CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る

<< 2017年05月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
Natural
『小さな巨人』が面白い (05/28) Happiers
『小さな巨人』が面白い (05/27) Happiers
『小さな巨人』が面白い (05/27) Natural
先生と呼ばれる人ほど低価値観 (05/10) Happiers
先生と呼ばれる人ほど低価値観 (05/09) Natural
自分の中心と繋がる (04/14) Happiers
自分の中心と繋がる (04/12) Natural
自分の中心と繋がる (04/12) Happiers
自分の中心と繋がる (04/09) Natural
政治家と官僚の嘘に騙されるな (03/29)
最新トラックバック
『小さな巨人』が面白い [2017年05月27日(Sat)]
 TBSの日曜日夜9時から放映されてタイル『小さな巨人』という刑事ドラマが人気を博している。今期の連続ドラマは刑事ものが多いが、その中でも群を抜いて面白い。ストーリーも奇抜だし、悪役も含めて演技派の俳優が迫真の表情で演じている。過剰演技と思わせるような目線が気になるが、それもまたこのドラマには必要なのかもしれない。今期の連続ドラマの中では、総合人気度ランキングでは断トツの成績らしい。この日曜日のこの時間枠は、過去にも大ヒットをした半沢直樹や下町ロケットの実績もあるので、視聴率を取りやすいということもあるが、それにしてもこんなに人気があるのはすごいことだ。半沢直樹と下町ロケットに似た設定も人気の理由であろう。

 この『小さな巨人』というオリジナル脚本のドラマが、こんなにも多くの視聴者から指示されるのはどういう訳であろうか。それには深い理由がありそうだ。一つは勧善懲悪という筋書きが安心して見られるということもあるし、最後は正義が勝つという期待感が損なわれないというのが大きな理由であろう。さらには、巨悪に向かう小さな巨人と呼ぶに相応しく、大きくて巨大な権力を持つ組織に敢然と立ち向かう主人公の潔さに、自分が果たせない夢を託しているという側面もあると思われる。警察組織というのは、縦社会である。上司に逆らえば、例え優秀であり多大な功績をあげても、出世が出来ない。実力本位の社会ではないのである。上に逆らわず無難な言動をしていれば、安定した地位と評価を得られる組織でもある。

 ところが、この長谷川博己演じるエリート刑事は、警察のエリート官僚に立ち向かい、正義を押し通そうともがき苦しむ。我々が会社組織の中で感じている閉塞感を、見事に代弁してくれるヒーローなのである。感情移入しないほうが難しいだろう。警視庁捜査第一課長を演じる香川啓之の演技は、過剰な顔面演技で泥臭いという批判がある。確かに、もう沢山だと思わせるような顔面アップ映像には辟易する。しかし、演出家は敢えてあのような過剰演技をさせることで、主人公の清々しい表情と対比させて好感度をアップさせているのではあるまいか。だとしたら、我々視聴者はまんまとその策略に乗っていることになる。

 刑事ものや探偵ものが今期の連続ドラマに多いにも関わらず、軒並み刑事ドラマが安定した視聴率を稼いでいる。今までの刑事ものは、固定ファンがその人気を支えていると思われる。しかし、今までの刑事ドラマと、今回の『小さな巨人』の内容では大きく違っている点がある。巨大組織に対抗するというスタンスは今までも沢山あったが、一線を画す大きな相違部分があるように感じる。推理の仕方に特徴があるのだ。主人公が推理に行き詰った際に、必ず言う台詞がある。それは、犯人の気持ちになって考えてみようという言葉である。このような台詞を毎回主人公に言わせている刑事ドラマは極めて珍しい。実は、このオリジナル脚本を書いている共同執筆者の一人、八津弘幸氏は半沢直樹と下町ロケットの脚本も担当している。台詞そのものが面白いのは当然である。

 半沢直樹と下町ロケットがあんなにも支持を受けたのは、原作の面白さによるのもあったが、それ以上に人気を得たのは、ストーリーのテンポの良さと台詞のユニークさである。今回の『小さな巨人』で特徴的な台詞は、まさに犯人の気持ちになって考えるという視点である。犯人が次にどう動くか、どのような心理で犯罪を起こしたのかを知らないでは、正しい推理は成り立たないし逮捕は出来ない。主人公は、犯人の心理を巧妙に読んでその行動を予測する。犯人にトラップを仕掛けて、見事に的中して犯人を追い詰める。こんな小気味のよい刑事ドラマなのだから人気が出ない訳がない。日本の警察は優秀だと言われている。しかし、年々犯罪検挙率は低下していると言われている。様々な要因はあるものの、もしかすると犯人の心理になり切って推理する刑事が少なくなっていることが、犯罪検挙率の低下を招いているのではなかろうか。

 この『小さな巨人』では、犯人の心理を予想すると同時に、被害者の気持ちに寄り添う主人公が描かれている。ストーカー殺人事件が起きる度に、担当する警官が被害者の気持ちになり切り寄り添っていたなら、悲惨な結果を防げたに違いないと報道されている。近代教育の欠陥でもあるが、高等教育を受ければ受けるほど、人の気持ちを解ろうとしない身勝手で自己中心的な人間になる。警察官僚も含めて、高等教育を受けたエリートが警察官として採用されている。当然、被害者の気持ちを慮ろうとする警察官も少ないし、犯人の気持ちを類推できない警察官が多くなっている。これでは、犯罪を未然に防げないばかりか、犯人の検挙率だって低下するに違いない。『小さな巨人』の主人公のように、日本の警察官たちも被害者の気持ちに寄り添い、犯人の心理を巧妙に読めるようになってほしいものである。武士道でいうところの「惻隠の情」こそが、警察組織全体に必要なのであるまいか。
ゴルフは脳科学と心理学NO.2 [2017年05月22日(Mon)]
 ゴルフは脳科学と心理学だという事を、右脳と左脳の調和という観点から説明し、無欲・無心・無我の心が大事だと説いた。それでは、無欲・無心・無我の境地に至る方法について考察してみたい。無欲・無心・無我になるには、どうしたら良いかというと、一番手っ取り早いのは、「禅」である。只管打坐(しかんたざ)と言われているように、ただひたする座禅をして、無心になることである。気をつけなければならないのは、私たちの意識というのは厄介なものであるという点である。例えば、無心になろうとか無欲になろうと思えば、それは有意識である。自分の心を無我にしようとしたら、それは有意識になる。座禅は、悟りを開く為にするのだと思えば、それは無意識ではなくなる。座禅をする目的は、ただひたすら無心で座禅をすることだけである。

 ゴルフにおいても無欲・無心・無我になろうとはせず、無意識でそうなっていることが大事なのである。人間は考える葦であると言ったのは、パスカルである。考えないようにすることが所詮難しいのであり、考えないようにすることが既に無心でなくなる。心理学の分野においても、無心になるというのがどれ程難しいかは、想像に難くないであろう。私たちは、欲がなくなると生きていけない。食欲や性欲、また勉学意欲や向上欲がなくなれば、人間という種は滅びるし、人間の成長は止まってしまう。ゴルフにおいても、向上心がなくなれば上達しない。パラドックスのロジックに追い込まれてしまうのである。この相反する命題を何とかクリアする方法はないのであろうか。

 ひとつの方法は、強欲を捨て去ることである。人間というのは、その時だけ生き方や考え方を変えることは出来ない。普段は強欲な生き方や煩悩に引き込まれるような生活をしていながら、ゴルフの時だけストイックな行動をしようとしても難しいのは当然である。普段からストイックな生き方をすることで、いざという時に強欲や煩悩に翻弄さられなくなる。勿論、完全な無欲の生活をすることは叶わない。そこそこの欲で満足するようにしなければならないであろう。人間の欲は肥大化しやすい。だからこそ、仏教では貪りの心を捨て去ることが大切だと説いている。普段から貪るほどの欲を捨て去るような生活をすることで、ゴルフで失敗を少なくすることが出来ると思われる。

 完全な無心・無我の境地に至ることは出来ないと思うが、無心・無我の境地に近づくことは出来るかもしれない。ゴルフの時に無心に近づけないのは、強欲のせいもあるが、それだけではない。無心になれない原因のひとつが、不安感・恐怖感である。思い出してみてほしい。右サイドがOBゾーンだと言われると、右にスライスしたり逆に左にひっかけたりする。池越えのホールでは、魅入られたように池にボールが吸い込まれる。それは、不安や恐怖からショットが乱れるからである。これも、右脳のせいである。グリーンに近いアプローチショットほど、だふったりトップしたりするのも、不安感からである。自信がないからヘッドアップする。人間は、不安感と恐怖感があり、失敗したイメージを思い浮かべると、その通りに右脳が身体を勝手に動かすものである。

 この不安感・恐怖感を失くすことは困難である。人間の脳は、不安感と恐怖感を持つことでリスクを避けることが可能になり、種を保存してきたのである。不安と恐怖を完全に払しょくすることは極めて難しい。しかし、脳科学的に考察すると、不安と恐怖を減少させる方法がある。幸福感と満足感、または愛で心を満たすことである。そうすれば、不安や恐怖をあまり感じなくさせることが出来るのである。脳内ホルモンの一種である、オキシトシンとセロトニンを多く分泌することで、不安や恐怖から逃れられる。オキシトシンとセロトニンは、純愛や心身の豊かな触れ合いでも増えるし、社会貢献や他人の幸福に大きな寄与をすることで増大する。

 さらにゴルフで右脳によるミスショットを失くす為のもうひとつの方法がある。それは、ゴルフでの失敗の記憶を消し去ることである。これも難しいことであるが、不可能ではない。人間は、大変な失敗や悲しい出来事の記憶ほど、消し去ることが出来ず度々思い出しては苦しむ。同じミスショットを何度もやってしまうのは、右脳に蓄えられたミスショットのイメージを思い出させるからである。何度もOBを繰り返すのは、右脳に残像が残っているからである。この右脳の記憶を左脳に移し替えることが出来たら、ミスを繰り返すことがなくなる。その為に効果的なのは、自分の失敗を多くの人にカミングアウトしたりブログで公開することである。そうすると、自分の失敗を客観的に分析したり洞察したりすることになり、右脳から左脳に記憶を移し替えられる。このように、脳科学と心理学、または仏教哲学を活用することで雑念を失くせれば、ゴルフは格段に向上するに違いない。
ゴルフは脳科学と心理学NO.1 [2017年05月22日(Mon)]
 ゴルフはメンタルスポーツだと言われているが、最近のゴルフは科学的なアプローチによって、ナイスショットする方法が解明されつつある。勿論、基礎体力や技術は必要なのは言うまでもない。しかし、いくら体力・知力や技能があってもゴルフは上手くならない。何故なら、ゴルフのスィングやパッティングは、潜在意識(無意識)の脳によって影響を受けるからである。しかも、人間の無意識脳は、時折わがままになるし暴走する。さらに、心にある不安感や恐怖感がいざという時に身体の微妙な動きを止めてしまう。だから、脳内ホルモンの働きを含めた脳科学と心理学を認識し、右脳を上手にコントロールした人だけが上達しうるのだ。

 実際、脳科学や心理学を知らないくてもゴルフが上手なアマチュアプレーヤーがいる。また、スランプを経験したことのないプロゴルファーだっている。そういう人は、どちらかというと右脳型人間である。あまり左脳を使わないというか、左脳に支配されない人間である。直感型人間と言えばよいかもしれない。アスリート界ではその代表的な人がいる。野球の長嶋選手である。彼は余計なことを考えなかった。来る玉をただ打ち返すだけだった。彼は、左脳にあまり支配されず、右脳を上手に使える天才である。だから、ゴルフもあまり左脳で考えずに、右脳を自由自在に使えたら、間違いなく上達できる。こういうゴルファーはストレスやプレッシャーにも強い。ここ一番という時に、能力を最大限に発揮できる。

 ところが、ゴルフを実際にプレーしている人は、どちらかというと右脳の使い方がけっして上手ではないのである。教養や学識が多いアマチュアプレーヤーが多いので、左脳のほうを使っているケースが多い。潜在意識が支配する右脳を上手く使えないから、スィングやパッティングで失敗する。練習場やパッティンググリーンでは上手く打てるのに、いざラウンドになるとミスを繰り返す。頭の良い人ほど、理論家である。左脳を使ってプレーするので、右脳に支配されてしまうシーンでは失敗しやすいのである。脳科学的で分析すると、バックスィングは右手で引くので、左脳が支配している。バックスィングから切り返す段階から、右脳が支配する。故に、スィングやパッティングにおいて、考えている軌道と違ってしまうのである。特に打球の瞬間に右脳が悪さをするのだ。

 思い出してみてほしい。パッティングで思わず引っかけたり押し出したりする。自分で考えたパッティングのように、手が動かない。無意識で、やってしまうのである。スィングも同じである。無意識で、右肩が下がりすくい打ちをして左に引っかける。真っすぐ打つことを重視するあまり、打つ瞬間に手打ちになりトップしたりソケットしたりすることになる。プロのゴルファーでさえ、優勝を決めるパッティングでは手が動かなくなる。やはり、無意識がそうさせてしまうのである。右脳を上手に使えるゴルファーだけが、トッププレーヤーとして大成できるのである。

 それでは、右脳を上手くコントロールするには、どうすればいいのであろうか。左脳と右脳をバランス良く調和させたり統合させたりする極意はないかというと、ない訳ではない。今まで女子プロゴルフ界で最強のゴルファーは誰かというと、アニカ・ソレンスタムであろう。彼女は、右脳を実に上手くコントロールしていた。スィングする場所を1m四方として、頭の中でそのエリアを線引きする。そして、スィングをするまでは色々と攻略の仕方やスィング軌道とボールの軌道をイメージする。しかし、その1m四方に入ったら、何も考えなかったという。つまり、無心・無我の境地になれたという。彼女の正確無比なショットは、技術もさることながらこのメンタルコントロールに追うところが大きかったと言われている。

 我々のようなアマチュアゴルファーは、右脳をコントロールする為に、無心・無我の境地に至れるかというと、なかなか難しい。今までのプレーを思い出してみれば解るが、ナイスショットやスーパーショットをした時というのは、殆どが無心になれた時である。スポーツの世界では、ZONEとも言う。欲もあるし、不安や恐怖感を捨て去ることが出来ないのが、我々凡人である。先ずは、強欲を捨て去ること、そして不安感や恐怖感を捨て去ることが肝心である。言うはたやすいが、実際に行動をするのは難しい。しかし、この強欲を捨てて、不安感と恐怖感を捨てることが出来なければ、いつまでも右脳のいたずらから脱却できないのである。右脳を上手にコントロール出来たら、驚くほどナイスショットが続くであろう。無心・無欲・無我の境地でゴルフプレーをしてみたいものである。
先生と呼ばれる人ほど低価値観 [2017年04月30日(Sun)]
 先生と呼ばれる代議士や大臣の不祥事が続発している。医師を目指している名門大学の医学生のレイプ事件が多発している。しかも、千葉大医学部では学生たちだけでなく30歳の研修医もこの卑劣な犯行に加わっていたというショッキングなニュースが報道されている。新潟県では原発避難者の子どもに、担任がいじめを庇うどころか一緒になってその子を「菌」呼ばわりしたという、教師としてあるまじき情けない行為の報道もされている。本来ならば、先生として尊敬されるべき存在なのに、か弱き女性や子どもを心身共に傷つける行為をするなんて考えられない。一人の男性として情けないし、人間としても許される行為でない。こんなにも低レベルの人格を持った教養高き人物が、日本にこんなに存在するなんて信じられない。

 先生というのは本来、人々が一目も二目を置く、尊敬されるべき存在である。医師、教師、議員、弁護士、芸術家、文芸家など、高学歴で教養の高い人が先生と呼ばれる。当然、高い人格も要求されるし、地域の名士として各界で活躍している。少なくなくても、明治から昭和の初期くらいまでは、このような先生が不祥事を起こすようなことは極めて稀であった。人々から信頼される高邁な人格と高い価値観を持っていた。当然、職業としての社会貢献だけでなく、地域社会でも大きな貢献をしていて、人々が憧れるような存在だった。ところが昭和の戦前戦後から昭和後期と平成になると、先生と呼ばれる人たちは以前とは違った低い価値観に支配されるようになり、尊敬されるような先生が極めて少なくなったのである。

 しかも、先生と呼ばれるような人のほうが低学歴で教養のない人よりも、低レベルの思想哲学を持つようになったのである。そもそも思想哲学というものを持ちえない先生が多いような気がする。その証拠に、人生の正しい目的を持ちえない先生が増えている。または、正しい理念や使命感を持ちえない先生が急増している。真理(法理)に基づいた思想哲学を持てない人は、正しい人生の目的を持ちえない。明治初期に日本にやってきた欧米人は、当時の日本人の高い価値観に驚き、人間として信頼して尊敬した。ところが、現代の日本の政治家・高級官僚・経済人は、欧米人から尊敬されないばかりか軽蔑さえされている。形而上学的観点を持てず、自分の損得や自国の利益しか考えない日本人を心の中で馬鹿にしていると言われている。

 何故、日本人はこんなにも価値観が低レベルになり、正しい思想哲学を持てなくなったのであろうか。それも、先生と呼ばれる高学歴で教養の高い人ほどその傾向が強いというのは不思議である。それは、教育の貧困が招いたと言える。確かに、日本人の学力は世界でも有数のレベルにある。しかし、先生と称される人の思想哲学は貧弱であり、ましてや形而上学的な考え方を持った人物は皆無に近い。明治維新以降の近代教育によって、形而上学を完全に排除して、客観的合理性に基づいた科学万能主義を取り入れたからである。おかげで自分さえ良ければいい、自分の利益と幸福だけを追い求める、非常に低劣な価値観に支配されたのである。高等教育を多く受けた人ほど、低レベルの価値観を持つのは、ある意味当然なのかもしれない。

 勿論、先生と呼ばれる人でも立派な価値観を持ち、人々の幸福と豊かさに貢献している人も少なくない。そういう人は、親から正しい思想哲学をしっかりと教え導かれた人である。近代教育に毒されなかった人もいるのだ。そういう人が、ノーベル賞などを受賞する、大きな社会貢献をする科学者であり、教育者である。アインシュタインが、科学を志すものは形而上学の視点に立って研究すべきだと唱えていた。まさしく、先生と呼ばれる人は形而上学的な認識を持つ必要がある。欧米の人文科学や自然科学の研究界で行き詰った時に、京都学派と呼ばれる西田幾多郎先生が説いた仏教哲学を学ぶことにより、救われたという歴史がある。科学の研究発展とその社会利用には、形而上学的な視点が欠かせないのである。

 古くは新渡戸稲造が、「武士道」を著して、世界に衝撃を与えた。あの武士道の中で注目されるべきものが、『惻隠の情』である。弱くて小さき者、敗者の心に共感し、けっして勝者のおごりを持ってはならないと説いた。か弱きもの小さきものに対する、限りない敬愛と慈悲の心こそが、社会的強者や勝利者に必要なものだと説いている。今回の医師と医学生によるレイプ事件や大臣の舌禍事件は、彼らにこの惻隠の情を教え導く本当の師がいたとしたら、起きなかったであろう。先生と呼ばれる者なら、まずは新渡戸稲造の『武士道』を読んで、惻隠の情を身に付けてほしいものである。日本の学校教育に、このような武士道の心や形而上学を復活させてはどうだろうか。人間として恥ずべきこんな行為を、二度と起こさせないためにも。
自分の中心と繋がる [2017年04月09日(Sun)]
 どんなことがあっても揺るがない自己、臆する事のない自己、勇気や元気を失わない自己を保ちたいと思う。ところが、人間というのは予想もしない事故や事件に出くわしたり、とんでもない目に遭ったりすると、自分を見失ってしまうことが往々にしてあるものだ。また、相手からエネルギーを吸い取って、自分のエネルギー源にする人に出会ってしまうことがある。相手の弱点や至らない点を見つけて、そこに付け込んで自分を優位に立たせて、相手を自分の支配化に置いてコントロールするのである。そうすると、相手のエネルギーを吸い取るばかりか、相手を自分の思い通りの操り人形に出来るのである。その為に、大きな声で怒鳴ったり、恫喝したり暴力を振るったりするか、逆に不機嫌な態度をしたり無視したりして、自分の思い通りに相手を行動させるのである。

 このような人間と四六時中一緒にいると、元気がなくなるばかりか勇気まで失ってしまい、生きる気力をも失ってしまうのである。こういう人間をエネルギーバンパイアとも言うが、この世の中には実に多い。身体的な病気やメンタルの疾病になられた奥様方は、ご自分でも気付かないだろうが、家族にこのエネルギーバンパイアがいる例が非常に多い。それも、一番身近な夫であるケースが殆どである。たまには、逆のケースもない訳ではないが、そういう例はあまり多くない。妻の病気の原因は、9割が夫であると言われているが、まさしくその通りである。エネルギーバンパイアである夫に生きるための気力や元気を、支配され制御されることで吸い取られてしまうのである。

 こんな夫とは1日も早くおさらばするのが賢明なのであるが、子どもたちの将来や親類縁者のことを考えると、離別するのはたやすいことではない。経済的に自立出来なくて、夫の収入に頼りきっていて、仕事や収入を持たないのであれば、別れる決意が出来ないのも当然である。ましてや、外面が良くて会社でも有能で評価が高く、親類縁者からもいい旦那さんだねと言われているならなおさらである。私さえ我慢すればいいんだと、耐え忍び続けるという選択肢を選ぶしかなくなるのである。または、職場の上司にもこのようなエネルギーバンパイアがいるケースがある。自分に従わない部下は辞めさせると公言したり、これみよがしに意地悪をしたりする上司は、始末に負えない。このようなパワハラやモラハラに苦しんでいる社員も少なくない。

 このようにエネルギーバンパイアに元気を吸い取られたり、つらいことや苦しいこと、または悲惨な目に遭ったりすると、人間という生き物は生きる活力を失うことが多い。しかしながら、そんな目に遭ったとしても、けっして揺るがず臆することなく、自分自身を見失うことなく、しっかりと人生を歩んでいる人もいる。その違いは、どこから生まれるのであろうか。ただ単に、精神的な強さや逞しさに由来しているだけではあるまい。もっと根源的な人間としての大事な資質を獲得しているからではないかと思われるのである。そういう人は、自分の中心としっかり繋がっていて、どんなことが起きようとも、またどんな目に遭ったとしても、揺るがずに自分をしっかりと保っているのである

 そういうように、自分の中心と繋がっている、または自らの内宇宙と同一化している人は、どのようにしてそれを可能にしているのであろうか。そういう人を見ていると、実に特徴的な部分が見えてくる。それは、普遍的に間違いのない絶対的な価値観を持っているという点である。そして、その価値観に基づいてしっかりと大地に根ざして生きているのである。だから、どんなことがあっても生きるべき道を迷ったりしないし間違うこともないのである。人間本来の生きるべき価値観、またはこの全宇宙と万物、生命体に共通の価値観でもあるのだ。それをしっかりと認識しているかどうかによって、自分の中心と繋がることが出来るかどうかが決まるのである。

 その価値観とは、すべての固体(構成要素)は常に全体に貢献するという考え方であり生き方である。しかも関係性によってそれが保証されているという価値観である。端的に言えば、全体性と関係性によってこの世の中は成り立っているのだから、その価値観に基づいて生きれば、けっして間違いはないという考え方である。この価値観をしっかりと自分の中心部に据えて、その価値観によって生きるべき道を選択さえすれば、いつでも自分の中心と繋がりあえるのである。これこそが、我々がこの全宇宙において、授けられたミッションだと言ってもよい。この価値観を基にして、生きることが出来たなら、エネルギーバンパイアも怖くないし、自分を傷つけるような人にも対抗できる。そして、自分らしく生き生きとした人生を歩むことが可能になるのである。
政治家と官僚の嘘に騙されるな [2017年03月20日(Mon)]
 真実が喪失してしまった時代だと言われている。称してポストトゥルースと言うらしい。大国の大統領が真実を無視して、嘘をついている時代である。某国の主席や官僚も、平気で他国の領土を自国の領土だと言い張る始末である。隣国の大統領や官僚も領土を不当に騙し取ろうとしている。北朝鮮の主導者は自国民に対して嘘をつきまくっているし、拉致はなかったと平気で嘘を重ねている。アドルフ・ヒットラーという人物は、嘘も徹底してつくことで、聞いている人々は真実だと思い込むようになると嘯いている。いやはや、ヒットラーに習ったのか、世界の主導者たちは平気で嘘をついている。真実はどこに追いやってしまったのであろうか。

 政治家は嘘つきでないとなれないと、誰かが言ったような記憶がある。確かに、ある程度言いえて妙である。安全保障の観点や国民の安全と安心を守り抜く為に、敢えて真実を隠さなければならないケースもあろう。真実を知らせてしまうことで、外国との難しい交渉が頓挫してしまうことがあるかもしれない。しかし、自分の保身や利益、または権力を守る為に嘘をつくことは許されない。現在の世界のトップ政治家たちは、情けないことであるが、自分の為に嘘をつくのである。我が国の政治家たちだって同じである。国会中継を聞いていると、明らかに嘘をついていることが解るような例が沢山見受けられる。嘘に嘘を重ねるものだから、最後にはどうにもならなくてロジックが破綻する。

 政治家だけではなく、官僚も平気で嘘をつく。東京都の豊洲市場の問題では、明らかに保身の為に嘘をつきまくっていたし、文科省の天下り事件では文科省全体でその事実を隠ぺいしていたようだ。国会でも平気で嘘をつくし、そのことを目の前で学んだ政治家たちが嘘つきになるのは当然である。官僚たちも、自分の上司が嘘をつく姿を見て、処世術として嘘つきを学ぶのであろう。それにつけても、人間という生き物は嘘をつくように出来ているらしい。実に情けないことであるが、親たちが嘘をつくのを見ていて、嘘のつき方を子どもたちも学ぶのである。世の中には、このように嘘つきの教師がいるのだから、嘘つきが増えていくのは当然かもしれない。

 世の中ではなり澄まし詐欺が横行している。さらには、うまい儲け話に騙される人が後を絶たない。ごく普通に考えれば、そんなにうまい話なんてあり得る筈がないのに、ころっと騙されてしまう。特に老齢の方々をターゲットにした詐欺行為が多い。実に巧妙なやり方だと思うが、それにしても何故にこんなに簡単に騙されるのであろうか。大統領候補の巧妙な嘘を信じて、一国の大統領に選んでしまった国民もいる。訳の分からないアベノミクスだという訳の解らない造語と嘘の経済金融政策を信じて、期待している国民も大勢いる。マクロ経済政策や金融政策は、もう既に効果がないのだということを知らないことを言いことに、国民を欺き続けているのは許せない。経済産業省の役人たちは、マクロ経済政策ではなくて、ミクロ経済政策こそが景気回復の唯一の解決策だと認識している。

 人間というのは、本質的にうまい話に乗りやすいものである。こうなって欲しいという期待を込めて話を聞く傾向にあるからである。どこかの国の大統領や総理大臣の話を信じてしまうのも、豊かになりたいという期待があるから、嘘を見抜けないのである。詐欺師は相手の欲を見抜いて、嘘をいかにも本当のように聞かせる。政治家も国民や市民の欲を巧妙に煽りながら、真実を隠して嘘を言うのである。真実を言ってしまったら、自分の権力を守れないからである。だから、国民に対して心地よいことばかりを言っている政治家は信用してはならない。国民の不利益になることも正直に話して、自分の人気を失くすことさえ厭わないのが本当の政治家なのである。そういう本当の政治家は、いなくなってしまった。

 勿論、騙すほうが悪いのは当然であるが、騙されるほうも悪い。嘘を見抜けないというのは、自分に強欲があるからであり、心が清浄でないからであるとも言える。純真な人ほど騙されると思われがちであるが、素直で謙虚な人は嘘を見抜くことが出来る。騙すほうは、相手の弱みや拘り、または煩悩を上手く利用する。詐欺師に言わせると、欲のない人や素直な人は騙すのが難しいと語っている。松下幸之助は、いつも話をする人の気持ちになり切って話を素直に聞いたから、ただの一度も騙されたことがなかったという。騙されてしまう人は、期待を込めて話を聞くとか、自分の都合のよいように理解したがるらしい。政治家の話も素直に謙虚にまっさらな気持ちで、気持ちを推し量りながら聞くと、嘘を見抜ける。嘘をつく政治家になんかに間違っても投票しない賢い国民でありたいものだ。
発達障害は本当に治らないのか? [2017年03月05日(Sun)]
 大人の発達障害が増えているという。発達障害と言っても、いろいろな種類があるし、その症状も様々であり、症状の重いものから軽度のものまで実に幅広い。例えば、自閉症にもまったくコミュニケーションが取れないケースもあれば、高機能自閉症と診断されて自活している人々もいる。ごく普通の生活もしているし学校で勉学できるものの、何となく人間関係がしっくり行かないというような軽度発達障害の例もある。特定の対象にだけ異常な興味を示すアスペルガー症候群と呼ばれる発達障害もある。最近増えているのが、ADHDと呼ばれる「注意欠陥・多動性障害」の大人である。それも優秀な頭脳や学歴を持っているにも関わらず、会社では良好なコミュニケーションが持てず、仕事に支障を来たしている若者がいる。実に困ったケースである。

 これらの広汎性発達障害や高機能自閉症と呼ばれる人々は、親の庇護の元ならば何とか生活は出来る。何となく変わった子どもだなあとか、非常に付き合いにくい若者だなあと思われても、学業はそこそこにこなすし、勉強が出来てテスト結果がいいものだから、見過ごされるケースが殆どである。ところが、学校を卒業していざ民間企業で働きだすと、様々なトラブルを起こすし仕事が上手く出来ないことが多い。発達障害の人たちは勉強はできるが、仕事をこなすことが出来ない。特に、対人関係を上手に調整するのが苦手なので、難しい顧客の営業や管理が出来ないし、トラブルメーカーになることが多い。官公庁だと、多少仕事でトラブルを起こしても免職させられることはないから、長続きしやすい。民間企業においては、トラブルメーカーは居場所がなくなる。

 発達障害は先天的な脳の器質障害だと言われている。脳の器質障害によって脳内の神経伝達物質が正常に分泌されなかったり、脳の先天的な損傷により情報伝達が正常に行われなかったりする。だから、例えば一度に二つ以上の行動が出来ず、不器用さを露呈することがある。さらに、人の気持ちを斟酌したり、相手の思いを想像したりするのが極めて苦手なので、人間関係の破たんを生じしやすい。端的に言うと、場の空気が読めないのである。また、複雑で微妙な駆け引きを必要とされるような交渉事は困難である。まさに、相手の微妙な心の変化を読まなくてはならない、恋愛のようなことは苦手になるであろう。稀に、結婚してから相手の発達障害に気付くケースも少なくない。

 この発達障害は、先天的な脳の器質障害であるから、医療的な治療によって改善することはあまりない。薬物治療も例外を除いて該当しないし、精神分析療法や認知行動療法などでも多大な効果を表すことは稀である。現代の医療レベルでは、ある程度症状を軽減することはあっても、劇的な改善は残念ながら見込めない。とすれば、この発達障害はどうにもならず、家庭に引きこもって、親の経済的援助や公的扶助を受けるしかないのであろうか。一部のNPO法人や福祉法人は、発達障がい者の支援に乗り出している。作業所を開設し、就労支援をしたり生活支援をしたりしている。これも、ある程度の効果はもたらすが、一般企業で働けるほどの就労レベルには追い付かないのが実情である。

 ところが最近、この発達障害が食事療法によって改善されつつあるという朗報がもたらされている。発達障害の人たちの食生活は、どちらかというと乱れている。ドーパミンなどの分泌障害もあることから、食べ物の嗜好が偏りやすい。高い糖分と脂質の食物を食べたがる。ジャンクフード、スナック菓子、ファストフード、炭酸飲料、肉、牛乳と乳製品、ケーキ、チョコレート、パンなどを好む。逆に、野菜、伝統的和食、豆類、発酵食品、魚などは摂取したがらない。味の強いものを食べたがるし、味の薄い和食は摂りたがらない。どういう効果をもたらすかというと、腸内環境が最悪になる。腸内細菌(腸内フローラ)はが育たないし、悪玉菌が蔓延る。また、人工的な食品添加物などにより、重金属が体内に蓄積される。最悪の状況になっていると言えよう。

 正しい食生活にすると、腸内環境は改善され身体に有害な重金属は排泄される。そうすると、脳内神経伝達物質である脳内ホルモンが正常に分泌されるという。脳内ホルモンが正常に分泌され神経伝達が正常に働くと、発達障害の症状が劇的に改善されるというのである。実は、この正しい食生活は、うつ病やパニック障害にも効果があることが判明されつつある。もちろん、食事療法だけで発達障害が完治する訳ではない。この食事療法に加えて、土いじりをする農業体験、トレッキングなど自然体験などを適宜取り入れることで、効果が倍増すると言われている。最近、精神障がい者や発達障がい者に対する支援に、農業体験を取り入れる福祉施設が増えてきた。是非、食事療法も加えてみてはどうだろうか。
相模原福祉施設の殺人事件の犯人像 [2017年03月02日(Thu)]
 相模原津久井の福祉施設で起きた、悲惨な殺人事件の犯人に対する精神鑑定結果が出たという。多くの精神医学者はすでに予想していた結果ではあるが、自己愛性のパーソナリティ障害とその他の人格障害との複合的な人格障害だとの鑑定結果が示された。したがって、精神喪失の状態ではなく犯罪の要件に該当することから、正式に犯罪として立件されることになったという。自己愛性のパーソナリティ障害というのは、一般の方々にとっては初めて耳にする障害名かもしれない。そもそも、人格障害という概念がまだ一般化していない。しかし、この自己愛性のパーソナリティを含めた人格障害の人は、想像以上に多い。おそらく、1割から2割の人たちは人格障害ではないかと指摘する専門家が少なくない。

 この自己愛性のパーソナリティ障害というのはどのような障害かというと、こんな症状を示すことが多い。まずは、強烈な万能感を示すことが多い。自分は、他より優れていてどんなことも出来るし、賞賛されるべき存在だと思い込む。自分と対比して他の人々は、実に愚かであり何も知らない存在だと蔑む。だから、自分は特別な存在であり、世の中から賞賛と高い評価を得るべきだと思う。そして、その賞賛のために平気で嘘をつく。自分は著名な人といかにも親しいとか、名誉・地位ある人や富豪と知り合いや友達だとうそぶく。評価のある人と知人だということで、自分の評価も高いのだと勘違いしている。職場や地域で何よりも評価や地位にこだわる。

 自己愛性のパーソナリティは、とても危険な人なのかというとそうではない。確かに、相模原事件のような危険な人格を作り出すこともあるが、全部が全部危険な行動をする訳ではない。障害の強弱もあるし、実に様々な症状を表出させる。相模原事件の犯人は、複合の人格障害だということなので、反社会性の人格障害や妄想性の人格障害、境界性の人格障害などの傾向を示していたものと思われる。自己愛性の人格障害は、強く現れる時もあれば弱い時期もある。強く表出した際には、境界性の人格障害の症状を示すケースが少ないとも言われている。この境界性のパーソナリティ障害の人は実に扱いにくい場合が多い。反社会性のパーソナリティ障害は、犯罪のような危険な行動を平気でする例が多い。

 自己愛性のパーソナリティ障害が強く出たと思われる歴史上の人物は、ヒットラーやムッソリーニ、またはスターリンと言われている。自分を過大評価すると共に、自分に対抗する人たちを徹底して蹴落として、抹殺した。自分に反抗する者を粛清しているどこかの国のトップも同じである。ある大国の大統領やある国の首相も、自分を批判するマスコミを徹底して弾圧しているところを見ると、自己愛性のパーソナリティ障害があるのかもしれない。こういう人物は、権力に対して異常な執着をする。自分の人間としての評価が、地位や名誉によると思い込んでいるから、自分の名誉や地位を脅かす存在を許せないのである。こういう人の部下や同僚になったら怖い。この人の能力や技術を凌駕しようものなら、徹底して貶められてしまう。

 この自己愛性のパーソナリティ障害を起こす原因は、脳の器質障害にあると言われている。前頭前野の発達が遅れているというか退化していると言われている。生まれつきなのか後天的なのか、解明されていないが乳幼児期の子育てに影響しているのではないかと見られている。特に、小さい頃に保護者から虐待されていた子や見放されていた子が、自己愛性のパーソナリティ障害になりやすいと言われている。ヒットラーやムッソリーニは、父親から虐待のような仕打ちを受けていた。この相模原事件の犯人は、虐待を受けていたとは言えないような家庭環境らしい。父親は教師をしていたし、母親もかなり教養が高かったらしい。裕福でもあったろうし、一見すると愛情不足だったとは思えそうもない。

 自己愛性のパーソナリティ障害も含めて、パーソナリティ障害を引き起こす原因は、保護者からの愛情不足だと言われている。それも、母親からの豊かな母性愛、言い換えると無条件の愛が乏しかった幼児期が影響しているらしい。逆に、母性愛が少なくて父性愛(条件付きの愛)が強過ぎると、パーソナリティ障害が起きやすい。母親というのは、夫から豊かな愛情と支配され過ぎない立場を与えられていないと、子どもに豊かな母性愛を注げないものである。相模原事件の犯人は、教師である父親から強過ぎる父性愛を受けていたのではないかと思われる。母親は、夫からの強過ぎる支配とハラスメントに、精神を病んでいたのではないかと想像する。母性愛を発揮できなかったのであろう。19人も殺めたのであるから、その行為は許せないが、彼の家庭環境は実に可哀想だったと思われる。彼のような不幸なモンスターをこれ以上生み出したくないものである。
トランプの大嘘 [2017年02月28日(Tue)]
 米国大統領の歴史上、一番人気のない大統領が誕生した。トランプ大統領の就任演説は、世界中の人々が注目をしていた中で行われたが、完全な間違いだと思われる部分があったのに気付いた人も少なくないだろう。何故、そんな誤謬を犯してしまったのか不明だが、真実を知っていながらわざと嘘をついたのか、それとも真実を知らなかったのかは分からないが、間違いだということは確かである。それは、彼がこういうことを言った部分である。米国は今まで世界の多くの国に富の再分配を行ってきた。これからは、富の再分配は止めて、自国の国民を豊かにしていきたいと述べた部分が大嘘なのである。これは、世界経済を熟知している人なら、誰でも間違いだと知っていよう。国民受けを狙って嘘をついたとすれば、大ウソつきの大統領ということになる。

 米国の豊かさは何で得られたものであろうか。自国の資源を使って、自国の労働力で生産し、自国で消費することでの経済的な豊かさを実現したというのなら、富の再分配という話もまんざら嘘ではない。そういう部分も確かにはある。でも、ごく一部である。米国の繁栄は、発展途上国からの経済的搾取によって築かれてきたのである。米国が発展途上国に対して富の再分配をしたのは、その搾取した利益のごく一部分でしかない。米国のグローバル企業は、世界中の労働力が安い国に現地工場を設置して、低劣な労働環境と待遇で働かせ、世界中に製品を輸出してきた。莫大な利益は米国本国に送金されて、発展途上国に対して、利益は殆ど還元されないシステムを作り上げた。

 さらに、米国の金融資本はあらゆる方策を使って利益を上げているが、そのしわ寄せはすべて貧しい国の国民に浴びせられている。米国の石油メジャーは、自分たちの利益を守るためには手段を選ばず、発展途上国の原油を安く買い叩いた。「海賊とよばれた男」という小説と映画では、卑劣な彼らのやり方が紹介されている。本来の正当な価格ではなく、発展途上国の金融市場を操作しながら、極めて安く原料を仕入れてきたのである。そして、米国で生産した工業製品、とりわけ高額な医薬品などを発展途上国にばらまいたのである。それも、けっして完治することのないただ症状を抑えるだけの医薬品を。一度飲み始めたら、一生薬漬けにするような医薬品を大量に供給した。農産物用の化学肥料や危険な農薬もしかりである。

 こういう卑劣な行為をしながら、発展途上国や未開発の国々の国民から、莫大な利益を搾取してきたのである。そして、トランプがいう富の再分配は、自国の経済や政治を守るために仕方なく最低限のレベルで実施してきたのであり、人道的な視点から行った富の再分配なんて、ごく僅かでしかない。こういう発展途上国からの搾取、とりわけ中東の国民から搾取してきたから、貧困が蔓延し政情不安を引き起こし、アルカイダやISによるテロ行為や内戦を生み出してきたのである。そのテロや内戦の原因を作ったのは、他ならぬ欧米の大企業とそれに加担する政治家たちである。日本もまた欧米の国と同じ行為をしてきた。

日本も含めた欧米の富める者たちが、発展途上国に対して富の再分配をもっと積極的に行い、すべての国が平和と平等を実現して、国民すべてが経済的豊かさを享受できたなら、テロや内戦はたちどころに消滅するであろう。先進諸国においても経済的格差が広がっていて、貧困が蔓延している。日本だって例外ではない。子どもの貧困化とその連鎖が問題になっている。政治の大事な役目は、所得と富の再分配である。それは国内だけでなく、世界全体における富の再分配が必要である。経済活動や労働に対する報酬が偏ると、貧困が起きる。そうならないような制度を作ること、さらには適度な所得の再分配をすることで大きな消費意欲が発生して、経済は活性化して、結果として好況が達成される。

子どもの貧困は世代間で連鎖する。一旦貧困に陥った家庭は教育の貧困化が起きてしまい、なかなか貧困を抜け出せない。だからこそ、政治による富の再分配を的確に実施して、貧困から誰でも抜け出せるチャンスを与えるべきなのである。先進国は、世界平和と世界経済の活性化の為に、発展途上国に対する富の再分配を積極的にすべきである。これこそが、世界全体の平和と幸福を実現する唯一の方法である。内戦やテロを軍事力で制圧するという手法は、もはや限界なのである。今までの歴史がそれを証明している。トランプ大統領の大ウソを糾弾し、先進諸国とその大企業、そして富裕者たちは、富の再分配を積極的に実施してほしい。それが世界平和を実現するただひとつの道だと信じて。
逃げ恥ブームに潜む若者の心理 [2016年12月26日(Mon)]
 逃げるは恥だが、役に立つというTVドラマがブームになり、逃げロスという現象まで引き起こしているらしい。この手の恋愛TVドラマには興味がないが、あまりにも騒がれているので今まで放映された総集編と最終回を視てみた。なるほど、通常の恋愛ドラマとは違った魅力があった。新垣結衣の可愛さも捨てがたいし、星野源の感情表現を抑えたいかにも頼りげのない仕草と表情が見事である。ドラマの筋書きもよく出来ているし、時折加えられている森山みくりの妄想シーンも微妙なスパイスとして、ドラマを盛り立てている。それにしても、このドラマがどうしてこんなにも若者たちに熱狂的に支持されたのであろうか。多くの若者たちが、深い共感をもってこのドラマを受け容れたと思われるが、その理由に迫りたい。

 現代の若者たちは、総じて恋愛下手である。そんなことはない、上手に異性との付き合いをしているし、肉体的にも結ばれている関係にあると反論するかもしれない。しかし、それは単なる異性とのお付き合いであり、結婚を前提とした恋愛ではない。あくまでも、友達の一人としてであり、ただ寂しさを埋め合うような関係でしかない。本当に好きな人とは、恋愛に発展できず、告白することさえできない。そんなに好きでもない異性には、平気で身を任せられるが、大好きで結婚したいなと思っている人とは、深い関係にはなれないみたいである。実に不思議なことであるが、どうでも良いと思える人としか、安心して付き合えないというのである。これでは、結婚できる訳がない。

本来、恋愛というのは、相手の良い処も悪い処も全部許して受け容れて、人間全体を愛するということである。しかし、今の若者は本当の自己開示が出来ない。自分の駄目な処や恥ずかしい部分、みっともない自分を見せられないのである。性交渉をするというのは、自分のすべてを見せなければならない。自分でも自信のない処や恥ずかしい部分までも、相手の目にさらすことになる。どうでも良いと思えるような相手には平気ですべてを見せられるが、大好きな人に嫌われてしまうかもしれないという深層心理が働いて、自己開示をためらってしまうのであろう。我々のような還暦を迎えた世代には、到底理解できないロジックであるが、これが恋愛下手に陥っている若者たちの心理らしい。

 どうして自分のすべてをさらけ出せないかというと、自己否定感が強いからである。自分の嫌な処、駄目な部分、恥ずかしい箇所、マイナスの自己を、自分で認めることが出来ず、ないことにしてしまっているからである。自分の良い処だけを出すようにして、良い人間を演じているのである。確かに、職場や公的な場所で駄目な処を敢えてさらけ出す必要はないが、恋愛の対象者にまで自己開示が難しいとしたら、恋愛に踏み切れないのは当然である。本当の自分が知られてしまったら嫌われるかもしれないという恐怖感から、自己開示が出来ないのであろう。言い換えると、自己承認力や自己肯定感が不足しているから、あるがままの自分を見せられないのだと想像できる。

 逃げるが恥の主人公二人は、まさに自己承認力や自己肯定感が不足している。だから、恋愛に対して臆病だし、結婚願望がありながら恋に踏み切れないのである。相手のことを好いていながら、嫌われることを恐れるあまり告白できない。年配の視聴者は観ていて、非常に歯がゆい思いをするだろうが、若い人達はあの臆病な二人に感情移入するに違いない。若い人達の多くが、このように自己否定感を強く持っているが故に、結婚しない若者が増えて少子化が進んでいるなら、由々しき大問題である。これでは、益々少子高齢化が進んでしまう。どうしてこんなにも自己否定感の強い若者が増えたかというと、やはり教育の影響であろう。自我を克服して、本当の自己を確立させる教育をしてこなかったツケを、今支払わされていると思われる。

 アイデンテティーの確立と一般的に呼ばれる、真の自己確立をしている人は、この日本社会には1割にも満たないと主張する心理学の専門家が多い。特に若者たちは、行き過ぎた競争社会に置かれていて、思想哲学を排除された教育、形而上学を否定された価値観を植え付けられているのだから、真の自己確立が出来る訳がない。逃げ恥の主人公は、たまたま契約結婚(偽装結婚)という形を取ることで、恋愛に発展した。あのようなプロセスをたどることが出来たとしたら、自分も恋愛をして結婚できるかもしれないと安心した若者たちが逃げ恥のファンになったと思われる。こんな偽装結婚から恋愛になんてことが、現実的に起きる訳がない。婚活をするのなら、真の自己確立が必要なんだと気付いてほしいものである。逃げ恥のようなドラマ鑑賞で、自己満足するもんじゃないよ。
| 次へ
プロフィール

Naturalさんの画像
リンク集
http://blog.canpan.info/inakagurasi/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/inakagurasi/index2_0.xml