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経営者の価値観 [2012年02月16日(Thu)]
 オリンパスの経営者と監査役、そして指南役のコンサル会社のトップが逮捕されたという。いやはや、大企業の体質はここまで腐っていたのかと呆れるばかりである。CSR(企業の社会的責任)が叫ばれ始めてから、もうだいぶ年数も経っているし、コンプライアンスなんて言葉は、もう当たり前のこととして、口にすることさえ時代遅れのように感じてしまう。そんな時代に、こんな違法行為を続けていたなんて、信じられない。彼らの経営に対する価値観は、どうなっているんだろうと、情けなくなってくる。

 以前、米国のエンロン事件が起きた時に、企業の反社会性人格障害だと騒がれたことがある。日本では、過去に企業不祥事が起きる度に、経営者の資質が問題視される。今回、オリンパスの経営者の人間性が問われているが、多くの取締役がいながらこの不祥事を知らなかったと言い逃れることは出来ないだろう。もし、本当に知らなかったとすれば、経営者として失格だ。自分の資産をすべて投げ出してでも、株主や社員に対して弁済すべきだろう。役員とは、それだけのリスクとコストを負担する覚悟が必要だ。

 企業経営の目的を、完全に見失っていたと言える彼らの悪魔の所業は、何に起因しているのであろうか。企業の収益性を確保するあまり、理性を失っていたなんてことは言い訳にならない。金欲に飲み込まれたと、簡単に片付けられることでもない。多くの企業経営者が、まかり間違うと同じ轍を踏むのではないだろうかと危惧されるのだ。何故なら、過去に多くの企業で脱税や粉飾決算、リコール隠し、食品偽装等の不祥事を起こしているからである。根本的に何かが間違っているのである。だから、企業の不祥事がなくならないのである。

 それは、企業経営者の間違った価値観である。彼らは、自分の行動規範を、自分の損得や利害というような低い価値観に貶められているのである。人間は、本来全体の為に奉仕するという価値観を持たなくてはならない。だから、企業経営は社会に対する貢献や人々の幸福実現という目的の為に行われるのだ。確かに企業は収益をあげなければならない。しかし、収益をあげることが目的になってはならない。それはあくまでも目標であり、収益は全体に奉仕するためのひとつの手段でしかないのである。当然、企業経営者は全体に貢献するという高い価値観を持つことが求められている。

 ところが、今の経営者の多くがおおいなる勘違いをしていて、企業の収益をあげることに血眼になっていて、本来の目的を見失い、低い価値観しか持ちえていないのである。企業経営者だけじゃない。行政マンや政治家も、同じ間違いをしていて、口では立派なことを言いながら、本音では自分の利益だけを考えている人が多い。勿論、立派な価値観を持っている人もいるが、残念ながらごく少数である。企業家諸君、正しい価値観を持てるように、思想・哲学の勉強をやり直してみてはどうだろうか。
権力の亡者どもが茶番劇 [2011年06月05日(Sun)]
 何とも情けない茶番劇である。国民を愚弄したような権力闘争は、絶対に許せない。国民のためと言いながら、何とか権力を維持しようと企む者と、何とか権力を自らの手にとジタバタする輩との、国民無視の綱引きごっこである。今やるべきことは、他にあるだろう。丸一日かけて、こんなくだらないことをしている暇はない。こんな政治家が日本の舵取りを行なっているかと思うと、泣けてくる。こんな政治家しか、日本には居ないのだろうか。

 菅首相の後、誰にこの日本の政治を託せるのか。これぞという政治家は見当たらない。まともな政治家が日本には居ないのであろうか。各省庁の高級官僚といい、地方の政治家といい、真に国民市民のために、命を投げ出せるような心意気を持った者がどれだけいるであろうか。中には立派な人物も居るだろうが、殆どの人は自分の損得や権力指向で行動しているように思えてならない。何とも情けない世の中になってしまったものである。

 こんな政治家を選んだのは、誰かと言えば自分達国民である。ということは、こんな世の中にしたのは、自分たちに責任があるということである。とんだ茶番劇を演じた者たちを選んだのは、自分達なのであるから、彼等を責めるのは見当違いということになる。何故、あんな体たらくの政治家を選んだのかというと、国民が自分の損得勘定を考えていたからに他ならない。補助金、手当て金、無料化、自分の商売や仕事に有利な施策、自分の業界に有利な政策、等々につられて政治家を選んでいるのである。自分にとって得になる政治家を選んだのである。甘い言葉につられて、とんでもない政治家を選択した国民にこそ責任がある。

 つまり、低い価値観の政治家が政界に跋扈しているのは、国民が低い価値観だからである。また、マスメディアが政治家たちを非難批判しているが、マスコミの記者たちもまた低い価値観なのである。だから、政治家を批判非難するばかりで、国民が目指すべき道を指し示すことが出来ない。国民本位の真の政治家を育てるのも、マスメディアの重要な役割であろう。自分の損得しか考えられない政治家ではなく、真の政治家を称えることが出来るマスメディアであってほしいものである。

 日本の民主主義は、言葉ばかりで実体が伴っていないと言っても過言ではない。国民が政治家を選んでいるように見えて、実は巧妙に騙されていて、くだらない政治家を選ぶように情報操作されているのではないだろうか。目の前の餌につられて、自分にとって損か得かで選ばされているような気がする。そうやって騙されるのは、国民の価値観が低いからだ。さて、日本の政治が本当の民主主義を実現する為には、どうすればいいのだろうか。国民自身が、自分の損得だけでなく、真に国のため国民の幸福のために行動できるようになることであろう。そうすれば、真に国民のために働く政治家は誰なのかということが見えてくるに違いない。今度こそは、高い価値観の政治家に日本の未来を託したい。

ウーマノミックス [2011年01月18日(Tue)]
 ウーマノミックスという造語が流行っているそうな。ウーマンとエコノミックスが合体して出来た言葉であり、簡単に言えば女性が経済界で活躍することである。勿論、今までも経済界において大活躍する女傑を多数配してはきたが、それは全体から見たらごく少数であった。これからは、男性と同等に、いや男性よりも企業の中枢で活躍する女性が増えると思われる。そんな予感を抱いているのは、私だけではあるまい。何故なら、あまりにも経済界の活性に役に立たなくなってきている男性が多いからである。

 今までの日本では、男性が中心になって政界や経済界を動かしてきた。多くの女性は、その補助的役割しか与えられなかった。世界の先進国に比して、女性の社会進出は著しく低い。それは、世界的な指標で換算して比較すると、一目瞭然である。先年までは世界130カ国中、98位という体たらくぶりであった。日本人の意識全体がそうだから仕方ないと思う人も多いが、そうではない。意識的に時の権力者や男性が、女性の社会進出を拒むために、そんな社会システムを作り上げていたのである。

 そんなまやかしの社会システムが大きな矛盾をはらんでいるということを、聡明な女性たちは既に認知していた。能力があり意識の高い女性が男性よりも多いのに、社会的障壁が邪魔をして、社会進出を果たせなかったのである。そして問題なのは、それが当たり前だという意識を持たせる為に、女性たちを洗脳してきたのである。例をあげよう。配偶者特別控除の制度や年金の第三号被保険者制度である。一見すると女性に良い制度に見えるが、とんでもない。女性蔑視の制度であり、これを口実に家庭に縛り付けて頑として妻を働きに出さない夫が居たことだろう。自分の都合のよいように女性を家庭に囲う為の制度である。

 しかしながら世の中の女性たちは、そういう前近代的な社会システムが間違いだと気付いたのである。勿論、一部の賢い企業経営者もそのことを知り、積極的に女性の管理職や役員を登用し始めた。何故なら、女性のほうが高い意識や能力があるので、男性よりもはるかに働くし実績をあげることが解ったからである。一方、男性は高い学歴や技術・知識はあるものの、現代のように過去のノウハウだけでは、企業を経営においては、まったく役に立たないということが解り始めたのである。滑稽なことではあるが、一流の国立大学を出た男性ほど役に立たないらしい。何故なら、知能は高いが低い価値観しか持てないからだ。女性は違う。柔軟な発想や素晴らしい感性を持つが故に、会社に対して多大な貢献をするのである。

 今、働き方が多様化していて、長時間労働をしなくても企業に貢献できる仕事が出来るようになった。だから、女性でも出産・育児をしながら、企業の要職をこなせるようになった。また、女性の目線で商品開発をして、働きながら家庭を守れるための商品を市場に提供できるようになった。おかげで、家庭と仕事を両立できる環境が整いつつあるようだ。いわゆるワークライフバランスが実現できる社会がやってきたのだ。これから、益々無能な男性にとって代わって、女性が社会組織の中枢を占めるようになるのは間違いない。ウーマノミックスなんて言葉が、ニュースに載らないような社会がやってくるのだ。
国会軽視をする人たち [2010年11月25日(Thu)]
 とうとう、柳田法務大臣が辞任した。実質的には詰め腹を切らされた格好である。あの国会を軽視した発言は、いくら何でも言い過ぎだ。つい、仲間内の会合だから口が滑ったと言ったが、とんでもない言い訳だ。仲間を相手に本音で言ったというなら、益々許せないだろう。辞めさせられたのは、自業自得と言わねばならない。とは言いながら、野党もマスメディアも鬼の首を取ったように元法務大臣を批判していたのは、異様に思えて仕方ない。

 自分たちだって、心の奥底では国会を軽視しているではないのではないだろうか。国のあり方や政治は、残念ながら国会の真摯な討論で決められているのでない。すべて、巧妙に操作された世論によって左右されているとしか思えないのである。今回の辞任劇だって、マスメディアがセンセーショナルに取り上げ、それを野党が利用した格好である。国の重要な施策を決めるに当たって、与党や首相は、世論を非常に気にしている。世論によって、国会議員は右往左往している有様なのである。国会よりも世論を大事にしているとしか思えない。つまり、国会軽視なのである。

 確かに、世論というものがしっかりした見識がある人々によって作り上げられたものなら、その世論を配慮した政策が行われるのは大歓迎である。しかし、実際には正しい判断がされた世論とは思えない節がある。例えば、小泉・竹中の新自由主義である。あの時に、マスメディアは抵抗勢力に対する正義の味方と言わんばかりのもてはやし方で、小泉・竹中の政策を礼賛したのである。あの政策の危うさを指摘した、善良な政治評論家の意見を完全に抹殺したのである。巧妙に操作されたマスコミ報道によって、世論は操作されてしまったのだ。そして、郵政民営化という巧妙な世論操作により、国の行く末が決められてしまったのである。小澤に対するマスメディアの執拗な批判攻撃も異様だった。

 ああいった世論操作に手を貸してしまったマスメディアは、反省さえせずに今も同じ轍を踏み続けている。そして、国民もまた操作されたマスコミ報道を鵜呑みにして、正しい判断が出来なくなっている。そして、さも自分が良識ある善人だと思い込んで、マスコミ報道に洗脳されてしまい、結果として間違った世論を形成してしまっているのだ。つまり、国民もまた国会軽視をしているのである。その原因は、偏ったマスコミ報道のせいだけではない。高い価値観を持って、正しい判断が出来る国会議員がいなくなったということも原因のひとつであろう。高い価値観を持っていれば、マスコミ報道によって巧妙に操作された世論に惑わされることはないのだ。

 本来、国会というのは良識ある議員が、正しい判断をして法律や予算を決定していく場である。つまり、自分の崇高な価値観を元にして、国民の幸福実現のため、そして国益のために正しい政策を決定する場である筈である。議員たちは作られた世論なんか気にせずに、自分の正しい価値基準に照らして、自信を持って英断を下すべきである。そして、真摯な討論の中で、自分の過ちを謙虚に認めて、是々非々の立場で法案や予算の審議をすべきなのだ。しかしながら、殆どの議員たちが、結果として国会を軽視しているのである。国会軽視は柳田元法務大臣だけではないのである。国会の討論よりも、世論に一喜一憂している有様なのである。国会が本来の機能を果たして、議員たち全員が国会重視の考え方を国民に示してほしいものだ。
地に堕ちた地検特捜部 [2010年09月29日(Wed)]
 輝かしい実績と歴史を刻んでいた地検特捜部が、とんでもない不祥事を起こしてしまった。現在の特捜検察がいかに愚かしいことをしているのかということを、如実に世に示した事件である。これはごく一部の検事が引き起こした、特異な事件ではない筈である。検察の体質そのものが起こした事件ではないだろうかと思える。ましてや、地検特捜部の検事というと、検察内部では超エリート集団である。組織ぐるみの隠蔽があったという新聞報道もされている。地検特捜部だけは庶民の味方だと思っていた私は、裏切られた気分だ。

 そもそも、地検特捜部というのは、占領軍GHQの肝いりで作られた組織だと言われている。GHQの占領政策では、当初検事を公選制にしようと考えていたらしい。戦前の検察が、時の権力者の手先としての性格を強くしていたのをGHQが嫌ったからであろう。ところが、検察が強い抵抗を示した為に、妥協の産物として出来たのが地検特捜部だというのだ。政治の不正を暴くという尊い使命感を持った組織だった。だから、政治に対しても中立を保ち、独立していた。それが故に、ロッキード事件等様々な政治がらみの事件を暴くことが出来たのである。

 ところが、この様である。地に堕ちた地検特捜部という字句が新聞紙上に躍っている。地検特捜部への人々の信頼は、無残にも砕け散ったのである。あれほど崇高な理念に裏打ちされた、検事たちの素晴らしい活躍は、遠い過去のものとなってしまったのである。どうして、こんなにも検事たちは変わってしまったのであろうか。過去における地検特捜部の検事たちは、巨悪がのさばるのは許せない、額に汗して働く庶民が報われるようにするんだと、口々に叫んで政治家と対決していたのである。それが、自分たちの保身の為に不正を働くまで落ちぶれてしまったのは何故だろうか。

 昔の地検特捜部は、それこそ出世欲もなく、お金や名誉に対する欲もない集団であったらしい。つまり、自利の精神とは無縁の、利他的な人々が集まっていたと聞いている。地検特捜部に所属していると、時の政治家から嫌われるから出世もしなかったのであろう。ところが、いつの間にか、地検特捜部出身の検事がどんどん出世していくようになってしまったのだ。それも、実績をあげて高い評価を得た検事が、驚くほどのスピードで昇進していったのである。つまり、検察内部でも実績成果主義が横行したのであろう。ましてや、地検特捜部はGHQの肝いりで出来たのである。親米的な地検特捜部は、米国と親密な政治家とは良好な関係を結ぶことも多かったと想像できる。昇進に影響したという推測は成り立つであろう。

 人間の心は弱いものである。目の前に、出世と名誉がちらついたら、男は誘惑に負けてしまう例が多い。大阪地検特捜部の例の検事が、実績と成果をあげることに心を奪われて、ふと魔が刺したという図式が思い浮かぶ。これは、単なる一部検事の責任だけではない。あまりにも、実績成果主義に陥ってしまった検察の体質が引き起こした事件だと言えよう。このように読み解くと、この事件だけでなく、他にもこのような事件が起きているのではないかと想像できる。このような不幸な事件が二度と起きないようにするには、検察の体質を抜本的に変えることが必要である。

 このような実績成果主義が横行しているのは、実は検察だけでないのである。国家公務員などの行政職全体に導入されている。実績成果主義というのは、自由経済主義においては当然であろうが、このような司法や行政職においては、あまり馴染まないと思われる。司法や警察においては、あくまでも一般庶民の味方に立つという理念を持つことが大切であり、けっして実績成果主義を導入すべきではなかったと思われる。何故なら、高評価や昇進を望めば、無理したり虚偽の報告をしたりして、自らの自己保身に走るのは想像できるからである。そして、公務員として大切な、利他精神を忘れてしまったのだ。

特捜検察は、捜査権と訴追権の両方を持つ強権組織である。それでなくても、検事たち自身が、自分たちは偉いんだと勘違いする傾向が強い。つまり、自分たちが国民の利益を守る忠実なしもべだという意識を、忘れてしまうのではないだろうか。それは、完全な間違いであり、あくまでも国民が主人公であることを忘れてはならないのである。そして、立身出世など自分の利益は忘れて、利他精神を発揮しなければならないのである。そういう意味で、検察全体の体質改善と意識改革を行なわない限り、こういう不祥事はなくならないであろう。地検特捜部が国民を守るという矜持を取り戻すべく、自浄作用を強く望むものである。地検特捜部は、本来私たち国民の誇りなのだから。
エコカー補助金終了!? [2010年09月20日(Mon)]
 エコカー補助金とエコカー減税があると聞いて、何となく得するような気分になり、新車を6月末に注文した。9月末で補助金がなくなってしまうからである。国内では一番の人気車種で納車が相当遅れるらしいが、8月末くらいには納車の予定だと聞いて、安心して契約した。エコカー補助金は、間違いなくもらえるだろうと思ったからである。工場出荷が9月初めで、新車の登録が9月8日頃になると聞いた。登録と同時に申請書を提出してくれと、予め申請書を書いて渡したし、予算の残額を見ると、余裕で間に合う筈だと安心していた。

 ところが、政府広報で残額の計算に算入していない申請分が100億円ほどあることが判明して、いきなり9月8日頃に終了してしまうとの情報が流された。この話を聞いて慌てた。ぎりぎりではないか。何とか間に合ってほしいものだと、強く願った。しかし、結果はがっかり。9月7日までの申請はぎりぎりセーフで、9月8日の申請分は、すべて認めないことになったのである。ということは、もらえる筈だった10万円の補助金はもらえないということである。

 しかし、取らぬ狸の皮算用なんだから、まあ仕方ない。こういう時に、異様に諦めが早い私。wifeは、そんなの許せない!何とかならないのと喚いている。しょうがないんじゃないのと私が言うと、もっと早く注文すれば良かったのにと諦めきれない様子。起きてしまったことは、どうしようもないのだから、受け入れるしかないのである。ところが、なんとディーラーが補助金を代わりに負担するという連絡が入った。さすがである。諦めていたものの、有難い処置である。この車種は複数のディーラーが扱っているが、補助金を出すのはここのディーラーだけだそうである。これからは、ずっとこのディーラーとお付き合いしたいと、心底から思った。

 このディーラーの営業マンは、エコカー補助金が間に合いますとは、けっして言わなかった。間に合わないかもしれませんので、その時は覚悟してくださいと言っていた。だから、責任を負う必要はないのだが、補助金の分を出してくれるというのだ。このディーラーは、9月登録の新車全部にエコカー補助金を出すとの英断を下したらしい。大変な金額であろうが、すごいことである。私みたいに、これからはずっとこのディーラーとお付き合いしようと思った客も多いに違いない。大変な金額ではあるが、素晴らしい先行投資と言えるだろう。この10万円は、やがて何倍にもなって還ってくるに違いない。生きた金を使うというのは、こういうことなんだろうと感動した。



政治哲学「最小不幸社会」 [2010年06月09日(Wed)]
 菅直人首相の就任記者会見で出た言葉が「最小不幸社会の実現」である。おや?間違いなのではと思った人も多いのではないだろうか。最大幸福社会を作るのが、本来の政治の役目なのに、いやにみみっちいことを言ってるなと疑問を持ったのは私だけではあるまい。でも、彼の言わんとしていることは、なるほどと思えないこともない。確かに、政治というものは一部の幸福者を作るためのものではなく、すべての人々が最低の幸福が享受できる社会を実現させるのが目的である。その言葉を解りやすく、「最小不幸社会」と言い換えたのなら納得できよう。

 この菅首相の「最小不幸社会」という政治哲学は、首相になってからの持論ではなくて、既に20代の頃から掲げていたらしい。多くの政治家が、政治哲学らしいものを持っていないというか、公にしていない中で、ずっと持ち続けていてブレないというのも注目に値する。政治家たるもの、けっして揺るぎのない政治哲学を持つべきであろう。何の為に政治家を志したのかまったく解らない二世議員が多い中で、サラリーマンの家庭に育った人が、このような政治哲学を掲げて首相になるというのは素直に歓迎したい。

 権力闘争や派閥力学に縛られて、お金を集めることだけに腐心している派閥の領袖が多い中で、国民の幸福を願って政治を行うという強い決意を示す政治家は好感が持てる。リンカーン米国大統領がゲチスバーグで行った演説は秀逸だ。政治は誰のためにあるのだということをしっかりと示してくれたし、民主政治というものの基本を見事に表わしている。今の日本の政治は誰の為に行っているかと言えば、一部の金融資本家や大企業・富裕者の為に行っているとしか思えない。国家というか経済を成長させるためには、国際競争力を高めて株価を上げるしかないと、国民は思い込まされている。その結果が、こんな不幸な社会を作ってしまったのである。

 菅首相は、最小不幸社会を作ると言っている。皆がそこそこ幸福でいいんじゃないかと思う。最大幸福を一部の人々が求め過ぎると、富の集積が行われ、所得格差や地域格差が生まれる。ワークシェアリング的労働政策を浸透させて、高福祉社会を実現させている北欧・ドイツ・オランダ等は最小不幸社会を実現させている。勿論、高福祉社会は社会保障費が嵩んで税負担が大きい。それでも、安心して老齢を迎えることが出来る社会なら、高い税負担に反対する者はいない。日本の内需が低迷してデフレになっているのは、将来の生活に対する不安からである。

 菅首相が目論んでいるのは、将来に対する国民の不安を払拭して内需型の循環型社会を作ることではないかと思われる。国民それぞれが、「知足」(足るを知る)という言葉に代表されるように、そこそこの幸福で満足して、最小不幸社会の実現の為に協力するという覚悟があれば、消費税増税の道筋も見えてこよう。自分だけが幸福になりたいと思うような国家を政治が作り出してはならない。喜んで所得の再配分に応じて、ワークシェアリングをすることにより、より人間的な生活、つまりはワークライフバランスが取れた社会、それが最小不幸社会なのだと思う。欲望を貪る心を捨てて、皆が幸福になる社会の実現に共に邁進しようではないか。
四国巡礼をした首相 [2010年06月04日(Fri)]
 菅直人氏が民主党の代表になり、日本の首相になった。今までの首相とは、少しキャラクターが違うように感じる。元々、市民活動家の市川房江さんの支援者だったという顔を持つ菅首相は、どちらかというと庶民派の宰相というイメージがある。これほど、政治とカネで騒がれたのだから、組閣するときもカネの匂いがする閣僚を選んでほしくないものである。政治家というのは、本来清貧であるべきだと思う。少なくても、そんなイメージに近い菅首相に期待する国民は多いことだろう。

 ところで、菅首相はO−157のカイワレ大根事件薬害エイズ事件、年金未加入問題など話題性に事欠かない政治家である。そういう多くのエピソードの中で、私が一番注目しているのは、四国巡礼のお遍路さんをしたという件である。四国八十八箇所全部を巡礼したのではないだろうが、年金未加入事件をきっかけに民主党代表を辞めた際に経験した時を含めて、都合5度四国巡礼をしたという。あの坊主頭の白装束姿で、自分を見つめ直したいと四国巡礼しているニュースが流れたのは、センセーショナルだった。おそらく歴代首相の中で、四国巡礼をしたというのは、今まで菅首相の他にはいなかったのではないかと思われる。ということは、日本で最初のお遍路さんをした首相ということになる。

 ところで、最近の若者たちの間でも四国巡礼が流行しているという。生きることに疲れたり、精神的に参ったりした若者たちが、自分探しをしたいと四国巡礼の旅に出ることが多いという。そして、中にはこの巡礼で自分を取り戻す若者もいるらしい。勿論、団塊の人々もまた四国のお遍路さんに憧れる。老いも若きも、皆四国巡礼を目指すというのは、それだけ自分を見失っている人が多いという証拠かもしれない。それもそうだろう、これだけ生きづらい世の中なのである。自分の生きる意味や生きる目的を見失ったり、自分が何者であるかを見出せないで苦しんでいたりするのも、当然と言えば当然であろう。

 政治とカネの問題を起こしたり、国民から信頼を失っている政治家たちもまた自分を見失っていると言えるかもしれない。権力闘争に明け暮れる政治家や、利権を求めて跋扈する魑魅魍魎のような政治家もまた同様である。是非とも、四国巡礼の旅に出ることを勧めたいものだ。政治家というものが、本来すべきことを見失っているというのは、つまりは本来の自分自身を見失っているということと同じことと言える。すべての政治家たちが、お遍路さんになって自分探しの旅を経験すれば、政治も少しはまともになるのではないだろうか。

 菅首相も、これから時間を作って、何度も四国巡礼の旅に出てほしいものだ。そして、謙虚さを失わずに、初心を忘れず国民目線に立った政治を志してほしい。宗教的な行動をするのは、政教分離の観点から好ましくないなどということは言ってほしくない。一国の首相だからこそ、1人で四国巡礼のお遍路さんをして、時々孤独になり思惟してほしいのだ。国民の為に今何をすべきなのかを。いや、違う。お遍路とは、二人同行というように、お大師(空海)さんといつも一緒なのだ。つまり、自分ひとりだけではなく、自分という内なる宇宙では、宇宙意思と一緒なのだということである。菅首相には、お遍路さんの気持ちを失わない為政者であってほしいと強く願う。
権力の二重構造 [2010年06月03日(Thu)]
 鳩山首相が退陣を表明した。彼に対する批判はすこぶる多い。発言がころころ変わるだの、方針が勝手に変更されてしまうだの、自信がなさそうに発言するというような批判にさらされている。でも、よく考えてみると麻生首相もそういう傾向にあったように思う。党は違うけれど、まさに発言の内容がころころ変化したのは、共通のことだと認識している人も多いだろう。一国の宰相が何故、こんなにも発言内容が変化したのであろうか。

 その原因は、権力の二重構造からだと分析する政治評論家は多い。今になって、岡田外相も権力の二重構造は拙いので排除しなければならないと公言し始めている。おそらく、民主党政権は権力の二重構造に、ならなざるを得ないような状況にあったのではないかと思われる。麻生政権のときも、誰が陰で操っていたとは言えないが、傀儡政権だったように思える。だから、ころころと政策や発言がブレてしまい、国民から反感を買ってしまったのであろう。まさに、鳩山首相も発言がブレたのは、誰かが院政を敷いていたからではないかと思われる。

 政界というのは、魑魅魍魎が跋扈する世界だと言われている。国民のために本来行われるべき政治が、政治家やそのグループの利権や自己利益誘導のために捻じ曲げられることが多い。だから、権力闘争に明け暮れるのであろう。ましてや、権力を一度握った人に取っては、その蜜のような味は忘れがたいであろう。本来、自己の利益に対しては淡白であるべき政治家なのだが、長く政界にいると神経が麻痺してしまい、欲望に支配されてしまうのかもしれない。政治家は清貧であるべきだし、庶民の心を理解するためには、庶民と同レベルの生活をするべきだと思う。それが出来ないというか、今まで贅沢な暮らしをしていたような政治家を選ぶべきではないと思う。

 そうは言っても、今の政治活動は資金が必要である。潤沢な選挙資金がある候補は有利である。だからこそ、選挙資金を出してくれる政治家の元に議員や議員候補が集まるのだ。ということは、権力の二重構造をなくそうとするならば、お金のかかる選挙制度を改善するしかないように思う。本当に国を憂い、国を良くしようと粉骨砕身国民の為に働いてくれる政治家を選ぶべきだと思う。今回、不十分ながら選挙活動に対するインターネットの使用が緩和された。今までのような、選挙カーを何台も連ねて、多くの支援者を集めてお祭りみたいな旧来の選挙活動を見直す時期にきていると思う。権力の二重構造は、国政を駄目にするということを国民もようやく認識した。今後は絶対に権力の二重構造にならないように監視することと、そうならないような選挙制度にするようにしなければならない。政治は権力者の為にあるのでなくて、国民のためにあるのだから。
似非政治評論家と官房機密費 [2010年05月15日(Sat)]
 何とも情けない話だ。官房機密費が政治評論家に、数百万円毎年の盆暮れに渡されていたという。野中広務元官房長官が、正義感にさいなまれ暴露したという記事が新聞に掲載された。官房機密費といえば、当然国民が汗水流して働いて納めた税金である。その使途が、自民党・政府に有利な発言を、マスメディアでしてもらう為に使われたということならば、重大な背任行為と言わざるを得ない。しかも、野中広務官房長官の以前から延々と続いてきたことで、それ以後も続けられたという。国民は、呆れて物が言えないし、怒り心頭に達する思いだ。

 以前から、官房機密費については、その使途の不明さと危うさが指摘されていた。野中氏によると、ある議員が家を建てるのにお金が足りないから3000万円くれと要求したり、野党議員が北朝鮮に行くからと金を無心されたりしたらしい。まったく私的なものまでに流用されていたことになる。とんでもない公私混同である。政界は腐りきっている。要求するほうも問題だが、渡すほうの官房長官に正義感はないのだろうか。野中氏は、いろんな問題があったにせよ、今になって当時を振り返り、とても恥じていると述べている。そして、政権の変わった今こそ、その悪弊を一掃してほしいと訴えているという。

 ところで、その官房機密費はどんな政治評論家に渡されたのであろうか。そして、政治評論家たちは、どういう意図で受け取り、どんな発言をしたのであろう。政治評論家たるもの、特定の政党や政府関係者に味方する発言を、誰からか指示されてするべきではないし、自分の確固たる信念で評論すべきである。それが、お金をもらって持論を捻じ曲げて発言したとしたら、とんでもないことだ。それらの発言を聞いて、それを信じて投票した国民がいたとしたら、政治を捻じ曲げたことになる。その政治評論家に、正義感はなかったのだろうか。

 野中氏の発言よると、田原総一郎は頑として受け取らなかったそうである。他の評論家は、「あ、そうですか。そこにおいて」と何の躊躇も礼の言葉もなかったという。そういうとんでもない政治評論家の実名については、既にネット上で明らかになっている。予想していたとおり、いやに自民党よりの発言をする変な評論家だなあと思っていた人達である。なんと政治評論家気取りの芸人も名指しされている。なるほど、どうしてああいう発言をしていたのかが、ようやくわかってきた。彼らに、政治評論家としての矜持はなかったのであろうか。

 TVタックルなどを代表とする政治討論番組で、喧々諤々の討論を展開をしていたあの人達が、実はお金をもらって自民党の宣伝広報活動をしてきたのである。勿論、自民党・政府筋から情報がもたらされ、もっともらしく発言していたであろう。そんな人達の言うことを信じてしまった自分が情けない。こういう人達は、二度とマスメディアに現れないでほしいと強く思う。似非政治評論家なんか要らない。そして、官房機密費なるものを透明化して、二度とこんな使われ方がされないことを強く望む。
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