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うつ病は何故治らないのか? [2012年02月19日(Sun)]
 今や100万人も居ると言われているうつ病患者、その社会的影響は多大のものがあり、深刻な社会問題となっている。その治療は、殆どが薬物治療に頼っていて、治療効果が得れない患者が急増しているし、再発も多くて困りきっている患者も多いと聞く。最新の脳科学によってそのメカニズムが明らかにされつつあり、劇的に効くと言われている最新の抗うつ剤を投与されているにも関らず、一向に症状が改善されない患者も多いのは何故なんだろうか。

 先日、NHKTVのNHKスペシャルで、うつ病治療の最前線の実態がリポートされていた。脳科学の発達によって、うつ病は心の病気ではなくて脳の異常であるということが解明された。脳の扁桃体というマイナスの感情を司る部分の暴走が、不安・恐怖の感情を肥大化させてしまい、うつ病を発症させるというメカニズムらしい。本来、その暴走を制御するのが脳の前頭野にあるDLPFC(背外外側前頭前皮質)なのだが、何らかの理由により働かなくなるので、暴走を止めれなくなって発病するという。また、扁桃体とDLPFCの両方を制御するのが脳の25野という部分だということも判明したという。

 米国のうつ病治療の最先端医療技術は、すごいことになっている。何と、DLPFCに磁気刺激治療を加えてうつ病を治療し、約7割の患者に効果があったらしい。さらには、脳の25野に電気的刺激を持続的に直接加える方法も取られていて、これも大きな効果を上げている。心臓のペースメーカーのようなものらしい。さらには、初期のうつ病患者に対する認知行動療法が大きな効果をあげている実態も放映されていた。薬物治療の限界を感じている良識ある医療の専門家たちは、新しい治療方法を編み出しているのだ。

 また、日本のうつ病診断の例も紹介されていて、脳の光トポグラフィーを利用した診断方法が確実な診断に役立っているという。今まで、うつ病と診断されていた症例のうち何と4割以上が双極性障害(そううつ病)の誤診だったというから恐ろしい。この光ポトグラフィーによる診断を利用すれば、誤診はかなり減るだろう。何故、こんな誤診が起きるかと言うと、DMS−Wという診断基準を過信した医師のミスによるものである。だから、うつ病だと誤診されて抗うつ剤を投与されても、改善しない患者が大勢いるのだ。

 じゃ、そのDLPFCの磁気刺激療法や25野の電気刺激療法を日本でも導入すればいいだろうと誰しも思う。勿論、良識ある医療機関では認知行動療法を導入している所もあるし、かなり効果もあげている。また、神奈川県精神医療センター芹香病院では、試験的に磁気刺激療法が導入されている。しかし、前述の最先端治療方法が日本で取り入れられるには、数年かかるだろうと予測されている。もしかすると認可されるまで、10年以上の月日が要するかもしれないのだ。なぜかと言うと、厚労省の高いハードルが待ち受けているからである。

 日本の医療は閉鎖的であり、最先端の治療はその安全性や効果を見極めないとならないという一見もっともな理由により、欧米諸国から比較すると認可されるまでかなり時間がかかる。お陰で、本来は助かる命も助からないでしまう例が多い。多くの患者は、この認可という壁に遮られて命を落としている。本当に、安全性と効果判定に時間がかかるのであろうか。そこに、何か裏の意味があるのではないかと観る人たちも多いのである。

 日本の厚労省のキャリア官僚と医薬品会社のズブズブの癒着が、最新治療の認可を阻んでいるのではないかと推測する人たちがいる。人の生命に関することであるから、そんなことはないだろうと思いたいが、その理由はこういうことらしい。抗うつ剤の売り上げは、年々患者の増加によって急増していて、医薬品会社のドル箱になっているという。最先端の治療を認可すると、抗うつ剤の売り上げが激減して、薬品会社と開業医が困るらしいのだ。厚労省のキャリア官僚は、国民の健康よりも自分たちの再就職先である薬品会社のほうが大切だということらしい。そういう噂がウソだということを、これらの最先端治療を早期に認可して、払拭してもらいたいと切に願っている。
経営者の価値観 [2012年02月16日(Thu)]
 オリンパスの経営者と監査役、そして指南役のコンサル会社のトップが逮捕されたという。いやはや、大企業の体質はここまで腐っていたのかと呆れるばかりである。CSR(企業の社会的責任)が叫ばれ始めてから、もうだいぶ年数も経っているし、コンプライアンスなんて言葉は、もう当たり前のこととして、口にすることさえ時代遅れのように感じてしまう。そんな時代に、こんな違法行為を続けていたなんて、信じられない。彼らの経営に対する価値観は、どうなっているんだろうと、情けなくなってくる。

 以前、米国のエンロン事件が起きた時に、企業の反社会性人格障害だと騒がれたことがある。日本では、過去に企業不祥事が起きる度に、経営者の資質が問題視される。今回、オリンパスの経営者の人間性が問われているが、多くの取締役がいながらこの不祥事を知らなかったと言い逃れることは出来ないだろう。もし、本当に知らなかったとすれば、経営者として失格だ。自分の資産をすべて投げ出してでも、株主や社員に対して弁済すべきだろう。役員とは、それだけのリスクとコストを負担する覚悟が必要だ。

 企業経営の目的を、完全に見失っていたと言える彼らの悪魔の所業は、何に起因しているのであろうか。企業の収益性を確保するあまり、理性を失っていたなんてことは言い訳にならない。金欲に飲み込まれたと、簡単に片付けられることでもない。多くの企業経営者が、まかり間違うと同じ轍を踏むのではないだろうかと危惧されるのだ。何故なら、過去に多くの企業で脱税や粉飾決算、リコール隠し、食品偽装等の不祥事を起こしているからである。根本的に何かが間違っているのである。だから、企業の不祥事がなくならないのである。

 それは、企業経営者の間違った価値観である。彼らは、自分の行動規範を、自分の損得や利害というような低い価値観に貶められているのである。人間は、本来全体の為に奉仕するという価値観を持たなくてはならない。だから、企業経営は社会に対する貢献や人々の幸福実現という目的の為に行われるのだ。確かに企業は収益をあげなければならない。しかし、収益をあげることが目的になってはならない。それはあくまでも目標であり、収益は全体に奉仕するためのひとつの手段でしかないのである。当然、企業経営者は全体に貢献するという高い価値観を持つことが求められている。

 ところが、今の経営者の多くがおおいなる勘違いをしていて、企業の収益をあげることに血眼になっていて、本来の目的を見失い、低い価値観しか持ちえていないのである。企業経営者だけじゃない。行政マンや政治家も、同じ間違いをしていて、口では立派なことを言いながら、本音では自分の利益だけを考えている人が多い。勿論、立派な価値観を持っている人もいるが、残念ながらごく少数である。企業家諸君、正しい価値観を持てるように、思想・哲学の勉強をやり直してみてはどうだろうか。
ボランティアの減少 [2012年02月13日(Mon)]
 TBS系列の日曜朝の報道番組、「サンデーモーニング」で東日本大震災における災害ボランティアが、震災から1年過ぎようとしている今、激減しているという報道がされていた。震災直後には大勢のボランティアが駆けつけてくれたが、今はほんの少数しかいないという。まだまだ必要な作業が残っているのに、ボランティアの数が不足しているらしい。神戸の震災の時も、やはりこうした傾向が強かったという。神戸の震災後、ボランティア元年と呼ばれたが、そのボランティアが日常化しなかったのは、とても残念だったとも言われている。

 サンデーモーニングでは、こんなことも言っていた。人間の遺伝子には元々、人の為に役に立ちたいという願望があって、平和な時にはその遺伝子は眠っているが、いざという場合はその遺伝子が呼び覚まされて働く。ところが、その非常時が去っていくと、またその遺伝子が眠ってしまうのではないだろうかと。だから、大変な非常時には災害ボランティアが集まるのだが、その大変な一時期が過ぎると、人々は平和ボケしてしまい、自己中心になってしまううらしい。それも一理ありそうな気がする。しかし、それだけではあるまい。

 最新の人体生理学の研究によって、人間の細胞には自己組織性があることが判明した。つまり、細胞そのものに自己の為でなく全体の為に働くような性質があるのだ。また、細胞には自己犠牲を厭わずに、全体の為に貢献する働きもあることが知られている。つまり、細胞そのものにボランティア的な性質があるのである。とすれば、その細胞が60兆個も集まった人間がボランティア的な行動をするのは当然なのである。

 それでは、何故人間は普段ボランティア的な行動が出来ず、自分の損得や利害を行動基準として選ぶのだろうか。世の為人の為に働くことを、人間はどうして出来ないのだろうか。人々の幸せを心から願い、見返りを求めず生きるということが出来ないのは何故なんだろう。こんな人間本来の生き方をしていた日本人が、過去には多かった。江戸時代以前には、多くの日本人は全体の為に貢献することが出来ていたし、縄文時代にも子孫の為に植林した日本人が存在したことが判明している。

 こんなにも素晴らしい価値観を持っていた日本人が、自己中心的な人間に成り下がったのは明治以降である。明治の近代化で導入した、欧米的な近代教育の影響で、自分の為にしか働けない低い価値観を持つ日本人を大量に生み出したのではないだろうか。そして、その価値観の低落が決定的になったのは、戦後の経済成長期である。人を蹴落としてでも、自分さえ良ければいいという価値観が、人々の心に住み付いてしまったのである。

 それでは、大震災の時だけでなく、ボランティアが日常化する為にはどうすればいいのであろうか。その為には、抜本的に教育を変えることが求められるのは当然であるが、小学生の頃からボランティアを経験してもらうことが必要だと思われる。小さい頃から教会などでボランティアをしている欧米人は、大人になってもボランティアを日常的に実行している。さらには、江戸時代のような思想哲学の学びも必要だろう。高い価値観を持てるような思想学習を、奨励すべきである。思想というと、アレルギーを起こす教育者が多いが、怖れずに是非取り組んでもらいたい。日本の輝かしい未来の為に。そして、人間本来の生き方を日本人が取り戻す為にも。
原発事故の被害者意識 [2012年02月09日(Thu)]
 福島県内各地では、まだまだ放射線量が下がらないところも多く、米のセシウム含有量が国の基準を超えて出荷停止になった地区もあります。小さいお子さんを持つ家庭では、放射線が恐いからと、山形県や新潟県や関東圏に避難している方も少なくありません。除染の為の費用を公的に負担するという話もありますが、最終的に仮処分場や中間処理場をどうするかという結論が出ないこともあり、抜本的な除染作業も進んでいないのが実情です。

 長引く放射線被害に対して、苛立ちを隠しきれない市民も多く、ましてや国の対応の遅れに対する怒りも増大しているような気配です。ましてや、そもそもの原因が天災とは言いながら、人災的要素もあることから、自分たちが被害者だという意識も高いこともあり、どうして自分たちがこんな目に遭わなければならないのだという、理不尽な思いが強いのも当然だと思われます。

 しかし、この被害者意識というのが問題なのではないでしょうか。被害者意識を強く意識することにより、加害者に対する怒り憎しみが強くなります。この怒りや憎しみというのが、人間にとんでもない健康被害をもたらしてしまうようです。怒りとか憎しみという強い感情は、血行障害や様々な疾患を発症させるということは、最新医学の研究で明らかにされつつあります。J・E・サーノ博士の説くTMS理論は、怒りが腰痛などの痛みを誘発し、やがてはガンの発生まで起こしてしまうと警告しています。

 放射線の身体に対する影響も、被害者意識、怒り憎しみが強いと増幅されるみたいです。放射線の障害は、身体に対するその強烈な酸化作用によって起きるとも言われています。怒り・憎しみが身体を酸化させると言われています。チェルノブイリでは、事故後強制的に移住をさせられ、生き甲斐を持てなかった為に早死にして平均寿命を下げたとも言います。国に対する怒り憎しみも強く、被害者意識も強かったでしょう。単なる放射線被害による健康被害ではなく、精神的な影響のほうが強かったのではないかと見る専門家も多いようです。

 仏教では、人間として一番避けなくてはならない感情は「憤りの感情」だと説きます。憤りの感情は、自分の精神と肉体を滅ぼすからです。憤りの感情とは、言い換えれば怒り憎しみです。人を憎んだり怒ったりすることは、結果として自分の肉体をぼろぼろにしてしまいます。そのことを観念的に悟ったお釈迦様は、憤りの感情を捨てて、相手を許しなさいと説かれたのです。元々、日本人には、自分に起こるすべての出来事を、そのままに受け容れて許すという哲学がありました。そのほうが、自分の身を守ることになるということを観念的に知っていたのではないかと思います。

 勿論、政治や行政の原発事故に対する不十分このうえない対応を、すべて許しなさいということではありません。原発利権に巣食う巨悪を見逃しなさいとも言えません。ただ、それらのことに心をとらわれてしまうと、今この目の前にある大切なこと「健やかに生きる」ということがおろそかになってしまう気がするのです。怒り・憎しみの感情が起きるのは当然です。何も悪いこと一つしていない福島県民が、こんな放射線障害にさらされるのは、理不尽そのものです。しかし、その理不尽さを、乗り越えるためにどうしたらいいかを真剣に考えたほうが、自分の健康を守ることになるのではないでしょうか。過ぎたことを悔やんでも仕方ありません。今、この瞬間をどう生きるかに専念しませんか
風評被害に対する応援 [2012年02月06日(Mon)]
 福島県の農産物というだけで、放射線が検出されていないのにも関らず売れないという、泣きたくなるような風評被害に、多くの農家が苦しんでいます。しかしながらそんな中で、南青山という高級住宅街や一流企業が立ち並ぶ一角で野菜料理を営むお店のオーナーが、風評被害に対する支援をしたいと申し出てくれました。なんと、白河の野菜をお店で使いたいというのです。そのお店は、野菜料理の店「おとや」です。

 私の書いたブログ記事をご覧になったオーナーが、是非野菜農家を紹介してほしいとおっしゃって下さり、地元の農業法人の社長をそのレストランにお連れして、オーナーや調理師さんにお引き合わせしたという次第です。

 そのお店は、都内に多数の店舗展開をしている外食チェーンのフランチャイズ店の一つだそうですが、場所柄一流企業の役員の方々や高級住宅にお住まいの奥様方たちがおいでになるだけあり、高級なイメージの洒落たお店です。

 厨房は客席からも見えるだけあり、見るからに清潔できれいに整頓されています。美味しい料理かどうかは、厨房を一目見れば解ります。

 訪問した際に、ランチをご馳走になりましたが、野菜本来の味を生かした調理と味付けは、実に見事でした。人気があるというのも頷けます。毎週、定期便で送ることになり、さらには白河まで、野菜を栽培している畑を実際に見にいらっしゃるという約束をしました。

 このように福島の野菜を応援してくれるお店が、もっと増えてくれたら有難いです。この店のオーナーは、若い素敵な女性の方ですが実に立派なお考えを持っていらっしゃいます。地元のトマトや苺をお店において、販売をしてくださっています。この震災で、新たなネットワークが生まれ、絆が深まったことに感謝したいものです。ありがとうございます。
神様のカルテ [2011年09月20日(Tue)]
 神様のカルテは、現役ドクターが書いたベストセラー本が映画化されたものである。原作が良くて、期待して映画を見ると、得てして期待はおおいに裏切られることが多い。しかし、この映画は原作の良さをうまく表現していて、純粋に楽しめたし感動的だった。本やコミックを映画化する場合、原作に忠実に映像を作ることを避けて、余計なエピソードを入れたり、時間を前後させたりするのだが、失敗することが多い。あまり、テクニックに溺れないでほしいものだ。

 さて、この神様のカルテという中で描かれているドクターは、周りには変人だと思われている。こういう勤務医師はそこらへんの病院には、あまり居ないことだろう。何故なら、完全に患者の心になり切っているからだ。あくまでも患者の尊厳を守り、患者の人生にとって、どういう医療の選択肢が良いのか、真剣に悩む若い医師イチさんの姿に共感する。でも、本来の医師はこうあるべきなのである。こんなドクターが映画の主人公になるような医療界では、本来困るのだ。それだけ日本の医療が荒廃しているという裏返しとも言える。

 神の手は持たないが、こういう素晴らしい医師がいる、というフレーズが、本と映画の宣伝に使われている。世の中には、神の手と呼ばれるドクターがいる。日本で初めて拡張型心筋症にバチスタ手術を成功させた須磨久善先生もその1人だ。先生は、確かに他の追随を許さない技術と能力を持つ。しかし、それ以上に素晴らしいのが、先生の価値観であり、その人間性である。謙虚であるし、真摯な態度は有名になっても変わらない。先生は患者の気持にいつも寄り添っている。先生は技術や能力よりも大事なものがあると深く認識しているに違いない。

 神様のカルテに出てくる主人公イチさんも、医師としても優秀な腕と能力を持つのである。価値観が素晴らしいと、技術や能力は自然と身に付くものだと思う。しかし、高い技術と能力を持つ人間は、得てして貧弱な価値観しか持てないことも多い。だから、医療界には崇高な価値観を持つ人間が少ないのではないかと思われる。勿論すべての医療人がそうではないが、能力や技術こそが大切だと思い、もっと大切な何かを忘れてしまっているように感じる。この主人公の医師イチさんは、医療人にとって最も大切なその何かを持っているのである。

 神は細部に宿ると言ったのは、建築家のミース・ファン・デル・ローエだと言われている。しかし、それよりも以前に、哲学者であり数学者でもあったライプニッツは、ローエの言ったような意味ではなくて、もっと深い真実を射抜いた意味で使ったと思われる。つまり、人間の細部である細胞や生きとし生けるものすべての細部に、神のような心が宿っているということではないかと思うのである。言い換えると、人間の身体の細部にわたって神が共存しているのである。とすれば、かの医師イチさんの書いたカルテはまさに「神様のカルテ」であるし、この世のすべての医師が書くカルテは、本来神様のカルテでなくてはならないのである。
庚申山とコウシンソウ [2011年06月28日(Tue)]
栃木県日光市、群馬県との境界にある「庚申山」は、全国的にも著名な庚申講の山です。同時に、ここにしか咲かない「コウシンソウ」の山としても有名です。この時期にしか咲かないということもあり、沢山の登山者が訪れます。この日も、多くの登山者で賑わいました。

 コウシンソウは、ムシトリスミレの一種で食虫植物です。ほんに小さくて可愛い姿で、なかなか見つけられない花です。ここにありますよ、と言われて初めて見つけられるくらいの小さな花です。花の大きさは1センチもなく、高さも3センチくらいです。 この花は岸壁の、水が滴るような環境(湿気のある岸壁で涼しい場所)にしか生息しないようです。

 こういう小さな花は、マクロで撮影するのが難しいし、岸壁に咲いているので三脚も使い難く、この花姿を上手に撮影した画像にはなかなかお目にかかれません。余程熟練した人が、マクロレンズを装着したデジイチでもないと撮影できないと思います。でも、最近はコンデジでも1cmマクロが撮れる機種が出てきて可能になりました。1cmマクロが撮影できるペンタックスとリコーのコンデジがありますが、今回はリコーのCX-4を使用してみました。

 この庚申山に登るには、登り4時間近くかかるのですが、折りたたみ自転車を使用しましたので、下山が楽でした。1時間くらいかかる林道(4キロ)があります。ずっとこの花が見たくて、ここ5、6年狙っていて、やっと天気に恵まれて撮影できました。
権力の亡者どもが茶番劇 [2011年06月05日(Sun)]
 何とも情けない茶番劇である。国民を愚弄したような権力闘争は、絶対に許せない。国民のためと言いながら、何とか権力を維持しようと企む者と、何とか権力を自らの手にとジタバタする輩との、国民無視の綱引きごっこである。今やるべきことは、他にあるだろう。丸一日かけて、こんなくだらないことをしている暇はない。こんな政治家が日本の舵取りを行なっているかと思うと、泣けてくる。こんな政治家しか、日本には居ないのだろうか。

 菅首相の後、誰にこの日本の政治を託せるのか。これぞという政治家は見当たらない。まともな政治家が日本には居ないのであろうか。各省庁の高級官僚といい、地方の政治家といい、真に国民市民のために、命を投げ出せるような心意気を持った者がどれだけいるであろうか。中には立派な人物も居るだろうが、殆どの人は自分の損得や権力指向で行動しているように思えてならない。何とも情けない世の中になってしまったものである。

 こんな政治家を選んだのは、誰かと言えば自分達国民である。ということは、こんな世の中にしたのは、自分たちに責任があるということである。とんだ茶番劇を演じた者たちを選んだのは、自分達なのであるから、彼等を責めるのは見当違いということになる。何故、あんな体たらくの政治家を選んだのかというと、国民が自分の損得勘定を考えていたからに他ならない。補助金、手当て金、無料化、自分の商売や仕事に有利な施策、自分の業界に有利な政策、等々につられて政治家を選んでいるのである。自分にとって得になる政治家を選んだのである。甘い言葉につられて、とんでもない政治家を選択した国民にこそ責任がある。

 つまり、低い価値観の政治家が政界に跋扈しているのは、国民が低い価値観だからである。また、マスメディアが政治家たちを非難批判しているが、マスコミの記者たちもまた低い価値観なのである。だから、政治家を批判非難するばかりで、国民が目指すべき道を指し示すことが出来ない。国民本位の真の政治家を育てるのも、マスメディアの重要な役割であろう。自分の損得しか考えられない政治家ではなく、真の政治家を称えることが出来るマスメディアであってほしいものである。

 日本の民主主義は、言葉ばかりで実体が伴っていないと言っても過言ではない。国民が政治家を選んでいるように見えて、実は巧妙に騙されていて、くだらない政治家を選ぶように情報操作されているのではないだろうか。目の前の餌につられて、自分にとって損か得かで選ばされているような気がする。そうやって騙されるのは、国民の価値観が低いからだ。さて、日本の政治が本当の民主主義を実現する為には、どうすればいいのだろうか。国民自身が、自分の損得だけでなく、真に国のため国民の幸福のために行動できるようになることであろう。そうすれば、真に国民のために働く政治家は誰なのかということが見えてくるに違いない。今度こそは、高い価値観の政治家に日本の未来を託したい。

価値観の違い [2011年06月04日(Sat)]
 芸能界のおしどり夫婦と言われていた脚本家三谷幸喜氏と女優小林聡美さんが16年間の結婚生活に終止符を打ち、協議離婚をしたという。その離婚理由は、価値観の違いが顕著化したということらしい。価値観の違いというのは、どういう意味であろうか。離婚の理由として、性格の不一致と共に多いこの価値観の違いであるが、結婚する前にお互いの価値観を確認しなかったのであろうか。価値観の違いを知るのに、どうして16年間もかかったのであろうか。不思議な話である。

 おそらく、価値観の違いという理由は、方便ではないだろうか。本当の理由を言えば、相手を傷付けたり非難したりすることになるからと、無難な理由をつけたのではないかと思われる。ごく正直に、愛が冷めて相手の嫌な部分が見えてきて嫌いになった、と言ったほうがすっきりすると思うのだが、随分と格好を付けたがるものだ。うがった見方をすれば、結局は自分自身のイメージや商品価値を傷付けないために、とって付けたような理由を付けたのではないかと想像してしまう。

 しかし、便宜的に付けた価値観の違いという理由であるが、良く考えてみるとそれは真実を捉えているのかもしれない。というのは、離婚した人たちにその理由を聞いてみると、価値観の違いというのが、あながち間違いではないと思えるからである。離婚した男性にその理由を聞くと、男の多くは妻から一方的に理由も告げられず離婚を突きつけられたと答える。一方、女性に離婚の理由を聞くと、夫が自分の気持ちをまったく理解しようとしなかったと答えるのである。つまり、何故捨てられたのかまったく心当たりのない夫と、夫の態度が許せなかった妻という構図が特徴的に浮き上がってくる。

 それでは何故、夫の妻に対する態度が問題なのかというと、こういうことだろう。捨てられた夫は、必ずこう言うのだ。あんなに、妻を大好きで愛していたし、給料も充分なほど渡していたし、何も悪いことはしていないし、だからまったく腑に落ちない、と。でも、それは勘違いも甚だしい。確かに、夫は妻のことが好きだったろう。が、自分は妻のことをこんなにも愛していて、しっかり稼いでいるのだから、自分の世話をするのは当たり前だという考え方しか出来なかったのである。つまり、妻は自分に仕える存在だと思い違いしているのである。妻がこんな横暴な亭主に愛想を尽かすのは当たり前だ。

 そんな横暴な亭主だから、すべてのことは自分の気持ちや行動が中心となる。自分の世話を妻が甲斐甲斐しくするのは当然であり、優先順位は先ずは自分である。したがって、妻がどんな気持ちでいるのかとか、こんなことを言えば妻がどういう反応をするのかなんてお構いなしで、自分が満足すればそれでいいのである。時には優しい言葉をかけたりもするが、それは自分の欲望を満たす為か、自分が良く思われたいからである。つまり、相手の気持ちに共感し、感情を共に分かち合うという態度がなかったのである。だから、妻の話を自分のことのようにじっくり話を聞くなんてことは一度もなかったろう。妻が悲嘆にくれている時は共に涙を流し、妻が怒りや憎しみに打ち震えている時は共に怒り狂い、妻が寂しい時は何も言わずそっと抱きしめる、そんな夫ならば三行半を突き付けられることもなかったと思う。

 そういう真の優しさを持った男性が、この世には少なくなっているのかもしれない。何故、そんなふうに男が変わってしまったかのというと、やはり近代教育の欠陥によるものだろうと考えられる。つまり、明治維新前のような武士道を心の拠り所とする男性が、近代教育のせいで、いなくなってしまったのである。近代教育の弊害によって、男の価値観が異常に低くなったのが、そもそもの原因だと思われる。小林聡美さんが、お互いの価値観の違いを感じ始めたのは、当然だったということだろう。何故離婚が増えているのかというと、女性のほうで男性の価値観の低さに気づき始めたからに違いない。世の中の男性が、自分の価値観の低さに気付いて、自らの変革に取り組まない限り、『価値観の違い』を理由に離婚する夫婦が増え続けることになるだろう。
原発事故はノアの方舟? [2011年05月29日(Sun)]
 福島の原発事故による放射能汚染は、県内だけに留まらず、東北一円だけでなく関東までも広がっている。なんと200キロメートルから300キロメートルも離れた箇所の農産物から、基準値を超えた放射性セシウムが検出されたという。したがって、人々は食物からの内部被曝をとても心配しているのである。一部の週刊誌やネットでは、放射能汚染はとんでもないレベルまで到達していると警告している。あのチェルノブイリの放射能汚染を、福島の原発事故では遥かに凌駕していると分析している専門家がいる。

 チェルノブイリの原発事故は、史上最悪の放射線被害を起したと言われているし、その被害は現在も続いている。10年後と20年後の調査で、白血病や癌の発病が異常に増加しているという。それも、200〜300キロメートルも離れた場所においても、被害があるらしい。IAEAは、原発事故の被害は認められないと報告しているが、地元の医師たちは感覚的に急増していると実感している。だとすれば、日本でも20年後30年後に放射線障害が起きてくるかもしれない。それも、首都圏などでも白血病や癌の発病が増えるかもしれないのだ。由々しき大問題である。

 ここで、冷静に判断・分析しなければならないことがある。それは、放射線被害により白血病や癌を発症する人としない人がいるということである。すべての人が発症する訳ではなく、割合からすれば一部の人達なのである。今日本では、すべての人の半数が何らかの癌を発症するような時代である。そして、放射線被害により癌を発症する割合がどれほど増加するかというと、重汚染でもせいぜい多くて2割から3割と言われている。軽汚染なら、最大でも1%〜2%の増加だとする専門家が多い。だとしても、放射線は目に見えないし、乳幼児や胎児に対しての影響が多いから、人々の不安感は大きい。

 それでは、どうして放射線被害の疾病を発症する人としない人がいるのであろうか。広島と長崎の原子爆弾で被災した人々の中でも、原爆症を発症した人としない人がいたのである。一生発症せず、80歳代や90歳代まで長生きした人も多かったという。その違いは、どうして起きたのであろうか。それは、ひとつは食生活にあるという。放射線被害の大きな障害は、放射線による強力な酸化作用によるものである。つまり、抗酸化作用の強い食べ物を摂取している人達は、放射線による障害を和らげられたのである。伝統的和食というのは、抗酸化作用がある食べ物である。あとは、精神的な部分も影響したろう。ストレスを上手く処理できた人は、身体の酸化を防ぐことが出来たと思われる。心穏やに生きて、和食のような抗酸化作用のある食事をしていた人は、原爆症にならなかったのである。

 宇宙というものとそこに存在する生き物は、ある法則やシステムによって運行運営されているというのが、最先端の科学によって証明されてきた。とすれば、どうしてこの日本でこの最悪とも言えるような震災と原発事故を起したのであろうか。世界の中でも、一番高い価値観(宇宙意思に近い価値観)を持つと思われる日本人に、こんな過酷な運命を背負わせるのは、どうしても納得できない。それも、素朴で純朴な生き方をしている東北と福島の人々に対して、原発事故を突きつける宇宙意思に疑問を感じざるを得ない。神も仏も、この世には存在しないのであろうか。

 しかし、ふとこんなことを気付いたのである。この震災と原発事故は、敢えてこの時期にこの場所に起させたのではないだろうかという仮説である。勿論、間違っているかもしれない。また、被害に遭われた方々や亡くなった方の家族からは、とんでもないことを言うものだというそしりを受けることであろう。しかし、この原発被害により、人間本来の生き方をしている人間だけを残そうと宇宙のシステムが動いたとすれば、納得できる自分がいる。「神は乗り越えられる試練しか与えない」という。博愛・慈悲に生き、寛容・受容の生き方を実践し、伝統的な和食を摂取する人だけが生き残ると考えれば、この原発事故が福島で起きたというのも、理解できる。つまり、この原発事故はノアの方舟なのかもしれないのだ。
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