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自分の中心と繋がる [2017年04月09日(Sun)]
 どんなことがあっても揺るがない自己、臆する事のない自己、勇気や元気を失わない自己を保ちたいと思う。ところが、人間というのは予想もしない事故や事件に出くわしたり、とんでもない目に遭ったりすると、自分を見失ってしまうことが往々にしてあるものだ。また、相手からエネルギーを吸い取って、自分のエネルギー源にする人に出会ってしまうことがある。相手の弱点や至らない点を見つけて、そこに付け込んで自分を優位に立たせて、相手を自分の支配化に置いてコントロールするのである。そうすると、相手のエネルギーを吸い取るばかりか、相手を自分の思い通りの操り人形に出来るのである。その為に、大きな声で怒鳴ったり、恫喝したり暴力を振るったりするか、逆に不機嫌な態度をしたり無視したりして、自分の思い通りに相手を行動させるのである。

 このような人間と四六時中一緒にいると、元気がなくなるばかりか勇気まで失ってしまい、生きる気力をも失ってしまうのである。こういう人間をエネルギーバンパイアとも言うが、この世の中には実に多い。身体的な病気やメンタルの疾病になられた奥様方は、ご自分でも気付かないだろうが、家族にこのエネルギーバンパイアがいる例が非常に多い。それも、一番身近な夫であるケースが殆どである。たまには、逆のケースもない訳ではないが、そういう例はあまり多くない。妻の病気の原因は、9割が夫であると言われているが、まさしくその通りである。エネルギーバンパイアである夫に生きるための気力や元気を、支配され制御されることで吸い取られてしまうのである。

 こんな夫とは1日も早くおさらばするのが賢明なのであるが、子どもたちの将来や親類縁者のことを考えると、離別するのはたやすいことではない。経済的に自立出来なくて、夫の収入に頼りきっていて、仕事や収入を持たないのであれば、別れる決意が出来ないのも当然である。ましてや、外面が良くて会社でも有能で評価が高く、親類縁者からもいい旦那さんだねと言われているならなおさらである。私さえ我慢すればいいんだと、耐え忍び続けるという選択肢を選ぶしかなくなるのである。または、職場の上司にもこのようなエネルギーバンパイアがいるケースがある。自分に従わない部下は辞めさせると公言したり、これみよがしに意地悪をしたりする上司は、始末に負えない。このようなパワハラやモラハラに苦しんでいる社員も少なくない。

 このようにエネルギーバンパイアに元気を吸い取られたり、つらいことや苦しいこと、または悲惨な目に遭ったりすると、人間という生き物は生きる活力を失うことが多い。しかしながら、そんな目に遭ったとしても、けっして揺るがず臆することなく、自分自身を見失うことなく、しっかりと人生を歩んでいる人もいる。その違いは、どこから生まれるのであろうか。ただ単に、精神的な強さや逞しさに由来しているだけではあるまい。もっと根源的な人間としての大事な資質を獲得しているからではないかと思われるのである。そういう人は、自分の中心としっかり繋がっていて、どんなことが起きようとも、またどんな目に遭ったとしても、揺るがずに自分をしっかりと保っているのである

 そういうように、自分の中心と繋がっている、または自らの内宇宙と同一化している人は、どのようにしてそれを可能にしているのであろうか。そういう人を見ていると、実に特徴的な部分が見えてくる。それは、普遍的に間違いのない絶対的な価値観を持っているという点である。そして、その価値観に基づいてしっかりと大地に根ざして生きているのである。だから、どんなことがあっても生きるべき道を迷ったりしないし間違うこともないのである。人間本来の生きるべき価値観、またはこの全宇宙と万物、生命体に共通の価値観でもあるのだ。それをしっかりと認識しているかどうかによって、自分の中心と繋がることが出来るかどうかが決まるのである。

 その価値観とは、すべての固体(構成要素)は常に全体に貢献するという考え方であり生き方である。しかも関係性によってそれが保証されているという価値観である。端的に言えば、全体性と関係性によってこの世の中は成り立っているのだから、その価値観に基づいて生きれば、けっして間違いはないという考え方である。この価値観をしっかりと自分の中心部に据えて、その価値観によって生きるべき道を選択さえすれば、いつでも自分の中心と繋がりあえるのである。これこそが、我々がこの全宇宙において、授けられたミッションだと言ってもよい。この価値観を基にして、生きることが出来たなら、エネルギーバンパイアも怖くないし、自分を傷つけるような人にも対抗できる。そして、自分らしく生き生きとした人生を歩むことが可能になるのである。
政治家と官僚の嘘に騙されるな [2017年03月20日(Mon)]
 真実が喪失してしまった時代だと言われている。称してポストトゥルースと言うらしい。大国の大統領が真実を無視して、嘘をついている時代である。某国の主席や官僚も、平気で他国の領土を自国の領土だと言い張る始末である。隣国の大統領や官僚も領土を不当に騙し取ろうとしている。北朝鮮の主導者は自国民に対して嘘をつきまくっているし、拉致はなかったと平気で嘘を重ねている。アドルフ・ヒットラーという人物は、嘘も徹底してつくことで、聞いている人々は真実だと思い込むようになると嘯いている。いやはや、ヒットラーに習ったのか、世界の主導者たちは平気で嘘をついている。真実はどこに追いやってしまったのであろうか。

 政治家は嘘つきでないとなれないと、誰かが言ったような記憶がある。確かに、ある程度言いえて妙である。安全保障の観点や国民の安全と安心を守り抜く為に、敢えて真実を隠さなければならないケースもあろう。真実を知らせてしまうことで、外国との難しい交渉が頓挫してしまうことがあるかもしれない。しかし、自分の保身や利益、または権力を守る為に嘘をつくことは許されない。現在の世界のトップ政治家たちは、情けないことであるが、自分の為に嘘をつくのである。我が国の政治家たちだって同じである。国会中継を聞いていると、明らかに嘘をついていることが解るような例が沢山見受けられる。嘘に嘘を重ねるものだから、最後にはどうにもならなくてロジックが破綻する。

 政治家だけではなく、官僚も平気で嘘をつく。東京都の豊洲市場の問題では、明らかに保身の為に嘘をつきまくっていたし、文科省の天下り事件では文科省全体でその事実を隠ぺいしていたようだ。国会でも平気で嘘をつくし、そのことを目の前で学んだ政治家たちが嘘つきになるのは当然である。官僚たちも、自分の上司が嘘をつく姿を見て、処世術として嘘つきを学ぶのであろう。それにつけても、人間という生き物は嘘をつくように出来ているらしい。実に情けないことであるが、親たちが嘘をつくのを見ていて、嘘のつき方を子どもたちも学ぶのである。世の中には、このように嘘つきの教師がいるのだから、嘘つきが増えていくのは当然かもしれない。

 世の中ではなり澄まし詐欺が横行している。さらには、うまい儲け話に騙される人が後を絶たない。ごく普通に考えれば、そんなにうまい話なんてあり得る筈がないのに、ころっと騙されてしまう。特に老齢の方々をターゲットにした詐欺行為が多い。実に巧妙なやり方だと思うが、それにしても何故にこんなに簡単に騙されるのであろうか。大統領候補の巧妙な嘘を信じて、一国の大統領に選んでしまった国民もいる。訳の分からないアベノミクスだという訳の解らない造語と嘘の経済金融政策を信じて、期待している国民も大勢いる。マクロ経済政策や金融政策は、もう既に効果がないのだということを知らないことを言いことに、国民を欺き続けているのは許せない。経済産業省の役人たちは、マクロ経済政策ではなくて、ミクロ経済政策こそが景気回復の唯一の解決策だと認識している。

 人間というのは、本質的にうまい話に乗りやすいものである。こうなって欲しいという期待を込めて話を聞く傾向にあるからである。どこかの国の大統領や総理大臣の話を信じてしまうのも、豊かになりたいという期待があるから、嘘を見抜けないのである。詐欺師は相手の欲を見抜いて、嘘をいかにも本当のように聞かせる。政治家も国民や市民の欲を巧妙に煽りながら、真実を隠して嘘を言うのである。真実を言ってしまったら、自分の権力を守れないからである。だから、国民に対して心地よいことばかりを言っている政治家は信用してはならない。国民の不利益になることも正直に話して、自分の人気を失くすことさえ厭わないのが本当の政治家なのである。そういう本当の政治家は、いなくなってしまった。

 勿論、騙すほうが悪いのは当然であるが、騙されるほうも悪い。嘘を見抜けないというのは、自分に強欲があるからであり、心が清浄でないからであるとも言える。純真な人ほど騙されると思われがちであるが、素直で謙虚な人は嘘を見抜くことが出来る。騙すほうは、相手の弱みや拘り、または煩悩を上手く利用する。詐欺師に言わせると、欲のない人や素直な人は騙すのが難しいと語っている。松下幸之助は、いつも話をする人の気持ちになり切って話を素直に聞いたから、ただの一度も騙されたことがなかったという。騙されてしまう人は、期待を込めて話を聞くとか、自分の都合のよいように理解したがるらしい。政治家の話も素直に謙虚にまっさらな気持ちで、気持ちを推し量りながら聞くと、嘘を見抜ける。嘘をつく政治家になんかに間違っても投票しない賢い国民でありたいものだ。
発達障害は本当に治らないのか? [2017年03月05日(Sun)]
 大人の発達障害が増えているという。発達障害と言っても、いろいろな種類があるし、その症状も様々であり、症状の重いものから軽度のものまで実に幅広い。例えば、自閉症にもまったくコミュニケーションが取れないケースもあれば、高機能自閉症と診断されて自活している人々もいる。ごく普通の生活もしているし学校で勉学できるものの、何となく人間関係がしっくり行かないというような軽度発達障害の例もある。特定の対象にだけ異常な興味を示すアスペルガー症候群と呼ばれる発達障害もある。最近増えているのが、ADHDと呼ばれる「注意欠陥・多動性障害」の大人である。それも優秀な頭脳や学歴を持っているにも関わらず、会社では良好なコミュニケーションが持てず、仕事に支障を来たしている若者がいる。実に困ったケースである。

 これらの広汎性発達障害や高機能自閉症と呼ばれる人々は、親の庇護の元ならば何とか生活は出来る。何となく変わった子どもだなあとか、非常に付き合いにくい若者だなあと思われても、学業はそこそこにこなすし、勉強が出来てテスト結果がいいものだから、見過ごされるケースが殆どである。ところが、学校を卒業していざ民間企業で働きだすと、様々なトラブルを起こすし仕事が上手く出来ないことが多い。発達障害の人たちは勉強はできるが、仕事をこなすことが出来ない。特に、対人関係を上手に調整するのが苦手なので、難しい顧客の営業や管理が出来ないし、トラブルメーカーになることが多い。官公庁だと、多少仕事でトラブルを起こしても免職させられることはないから、長続きしやすい。民間企業においては、トラブルメーカーは居場所がなくなる。

 発達障害は先天的な脳の器質障害だと言われている。脳の器質障害によって脳内の神経伝達物質が正常に分泌されなかったり、脳の先天的な損傷により情報伝達が正常に行われなかったりする。だから、例えば一度に二つ以上の行動が出来ず、不器用さを露呈することがある。さらに、人の気持ちを斟酌したり、相手の思いを想像したりするのが極めて苦手なので、人間関係の破たんを生じしやすい。端的に言うと、場の空気が読めないのである。また、複雑で微妙な駆け引きを必要とされるような交渉事は困難である。まさに、相手の微妙な心の変化を読まなくてはならない、恋愛のようなことは苦手になるであろう。稀に、結婚してから相手の発達障害に気付くケースも少なくない。

 この発達障害は、先天的な脳の器質障害であるから、医療的な治療によって改善することはあまりない。薬物治療も例外を除いて該当しないし、精神分析療法や認知行動療法などでも多大な効果を表すことは稀である。現代の医療レベルでは、ある程度症状を軽減することはあっても、劇的な改善は残念ながら見込めない。とすれば、この発達障害はどうにもならず、家庭に引きこもって、親の経済的援助や公的扶助を受けるしかないのであろうか。一部のNPO法人や福祉法人は、発達障がい者の支援に乗り出している。作業所を開設し、就労支援をしたり生活支援をしたりしている。これも、ある程度の効果はもたらすが、一般企業で働けるほどの就労レベルには追い付かないのが実情である。

 ところが最近、この発達障害が食事療法によって改善されつつあるという朗報がもたらされている。発達障害の人たちの食生活は、どちらかというと乱れている。ドーパミンなどの分泌障害もあることから、食べ物の嗜好が偏りやすい。高い糖分と脂質の食物を食べたがる。ジャンクフード、スナック菓子、ファストフード、炭酸飲料、肉、牛乳と乳製品、ケーキ、チョコレート、パンなどを好む。逆に、野菜、伝統的和食、豆類、発酵食品、魚などは摂取したがらない。味の強いものを食べたがるし、味の薄い和食は摂りたがらない。どういう効果をもたらすかというと、腸内環境が最悪になる。腸内細菌(腸内フローラ)はが育たないし、悪玉菌が蔓延る。また、人工的な食品添加物などにより、重金属が体内に蓄積される。最悪の状況になっていると言えよう。

 正しい食生活にすると、腸内環境は改善され身体に有害な重金属は排泄される。そうすると、脳内神経伝達物質である脳内ホルモンが正常に分泌されるという。脳内ホルモンが正常に分泌され神経伝達が正常に働くと、発達障害の症状が劇的に改善されるというのである。実は、この正しい食生活は、うつ病やパニック障害にも効果があることが判明されつつある。もちろん、食事療法だけで発達障害が完治する訳ではない。この食事療法に加えて、土いじりをする農業体験、トレッキングなど自然体験などを適宜取り入れることで、効果が倍増すると言われている。最近、精神障がい者や発達障がい者に対する支援に、農業体験を取り入れる福祉施設が増えてきた。是非、食事療法も加えてみてはどうだろうか。
相模原福祉施設の殺人事件の犯人像 [2017年03月02日(Thu)]
 相模原津久井の福祉施設で起きた、悲惨な殺人事件の犯人に対する精神鑑定結果が出たという。多くの精神医学者はすでに予想していた結果ではあるが、自己愛性のパーソナリティ障害とその他の人格障害との複合的な人格障害だとの鑑定結果が示された。したがって、精神喪失の状態ではなく犯罪の要件に該当することから、正式に犯罪として立件されることになったという。自己愛性のパーソナリティ障害というのは、一般の方々にとっては初めて耳にする障害名かもしれない。そもそも、人格障害という概念がまだ一般化していない。しかし、この自己愛性のパーソナリティを含めた人格障害の人は、想像以上に多い。おそらく、1割から2割の人たちは人格障害ではないかと指摘する専門家が少なくない。

 この自己愛性のパーソナリティ障害というのはどのような障害かというと、こんな症状を示すことが多い。まずは、強烈な万能感を示すことが多い。自分は、他より優れていてどんなことも出来るし、賞賛されるべき存在だと思い込む。自分と対比して他の人々は、実に愚かであり何も知らない存在だと蔑む。だから、自分は特別な存在であり、世の中から賞賛と高い評価を得るべきだと思う。そして、その賞賛のために平気で嘘をつく。自分は著名な人といかにも親しいとか、名誉・地位ある人や富豪と知り合いや友達だとうそぶく。評価のある人と知人だということで、自分の評価も高いのだと勘違いしている。職場や地域で何よりも評価や地位にこだわる。

 自己愛性のパーソナリティは、とても危険な人なのかというとそうではない。確かに、相模原事件のような危険な人格を作り出すこともあるが、全部が全部危険な行動をする訳ではない。障害の強弱もあるし、実に様々な症状を表出させる。相模原事件の犯人は、複合の人格障害だということなので、反社会性の人格障害や妄想性の人格障害、境界性の人格障害などの傾向を示していたものと思われる。自己愛性の人格障害は、強く現れる時もあれば弱い時期もある。強く表出した際には、境界性の人格障害の症状を示すケースが少ないとも言われている。この境界性のパーソナリティ障害の人は実に扱いにくい場合が多い。反社会性のパーソナリティ障害は、犯罪のような危険な行動を平気でする例が多い。

 自己愛性のパーソナリティ障害が強く出たと思われる歴史上の人物は、ヒットラーやムッソリーニ、またはスターリンと言われている。自分を過大評価すると共に、自分に対抗する人たちを徹底して蹴落として、抹殺した。自分に反抗する者を粛清しているどこかの国のトップも同じである。ある大国の大統領やある国の首相も、自分を批判するマスコミを徹底して弾圧しているところを見ると、自己愛性のパーソナリティ障害があるのかもしれない。こういう人物は、権力に対して異常な執着をする。自分の人間としての評価が、地位や名誉によると思い込んでいるから、自分の名誉や地位を脅かす存在を許せないのである。こういう人の部下や同僚になったら怖い。この人の能力や技術を凌駕しようものなら、徹底して貶められてしまう。

 この自己愛性のパーソナリティ障害を起こす原因は、脳の器質障害にあると言われている。前頭前野の発達が遅れているというか退化していると言われている。生まれつきなのか後天的なのか、解明されていないが乳幼児期の子育てに影響しているのではないかと見られている。特に、小さい頃に保護者から虐待されていた子や見放されていた子が、自己愛性のパーソナリティ障害になりやすいと言われている。ヒットラーやムッソリーニは、父親から虐待のような仕打ちを受けていた。この相模原事件の犯人は、虐待を受けていたとは言えないような家庭環境らしい。父親は教師をしていたし、母親もかなり教養が高かったらしい。裕福でもあったろうし、一見すると愛情不足だったとは思えそうもない。

 自己愛性のパーソナリティ障害も含めて、パーソナリティ障害を引き起こす原因は、保護者からの愛情不足だと言われている。それも、母親からの豊かな母性愛、言い換えると無条件の愛が乏しかった幼児期が影響しているらしい。逆に、母性愛が少なくて父性愛(条件付きの愛)が強過ぎると、パーソナリティ障害が起きやすい。母親というのは、夫から豊かな愛情と支配され過ぎない立場を与えられていないと、子どもに豊かな母性愛を注げないものである。相模原事件の犯人は、教師である父親から強過ぎる父性愛を受けていたのではないかと思われる。母親は、夫からの強過ぎる支配とハラスメントに、精神を病んでいたのではないかと想像する。母性愛を発揮できなかったのであろう。19人も殺めたのであるから、その行為は許せないが、彼の家庭環境は実に可哀想だったと思われる。彼のような不幸なモンスターをこれ以上生み出したくないものである。
トランプの大嘘 [2017年02月28日(Tue)]
 米国大統領の歴史上、一番人気のない大統領が誕生した。トランプ大統領の就任演説は、世界中の人々が注目をしていた中で行われたが、完全な間違いだと思われる部分があったのに気付いた人も少なくないだろう。何故、そんな誤謬を犯してしまったのか不明だが、真実を知っていながらわざと嘘をついたのか、それとも真実を知らなかったのかは分からないが、間違いだということは確かである。それは、彼がこういうことを言った部分である。米国は今まで世界の多くの国に富の再分配を行ってきた。これからは、富の再分配は止めて、自国の国民を豊かにしていきたいと述べた部分が大嘘なのである。これは、世界経済を熟知している人なら、誰でも間違いだと知っていよう。国民受けを狙って嘘をついたとすれば、大ウソつきの大統領ということになる。

 米国の豊かさは何で得られたものであろうか。自国の資源を使って、自国の労働力で生産し、自国で消費することでの経済的な豊かさを実現したというのなら、富の再分配という話もまんざら嘘ではない。そういう部分も確かにはある。でも、ごく一部である。米国の繁栄は、発展途上国からの経済的搾取によって築かれてきたのである。米国が発展途上国に対して富の再分配をしたのは、その搾取した利益のごく一部分でしかない。米国のグローバル企業は、世界中の労働力が安い国に現地工場を設置して、低劣な労働環境と待遇で働かせ、世界中に製品を輸出してきた。莫大な利益は米国本国に送金されて、発展途上国に対して、利益は殆ど還元されないシステムを作り上げた。

 さらに、米国の金融資本はあらゆる方策を使って利益を上げているが、そのしわ寄せはすべて貧しい国の国民に浴びせられている。米国の石油メジャーは、自分たちの利益を守るためには手段を選ばず、発展途上国の原油を安く買い叩いた。「海賊とよばれた男」という小説と映画では、卑劣な彼らのやり方が紹介されている。本来の正当な価格ではなく、発展途上国の金融市場を操作しながら、極めて安く原料を仕入れてきたのである。そして、米国で生産した工業製品、とりわけ高額な医薬品などを発展途上国にばらまいたのである。それも、けっして完治することのないただ症状を抑えるだけの医薬品を。一度飲み始めたら、一生薬漬けにするような医薬品を大量に供給した。農産物用の化学肥料や危険な農薬もしかりである。

 こういう卑劣な行為をしながら、発展途上国や未開発の国々の国民から、莫大な利益を搾取してきたのである。そして、トランプがいう富の再分配は、自国の経済や政治を守るために仕方なく最低限のレベルで実施してきたのであり、人道的な視点から行った富の再分配なんて、ごく僅かでしかない。こういう発展途上国からの搾取、とりわけ中東の国民から搾取してきたから、貧困が蔓延し政情不安を引き起こし、アルカイダやISによるテロ行為や内戦を生み出してきたのである。そのテロや内戦の原因を作ったのは、他ならぬ欧米の大企業とそれに加担する政治家たちである。日本もまた欧米の国と同じ行為をしてきた。

日本も含めた欧米の富める者たちが、発展途上国に対して富の再分配をもっと積極的に行い、すべての国が平和と平等を実現して、国民すべてが経済的豊かさを享受できたなら、テロや内戦はたちどころに消滅するであろう。先進諸国においても経済的格差が広がっていて、貧困が蔓延している。日本だって例外ではない。子どもの貧困化とその連鎖が問題になっている。政治の大事な役目は、所得と富の再分配である。それは国内だけでなく、世界全体における富の再分配が必要である。経済活動や労働に対する報酬が偏ると、貧困が起きる。そうならないような制度を作ること、さらには適度な所得の再分配をすることで大きな消費意欲が発生して、経済は活性化して、結果として好況が達成される。

子どもの貧困は世代間で連鎖する。一旦貧困に陥った家庭は教育の貧困化が起きてしまい、なかなか貧困を抜け出せない。だからこそ、政治による富の再分配を的確に実施して、貧困から誰でも抜け出せるチャンスを与えるべきなのである。先進国は、世界平和と世界経済の活性化の為に、発展途上国に対する富の再分配を積極的にすべきである。これこそが、世界全体の平和と幸福を実現する唯一の方法である。内戦やテロを軍事力で制圧するという手法は、もはや限界なのである。今までの歴史がそれを証明している。トランプ大統領の大ウソを糾弾し、先進諸国とその大企業、そして富裕者たちは、富の再分配を積極的に実施してほしい。それが世界平和を実現するただひとつの道だと信じて。
逃げ恥ブームに潜む若者の心理 [2016年12月26日(Mon)]
 逃げるは恥だが、役に立つというTVドラマがブームになり、逃げロスという現象まで引き起こしているらしい。この手の恋愛TVドラマには興味がないが、あまりにも騒がれているので今まで放映された総集編と最終回を視てみた。なるほど、通常の恋愛ドラマとは違った魅力があった。新垣結衣の可愛さも捨てがたいし、星野源の感情表現を抑えたいかにも頼りげのない仕草と表情が見事である。ドラマの筋書きもよく出来ているし、時折加えられている森山みくりの妄想シーンも微妙なスパイスとして、ドラマを盛り立てている。それにしても、このドラマがどうしてこんなにも若者たちに熱狂的に支持されたのであろうか。多くの若者たちが、深い共感をもってこのドラマを受け容れたと思われるが、その理由に迫りたい。

 現代の若者たちは、総じて恋愛下手である。そんなことはない、上手に異性との付き合いをしているし、肉体的にも結ばれている関係にあると反論するかもしれない。しかし、それは単なる異性とのお付き合いであり、結婚を前提とした恋愛ではない。あくまでも、友達の一人としてであり、ただ寂しさを埋め合うような関係でしかない。本当に好きな人とは、恋愛に発展できず、告白することさえできない。そんなに好きでもない異性には、平気で身を任せられるが、大好きで結婚したいなと思っている人とは、深い関係にはなれないみたいである。実に不思議なことであるが、どうでも良いと思える人としか、安心して付き合えないというのである。これでは、結婚できる訳がない。

本来、恋愛というのは、相手の良い処も悪い処も全部許して受け容れて、人間全体を愛するということである。しかし、今の若者は本当の自己開示が出来ない。自分の駄目な処や恥ずかしい部分、みっともない自分を見せられないのである。性交渉をするというのは、自分のすべてを見せなければならない。自分でも自信のない処や恥ずかしい部分までも、相手の目にさらすことになる。どうでも良いと思えるような相手には平気ですべてを見せられるが、大好きな人に嫌われてしまうかもしれないという深層心理が働いて、自己開示をためらってしまうのであろう。我々のような還暦を迎えた世代には、到底理解できないロジックであるが、これが恋愛下手に陥っている若者たちの心理らしい。

 どうして自分のすべてをさらけ出せないかというと、自己否定感が強いからである。自分の嫌な処、駄目な部分、恥ずかしい箇所、マイナスの自己を、自分で認めることが出来ず、ないことにしてしまっているからである。自分の良い処だけを出すようにして、良い人間を演じているのである。確かに、職場や公的な場所で駄目な処を敢えてさらけ出す必要はないが、恋愛の対象者にまで自己開示が難しいとしたら、恋愛に踏み切れないのは当然である。本当の自分が知られてしまったら嫌われるかもしれないという恐怖感から、自己開示が出来ないのであろう。言い換えると、自己承認力や自己肯定感が不足しているから、あるがままの自分を見せられないのだと想像できる。

 逃げるが恥の主人公二人は、まさに自己承認力や自己肯定感が不足している。だから、恋愛に対して臆病だし、結婚願望がありながら恋に踏み切れないのである。相手のことを好いていながら、嫌われることを恐れるあまり告白できない。年配の視聴者は観ていて、非常に歯がゆい思いをするだろうが、若い人達はあの臆病な二人に感情移入するに違いない。若い人達の多くが、このように自己否定感を強く持っているが故に、結婚しない若者が増えて少子化が進んでいるなら、由々しき大問題である。これでは、益々少子高齢化が進んでしまう。どうしてこんなにも自己否定感の強い若者が増えたかというと、やはり教育の影響であろう。自我を克服して、本当の自己を確立させる教育をしてこなかったツケを、今支払わされていると思われる。

 アイデンテティーの確立と一般的に呼ばれる、真の自己確立をしている人は、この日本社会には1割にも満たないと主張する心理学の専門家が多い。特に若者たちは、行き過ぎた競争社会に置かれていて、思想哲学を排除された教育、形而上学を否定された価値観を植え付けられているのだから、真の自己確立が出来る訳がない。逃げ恥の主人公は、たまたま契約結婚(偽装結婚)という形を取ることで、恋愛に発展した。あのようなプロセスをたどることが出来たとしたら、自分も恋愛をして結婚できるかもしれないと安心した若者たちが逃げ恥のファンになったと思われる。こんな偽装結婚から恋愛になんてことが、現実的に起きる訳がない。婚活をするのなら、真の自己確立が必要なんだと気付いてほしいものである。逃げ恥のようなドラマ鑑賞で、自己満足するもんじゃないよ。
読後雑感「ブルーエグジット」 [2016年12月23日(Fri)]
 ブルーエグジットとは、直訳すると青い出口になる。ダイビングの専門用語で、水中に潜って海面に浮かび上がる時に、水中から見た海面を割って出るので、青い出口(ブルーエグジット)と呼んでいるらしい。そして、そこから転じて、自分自身の人生や生き方を被らせて、自分の出口の見えない堂々巡りの人生から抜け出す場所をブルーエグジットと呼ぶと言われている。この世の中は、非常に生きづらいものがある。自分らしさや本当の自分を見つけられない人も多い。自分探しの旅の果てに、見つけた本当の自分に出会う出口を、ブルーエグジットと言うのかもしれない。著者の石田衣良さんは、ある身障者の若者が自己成長を遂げて、真の出口を見出す物語を丁寧に描いている。

 ある障碍者とその父親の物語である。ひきこもりを続けていた青年が、ある日突然出かけてバイクの事故を起こす。その事故で半身不随になってしまい、車いすの生活を強いられる。ひきこもりは益々酷くなり、自分の部屋から出ることもなくなってしまう。そんな青年が、ある日珍しく両親と外出し、偶然見つけた店に掲げられたポスターに魅せられる。ブルーエグジットというフレーズが記された、ダイビングのポスターである。しかも、その写真に写っているダイビングをしているモデルは、なんと両足がない。そこから、この青年の自分探しがスタートするのである。

 この物語で語られているのは、この青年の心の成長であるが、同時に父親の心の葛藤と魂の成長でもある。つまり、親子の自己成長の物語でもあり、親子関係の修復がテーマでもある。親というものは、子どもに対して知らず知らずのうちに、自分の思い通りの子ども像を押し付けてしまっている。それは、言わば支配と制御である。親が理想とする人生を子どもに歩ませようとしている。子どもが不幸にならないようにと思う親心で、けっして悪意はない。しかし、結果として子どもはそんな親に対して反発し反抗し、自分らしく生きたいと思いながら、葛藤するのである。そして、その間違いを多くの親子は気付いていないし、親が変わらなければ子は変わることが出来ないのである。

 親のことが心から嫌いな子はいない。しかし、あまりにも過干渉な親を子は毛嫌いする。小さい頃は、親の言うことに対して素直に聞いているが、自我が芽生える少年期には反抗するものである。その反抗期を親があまりにも押さえつけてしまうと、自我人格を確立できない。しかも、自我が正常に育たなければ、やがて確立するであろう自己人格も育たない。親というのは、木の上に立ってじっと見守るように、子に対してそっと愛情をかけてあげるものであり、何もかも親が子に指し示すものではない。子どもがダイビングを経験しながら成長する姿を通して、親がかけるべき本来の愛情を気付き学ぶストーリーが丁寧に描かれている小説である。

 自分とは何なのか?自分が生きる意味とは?そんなことを考えながら、悩み苦しみながら少しずつ心と魂が成長して行く時期が、『青春』であろう。親を思い、時には親に反発し、親を殺したいほど憎み、やがて自分と親は別の人格であり、親の支配と制御から抜け出すことが真の自立と言える。この若者は、不幸にも小さい頃は親の言うとおりの生き方を強いられて、自我も芽生えず自立できなかった。親が望む『よい子』を演じるだけであった。それが、事故によって両足の不自由を抱えることになりながらも、ダイビングを学ぶことで本当の自分を確立できたのではあるまいか。そして、何も口出しせずその成長の姿をじっと見守っている父親を見て、親の有り難さを知り、感謝を言えるほどの親子関係を取り戻せたに違いない。

 この若者は、ひきこもりや交通事故による半身不随という不幸な境遇の中で、たまたま目にしたダイビングのポスターから、自分の出口であるブルーエグジットを見つけ出すことが可能になった。現代において、多くの若者が自分の本当の出口を見つけられず、苦しんでいるに違いない。そんな若者たちへの応援歌として、原作者の石田衣良氏はこの小説を書いたのだろう。多くの若者たちにいろんな経験と学びをしてもらい、自分なりのブルーエグジットを見つけてもらいたいと思った自分がいる。そのためのサポートを、自分なりにしていきたいと強く心に刻んだ。石田衣良さんの小説には、いつも感動させられる。いい小説に出会えたという大きな喜びを感じると共に、作家に深く感謝したい。
読後雑感「本日は、お日柄もよく」 [2016年12月18日(Sun)]
 「本日は、お日柄もよく」というフレーズは、結婚式における祝辞における常套句である。主賓の挨拶、または友人によるテーブルスピーチでも、挨拶の導入部分で使われるフレーズである。最近は、昔のように大きな結婚式は催されず、パーティ形式が増えてきた。したがって、あまり格式ばった祝辞はなくなったが、少なくても主賓や恩師の祝辞では、このフレーズが省略されるケースはあまりない。そして、これらの挨拶は、おしなべて詰まらなく退屈な挨拶が多い。ある結婚式での主賓挨拶があまりにも退屈で、主人公が居眠りしてしまいスープに顔をダイビングさせてしまうシーンから始まるのが、この「本日は、お日柄もよく」という原田マハの書いた小説である。

 結婚式の主賓挨拶は、実に詰まらない内容であることが少なくない。勿論、主賓挨拶だからあまりくだけてはいけないだろうし、かといって教訓的な内容がまるっきりなくても、ひんしゅくを買ってしまう。だから、ほどよいユーモアを交えながらも、新しい門出を迎える2人の秘密のエピソードなんかを紹介して、祝福のメッセージを伝えるのがよい。しかし、たいていの主賓は堅苦しい挨拶をするものである。この主人公のような失態を演じる事はないだろうが、居眠りしたくなるのも道理である。主人公はこの失態を通して、伝説のスピーチライターと出会い、師と仰ぎ弟子入りすることになる。

 世の中にスピーチライターなる職業というか、スピーチを指導教育することを生業とする人がいるとは、今の今まで知らなかった。このスピーチライターの名人のてほどきを受けながら、主人公はいろんなことを学んだり、気付かされたりするのであるが、それはスピーチの技術だけではない。話すということの本質的な部分をも学ぶことになる。つまり、言葉というものが持つ「力」というものである。話者が紡ぎだす言葉には、聴く者の心を、そして魂を揺さぶるような力がある。たかがスピーチ、されどスピーチである。聴く者の考え方、認識、時には生き方さえも変えるような力があるのだ。主人公は、このスピーチライターとの出会いと関わりにより、スピーチの大切さとその持つエネルギーを実感することになる。

 この小説の中でも、人の心を打ちその人の人生さえも左右するような素晴らしいスピーチが紹介されている。現実においても、ゲチスバーグにおけるリンカーン大統領の民主主義の原則を述べた「カバメント、オブザピープル、バイザピープル、フォアザピープル」というスピーチ、または「イエス・ウィ・キャン」というオバマ大統領のスピーチは、世の中をひっくり返すくらいの強烈なインパクトがあった。このように、スピーチというものは、世界の動きさえも左右させてしまうパワーを秘めている。米国民は昔から政治家のスピーチに注目して、その内容だけでなく話し方や訴える力をも評価していたのだろう。結婚式だけでなく、告別式において霊前で亡き友人に贈る弔辞にも、魂を揺さぶられるほど感動するケースも多々あると、小説の中で紹介している。

 会社においても、朝礼におけるスピーチから始まり、様々な場面でスピーチがある。教育指導、研修の場面でもスピーチの優劣が社員の成長に大きく関わっている。社員の心に響かないようなスピーチは、意味が無い。ともすれば、結婚式でするような退屈で居眠りしたくなるようなスピーチをくどくどとする例が少なくない。人々の心の奥にまで届き、感動を与えるようなスピーチをしたいものである。その為には、単なるセンテンス(文章)ではなくて、コンテキスト(文脈を持った文)としてのスピーチでありたいし、なによりもストーリー性を持ったスピーチにしなくてはならない。いくら美辞麗句を羅列したとしても、そこに物語性がなければ、聴く者の魂まで訴えることはできないのである。

 この小説では、若い女性がスピーチの大切さを認識し、精神的にも大きく成長し、自立して行く姿が描かれている。そこには恋愛模様や家族の関係性の大切さも描かれている。ストーリーも面白いし、わくわくさせる展開で読む人を飽きさせない。スピーチをするのが楽しくなるような気がするし、逆にスピーチの難しさを再認識させられるかもしれない。いずれにしても、言葉というのはものすごいパワーを持っていて、言霊と言われるように、言葉として発した瞬間から魂を持つものである。これからも社員教育の場面、結婚式の祝辞、告別式の弔辞、市民活動の講演、様々な場面で極上のスピーチが求められる。この小説で記されているように、聞く者の魂を揺さぶることが出来るよう、全精霊を傾けて、ストーリー性が溢れる、感動のスピーチをしたいものである。そんなことを常に心がけなければならないと、深く気付かせてもらった素晴らしい小説だった。
ストイックに生きるには [2016年12月14日(Wed)]
 プロ野球の大谷選手やイチロー選手は、ストイックな生き方によって、世界でも一流の肉体と精神を獲得し、持続発展させている。この世には、欲望をそそられるものが沢山存在する。酒、タバコ、ギャンブル、ゲーム、美食、ジャンクフード、甘味飲料水、AV、セックス産業、ドラッグ、等々である。私たちの欲望を満たしてくれるこれらのものは、望めば簡単に手に入る。ストレスフルなこの社会においては、欲望を満たしてストレス解消させてくれるこれらがある意味必要であろう。これらの欲望を満たす行為を、節度ある程度に抑えることが出来るなら、身を滅ぼすケースは少ない。しかし、欲望は肥大化する。依存症になり自分自身の肉体と精神の破滅、そして経済的な破綻を招く例も少なくない。中には、覚醒剤や麻薬までにも手を出す人もいる。こうなると、一生をだいなしにしてしまうことになる。

 このように、我々の煩悩というのは始末に負えないほどに燃え盛るケースが少なくない。したがって、仏教では四苦八苦のうちのひとつ五蘊盛苦(ごうんじょうく)と言って、自分の裡にある燃え盛る煩悩により苦が生じると説いている。必要以上の欲望である、貪り(むさぼり)の心を捨てなさいとも教えている。古来より、この欲望を鎮めるために山岳修行をしたり滝行をしたり、さらにはお寺に籠もり一汁一菜の粗末な食事をしながら修行してきたのである。しかし、我々現代人は、なかなかストイックな生き方が出来ない。美味しい食べ物・飲み物などが周りには沢山あるし、欲望をそそられる遊びや娯楽がいつでも手に入るからである。

 それでは、現代人がストイックな生き方をするのは絶対に無理なのであろうか。私たちが欲望から解放されることは出来ないのであろうか。確かにストイックな生き方をしている人は、ごく少数しかいない。おそらく、現代人が100%禁欲生活をするというのは無理だと思われる。仙人になれば可能であろうが、我々のような凡人がカスミを食べて生きるなんてことは出来そうもない。心理学的に推察すると、完全にストイックな生き方をすると、うつ状態になったり意欲をなくしたりして、正常な日常生活に支障を来たすことになりかねない。だから、人間は完全な禁欲ではなく、何かひとつくらいは楽しいことや快いことをするのではないだろうか。つまり、ガス抜きみたいなものであり、躁的防衛と定義されている。

 しかしながら、そのような快楽行動をすることは、両刃の剣でもある。折角ストイックな生き方をしようとしているのに、過度の飲食によって肥満になり健康被害を起こすとか、過剰飲酒によりアルコール依存症になるとか、ギャンブル依存症などになる可能性もある。たった一つの快楽であっても、過度の欲望を引き出す怖れもある。とすれば、どんなことをすればストイックな生き方が可能になるのであろうか。先ずは、あまり快楽ホルモンであるドーパミンが分泌しないものであろう。しかも、飽きのこないもので、身体と精神の負担にならず、楽しいと感じるものという難しい条件が付く。奥の深いもので、精神の鍛錬にもなり、自己成長につながるものなら、なお良いだろう。

 そんな良いものは、おいそれとはないかもしれない。さらに、その楽しいことが経済的な負担が少なく、ずっと続けられるものがいい。しかも肉体的にも精神的にも健康になるものなら願ったり叶ったりである。例えば、ジョギングや散歩がいいと思う人もいるだろう。確かにこれはある程度ストレス解消になるが、完全に思考の停止が出来ないということもあり、ストレスを手離すことが出来ない。ストレス解消方法として最近特に注目されている「マインドフルネス」には不似合いである。マインドフルネスとしていいのは、瞑想や座禅、写経や読経、真言を唱える等と言える。しかし、残念ながらこれらは楽しくないから長く続かないように思われる。

 厳しい登山やロッククライミングなどもよい。これはマインドフルネスとして最適だろう。古来より、危険で厳しい山岳修行が好まれたのは、ストイックな生き方をするのに最適だったからかもしれない。自分も、鎖場が続く山やハードな登り方が求められる山が大好きだ。自分の肉体と精神の限界に挑戦するような登山を好む。ただし最近は、より身近に楽しめるゴルフにはまっている。ゴルフはメンタルトレーニングとしても最適だ。強欲を出すと、逆にこっぴどくやっつけられる。高齢者でも楽しめるし、平日のゴルフなら経済的な負担も少ない。おかげで、酒、タバコ、過飲暴食、買い物、ギャンブルなどの欲望に負けることなく、ある程度のストイックな生活が出来ているように感じる。完全なストイックではなく、緩いストイックな生き方を楽しむほうがいい。
薬物依存汚染が止まらない芸能界 [2016年12月12日(Mon)]
 芸能界において、またまた薬物依存事件が起きた。今回はコカインみたいであるが、危険ドラッグや大麻の使用事件も続発している。さらに、一度覚せい剤事件を起こした芸能人が再犯を起こす事件も続いている。こんな表に出た事件だけでなく、薬物に汚染されている芸能人は他にも多数いるという情報もある。薬物に汚染されているのは、芸能界だけではない。しかし、芸能界において薬物汚染が起きる確率は、一般社会に比較するとすごく高い気がする。高値の違法薬物を購入できる裕福さがあるということもあるし、売人側もターゲットにしやすいのであろう。魔の手に誘われてしまうケースが、芸能界に多いのは何故であろうか。

 危険薬物や麻薬覚醒剤に引き込まれる芸能人は、どんな人なのであろうか。芸能人であろうと一般社会人であろうと、薬物依存を起こす人は特定の人である。どんな人かというと、欲望に流されてしまい人生の闇に引き込まれやすい人であろう。さらに、人生の目的をしっかり持ちえないし、正しい人生哲学を持てない人である。芸能人はどちらかというと、自分の信念や理念、または正しいミッションを持っている人は多くない。人気を博したい、仕事を失いたくない、収入を確保したい、豊かな生活を失いたくない、そんな自分の欲望を満たしたいという低レベルの価値観に支配されているからだ。だから、常に人気・仕事・収入を失うのではないかという不安・恐怖感を持ち続けている。だからこそ、その不安や恐怖感から逃れる為に、目先の欲望に取り込まれると言えよう。

 一方、薬物依存ならない芸能人は、しっかりとした思想哲学を持ち、仕事の正しい目的を持っている人である。自分の仕事は、多くの人々の支援によって成り立っているのだから、感謝の心を忘れてはならないし、その人々を裏切ってはならないと心に強く決めている。つまり、自分の利益よりも周りの人々との関係性を非常に大切にしているのだ。さらに、自分の仕事は多くの人々たちを幸せな気持ちにしたり多くの気付きや学びを提供したりする貴重なものなので、けっして手抜きや誤魔化しはしてはならないと考えている。つまり、自分の仕事は社会貢献であり、全体最適を目指すものでなければならないと自覚しているのである。こういう芸能人は、人気を無くすことはけっしてない。

 このように、薬物依存もそうであるが、芸能人生活を破たんさせるのは、本人の芸が人々から受け入れなくなった訳ではなく、自分の価値観が低劣だからなのである。薬物依存になった芸能人を分析してみると、このことが明確になる。豊かな才能や技術があっても、自分の損得や利害を優先させて仕事をしている芸能人は、けっして活躍が長続きしないし、家庭生活も破たんする。芸能人は、私生活もしっかりしなければならないなんて無茶なことは言わないが、貪るように欲望を求めるような芸能人は大成しない。一時的に人気を博すことはあっても、必ずと言っていいほどタレントとして行き詰る。ある意味、ストイックな生き方をすることが、薬物依存に陥らない秘訣である。

 芸能人は、芸を磨くために遊びが必要だという格言が、今でも信じられている。確かに、いろんな遊びや経験をすることで、芸の深みや肥しとなるケースが多い。江戸時代の歌舞伎役者が、芸を極めたいと危ない火遊びをして、歌舞伎界から追われた例が少なくない。しかし、それも単なる火遊びのつもりがどっぷりと愛欲に溺れてしまい、身を滅ぼしたのである。自分の家庭や芸の道を滅茶苦茶にするまでに火遊びをするというのは、芸の肥しになる筈がない。ある程度の欲望までは許されるが、貪欲はその身を破滅させる。危険薬物や麻薬覚醒剤は、人間の欲望に関連する脳内ホルモンであるドーパミンを大量に分泌させる。だから、強い依存性があり、その欲望が肥大化してしまうのである。

 日ハムの大谷選手の私生活は実にシンプルであり、ストイックな生活をしている。中年になりながら世界に通用するプレーを続けるイチローも、ストイックな生き方をしている。40歳を超えても現役にこだわり続けるキングカズもストイックな食生活をしている。C・ロナウドもストイックなトレーニングと生活を続けているという。芸能人も一流を続けたければ、ストイックな生き方をしなければならないと思う。そして、全体性と関係性を重視するという価値観を持つことが必要である。そうすれば、煩悩に支配されることもなく、薬物依存に陥ることもけっしてないだろう。芸能世界から、薬物依存を一掃するには、これしか方法がないと確信している。
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