やなぎの芽吹き [2015年03月30日(Mon)]
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玉列(たまつら)神社の椿まつり [2015年03月29日(Sun)]
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スモモの花も咲き始めました [2015年03月28日(Sat)]
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エドヒガン群生林整備記念講演会(国崎クリーンセンター) [2015年03月23日(Mon)]
昨日(3/22)、国崎クリーンセンターの啓発施設 ”ゆめほたる”で、利用者10万人達成とエドヒガン群生林整備を記念して「北摂の原風景」と題する講演会があり万葉仲間を誘って聴講しました。
石田弘明氏(兵庫県立大学教授)が「エドヒガン群生林の価値と保全」について話されました。 エドヒガン(絶滅危惧種)は本州・四国・九州に広く分布するも自生地は限られ、兵庫県下では、猪名川上流域・但馬・西播磨などに限られるとのことです。猪名川上流域に立地する国崎クリーンセンターの敷地に広がる里山には250本もの群生が見られるとのことです(国内トップクラスの密度)。川西市内ではこのほか、国崎地区(一庫公園)、黒川地区(大槌・妙見ケーブル横・桜谷)、多田地区(水明台)に群生地があり、桜谷と水明台の群生地は市の天然記念物に指定されています。 エドヒガンの生育適地は、明るい場所(陽地)、適湿の地(谷の斜面下部など)とされ、国崎クリーンセンターのある里山がエドヒガンの群生地となった要因について解説されました。 クヌギやコナラなどの夏緑樹からなる里山林では、燃料を得るため年毎に場所を変えて輪伐が行われる(伐採年度の異なる林がパッチワーク状に)。国崎・一庫・黒川地区は利休・秀吉の頃からクヌギの炭(菊炭)の生産地であり、また、この地域にはかつて銀や銅の鉱山があり(間歩と呼ばれる採掘するための抗道が残っている)、製錬用の燃料としても里山林の伐採が行われ、明るい環境が継続してつくり出されてきたことをあげられた。 保全の取り組みとしては、エドヒガンや林床の日当たりを良くするためにヒノキの間伐や蔓植物の除去、鹿の食害対策などで、国崎クリーンセンターではエドヒガンの種子を採取し地域性苗づくりも行われているそうです。
なお、私の万葉植物園にも、4年ほど前に「エドヒガンを守る会」代表で市議の津田さんに苗木2本の植樹をしていただき大分大きくなっています。花が咲くようになるのが楽しみです。
前川善一郎氏(京都工芸繊維大学特任教授)は、「里山の衣文化~繊維が語る歴史と風土」と題して、古代から江戸時代に至る衣料の歴史について話されました。 日本の衣文化を支えた三つの天然繊維材料として、@苧麻(ちょま、縄文から室町時代の庶民の主たる繊維材料)、A木綿(江戸時代から現代までの庶民の主繊維材料)、B絹(縄文時代からの国産技術の真綿と弥生時代にもたらされた渡来技術の絹糸、いずれも上流・富裕層の繊維材料)について、繊維を取り出す作業工程や繊維の特性にも触れられた。 養蚕や機織(はたおり)技術が呉の国から伝えられた(弥生時代末期)のに関連して、お隣の池田市には、呉織媛(くれはとりひめ)を祀った呉服(くれは)神社と穴織媛(あやはとりひめ)を祀った伊居太(いけだ)神社があります。あらためて訪ねてみようと思いました。 染色の技術は弥生時代に里山で生まれた草木染めが始まり(汁液や花などを繊維に刷り込む摺染)で、古墳時代に明礬や硫酸鉄を使用する媒染(ばいせん)の技術が伝来し草木染めの技術が確立されたようです。万葉歌にも、染色に関わるものがかなり見られます。茜草(あかね)、紫草(むらさき)、紅(くれなゐ)、山藍(やまあゐ)、榛(はり)、鴨頭草(つきくさ)などの植物が詠まれています。 江戸時代の木綿の栽培法に関しては、水田に立てられた畝の部分に木綿を、畝と畝の間の谷の部分に水稲を交互に植える方法が行われていたそうです(半田法という)。 野間村(現在の伊丹市)の豪農 巽屋左衛門の農事日誌(1862~1872)の話も含め、これまで聴講する機会の少なかった分野の話で大変興味深いものでした。 対談に先立ち、服部先生からは、万葉歌に詠まれた植物を植物群集・群落(植生)の視点から解析して、万葉時代の植生景観を眺めてみたらどうなるかについて話され、坂本先生からは、万葉集に詠まれた北摂関連の歌を紹介されました。 講演(万葉集に描かれた北摂)される坂本先生
対談されるお二人
なお、服部先生については、以前にも兵庫県立人と自然博物館のセミナーでお話を聞いたことがあります。その時の記事は、 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/171
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果樹園ではサクランボやアンズが開花 [2015年03月21日(Sat)]
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かたかご(カタクリ)の花が咲きました [2015年03月20日(Fri)]
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藤ノ木古墳(発掘30周年)に関する講演会 [2015年03月17日(Tue)]
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カタクリが蕾を付けています [2015年03月16日(Mon)]
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古代出雲文化フォーラムIII [2015年03月09日(Mon)]
島根大学主催の「古代出雲文化フォーラム」が東京、広島に続いて大阪で3回目が開催されました(3/8)。事前申込制で定員1000人に対し1800名の応募があったそうですが、私は幸いにも参加することが出来ました。
今回のフォーラムでは、『「くにびき神話」と古代出雲・伯耆の成り立ち』をテーマに、第一部のシンポジウムでは、島根大学の地質学、考古学、歴史学の4人の研究者が下記の演題で講演され、第二部では、千家和比古出雲大社権宮司と小林祥泰島根大学学長による鼎談が行われました。 シンポジウム演題と講師をあげておきます。 「地質学的にみた古代出雲世界の舞台〜島根半島・ラグーン(宍道湖。中海)の形成」 入月俊明教授(総合理工学研究科) 「考古資料が物語る古代出雲成立以前の朝鮮半島と山陰」 平郡達哉准教授(法文学部) 「東アジア世界の中の古代出雲ー「国引き神話」・新羅・渤海ー」 大日向克己教授(法文学部) 「『出雲国風土記』と遺跡からみる広域交流」 大橋泰夫教授(法文学部)
『出雲国風土記』の「国引き神話」は、意宇(おう)郡の由来として記されています。少し長くなりますがその要旨を勝部 昭著『出雲国風土記と古代遺跡』(日本史リブレット13)より以下に引用しておきます。 八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が「八雲立つ出雲国は狭い布のような若い国である。縫って大きくしよう」とおっしゃった。そして志羅紀(しらぎ)の三埼をみて国の余りを、三本をより合わせた綱をたぐってもそろもそろに「国来(くにこ)・国来」と引いてきて縫ったのが八穂爾支豆支(やほにきづき)の御埼である。この時の杭は佐比売山(さひめやま)、綱は薗の長浜である。次に、北門(きたど)の佐伎国の余りを引いてきて縫ったのが狭田(さだ)国である。次に、北門の良浪(よなみ)国のあまりを引いて縫い合わせたのが闇見(くらみ)国である。最後に、高志(こし)の都都(つつ)の三埼の余りを引いてきて縫ったのが三穂(みほ)埼である。持って引いた綱は夜見嶋(よみのしま)、杭は伯耆国の火神岳(ひのかみたけ)である。意宇杜に御杖をついて、「意恵(おえ)」とおっしゃった。それで意宇と言う。 志羅紀は朝鮮半島の新羅、支豆支は島根半島西橋の出雲大社のある杵築(きづき)あたりの地域、佐比売山は三瓶山、薗の長浜は出雲市大社町から多伎町に至る砂浜、佐伎国は隠岐国、都都は能登半島の珠洲市、三穂埼は松江市美保関町美保の岬、夜見嶋は鳥取県境港市・米子市にまたがる弓ヶ浜、火神岳は鳥取県の大山とみられています。
日本列島も昔はユーラシア大陸の一部であったのが、約3000万年前に盛んな火山活動で大陸が分裂を始め、その後日本海が拡大し、1450万年前に現在の位置に移動した(島根半島には、朝鮮半島と地質学的に同じ凝灰岩、安山岩、流紋岩がみられるとのこと)。その過程で国内最大の汽水湖(宍道湖・中海)が形成され、その変化に富む地質学的基盤が、出雲文化の形成へと導いていったとみられています。 そこで、島根大学では、国引き神話のような大地の変動が記録されているその島根半島の歴史や文化を有機的に結び付けジオパーク化をめざす、「くにびきジオパーク」プロジェクトを立ちあげているとのことです(今回のフォーラムもその活動の一環とのこと)。
島根にはこれまで万葉の故地巡り(人麻呂ゆかりの地)や、飛鳥を愛する会現地講座で遺跡を訪ねる機会がありました。 飛鳥を愛する会で訪れた時の記事は、 https://blog.canpan.info/inagawamanyo/archive/724
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奈良学文化講座「北・山の辺の道」 [2015年03月08日(Sun)]
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