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郷土料理の「こづゆ」で正月を迎える [2016年01月01日(Fri)]
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 正月を迎えると、どの家庭でも手作りのお節料理でお客様をもてなす。最近は、デパートや仕出し料理店にお重を依頼するケースも増えているし、ネットで注文する家庭も増えているという。我が家は、今まで一度も出来合いのお節料理を利用したことはない。勿論、スーパーからかまぼこや伊達巻などは買い求めるが、出来るだけ手作りするのが基本だ。何故なら、出来合いの料理は中に何が入っているか解らないからだ。健康と安全のためには、自分で作るほうが絶対に安心だ。今年も、我が家でお節料理を手作りした。

 我が家のお節料理の中で、絶対に欠かせないのは『こづゆ』という会津の郷土料理だ。これがないと正月気分にならない。会津の郷土で長く愛されてきた汁料理である。正月や婚礼などの目出度い席には、このこづゆでお客様をもてなす。どんな料理かというと、根菜類をサイコロのように食べやすく細かく切って、汁物にする。出汁は、干した貝柱だけで取る。さらには、干したきくらげを戻して入れるし、しらたきも短く切って入れる。見た目は地味であるが、一口含んでみるとその美味しさに驚くことだろう。

 なにしろ、見た目には期待できそうもない、何も取り得がない料理である。しかし、食べてみると、その奥深い味わいにびっくりする。干し貝柱を水に戻して出汁を取ったので、その美味しさは際立っているし、煮干や鰹節、昆布などの出汁では出ない、繊細で雑味のない何とも言えない微妙な旨みが、食べた人の味覚を虜にする。見た目は地味であるが、干し貝柱を20個から30個も使用するので、かなり贅沢である。今回は国産のきくらげもふんだんに使ったので、それもかなり高額な材料になる。最近は、中国の干しきくらげしか手に入らないから、純国産のきくらげを豊富に使えない。

 会津の郷土料理は特にそうだが、見た目には何の変哲もないものが多い。しかし、食べては美味しいし、その手の込んだ料理は作り手の愛情が感じられるから、食べた人を感動させる。本物を見分ける舌を持っている人なら、間違いなく会津の郷土料理に魅了されることだろう。今回は、北海道産の干し貝柱をふんだんに用い、奥会津で取れた干しきくらげを大量に使ったので、自分でも自慢できるレベルのこづゆが出来た。元旦に息子夫婦と孫たちが来たが、子どもたちにも安心して食べさせることができる。

 郷土料理というのは、その地域の風土に合い、その土地で出来た産物で作るのが基本になる。ただし、海産物だけは会津で取れないし、冷蔵技術が昔はなかったので、乾物類を用いてきた。ニシンの山椒漬けや棒たら煮などもその類である。郷土料理は、長い年月をかけてその土地に根付いてきたものである。何故、そんなにも長い期間に渡り土地の人々に支持されて伝統料理として残ってきたかというと、そういう郷土料理を食べた人が健康で長生きしてきたからである。そして、元気でエネルギッシュに仕事が出来て、子宝にも恵まれて、子孫も繁栄したのであろう。だから、そんな食文化が形作られたのである。

 ということは伝統的な郷土料理こそが、その土地の身体に合い健康な暮らしを保証してくれたのに違いない。西洋料理や中華料理が日本人には合わないから、食べるべきではないなどという極端な話をするつもりはない。しかし、少なくても日本人のDNAには、和食が一番合っているのは間違いない。しかも、伝統的な郷土料理が日本人の健康維持には適していることは疑いようもない。私も、なるべく伝統的な和食を食べるようにしている。しかも、自分で手作りするのが基本だ。スーパーで作ったものやコンビニで売っているものは、なるべく食べないようにしている。安全安心の食べ物を食べたいからである。

 コンビニやスーパーで売っているものは、すべて危ないなどと乱暴なことを言うつもりはない。たまには出来合いの惣菜だって食べることがある。しかし、コンビニの弁当やおにぎり、大メーカーのパンは絶対に食べないようにしている。添加物がすごいからである。自分で作った弁当を毎日食べている。それも手作りで野菜中心のおかずだ。おかげで、還暦を迎えた今でも、ベスト体重を維持しているし、お腹も出ていない。風邪もひかないし、インフルエンザなどの感染症にもかからず、生活習慣病にもなったことがない。長生きしたいとは思わないが、クォリティオブライフは維持したい。だから、これからも「こづゆ」のような伝統的郷土料理を作って、子孫にこの食文化を残したい。
良妻と悪妻は紙一重? [2014年08月08日(Fri)]
 昨夜、どういう訳か珍しくwifeと言い争いになり、「あんたがもう一度人生をやりなおすんなら、絶対に私なんかは選ばないでしょうから」と言われてしまった。どのような話の流れからそんな話になったのか定かではないが、もし人生をもう一度やりなおせるなら、こうしてみたかったみたい話をつぶやいたのかもしれない。それを聴いたwifeが、私に対して噛みついて、くだんのような台詞になってしまったという次第だ。間髪を入れずに、そんなことはないよ、人生の伴侶はお前一人と決めているから、人生やりなおしてもお前を選ぶに決まっているじゃないか、と気障に言い切れば、きっと小遣い額を上げてくれただろう。が、そういう嘘は付けない正直者の私だ。

 それじゃ、何と答えたのか。変な答え方をすれば、ボーナス小遣いにも響いてしまい、欲しいと思っていたゴルフのキャディバッグを買えなくなってしまうから、事態は深刻である。しかし、馬鹿正直である私は、ついつい本音を言ってしまったのである。「人生をやりなおしたとしても、伴侶としては間違いなくお前を選んだよ」と。それだけで止めておけばよかったのであるが、ついついこう付け加えてしまったのである。「山内一豊の妻のようなお前だからこそ、私は自己成長を遂げられた。だから、私はとても感謝しているのだ」と精一杯の皮肉を込めて言い放った。山内一豊の妻と言えば、一面では良妻賢母と思われているが、猛女とも呼ばれるように夫を支配した悪妻である。きっとwifeのカミナリが落ちるに違いないと身を引き締めた。

 何を隠そう、wifeは職場では『雷神様』と陰で呼ばれて、それはそれは怖れられている存在。自分の意に添わないことや、理屈に合わないことを部下がしでかすと、カミナリを落とす。ドカンと直撃を受けたら、立ち直れないくらいの衝撃である。だから、他部門の職場の人でさえも、雷神様には逆らわないようにしているのだ。それを漏れ聞いた当の本人はというと、至って平気というか、気にするそぶりも見せず、却って自慢しているくらいである。自分から、家庭において『雷神様』と呼ばれているんだと吹聴する始末。そんな大変な雷神様と35年以上も一緒に暮らしている私は何なのだ。自分自身に対して、『お前は我慢強いな』と励ますしかない。

 さて、自分のことを山内一豊の妻と言われたwifeは、烈火の如く怒ると思いきや以外や以外、そんなふうに言われて嬉しいと逆にはしゃいでいる。意外な反応に唖然とした私は、これでいいののだろうかと半信半疑になり、「山内一豊の妻と言えば、あの猛女と呼ばれて、旦那を尻に敷いて悪妻と謳われている人だよ」と、ご丁寧に解説までしてあげたのである。それでも、wifeは、そんな有名人に喩えられて嬉しくて仕方ないというのである。歴史に名を残すような人と一緒にしてもらえるのは、すごく素晴らしいことで、夫をそんなふうに立てて、成長させることが出来るなら悪妻でもいいではないかとのたまったのである。一本取られた格好だ。雷神様は、やはり懐が大きい。

 奥さんはどんな方ですか?と問われた時に、私はいつもこう答える。とても酷い悪妻だと。台所には立ちたがらないから、食事を作るのはいつも私の役目。私の身の回りのことは、洗濯以外は手を出さないから、すべて私は自分でやる。身に付ける物の買い物は勿論、アイロン掛けや裁縫、夏冬物の入れ替えだって、全部自分でやるようになっている。お陰で、wifeが今すぐに家を出て行っても、まったく困らない。家事一切のことなら、何だって私は出来るし、一人暮らしになっても何の不自由もしない。男というものは、悪妻を持つことで、大きな自己成長を遂げることが出来る。良妻なら、こうは行かなかったに違いない。だから、私はwifeに感謝したいと心底から思っている。

 悪妻を持つということは、いろんな意味で不自由さを経験するということになる。しかし、その不自由さを嘆くのではなく、そのお陰でいろんな体験が出来て、様々な技能や知識が身について、人間としての大きな成長が出来るというふうに考えたほうが、理知的であるし楽しい。これは女性のするべきことだと言って、一切手出しをしなければ、経験をせずに終わってしまうし、妻の大変な苦労も解らずに終わってしまう。実際に家事全般を経験してみれば、専業主婦の大変さが理解できて、感謝の気持ちも湧こうというもの。家事や料理をすることで、イマジネーションや創造性さえも深まるし、精神的な成長も得られる。そういう意味で、良妻と悪妻は紙一重であり、良妻よりも悪妻を娶るのもなかなかいいものである。
ニシンの山椒漬け [2014年04月19日(Sat)]
 春の味覚、『ニシンの山椒漬け』を作りました。山椒がようやく芽吹いてきましたので、早速山に行って山椒の若芽を摘んできました。山椒はまだ芽吹いたばかりで柔らかく、香りも爽やかです。もう少し大きくなったほうが、味と香りは強くなりますが、待ちかねて採取してきました。
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 ニシンは身欠き鰊のことですが、あまり硬く乾いた上乾きでなく、やや柔らかい鰊の山椒漬け用のものを使います。この料理は会津伝統料理で、会津には山椒漬け用の身欠き鰊が売っています。ここ白河ではあまり売っていないのですが、生協が会津の支店なので販売しています。このニシンは中骨が除去してあるしうろこも取ってあるので、最高です。
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 まずは、漬けたれを作ります。お酒、味醂、酢、醤油、砂糖を適量混ぜ合わせて、火を通して沸騰させます。この漬けタレを冷ましておきます。ニシンの尾と頭を取って、温湯でよく洗って油と臭みを落とします。その後、器に並べて山椒を敷き詰めながら何層にも並べます。そして、漬けタレをたっぷりとかけて、ひたひたにして冷所に保存します。約10日から2週間置きますと、よく漬かりまして食べごろになります。
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 一口大に切って生のまま食べます。薄く削ぎ切って、野菜と合わせてオリーブオイルをかけて、カルパッチョにしても美味しいです。また、少しだけあぶってもまた違う美味しさが出ます。生で食べるのが最高で、酒のつまみに本当に合います。山椒は殺菌効果もあるので、結構日持ちします。本当は、本郷焼きのニシン鉢で作るのが正式ですが、とても高価なので、なかなか手に入りません。昔は、田植えの手伝いに来た人たちをもてなす為に作ったのです。伝統的日本料理は最高です。
料理をする人は長生きする [2013年12月01日(Sun)]
 先日あるバラエティ番組である評論家が言っていたのだが、料理をよくする人は長生きするそうである。ネットで調べてみたら、その情報の出所はどうやら台湾の国立衛生研究院らしい。台湾とオーストラリアの共同研究により、導き出した法則だという。台湾の65歳以上の男女を対象にしてアンケート調査をして、このような結果が得られたという。週に5回以上家庭で料理する人は、それ以外の人と比較して明らかに死亡率が低かったという。それも、自分だけの為に料理する人よりも、家族の為にせっせと料理した人のほうが、死亡率が低いという結果も出たという。つまり、料理好きの人は長生きするということが判明したということである。

 それでは何故料理をする人が、長生きするのであろうか。番組では、料理をする際に頭脳を使うからではないかと言っていた。つまり、どんな材料を使うのか、どこで仕入れて、さらにはどんな料理にするのか、どのような調理方法がいいのか、どうやれば美味しくなるのか、というふうに盛んに頭を使うからではないかというのである。確かに一理あると思う。私も週に5回どころか、365日台所に立って、家族の朝昼晩のおかずをこしらえている。しかも、出来合いの惣菜やインスタントの製品、冷凍食品は使用せず、野菜を素材にした手作りの料理が中心である。さらに、手を換え品を換え、和洋中の様々な料理を作っている。お昼の弁当なんぞは10種類程度のおかずが弁当箱に鎮座する。買い物もするから、当然頭をフル稼働させている。認知症にもけっしてならないだろう。

 料理による長生きの要因は、これだけであろうか。私は、もっと他にあるように思う。確かに、料理は頭脳をフル活用することもあるが、特に感受性と想像性を発揮するということもあるように感じる。素材をどう生かすかという点では、素材と対話するし、素材から教えを請うのである。つまり、料理は感受性や想像性を発揮しないと、美味しい料理は作れないし、食べる人を感動させられない。素材そのものが、どうしたら美味しい料理になるか、料理人に語りかけてくれる。調理している時にも、材料がここで熱を加えるのを止めてと、訴えかけてくるように感じるのである。だからこそ、繊細な感性やイマジネーションが必要なのである。

 さらに、美味しい料理を作るには愛が必要である。つまり、美味しい料理や食べる人が求めている料理を作る為には、愛という調味料というか隠し味が求められるように思う。つまり、食べる人の気持ちになりきり、喜んでもらえたり幸せな気分になったりしてもらえるように、精一杯心を込めて作る。つまり、自分じゃない他人の為に、精一杯心を動かすのである。そして、それが実現して美味しいと言ってもらえたら、このうえない幸福感を感じるのだ。セロトニンが大放出して、至福感に包まれる。料理は、やっぱり愛だよなと実感するひとときである。こういう感覚を味わうことが出来るから、長生きするのではなかろうか。

 このように料理をすることで、長生きでしかも幸福を感じながら人生を送ることが出来る。私は今から15年前くらいから、台所に立つのを日課にしている。wifeはあまり料理をしない。元々料理が好きではないみたいで、私が台所に立つようになってからは、余程でないと包丁を持とうとしない。実は、ここだけの秘密であるが、ある計画を実行中である。計画殺人の完全犯罪である。美味しいものを腹いっぱいwifeに食べさせることで、少しずつ生活習慣病にさせて、早く逝かせて独身になり人生を謳歌するという遠大な計画である。しかも、料理をさせないから、絶対に早死にする筈である。しかしながら、私の作る料理は旬の野菜を中心にしたヘルシーメニューだから、この計画は一向に進捗しない。実に残念なことである。
食材の誤表示、お前もか! [2013年11月01日(Fri)]
 阪急阪神ホテルグループに端を発した食材誤表示事件は、全国的な広がりを見せている。超有名な老舗ホテルでも同じような誤表示があったことを認めるに至り、お前もそうか!と驚きを隠せない。これらの誤表示は、単なる勘違いやミスであり、意図して表記を誤魔化した事実はないと主張しているが、こんな言い訳を信用している人は皆無であろう。一流ホテルのコック長や責任者ともなれば、毎日メニューと食材のチェックをしない筈がない。もし、チェックをしなかったとしても、味見は必ずしているのだから、食材の間違いに気付かない訳がない。もし、万が一味の違いに気付かなかったとしたら、潔く料理の世界から身を引くべきだ。盗人猛々しいとは、こういうことを言うのだ。

 それにしても、一流ホテルの直営レストランと言えば、ホテルの顔である。毎日の宿泊客だけでなく、宴会や結婚式の料理も提供している。当然、一流の食材を用いたメニューと価格設定になっている。だとすれば、食材を偽って提供したとなれば、騙して本来の高価な代金を頂いているのに、安い食材を使ったのだから詐欺罪に該当するであろう。これだけの食材だから仕方ないと思い、高額の料金を支払っているのである。その食材が違うというなら、料金をすべて返却してお詫びするのが礼儀だろう。誤表示だなんて、のうのうと記者会見している場合ではない。当該のお客様を一軒一軒訪問して、返金とお詫びをするのが筋であろう。

 自分は、とてもそんな高級ホテルで食事なんか出来る身分ではないから、騙されたことはない。そもそも、あんな高額を支払ってまで、高級ホテルで食事をしたいなんて思いもしない。さらに、外食はどんな食材や調味料、そして食品添加物が含まれているのか解らないから、なるべくしないようにしている。出てきた料理はそこそこに美味しいかもしれないが、自分で作った料理だってそんなに遜色がないと思っている。そんじょそこらの食堂やレストランで作った料理よりは、遥かに美味しい料理を作っていると自負している。ましてや、ファーストフード店の食事やコンビニの弁当なんて、化学調味料や添加物まみれであり、毒を食べるようなものだから、けっして手を出さない。

 しかし、実に可笑しい話だ。一流の高級ホテルでディナーを食べるような人たちは、言わば食通の人たちである。だからこそ、敢えて高級ホテルの超有名な料理長が作る料理に舌鼓を打っていたのである。そして、メニューの食材を見て、「さすがにいい食材を使っているな」なんてことを言いながら、料理を褒めちぎっていたのだ。ということは、偽の食材を使っても料理の腕がいいから解らなかったのか、もしくは料理の味なんて解らない程度の味覚しか持たなかったのかのどちらかであろう。誤表示だった食材を見てみると、明らかに食べた人の味覚に問題があったと言うしかない。そして、お客の味覚は騙せると料理長だって解っていたのである。

 食材というのは、料理をするうえでは味わいを決める重要なファクターである。ましてや、日本料理においては食材の味そのものを生かしたり引き出したりする味付けをする。当然、食材そのものの味が料理の旨さを決定付けるといっても過言ではない。フランス料理やイタリア料理、中華料理だって基本的には同じだ。私が料理する際には、地元の直売所から旬の新鮮な野菜でしかも味の良さそうなものを選んで買う。そういう野菜は、たいして手をかけなくても、野菜本来の甘みや旨み、素晴らしい香りと食感を提供してくれる。だから、毎日食べても飽きないし、家族は勿論いろんな人に食べてもらっても、また食べたいと言ってもらえる。本来、料理というものは食べる人の幸福を願って作る筈である。だからこそ、食べた人が感動するくらいの料理を提供できるのだ。それゆえに、まともな料理人であれば、食べる人を騙す食材誤表示をすることなんて、絶対にあり得ないのである。
味オンチ [2013年03月26日(Tue)]
 正常な味覚を持たない人が増えているという。なんと社会人の3人に1人は、料理の味が解らないらしい。つまり味オンチだと言うのだ。若者は、もっと酷いらしい。東京ガスが大学生と高校生に味覚のテストを実施したところ、大学生の52%、そして高校生の67%に味覚障害が認められたという新聞記事が掲載されたいた。若者は微妙な味や繊細な味が解らないという。とすると、若い人たちが有名店に行列を作っているが、本当に美味しいのかどうか解らないということになる。また、ネットで評判がいい店があるが、甚だ怪しいし、宛にならないということになってしまう。

 何故もこんなに味覚障害が増えているかというと、味の濃いジャンクフードやファーストフード、または化学調味料まみれのインスタント食品を好む食生活に起因しているからではないかと見られている。それもあるが、家庭においておふくろの味というべき手作りの料理が少ないからという理由も考えられる。弁当もコンビニや仕出し弁当を好んで食べる若者が多いし、面倒な弁当を作る母親も少ない。「やばい!」「ビミョー」という貧弱な語彙でしか美味しさを表現できない若者が増えているのも嘆かわしい。家族全員が揃った食卓で、美味しさを繊細な表現で伝え合うという経験がないのである。

 街で評判になっているお店で食事すると、以外と美味しくないことが多い。素材の美味しさを上手く引き出すことが出来ていないし、余計な味付けをしていて旨みを殺していることも多い。美味しいと若者たちで混雑しているラーメン店で食べると、化学調味料で舌がびりびり痺れる。一般的に、若者に支持されるお店は味が濃いし、化学調味料で味を誤魔化しいる場合が多い。そういえば、最近のスナック菓子も味付けが濃いし、辛味が異常に強いものが多い。これでは、味覚が麻痺するのも頷ける。微妙な味の違いを感じないのは当然であろう。

 若者たちが好むのはスナック菓子だけではない。毎日、習慣のようになっている缶コーヒーや炭酸飲料もまた、味覚障害に一役買っている。特に冷たいものは、甘みをあまり感じないので糖分が多く含まれていることを知らない人が多い。これから夏に向けて、水分代わりに冷たいコーヒーや炭酸飲料を飲むに違いない。益々味覚障害を助長することになる。そういえば、我が社の社員の中にもカップ麺を好んで食べる者が多い。化学調味料や添加物が大量に入った、あんな危険なものをどうして好むのか知らないが、命知らずと言えよう。こんな食生活を続けていたら、味オンチだけでなく、生活習慣病まっしぐらである。

 こんな味オンチたちは、味覚異常なのだから本物の料理の味を知らない。ネットや雑誌で取り上げられたら、無条件に美味しいものだと思い込み、行列を作るのだ。自分の舌に自信がないのだから仕方ないが、実に嘆かわしい。人気のあるレストランや料理店の店主やコックさんにだって味オンチが居ないとも言い切れない。自分の味覚を磨いていかなければ、本物の料理を楽しむことが出来ないのである。天然水を飲んで、その甘みや微妙な渋みを感じることが出来るだろうか。甘みのある野菜とそうでないものを、区別することが出来るだろうか。自分の味覚を試してみてほしい。

 少なくても自分の子どもたちには、小さい頃からなるべく手作りの本物の料理を食べさせてきたつもりである。勿論豪勢な高級料理ではなく、何の変哲もない家庭料理である。取れたての新鮮な野菜をふんだん使った、伝統的な和食料理である。だから、子どもたちは、どんな調味料を使ったのかとか、隠し味に何を使用したのかも解るようだ。お父さんの作った料理が一番美味しいと言ってくれる。食べることの喜びや素材の旨みを感じたり、食材やその食材を作る人に対する感謝の念を持つことも教えてきたつもりだ。それが、一人前の大人になるための大切な『食育』であるし、味オンチにならない為の親から子への大きな遺産だと思っている。
鍋帽子は優れもの! [2013年02月04日(Mon)]
 鍋帽子という調理補助用具があるのを知っているでしょうか。これはすごく便利です。知人からプレゼントされて、私は最近使い始めたのですが、すっかりはまっています。何しろ、調理が簡単に出来ますし、燃料費が少なくて済みますし、そしてなにより料理が美味しく出来上がるのです。出来上がりも、煮崩れもしにくくて、それでいて柔らかい仕上がりで、舌触りも最高です。素材の良さを生かした料理が出来て、しかもエコなのですから、使わない手はありません。

 どんなものかというと、写真のようにすっぽりと鍋を包み込む、まさに鍋の帽子みたいなものです。素材は綿の入ったキルティングのようなもので、鍋敷きのような座布団もあります。つまり、底も含めてすっぽりと鍋を包み込みます。鍋に加熱した後に、火から鍋を下ろして鍋帽子で包み込みます。そうすると、保温しながら余熱調理を継続します。その保温力はすごいです。30分くらい経過しても、熱々のままです。ですから、弱火でことこと煮込むような効果があります。

 どんな料理に用いるかというと、煮込む料理に最適です。煮しめやおでん等は、美味しく出来上がります。先日、煮しめに用いたら、ガス代は驚くほど節約できましたし、味の浸み込みは最高でした。今夜は、茶碗蒸しに利用しましたが、僅か5分だけ加熱して残りの10分間この綿帽子に入れておくだけで、実に美味しい茶碗蒸しの出来上がりです。私は、あまり茶碗蒸しを作ったことがなかったのですが、失敗せずに調理できました。
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 この綿帽子は、他のいろんな料理にも使えそうです。お粥やおこわにも活用できますし、甘酒も簡単に出来るそうです。肉じゃがやブリ大根などの日本料理は勿論、ボルシチ、ミネストローネ、ラタトゥイユなど多国籍の料理もばっちりみたいです。料理が楽しくなりそうです。ガス代や電気代を節約できるうえに、CO2排出も削減できて、エコです。皆様も是非お試しください。
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風評被害に対する応援 [2012年02月06日(Mon)]
 福島県の農産物というだけで、放射線が検出されていないのにも関らず売れないという、泣きたくなるような風評被害に、多くの農家が苦しんでいます。しかしながらそんな中で、南青山という高級住宅街や一流企業が立ち並ぶ一角で野菜料理を営むお店のオーナーが、風評被害に対する支援をしたいと申し出てくれました。なんと、白河の野菜をお店で使いたいというのです。そのお店は、野菜料理の店「おとや」です。

 私の書いたブログ記事をご覧になったオーナーが、是非野菜農家を紹介してほしいとおっしゃって下さり、地元の農業法人の社長をそのレストランにお連れして、オーナーや調理師さんにお引き合わせしたという次第です。

 そのお店は、都内に多数の店舗展開をしている外食チェーンのフランチャイズ店の一つだそうですが、場所柄一流企業の役員の方々や高級住宅にお住まいの奥様方たちがおいでになるだけあり、高級なイメージの洒落たお店です。

 厨房は客席からも見えるだけあり、見るからに清潔できれいに整頓されています。美味しい料理かどうかは、厨房を一目見れば解ります。

 訪問した際に、ランチをご馳走になりましたが、野菜本来の味を生かした調理と味付けは、実に見事でした。人気があるというのも頷けます。毎週、定期便で送ることになり、さらには白河まで、野菜を栽培している畑を実際に見にいらっしゃるという約束をしました。

 このように福島の野菜を応援してくれるお店が、もっと増えてくれたら有難いです。この店のオーナーは、若い素敵な女性の方ですが実に立派なお考えを持っていらっしゃいます。地元のトマトや苺をお店において、販売をしてくださっています。この震災で、新たなネットワークが生まれ、絆が深まったことに感謝したいものです。ありがとうございます。
トイレの神様 [2011年01月26日(Wed)]
 NHKの紅白歌合戦でも歌われ、大ブレイクしているのが植村花菜の歌う「トイレの神様」という歌である。大好きなおばあちゃんとの小さい頃の触れ合い、そして永遠の別離、さらにはおばあちゃんに対する懺悔を切々と謳った名曲だ。この歌を聴いて感動した人も多かったであろう。リクエストも多いし、CDやダウンロードも多い。ロングセラーを記録しているらしい。この歌の中で、トイレをきれいにすると女神さまのように美しくなると、おばあちゃんが教えてくれている。

 本当に、トイレ清掃をすると女神が現れて、やがて自分が美しくなれるのであろうか。この歌を聴いて、そう確信してトイレ清掃を始めた若い女性たちが沢山いることだろう。しかし、おばさんたちは、この歌に触発されてのトイレ清掃は、けっしてしないだろうな。「そんなこと、絶対ありえへんて」と最初からバカにするに違いない。毎日していても、鏡を見てもちっとも変わらない自分を良く知っているからである。ということは、この話はやはりウソなんだろうか。

 昔、ある町の警察署に設置されている留置所のトイレ清掃を、依頼されたことがある。いわゆるブタ箱の中のトイレである。想像しただけで、汚いというのが解るであろう。作業立会いのついでに、自分でもひとつの便器を磨いてみようと思ったのである。しかし、それがどれほど酷い状況かを思い知り、えらく後悔することになった。なにしろ、便器の白い部分がまったく残っていないのである。つまり、人糞で便器が覆い隠されているのである。それも、完全に固まっていて、落とすのも並大抵の苦労では適わない状況であった。

 やり始めていながら、途中で投げ出すのも大人気ないと思い、その汚れ落としに挑んだ。勿論、手袋はしていたが、柄付きブラシでなんか落ちないから、スポンジタワシを用いてゴシゴシこすり落とすしかない。絶対に落としてやると、必死だった。汗をかきながら、少しずつ落としていった。大変な労力と時間をかけたが、ようやく白い便器が見えてきて、それが全体に及ぶときの嬉しさはたとえようがない。そして、ついに元のような白い便器に復活したのである。

 ふと、その時に気付いたのであるが、その便器の汚れがあまりにも酷かったので、余計なことなど考えずに、ただひたすら目の前の汚れを落とすことだけに集中していたのである。つまり、座禅のように何も考えずに、目の前のことにだけ心を奪われ、無我の境地であったのだ。そして、便器を磨くことで、自分の心が少しずつ磨かれていくような錯覚を、受けたのである。そして、きれいに仕上げた時に、実に爽やかな気持ちになったのだ。勿論、その時の顔の表情は輝いていたに違いない。

 その経験から導き出される結論は、トイレ清掃をすると心が磨かれるのではないかということである。心が磨かれれば、姿や顔だって美しくなる筈である。ということは、トイレの神様はいるということになる。ただし、トイレ清掃をする時の心がけとしては、何かを求めてやっては効果がないということも言える。何も見返りを求めず、ただひたすらトイレ磨きに没頭しなくてはならない。そうすれば、きっとトイレの神様が現れて、身も心も美しくしてくれるに違いない。
身土不二 [2010年05月14日(Fri)]
 今朝NHKラジオで、村上信夫アナウンサーが盛んに『身土不二』という語句を提唱していた。車で移動の際は、よくNHKラジオを聴いている。毎朝、ラジオビタミンという番組が放送されている。村上信夫アナウンサーと神埼ゆう子さんとの、軽妙な掛け合いトークが面白い。その土地で出来た旬の食べ物を、なるべく食べることが健康の秘訣だとする説らしいが、確かにそうだと思う。四里四方(約16km以内)で取れた食材で、調理するのが望ましいという。田舎なら可能だが、都会では難しいだろうと思う。

 流通機構の整っていなかった昔は、こんなこと当たり前だったかもしれない。しかし、今は世界的な食品が流通しているのだから、完全に身土不二を実行しようと思っても、所詮無理である。ましてや、都会ではまともな畑さえないのだから当然だ。考えてみれば、バナナ、パイナップル、みかん、お茶、魚介類、殆どが地元で取れたものではない。そんなもの食べなくても生きていけると、乱暴な意見もあるだろうが、やはりたまには食べたいのが人間である。知らないなら食べたいとも思わないが、一度味わってしまったものは、どうしても欲しくなる。

 そもそも、この身土不二という言葉は仏教用語とのこと。身(自分が歩んできた生き様)と土(自分が置かれる環境)というのは関連している、ということらしい。それが転じて、食物にも当てはめられたと聞いている。地産地消とは、本来違っているが、最近は同じ意味として考えられることも多いようだ。基本的には、その土地、つまりはその水で育った食べ物が、身体に入る訳である。身体の成分のうち大部分が水分の人間は、その風土の中で生かされていることから、当然地域の食べ物を食べたほうが、ミスマッチを犯すことがないという考え方であろう。私も、当然だと思う。

 最近、スーパーで売っている野菜を見ていると、中国産や東南アジア産が非常に多くなっている。残留農薬問題で、売れないかと思うと安いというだけで飛びつく消費者もいるのだろう。冷凍野菜のパッケージを注意深く見てみると、中国産が殆どだ。一方、魚もすごい。サバは殆どノルウェー産であるし、美味しそうな色をしている鮭は間違いなくチリ産である。食べてみると、国産のそれとは比較にならない位に油が乗っていて美味である。しかし、私は敢えて食べないようにしている。科学的な根拠はないが、直感が危ないぞ!と警告を発している。また、若者たちのファーストフードやジャンクフードに対する熱烈な嗜好傾向は、困ったものである。当然、いろんな障害を起こしている。

 すべての食材で身土不二を実践して、地元で旬に取れた食材を食べるというのは無理である。しかし、なるべくそんな方針で食事を選択するのは正しいことなのだろうと考える。幸いにも、ここ白河地方は、いろんな直売所があり、間違いなく地元で取れた野菜が売っている。産地偽装などという問題は、けっして起こりえない。残念ながら、都会では身土不二の精神を実践しようにも、不可能である。もし、可能ならば、やはり定年後は身土不二を実践して健康で長生きするためにも、田舎暮らしをしてはどうだろう。白河は土地が安いし、家庭菜園も作れるから最高だと思う。
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