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政治家と官僚の嘘に騙されるな [2017年03月20日(Mon)]
 真実が喪失してしまった時代だと言われている。称してポストトゥルースと言うらしい。大国の大統領が真実を無視して、嘘をついている時代である。某国の主席や官僚も、平気で他国の領土を自国の領土だと言い張る始末である。隣国の大統領や官僚も領土を不当に騙し取ろうとしている。北朝鮮の主導者は自国民に対して嘘をつきまくっているし、拉致はなかったと平気で嘘を重ねている。アドルフ・ヒットラーという人物は、嘘も徹底してつくことで、聞いている人々は真実だと思い込むようになると嘯いている。いやはや、ヒットラーに習ったのか、世界の主導者たちは平気で嘘をついている。真実はどこに追いやってしまったのであろうか。

 政治家は嘘つきでないとなれないと、誰かが言ったような記憶がある。確かに、ある程度言いえて妙である。安全保障の観点や国民の安全と安心を守り抜く為に、敢えて真実を隠さなければならないケースもあろう。真実を知らせてしまうことで、外国との難しい交渉が頓挫してしまうことがあるかもしれない。しかし、自分の保身や利益、または権力を守る為に嘘をつくことは許されない。現在の世界のトップ政治家たちは、情けないことであるが、自分の為に嘘をつくのである。我が国の政治家たちだって同じである。国会中継を聞いていると、明らかに嘘をついていることが解るような例が沢山見受けられる。嘘に嘘を重ねるものだから、最後にはどうにもならなくてロジックが破綻する。

 政治家だけではなく、官僚も平気で嘘をつく。東京都の豊洲市場の問題では、明らかに保身の為に嘘をつきまくっていたし、文科省の天下り事件では文科省全体でその事実を隠ぺいしていたようだ。国会でも平気で嘘をつくし、そのことを目の前で学んだ政治家たちが嘘つきになるのは当然である。官僚たちも、自分の上司が嘘をつく姿を見て、処世術として嘘つきを学ぶのであろう。それにつけても、人間という生き物は嘘をつくように出来ているらしい。実に情けないことであるが、親たちが嘘をつくのを見ていて、嘘のつき方を子どもたちも学ぶのである。世の中には、このように嘘つきの教師がいるのだから、嘘つきが増えていくのは当然かもしれない。

 世の中ではなり澄まし詐欺が横行している。さらには、うまい儲け話に騙される人が後を絶たない。ごく普通に考えれば、そんなにうまい話なんてあり得る筈がないのに、ころっと騙されてしまう。特に老齢の方々をターゲットにした詐欺行為が多い。実に巧妙なやり方だと思うが、それにしても何故にこんなに簡単に騙されるのであろうか。大統領候補の巧妙な嘘を信じて、一国の大統領に選んでしまった国民もいる。訳の分からないアベノミクスだという訳の解らない造語と嘘の経済金融政策を信じて、期待している国民も大勢いる。マクロ経済政策や金融政策は、もう既に効果がないのだということを知らないことを言いことに、国民を欺き続けているのは許せない。経済産業省の役人たちは、マクロ経済政策ではなくて、ミクロ経済政策こそが景気回復の唯一の解決策だと認識している。

 人間というのは、本質的にうまい話に乗りやすいものである。こうなって欲しいという期待を込めて話を聞く傾向にあるからである。どこかの国の大統領や総理大臣の話を信じてしまうのも、豊かになりたいという期待があるから、嘘を見抜けないのである。詐欺師は相手の欲を見抜いて、嘘をいかにも本当のように聞かせる。政治家も国民や市民の欲を巧妙に煽りながら、真実を隠して嘘を言うのである。真実を言ってしまったら、自分の権力を守れないからである。だから、国民に対して心地よいことばかりを言っている政治家は信用してはならない。国民の不利益になることも正直に話して、自分の人気を失くすことさえ厭わないのが本当の政治家なのである。そういう本当の政治家は、いなくなってしまった。

 勿論、騙すほうが悪いのは当然であるが、騙されるほうも悪い。嘘を見抜けないというのは、自分に強欲があるからであり、心が清浄でないからであるとも言える。純真な人ほど騙されると思われがちであるが、素直で謙虚な人は嘘を見抜くことが出来る。騙すほうは、相手の弱みや拘り、または煩悩を上手く利用する。詐欺師に言わせると、欲のない人や素直な人は騙すのが難しいと語っている。松下幸之助は、いつも話をする人の気持ちになり切って話を素直に聞いたから、ただの一度も騙されたことがなかったという。騙されてしまう人は、期待を込めて話を聞くとか、自分の都合のよいように理解したがるらしい。政治家の話も素直に謙虚にまっさらな気持ちで、気持ちを推し量りながら聞くと、嘘を見抜ける。嘘をつく政治家になんかに間違っても投票しない賢い国民でありたいものだ。
トランプの大嘘 [2017年02月28日(Tue)]
 米国大統領の歴史上、一番人気のない大統領が誕生した。トランプ大統領の就任演説は、世界中の人々が注目をしていた中で行われたが、完全な間違いだと思われる部分があったのに気付いた人も少なくないだろう。何故、そんな誤謬を犯してしまったのか不明だが、真実を知っていながらわざと嘘をついたのか、それとも真実を知らなかったのかは分からないが、間違いだということは確かである。それは、彼がこういうことを言った部分である。米国は今まで世界の多くの国に富の再分配を行ってきた。これからは、富の再分配は止めて、自国の国民を豊かにしていきたいと述べた部分が大嘘なのである。これは、世界経済を熟知している人なら、誰でも間違いだと知っていよう。国民受けを狙って嘘をついたとすれば、大ウソつきの大統領ということになる。

 米国の豊かさは何で得られたものであろうか。自国の資源を使って、自国の労働力で生産し、自国で消費することでの経済的な豊かさを実現したというのなら、富の再分配という話もまんざら嘘ではない。そういう部分も確かにはある。でも、ごく一部である。米国の繁栄は、発展途上国からの経済的搾取によって築かれてきたのである。米国が発展途上国に対して富の再分配をしたのは、その搾取した利益のごく一部分でしかない。米国のグローバル企業は、世界中の労働力が安い国に現地工場を設置して、低劣な労働環境と待遇で働かせ、世界中に製品を輸出してきた。莫大な利益は米国本国に送金されて、発展途上国に対して、利益は殆ど還元されないシステムを作り上げた。

 さらに、米国の金融資本はあらゆる方策を使って利益を上げているが、そのしわ寄せはすべて貧しい国の国民に浴びせられている。米国の石油メジャーは、自分たちの利益を守るためには手段を選ばず、発展途上国の原油を安く買い叩いた。「海賊とよばれた男」という小説と映画では、卑劣な彼らのやり方が紹介されている。本来の正当な価格ではなく、発展途上国の金融市場を操作しながら、極めて安く原料を仕入れてきたのである。そして、米国で生産した工業製品、とりわけ高額な医薬品などを発展途上国にばらまいたのである。それも、けっして完治することのないただ症状を抑えるだけの医薬品を。一度飲み始めたら、一生薬漬けにするような医薬品を大量に供給した。農産物用の化学肥料や危険な農薬もしかりである。

 こういう卑劣な行為をしながら、発展途上国や未開発の国々の国民から、莫大な利益を搾取してきたのである。そして、トランプがいう富の再分配は、自国の経済や政治を守るために仕方なく最低限のレベルで実施してきたのであり、人道的な視点から行った富の再分配なんて、ごく僅かでしかない。こういう発展途上国からの搾取、とりわけ中東の国民から搾取してきたから、貧困が蔓延し政情不安を引き起こし、アルカイダやISによるテロ行為や内戦を生み出してきたのである。そのテロや内戦の原因を作ったのは、他ならぬ欧米の大企業とそれに加担する政治家たちである。日本もまた欧米の国と同じ行為をしてきた。

日本も含めた欧米の富める者たちが、発展途上国に対して富の再分配をもっと積極的に行い、すべての国が平和と平等を実現して、国民すべてが経済的豊かさを享受できたなら、テロや内戦はたちどころに消滅するであろう。先進諸国においても経済的格差が広がっていて、貧困が蔓延している。日本だって例外ではない。子どもの貧困化とその連鎖が問題になっている。政治の大事な役目は、所得と富の再分配である。それは国内だけでなく、世界全体における富の再分配が必要である。経済活動や労働に対する報酬が偏ると、貧困が起きる。そうならないような制度を作ること、さらには適度な所得の再分配をすることで大きな消費意欲が発生して、経済は活性化して、結果として好況が達成される。

子どもの貧困は世代間で連鎖する。一旦貧困に陥った家庭は教育の貧困化が起きてしまい、なかなか貧困を抜け出せない。だからこそ、政治による富の再分配を的確に実施して、貧困から誰でも抜け出せるチャンスを与えるべきなのである。先進国は、世界平和と世界経済の活性化の為に、発展途上国に対する富の再分配を積極的にすべきである。これこそが、世界全体の平和と幸福を実現する唯一の方法である。内戦やテロを軍事力で制圧するという手法は、もはや限界なのである。今までの歴史がそれを証明している。トランプ大統領の大ウソを糾弾し、先進諸国とその大企業、そして富裕者たちは、富の再分配を積極的に実施してほしい。それが世界平和を実現するただひとつの道だと信じて。
虚構経済に依存する愚かさ [2015年09月06日(Sun)]
 上海発の世界同時株安は、世界経済を震撼させている。やれやれまたかと、うんざりする投資家も多いことだろう。投資なんて一度もしたことのない我々にとって、株価なんて自分の生活には関係ないと思っている人が多いことだろう。しかし、残念ながら私たちの生活は、直接関わることがない人でも、かなり部分で株価の変動により影響を受けてしまう。それも恩恵を受けることは少ないが、株安による生活への悪い影響を受けて、損失を被ってしまうことが多い。世界の歴史を見ても解るが、世界恐慌などの株価下落の影響をもろに受けるのは、株にはまったく関係のない低所得の人たちなのである。

 今回の世界同時株安は、中国の経済が停滞していることが影響しているようだ。上海株が下落したのは、中国政府が人民元の切り下げを行ない、これが引き鉄になったという。中国政府は実質7%の経済成長を遂げていると発表しているが、本当にそうだとしたら、人民元の切り下げをする必要はない。中国の実質経済は既に破綻しつつあり、その破綻を押し止める必要があり、切り下げを行なわざるを得なかったと見るべきであろう。そのことを不安視した投資家が、株を売りさばいたのかもしれない。中国は共産党の一党独裁政権である。誰も政策を批判しないし、間違いを正す者がいないいし、チェック機能が働かない。つまり、政府がウソをついても解らないということだ。

 中国経済は、いずれ破綻するだろうと言われている。既に破綻が起きていると見る専門家も多い。だからこそ、ちょっとでもその兆候が見えると、投資家たちは過剰反応をするのであろう。中国経済の実体経済はかなり苦戦するだろうと言われている。そもそも、中国製品は安さだけで、国際経済を勝ち抜いてきたのであり、技術や品質では他国のそれには到底及ばない。その価格さえ、人件費の高騰により優位性がなくなったのであるから、国際競争力に負けてしまい、輸出が激減するのは当然である。ましてや、そもそも中国の国内消費はけっして多くない。国内での消費需要からの景況ではなく、金融商品や不動産関連の需要によって活況を呈していただけであろう。つまり、実体経済ではなく虚構経済による好景気に浮かれていたと言えよう。

 この傾向は、他の先進諸国でも見られるし、日本でも実体経済の復活はまだまだと言える。全世界において、実体経済で苦労するよりも金融商品で楽して儲けようという企業や資本家が多くなるのは、ある意味仕方のないことかもしれない。しかし、所詮金融商品は言わば虚構経済であり、実体経済のようにコツコツと努力を積み上げれば結果が生まれるようなものではない。あくまでも、虚構経済は実体のないものだから、どこかの国の財政破綻や大企業の経営不振、または投資家たちの意識のあり方によって、収益が減少するだけでなく、大切な資産を無くす怖れもあるのだ。自分や自社の努力ではなく、他者に依存するだけの経済活動なんて、ある意味占いみたいなもので非常に危ういものと言えよう。

 現代のような金融商品や不動産投資などの虚構経済に依存することは、今回のような世界同時株安のような経済不安を起こすマイナスをもたらすだけではない。人々の消費意欲頼る実体経済が活発にならないと、広く浅く富が行き渡ることが不可能になり、公平で平等な人々の暮らしが実現できなくなる。これだけグローバルな社会であるから、一国だけの収益や自社だけの利益を目指すような経済活動とそれを支援する財政政策はすべきではない。何故なら、世界のどこかで貧しい国や地域があると、テロや紛争の危険性が高まり、結果として経済活動は制限を受けて、多くの貧しい人々を創り出す。そうすると、消費は伸びないから、世界経済は停滞するのだ。

 世界経済全体を好景気に誘うためには、富を一部の人々に集中させてはならない。虚構経済は富を特定の人々や国を豊かにしてしまう。実体経済が活発になると多くの労働が生まれ、富の再配分が起き易くなる。そして、さらに消費意欲が膨らみ、実体経済が豊かになるから好景気が循環しやすくなる。ガンジーは、七つの社会的罪というものを説いたが、そのひとつが「労働なき富」である。労働なき富である虚構経済に依存すると、結果として世界中に多くの貧民を創り出し、益々世界経済が停滞するだけでなく、テロや内戦を起こす。虚構経済に依存過ぎないような世界ルールを作ることが、心ある世界の政治家たちの務めであろう。
システム思考から観た大塚家具の内紛 [2015年05月02日(Sat)]
 世間を大きく騒がせた大塚家具の内紛は、ようやくひと段落したようだ。まだまだ内紛の火種はくすぶっているみたいだが、株主総会においてあれだけの大差で決着がついたのだから、しばらくは久美子社長の座は安泰だと思われる。それにしても、あんなふうに社内の派閥争いが顕在化するというのも珍しいものだ。古来より社内の派閥争いというのは、ワンマンのオーナー社長以外の会社では結構あるみたいで、コミック課長島耕作でも描かれていたように、大企業でさえも相当あるらしい。実際に、派閥抗争によって社長交代劇が起きることも稀ではない。世間的には、相当大きなマイナスイメージを与えることが多い。今回の大塚家具の内紛劇も、大塚家具の企業イメージを相当に傷つけたとことは否めない。

 さて、今回の大塚家具の派閥抗争をシステム科学的に考察するとどうなるか、検討を試みてみよう。まず、会社というのはどういうものか?という視点が必要であろう。会社というのは、この世の経済界を構成するひとつの部分である。経済というひとつのシステムから観ると、企業というのはひとつの有機体システムである。この有機体システムがそれぞれに機能して、様々な活動を行なうことにより、経済という全体が成り立っている。企業という有機体システムは、社員という構成要素である部分から出来ている。したがって、社員相互間の共存的依存関係が発揮されなければ、企業はバラバラになり同じベクトルを目指せない。つまり、企業そのものが存続することさえ危うくなるということである。

 さらに、企業が有機体システムであるから、経済界全体から見たとしたら、すべての企業はそれぞれ個性を持っていて、違っている。つまり、生物界と同じように『多様性』を持っているのである。あらゆる万物は、すべて多様性を持って存在しているからこそ、その存在価値や存在意義を持つということである。つまり、この世の中において、まったく同じ生物・植物・鉱物・衛星・惑星・恒星は存在しないのである。まったく同じものが存在したとしたら、そのどちらかは存在を許されないのである。唯一無二の存在であるからこそ、この世に生存しているのである。とすれば、同じ有機体システムである企業も経済界に存在するには、同じものが二つあってはならないのである。同じような会社があったとしても、どこかが違っているものである。

 ところが、本来多様性を持つべきこの世の中において、まつたく同じ企業が二つ存在する例が起きてしまう。それが、会社の中に存在する『派閥』である。今回の内紛もまた、社内に二つの派閥を生んだといえよう。派閥が存在するままにしておくと、システム科学的に観れば、その会社は存在できなくなる。つまり、倒産するか廃業するしかなくなるのである。だから、派閥は一刻も早く解消しなければならないのである。しかるに、今回の大塚家具においては、長い期間に渡り派閥抗争を繰り広げてきたのである。企業として相当なダメージを受けてきたのは、想像に難くない。だからこそ、大塚家具は今回の派閥抗争のしこりを残してはならないし、完全に派閥を解消する必要に迫られているのである。

 何故、大塚家具はこんなにも酷い派閥抗争になってしまったのであろうか。それは、愛憎というシステムで説明できる。元々親子兄弟であるから、お互いに嫌いな訳ではない。それが、自分の思い通りにならない相手に対して、愛しさ募って憎さ百倍という感情が起きたのであろうと思われる。愛と憎しみは裏腹の関係にあり、愛が大きければ大きいほど、それが叶えられない時に、その大きさが憎しみの大きさになるのである。さらに、そこに欲が絡んでいるから複雑である。どちらかの派閥に乗っかることにより、自分の立場を守ろうとするとんでもない価値観の低い輩がいるのだ。つまり、会社全体のためにという意識はなくて、自分の欲得で派閥抗争に加わる大馬鹿者がいるのである。

 今回の大塚家具の騒動を解決する手立ては、まったくない訳ではない。しっかりした思想と哲学を役員全員が持てたとしたら、たちどころに派閥は解消し、社員一丸となった経営が可能となるに違いない。企業は一つの有機体システムだと最初に記したが、まさしくその有機体システムが機能するかどうかは、構成要素である社員皆が統合の思想を持てるかどうかに掛かっているのである。企業は全体性を持ち、その全体最適を目指さなければならないし、関係性を大事にしなければならない。その全体性と関係性が担保されてはじめて、企業は活性化されて収益が確保されるのである。そのことを久美子社長が自ら気付いて行動出来るか、大塚家具の命運はそこにあると言えよう。

農協改革と農業改革は成功するのか? [2015年03月21日(Sat)]
 農協改革と農業改革を断行すると、安倍内閣は意気込んでいる。そのための第一歩として、農協組織のトップである全国農協中央会を変革するようにとの圧力をかけて、有無を言わさないぞとの態度で要求を受け入れさせた。全中が監査権という絶対的な権力を持つから農協改革が進まないと、監査権の独占を許さず、別の機関でも受けられるようにした。さらに一般社団法人にして、1農協平均2,400万円と言われる賦課金も廃止させる。果たして、それで本当に農協改革は進むのか、日本の農業が再生するのか、甚だ疑問だと思われる。何故なら、日本の農業が駄目になった責任を農協だけに押し付けているが、誰が見ても農協だけが悪い訳ではないだろう。農政の失敗が、農業を衰退させてしまったのは明白であり、農協を改革したからといって、農業が劇的に再生するとは思えないのである。

 確かに農協自体に問題があるのは、誰もが認めていることである。農協理念から乖離した農協経営になっているのは周知の事実であり、保険事業である共済事業や金融事業に頼り切っていて、本来あるべき営農指導に力を注げなくなっている。農家経営全般に対する指導も不十分である。取り分け遅れているのが、農業分野におけるイノベーションである。ここでいうイノベーションというのは、単なる技術革新ではない。異なる価値どうしを統合することで、新たな価値を創造するということだ。その一つが農産品の六次化やグリーンツーリズムなどの事業化である。または農業と林業、漁業との連携や統合により、あらたな価値を持つ商品や事業を生み出すことである。農政というのは、本来は技術指導や経営指導だけでなく、斬新でオリジナリティ溢れるようなアイデアや企画を農業者が生み出せるように支援することが求められているのである。

 ところが、農業分野においては、そんなイノベーションを指導できる行政マンは皆無である。勿論、農協にもそんな人材はいない。何故ならば、行政マンというのは法律の専門家であり、法律、条令、規則、通達の範囲で産業を営ませることには長けているが、既存の枠組みに捉われない新しい事業を起こすというようなアイデアを出すのは、もっとも不得意としているからである。さらに、国、県、市町村と二重行政ならぬ三重行政であり、そこに農協も加えると、四重にも及ぶ農業への指導体制が存在する。横の連携なんかまったく取れていないばかりか、それぞれが反目するケースも多々ある。迷惑するのは農業を営んでいる農家なのである。しかも、皮肉なことに、行政や農協の支援や指導を受けている農家ほど元気がないが、完全に自立して独自の農業経営を行なっている農家だけが、すこぶる元気なのである。

 とすれば、国が旗を振って農業改革や農協改革を推進しても、結果は言わずもがなではあるまいか。ましてや、農業改革と農協改革を推し進める、その青写真を作成しているのは、農水省のキャリア官僚である。農水省のキャリア官僚は、農業の技術や経営のテクニックは知っているが、農家や農民の心はまったく把握していないと言っても過言ではない。農民が何を求めているのか、何のために農業をするのか、農業に対してどんな情熱を持っているのか、農業の未来をどう描いているのか、知ろうともしない。実際に農民と共に、鍬を持ち、鎌を携えて土まみれになってやってみるがいい。そうすれば、農業の本質を理解できよう。田んぼにも入って泥まみれになった経験もなくて、農政を語るものではない。机上だけで農協改革や農業改革を検討しても、的外れになるのは火をみるより明らかである。

 農業というのは、国の根幹に掛かる大切な産業である。TPPにおける工業産品の輸出増加を図るための、単なるスケープゴートにされてはたまったものではない。農水省というのは何の為にあるのかというと、まずは安全安心で高品質な農産物を、国民の元に安価で安定供給できるようにする為に存在する。勿論、そのためには農業振興や農地保全を支援する必要があるし、農家の安定経営も支援しなくてはならない。しかし、現在の農水省が何を目指しているか解らないし、自分達の利権や予算を多く獲得して、農業関連の企業を支援しているようにしか見えないのは残念である。農水省は様々な利権を持っている。だから、農水族の政治家が暗躍するのである。農水省と農水族議員が、そういう利権を守る意識から完全に脱却しなければ、農業改革と農協改革の成功はおぼつかないと心得るべきだろう。真に、国民と農民の立場に立った農政が求められている。
出生率を1.8%にする [2015年01月04日(Sun)]
 安倍内閣の掲げる成長戦略にとって、特殊出生率を現在の1.43%から限りなく2%に近づけるのは、喫緊の課題と言える。その布石として、地域創生会議において合計特殊出生率の水準を1.8%に引き上げようという合意がなされたという。それが日本の長期ビジョンの骨子案に盛り込まれた。この骨子案では、結婚や出産に関する国民の希望が実現すると、出生率は1.8%程度まで改善すると指摘している。果たして、それは現実化するのであろうか。出生率を高めることに対する阻害要因を、ひとつひとつ丁寧につぶしていけば必ず実現できると政府は豪語しているが、そんなに簡単に出生率が上昇するとは考えにくいと思うのは、私だけではあるまい。

 出生率の低落傾向が続いている。様々な出生率向上の施策が考えられていて、出産育児がしやすい環境を整える努力は、不十分ながらされているように思われる。出産後の育児休暇の充実、父親の育児休暇取得推進、保育所への補助金支給による待機児童の減少策、児童保育の充実等、いろいろと育児環境改善策は進められているが、一向に出生率は上がらない。欧州における育児環境改善策から比較するとまだまだ不十分ながらも、日本における育児環境は少しずつ良くなっていると思われる。それでも出生率向上の兆しも見受けられないのはどういう訳だろうか。どうやら少子化の原因は、育児環境が悪いからだけではなさそうである。

 また一方では、経済的な理由から若者は結婚できないし出産が出来ないのだと分析するアナリストがいる。確かに非正規労働者は会社からいつ退職させられるか解らないから、将来を見通せない。さらには、給与水準も低いから結婚して育児して、高学歴社会に見合った高等教育を受けさせることが出来ないと思うのも当然だろう。だから、若者は結婚しないんだと結論付けている。果たしてこういうロジックは、正しいのだろうか。どんなに貧しくても実際に結婚する若者はいるし、毎日やっとの生活をしていても出産する若者だっているのも事実である。逆に教養が高くて高学歴で正規労働者である若者ほど結婚したがらないのは、どういうことだろう。

なにしろ、結婚したくない若者が増えているのは確かなようである。恋人としてなら良いけれど、将来を誓い合う仲にはなりたくないみたいである。男性は結婚願望が強いが、結婚したがらない女性が増えているのが注目される。また、一度結婚に失敗した男性の殆どは再婚を望むが、女性は再婚を望まない例が圧倒的に多い。私の知人にもシングルマザーが沢山いるが、殆どの女性は男なんてもうこりごりだと言う。働く女性が増えて、経済的に自立しているし、仕事で自己実現を果たせるから無理に結婚しなくてもいいと思うからだと言われているが、果たしてそれが結婚しない本当の理由であろうか。

 結婚を望まない女性たちの話をよくよく聞いてみると、どうやら魅力的な男性がいないからだという人が多い。魅力というのは容姿や学歴、または趣味や教養などではなく、人間的な魅力だという。つまり、いくら家柄が良くて高学歴で立派な仕事を持っていても、さらには容姿端麗で素晴らしいファッションセンスを持っていたとしても、人間性が良くなければ、遊び相手にはしても将来を誓い合う伴侶にはしたくないということだろう。何故かというと、人間性に劣った男性は、女性を幸福には出来ないからである。本当の幸福というのは、物質的なレベルのそれではなく、心が豊かになれるという幸せである。

 言い換えると、人間性が良いというのは人間として生きるうえでの価値観が高いということである。自己中心的で身勝手で、相手の気持ちを解ろうともせず、自分の損得しか考えない低い価値観の人間は魅力がないという意味である。こういう男性は、恋人時代は自分が気に入られようと必死に相手に対してサービスするが、結婚したとたんに豹変する。人の本質を見抜く能力が身についていない若い女性は、こういう屑のような男性に簡単に騙される。結婚してから失敗に気付き、シングル生活を選択する。自分の幸福よりも周りの人々の幸福がなによりも嬉しいと思えるような男性は、相手の女性の心に共感出来るし、配偶者を幸福にしようと努力する。子育てや家事にも積極的に協力する。賢い女性は無意識下でこういう価値観の高い男性の子孫を残そうとするから結婚するし、出生率は間違いなく向上する。だから、出生率を向上させるには、価値観の高い男性を育てる教育をすればいいのである。人間性を向上させる高い価値観教育こそ、一番効果があり確実な出生率向上策である。
この国に清廉な政治家はいなのか [2014年10月19日(Sun)]
 あの兵庫県の大泣きした野々村県議だけでなく、なんと現職大臣で将来の総理候補と言われている小渕優子代議士にも、不正なカネの流れがあったことが判明した。地方議員の政務活動費のいい加減さは以前から指摘されてきたことだが、国会議員の政治資金もまたその出鱈目さが何度も取り沙汰されてきた。政治資金の管理は代議士が直接携わることは少ないし、秘書に任せている例が多い。だから、政治資金に問題があった場合、代議士は秘書が勝手にやったこととして言い逃れしている。今回の小渕経産相の例もまた、経理担当の秘書がやったことだから、自分は知らなかったと言い訳している。

 確かに政治資金の経理のことまで把握して自ら管理している代議士はいないかもしれないが、その責任はその組織のトップである国会議員にあるのは言うまでもない。今回も小渕経産相が責任を逃れることは出来ないから、大臣の辞任は避けられない。しかし、不思議なことであるが、今回の事件によって大臣を辞任すれば事足りるのであろうか。そもそも、この事案は公職選挙法違反が濃厚な事案である。代議士を選んだ選挙そのものに疑義があるとするなら、議員辞職を持って責任を取るべきではないだろうか。こんな中途半端な責任の取り方でマスコミや選挙民も許してしまっているが故に、議員の不正がなくならないような気がする。

 多くの選挙民からの信任を得て議員になるのだから、一般の国民よりも清廉潔白な生き方が問われるのは言うまでもない。市民の代表として、議員は行政の間違いや不正を正したり司法の暴走を抑える働きも担ったりするのである。三権分立が成立する為には、立法や行政に対して中立であると同時に、清廉潔白な活動が求められるのは当然である。そうでなければ、一部の市民の為に便宜を図ったり、自分の利害を基準にしての行動に終始したりしてしまう。そうでなくても議員というのは、いろんな人たちと関わり合い、利害関係を持ちやすい。だからこそ、どんな組織からも独立した存在として、誰に対しても是々非々の態度を持たなくてはならない。何かの弱みを握られてしまい、一部の人の利益誘導の政策をしかねないからである。

 このように政治とカネの問題が表面化するのは、首相や閣僚、政党の代表者ぐらいしかない。一般の議員が政治とカネの問題で議員辞職をする例は極めて少ない。兵庫県の野々村県議のような例は珍しい。余程、酷いカネの管理をしていて、内部告発されたと思われる。しかし、あのような政務活動費の使い方をしている地方議員は数多あるに違いない。実際、兵庫県の他の県議の政務活動費の不正が暴かれている。閣僚や党首以外の議員で政治とカネの問題を指摘されて議員を辞職した例は皆無でないが、極めて少ない。なにしろ、閣僚に指名される際には、身体検査と称したカネについての詳細な調査が行なわれるのである。今回、小渕大臣と松島大臣の身体検査が不十分だったのは、女性だから大丈夫だろうと思われたのに違いない。

 それにしても、地方議員だけでなく国会議員もまた倫理観に乏しいのは何故であろうか。清廉潔白な政治家というのは、我が国には存在しないのであろうか。実に情けないことである。しかし、数は少ないが清廉な政治家は存在する。政治はカネがかかるからと仕方ないと言われていても、正義感をずっと持ち続けて、毅然とした態度でカネの魔力に抵抗し続けている政治家もいる。カネの魅力に取り憑かれてしまう政治家との違いは、何に起因しているのであろうか。清廉潔白な政治家とそうでない政治家はどこが違うのか。

 権力を持つ者は、その権力の大きさに振り回されることが多い。一旦大きな権力を握った者が、その権力故に自ら滅ぶ道を歩むことが多い。歴史上の権力者を見てみると、そのような例が多いことに驚く。平清盛や織田信長、豊臣秀吉などは、強大な権力を手にした為に自らの滅亡を招いた例と言えるであろう。それ故に、江戸時代の武士は自らの権力に溺れることがないように、『もののふとしての心得』を作り上げて、武士道という自分を律する哲学を守ったのである。政治家であり立法をする者であり、しかも行政をする武士だからこそ、自らを律する掟を作って守ったのである。今の政治家が武士道を学びそれを守るのであれば、カネの魔力に勝てるであろう。国民は、今の政治家に武士道のような正しい政治哲学を持つことを期待したい。
失言は本音だから、謝罪会見は茶番劇 [2013年06月25日(Tue)]
 日本の政治家・官僚というのは、どうしてこうも失言が多いのであろうか。都議選で維新の会が惨敗したのは、まさに橋本市長の慰安婦発言の一連の失言からであるのは間違いない。また、自民党高市総務会長の「原発で亡くなった人は居ない」発言は、原発避難者や福島県民を傷付けるような失言である。ツィッターでとんでもない発言を繰り返した某復興庁の参事官の失言もしかり。石原元東京都知事も、あまり叩かれなかったけれども、随分と失言を繰り返していた。失言から要職を追われた政治家・官僚を列挙したら、止めどもない数字になってしまう。日本は、まさに失言天国と言った様相を呈している。

 このような問題発言をする度に、前言を撤回して謝罪の記者会見を開くのが通例になっているが、国民を愚弄するにも程がある。誰が考えたって、彼ら彼女らは本音を語っているのは明らかなのだから、本心から謝罪しているとは到底思えない。要職にしがみつきたいが為に、我慢して自説を隠してまで謝っている振りをしているのである。つまり、言い換えれば自分の権利や権力を守るという自己保身の為に、自分を偽って無理をしているのだ。なんと情けない人間性であろうか。これらの暴挙を許して、選挙で投票をしている国民もまた情けない限りである。

 何故日本ではこんなにも失言する(本音をもらす)政治家が多いのであろうか。政治家だけでなく、官僚出身の組織の長や教育関係者の長もまた、失言をすることが多いと感じるのは私だけではあるまい。それは、日本人がいつも他人に対して批判的・批評的態度を取っているからではないだろうか。つまり、国民や市民の気持ちに共感的になっていないから、自分本位な発言をしてしまうのだと思われる。心ある人間ならばこんなことを言ったら、相手は嫌な思いをするのではないか、傷付いてしまうのではないか、悲しい気持ちになるのではないかと、言葉を選びながら話をする。しかし、批判的態度を取り続ける人は、相手の気持ちなんか気にせず、自分の持論をぶつけるだけなのである。

 この批判的態度を取り続けるのは、政治家官僚だけではない。家庭においても、妻に対して共感的態度を取れず、批判的な冷たい態度を取り続ける夫が多いのだ。特に、教養が高く、高学歴の男性に多いのが特徴的である。本来、教養があり高学歴で知能の高い人ほど失言をしないと思うだろうが、不思議と逆のことが多いのである。何故なら、近代教育のせいで、高い教育を受ければ受けるほど、真面目に勉強すればするほど、批判的で分析的な人間になるからなのだ。学校教育では、すべての事柄を批判的に分析的に研究しなさいと教えるから、全体を見ないで部分だけを取り出して否定するのである。家庭の妻たちは、このような身勝手な高学歴の夫から、いつも冷たい態度で批判をされるのだからたまったものではない。

 このような困った夫や政治家・官僚を、作り出さないようにするには、教育制度を変えるしか方法はないと思われる。つまり、要素還元主義と言われるような、全体や関係性を見ないで、すべての物や人の部分部分だけを見て、批判的な見方しか出来ない人間を育成するような教育は、今すぐにやめるべきではないか。勿論、要素還元主義がすべて駄目で不要だというような乱暴な説を唱えようとは思わない。要素還元主義的な考え方も必要であるが、統合的な物の見方も必要だということである。両者のバランスが取れた見方をするような人間教育が必要だと思うのである。失言を繰り返すような政治家・官僚を辞めさせて、新たな教育制度を構築することが求められている。TVであんな茶番劇を演じるような謝罪会見を見るのは、もう懲り懲りである。
八重の桜と明治政府 [2013年06月23日(Sun)]
 NHK大河ドラマの八重の桜は、前半部の佳境に入ったようだ。明治維新の歴史は、今まで維新政府側に立った歴史観で描かれることが多かったが、今度のドラマは会津の視点で描いているという点で斬新である。会津藩士たちの義を重んじる高い価値観と、私利私欲や怨恨から会津討伐へと向かう明治政府の要職たちの対照的な価値観は、実に面白い。先週の放送だったか、こんな台詞が語られていたが、言い得て妙である。

 明治維新政府は、国民の代表者による合議制による国政を目指すと言っているが、結局は自分たちの思い通りになる政府を作りたがっているだけではないか、と指摘される場面である。将来自分たちの立場を脅かす存在になるかもしれない会津藩を、徹底的に潰してしまうために戊辰戦争をしているのではないかと、批判されるのである。つまり、明治維新政府というのは、そもそも成立した時点から、一部の権力者が自分たちの権利を守るために作られた私的な政府ということになる。

 であるから、その後も維新政府内では内紛や権力闘争が繰り広げられる。名将西郷隆盛は、大久保利通らの謀略に嵌められ下野し、やがては西南戦争で抹殺される。私利私欲を捨てて、国民の為に身を投げ出すような高い価値観を持つ政治家や高級官僚は、やがて明治政府から淘汰されてしまうことになる。我が国の政治家や官僚は、その明治政府からの伝統を重んじているのであろう。口では国民の為と言いながら、本音では私利私欲に凝り固まり保身に走るのは当然だと言える。

 このような歴史観を持って見れば、復興庁の何某という参事官がツィッターでとんでもない発言を繰り返したのも当然である。また、元外務省官僚だったプロ野球のコミッショナーが、保身の為に自分の部下に罪を着せるなんてことは、当たり前のことなのである。高級官僚の世界では、明治維新政府の伝統が守られているのであるから、国民そっちのけで権力闘争に明け暮れる日常であろうし、自分たちの権力や権利を守ることに必死なのである。

 勿論、キャリア官僚全員がこのような低い価値観にあるなどという乱暴なことを言うつもりはない。官僚の中には、旧会津藩士たちのような高い価値観を持った正義の士もいるに違いない。政治家にも、義を重んじる清廉の士がいない訳ではない。回りから総理になるようにと強く進められながらも、自分は総理の器ではないと頑固に総理の椅子を固辞した政治家がいる。今は亡き伊東正義という会津出身の政治家である。官僚のトップである事務次官からの転進した政治家でもあったが、金権政治の対極とも言える清貧の政治家だった。

 このように、戊辰戦争で徹底的に叩かれた会津であるが、その後も会津からは高い価値観を持った中央の政治家や官僚を輩出している。経済界においても、優秀な経営者を生み出している。やはり、当時日新館で培われていた伝統的な会津魂が息づいているのかもしれない。八重の兄山本覚馬も、やがて釈放されて京都の政界で活躍し、後に京都商工会議所会長に就くことになる。政治と官僚の世界において、会津日新館で行われていた高い価値観の教育こそが、今まさに必要なのかもしれない。明治維新の間違いを軌道修正するには、皮肉にも会津の教育観が必要だと、八重の桜を見ていて強く思うのである。
政党マニフェストは信用できるか? [2012年12月08日(Sat)]
 乱立した政党の中で、これからの政治を誰に託せばいいのか、非常に悩むところである。原発問題か、財政立て直しか、経済優先か、年金・福祉優先か、TPPか、消費税か、官僚支配打破か、それぞれの政党の重点施策によっても、選ぶ基準が違うであろう。いずれにしても、これからの日本をどのようにするのか、じっくりと政党マニフェストを拝見して、吟味して選びたいものだ。

 しかし、待てよ。そういえば、前回の衆議院選挙でマニフェストを信用したばかりに、私たちは痛い目に遭ってしまったのではないか。きれいごとを並べ立て、さも簡単に出来るかと勘違いするような施策を打ち立てていながら、殆ど出来ずに3年間を経過し、しかもあろうことかマニフェストに反する消費税増税まで決定してしまった政党があったではないか。あんな詐欺まがいのマニフェストを信用してしまった過ちを、また繰り返すことはないのかと疑ってしまう自分がいる。

 何故、あんなにも簡単に私たちは世紀最大の詐欺に引っかかってしまったのであろうか。その理由は簡単である。私たちが愚かだったからだ。目の前の餌に飛びつく魚と同じように、自分たちに取って利益になるからと、ついつい喰いついてしまったのである。本来は、自分にとって損か得かという観点ではなくて、この日本の国民全体が幸福になる施策を選ぶべきなのである。それなのに、自分の利害だけで選んだから、とんでもない過ちを犯したのである。マニフェストを作った輩も、意識してやったのかどうか知らないが、彼らもまた自分たちの利害を考えて作ったのではないかと思える。欲にかられた人間が、これまた欲望を持った人間に騙されたという構図なのだ。

 その詐欺の片棒を担いだのが、マスメディアである。あの当時、あのマニフェストは不可能であるとか、または信じると危険だと指摘したメディアや評論家は殆ど居なかった。あたかも、あのマニフェストが見事に実行されて政治・経済の停滞が打破されるものと信じて疑わなかったマスコミ界があったのである。つまり、あのマニフェストが絵に書いた餅になるだろうと予測したマスメディアは、殆ど見当たらなかったのである。であるから、国民はいとも簡単に騙されてしまったのである。人間は欲にかられると、真実を見れなくなるのである。マスメディアもまた、自分たちの欲で真実を見透かすことが出来なかったのだ。

 真実を見抜く目を持てないのは何故かというと、私たちのメンタルモデルが非常に低レベルだからである。マスメディアにいる人間もそうだし、政治家だって経済人だって官僚だって、非常に低いクォリティのメンタルモデルを持っているのである。つまり、皆共通するのは、自分の損得や利害を考えての行動をしているのである。あたかも国民の為と訴えながら、本心では次の選挙で勝てるかどうかとか、自分の立場や既得権益を守ることに必死なのである。だから、自分の生命を賭してでも、国や国民を本気で守るという人間が居ないのだ。何のかんのと綺麗ごとを言いながら、所詮皆偽善者なのである。

 東日本大震災の時に、自分の生命を賭して闘った人たちがいる。南三陸町のあの放送を続けた役場職員の遠藤さんや各県の消防団の方たちである。そして、原発災害に立ち向かった自衛隊・消防隊・警察の方たちである。本来、私たちはあのような尊い使命感を持って生きるべきなのである。そして、あのような高いクォリティのメンタルモデルを持った政治家を選ぶべきなのである。今度こそ、心地良いマニフェストに騙されずに、自分たちにとって都合のよい政治家でなく、国民の為に身を投げ出す覚悟を持った真の政治家を選びたいものである。
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