1987年以来一貫して、認知症の方と家族本位の、小規模デイサービスをボランティア主体で運営・経営してきた。また認知症の方とのふれ合いを通じて、その介護と家族へのサポート、認知症への市民の理解を深めるための、啓発・情報発信をおこなってきた。
1987年10月〜2000年3月 介護家族支援のためのデイサービス
開設当時は、まだ認知症、痴呆という言葉は使われておらず、ボケ、おかしい、気がふれた、といういい方で、老年精神障害の範疇にあった。家族にとっては、24時間介護から解放されるには、精神病院へ入院させるしか選択肢はなかった。
顧問の大塚明彦精神科医師が、JR稲毛駅前マンションのワンフロアーの無償提供し、「呆け老人を抱える家族の会・千葉県支部」の看取り終えた家族を中心に、高齢社会の諸問題に関心もつ主婦ボランティアたちが、日本初の民間の痴呆専用デイサ-ビスを立ち上げた。
1日昼食つき、2500円の費用で、医療、看護によらない生活介助を中心とするケアにあたった。介護主体である家族と連携し、認知症についての理解を深めながら、利用者ひとりひとりの状態にあわせ、日常生活を中心として、残存能力の維持をはかるケアを実践してきた。その経験をとおし、利用者本位の痴呆専用小規模のデイサービスの必要性を社会に訴え続けた。
2000年4月〜2005年5月 物言えぬ利用者のための介護保険参入
介護保険施行にともない、稲毛ホワイエの経験、主張が生きる道として、千葉市基準該当痴呆専用通所介護事業所の指定を受けサービス提供をした。
任用資格の必要な職員とは別に、利用者とほぼ同数のボランティアをケアスタッフに配し、痴呆症の状態に合わせ、可能な限り利用者同士のグループケアが成立するように配慮した。発語、意味のある会話ができなくなった利用者へは、ケアスタッフが寄り添うことで言語を超えたコミニュケーションを成立させ、食事、歩行などの意欲の維持・増進を図るケアを目指した。
しかしこの5年間で、認知症の介護の社会化への家族の抵抗感が急激に薄れ、事業所の提供サービスの多様化が求められるようになった。
稲毛ホワイエは、ボランティア主体の経営のため、送迎がない、入浴がない、事業所が2階であること等、家族の要望に応えられず、利用者が激減、やむなく閉所にいたった。
なお2004年3月に「稲毛ホワイエ・16年の実践」と題し、関わったボランティア、利用した認知症の利用者、ならびにその家族、それぞれに百数十名におよぶ人々が紡いできた、認知症専用のデイサービスの歴史を、認知症をめぐる、日本の社会状況、国の施策の変遷をからめて、A4判245頁の記録として出版。
2005年6月〜8月千葉市基準該当痴呆専用通所介護事業所閉鎖の残務処理
2005年9月〜 2006年2月 新しい活動に向けての模索期
○閉鎖直前の稲毛ホワイエは一日平均利用者が1,3人と衰微していたが、国内の認知症は増加の一途をたどり、認知症対策の全国的取り組みが急務となる社会状 況が生まれていた。
・法令上、痴呆から認知症へ用語変更
・厚労省老健局に、国際長寿センター、認知症介護研究・研修東京センター、「認知症の人と家族の会」が、 2005年4月〜2015年3月を、「認知症を知り地域を作る 10ヵ年」とし、キャン長寿社会文化協会主催の、認知症疑似体験インストラクター養成の研修会に有志で参加しペーン事務局を設置、2006年をその初年度と位置づけ、「認知症を知る1年」キャンペーンを展開中。
・、認知症をめぐる様々な問題点にふれ、あらためて認知症の行動パターンへの理解が進んでいないことを認識した。
○20年間、百数十人の利用者と接して、稲毛ホワイエが体得してきた認知症のケアは、「認知症の人は自分を認知症とは決して思っていない。それを前提に残存能力を見極め、一人ひとりに合った様々な形のコミニュケーションを図っていけば、その人の心が落ち着き、疎外感から解放され、社会性も保たれる。健常者もまたそのふれ合いで心満たされるという相互関係が成立する」ということであった。この経験を一番生かせる活動場所、活動スタイルの検討を、有志で重ねた。
・稲毛ホワイエの元利用者家族との面談。現行の介護保険下での人員配置では、認知症の人の生活介助、身体介助が主にならざるを得ず、スタッフには、その人の心持の有り様に対応するまでの余裕がない。ホワイエのボランティアが隙間を埋める形で、訪問してくれれば、有難いとの意見が得られた。
・稲毛ホワイエの新人研修の実習をさせていただいたデイサービス事業所にあらためて見学に行った。認知症ケアにおける、言語に特定せず、心に耳を澄ます意味での傾聴ボランティアの受け入れ可能かを問い合わせたところ、快諾が得られた。
・ホワイエに認知症の人が集まらなくなった以上、こちらから認知症の人がいる施設に出向き、ふれ合いを体験させてもらいながら、ホワイエで培ったケアを、職業としてではなく、ボランティアだからこそできるサポートとして、実践していく活動スタイルが固まった。・・・介護保険下の事業所に傾聴ボランティアの出前サービスいたします。
・事業所収入がないので、ボランティアは全くの自腹となる。長続きするよう、金銭的時間的負担が少ない、各自の住まいの近くに、活動場所を探す。
・活動現場は各自に任されるので、月に一度ミーティングを開き、グループとしての原点の確認、懇親の場とする。各自の経験をもちより、疑問、失敗、助言などを共有し、事例研究とする。また講演などの研修についても報告、譲歩交換を行う。
・認知症の方の、言語だけによらない傾聴ボランティアの必要性を訴え、全国各地に後続グループが生まれるよう情報発信をする。
2006年3月 事業所の認知症ケア支援グループ発足
○18名を会員とする認知症の方の傾聴ボランティアグループ・稲毛ホワイエとし、千葉市ボランティアセンターに登録する。新規の活動なので、当面は試行錯誤が続くので、新人ボランティアの受け入れは控える。
○代表 田村勝子 会計 橋口美津江
総務 廣井信子 黒畑恵子
広報 若林佳子 渉外 宇田説子
2006年4月〜 2008年3月○ 会則決定
訪問先事業所に、会則の趣旨を理解してもらい、認知症ケアには、身体介助だけでなく、コミュニケーション意欲の減退を防ぎ、残存能力の維持に努め、個人としての尊厳を守ることの重要性を実践によって伝えることを、目指していく。
○ボランティア各自が、認知症の方の傾聴ボランティアグループ稲毛ホワイの活動趣旨を理解してもらい、介護保険給付事業所の状況に合わせ、活動スタイルを模索。
・社協および民間NPO主催の傾聴ボランティア講座を有志が受講し、ボランティア間で内容を共有した。
・ホワイエの趣旨を理解して、ボランティア派遣の要請には、ここに対応した。
○グループとしての活動を平行して行う。
・ボランティア連絡協議会主催の会議、諸行
事に参加
・社協 ボランティア基金助成金の交付をうける。
・認知症の人と家族の会、千葉県医師会、認知症研究会等々主催の、講演、研修会に参加
・「認知症の人と家族の会」世話人である介護家族との話し合い
・長寿社会文化協会の助成を受け、認知症疑似体験イべントを、訪問事業所みはま苑のスタッフを対象に行った。
・千葉市民活動センターまつりに見学・見物で参加
・地域のボランティア団体の活動をサポートを目的とした稲毛サティの「幸せの黄色いレシートキャンペーン」の助成団体として登録
以上2006年度の主なる活動
○特養、グループホーム、デイサービス、認知症専用デイサービス等、各自が介護保険給付事業所に継続的に訪問するようになり、事業所からは、イベントへの協力 を頼まれるようになった。
認知症の傾聴と特定することの意味を自問しながら現場
での実践が続く。
○ボランティア連絡協議会関連の事務、助成金申請、各団体の認知症をめぐる、講演、研修、イベント、交流会参加等は2007年度も前年度の準じた。
○毎月11日、稲毛サティの「幸せの黄色いレシートキャンペーン」には、有志が店頭に立ち、レシートの投函をよびかけ、年2回、物品の寄贈をうけ、有効活用した。
○新人ボランティアの募集を始める。
・千葉市民活動センター、千葉市文化交流プラザにチラシをおく。
・千葉市民活動センターに、分野別団体登録フェアーに、6,7月にポスター展示
○発足時の目標である活動に関する情報発信、ボランティア募集のため、ブログ立ち上げの準備。
・千葉市民活動センターの、IT相談を利用し、懇切な指導のもとに、9月、日本財団のcanpanに稲毛ホワイエのブログ開設。
・前身である千葉市基準該当痴呆専用通所介護事業所の頃から、お世話になった皆様から、エールを寄せていただき、感謝に耐えない。
ブログ・再出発に寄せて参照
○女性フォーラム(ハーモニープラザ2月26日〜3月9日)
にポスター参加
○「50歳からのボランティア」についてNHK福祉テキストから原稿依頼
○新ボランティア2名入会
2008年4月〜 会則に則り役員改正
○代表 藤城淳子 会計 梅沢 操、黒畑恵子
総務 廣井信子
広報・渉外 田村勝子 橋口美津江 宇田説子