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自分の中心と繋がる [2017年04月09日(Sun)]
 どんなことがあっても揺るがない自己、臆する事のない自己、勇気や元気を失わない自己を保ちたいと思う。ところが、人間というのは予想もしない事故や事件に出くわしたり、とんでもない目に遭ったりすると、自分を見失ってしまうことが往々にしてあるものだ。また、相手からエネルギーを吸い取って、自分のエネルギー源にする人に出会ってしまうことがある。相手の弱点や至らない点を見つけて、そこに付け込んで自分を優位に立たせて、相手を自分の支配化に置いてコントロールするのである。そうすると、相手のエネルギーを吸い取るばかりか、相手を自分の思い通りの操り人形に出来るのである。その為に、大きな声で怒鳴ったり、恫喝したり暴力を振るったりするか、逆に不機嫌な態度をしたり無視したりして、自分の思い通りに相手を行動させるのである。

 このような人間と四六時中一緒にいると、元気がなくなるばかりか勇気まで失ってしまい、生きる気力をも失ってしまうのである。こういう人間をエネルギーバンパイアとも言うが、この世の中には実に多い。身体的な病気やメンタルの疾病になられた奥様方は、ご自分でも気付かないだろうが、家族にこのエネルギーバンパイアがいる例が非常に多い。それも、一番身近な夫であるケースが殆どである。たまには、逆のケースもない訳ではないが、そういう例はあまり多くない。妻の病気の原因は、9割が夫であると言われているが、まさしくその通りである。エネルギーバンパイアである夫に生きるための気力や元気を、支配され制御されることで吸い取られてしまうのである。

 こんな夫とは1日も早くおさらばするのが賢明なのであるが、子どもたちの将来や親類縁者のことを考えると、離別するのはたやすいことではない。経済的に自立出来なくて、夫の収入に頼りきっていて、仕事や収入を持たないのであれば、別れる決意が出来ないのも当然である。ましてや、外面が良くて会社でも有能で評価が高く、親類縁者からもいい旦那さんだねと言われているならなおさらである。私さえ我慢すればいいんだと、耐え忍び続けるという選択肢を選ぶしかなくなるのである。または、職場の上司にもこのようなエネルギーバンパイアがいるケースがある。自分に従わない部下は辞めさせると公言したり、これみよがしに意地悪をしたりする上司は、始末に負えない。このようなパワハラやモラハラに苦しんでいる社員も少なくない。

 このようにエネルギーバンパイアに元気を吸い取られたり、つらいことや苦しいこと、または悲惨な目に遭ったりすると、人間という生き物は生きる活力を失うことが多い。しかしながら、そんな目に遭ったとしても、けっして揺るがず臆することなく、自分自身を見失うことなく、しっかりと人生を歩んでいる人もいる。その違いは、どこから生まれるのであろうか。ただ単に、精神的な強さや逞しさに由来しているだけではあるまい。もっと根源的な人間としての大事な資質を獲得しているからではないかと思われるのである。そういう人は、自分の中心としっかり繋がっていて、どんなことが起きようとも、またどんな目に遭ったとしても、揺るがずに自分をしっかりと保っているのである

 そういうように、自分の中心と繋がっている、または自らの内宇宙と同一化している人は、どのようにしてそれを可能にしているのであろうか。そういう人を見ていると、実に特徴的な部分が見えてくる。それは、普遍的に間違いのない絶対的な価値観を持っているという点である。そして、その価値観に基づいてしっかりと大地に根ざして生きているのである。だから、どんなことがあっても生きるべき道を迷ったりしないし間違うこともないのである。人間本来の生きるべき価値観、またはこの全宇宙と万物、生命体に共通の価値観でもあるのだ。それをしっかりと認識しているかどうかによって、自分の中心と繋がることが出来るかどうかが決まるのである。

 その価値観とは、すべての固体(構成要素)は常に全体に貢献するという考え方であり生き方である。しかも関係性によってそれが保証されているという価値観である。端的に言えば、全体性と関係性によってこの世の中は成り立っているのだから、その価値観に基づいて生きれば、けっして間違いはないという考え方である。この価値観をしっかりと自分の中心部に据えて、その価値観によって生きるべき道を選択さえすれば、いつでも自分の中心と繋がりあえるのである。これこそが、我々がこの全宇宙において、授けられたミッションだと言ってもよい。この価値観を基にして、生きることが出来たなら、エネルギーバンパイアも怖くないし、自分を傷つけるような人にも対抗できる。そして、自分らしく生き生きとした人生を歩むことが可能になるのである。
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コメント
Happiersさん、最近のリコメは確かに厳しいコメントが多いと自分でも感じています。Happiersさんに対してでなく、このブログを読んでいらっしゃるだろう他の方々に対する応援歌でもあるんですよ。神社仏閣にお祈りする時に、殆どの方々は自分と身内のために祈ります。私だって若い頃は同じでした。でも、今はシステム思考を学ばせてもらったおかげで、祈りは自分の為でなく全体のためにすることだと気付かされました。ドイツでは、小さい頃から学校でシステム思考を学びます。全体に貢献すること、関係性を大切にすることを、システム思考の教育で学びます。元々、ドイツはキリスト教の信仰に厚い国で、学校や病院はキリスト教系の経営です。だから、全体最適ということを毎週の教会で学ぶのでしょう。日本の信仰は、儀式だけに成り下がっていて、人間の育成ということを忘れてしまったようです。

Happiersさんがおっしゃるように、神社仏閣に行くだけで身も心も清浄になる気がするのは、当然だと思います。人間は、清らかな聖域に入るだけで、穢れが少しずつ祓われていきます。そして、自分の本当の姿を気付き学び自己啓発するのでしょう。そして、自己啓発したことで、多くの人々の幸福と平和に貢献できる人間として成長できます。だから、我々は神社仏閣に行きたがるのです。癒されるために神社仏閣に行くのではなく、神や仏とは人間を成長させるために存在するのです。
Posted by:Natural  at 2017年04月14日(Fri) 07:42
厳しいご意見をありがとうございます。

よくよく考えてみれば、確かにそうですね〜
ちょっと神仏信仰について、安易に考え、思いあがっているところも多々ありました。
困った時の神頼みではなく、世界の平和、幸福を祈ることが、個々に繋がるのですね。

でも、神社仏閣への参拝は、個人の気持ちを清々しくさせ、良い方向に向かわせる効果があると思います。それは、たとえ神主さん、お坊さんの資質がどうであれ・・・
私など、それで十分に思いますね。
Posted by:Happiers  at 2017年04月12日(Wed) 21:41
Happiersさん、僧侶や神官がすべて大学を出ている訳ではないみたいです。神主学校は2年~3年程度在学して試験に合格すれば禰宜として登録され、さらに何年か経験を積んでから神主になるのだと思います。僧侶は、それぞれの宗派の本山のお寺などで4年~7年くらい修業を積んで、僧侶になるようです。いずれにしても、今の神官や僧侶の修行は昔と違って、技術の習得はできても、人間としての修行は不十分な気がします。勿論、素晴らしい修行を積んで立派な宗教家としての人間性を確立している人もいますが、ごく少数ですね。

神や仏とつながることが、ただ祈るだけで実現することはないと思います。繋がっていると思っているだけであり、我々のような認識のレベルでは無理だと思われます。自分の身体や精神の限界まで追い込むような厳しい修行を経て、実感・体感するものではないかと思います。千日回峰行などの厳しい修行によって、完全に自我を失って超越し、真の自己を確立した人だけが、神や仏と一体になれるだろうと思います。

神や仏に祈るだけで、何かのご利益が得られるというのは、まったくの誤解です。神や仏がお布施や初穂料を頂いたからと、無事故や幸福などの現世利益を与えてくれることは、絶対にありえないのです。神や仏というのは、本来何かをお願いする場所ではなく、ただ感謝するところです。

自分のために祈ったり家族のために祈るというのは、まったくのナンセンスだと思います。本来は、社会全体のために祈るべきであり、全体性と関係性という価値観からまったく乖離しています。それぞれの人たちの平和への祈りなどが寄り集まって集合意識となり、世界の平和を実現するということはありうることです。個別最適(家族の幸福)を願っても、神や仏がそれを支援してくれることはありません。そもそも、家族がテロに遭ったり事故に見舞われるようなことを避けるのであれば、世界全体が平和になればよい訳であり、全世界の人々すべてが豊かになれば、争い事がなくなり事故も減ります。全世界の人々が豊かになり平和になるようにと祈るのであれば、神や仏(宇宙意思)は願い事をかなえてくれるかもしれません。自分だけや家族だけの平和や幸福を願っても宇宙意思は無視することでしょう。そして、祈りは全世界の多くの人々がすれば効果がある筈ですが、一人二人では難しいのです。世界のあちこちで集団での祈りが行なわれて効果をあげています。北米の先住民族は、集団で皆の平和を祈りました。教会での日曜礼拝やミサはそのためです。イスラムでラマダンの祈りも同じです。日本でも、昔は皆の為に集団で祈りました。祈りというのは、個別最適を祈ってはいけないのです。全体最適を祈るべきなのです。

現在の神社やお寺さんが、個別最適の祈りを商売にしているのは、実に情けないことですね。それを何の疑問も持たずに当たり前のようにしているのは、正しい仏教と神道を理解していないからでしょう。そんな神主や僧侶にお金を払っても現世利益がないのは、当然でしょう。

自分と家族の幸福や平和を願うのであれば、まずは世界全体の平和と幸福を祈るべきです。世界全体の幸福が実現せずに、自分と家族だけの幸福が実現しても、真の幸福とは言えませんよね。
Posted by:Natural  at 2017年04月12日(Wed) 21:11
正しい人生を歩むには?という問いかけに対して・・・
天と繋がれば、自分の心を同軸にできるということなのでしょうか?信仰とも関わってきますね。

神や仏の心と繋がる?
自ずと正しい道が導き出されるのではないかと・・・思えます。

神社を参拝するとき、「祓いたまえ、清めたまえ、護りたまえ、幸わいたまえ」と唱えますが、その言葉の一つ一つが浮かんできました。清い心で、また平穏を願えば、ひとりでに正しい道が開けるように感じました。

息子が海外転勤をすることになり、あれこれ心配になって、先日、神社でお祓いを受けて来ました。
神主さんが奏上してくれる祝詞の言葉にも、太鼓、鈴の音の響きにも、天と繋がっているように感じました。

ところで、神主さんって、大学の神学科で学ばれて、その資格を取られているのですよね〜 お坊さんは、仏教科で。
この歳になるまで、あまり考えたことがなかったですが、神主さんも、お坊さんも、とても大変な責任があり、重大なお仕事ですね。

実家が神主さんの家系で〜、と言う方が身近にいますが、
やはり信心深いところがありますねー
一般の仕事に携わってきた家とはどこか違って、気持ちに清々しいところを感じますし、信心深いので感心します。
私など、60代後半になってやっと気が付きかけたことを、その方は子供のころから知っていたようで、ある一言で見上げてしまったことがありました。そういう方は、自分の中心と繋がりやすいのでしょうね。

信心深く自分の心向きを正せば、天ともひとりでに繋がれて、正しい道が開けるのかもしれません。

でも、現生の宗教界は、その団体を維持するために金銭も絡んでいて、何が何だかよく分からないこともあります。
やはり、神社仏閣をよく参拝して、悪いものを祓っていただき、身を清め、護っていただけるように願う。
正しい自己と繋がっていきたいです。
Posted by:Happiers  at 2017年04月09日(Sun) 22:37
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