢で、それなりの分別を持ったような人です。話すことは、いたってまともですし、礼儀だってそんなに悪くはなさそうです。しかし、ことゴルフのマナーは最悪です。先ずは、腕前は120前後でしょうか。ボールがあっこっち行くし、チョロやダフリは当たり前、尺取虫みたいです。第二打目からOBを何発も出すし、ボールを捜しに行くのにクラブは持たないし、自分の番になるまでにショットの用意はせず、いざ打つ段になってからクラブを変える為にカートに戻ります。

 グリーン上でも人のラインは平気で踏むし、ライン上に自分のマーカーがあってもお構いなし。自分のプレーに集中しているのか、他のプレーヤーのナイスショットに声かけもなく、ぶつぶつ何かつぶやいています。自分のショットがミスをすると、大きな声で悔やんだり怒ったりしています。聞いているこちらが恐ろしくなるくらいに、怒っているのです。さらに止めは、明らかに最初からOBを出すようなスタンスをしていて、予想通りOBを出したティーショット。そのホールはプレーイング4の場所があるのにも関わらず、もう一度打ちますとのたまったのです。

 それでなくてもスロープレーだとカートのナビから注意を受けていますし、前の組から3組くらい空いている状況にあるのです。プレー4からお願いしますとやや大きな声で言っても聞かないのです。マナー上、拙いし駄目だとやっと言い聞かせました。すごく不満そうにブツクサ言ってました。こうなると自分の心も乱れます。おかげで自分も午前中は何とか冷静を保って45で回ったものの、後半は呆れるやら切れるやらで、51も叩いてしまいました。他の2人も調子を狂わされたのは当然です。

 私は、どんなに酷い腕前の人と回っても、自分を見失わずに冷静にラウンドできるのですが、昨日だけはいささか自分を見失ってしまったようです。冷静になろうとしても、これでもかこれでもかと問題を起こしてくれるのです。自分でも普段はあまり出ないようなトラブルショットをしてしまいました。まだまだ人間が出来ていないんだなあと反省しました。そういう意味では、人間の成長に役立ててくれたのですから、感謝しなければなりません(笑い)

 こういう人は、おそらく会社でも嫌われているし、一人で浮いているのは間違いありません。周りの人の気持ちが解らないKYで、自己中で身勝手なのですから、家族からも相手にされないかもしれません。こういう人は、病気になったり事故で怪我をしやすいのです。案の定、聞きもしないのに、先日高速道路で自損事故で車を全損させたとか。また、お風呂に入ったら下腹部に、縦に真一文字の切り傷。癌の術後だとか言っていたようです。こういう人は、労災事故や交通事故を繰り返すし、病気を繰り返すでしょう。会社や家族がお気の毒です。こういう人が1人でゴルフを予約することも驚きですが、自分が迷惑をかけているという自覚がないというのがすごいです。
愚かな経済政策を見直せ! [2015年11月29日(Sun)]
 アベノミクスと自ら呼んでいる経済政策の翳りが見え始めている。そもそも、アベノミクスは実体経済を軽視した素人同然の政策であり、いずれは破綻するだろうと予想するエコノミストも多かったが、まさにその通りになりつつあるのは、皮肉なことである。金融政策による経済活性策は、一時的な効果はあるものの長期的な好況はもたらすことが出来ないというのは、過去の歴史が示している。民間の設備投資も増加していないし、消費も伸びていないのだから、当然の結果といえよう。さらにここで、とんでもない副作用も見せている。GPIFの運用で、7〜9月期の損失がなんと8兆円近くになるという試算が発表されたのだ。アベノミクスの負の部分が色濃く出てしまった影響である。

 GPIFというのは、我々の貴重な年金基金を資産運用する厚労省管轄の独立行政輪法人である。当然、私たちが将来受け取る年金の金額に大きく影響する。我々が積み立てた年金保険料が目減りするということだから、みすみす我々の積立金をどぶに捨てるような行為だということである。わたしたちが必死で働いて、汗に血が混じるような苦労をして積み立てた年金額がわずか三ヶ月で、8兆円近くが消えたというのは看過できない。GPIFという独立行政法人は、厚労省が管轄している。つまりその職員は、国家公務員と同じである。つまり、民間企業なら運用失敗に対して責任が追求されるが、その個人的な運用責任が問われることはないし、その管理者も責任なんて取らない。

 GPIFの運用を担当する職員は、資産運用の素人だとは言わないが、行政マンというのは基本的に行政の失敗の責任を追及されないし、自ら責任を取ることは絶対にない。ということは、民間の資産運用担当者とは、その心意気において大きな差異があるということである。しかし、運用失敗をGPIFだけに押し付ける訳にはいかない。何故なら、今までの日本における株式相場の好況は、官製相場だったからである。何のことはない、今まで株式相場が良かったのは、GPIFが無理して株の買い入れを行なってきたからである。それも安部政権によって無理強いをされて、株に投資していたのである。それが株価を押し上げてきたのであって、実体経済が良くて株価が上がっている訳ではないから、株価が安定しないのは当然である。

 そもそも、実体経済をどうにかしないと本当の好況にはならないのに、官製相場による株価操作や無理な金融政策による円安誘導だけで、好況を作ろうとする愚策が間違っているのである。マクロ経済を重視したケインズ経済学は、経済発展をしている際には有効であるが、現在のように経済が停滞している状況では無力であることを認識すべきであろう。このようなグローバルでフラットな経済状況の中で、国家による金融政策や経済政策は効果が期待できない。コモデティ化がおきている世界経済においては、マクロ経済政策ではなく、ミクロ経済を重視した支援策が必要なのである。それはシュンペーターが唱えたイノベーションである。それぞれの企業そのものであるミクロ経済を良くしなければ、日本全体の経済は再生しない。それも、日本の中小企業自体がイノベーションを実現して、元気にならなければ日本の経済は活況を呈しないし、国民所得はけっして上昇しないのである。

 イノベーションというと、日本語では単なる技術革新と訳されているが、シュンペーターが説いたそれは単なる技術革新とは違う。本当は「新結合」と呼ばれる、企業における異なる価値どうしの統合による新しい価値創造であり、新しい顧客の創造である。これは、破壊的創造とも呼ばれている。つまり、企業に存在する価値創造の考え方を一度ぶち壊して、新しい価値を創造するのである。TBSTVで現在放映されている「下町ロケット」のように、新しい価値創造であり、新顧客の創造なのである。これこそが日本経済の真の再生であり、本当の好況をもたらし国民所得を向上させるのである。こういう本当のイノベーションを支援する経済政策を国は取るべきであり、現在のような大企業優先の愚かな経済政策は一刻も早く見直すべきである。中小企業が日本の経済を支えているのだから、そこで働く社員たちが所得を伸ばせなければ、日本経済再生の道筋は見えないのだから。
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