結婚しない若者たちに苦言を呈する
[2015年07月19日(Sun)]
回りの男性を見回すと、独身男性が非常に多いことに驚く。会社の中でも、約3割から4割の男性社員が独身である。中にはバツが付いている社員もいるが、一度も結婚をしたことがない人が多い。ご近所でも独身の男性が多く目に付くし、子どもがまだ独身だと嘆いている友達も多い。それも40代や50代の独身が多いのである。20代の後半や30代前半なら、まだ本人の意思で独身を貫いているということもある。しかし、30代後半から40代の独身諸氏は、結婚願望がない訳ではないらしい。どちらというと、強いみたいなのだが、残念ながら良縁に恵まれだけのようだ。
そういう男性は、職業もしっかりしているし収入だって人並みにある。勿論、中には例外もあって定職も持たずに親に寄生しているような男性もいるにはいるが、学歴や教養だって申し分なく、何不自由ない生活をしているのに、結婚できない男性が結構いるのである。実に不思議なことである。内閣府の調査によると、55%の若者が出会いのチャンスがないと答えているが、本当にそうであろうか。確かに、異性に対して積極的な態度を取れないという点はあるが、職場にだって異性との恋愛機会だってあるし、スポーツジムや趣味の世界でも出会いはあるみたいである。それなのに、恋愛に発展しないのはどういう訳だろう。
独身男性が多いという理由は、どうやら女性側にありそうである。女性が恋愛や結婚を望まない理由のひとつに、驚くことが挙げられるという。結婚しても、女性にとって何のメリットもないからというのである。つまり、家事育児は女性に押し付けられ、さらに夫の面倒までみなくてはならない。好きな仕事や趣味までも制限され、自由に出歩けないし様々な行動が制限されてしまう。そんな人生を送るくらいなら、好き勝手に生きられる人生のほうが得だというのである。自分の結婚観が、損か得かで考えているという。実に情けない限りである。確かに、女性の自立という点では、今の男性の価値観からすると、結婚するとかなりの部分で制限されるのは間違いない。だとしても、あまりにも短絡的ではないかと思えるのである。
そもそも、恋愛とか結婚というのは、何のためにするのであろうか。子どもを生み育てて、次代を担う人材や子孫を残すという大切な使命もあろう。皆が皆、独身を貫き通して子孫を残さなければ、たちどころに人類は滅ぶのである。しかし、恋愛や結婚、そして子育てをする真の理由は、人類学的、または形而上学的に考えれば、そんな低い価値観によるものではない筈である。人生を歩む中で、恋愛や結婚を経験するのは、もっと深い意味があるに違いない。神と呼ばれる存在があるとするなら、子孫を残すためだけに人間に男性と女性を作ったとは思えないからである。何かしら、人間そのものが存在する根源的な意味とリンクするとしか考えられないのである。
この世界は、多様性によって成り立っているというパラダイムがある。この世にはまったく同じ植物・動物・モノ・組織・システム等々が存在しない。それは、それぞれの違いを深く認識し、美醜、善悪、愛憎、正邪等の相反する価値を自己に内包していることを悟り、それをこの世に生かしていくことが必要だからであろう。これらの多様性を認識するためには、人間として様々な人々と出会い、深く付き合い、関わり合い、多くの気付きと学び合いをして、自己成長しなくてはならない。そして、この学びを深く出来る機会がビジネスの場である。仕事というフィールドで出会う上司・同僚・部下との関わり合いから深く学べる。だが、それ以上に深い学びができる場がある。それが、異性との付き合い、とりわけ夫婦という関係である。この関係ほど、自己成長を促すものは他にない。
夫婦関係というのは、実に難しい。お互いの自我が激しくぶつかる。だからこそ、お互いの嫌な自己を自分の自己に見つけ、激しい恨みや憎しみを感じるのである。そういう悲しく辛い経験を何度も何度も積み上げながら、自分の中にそのマイナスの自己を発見できるのである。そして、その嫌らしく恥ずかしく認めたくないマイナスの自己を自分の中に発見し認め受け容れることで、「真の自己」を確立していくものなのである。それは夫婦関係だけでなく、親子関係においても同じである。異性と恋愛せず結婚せず子育てもしないのであれば、人間として不完全なままに生きていくことになろう。真の自己を確立した人間ほど、大きな社会貢献をしていける。だとすれば、おおいに人は恋愛をするべきであろう。全体に貢献することが人間の存在する意味でもあるからである。
そういう男性は、職業もしっかりしているし収入だって人並みにある。勿論、中には例外もあって定職も持たずに親に寄生しているような男性もいるにはいるが、学歴や教養だって申し分なく、何不自由ない生活をしているのに、結婚できない男性が結構いるのである。実に不思議なことである。内閣府の調査によると、55%の若者が出会いのチャンスがないと答えているが、本当にそうであろうか。確かに、異性に対して積極的な態度を取れないという点はあるが、職場にだって異性との恋愛機会だってあるし、スポーツジムや趣味の世界でも出会いはあるみたいである。それなのに、恋愛に発展しないのはどういう訳だろう。
独身男性が多いという理由は、どうやら女性側にありそうである。女性が恋愛や結婚を望まない理由のひとつに、驚くことが挙げられるという。結婚しても、女性にとって何のメリットもないからというのである。つまり、家事育児は女性に押し付けられ、さらに夫の面倒までみなくてはならない。好きな仕事や趣味までも制限され、自由に出歩けないし様々な行動が制限されてしまう。そんな人生を送るくらいなら、好き勝手に生きられる人生のほうが得だというのである。自分の結婚観が、損か得かで考えているという。実に情けない限りである。確かに、女性の自立という点では、今の男性の価値観からすると、結婚するとかなりの部分で制限されるのは間違いない。だとしても、あまりにも短絡的ではないかと思えるのである。
そもそも、恋愛とか結婚というのは、何のためにするのであろうか。子どもを生み育てて、次代を担う人材や子孫を残すという大切な使命もあろう。皆が皆、独身を貫き通して子孫を残さなければ、たちどころに人類は滅ぶのである。しかし、恋愛や結婚、そして子育てをする真の理由は、人類学的、または形而上学的に考えれば、そんな低い価値観によるものではない筈である。人生を歩む中で、恋愛や結婚を経験するのは、もっと深い意味があるに違いない。神と呼ばれる存在があるとするなら、子孫を残すためだけに人間に男性と女性を作ったとは思えないからである。何かしら、人間そのものが存在する根源的な意味とリンクするとしか考えられないのである。
この世界は、多様性によって成り立っているというパラダイムがある。この世にはまったく同じ植物・動物・モノ・組織・システム等々が存在しない。それは、それぞれの違いを深く認識し、美醜、善悪、愛憎、正邪等の相反する価値を自己に内包していることを悟り、それをこの世に生かしていくことが必要だからであろう。これらの多様性を認識するためには、人間として様々な人々と出会い、深く付き合い、関わり合い、多くの気付きと学び合いをして、自己成長しなくてはならない。そして、この学びを深く出来る機会がビジネスの場である。仕事というフィールドで出会う上司・同僚・部下との関わり合いから深く学べる。だが、それ以上に深い学びができる場がある。それが、異性との付き合い、とりわけ夫婦という関係である。この関係ほど、自己成長を促すものは他にない。
夫婦関係というのは、実に難しい。お互いの自我が激しくぶつかる。だからこそ、お互いの嫌な自己を自分の自己に見つけ、激しい恨みや憎しみを感じるのである。そういう悲しく辛い経験を何度も何度も積み上げながら、自分の中にそのマイナスの自己を発見できるのである。そして、その嫌らしく恥ずかしく認めたくないマイナスの自己を自分の中に発見し認め受け容れることで、「真の自己」を確立していくものなのである。それは夫婦関係だけでなく、親子関係においても同じである。異性と恋愛せず結婚せず子育てもしないのであれば、人間として不完全なままに生きていくことになろう。真の自己を確立した人間ほど、大きな社会貢献をしていける。だとすれば、おおいに人は恋愛をするべきであろう。全体に貢献することが人間の存在する意味でもあるからである。
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