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君の名はブームが起きた訳 [2016年10月20日(Thu)]
 新海誠の最新作『君の名は。』が、大ヒットしている。邦画でこんなに興行収入が上がったのは、ジブリ映画以来だという。昔からの新海誠ファンにとっては、いつものエンディングと違うし、こんなにもメジャーになっては困るという複雑な心境もあり、この大ヒットを苦々しく思っている人もいるらしい。また、TVCMやマスコミにつられて見に行ったが、詰まらなかったという感想をもらす人もいる。一方で、一度だけでなく数度に渡りこの映画を鑑賞するファンも少なくないという。私も、二度観に行ったが、何度観ても面白いし、また鑑賞してみたいと切に思う。どうして、こんなに評価が違うのであろうか。また、こんなにも大ヒットしたのは何故なのだろうか不思議である。

 何十年前にも「君の名は」というラジオドラマが大ヒットし、当時放送している時刻ともなると、銭湯ががらがらになったという逸話が残っている。その後、佐田啓二と岸恵子で映画化されて、やはり大ヒットした。岸恵子が劇中で見せたマフラーの巻き方が社会現象となり、真知子巻きと呼ばれたらしい。このマフラーの巻き方が、またもや流行しているらしいというから驚きだ。新海誠の『君の名は。』は、主人公の二人が高校生であり、その不思議な出会いを描いている純愛物語という捉え方が主流である。しかし、一方では新海誠という監督は、もっと深い意味をこのラブストーリーに重ねて描いているのではないかと、考える映画ファンも少なくない。人間や宇宙の根源に関わる問題を、この映画で描き出そうとしたのではないかというのである。

 この映画のテーマは「むすび」である。このむすびというのは、漢字表記では産霊(むすび)となる。誕生や生成、合体や統合も意味するし、出会いも含まれるであろう。巫女である祖母の一葉は、むすびは出会いや別れも意味すると説明している。彗星が分れたのもむすびであるし、あらたに産まれた隕石もまたむすびなのであろう。この物語の地方では黄昏時のことを「かたわれどき」と呼んでいる。たそがれとは「誰そ彼」から出た言葉であり、薄暗闇で誰か解らないという意味だと言われている。しかし実は「自分と他人の区別がつかない時間」をも意味しているのではあるまいか。元々、我々は『自他一如』であり、相手と自分は一つである。この「かたわれどき」に私たちは他人との区別がなくなり、元々ひとつであったものが再び交わるひとときを、このように表しているように思う。

 「むすび」とは、関係性とも読み解くことが出来ると思われる。量子物理学においては、素粒子どうしの関係性によって、物体が成り立つし、人間の意識によってそれが変化するということが実験によって確認されている。宇宙そのものも、システムという関係性により成り立っているし、我々の社会もまた関係性により成立していて、全体最適を目指している。関係性がなければ、我々人間そのものが、この宇宙には存在しえない。したがって、この映画でいう「むすび」が、すべての生き物だけでなく物質の根源だと捉えることができよう。新海誠は、この映画で「むすび」という言葉を使って、我々に関係性の重要性を示したかったのではあるまいか。

 現代は、関係性が希薄化していると言える。身勝手で自己中心的な人間が増えているせいか、自分の損得を考えるあまり、他人への思いやりにかけるきらいがある。自分の利益だけを考え、利他の心が忘れ去られている。当然、相手との関係性は悪化して、家族、会社、地域、国家などのコミュニティが崩壊しつつあると言われている。人々は人間本来の生き方である、良好な関係性と全体最適性を求める人生観を忘れ去っているように思える。しかし、人間の潜在意識は関係性の大切さをけっして忘れていない。だからこそ、深層無意識においては、他人との関係性を求めているのである。関係性の大切さを切々と説いているこの「君の名は。」という映画に、人々はこんなにも熱狂するのである。

 主人公の瀧と三葉は、ソウルメイト(魂の伴侶)であろう。それも、ソウルメイトの中でもより繋がりの深いツインソウルに違いない。だから会ったことさえないのに、お互いに求め合うのである。山下達郎がプロデュースし、竹内まりやが切々と歌う「シンクロニシティ」のような不思議な出会いが起きたのである。量子力学のアカデミーでは、この世界は多元宇宙によって複雑にからみ合っていて、時空間が交わり合うことで、質量を持たない素粒子どうしが、時空の違う世界に存在するであろう質量を保証する素粒子との関係性によって物質が存在するのではないかと考えられている。前世での出会いは、今世でもまた出会い、来世でも時空間を超えて出会う。それは、「むすび」という関係性によって保証されていると言える。この映画を観ることで、関係性の大切さを思い出してほしいと切に願うものである。
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コメント
Nasu&Chibiさま、人間関係というのは、すべての人と良好な関係を結ぶというのは、所詮不可能だと思います。この世の中の全部の人間が善良で、関係性を豊かにしようとしている訳ではありません。中には、相手から何かを得ようと考えていたり、または騙そうとしている人もいますし、または相手を支配しようとしたりコントロールしようと思っている人もいるのです。そんな人と無理やり合わせようとするのは、無駄なことです。ですから、自分は自分と考えて、無理して良い人間を演じなくてもいいだろうと考えます。

映画はDVDで観るのと、映画館で鑑賞するのは、同じようであっても、まったく違うと思います。いくら大型の画面であったとしてもです。何故かというと、映画館では映画に100%集中します。自分の五感と心をすべて映画に没頭します。または、積極的に映画に入り込むという姿勢・態度があります。ところが、DVDやテレビでは、家庭の中で映画に集中することはできませんし、映画に没頭するという状況にはなかなかなりにくいものです。わざわざ遠くまで赴いて、さらに鑑賞料金を支払って観るのですから、映画に入り込むという積極さが違います。だから、映画から受ける影響は大きく違うのです。そのことをわかっている人は、好きな映画はDVDやテレビでは観ようとしません。私も、早く観たいから映画館に行くのではありません。あえて、映画館で観たいから行くのです。映画館で観る映画は、素晴らしい感動があります。
Posted by:Natural  at 2016年10月29日(Sat) 19:57
映画がお好きな方は、「君の名は」ブームについて、こんなにいろんなことを考えられるものなのだと感心いたしました。

映画は、最近、映画館で見たことがなく、見たいなと思った物については、DVDが出てからTショップなどでレンタルして見ることにしている者にとっては、へぇ〜!っと、驚くことが沢山あります。

人との関係性は、どこの場でも丸く丸くと思いつつも、どこかできつい一言を漏らしていたり、反発して無意識に言い返していたり・・・
その結果、気の合う、また一目置く特定の方たちとしか良い関係性を保ち得ていないことに気づかされます。

どうしても良い関係性を結べないときは、一時避けておく、離れておくのがいいのだろうと考えますが・・・
家族、近所、会社、ボランティア、趣味のサークルなど、どの場においても良い人間関係が保たれれば、それに越したことはないと思います。
個人的には、関係性を良きものにするために、自分を抑える術に長ける、その場の相手に合わせられるようにと努力もして、丸いニコニコ表情の老人になりたいと願っています・・・(^^♪
Posted by:Nasu&Chibi  at 2016年10月28日(Fri) 22:38
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