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風評被害に対する応援 [2012年02月06日(月)]
 福島県の農産物というだけで、放射線が検出されていないのにも関らず売れないという、泣きたくなるような風評被害に、多くの農家が苦しんでいます。しかしながらそんな中で、南青山という高級住宅街や一流企業が立ち並ぶ一角で野菜料理を営むお店のオーナーが、風評被害に対する支援をしたいと申し出てくれました。なんと、白河の野菜をお店で使いたいというのです。そのお店は、野菜料理の店「おとや」です。

 私の書いたブログ記事をご覧になったオーナーが、是非野菜農家を紹介してほしいとおっしゃって下さり、地元の農業法人の社長をそのレストランにお連れして、オーナーや調理師さんにお引き合わせしたという次第です。

 そのお店は、都内に多数の店舗展開をしている外食チェーンのフランチャイズ店の一つだそうですが、場所柄一流企業の役員の方々や高級住宅にお住まいの奥様方たちがおいでになるだけあり、高級なイメージの洒落たお店です。

 厨房は客席からも見えるだけあり、見るからに清潔できれいに整頓されています。美味しい料理かどうかは、厨房を一目見れば解ります。

 訪問した際に、ランチをご馳走になりましたが、野菜本来の味を生かした調理と味付けは、実に見事でした。人気があるというのも頷けます。毎週、定期便で送ることになり、さらには白河まで、野菜を栽培している畑を実際に見にいらっしゃるという約束をしました。

 このように福島の野菜を応援してくれるお店が、もっと増えてくれたら有難いです。この店のオーナーは、若い素敵な女性の方ですが実に立派なお考えを持っていらっしゃいます。地元のトマトや苺をお店において、販売をしてくださっています。この震災で、新たなネットワークが生まれ、絆が深まったことに感謝したいものです。ありがとうございます。
神様のカルテ [2011年09月20日(火)]
 神様のカルテは、現役ドクターが書いたベストセラー本が映画化されたものである。原作が良くて、期待して映画を見ると、得てして期待はおおいに裏切られることが多い。しかし、この映画は原作の良さをうまく表現していて、純粋に楽しめたし感動的だった。本やコミックを映画化する場合、原作に忠実に映像を作ることを避けて、余計なエピソードを入れたり、時間を前後させたりするのだが、失敗することが多い。あまり、テクニックに溺れないでほしいものだ。

 さて、この神様のカルテという中で描かれているドクターは、周りには変人だと思われている。こういう勤務医師はそこらへんの病院には、あまり居ないことだろう。何故なら、完全に患者の心になり切っているからだ。あくまでも患者の尊厳を守り、患者の人生にとって、どういう医療の選択肢が良いのか、真剣に悩む若い医師イチさんの姿に共感する。でも、本来の医師はこうあるべきなのである。こんなドクターが映画の主人公になるような医療界では、本来困るのだ。それだけ日本の医療が荒廃しているという裏返しとも言える。

 神の手は持たないが、こういう素晴らしい医師がいる、というフレーズが、本と映画の宣伝に使われている。世の中には、神の手と呼ばれるドクターがいる。日本で初めて拡張型心筋症にバチスタ手術を成功させた須磨久善先生もその1人だ。先生は、確かに他の追随を許さない技術と能力を持つ。しかし、それ以上に素晴らしいのが、先生の価値観であり、その人間性である。謙虚であるし、真摯な態度は有名になっても変わらない。先生は患者の気持にいつも寄り添っている。先生は技術や能力よりも大事なものがあると深く認識しているに違いない。

 神様のカルテに出てくる主人公イチさんも、医師としても優秀な腕と能力を持つのである。価値観が素晴らしいと、技術や能力は自然と身に付くものだと思う。しかし、高い技術と能力を持つ人間は、得てして貧弱な価値観しか持てないことも多い。だから、医療界には崇高な価値観を持つ人間が少ないのではないかと思われる。勿論すべての医療人がそうではないが、能力や技術こそが大切だと思い、もっと大切な何かを忘れてしまっているように感じる。この主人公の医師イチさんは、医療人にとって最も大切なその何かを持っているのである。

 神は細部に宿ると言ったのは、建築家のミース・ファン・デル・ローエだと言われている。しかし、それよりも以前に、哲学者であり数学者でもあったライプニッツは、ローエの言ったような意味ではなくて、もっと深い真実を射抜いた意味で使ったと思われる。つまり、人間の細部である細胞や生きとし生けるものすべての細部に、神のような心が宿っているということではないかと思うのである。言い換えると、人間の身体の細部にわたって神が共存しているのである。とすれば、かの医師イチさんの書いたカルテはまさに「神様のカルテ」であるし、この世のすべての医師が書くカルテは、本来神様のカルテでなくてはならないのである。
庚申山とコウシンソウ [2011年06月28日(火)]
栃木県日光市、群馬県との境界にある「庚申山」は、全国的にも著名な庚申講の山です。同時に、ここにしか咲かない「コウシンソウ」の山としても有名です。この時期にしか咲かないということもあり、沢山の登山者が訪れます。この日も、多くの登山者で賑わいました。

 コウシンソウは、ムシトリスミレの一種で食虫植物です。ほんに小さくて可愛い姿で、なかなか見つけられない花です。ここにありますよ、と言われて初めて見つけられるくらいの小さな花です。花の大きさは1センチもなく、高さも3センチくらいです。 この花は岸壁の、水が滴るような環境(湿気のある岸壁で涼しい場所)にしか生息しないようです。

 こういう小さな花は、マクロで撮影するのが難しいし、岸壁に咲いているので三脚も使い難く、この花姿を上手に撮影した画像にはなかなかお目にかかれません。余程熟練した人が、マクロレンズを装着したデジイチでもないと撮影できないと思います。でも、最近はコンデジでも1cmマクロが撮れる機種が出てきて可能になりました。1cmマクロが撮影できるペンタックスとリコーのコンデジがありますが、今回はリコーのCX-4を使用してみました。

 この庚申山に登るには、登り4時間近くかかるのですが、折りたたみ自転車を使用しましたので、下山が楽でした。1時間くらいかかる林道(4キロ)があります。ずっとこの花が見たくて、ここ5、6年狙っていて、やっと天気に恵まれて撮影できました。
権力の亡者どもが茶番劇 [2011年06月05日(日)]
 何とも情けない茶番劇である。国民を愚弄したような権力闘争は、絶対に許せない。国民のためと言いながら、何とか権力を維持しようと企む者と、何とか権力を自らの手にとジタバタする輩との、国民無視の綱引きごっこである。今やるべきことは、他にあるだろう。丸一日かけて、こんなくだらないことをしている暇はない。こんな政治家が日本の舵取りを行なっているかと思うと、泣けてくる。こんな政治家しか、日本には居ないのだろうか。

 菅首相の後、誰にこの日本の政治を託せるのか。これぞという政治家は見当たらない。まともな政治家が日本には居ないのであろうか。各省庁の高級官僚といい、地方の政治家といい、真に国民市民のために、命を投げ出せるような心意気を持った者がどれだけいるであろうか。中には立派な人物も居るだろうが、殆どの人は自分の損得や権力指向で行動しているように思えてならない。何とも情けない世の中になってしまったものである。

 こんな政治家を選んだのは、誰かと言えば自分達国民である。ということは、こんな世の中にしたのは、自分たちに責任があるということである。とんだ茶番劇を演じた者たちを選んだのは、自分達なのであるから、彼等を責めるのは見当違いということになる。何故、あんな体たらくの政治家を選んだのかというと、国民が自分の損得勘定を考えていたからに他ならない。補助金、手当て金、無料化、自分の商売や仕事に有利な施策、自分の業界に有利な政策、等々につられて政治家を選んでいるのである。自分にとって得になる政治家を選んだのである。甘い言葉につられて、とんでもない政治家を選択した国民にこそ責任がある。

 つまり、低い価値観の政治家が政界に跋扈しているのは、国民が低い価値観だからである。また、マスメディアが政治家たちを非難批判しているが、マスコミの記者たちもまた低い価値観なのである。だから、政治家を批判非難するばかりで、国民が目指すべき道を指し示すことが出来ない。国民本位の真の政治家を育てるのも、マスメディアの重要な役割であろう。自分の損得しか考えられない政治家ではなく、真の政治家を称えることが出来るマスメディアであってほしいものである。

 日本の民主主義は、言葉ばかりで実体が伴っていないと言っても過言ではない。国民が政治家を選んでいるように見えて、実は巧妙に騙されていて、くだらない政治家を選ぶように情報操作されているのではないだろうか。目の前の餌につられて、自分にとって損か得かで選ばされているような気がする。そうやって騙されるのは、国民の価値観が低いからだ。さて、日本の政治が本当の民主主義を実現する為には、どうすればいいのだろうか。国民自身が、自分の損得だけでなく、真に国のため国民の幸福のために行動できるようになることであろう。そうすれば、真に国民のために働く政治家は誰なのかということが見えてくるに違いない。今度こそは、高い価値観の政治家に日本の未来を託したい。

価値観の違い [2011年06月04日(土)]
 芸能界のおしどり夫婦と言われていた脚本家三谷幸喜氏と女優小林聡美さんが16年間の結婚生活に終止符を打ち、協議離婚をしたという。その離婚理由は、価値観の違いが顕著化したということらしい。価値観の違いというのは、どういう意味であろうか。離婚の理由として、性格の不一致と共に多いこの価値観の違いであるが、結婚する前にお互いの価値観を確認しなかったのであろうか。価値観の違いを知るのに、どうして16年間もかかったのであろうか。不思議な話である。

 おそらく、価値観の違いという理由は、方便ではないだろうか。本当の理由を言えば、相手を傷付けたり非難したりすることになるからと、無難な理由をつけたのではないかと思われる。ごく正直に、愛が冷めて相手の嫌な部分が見えてきて嫌いになった、と言ったほうがすっきりすると思うのだが、随分と格好を付けたがるものだ。うがった見方をすれば、結局は自分自身のイメージや商品価値を傷付けないために、とって付けたような理由を付けたのではないかと想像してしまう。

 しかし、便宜的に付けた価値観の違いという理由であるが、良く考えてみるとそれは真実を捉えているのかもしれない。というのは、離婚した人たちにその理由を聞いてみると、価値観の違いというのが、あながち間違いではないと思えるからである。離婚した男性にその理由を聞くと、男の多くは妻から一方的に理由も告げられず離婚を突きつけられたと答える。一方、女性に離婚の理由を聞くと、夫が自分の気持ちをまったく理解しようとしなかったと答えるのである。つまり、何故捨てられたのかまったく心当たりのない夫と、夫の態度が許せなかった妻という構図が特徴的に浮き上がってくる。

 それでは何故、夫の妻に対する態度が問題なのかというと、こういうことだろう。捨てられた夫は、必ずこう言うのだ。あんなに、妻を大好きで愛していたし、給料も充分なほど渡していたし、何も悪いことはしていないし、だからまったく腑に落ちない、と。でも、それは勘違いも甚だしい。確かに、夫は妻のことが好きだったろう。が、自分は妻のことをこんなにも愛していて、しっかり稼いでいるのだから、自分の世話をするのは当たり前だという考え方しか出来なかったのである。つまり、妻は自分に仕える存在だと思い違いしているのである。妻がこんな横暴な亭主に愛想を尽かすのは当たり前だ。

 そんな横暴な亭主だから、すべてのことは自分の気持ちや行動が中心となる。自分の世話を妻が甲斐甲斐しくするのは当然であり、優先順位は先ずは自分である。したがって、妻がどんな気持ちでいるのかとか、こんなことを言えば妻がどういう反応をするのかなんてお構いなしで、自分が満足すればそれでいいのである。時には優しい言葉をかけたりもするが、それは自分の欲望を満たす為か、自分が良く思われたいからである。つまり、相手の気持ちに共感し、感情を共に分かち合うという態度がなかったのである。だから、妻の話を自分のことのようにじっくり話を聞くなんてことは一度もなかったろう。妻が悲嘆にくれている時は共に涙を流し、妻が怒りや憎しみに打ち震えている時は共に怒り狂い、妻が寂しい時は何も言わずそっと抱きしめる、そんな夫ならば三行半を突き付けられることもなかったと思う。

 そういう真の優しさを持った男性が、この世には少なくなっているのかもしれない。何故、そんなふうに男が変わってしまったかのというと、やはり近代教育の欠陥によるものだろうと考えられる。つまり、明治維新前のような武士道を心の拠り所とする男性が、近代教育のせいで、いなくなってしまったのである。近代教育の弊害によって、男の価値観が異常に低くなったのが、そもそもの原因だと思われる。小林聡美さんが、お互いの価値観の違いを感じ始めたのは、当然だったということだろう。何故離婚が増えているのかというと、女性のほうで男性の価値観の低さに気づき始めたからに違いない。世の中の男性が、自分の価値観の低さに気付いて、自らの変革に取り組まない限り、『価値観の違い』を理由に離婚する夫婦が増え続けることになるだろう。
原発事故はノアの方舟? [2011年05月29日(日)]
 福島の原発事故による放射能汚染は、県内だけに留まらず、東北一円だけでなく関東までも広がっている。なんと200キロメートルから300キロメートルも離れた箇所の農産物から、基準値を超えた放射性セシウムが検出されたという。したがって、人々は食物からの内部被曝をとても心配しているのである。一部の週刊誌やネットでは、放射能汚染はとんでもないレベルまで到達していると警告している。あのチェルノブイリの放射能汚染を、福島の原発事故では遥かに凌駕していると分析している専門家がいる。

 チェルノブイリの原発事故は、史上最悪の放射線被害を起したと言われているし、その被害は現在も続いている。10年後と20年後の調査で、白血病や癌の発病が異常に増加しているという。それも、200〜300キロメートルも離れた場所においても、被害があるらしい。IAEAは、原発事故の被害は認められないと報告しているが、地元の医師たちは感覚的に急増していると実感している。だとすれば、日本でも20年後30年後に放射線障害が起きてくるかもしれない。それも、首都圏などでも白血病や癌の発病が増えるかもしれないのだ。由々しき大問題である。

 ここで、冷静に判断・分析しなければならないことがある。それは、放射線被害により白血病や癌を発症する人としない人がいるということである。すべての人が発症する訳ではなく、割合からすれば一部の人達なのである。今日本では、すべての人の半数が何らかの癌を発症するような時代である。そして、放射線被害により癌を発症する割合がどれほど増加するかというと、重汚染でもせいぜい多くて2割から3割と言われている。軽汚染なら、最大でも1%〜2%の増加だとする専門家が多い。だとしても、放射線は目に見えないし、乳幼児や胎児に対しての影響が多いから、人々の不安感は大きい。

 それでは、どうして放射線被害の疾病を発症する人としない人がいるのであろうか。広島と長崎の原子爆弾で被災した人々の中でも、原爆症を発症した人としない人がいたのである。一生発症せず、80歳代や90歳代まで長生きした人も多かったという。その違いは、どうして起きたのであろうか。それは、ひとつは食生活にあるという。放射線被害の大きな障害は、放射線による強力な酸化作用によるものである。つまり、抗酸化作用の強い食べ物を摂取している人達は、放射線による障害を和らげられたのである。伝統的和食というのは、抗酸化作用がある食べ物である。あとは、精神的な部分も影響したろう。ストレスを上手く処理できた人は、身体の酸化を防ぐことが出来たと思われる。心穏やに生きて、和食のような抗酸化作用のある食事をしていた人は、原爆症にならなかったのである。

 宇宙というものとそこに存在する生き物は、ある法則やシステムによって運行運営されているというのが、最先端の科学によって証明されてきた。とすれば、どうしてこの日本でこの最悪とも言えるような震災と原発事故を起したのであろうか。世界の中でも、一番高い価値観(宇宙意思に近い価値観)を持つと思われる日本人に、こんな過酷な運命を背負わせるのは、どうしても納得できない。それも、素朴で純朴な生き方をしている東北と福島の人々に対して、原発事故を突きつける宇宙意思に疑問を感じざるを得ない。神も仏も、この世には存在しないのであろうか。

 しかし、ふとこんなことを気付いたのである。この震災と原発事故は、敢えてこの時期にこの場所に起させたのではないだろうかという仮説である。勿論、間違っているかもしれない。また、被害に遭われた方々や亡くなった方の家族からは、とんでもないことを言うものだというそしりを受けることであろう。しかし、この原発被害により、人間本来の生き方をしている人間だけを残そうと宇宙のシステムが動いたとすれば、納得できる自分がいる。「神は乗り越えられる試練しか与えない」という。博愛・慈悲に生き、寛容・受容の生き方を実践し、伝統的な和食を摂取する人だけが生き残ると考えれば、この原発事故が福島で起きたというのも、理解できる。つまり、この原発事故はノアの方舟なのかもしれないのだ。
食文化の大切さ [2011年05月28日(土)]
 生肉のユッケを食べて起きた食中毒により、多くの方々が亡くなったというのはショッキングなニュースだった。日本人の感覚からすれば、生肉を食べる食文化はなかった気がする。一部、日本でも馬肉(桜肉)や冷凍した鹿肉などを食べる地方はあるが、牛肉を生で食する習慣は元々なかった筈である。ユッケは韓国の料理だろうと思うが、レバ刺しと呼ばれる牛の肝臓を刺身で食べる料理も、焼肉屋では供される。日本には魚を刺身で食べる文化はあったが、肉を生で食べる文化は、一部の地方を除いてなかったのではないだろうか。元々、日本には動物の肉を食べる文化そのものが少なかったという事情もあろう。

 日本の食生活は戦後、激変したと言えよう。肉の消費量は4倍以上、食用油の消費量は5倍以上になったと言われる。日本人の食事が欧米化した影響によるものだ。お陰で栄養不足はなくなって、低栄養による疾患は少なくなった。しかし、カロリー過多による生活習慣病は激増している。しかし、東北地方の肉と食用油の消費量は、全国平均から見ると約半分だという統計資料があるらしい。欧米化したという日本人の食事だが、まだまだ東北地方においては和食が重んじられている実態があるということだろう。勿論若者の食事は欧米化しているだろうが、東北の片田舎の老人世帯は、相変わらず和食文化が根付いているという証拠なのであろう。

 ところで、日本人の中で一番長寿なのはどんな職業の人であろうか。調査によると、平均寿命が一番長いのは、なんと僧侶なんだそうである。精神的肉体的な鍛錬にも影響するであろうが、長寿に一番影響しているのは、その質素な食事らしい。なるほど、精進料理を召し上がっているのだから、伝統的和食の文化を残しているのは間違いないだろう。肉・魚を食べず、味噌や漬物、豆などの醗酵食品を多く摂っているのだから、生活習慣病にもならず長寿なのは納得できる。中には生臭坊主と呼ばれるような、現代的食事を摂取して生活習慣病の僧侶もおられるようだが、少数だと思う。

 このように、和食を食べていれば健康で長寿になれると解っていながら、どうして欧米化した食事や外国の料理を食べて、生活習慣病や食中毒になり、不健康になっているのだろう。ましてや、ジャンクフードやファーストフードなどの食べ物、またはチェーン店のように収益だけを重んじて非衛生的な調理で提供する料理を、安くて美味しいと平気で食する日本人も、愚か者としか思えない。元々、食べ物をチェーン店化して提供することなんて、味や衛生上問題になることは、火を見るより明らかだ。過去にも、そういった実例があるのに、懲りない大ばか者である。

 今度の原発事故による放射線被害で、明らかになったことがある。それは、日本の伝統的食文化が放射線被害から身体を守るのに、大きな効果があるということだ。つまり、味噌、梅干し、海藻類、醗酵食品、野菜、漬物などの伝統的な和食が、放射線障害を和らげるということが解ってきたのである。東北地方は、まだまだ伝統的和食文化が残っている地域である。したがって、この放射能汚染から身を守る確率が高いということになる。勿論、和食を食べ続けている人だけということになるけれど。そういう意味では、ユッケなどという外食文化に見向きもせず、欧米化した食事を取り入れなかった人が、健康で長生きできるということになる。日本人は、自分たちの伝統的食文化を大切に守るべきなのだということを、今回の食中毒事件や放射線被害が教えてくれたということだろう。
ブラックスワン [2011年05月27日(金)]
 チャイコフスキー作曲白鳥の湖の美しい旋律に乗せて踊るヒロインの姿があまりにも美しく、そして悲しい。ブラックスワンという映画の難しいヒロイン役を、見事に演じきったナタリー・ポートマンの演技力とプロ根性はすごい。彼女の身体は、プロのバレリーナの肢体そのものになり切っていたし、踊りもプロのような出来映えに見えた。1年間もかけてバレーをトレーニングした効果が十二分に現れていたと思う。それにしても、俳優というのはすごいと思う。ここまで本物のようになり切ってしまうのだから、びっくりである。

 映画というのは、虚構だと解っていながらもそのリアル感で観客を騙す。まるで真実のように見せるのは、監督の演出と出演者の演技力、そしてカメラワークや照明、さらにはセットや道具類であろう。先ず驚いたのはカメラワークである。バレーのトレーニングルームというのは、ご存知のように部屋の一面が鏡である。当然、普通に撮影すればカメラが鏡の中に写ってしまう。しかしなから、どうしたのか写るはずのカメラが写らないのである。合成かCGを使ったのであろうが、まったくカメラを感じさせない。そして、まるで観客がその場にいるような臨場感を与えるカメラワークだった。

 映画は、所詮エンターテーメントである。いくらメッセージ性があったり、世の中の問題・課題を提起したりする内容だったとしても、映画は面白くなければならない。このブラックスワンという映画は、本当に面白い。最初から観客を画面に釘付けにして、ラストまで息をつかせない展開だ。これから観る人に申し訳ないのであまり筋書きは言えないが、ヒロインの現実なのか幻覚なのか区別がつかない映像が、これでもかこれでもかと流れ続ける。観ている観客は、底知れない恐怖感に追い込まれる。サイコホラーとしても一級品の出来映えである。

 それにしても、すごく考えさせられる映画である。リアリティがあるから、どうしてもヒロインに感情移入してしまう。ヒロインの抱える苦しみ・悲しみ・不安・恐怖が自分のことのようにひしひしと感じてしまう。自分が叶えられなかった夢を、自分の娘に押し付ける母親の嫌らしさを感じるし、横暴な舞台監督に憎しみさえ覚えてしまう。そこまでしてプリマドンナにならなくてもいいだろうと思う一方で、何とか成功させたいと真剣に願う気持ちも起こさせる。そして、そのあまりにも悲しい結末の故に、強烈な印象を観客に残すのである。

 芸術界や芸能界において、高い能力を発揮したり、圧倒的な人気を誇ったり、大成するようなアーティストは、ある意味狂気にも似た人格を持つことが多いように思う。このヒロインも、統合失調性の人格障害を持つような気がする。白鳥は見事に演じられるのに、どうしても演じることの出来なかった黒鳥を、狂気との狭間の中で見事に演じきる場面を観るにつけ、そうとしか思えなくなる。自分の表層意識を喪失して、狂気を含んだ無意識でしか、ブラックスワンを演じることが出来なかったのではないだろうか。

 自分のキャパシティを遥かに越えることにチャレンジして、それを実現するというのは相当の覚悟と強い精神力を持つ人だけに許されたことだけなのかもしれない。実力だけでない、何か特別な何かがないと、芸術界のトップにはなれないのであろう。努力だけでは不可能なのである。それは天賦の才能というものかもしれないが、それだけではなくて、もっと確固たる哲学が必要なのではないだろうか。何のためにトップを目指すのかという、確かな信念や理念というものがないと、それは実現しないに違いない。自分の為や母親の為、または愛する者の為にという低い価値観では、だいそれたことは出来ないし、この映画のヒロインのように重圧に押しつぶされてしまうのだ。そんなことを深く認識させてくれる映画だった。


情けない男たち [2011年05月21日(土)]
 IMF国際通貨基金のストロスカーン元専務理事が、性的暴行容疑で逮捕されたというニュースには呆れかえった人も多いだろう。IMFという世界経済を動かす機関の実質的なトップが、こんな破廉恥な事件を起こすなんて考えられないことだ。また、日本では著名なロックシンガーである内田裕也が知人女性宅に無断侵入し強要罪を犯したという。さらに、京都の小学校長が、児童のスカートの中を盗撮したらしい。この世の中、どうなっているんだろうか。社会的にも認められて地位も名誉もあるのに、こんなにも情けないことをするなんて、信じられない。

 しかし、それぞれの年齢を見てみるとさらに唖然とする。破廉恥校長の年齢は59歳、IMFの元専務理事は62歳、そして内田裕也は71歳である。実に、元気過ぎるお爺ちゃんたちである。男はいつまでたっても男だとは言うが、それぞれ妻も居ただろうに、どうしてこんな反社会的な行動に出たのであろうか。世間ではこんな事件が起きる度に、魔が射したとしか思えないと言うが、そうではないだろう。たまたま、事件にならなかっただけではないだろうか。今までも、かなりの悪さを続けていて、幸運というか悪運が強くて、事件にならなかっただけではないだろうか。

 何故ならば、こんな破廉恥な事をしでかす人間は、間違いなく人格障害だからだ。おそらく、自己愛性の人格障害の傾向が強くて、妄想性の人格障害もありそうだ。さらに、反社会性の人格障害もあるに違いない。このようなストーカー的行為や痴漢的行為をする人間は、強いこれらの人格障害を持つことが多いことが知られている。つまり、今始まったことではなくて、若い頃からこのような破廉恥行為を続けていたと思われる。だとすると、地位も名誉もある人間だから、大目に見られていたのではないかと推測されるのである。意外と、これ以外にも被害者は多かったのではないだろうか。相手が有名な人だからと、泣き寝入りしていた人も多いことだろう。

 それにしても、女性から見たら絶対に許せない男たちである。ましてや、社会的にも信用されている男たちなのである。そういう立場を利用して、こんな罪を犯すなんて、とんでもないことである。今まで、何故周りの人々はこういう人だと気付かなかったのであろうか。実は、こういう自己愛性の人格障害を持っている人は、かなり多いのである。私の周りにも、沢山いる。そういう人がすべてこのような犯罪を引き起こすのかというと、そうではない。やはり、人格障害にも強い弱いがあって、強い障害傾向を持つ人間が事件を起こす確率が高いのである。

 不思議なことに、この自己愛性の人格障害を持つ人間は、一見すると魅力的なのである。最初のうちは、周りの人々に対してすごく優しいのである。ソフトな印象があり、話も上手で相手を引き込むような話し方をする。それが、自分の欲望を丸出しにする機会が一旦訪れると、隠していた牙を剥くのである。そもそも、この自己愛性の人格障害を持つ人間は、それなりの高い能力を持つことが多い。しかも、自分を過大評価させたいという思いが強いから、能力や資格を得る為に、必要以上に頑張るのである。自分より立場が上の人には媚びへつらい、部下には厳しく当たること多い。自分より下の者や弱い者には、暴力を奮う。DV事件を起こすことも多い。

 今の世の中、この自己愛性の人格障害を持つ人間が、非常に多くなっている。このような人間は、自分に対して過大評価をして、万能感を持つ。だから、他人の意見や指導には耳を貸さない。謙虚さのかけらもないから、傲慢である。こういう人がトップに立つと、その組織に所属する人間は最悪の状況になる。いつも、召し使いのような仕打ちを受ける。当然、自分よりも弱い立場にある女性や子どもに対して、暴力を奮ったり支配的になったりする。こういう人間からは、いち早く遠ざかることである。こんな情けない人間を重宝して取り立てる人間もまた、自己愛性の人格障害なのかもしれない。自分もそうだから、こういう人間の本質を見抜けないなのである。実に情けない男たちである。
映画『岳』は期待以上だ! [2011年05月13日(金)]
 原作の漫画『岳』が大好きで、ずっと単行本を読んでいたこともあり、映画が公開されるのをずっと待ち望んでいた。しかし、漫画とか本を映画化した場合、期待を裏切ることが多いのも事実である。主人公の島崎三歩を小栗旬君、そしてヒロインの久美ちゃんを長沢まさみが演じるということで、イメージが違うぞ!とずっと思っていた。だから、あまり期待すると、後でがっかりするぞって心の中では思っていたのである。

 ところが、公開初日の翌日に観て、期待以上の出来に驚いたのである。おそらく、実写ではなくてCG画像処理しているだろうなと予想していたら、とんでもなかった。実際に、小栗くんとまさみちゃんが、登山技術を駆使して登っているのである。勿論、遠景では吹き替えを使っていただろうが、殆どの画面で本人たちが演じていたのである。小栗くんは、実は高所恐怖症だったにも関らず、恐怖に打ち勝って立派に演じていたのである。プロ根性というのはすごいものだ。

 2人とも、かなり期間に亙り登山技能についてトレーニングを積んだという。だから、かなり筋肉がついてマッチョになったらしい。小栗くんは格好良過ぎて、ひ弱なイメージがあったので、三歩のイメージを壊してしまうのではないかと思っていたが、それは単なる危惧に過ぎなかったと、思い知った。役者というのは、本当にすごいんだなと思った。原作の2人を完全に演じ切っていたのには、恐れ入った。また、山小屋のおばさん役、市毛良枝もいい味を出していた。

 そして、何よりも良かったのは、山の映像である。北アルプスの名峰が、実に美しく映し出されていた。奥穂、ジャンダルム、前穂、北穂、西穂の穂高連峰は勿論、槍ヶ岳、笠ケ岳等のシルエットも美しい。それらを見て、嬉しくなってしまう自分がいた。山好きの人は、堪えられない。こんなにも、素晴らしい山の映像を堪能出来るだけでも、この映画を観る価値があると思える。山好きの人たちも、満足させてくれる映画である。

 ところで、小栗くんもまさみちゃんも、山好きではなかったらしい。しかし、この映画をきっかけに山を愛するようになったと聞いている。そして、こんなにも山を登ることが苦しいとは思わなかったらしいが、山登りと人生を重ね合わせて、悟ることも多かったと聞いている。以前は可愛い表情をしていたまさみちゃんの顔に、最近は傲慢さが出ていたように思う。そのせいか、人気も翳りが出ていたようである。ところが、驚くことに、この映画出演によって彼女の顔が変わったのである。最初のシーンと終わりのシーンでは、明らかに彼女の顔が変化しているのだ。実に爽やかな表情に変化した。山の力は恐ろしい。おそらく、彼女の人生観さえ変えてしまったのではないだろうか。山の厳しさが彼女の傲慢さを削り取り、謙虚にしたのかもしれない。この映画を、そんなふうに観ても面白い。
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